32年間にわたり日本と台湾間を結んできた日本アジア航空が3月31日、その役割を終えラストフライトを行い日本航空に統合されました。ラストフライトは3月31日の成田→台北EG209便でJAA塗装のボーイング747-300でした。
日本アジア航空の設立には大変複雑な経緯があることをご存知ですか? 簡単にご紹介しましょう。
1972年、日本と中華人民共和国との間に日中共同声明が発表されたことにより国交が回復しました。そして1974年に両国間に航空協定が締結され、中華人民共和国に乗り入れる日本の航空会社(日本航空)の中華民国(台湾)への乗り入れが禁止となりました。これに激しく反発した台湾は、1974年4月21日、1959年から日本航空により運航されていた日台路線をすべて運航停止としてしまいました(チャイナエアラインの日本乗り入れ中止)。
しかし、日本と台湾の間にはビジネス面での強い結びつきがあり、断交後も交流を続けたいという要求が日台両国間で強くなり、1975年7月に民間ベースで航空路再開のための協定が調印されました。ただ問題として、すでに北京や上海に路線を開設していた日本航空が乗り入れすることはできません。また当時の45・47体制では日本航空以外のエアラインが国際定期便を運航することは困難でした。このような複雑な政治的背景のもとで、日本航空が100%出資し1975年8月8日に誕生したのが、日台路線専門のエアライン「日本アジア航空」だったのでした。
このような政治的背景のもとに台湾線に乗り入れるためにヨーロッパ系の航空会社も、別会社を装った別の名前で乗り入れする航空会社も多かったのです。たとえばブリティッシュ・エアウェイズは“British Asia Airways”、エールフランスは“Air France Asie”、KLMオランダ航空は“KLM Asia”といったように別会社を装って運航していました(これらの塗装を施した機体ですが、機材繰りの関係で日本に飛来したこともありますので、ご覧になった方も多いのでは)。
その後、日台路線以外のアジア路線への進出も実現した日本アジア航空は、成田、関西国際、中部国際空港などから台北や高雄などを結び、2006年までに約3377万人が利用するまでに成長しました。しかし最近の民間の交流機関を通して日台双方が協議のうえ、台湾への日本航空機の直接乗り入れが実現するとともに、その役割を終えることとなったのです。
台湾では「日亜航」という愛称で親しまれていた日本アジア航空。歴史的役割を十分果たし、その歴史に幕を閉じました。今後は日本航空が台湾と日本の架け橋となります。

日本と台湾の架け橋となり長年両国から親しまれた日本アジア航空。その役割を終え、日本航空がその役割を受け継ぎました。長い間お疲れさまでした!

