ヴィーナスの港、ポルト・ヴェーネレ
地中海に太陽が輝き、青空が大きく広がる爽やかな朝、サンタ・マルゲリータ・リグレを出発し、ポルト・ヴェーネレを目指す。古くから軍港の町として知られるラ・スペツィアの手前、車窓から、丘の上に美しい小邑を望む。運転手も名前が分からず、グーグルの地図で探してもどこか検討がつかず、帰国してからインペリアのワイナリーVisAmorisのロベルトに写真を送って尋ねたが、彼らもなかなか分からなかったが数週間後、やっとそれがVezzano Ligure(ヴェッツァーノ・リグレ)という町だと連絡があった。「名も知れぬ美しき丘の上の町」に憧れのような想いを抱きつつ車はいつのまにかラ・スペツィアの街中を抜けてポルト・ヴェーネレに近づいていた。
ポルト・ヴェーネレ、美の女神、ビーナスの港と呼ばれるこの小さな漁村を訪れる日をずっと待ち焦がれていた。今より15年以上も前にジェノヴァからチンクエテッレの旅をしたのだが、その時に何故訪れていなかったのだろうかと小さな棘のような後悔があった。
町の中心に入る手前で車を降り、潮風の匂いの吹いてくる方向を目指して歩いていくと、前方にパステル・カラーの家々の連なりが現れた。こちらでは“Palazzata”(パラッツァータ)と呼ばれているが、イタリア語でPalazzo(パラッツォ)は建物、館だから、そこから派生したこの土地独特の呼び名だ。
ポルト・ヴェーネレの歴史は紀元150年のローマ時代まで遡る。ラテン語でポルトゥス・ヴェネリスと呼ばれいたが、現在サン・ピエトロ教会の建つとろこに女神ヴィーナスを祀る神殿があったそうだ。また、ローマ時代から漁村としても栄え、海上に浮かぶティノ島に隠遁していた聖ヴェネリウスに由来するという説もある。イタリアの漁村では漁から帰る船が港や自分の家の位置を分かりやすくするために、それぞれの家をカラフルに塗り分けたりする。ヴェネツィアのブラーノ島やナポリ湾のプロチダ島など。しかし、リグリア沿岸では後で紹介するカモッリやポルトフィーノ、そしてチンクエテッレの入り江に面した漁村のそれぞれの建物が色とりどりに塗り分けられ、まさに絵画的な美しさを見せる。
港では漁師が網の手入れをし、幼い娘がそれを手伝う光景を見ると思えば、砂浜では観光客の子供たちが無心に砂遊びをしている。

ヴェッツァーノ・リグレ

カラフルなポルト・ヴェーネレの家並み

めったに撮れないセルフ・ポートレート

漁師の父の手伝いをする少女

無心に砂浜で遊ぶ観光客の子供たち
西ローマ帝国が滅びるとポルト・ヴェーネレはビザンチン帝国の軍港となるが、それも643年にはロンバルドに滅ぼされ、以後も再三、サラセンの侵入に脅かされる。12世紀なり漸く強固な城砦と城壁を構築した。そしてしばらくヴェッツァーノの貴族の領地となっていたが、1494年、ジェノヴァと戦っていたアラゴンの戦艦の砲撃を受け沿岸は大打撃を被る。そこには1198年にサン・ピエトロ教会が建立されていたところであり、1340年の火災とその後のアラゴンの攻撃による損壊の後、1582年に修復された。
初期のローマンスタイルから後のゴシックの様式を併せ持つ現在のスタイルとなり、リグリア地方の教会ではしばしば見られる白と黒の横縞模様はサラセン文化の影響と言われる。

サン・ピエトロ教会

サン・ピエトロ教会の主祭壇

サン・ピエトロ教会の聖母マリアの祭壇

サン・ピエトロ像

アーチ型の開口部からの眺め

ドリア城が見える。ドリアはルネサンス時代のジェノヴァ総督の名前
港に沿って立ち並ぶカラフルな家々、パラッツァータの東側の端にローマ門があり、そこからサン・ピエトロ教会のあるスパッランツァーニ広場(P.zza Spallanzani)までカペッリーニ通りという小路が続く。土産物店や花屋、レストラン、パン屋などが並び観光客を楽しませる。地元ではカルージョ(Carugio)と呼ばれるらしいが、その一角に古い井戸があり、その脇にラ・メドゥーサ(La Medusa)というレストランが美味しそうな雰囲気を漂わせていたので、そこで昼食を摂った。
海辺の町らしく、オーダーしたメニューは全て魚介料理の数々であったが、家庭的な味わいのパスタやリゾット、そして魚介のフリットなど、軽快な飲み心地の白ワインとともにポルト・ヴェーネレを胃袋でも満喫できた。

Via Capellini(カペッリーニ通り)

カペッリーニ通りの花屋の店先

カルージョ(Carugio)の井戸がある広場

カルージョにあるリストランテ、ラ・メドゥーサ(La Medusa)

自家製のラビオリを箱詰めするおばあちゃん、92歳とか。

スカンピとトマトソースのペンネ

海の幸のスパゲッティ

魚介のリゾット

ハウスワイン(Vino della Casa)

海の幸のフリット・ミスト

スカンピのオーブン焼
昼食を満喫して小路を歩き始めるとグリーンの看板が目立つ店があった。近づいてみるとバジリコを植えたプランターがあちこちに並べてあり、店の中を覗くと美味しそうなフォカッチャやパン、瓶詰めのジェノヴェーゼ・ソースなどが並んでいる。“Bajeico”、こちらの方言でバジリコを指すことばだが、それがこの店の名前で、自家製のジェノヴェーゼ・ソースが売りの店らしい。オリーブの実やトマトなどを焼きこんだフォカッチャも魅力的だったが、何しろ昼食で満腹になったばかり、ジェノヴァ風パネットーネというのを土産に買った。女主人のラウラ・マッサさんはとても気さくで「日本の雑誌やテレビにも紹介されたことがあるよ」と嬉しそうだった。確かに、ポルトヴェーネレでは一番目に付きそうな店だから日本のテレビや雑誌の取材も来れば必ずや訪れるに違いない。その後2週間ばかり北イタリアを取材して帰国した後にこのジェノヴァ風パネットーネを食したが、ほんのりと甘みがあるが、いつも馴染んでいるパネットーネのようなしっとりした食感はなく、ちょっと乾いた食感と香辛料のほのかな香りからしても、その昔、長い航海でも日持ちするように工夫された船乗りのパンであったのだろう。

“Bajeico”La Bottega del Pesco

鮮やかなグリーンのバジリコ

フォカッチャいろいろ

絞りたて、タジャスカ主100%のオリーブ油

Bajeicoの主人ラウラ・マッサさんとジェノヴァ風パネットーネ
カルージョの小路から港に降りると路面に大きなチェスの盤面で遊ぶ人がいた。1997年にチンクエテッレとともに世界遺産に認定されたポルト・ヴェーネレ。この港からチンクテッレ巡りの船も出ている正真正銘の観光名所だ。しかし、朝に着いて、昼食を摂り、まだ陽も高いうちに立ち去るには惜しい気もした。旅の日程もあり仕方ないのだが、午後になり逆光の中に浮かぶパラッツァータの家並みに名残り惜しさを秘めつつ港を後にした。
これから、いよいよチンクエテッレのひとつ、リオ・マジョーレに行くのだが、その前にラ・スペツィアの町を見下ろすところで写真を撮った。ラ・スペツィアは現在もイタリア海軍の軍港として知られるが、かつて天橋立を訪れた時に遊歩道に明治時代に輸入されたカノン砲が展示されており、その砲身にはLA SPEZIAと刻印されていたのを思い出した。砲の説明書きには英国製と記してあったのだが、砲身には確かにラ・スペツィアで製造と鋳造されたときの刻印があったのだ。開国期の日本はイタリアとも様々な関わりと持ち、今回も訪ねる事ができなかったが、ジェノヴァにはキオッソーネ東洋美術館がある。キオッソーネは明治初期に来日し財務省紙幣局で16年間も紙幣製造のための版画指導を行い、当時の西洋美術の文化を日本に伝えた芸術家である。次にリグリアを訪れる機会があれば、必ずやジェノヴァのこの美術館も訪れてみよう。

Carugioから港へ降りる路地

海岸通りにあった大きなチェス

ポルト・ヴェーネレの港

昼下がりのポルト・ヴェーネレ

日帰りでは名残惜しい・・・

ラ・スペツィアの眺望

































































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