2009年08月14日

納涼! クイズを解いて楽しく、すっきりしませんか?

夏休みに突入されている方も多いのでは。本ブログをご覧の方ならば、ヒコーキ乗って旅行!とか空港に撮影に行く!という方が多いかと思われますが(うらやましい)、家でのんびり読者やDVD鑑賞なんて方もいるでしょう。暑くて何かを考えるのもだるいかもしれませんが、クイズを解いてすっきり!といきませんか! 今回は飛行機に関係するクイズです。知らなくても旅行するのは楽しいですが、知っているともっと楽しくなる(?)知識ばかりですよ。


問題
Q1 以下のジェット旅客機の中で定期旅客便に就航した最初の旅客機はどれ?
A:ボーイング707 B:BAC111 C:ダグラスDC-8 D:デ・ハビランド・コメット E:シュド・カラベル F:コンベア880


Q2 以下の2レターコードが表す航空会社は?
A:NH B:UA C:AC D:QF E:KE F:VS


Q3 パイロットの制服の袖や肩には職級を示す3本か4本の線があります。それぞれ意味する職級は?


Q4 フライ・バイ・ワイヤを最初に実用化したジェット旅客機はなに?


Q5 出発時刻とは以下のどれをさすか?
A:飛行機が離陸した時刻 B:ボーディング・ブリッジが外された時刻 C:駐機場所から飛行機が動きはじめた時刻


Q6 日本で4,000メートルの滑走路を持つ空港は以下のどの空港とどの空港?
A:関西国際空港 B:成田国際空港 C:羽田空港 D:新千歳空港


Q7 飛行機の尾翼のマーキングで鳥がモチーフになっている航空会社は以下のどれとどれ?
A:マレーシア航空 B:シンガポール航空 C:日本航空 D:ルフトハンザ ドイツ航空 E:コンチネンタル航空


Q8 航空会社のコールサインで実際にあるのは?
A:スピードバード B:スーパーマン C:ベートーベン D:バッハ E:ウルトラマン


解答
A1 D:デ・ハビランド・コメット
1952年5月2日にBOACのロンドン/ヨハネスブルク線に就航したのが、世界で初めてのジェット旅客機の定期旅客便。ちなみに他の機体は以下の通り。
ボーイング707:1958年10月26日。パン・アメリカン航空の大西洋路線。
BAC111:1965年4月9日。ブリティッシュ・ユナイテッド航空のガトウィック/ジェノバ線。
ダグラスDC-8:1959年9月18日。ユナイテッド航空、デルタ航空の国内線。
シュド・カラベル:1959年。エールフランスのパリ/イスタンブール線。
コンベア880:1960年5月15日。デルタ航空のニューヨーク/ニューオリンズ線。


A2 A:NH=全日空 B:UA=ユナイテッド航空 C:AC=エア・カナダ D:QF=カンタス航空 E:KE=大韓航空 F:VS=ヴァージン アトランティック航空


A3 3本線=副操縦士 4本線=機長


A4 エアバスA320
フライ・バイ・ワイヤとは、操縦系統を電気信号で動かすシステムのことをさします。エアバスA320が登場するまでは、操縦棹からの信号は油圧などにより伝えられていましたが、装備が複雑で重量も大きいものでした。フライ・バイ・ワイヤは、パイロットからの入力を電気信号に変換し、電線によって飛行制御コンピュータを通り油圧アクチュエータに伝えられ、アクチュエータで再びメカニカルな動きに変換して操舵します。現在開発中なのが、「フライ・バイ・ライト」と呼ばれるもので、電気信号ではなく光信号を利用しようとするものです。信号の伝送ケーブルには、光ファイバが用いられます。このフライ・バイ・ライトの利点には、電磁波障害の影響を受けにくいということ、高速で大容量の伝送が可能、小型で軽量、防火性に優れているなどがあり、旅客機に採用するために開発中です。


A5 C
離陸する時刻を出発時刻と思ってしまいがちですが、時刻表に掲載されている出発時刻とは、航空機が動き始める時刻のことをいいます。飛行機のタイヤにかませている輪留めを取り外す作業をブロックアウトといいますが、輪留めを外し動くことから出発時刻のことを「ブロックアウトタイム」と航空関係者は呼んでいます。ちなみに離陸した時刻は「テイクオフタイム」、着陸した時刻を「ランディングタイム」、スポットインの時刻を「ブロックインタイム」(これが到着時間になります)、離陸から着陸までの時間を「フライトタイム」、ブロックアウトタイムからブロックインタイムまでの時間を「ブロックタイム」といいます。


A6 AとB
関西国際空港のB滑走路と成田国際空港のA滑走路が4,000メートル。羽田、新千歳空
港は3,000メートル。


A7 BとD
シンガポール航空の鳥の尾翼ロゴは、1987年のCI時にデザインされたもの。ルフトハンザ ドイツ航空の尾翼は「ツル」。1926年以来使われているものです。Aのマレーシア航空は鳥に見えますが、マレーシアの伝統的な凧で「カランタン」をモチーフにしたもの。日本航空は鶴丸マークが有名ですが、現在は太陽をモチーフにしたものとなっています。コンチネンタル航空は地球をイメージしたもの。


A8 A
スピードバードというコールサインは、ブリティッシュ・エアウェイズが使用しています。これはブリティッシュ・エアウェイズの前身である英国海外航空(BOAC:British Overseas Airways Corporation)の旅客機のマーキングで、機首や尾翼に矢印のように簡略化された鳥が描かれていました。この鳥をスピードバードと呼んでいて、それがそのままコールサインとして残っているのです。


さてさて、どれくらい正解できましたか? こういった知識は知らなくてもいいものですが、知っているとちょっと楽しいですよね。旅行に行く方も家でゆっくりされる方も、楽しい夏休みであることを願っています。

2009年04月30日

新型インフルエンザ発生! 海外渡航は十分注意のうえお出かけください

今回は、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)関係の航空業界の対応について紹介します。4月30日現在、WHO(世界保健機関)は「フェーズ5」(ヒトからヒトへの感染が2か国以上で起きている状況。パンデミック直前の兆候)に警戒レベルを引き上げました。

海外渡航に関しては、メキシコへの不要不急の渡航延期を勧告し、アメリカ・カナダ・ドイツ・イスラエル・スペイン・ニュージーランド・イギリス・オーストリア・コスタリカの9か国への渡航に関し、十分注意するよう求める感染症危険情報を出しています。今後、該当国へお出かけの際は、外務省や厚生労働省のホームページの該当情報ページをチェックの上、お出かけください。

4月28日からは、海外からの航空便で到着した乗客全員に健康状態と氏名や連絡先を記入する「質問票」提出が義務付けられています。さらに成田・中部・関西の3空港でメキシコ・アメリカ(ハワイ・サイパン・グアムを除く)・カナダからの便を対象に、乗客を降ろさずに健康状態をチェックする機内検疫が始まっています。機内では、10日以内に発熱やせきなどの症状がなかったかなどをたずねる質問票が配られ、乗客が記入している間にサーモグラフィーで発熱の有無が調べられました。その後、質問票を回収しながら問診が行われたそうです。

現在のところ感染した疑いのある乗客は見つかっていませんが、もし見つかった場合は以下のような対応がとられるそうです。
・感染した乗客は感染症指定医療機関へ搬送される
・周辺に座っていた乗客や担当の客室乗務員ら「濃厚接触者」(座席位置により最大で約50人)も、経過をみるために10日程度、空港近くのホテルに滞在させる
・ほかの乗客にも質問票に連絡先を記入してもらい、それぞれの地元の保健所などが10日程度、健康状態を確認する

機内検疫など通常よりも検疫に大変時間がかかり、乗客の皆さんには負担が大きいものですが、水際での感染拡大を防ぐためにも協力をお願いします。

航空会社では日本航空が4月27日、政府・自治体など日本の公的機関から要請があれば、メキシコに救援物資を無償で輸送すると発表しています。過去に同社が協力した実績のある民間団体の関係者が支援に向かう場合も、無償で渡航を請け負うそうです(4月30日から5月29日まで)。

みなさんにお願いしたいことは、正しい情報で冷静な対応をとって欲しいことと、海外へ行かれる方には、事前の情報をよく収集しておくことをお勧めすること、航空会社や各空港での対策にはぜひ協力してほしいということです。

航空業界にとっては2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の際にも、深刻な打撃を受けてしまいましたが、今回も現在すでに世界的な経済不況の影響を受けているだけに、経営状況のさらなる悪化が懸念されます。

外務省海外安全ホームページ
http://www.pubanzen.mofa.go.jp/
厚生労働省の新型インフルエンザ対策関連情報ページ
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/

2009年04月16日

進むアジア・オープンスカイ構想&2010年以降の首都圏空港の国際航空機能拡充プラン

日本とカナダの航空当局間協議が4月1日~3日まで開催され、アジア・ゲートウェイ構想※1に基づく航空自由化で合意しました。これは日本の首都圏2空港(羽田・成田)の路線を除いて、互いに路線や便数の制限をなくすというもので、アジア圏以外との合意は今回が初めてとなります。

※1 アジア・ゲートウェイ構想:2006年9月に当時の安倍晋三内閣総理大臣が就任以来、進められている政策。人・モノ・カネ・情報の出入りを活発化することによって、アジアの活力を日本に取り込み、日本の経済成長につなげることを意図しています。そのなかでアジア・ゲートウェイ構想に向けて取り組むべき「最重要項目10」があり、なかでも最大の課題とされているのが「航空自由化(アジア・オープンスカイ)」であるとされています。


また、2010年の首都圏空港の容量拡大後についても、羽田空港への就航と成田空港の増便も同時に決定しました。

・2010年以降の羽田(深夜早朝)路線の開設
2010年10月の羽田第四滑走路(D滑走路)供用開始後に、深夜早朝時間帯(22時~翌7時)に、日本・カナダの双方の航空企業が、羽田/カナダ(バンクーバーまたはトロント)間において、それぞれ1日1便(週7便)まで定期便を運航できる枠組みを設定。羽田空港の深夜早朝枠での北米路線の設定は、今回が初めてとなります。

・2010年以降の成田における増便
2010年3月の成田増枠後、カナダ側航空企業による週1便(夏期のみ)の増便を可能とした(カナダ側航空企業は、カルガリー(新規地点)への就航を計画。なお、日本側航空企業にも同等の権益が確保されています。

現在、アジア・ゲートウェイ構想に基づいて航空自由化に合意しているのは、2007年8月以降、韓国・タイ・マカオ・香港・ベトナム・マレーシア・シンガポールと今回同意したカナダの8か国となりました。国土交通省航空局によると、日本側としてはカナダ以外の欧米各国とも同様の航空自由化を進めたい考えで、さまざまな課題はあるが動向を見極めつつ、自由化に向けて交渉を行うとしています。


さらにアジア・ゲートウェイ構想とは別に、羽田空港の深夜早朝枠の拡大を進んでいます。2010年10月にD滑走路(2,500メートル)が供用開始されると、旅客便の年間発着回数は40万7000回(従来は29万6000回)に増えるとしていて、増えた枠は国内線に優先的に割り当てられますが、あまった分は国際線に配分されます。その配分は約6万回とされていて、この枠が注目されています。2008年5月に発表された「首都圏空港における国際航空機能拡充プラン」によると、成田空港が閉鎖されている深夜早朝枠に限って、「距離制限」※2を撤廃し、3万回を割り当てることが決定しています。この枠を活用するということで、マレーシア、韓国、シンガポール、フランス、イギリス、タイ、オランダ、香港、ドイツ、カナダとの間で定期便の開設について合意されています。

※2 距離制限:成田空港との住み分けの問題から、羽田空港の国際線就航については「就航範囲は半径2,000キロ以内」との方針が決定されています。

残りの3万回分の昼間の枠ですが、これも距離制限が緩和される見通しで、現在羽田からは、ソウル、上海線が運航されていますが、ビジネス需要の高いアジア路線の展開を考えているようで、香港線の就航が濃厚です。

成田空港は2010年3月の第二滑走路北進工事完了後には、国際線は約3万回増枠されることになっており、ドイツ、ベトナム、インド、オーストリア、カタール、フィンランド、スカンジナビア三国、シンガポール、タイ、オランダとの間で増便・新規開設が合意されています。

2010年は日本の航空が大きな転機を迎えることとなりそうです。今後もアジア・オープンスカイ構想と羽田・成田空港増枠の推移は目が離せません。

2008年12月16日

偉大な一歩はキティホークからはじまった 人類初の動力飛行を成功「ライト兄弟」

1903年12月17日。アメリカはノースカロライナ州キティホーク。朝から毎秒9から11メートルの北風が吹いていました。5人の見学者が見守る中、10時35分。18メートルの木製レールを使ったカタパルト(発射台)からロープが解き放たれたマシンが滑走を始めました。そのマシンの名は「フライヤー1号」。フライヤー1号は4番目のレールに差し掛かったところで中に浮きました。フライヤー1号は、高さ3メートル、飛行距離36メートル、時間にして12秒間、空を飛行しました。

wright_01.jpg
この写真はまさしく1903年12月17日のファーストフライトの瞬間のものです。オービルは写真が趣味だったようで、このほかにも数々の写真を残しています。このファーストフライトのパイロットはオービルでしたので、フライヤーが離陸する位置を予測して大判カメラを三脚にセットし、見学者の一人がシャッターを切りました。木製レールを離れるフライヤーの姿とそれを見守るウィルバーの姿が見事に納められています。
Wright Brothers collection, Prints & Photographs Division, Library of Congress, LC-W861-35.


人類が初めて動力飛行を成功させた瞬間でした。飛行機ファンならずともこのライト兄弟の歴史的偉業を知らない人はいないでしょう。今回は12月ということもありますので、ライト兄弟の偉業を紹介しようと思います。

兄のウィルバー・ライト(1867~1912年)と弟のオービル・ライト(1871~1948年)は、オハイオ州デイトンで自転車店を営んでいました。幼いころから飛行機に興味を持っていた兄弟は、航空の研究に取り掛かりました。1900年にはグライダーを製作し、その飛行を成功させます。1901年には風洞実験まで行っています。彼らの使った風洞は約40センチ×40センチ×150センチの木箱の両端をあけたもので、この風洞の中にさまざまな形のミニチュアの翼を置き、揚力係数と抗力係数を計りました。この風洞実験はライト兄弟以前には行われておらず、航空工学の最初の一歩も彼らは担っていることに感嘆してしまいます。1902年には風洞実験の成果が取り入れられた新しいグライダーを完成させます。このグライダーは、滞空時間26秒、滑空距離189.7メートルを記録し、グライダーは空中にて完全に3軸コントロールされ、旋回もこなしていたそうです。そしていよいよ1903年の12月になります。彼らはグライダーで操縦の練習を行いながら、「フライヤー1号」の組み立てにかかります。12月14日、無風状態のなかキルデンヒルにて行われたテスト飛行は失敗に終わりました。

そして運命の12月17日。テストパイロットは、弟のオービル。10時35分、たった12秒のわずかな時間ですが、人類は動力飛行という新たな翼を手に入れたのでした。この日は合計4回のテスト飛行が行われました。2回目、11時20分、ウィルバーが操縦を担当し、53.4メートル、12秒。3回目、11時40分、オービルが操縦を担当し、61メートル、15秒。4回目、ウィルバーが操縦を担当し、260メートル、59秒という結果を残したのです。

●フライヤー1号の概要
全長:6.4m 全幅:12.3m 全高:2.7m 翼面積:47.4m2
エンジン 出力:12馬力 シリンダー数:4気筒 燃料:自動車用レギュラーガソリン 冷却方式:水冷(自然対流方式) 点火方式:点火プラグ接点開閉によるスパーク発生方式 本体重量:73kg

その後1908年には改良型の機体を使い、フランスで最長2時間20分、延べ飛行距離で150キロの記録を出すまでにいたります。ライト兄弟はその後ライト社を1909年に設立します。その後カーチス社と合併し、第二次大戦時には軍用機メーカーとして活躍しますが、民間向け飛行機の開発に出遅れ、大戦後には事実上倒産してしまいます(細い糸をたぐれば現在のボーイングがライト社の血をひく航空機メーカーといえるかもしれません)。しかし、その後の旅客機の発展を見ればお分かりの通り、彼らの目指した大空への夢は脈々と受け継がれています。12月17日は、彼らの偉業をぜひ思い出してみてください。

2006年11月20日

ユー・エス・エアウェイズ、デルタ航空に合併を提案


2005年9月に連邦破産法第11条の適用をニューヨークの連邦破産裁判所に申請し、適用を受け、現在経営再建中のデルタ航空。2007年の前半に破産法からの脱却を目指して順調に進んでいるとのことですが、今回のUSエアウェイズの合併提案は、債権者向けのもので敵対的買収提案といえます。今後どういう動きになるのか気になるところです。

ユー・エス・エアウェイズ(以下USエアウェイズ)は11月15日、経営再建中(2005年に連邦破産法第11条を適用)のデルタ航空に対して合併を提案したことを発表しました。提案によると、デルタ航空が法的な再建を完了することが条件で、完了とともに両社を統合するとしています。

それでは具体的な合併の提案内容を紹介しましょう。
・デルタ航空の無担保債権者に40億ドルの現金とUSエアウェイズの株式7850万株(11月14日の終値で40億ドル相当)を支払う。
・USエアウェイズのダグラス・パーカー最高経営責任者(CEO)が合併後の新生デルタ航空のCEOに就任。
・合併後の本社所在地は未定(ちなみにUSエアウェイズはアリゾナ州テンピ、デルタ航空はジョージア州アトランタ)。
・合併による効果は年間で少なくとも16億5000万ドル。

USエアウェイズによるとこの提案は、デルタ航空の破産法申請前の無担保債権約160億ドルの11月14日の取引相場1ドル当たり0.4ドルを25%上回り、また無担保債権の過去30日間の平均取引相場を40%上回るもので、債権者は提案の価値を認めてくれるはず、としています。

USエアウェイズはこの合併のために、シティグループから72億ドルの買収資金提供の確約を得ているとしています。しかし、この提案に対してデルタ航空の広報は、「これまで通り単独会社としての会社再建に集中していく」とコメントしていますので、敵対的買収提案といえるでしょう。

少し疑問な点は、USエアウェイズとデルタ航空は路線網が重複している部分が多いので、この合併が行われたら路線等の調整が相当行われるかと思うことで、メリットもあればデメリットもある、ということです。

USエアウェイズ(1939年設立。規模では全米7位)もデルタ航空(1928年設立。規模では全米3位)もレガシー・キャリアと言われるアメリカでは老舗のエアラインです。アメリカ同時多発テロの影響、原油の高騰による燃料費の増加、格安航空会社との競争激化など、アメリカの特に老舗大手航空会社は苦しい状況ですが、1航空ファンとしてはデルタ航空がなくなってしまうのは寂しいですので、このまま自力再建で進んで欲しいものです。今後も要チェックな話題です。

2006年11月10日

欧州域内の手荷物制限の統一ルールが11月6日から適用されます!

8月10日に発覚した「イギリスのロンドンでの航空機爆破テロ計画」(8月21日更新「イギリス・アメリカに旅行の際はご注意を!!」を参照ください)から今までずっと手荷物の制限が続いていますが、11月6日よりEU全加盟国(25か国)とスイス、ノルウェー、アイスランドを出発する便での機内持ち込み手荷物のルールが統一され、適用されます。

気になる日本発便では統一ルールは適用されませんが、ヨーロッパ内で同日に乗り継ぎをする場合には、日本出発時より同ルールが適用されることになりますのでご注意を。

さて今回適用されるルールは、以下の通りとなります。

●対象便

EU域内の空港を出発する全便(国際・国内線とも)
※EU域内の空港到着後、乗り継ぎの場合も同様。

●機内持ち込み手荷物について

(A)1容器あたり100ミリリットルを超える液体物、ジェル、エアゾール類の持ち込み禁止。

※飲料品、クリーム・ローション・オイル類、香水、スプレー、シャンプー類、シェービングフォーム、防臭剤などのエアゾール類、歯磨き粉などの練り状物、半固形状物、その他同様のものも含む。

※日本出発時、保安検査場を過ぎた後のエリアで購入の上記物の持ち込みも禁止。

※機内で必要分のベビーフード(検査時に味見が必要)、機内で必要分の処方薬(フランス・オランダでは処方箋が必要。その他の国でも提示を求められる可能性あり)は持ち込み可能

(B)1容器あたり100ミリリットル以下の液体物、ジェル、エアゾール類は個数に関わらず持ち込み可能。ただし、保安検査、搭乗の際に1リットルより小さい透明な密閉式のビニール袋(ジップロック状)1枚に入れて、機内持ち込み手荷物とは別に検査を受ける必要あり。

(C)・機内免税販売品についてEU域内の空港到着後に乗り継ぎのある乗客については、上記(A)の物品の購入は不可(酒類・化粧品類含む)。

※EU域外からの機内で購入した液体類(免税品を含む)は、EU乗り継ぎ時、没収されます。

●イギリス出発・乗り継ぎの場合

上記に加え、以下の制限が適用されます。

・機内に持ち込みが可能な手荷物は、3辺それぞれが56(高さ)×45(縦)×25(横)cm以内の手荷物を1人1個。ハンドバックなども1個とカウントされます。楽器(ケース入り)のみ、上記手荷物1個に追加して持ち込むことが可能。

●上記適用国

EU加盟25か国:イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、スペイン、ハンガリー、チェコ、フィンランド、デンマーク、スウェーデン、アイルランド、ベルギー、オーストリアスロベニア、スロバキア、ポルトガル、ポーランド、マルタ、ルクセンブルク、リトアニア、ラトビア、ギリシャ、エストニア、キプロス

上記加盟国以外:スイス、ノルウェー、アイスランド

液体物の持ち込みが制限付きながら可能になりましたが、やはりまだまだ警戒が続いています。今後、EU域内で出発されることがある方は、上記のルールを注意してください。また、透明な密閉式のビニール袋についてですが、自分で準備しなくてはいけないようで、透明ビニール袋がない、もしくは適していないと判断された場合は、EU域内空港の保安検査場にて没収または放棄しなくてはいけない可能性があるようなので、こちらも注意してくださいね。

楽しい旅にするためにもルールの確認はしておくことが無難です。最新情報は、ご自分がご利用になる旅行代理店・航空会社等に確認されることをお勧めします。

2005年11月08日

「星の王子さま」のサン=テグジュペリ

『星の王子さまの眠る海』
エルヴァ・ヴォドワ、フィリップ・カステラーノ、アレクシス・ローザンフェルド(著)、香川 由利子(訳)/ソニー・マガジンズ


発見者みずからが語る「奇跡の大発見」の決定的瞬間、搭乗機の製造番号を特定するまでの紆余曲折、真相究明にかけた人々の執念、サン=テグジュペリの遺産相続人の穏やかならぬ想い……。知られざる秘話を満載して、「20世紀最大の謎のひとつ」が解明されるまでの一部始終を描いた迫真のドキュメントです。



作家である前に、ひとりのパイロットだったサン=テグジュペリ

今回は「星の王子さま」で有名なアントワーヌ ド・サン=テグジュペリについてお話しましょう。なぜエアラインblogでサン=テグジュペリなの?と疑問に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、サン=テグジュペリは作家である前にパイロットという顔を持っているのです。

サン=テグジュペリの経歴をちょっとご紹介しましょう。

・1900年 フランスのリヨンにて誕生
・1912年 はじめて飛行機に乗る
・1921年 フランス空軍に入隊
・1922年 予備少尉に任官
・1926年 ラテコエール航空会社に入社
・1932年以後 テスト・パイロットやジャーナリストとして活躍
・1939年 第二次世界大戦勃発とともに予備大尉として召集され、偵察飛行に従事(のちにアメリカに亡命)
・1943年 北アフリカで再編されたフランス軍原隊に復帰
・1944年7月 フランス本土偵察のためコルシカ島ボルゴ基地から出撃後、未帰還(行方不明)



この経歴を見ていただければ、彼の職業は作家というよりもパイロットと言ってしまってもおかしくありませんよね。とくにラテコエール航空会社で果たした彼の役割は、ジャン・メルモーズ、アンリ・ギヨメなどと共に、フランス民間航空の開拓者のひとりとして名をとどめています。

そんなサン=テグジュペリ、たとえば『南方郵便機』(1929年)、『夜間飛行』(1931年、フェミナ賞)、『戦う操縦士』(1942年)など、飛行機やパイロット(彼自身の姿がとても濃厚な)が関係した素晴らしい小説を残しています。フェミナ賞を受賞した『夜間飛行』は航空郵便を主題としていますが、サン=テグジュペリ自身も南米ブエノス・アイレスの地に、主人公と同様、郵便飛行の支配人として赴任していたそうです。
この3作品、非常に奥の深い余韻を残す作品です。ぜひご一読してみてはいかがでしょうか。当時の航空事情も垣間見えますよ。

さらにサン=テグジュペリといえば、1944年7月31日の偵察飛行からの未帰還(行方不明)についての謎について迫ったドキュメンタリー『星の王子さまの眠る海』も発売されています。こちらは1998年にマルセイユ沖で発見された「ド・サン=テグジュペリ」と刻印された、銀のブレスレットが発見されたことからはじまり、2004年の搭乗機発見などを追ったドキュメントです。サン=テグジュペリの小説とあわせて読んでみてはいかがですか。

『夜間飛行』(1931年、フェミナ賞)
サン=テグジュペリ(著)、堀口 大学(訳)/新潮文庫)


冷厳な態度で郵便飛行事業の完成をめざす支配人リヴィエールと、パタゴニアのサイクロンと格闘する飛行士ファビアン、それぞれの一夜を追いながら、緊迫した雰囲気のなかで夜間の郵便飛行開拓時代を描いた作品。

『戦う操縦士』(1942年)
サン=テグジュペリ(著)、山崎 庸一郎(訳)/みすず書房


物語は自らのアラス上空の偵察飛行を行った体験に基づいたもので、戦争という悲劇下での人間の心情について語られたもの。無謀な出撃命令を下され偵察機に乗った主人公が、過去と現在を行き来しながら生と死、破壊と再興について語っています。



近井コアラ

69(ロック)な生まれ(69年生まれ)がちょっと自慢な音楽と旅をこよなく愛する三十路。旧ソ連を皮切りに旅した国は30数カ国。旅は食にこだわりたい食いしん坊だが、高級かどうかは問わない雑食。少しでも旅のスパイスになるような情報を発信していきたいと思ってます!!

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