空の旅というものは、一度旅客機に乗り込んでしまったら目的地に到着するまでに外に一歩も出られません(当たり前ですね)。ということは、機内でのサービスは航空会社を選ぶうえで、非常に重要な選択肢のひとつです。そんな機内でのサービスを一手に担い、わたしたち乗客に対してあれこれと気を使って旅を快適に演出してくれるスチュワーデス(現在ではフライトアテンダントやキャビンアテンダントと呼ばれる)の存在は、ありがたいものです。
それではスチュワーデスさんたちは、いつから旅客機に乗り込むようになったのでしょう。
スチュワーデスの誕生は、1930年にアメリカはボーイング航空輸送(ユナイテッド航空の前身で、その名の通りジャンボ(B747)やトリプルセブン(B777)といった航空機を製造しているメーカーのボーイング社が創立したエアライン)が8人の女性を採用したのがはじまりです(これより前にスチュワードはいました)。
この8人は全員がミネソタ大学看護科を卒業した看護士で、サンフランシスコの病院に勤めていたエレン・チャーチが自らを売り込み、自らが残りの7人の同僚看護士を選んで乗務を開始したのです。
これら彼女たちの初フライトは1930年5月15日(シカゴ/サンフランシスコ間)のこと。乗り込んだ旅客機はボーイング80A複葉3発機で、彼女たちの主な仕事は、オイル点検などの補助・旅客に対する搭乗案内と体重測定・病人の付き添い看護と乗客の保安といった現在のスチュワーデスが担う仕事から、エンジニア、グランドホステスといった仕事までこなしていました(働きものです)。機内では、機内の冷蔵庫に調理済みのランチを用意しコーヒーを付けて乗客にサービスしました(どんなランチだったんでしょうね?気になる~)。
彼女たちの制服はというと、グレーの綾織りのウール地に銀ボタンが6個ついたダブルのジャケットに黄色い裏地の紺色のマントといった、今見ても結構おしゃれなもの(写真参照)。これはエレン・チャーチ自らがデザインしたものです。ただし機内でサービスする際は、白衣白帽の看護士スタイルでした。
(世界最初のスチュワーデスとなったエレン・チャーチ。彼女自らのデザインの制服を颯爽と着こなしてます)
この8人は「ジ・オリジナル・エイト」と呼ばれています(カッコイイ~)。ちなみに当時の採用基準は、年齢25歳以下、体重52kg以下、身長163cm以上、そして正規の看護士資格を持ち未婚であることでした。お給料は月125ドルで彼女たちの献身的なサービスは、乗客の間でも好評だったそうです。ユナイテッド航空のホームページにFlight attendant historyがありますので興味のある方はこちらをご欄になってみてください。
(世界最初のスチュワーデス「ジ・オリジナル・エイト」の8人。左上からEllen Church、Alva Johnson、Jessie Carter、Ellis Crawford、Harriet Fry、Cornelia Peterman、Inez Keller、Margaret Arnott)
それでは日本でのスチュワーデス誕生はいつのことだったかというと、なんとジ・オリジナル・エイトに遅れることわずか1年。1931年に東京航空輸送という航空会社が「エア・ガール」として3人の女性を採用したのがはじまりです。彼女たちは、愛知AB一型水上飛行機で東京/清水間でフライトを開始しました。彼女たちは残念ながら制服はなく私服で乗務していたそうです。
この日本最初のエア・ガールはわずか1年で消滅してしまい、次に日本の航空会社でスチュワーデスが採用されるのは1937年のこと。日本航空輸送という航空会社が12名を採用しました。彼女たちは「空(あま)駆ける天女」と呼ばれ、ジャケットにフレアスカート、制帽といったそろいの制服に身を包んでいました。
しか~し第二次世界大戦が始まり、彼女たちは地上勤務となってしまいます。そして日本は敗戦を迎え、航空活動を全面的に禁止されてしまいました。次に日本の航空会社にスチュワーデスが登場するのは1951年、日本航空が採用するまで途絶えてしまうのでした。
機内で頼れる味方スチュワーデスさん。彼女たちの献身的でホスピタリィあふれるサービスはいつの時代も不変のようですね。

