2011年01月12日

ポルトフィーノの朝、カモッリの夕陽

●映画スターや世界の著名人がバカンスを楽しむポルトフィーノ

リグリア海岸はローマ時代からその複雑に入り組んだ入り江が軍港としても重用されていたが、平和な時代には風光明媚な観光地として内外の旅行者の関心を惹きつけてきた。近年、世界遺産に認定される場所が注目を浴びるようになり、リグリアでもポルトヴェネレやチンクエテッレに憧れる観光客が急増しているが、その昔はポルトフィーノが憧れの海浜リゾートであった。ローマ人は「ポルトゥス・デルフィーニ、イルカの港」と呼び、今はポルトフィーノと変わったが、その名前の響きからして美しい場所を想像させるではないか。カンツォーネに歌われ、映画の舞台となり、世界中の著名人がここに別荘を持ち、あるいは優雅な長期バカンスを過ごした。シーズンともなれば所狭しと湾内には豪華なヨットやクルーザーが係留され、岸辺にはブティックや画廊が並び、お洒落な観光客たちが幸せに満ちた笑顔で散歩する。
耳を澄ますと、英語、フランス語、ドイツ語がイタリア語と同じくらい聞こえてくる。フィレンツェやミラノと違って日本人を見かけるのは極めて稀。ヨーロッパから近いので、日本人のハワイ旅行的な感覚でドイツ人もフランス人も訪れるのだろう。ローマ時代、中世、近世そして現代へとこの港の支配者が変わり、第二次世界大戦後はイタリアで一番リッチで華やかなリゾートになったが、現在ではサルデーニャやスペインなどに人気が移っているらしい。それでも、この町を歩くと優雅な気分になる。もしも1日しか予定がなくここを訪れるのなら日が翳る午後ではなく午前中が良いだろう。昔も今もイタリアや外国からの訪問客が絶えない港町である。

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ブラウン城の窓から見下ろすポルトフィーノの入り江

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あいにくの雨天であったが、カラフルな家並みの港には明るさがある

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1993年に撮影した写真。現在も大きな変化はない
  
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16世紀に建てられたブラウン城。城の中にはこれといって目ぼしい陳列物があるわけではないが、壁面のあちこちに飾られた往年の映画スターや著名人の写真を見て歩くのは楽しい

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ブラウン城の階段の壁面はカラフルな装飾タイル貼り

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いつの時代かの説明もない祭壇画

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古い箪笥

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1958年7月14日、ポルトフィーノの岸を歩くマルチェッロ・マストロヤンニ

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サンタ・マルゲリータ・リグレのホテルのソフィア・ローレン

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ジェノヴァ港に立つアーネスト・ヘミングウェイ

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港からブラウン城を見上げる

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浜から眺めた家並み

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バカンスシーズにはまだ少し早いが観光客は少なくない


■漁師町の生活感に親しみを感じる高級リゾート、カモッリ
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カモッリの町の入口にあった絵タイルの地図

●リグリア沿岸の町で一番好きな街はどこかと聞かれたらカモッリと応えるだろう。ポルトフィーノよりも生活観があり、サンタ・マルゲリータ・リグレよりこじんまりとして密集した感じがヴェネツィアの路地を歩く雰囲気にも似ている。海岸線から街の中に入ったり出たり、いろいろな表情を見せてくれるので写真や絵画のモチーフとしても楽しい街だ。

 地名の語源の一説にはカモッリは「カーサ・ディ・モッリエ」即ち「妻の家」の意味で、漁師が港へ戻るときに色とりどりに塗り分けれた家々を見て、自分の妻が待つ家を目印にしているという、これもヴェネツィアのブラーノ島などでも聞いたような話と同じ話がある。また、ギリシア植民地時代にギリシア人が「“cam”=低い、“gi”=土地、すなわち“低い土地”」と呼んでいたのが語源とする説もある。
 土地の歴史を辿れば先史時代まで遡るそうだが、ギリシア人やローマ人に支配された時代以降の流れはポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレと同様の歩みを辿っている。20世紀の初頭までは鄙びた漁村であったようで、徐々に海岸線に沿って住宅群が建設され、道路整備や航海学校や船員施設が建設されるなど都市機能が改善され、マルゲリータ王妃や著名な文学者のダンヌンツィオが滞在するようなホテルも生まれた。現在ではポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレに並ぶリゾートに発展しているが、港周辺を歩けば親しみのある市民的な空気が漂い、漁村の素朴な味わいもあり、スノッブなポルトフィーノなどより親近感が持てる街である。

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1990年に撮影したカモッリの港

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網籠越しに港風景を撮る

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2010年4月撮影の港

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13年前に撮影した時は網籠だったが昨年はこんな網になっていた

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湾に沿ってこんなアーケードの道もある。街の構造の変化も面白い

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港の防波堤の上には赤錆びた昔の大砲らしきものに網や漁の道具が結び付けられていた

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以前来たときに食べたことがあるトラットリア“da Paolo”が移転して開業したばかりの場所に出会った

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左の写真を貼った壁紙の部分、実は“da Paolo”のトイレ。広くはないが居心地は良い空間だ

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カモッリも漁港だけにどの店でも魚介料理にハズレはないだろう

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イカ墨を練りこんだスカンピのパスタをサーヴするパオロの奥さん

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ムール貝やアサリ、海老など魚介がふんだんに入った海の幸パスタ

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アンティパストも鰯のマリネやから揚げ、蛸のマリネなどが美味しいのは当たり前だが、この真っ赤な完熟トマトが更に美味しさをアップさせた

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毎年5月に開催される漁師祭りで振舞われる魚介のから揚げを作る大きなフライパン。これはかつて使われていたもの。カモッリの観光振興会情報によると横浜にこれをコピーしたものがあるそうだ。自分はまだ見たことはないが

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海岸は玉砂利。奥にサンタ・マリア・アッスンタなどの教区の建物が見える。

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晴れていれば夕陽が美しいスポットだが、昨年の訪問時は小雨だった。それでも子供たちはサッカーに興じていた

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晴れていればこんなに素敵な夕陽が楽しめるカモッリ

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真冬でもカモッリの夕陽は恋人たちを熱く包み込む

2011年01月07日

リグリア海岸の旅、サンタ・マルゲリータ・リグレ

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朝日に浮き上がるヨットのシルエット

新年明けましておめでとうございます。
昨年の10月3日にチンクエテッレを紹介して以来、3ヶ月も更新できず、ご愛読頂いている皆さんには申し訳ありませんでした。いろいろと超多忙な1年でなかなか続きにとりかかれずにいました。というわけで、2011年の幕開け、気分も新たに昨年の続き、リグリアの旅からスタートしましょう。
今年もどうぞよろしくご愛読をお願い申し上げます!

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1994年発行「イタリア四季の旅 I」(東京書籍・絶版)


■1993年、3度目のサンタ・マルゲリータ・リグレ訪問の時に撮影した写真が、翌年、東京書籍から出版した田之倉稔氏との共著「イタリア四季の旅I」のカバーになった。その時には十数名の写真愛好者の方々のグループを引き連れリグリアからヴェネツィアまで北イタリアを横断するような撮影ツアーであったが、たまさか一人になって街中を歩いていたちょっとした時間に、金髪の少年が家の前で絵本を読んでいたシーンに出会ったのだ。
 カメラに気づくと最初は訝しそうにこちらを見つめたが、「ここは君の家?壁の色が綺麗だね。何の本を読んでるの?」などと話しかけると安心したのか、また自然な姿で絵本に没頭し始めたので、すかさず数枚を撮影した。しばらくすると、撮影旅行のうちの数名がこちらを見つけ、「あら、先生、いい被写体を見つけたじゃない」と言いながら、いっせいにカメラを向けてその子を撮り始めると、その気配に気づいた男の子は「なんで、僕を写真に撮るの!」と怒り出してしまった。あれから18年経ち、あの少年も立派な青年になっているだろうが、その時の光景はこの写真と伴に今も瑞々しく記憶に残っている。

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「イタリア四季の旅I」の表紙になった写真の別バージョン

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2010年4月に撮影したサンタ・マルゲリータ・リグレ。海岸通りにはホテルやレストラン、丘の斜面には別荘が立ち並ぶ

■サンタ・マルゲリータ・リグレを初めて訪れたのは1987年の真夏で、リビエラ海岸はバカンスのピークながら、それほど人の混雑のようなものは感じなかった。泊まったのはアザレアとかいう安いペンションだったが、街を歩けば優雅でリッチな気分になれた。旅費をケチるほどの貧乏旅行ではなかったが、イヴ・サンローランのピンクと黒のチェックの半ズボンを買ったきりで、特に買い物をする必要もなかったが、街並みの美しさと広場のベンチやボート、ヨットでゆったりとした時間を過ごしている人たちが醸す雰囲気がこちらの気持ちも豊かなものにしてくれていた。本当のゆとりある生活とは何でも買えるお金のあるなしではなく、本を読んだり、友人たちとワインを味わいながら歓談したり、自分の時間をゆったりと過ごせる精神的な生活のことだとイタリアから学んだことをしばしば思い出す。

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Basilica Nostra Signora Rosa教会前のカプレラ(Caprera)広場。カラフルな建物が並んでいる

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窓の装飾は巧みな描画で立体的に見せてある。この地方の建物に多いスタイル。そういえば、昔ここで買った半ズボンもこんな壁の色合いだったかな


■サンタ・マルゲリータ・リグレの歴史はローマ時代の植民地まで遡る。7世紀半ばにはロンゴバルド、10世紀にはサラセンに占領され、13世紀に入るとジェノヴァの傘下となり、15世紀にはジェノヴァと敵対していたヴェネツィア海軍の攻撃を受けたりした。1813年、ナポレオンによる統治を受け、2年後にサルデニア王国に属国となる。1861年のイタリア統一によってイタリア王国の1県となり、20世紀に入ると、第二次世界大戦後は風光明媚な立地が注目され観光リゾートとして発展してきた。

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1492年にアメリカ大陸を発見したと伝えられるクリストファー・コロンブスはジェノヴァに1451年に生まれたが、その像がサン・マルゲリータ・リグレにもある

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16世紀のジェノヴァ支配時代の城砦跡

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San Francesco d’Assisi(アッシージの聖フランチェスコ)教会

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聖フランチェスコ教会の隣には素敵な庭のヴィッラ・ドゥラッツォがある

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ヴィッラ・ドゥラッゥオは16世紀の館と17世紀の庭園からなる


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館の内部も豪華な内装だが、市民に開放され、この日はハンドメイド製品や特産物のフェアが開催されていた

■2度目に訪れたのは1990年の2月だったと記憶するが、さすがに海辺のリゾートは冬に来るものではないなと思った。海岸にはほとんど人影がなく、カモメだけが冷たい風に吹かれては裏返しになって浜辺にならんだボートでかすかな日差しを浴びていた。森進一の歌に「冬のリビエラ」というのがあるが、まさにそんな情景か、いや、その時には冬の熱海みたいだと思った。望遠ズームを着けたコンタックスのボディが冷たく重い。うす曇の空と弱い光ではファインダーを覗いても寂しさが覗けるだけ。なんか、カモメの気持ちが伝わるような日で、翌日はまたヴェネツィアに帰った。4月上旬でも天気が悪ければ、肌寒い海風が吹くから、5月から10月いっぱいが訪れるのに最高の時期だ。

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サン・フランチェスコ教会前の広場から湾を眺める

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早朝の港で仕事に出る漁船を待つ男

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サンタ・マルゲリータ・リグレでお気に入りの店、ダ・エミリオ

■今年の4月はイタリア料理を研究している友人の先生のグループと自分の講座でイタリア料理が好きなグループからのメンバーだった。南仏から美味しい物ばかり食べてきたが、
一番記憶に残る店はこのサンタ・マルゲリータ・リグレのダ・エミリオで食べた料理だ。
最初に食べた魚介のフリットから美味しいと思ったが、鰯のマリネやパスタを食べ、メインの石鯛を食べた時には是非またここに来たいと思った。店の経営も家族で、明るく親しみ易く、まさにイタリア的な雰囲気が充満している店だった。カメリエーレのおじさんがまた面白く、グループの中で最初に店に着いた人が鈴木さん夫妻だったので、何かにつけて「スズキさん!」と声を掛けてくる。コンニチワ、アリガト、サヨナラと知っている限りの日本語を連発しては旅の仲間を笑わせてくれた。
 美味しく楽しいディナーを満喫したら、海岸をちょっと散歩したくなった。お酒が飲める数人と連れ立って夜の散歩に出ると、なかなかお洒落な感じのワイン・バーがあったので入ってみる。4月下旬とは言え、バカンスシーズンにはまだ早いせいか、客は自分たちだけ。東南アジア系の若い女性が2名、愛嬌のある笑顔で迎えてくれた。シチリアのワインを注文すると、中年のソムリエがスマートな手つきでそれぞれのグラスにワインを注いでくれる。品の良い笑顔で高級リゾートのワイン・バーに相応しい雰囲気を醸しだしている。こちらもワインに詳しいと知ると、珍しいものがあるよと、イチジクと青い姫リンゴをリキュールに漬けたものをサービスしてくれた。これはトレンティーノ産で帰りがけにそれぞれを土産に買って帰ったほど美味しかった。

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エミリオの店は家族経営。家族の絆を大事にするイタリアではよくある経営だ。当然、料理にも家庭的な愛情がこもったものになる

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日本人の名前や片言の言葉をすぐに覚える楽しいカメリエーレ

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海辺の町で前菜はこのフリット・ミストが定番

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ムール貝、アサリ、スカンピのスパゲッティも美味!

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採れたての新鮮な石鯛をポテト、トマト、ローズマリー風味で調理した絶品の味。なんといっても魚介の鮮度が命

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リグリアを代表する白葡萄、ピガート種の白ワイン。生産者はLaura Aschero、日本にはまだ輸入されていないかもしれないが、なかなか良い味わいのワインである


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地元の若者たちもエミリオがお気に入りの常連

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夕食後の散歩で見つけたワイン・ラウンジ“DIVINO”。久々のサンタ・マルゲリータ・リグレなので新しい店も多かったがなかなか良い雰囲気の店

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DIVINOのソムリエのPaolo Barabinoさん。高級リゾート地にある店だけに、とても感じ良くまた行きたい!

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トレンティーノ産のフルーツのグラッパ漬け


サンタ・マルゲリータ・リグレは今やリグリアの有名な観光地で、チンクエテッレやポルトヴェネレなど世界遺産がある町を訪ねるには最も便利なところだが、永住する町としてもなかなか魅力的なのではないか。別荘に長期滞在してバカンスを楽しむ人々のも利用するのでスーパーや食品店も大きな店があり、また手打ちパスタ専門もけっこう大きな店で大繁盛だ。流石に手打ちパスタは土産に出来ないが、いつかキッチン付きのペンションでも借りたらこの店のパスタを味わってみたい。八百屋の店先を見ても、イタリアはどこへ行っても彩りを上手に組み合わせて魅力的だ。イタリア人の造形感覚、色彩センスは古代ギリシア、ローマの時代から受け継がれた遺伝子に組み込まれているのだろうが、日本人だって平安時代の絵巻や江戸の粋なデザインを見ればそれに負けない素晴らしさがある。そうした民族固有の感性を大事にしなければいけない。

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街中を歩くと手打ちパスタの店があった

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大きなガラス窓から手打ち作業の全てが見れて楽しい

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八百屋さんの商品の並べ方にもイタリア人らしい色彩センスを感じる

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ホテル、ティグリオ

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小さなホテルだったが駅や海岸に近く、雰囲気も上々。朝食のカッフェやクロワッサンなども美味しくて、気軽な旅なら次回もここに泊まりたいと思った

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大小無数のヨットやボートが浮かんでいる港。今度はのんびりと絵でも描いてみたい

2010年10月03日

チンクエ・テッレを行く、ヴェルナッツァ再訪

チンクエ・テッレは初めて訪れた1987年から90年、93年、そして、今年の春で4度目の再訪である。最初は真夏で日本画家の山田昌宏とふたり旅だった。画家の山田にとってイタリアはさぞや色彩に溢れた国だろうという期待があったが、ローマからナポリやウンブリア各地、フィレンツェ、シエナを歩いてきて街並のほとんどが褐色系であったことにいささかがっかりしていたようだった。しかし、サンタ・マルゲリータ・リグレのペンションに泊まりながら、チンクエ・テッレを訪れリグリア海岸の港町のカラフルな家々を見たとき、彼はやっと期待していた風景に出会ったと言った。帰国直後、彼はとてもカラフルな作品を発表していたが、あれから20年余り経った近年の作品は淡いベージュ色のモノクロームの世界を描いている。ただ、その作品は裏側に光源でもあるかのような光と温もりを感じさせるのは、一見、モノクロームに見える画面の下には何色もの色彩が内包されているからであろう。水墨の世界でも墨に七色ありと言うが如しだ。

私にとってのヴェルナッツァのイメージはふたつある。ひとつは最初に訪れた時のカラフルな色彩と光に満ちた海辺の町、もうひとつは2月か3月かまだ冬の冷たさを引いているモノトーンの静かな海である。80年代、90年代の初めは観光客も今から比べれば真夏のバカンス時期以外はとたんに少なくなる。その町の素の顔が見える時期だ。93年を最後にしばらくリグリアを訪れることはなかったのだが、今年の春、17年ぶりに訪れてみると、ポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレのような観光リゾートとして有名なところは昔も今も大きな変化を感じさせないが、チンクエ・テッレはだいぶ様相が変わっていた。あまりにも観光地化されているという印象だ。それは、やはり山田と87年に初めて訪れたナポリ湾の小島、プロチダも同じである。プロチダが変わったのは映画「イル・ポスティーノ」のロケ地として知られるようになってからだが、チンクエ・テッレの場合は1997年に世界遺産に認定され、観光客がどっと増えてからだろう。

世界遺産に認定されて保護される部分もあれば、それにより昔とは姿を変えてしまう部分もある。前時代的な歴史や文化を受け継いで行くことは容易い事ではない。人間が欲望の動物であるかぎり、文明の発展とともに欲望は新しき物事の誘惑に負け、それまで大事に護って来たものを手放すことにもなる。一度、堰を切ればあっという間に変化は起こる。日本がその代表的な例だろう。古いものが消えていけば、それを拠り所にしていた記憶も徐々に断片的なものになり、やがては消えてしまうこともある。過去を見失えば、未来はおろか現在でさえも何であるかを判断しにくくなるものだ。イタリアではまだまだ容易に数百年変わらぬ風景や生活習慣が残っている。温故知新、不易流行、イタリアを旅する度に、そのことが脳の中でリフレインする。情報に溢れ、流行に惑わされやすい日本の環境を出て、イタリアを旅する意味はそこにある。

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1987年に初めてヴェルナッツァを訪れた時のPiazetta Bastreri(バストレーリ小広場)

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ヴェルナッツァ駅から海岸へ下る坂道

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坂道の途中にある八百屋、客の姿も海のリゾートらしいスタイル

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漁港の岸辺では子供が綾取りをして遊んでいた

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漁港の出入り口辺りからヴェルナッツァの町とサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキア教会を眺める

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1987年と比べると建物の色もだいぶ褪せている、まるで記憶のように

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港を護る幅広い防波堤も憩いの広場

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1990年冬、昼下がりの海。モノトーンの中に色彩がある

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2010年春、ヴェルナッツァから眺めたモンテロッソ・アル・マーレ

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1987年のモンテロッソ・アル・マーレ、夏

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1990年冬のひとり旅で再訪したモンテロッソ・アル・マーレ

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今年の春の旅で、ヴェルナッツァのピアッツェッタ・バストレーリ

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小さな漁港で過疎化、少子化が激しいと思ったら、意外に子供が多い

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また、坂を上って駅へ向かう

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ヴェルナッツァの駅のホーム

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車窓から見上げると大きな松の上をかもめが舞っていた

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サンタ・マルゲリータ・リグレへ向かう車窓から

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明日もきっと晴れるだろう・・・

2010年10月01日

チンクエ・テッレ、愛の散歩道を歩く

リグリアの旅で、人びとがもっとも憧れを抱きつつ訪れるのがチンクエ・テッレだろう。イタリア語でチンクエは5、テッレは大地を意味し、即ち、リオ・マジョーレ、マナローラ、コルニリア、ヴェルナッツァ、モンテロッソ・アル・マーレの5つの漁村を総称してチンクエ・テッレと呼ばれている。まるで鋸の歯のように小さな入り江がギザギザと続く海岸線にこれらの漁村は点在し、かつては船でしか辿り着くことは出来なかった。現在はこれらの漁村を結ぶ鉄道がジェノヴァからラ・スペツィアの間に走り、また近年は自動車道もかなり整備されてきたので、漁村のすぐ近くまで自動車や観光バスでも来ることができる。

チンクエ・テッレのそれぞれ村は漁村であると同時に、11世紀頃から要塞としての役割も持って築かれたそうだ。そういえば、以前、サレルノ地方を旅していたとき、海岸線に突き出た丘の先端のそこここに砦のようなものが築かれていて、それはサラセンがジェノヴァまで点々と築き、そこから鏡を利用して伝令を行なったそうだ。光通信であるから、即日に情報を伝えられたわけで、まさに現代の光通信である。

“愛の散歩道”を歩き始めると4月の上旬だったからか、日本人は我々のグループだけで、すれ違うほとんどの観光客はフランス人であった。その次がアメリカ人とイタリアの他の地方から来た人々で、フランス人には高校生くらいの若者たちも少なくなかった。道すがら、自然の岩に造られた花壇にはサボテンや龍舌蘭などが植えられているが、龍舌蘭の大きな葉には男女の名前が刻まれていたり、補強の為に構築された人工壁にはびっしりと隙間のないほどの落書きがあった。ひところ、イタリアの歴史遺産の悪戯書きがニュースになったりしたが、イタリア人ではポンペイの遺跡にもあるように、古代から悪戯書き好きだったようだ。また、リオ・マジョーレに近づいて来て駅が見える辺りのアーチにある2連のハート型の飾りには沢山の錠が掛けられていた。最近、イタリアのあちこちで見られるが、どうやら恋人同士が固く結ばれるようにとの願掛けだという。

散歩道はリオ・マジョーレを迂回してその先、マナローラにも続いているそうだが、われわれは時間の制約もあり、リオ・マジョーレから列車に乗り、ヴェルナッツァへ向かった。


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眼下にモンテロッソ・アル・マーレ(Monterosso al mare)と地中海が広がる

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Via dell‘Amoreという名前のトラットリアの看板

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モンテロッソからのスタート地点。リオ・マジョーレから歩いてきた観光客とすれ違う

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急斜面の海岸線に道路を敷く大工事の様子が壁画になっている

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切り立った断崖絶壁と地中海を眺めながらの散策路

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どうやって辿り着いたのか、岩の上の釣り人

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すれ違う観光客のほとんどがフランス人だった

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岩場を見下ろすとカップルが語り合っていた

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龍舌蘭の葉に刻まれた落書き

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ポンペイの遺跡にも2千年前の落書きが残っているほどだから、イタリア人は落書き大好き人間である

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50年に1度しか花を咲かせないという龍舌蘭。果たしてここにはいつ頃から根を下ろしているのだろう。そもそもは南米産だから、これもコロンブスの土産かもしれない

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いつまでも眺めていたい水平線

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フランスからやって来た女子高生

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イタリアの陽気な女性

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最近はイタリアのあちこちで願掛けに鍵を着けるの流行だ

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写真を撮りながらゆっくりと歩いて小1時間ほどでリオ・マジョーレの駅が見えてきた。その先にはマナローラが見える

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リオ・マジョーレの岸壁レストラン

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トンネルを抜けるとすぐリオ・マジョーレ駅。列車に乗るとトンネルだらけだ。景色を楽しむには徒歩か船が良い

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昼下がりのリオ・マジョーレ駅。次の列車まで1時間待ち

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1987年、リオ・マジョーレを初めて訪れた時の写真

2010年08月27日

ヴィーナスの港、ポルト・ヴェーネレ

地中海に太陽が輝き、青空が大きく広がる爽やかな朝、サンタ・マルゲリータ・リグレを出発し、ポルト・ヴェーネレを目指す。古くから軍港の町として知られるラ・スペツィアの手前、車窓から、丘の上に美しい小邑を望む。運転手も名前が分からず、グーグルの地図で探してもどこか検討がつかず、帰国してからインペリアのワイナリーVisAmorisのロベルトに写真を送って尋ねたが、彼らもなかなか分からなかったが数週間後、やっとそれがVezzano Ligure(ヴェッツァーノ・リグレ)という町だと連絡があった。「名も知れぬ美しき丘の上の町」に憧れのような想いを抱きつつ車はいつのまにかラ・スペツィアの街中を抜けてポルト・ヴェーネレに近づいていた。

ポルト・ヴェーネレ、美の女神、ビーナスの港と呼ばれるこの小さな漁村を訪れる日をずっと待ち焦がれていた。今より15年以上も前にジェノヴァからチンクエテッレの旅をしたのだが、その時に何故訪れていなかったのだろうかと小さな棘のような後悔があった。

町の中心に入る手前で車を降り、潮風の匂いの吹いてくる方向を目指して歩いていくと、前方にパステル・カラーの家々の連なりが現れた。こちらでは“Palazzata”(パラッツァータ)と呼ばれているが、イタリア語でPalazzo(パラッツォ)は建物、館だから、そこから派生したこの土地独特の呼び名だ。

ポルト・ヴェーネレの歴史は紀元150年のローマ時代まで遡る。ラテン語でポルトゥス・ヴェネリスと呼ばれいたが、現在サン・ピエトロ教会の建つとろこに女神ヴィーナスを祀る神殿があったそうだ。また、ローマ時代から漁村としても栄え、海上に浮かぶティノ島に隠遁していた聖ヴェネリウスに由来するという説もある。イタリアの漁村では漁から帰る船が港や自分の家の位置を分かりやすくするために、それぞれの家をカラフルに塗り分けたりする。ヴェネツィアのブラーノ島やナポリ湾のプロチダ島など。しかし、リグリア沿岸では後で紹介するカモッリやポルトフィーノ、そしてチンクエテッレの入り江に面した漁村のそれぞれの建物が色とりどりに塗り分けられ、まさに絵画的な美しさを見せる。

港では漁師が網の手入れをし、幼い娘がそれを手伝う光景を見ると思えば、砂浜では観光客の子供たちが無心に砂遊びをしている。


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ヴェッツァーノ・リグレ

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カラフルなポルト・ヴェーネレの家並み

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めったに撮れないセルフ・ポートレート

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漁師の父の手伝いをする少女

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無心に砂浜で遊ぶ観光客の子供たち


西ローマ帝国が滅びるとポルト・ヴェーネレはビザンチン帝国の軍港となるが、それも643年にはロンバルドに滅ぼされ、以後も再三、サラセンの侵入に脅かされる。12世紀なり漸く強固な城砦と城壁を構築した。そしてしばらくヴェッツァーノの貴族の領地となっていたが、1494年、ジェノヴァと戦っていたアラゴンの戦艦の砲撃を受け沿岸は大打撃を被る。そこには1198年にサン・ピエトロ教会が建立されていたところであり、1340年の火災とその後のアラゴンの攻撃による損壊の後、1582年に修復された。

初期のローマンスタイルから後のゴシックの様式を併せ持つ現在のスタイルとなり、リグリア地方の教会ではしばしば見られる白と黒の横縞模様はサラセン文化の影響と言われる。


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サン・ピエトロ教会

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サン・ピエトロ教会の主祭壇

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サン・ピエトロ教会の聖母マリアの祭壇

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サン・ピエトロ像

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アーチ型の開口部からの眺め

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ドリア城が見える。ドリアはルネサンス時代のジェノヴァ総督の名前


港に沿って立ち並ぶカラフルな家々、パラッツァータの東側の端にローマ門があり、そこからサン・ピエトロ教会のあるスパッランツァーニ広場(P.zza Spallanzani)までカペッリーニ通りという小路が続く。土産物店や花屋、レストラン、パン屋などが並び観光客を楽しませる。地元ではカルージョ(Carugio)と呼ばれるらしいが、その一角に古い井戸があり、その脇にラ・メドゥーサ(La Medusa)というレストランが美味しそうな雰囲気を漂わせていたので、そこで昼食を摂った。

海辺の町らしく、オーダーしたメニューは全て魚介料理の数々であったが、家庭的な味わいのパスタやリゾット、そして魚介のフリットなど、軽快な飲み心地の白ワインとともにポルト・ヴェーネレを胃袋でも満喫できた。


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Via Capellini(カペッリーニ通り)

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カペッリーニ通りの花屋の店先

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カルージョ(Carugio)の井戸がある広場

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カルージョにあるリストランテ、ラ・メドゥーサ(La Medusa)

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自家製のラビオリを箱詰めするおばあちゃん、92歳とか。

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スカンピとトマトソースのペンネ

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海の幸のスパゲッティ

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魚介のリゾット

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ハウスワイン(Vino della Casa)

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海の幸のフリット・ミスト

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スカンピのオーブン焼


昼食を満喫して小路を歩き始めるとグリーンの看板が目立つ店があった。近づいてみるとバジリコを植えたプランターがあちこちに並べてあり、店の中を覗くと美味しそうなフォカッチャやパン、瓶詰めのジェノヴェーゼ・ソースなどが並んでいる。“Bajeico”、こちらの方言でバジリコを指すことばだが、それがこの店の名前で、自家製のジェノヴェーゼ・ソースが売りの店らしい。オリーブの実やトマトなどを焼きこんだフォカッチャも魅力的だったが、何しろ昼食で満腹になったばかり、ジェノヴァ風パネットーネというのを土産に買った。女主人のラウラ・マッサさんはとても気さくで「日本の雑誌やテレビにも紹介されたことがあるよ」と嬉しそうだった。確かに、ポルトヴェーネレでは一番目に付きそうな店だから日本のテレビや雑誌の取材も来れば必ずや訪れるに違いない。その後2週間ばかり北イタリアを取材して帰国した後にこのジェノヴァ風パネットーネを食したが、ほんのりと甘みがあるが、いつも馴染んでいるパネットーネのようなしっとりした食感はなく、ちょっと乾いた食感と香辛料のほのかな香りからしても、その昔、長い航海でも日持ちするように工夫された船乗りのパンであったのだろう。


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“Bajeico”La Bottega del Pesco

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鮮やかなグリーンのバジリコ

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フォカッチャいろいろ

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絞りたて、タジャスカ主100%のオリーブ油

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Bajeicoの主人ラウラ・マッサさんとジェノヴァ風パネットーネ


カルージョの小路から港に降りると路面に大きなチェスの盤面で遊ぶ人がいた。1997年にチンクエテッレとともに世界遺産に認定されたポルト・ヴェーネレ。この港からチンクテッレ巡りの船も出ている正真正銘の観光名所だ。しかし、朝に着いて、昼食を摂り、まだ陽も高いうちに立ち去るには惜しい気もした。旅の日程もあり仕方ないのだが、午後になり逆光の中に浮かぶパラッツァータの家並みに名残り惜しさを秘めつつ港を後にした。

これから、いよいよチンクエテッレのひとつ、リオ・マジョーレに行くのだが、その前にラ・スペツィアの町を見下ろすところで写真を撮った。ラ・スペツィアは現在もイタリア海軍の軍港として知られるが、かつて天橋立を訪れた時に遊歩道に明治時代に輸入されたカノン砲が展示されており、その砲身にはLA SPEZIAと刻印されていたのを思い出した。砲の説明書きには英国製と記してあったのだが、砲身には確かにラ・スペツィアで製造と鋳造されたときの刻印があったのだ。開国期の日本はイタリアとも様々な関わりと持ち、今回も訪ねる事ができなかったが、ジェノヴァにはキオッソーネ東洋美術館がある。キオッソーネは明治初期に来日し財務省紙幣局で16年間も紙幣製造のための版画指導を行い、当時の西洋美術の文化を日本に伝えた芸術家である。次にリグリアを訪れる機会があれば、必ずやジェノヴァのこの美術館も訪れてみよう。



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Carugioから港へ降りる路地

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海岸通りにあった大きなチェス

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ポルト・ヴェーネレの港

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昼下がりのポルト・ヴェーネレ

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日帰りでは名残惜しい・・・

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ラ・スペツィアの眺望


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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