スカンジナビア航空(以下SAS)は2月24日に北極航路開設50周年を迎えます。SASが北極航路を開設する前は、日本からヨーロッパへ行こうとすると南回りのルートでなんと約54時間もかかるものでした。それが1957年2月24日に東京/コペンハーゲン間を北極上空を経由する「北回りルート」を開設したことにより、所要時間が一気に20時間も短縮され約32時間となりました。
第二次世界大戦後は旅客機の航続性能は飛躍的にアップしたものの、当時はヨーロッパと極東アジアの間には共産主義国家であるソビエト連邦があり、ソビエト連邦政府は自国上空を西側諸国の航空機が飛行することに厳しい規制を加えていました。当初は全面運航禁止、後も多額の通行費請求、ジャンボなど広胴機の運航禁止などの規制がありました。そんな状況下の中で、 SASは1952年に受領したばかりのDC-6Bの初号機でロサンゼルスからコペンハーゲンまで旅客機としては初めて北極圏を飛行し、1954年には世界初となる“ポーラールート”を飛ぶ定期便として同路線の運航をはじめたのです。
そして1957年、当時の最新鋭機であるDC-7Cで世界初となる北極圏経由の北回りヨーロッパ線となる東京/アンカレジ/コペンハーゲン線を開設することとなったのです。1960年代に入ると、ボーイング707、ダグラスDC-8など長距離を飛行することが可能なジェット機が就航することとなり、次第に他の航空会社も所要時間が短くて済む北回りルートのヨーロッパ線が主流となりました。

1957年2月24日9時40分、SASのDC-7C“ライダー・バイキング号”が45名の招待客を乗せて羽田空港を出発し、北極上空を通りコペンハーゲンを目指しました。所要時間は32時間45分。実は同じ日にコペンハーゲンからもDC-7C“グトーム・バイキング号”が東京へ向けて出発していました。両機は21時40分、北極上空ですれ違ったそうです。ライダー・バイキング号は高度3,900メートル、グトーム・バイキング号はそのやや下方を通過したそうです。そしてコペンハーゲンから東京へ到着したグトーム・バイキング号は35時間37分かかりました。この2機がすれ違った際に、デンマークのハンセン首相(当時)が北極宣言書を読み上げ、その声は電波に乗って合計21か国に中継されました。当時としては画期的な出来事だったのです。SASは世界の距離を縮めたパイオニアなんですね。写真はDC-7Cライダー・バイキング号です。(Photo/SAS)
1966年には日本政府とソビエト政府間で航空協定が結ばれ、アエロフロートと日本航空にモスクワ経由での日本/ヨーロッパ線の運航が許可されることとなり、より飛行時間の短い“シベリアルート”が開設されることになりました。そして1970年代では東西の緊張緩和が進んだことや、人工衛星の技術が進みスパイ衛星からでも航空写真と同じくらいの精度の高い写真が撮影できるようになったことなどから、ソビエト政府が西側の航空会社にもシベリア上空の航路を開放していきました。そして1990年代のソビエト連邦崩壊によりシベリア上空のルートが全面開放されることになり、現在皆さんが利用している“シベリアルート”が生まれたのです。しかし、北回りルートを1957年当時に開設したSASは、運航技術とパイオニア精神の高い航空会社だったのだな~とあらためて思います。
SASの東京/コペンハーゲン線は、1971年にモスクワ経由のシベリアルート開設で13時間、1987年にはロシア上空を飛行するノンストップ便が就航し、現在ではA340で東京/コペンハーゲン間は約11時間で結ばれています。
独自の高い運航技術とパイオニア精神、そして現在では「グリーン・アプローチ」として環境への付加を軽減し、飛行中の効率性や安全性を増す試み、化石燃料に換わる燃料の開発を長期プロジェクトとして展開するなど、SASは今後も世界をリードする航空会社であることを目指しています。

