特集! ありがとう!YS-11 国産唯一の名機退役迫る


日本エアコミューターに残る最後の3機のうちの1機、YS-11A(JA8717)。日本エアコミューターでは、「ありがとう日本の翼 YS-11キャンペーン」として、搭乗証明書、毎月11日の「YS-11の日」に各種イベント開催、スペシャルツアーを設定、公式記念メダルなどさまざまな企画が開催されています。

1962年(昭和37年)の試作機初飛行、1965年(昭和40年)商業運航開始とこれまで約40年以上も唯一の国産旅客機として活躍を続けていたYS-11がついに、9月30日を持って日本の空から退役します。かつては、国内の航空会社が数多く導入し、全国を飛び回っていましたが、現在では日本エアコミューター(JAC/JN)の3機(JA8717、JA8766、JA8768)を残すのみとなってしまいました。

派手さのないターボプロップ機ですが、それこそ地道に日本の空で働き続けたYS-11を記念して、3回にわたり特集していきたいと思います。第1回は、YS-11の開発経緯について紹介していきたいと思います。

1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約を締結したことにより、日本は連合国の占領下から独立を果たしました。それにともない、連合国最高司令官総司令部(GHQ)による航空禁止が一部解除され、日本の空に旅客機が帰ってきてから日本の航空路線は、ダグラスDC-3やDC-4、コンベア440などのアメリカ製の輸送機が占めていました。多くの日本の航空関係者は、かつて航空王国であった日本に日本製の航空機を飛ばしたいという悲願を持っていたことは想像に難くないでしょう。日本国政府は1957年(昭和32年)に航空禁止が全面解除になることを見越し、1956年(昭和31年)に通商産業省(現・経済産業省)の主導で「中型輸送機の国産化計画構想」という国産民間機計画を打ち出しました。翌年から専任理事に木村秀政日本大学教授を迎えた「財団法人 輸送機設計研究協会」(通称「輸研」)が設立され、小型旅客輸送機の設計が始まったのです。

この輸研には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を設計した新三菱の堀越二郎、中島飛行機で一式戦闘機(隼)を設計した富士重工業の太田稔、川西航空機で二式大艇を設計した新明和の菊原静男、川崎航空機で三式戦闘機(飛燕)を設計した川崎の土井武夫といった、戦前の航空業界を支えた人物が参加・設計に着手しました。この4人に航研機を設計した木村教授を加えて航空業界では「五人のサムライ」と呼んでいます。

輪研での研究開発が進み、ついに1958年(昭和33年)、横浜にてモックアップ(精巧な模型)が公開されます。翌年の1959年(昭和34年)に特殊法人日本航空機製造株式会社(NAMC)が創設され、輸研は解散しました(五人のサムライは実機の製作には携わらないと宣言していました)。初代社長には輸研理事長の荘田康蔵、技術部長に新三菱の東條輝雄が就任。資本金は55億円、日本国政府が最大株主であり、新三菱重工(現三菱重工業)、川崎航空機(現川崎重工業)、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機の6社の協力体制が敷かれ、本格的に輸送機の開発作業が始まりました

機体設計は、胴体はレイアウトに余裕が持てるように真円部分を長くしたものが採用されました。また、地方路線でも使用できることを目的としたため、1200m級の滑走路でも離着陸が可能な性能とし、エンジンは耐空証明の取得に困難が予想されたため自国での開発を諦め、イギリスのロールスロイス製のダート10という当時主流になりつつあったターボプロップ・エンジンを採用、プロペラはダウティ・ロート製、当時の日本では技術力不足な部分であった電子機器もほぼ全て海外製品を採用しました。

飛行試作機(JA8611)は1962年(昭和37年)に完成し、8月30日に初飛行を行いました。その後、空気特性の悪さからプロペラ後流によって右方向へ異常な力が働き、全ての舵の効きが悪いというトラブルを克服し、1964年(昭和39年)8月に運輸省(現国土交通省)の型式証明を取得し、国内線向けのデリバリーを開始しました。9月9日には全日空にリースされた2号機が東京オリンピックの聖火を日本全国へ空輸し、日本国民に航空復活をアピールしました。1965年(昭和40年)3月30日に量産1号機が運輸省航空局に納入、4月から航空会社への納入が始まりました。

ところが、YS-11-100は運航が増えるたび、トラブルが起こったことも事実で、この経験が1967年(昭和42年)からのYS-11A(2050以降)誕生へ繋がったのです。1968年(昭和43年)にはトラブルもほとんど解消し、1機あたりの飛行時間は月300時間以上、定時出発率99パーセントを誇る、高い信頼性を持つ航空機となったのでした。

なかなかドラマがある旅客機なのです、YS-11という機体は。このあたりの経緯は、「YS-11 上 国産旅客機を創った男たち/下 苦難の初飛行と名機の運命」(前間孝則著/講談社+α文庫)に詳しいので興味のある方は、ご一読してみてください。


今のハイテク旅客機と、比べると機械式計器がたくさんあることがわかります。油圧式ではなくすべて直接ケーブルでつながっている、手動の操縦系統としては、YS-11は限界ぎりぎりの大きさの機種。重たい操縦系統だそうです。

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コメント (2)

井上美穂:

 フランス語の教科書を執筆中です。教科書のテキストでは、エアバス対ボーイングの競争を扱っていますが、練習問題で日本唯一の国産旅客機YS11をとりあげることにしました。とても参考になりました。教科書の出版は今年の冬。その前にYS11は消えてしまうのが残念です。

近井コアラ:

井上美穂さん、こんにちは!

フランス語の教科書ですか~。
エアバス対ボーイングの競争を扱うって面白そうですね。
YSの話も取り上げていただけるとのこと。
参考になりましたでしょうか。
今後ともご愛読いただければと思います。

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近井コアラ

69(ロック)な生まれ(69年生まれ)がちょっと自慢な音楽と旅をこよなく愛する三十路。旧ソ連を皮切りに旅した国は30数カ国。旅は食にこだわりたい食いしん坊だが、高級かどうかは問わない雑食。少しでも旅のスパイスになるような情報を発信していきたいと思ってます!!

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