2005年10月30日

友人たち


バーカリで出会う人々

 ヴェネツィアの居酒屋の楽しみはいろいろな人たちと出会えることです。もっとも最初は地元の人たちばかりが集まっているので、当然、敷居は高く感じました。でも、まずは最初の一軒を見つけてそこの常連のようになれば、他の店に行ったときに「おや、さっきあそこで飲んでたね」なんて会話で始まり、そこへまた彼の友人が来て、お互いに名前を言って紹介しあうのです。日本では篠です、松本ですと、苗字で自己紹介しますが、イタリアではジーノだよ、僕はジョルジョ、と名前で紹介し合います。その方がより親近感が沸きますね。だから僕も利幸を縮めてToshiだよ、よろしくね、と自己紹介します。いまではヴェネツィアを歩いているとあちこちでチャオ、トシ!と声を掛けられるくらいに友人が増えました。そんな友人たちの紹介で昨年はヴェネツィアで念願の写真展を開催することも出来たのです。ここに写っている男たち、中央で煙草に火を着けようとしているのが画家のフランコ。左で手にカメラを持っているのが写真家のカルロ。赤いセーターを来ているのはピエロで、元貴族の家柄とか。みんな役者のように絵になりますね。

 この店は“Al Diavolo e L'acquaSanta”(悪魔と聖水)という名前のオステリア(居酒屋)で、リアルト橋に近い”Calle della Madonna(マドンナ小路)”にあります。ここに行けばきっと彼らに出会えるでしょう。


ヴェネツィアのサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の近くにある酒屋、“Al Canton del Vin”で出会った人たち。開店祝いの日には教会の修道士さんもワインを飲んで酔っ払っていました。ここではボトルのワインの他にもダミジャーナと呼ばれる50リットル入りの大きなガラス瓶から、灯油を入れるのに使うようなポンプでお客が持ってきたボトルやペットボトルに量り売りのワインを入れます。1リットルで2ユーロ前後、それがイタリアで日常飲むワインの値段です。





昨年11月にヴェネツィアで開催した写真展(www.toshi-shino.com)のきっかけを作ってくれた飲み友達と詩人のおばあちゃん。会場になったサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャは「葡萄畑のサン・フランチェスコ」という意味で、教会の裏には一般には公開されない畑があって野菜や果実のほかにもワインを造る葡萄畑があります。僕の肩に手を掛けているのがブルーノでその隣の赤いスカーフをしているのがトニー。この二人がここで展覧会をやっているのを見て、僕もここでやりたいな、と言ったらその場で責任者に紹介してくれて、たまたま持っていたプリントのファイルを見せたら、即決で写真展が決まったのです。詩人のおばあちゃん、ルイーザは毎日のように写真展会場に来てくれました。

2005年10月28日

夜景を撮ろう-2

デジタル式カメラが登場して一番すごいと思ったのは夜に強いことです。風景ばかりでなく室内などでも、フイルム式ならフラッシュを使用しないとなかなか難しいところでもよく写ります。最初はよく写りすぎて闇らしい雰囲気がでないなとも思いましたが、それも本の少し調節するとずっと改善されます。

 この写真はミラノのブレラ界隈にあるカルミネ教会を撮影したものですが、月明かりと街燈にライトアップされた教会のファサードの表情は昼間見るときよりも歴史を内包した神秘的な美しさです。この写真はカメラのホワイトバランスをオートにして撮影しました。街燈の光は白熱電球などはオレンジ色になり、蛍光灯や水銀灯は緑色の色被りをしますが、それをフイルム式カメラだといろいろとフィルターを使い分ける必要があったのですが、デジタルではこのホワイトバランスを利用すれば簡単にきれいな写真が写せます。


ミラノのカルミネ教会の同じファサードを「日中光モード」で撮影しました。光源のランプの明かりの赤みがレンガ積みの壁面に温かみを添えてます。

 ただ、温かみのある白熱電球のオレンジ色っぽくなる発色も捨てがたいですね。蛍光灯、水銀灯の緑色が肉眼では見えない色彩を画面に添えて面白くなる場合もあるので、そんな場合には設定を日中光にします。通常は太陽のマークになってますね。デジカメは意外と夕焼けなどの赤みを出すのは苦手みたいなので、そんな時には曇りマークに設定するといいです。曇りの日や朝夕、日陰はどちらかというと青みがかるので、それを補正するマークですが、それを逆利用して赤みを強調するのです。コンパクトでも一眼レフタイプでも、デジカメならではの機能をフルに活用しましょう


真っ暗になる直前の夕暮れの光景もなかなかいいですね。空に青みが残って、街明かりが点き始めた頃が僕は好きです。小雨が降っている日にフィレンツェのアルノ川沿いを散歩しているときの写真ですが、壁面を車のヘッドライトが照らした瞬間に撮りました。

2005年10月26日

夜景を撮ろう-1

 イタリアに行ったらぜひ夜の散策も楽しんで欲しいですね。昼でも恐いナポリとか言われますが、サンタ・ルチア港の卵城からガッレリーア辺りならそれほど危険ではないし、最近はレストランやカフェも増えて人でも多くあまり目立たない小さなカメラなら持って出ても大丈夫でしょう。

 ヴェネツィアやフィレンツェ、ローマなど僕は大きな三脚と一眼レフカメラを持ってしばしば夜の一人歩きをしますが、この20年危険な目に会ったことは一度もありません。それよりも、ライトアップされてまた昼間とは違った顔を見せるイタリアの都市の魅力を再発見できますから、ぜひぜひ夜景撮影にも挑戦して下さい。


















ヴェネツィアの夜の撮影散歩。煌々と光る月を見上げるとそこへ飛行機が通過し,飛行機雲が月光に照らされました。330万画素のコンパクトデジカメで撮影しました。かなりノイズが出ていますが、建物の壁に寄りかかり、息を止めてブレないように撮影しています

 最近はデジタルカメラの性能もかなり良くなり、夜景撮影にはフイルム式よりも使いやすいくらいです。感度も一眼レフなら1600まで高められますが、コンパクトデジカメでも400くらいの感度なら問題ありません。ただし、手ブレはできるだけ避けたいので建物の壁や柱、街燈などに寄りかかって出来る限りブレないように注意して撮影するか、できれば小さくて、伸ばせば目線の高さ位まで伸びる三脚か一脚を使うと良いですね。最近のデジカメでは手ブレ軽減機能があるタイプもだいぶ出てきているので、その効果も活かせばよりきれいに撮れますね。

 夜景撮影で一番難しいのは露出ですね。街燈や建物の明かり、月明かりなど強い光源が画面にあると,カメラはその光源に合わせて露出を自動的に決めるので思ったよりアンダー目に写ります。デジカメなら撮影してすぐモニターで確認できるので確認できますが、フイルム式では難しいので少しオーバー目(+0.5程度)に撮影しておきます。街燈などの点光源を画面からはずしてシャッター速度、絞り値などを確認して、光源を入れたときの値との中間くらいで撮影してみるのもいいでしょう。ただ、真っ暗な闇は自動で撮影すると逆に明るくなり過ぎます。

 ライトアップされた建物、月光、そしてシルエットなど夜景ならではの美しさを楽しんで下さい。

ヴェネツィアの夜の散歩は様々な発見がありますが、こうした橋の欄干の模様が街燈や月明かりに照らされたときに出来る模様もそのひとつです。まるでレース編みのような美しさです。

2005年10月24日

オリーブ・オイル その3

暖炉の薪の炭火で焼かれるキアニーナ牛のビステッカ・フィオレンティーノ

美味しいオイルの見分け方

 オリーブオイルを色だけで判断するのは間違いですね。よく誤解されるのが濃い緑色が上質と思われているところですが、まだ熟してない実から搾れば緑色ですが、味わいは渋みや辛味が強いですね。緑色に見せるために葉っぱも一緒に入れて搾ったり、クロレラで着色するといった話もあります。十分に熟れた実から搾ればそれほど緑色にはなりませんが、柔らかな風味と豊潤な香りがあります。上質なオイルはデミタスカップのような小さな器に入れて、手で蓋をしてその隙間から香りを嗅ぐと、青いトマト、あるいは青リンゴのような香りがします。そうそう、オリーブの鑑定士がいくつものオリーブオイルを鑑定して味覚が麻痺してきたときには青リンゴを一口食べるそうです。味の方は喉を通るときにピリピリと辛さを感じるのが好きな人もいるでしょうし、あまり辛くないやわらかなものが好きという人もいますから、それは好みで選んで下さい。とにかく酸化した異臭がするようなもの、口の中にべったりとこびりつくような感じのものは質がよいとは言えません。常に鮮度が第一のオイルですから、生産された年月日から遅くとも2年以内には消費したいですね。理想的にはその年に収穫され搾られたオイルなら翌年の新しいものとバトンタッチするようなタイミングで使い終わりたいです。オリーブはワインと違って何年も熟成させるなんてありえないですから。

2005年10月22日

オリーブ・オイル その2

トスカーナと言えば、ビステッカ・フィオレンティーノ。最上の肉はキアーナ渓谷特産のキアーナ牛。いわゆるTボーンステーキでひとつが1キロ、2キロという分量だから日本人はとうてい一人では食べきれません。イタリア人でも普通は切り分けて食べます。もちろん、炭火で焼いて、フレッシュなエキストラ・バージンのオリーブ・オイルをかけるのです。 この写真で添えてある野菜はフィノッキオのオイル炒めとピーマン、ズッキーニのオイル炒めです。極上のワインに相応しい、極上の一皿です。

決して高くはない高品質オイル

 オリーブオイルはやはりなんといっても絞りたてのエキストラ・ヴァージン・オイルが一番美味しいのです。これから11月に入るとワインは新酒、ノヴェッロのシーズンでワイン祭りがあちこちでありますが、オリーブ農家は1年で一番忙しい時期ですね。プーリアあたりでは2月に入っても収穫するところを見ますが、実はほとんど黒紫に熟成しています。11月はまだ青リンゴのように緑色で艶々しています。それを収穫して遅くとも48時間以内には搾油します。もちろん収穫は手摘みで丁寧に行い、温度を上げずに絞るのが最上です。良いものを手に入れるには手間も掛かるわけです。上質のオリーブオイルを生産者のところで買っても500mlで10ユーロ前後はします。ワインに例えれば、バローロやバルバレスコ、あるいはブルネッロ並みのクラスとほぼ同じ位の価格でしょうか。つまり、上質のオリーブオイルと最高級のワインとはほとんど同じ位の価格なのです。にもかかわらず、一般的にはオリーブオイルは高いと思われてしまいます。ワインはひとりでも開けたら一回で飲み干してしまい、オリーブなら少なくとも数週間は持つものなのにです。上質のワインと上質のオリーブオイル、そして美味しいパンさえあればそれだけでも喜びを満喫できるのですから、オリーブもワインと同じ位に価値を認めたいですね。

 地中海ダイエットあるいは健康法と言われて久しいですが、体内の活性酸素の発生を抑制するポリフェノールやオレイン酸を他の植物油よりもはるかに多く含み、老化を抑制するビタミンEなども多く含まれています。また、加熱してもこれらの成分が壊れにくいので、生でサラダやパン、焼いた肉や魚料理にかけて食べたり、炒め物、揚げ物にも使えるわけです。もちろん、加熱用には一番絞りのエキストラ・ヴァージンではなくピュア・オイルと呼ばれるもので充分です。オリーブの実は表皮が大変デリケートで傷がつきやすく痛み易く、すぐに酸化します。そうした実はワンランク下のオイルに使われ、余分な成分を分離するために苛性ソーダなどで余分な脂肪酸を分離させ、酸化分を取り除きます。これを精製オリーブオイルと呼び加熱用など安価オイルになります。ピュアオイルはヴァージン・オイルと精製オイルを混合しています。

2005年10月20日

オリーブ・オイル その1


トスカーナのカステッロ・デル・トレッビオのオイル

日本では醤油、イタリアではオリーブオイル

 イタリアでワインと並んで食卓になくてはならないものがオリーブオイルです。といっても、南北に細長いイタリアですから、北の秋冬はとっても冷えます。オリーブは「冷え」にはとても弱いのです。葡萄も寒さに強いとは言えませんが、オリーブほど弱くはありません。そんなわけで、ヨーロッパの北部では酪農が発達し、料理の油脂と言えば、バターが主役です。そして暖かな南ではオリーブです。ヨーロッパの食文化はこうして北のバターか南のオリーブかで分れていると言っても過言ではありません。パンを焼くときにヨーロッパの北ではバターを使います。その代表がフランスのクロワッサンやブリオッシュ。南では水と塩だけか、オリーブオイルを少々入れますね。パスタを打つときにもオリーブオイルを入れたりします。

 オリーブオイルもイタリアではワインと同じように各地の特色があって、南から北までさまざま産地のさまざまなオイルを味わう楽しみがあります。まあ、北と言っても生産地として名高い北限はガルダ湖畔のリモーネ周辺や陶芸の町として知られるファエンツァ近郊のブリジゲッラあたりでしょうか。さらりとして軽い舌触りですが、風味が優雅に広がり、品質も大変高く評価されています。地中海側ではリグーリアのオイルが定評がありますね。最大の産地はなんといってもプーリアです。プーリアを旅すると鉄道の車窓からは海原のようにオリーブの林が続いています。オリーブの種類は各地によって500種類はあると言われています。代表的なのはトスカーナのフラントイオ種やモライオーロ、レッチーノ種、プーリアのコラティーナ種、オリアローラ種、シチリアのノチェラーラ種やトンダ・イブレア種、リグリアやガルダのタジャスカ種、サルデーニャのボサーノ種などがあります。日本人に好かれる軽く滑らかなのはリグリア、ガルダでもう少し風味が強いのはトスカーナ、これは僕も好きなオイルです。また、シチリアのノチェラーラの搾りたても好きです。オイルというよりもオリーブの果汁ですね。

2005年10月18日

歴史とみどころ ~ミラノ・ブレラ界隈~

 ミラノと言ったら誰もが思い描くのはファッションです。イタリアではモーダというけど、モンテナポレオーネ、スピガ、サン・バビラ界隈には有名ブランドのブティックがひしめき合っていますね。国の首都としてはローマですが、ミラノはイタリア経済を支える第二の首都ともいえる大都会。モーダに興味がなかったりすると、どことなくビジネスライクな感じがするこの町をあまり好きではないと言う人もいますが、どうしてどうして、歩いてみると古きよき時代を感じさせるところもあって、なかなか味わいのある町です。そういう意味では東京に良く似ています。東京なら浅草、谷中、月島あるいは深川などと江戸の名残がある界隈を歩くのが好きな僕にとっては、ミラノだったらまず運河のあるナヴィリオ界隈、次にローマ時代の遺跡や中世やルネサンス時代の教会が点在するコルソ・マジェンタとヴィア・トリノに挟まれた地区、そしてこの写真の“カッフェ・ジャマイカ”があるブレラ界隈です。
 

カッフェ・ジャマイカで赤,白のリキュールが入ったグラスをコマにダーマ(チェス)を楽しむ若者
一駒取るごとに一杯飲めるが、勝てば勝つほど酔いがまわってしまうのでちょっとアブナイ
こちらもだいぶ飲んでいるので、気楽に話し掛けてすぐに意気投合できるのがいい



 ブレラ通りには美術館があるので、どことなく芸術的な雰囲気もします。美術館の少し先にそのカッフェ・ジャマイカがあるのですが、そうした立地からか、かつては画家や詩人などがよく集まる店でした。僕も何度か著名なアーティストだと言われる人を紹介されたことがあります。最近は20代、30代の若者たちが集まり、深夜、午前1時、2時までもお酒を飲みながらおしゃべりを楽しんだり、ゲームをしたりして賑わっています。ブレラの美術アカデミアで絵画など芸術を学んでいる学生も少なくありません。昼間はほとんどエスプレッソとかカプチーノなどコーヒーを飲みに来るお客さんが多いのですが、夜はとたんに酒場と化しますが、秋から冬、芸術を観賞したあとで、こんな芸術家たちが集まるカッフェで夜のひと時を過ごすのも楽しいです。

深夜になっても人通りは絶えず、タロット占い、手相占い、星占いなどの占い師たちが並んでいる

2005年10月16日

“VdT I.G.T.”という格付け


カステッロ・デル・トレッビオの人びと
(左からオーナーのステファノさん、アンナさん、筆者、農園の見回り役のマリオさん、カルミネさん)



 前回のワインの話では、イタリアのワイン法、D.O.C.D.O.C.G.について書きましたが、このワインはROSSO DELLA CONGIURA IGT TOSCANOI.G.T.(Indicazione Geografica Tipica)、訳せば”典型的地理的表示”のカテゴリーに入ります。キャンティなどはサンジョヴェーゼを主体にカナイオーロとかトレッビアーノなどが15%まで混合してよいとされていますが、それまではサンジョヴェーゼ100%で作るというのはあまりなかったので、カテゴリーに入らないものはVdT,つまりヴィノ・ダ・ターヴォラ(テーブル・ワイン)として玉石混合の範疇に入れられていました。そのうちに、テーブル・ワインでありながら品質がすこぶる良いものが多数現れるようになり、また、各地を代表する葡萄を主に作ることが増してきたので、VdT I.G.Tをいう格付けを1992年から設けたわけです。基本的にはその土地の代表的な葡萄を85%以上使用するという条件があります。しかし、これもまた例外の方が多いようで、同じくこのワイナリーが作っているPAZZESCOというワインはサンジョヴェーゼが60%、メルロが30%、シラーが10%という組み合わせで、I.G.T.の格付けになっています。

 このROSSO DELLA CONGIURA はサンジョヴェーゼを100%使用しています。また1本の葡萄の木に3~4房しか実を作らず、ひと房づつの密度を高め、収穫も10月の中旬以降と出来る限り熟成させてから醸造します。そしてやく18日間ゆっくりと発酵させてから、バリックという容量225リットルのオークの新樽と15ヘクトリットルの大樽で熟成させます。一時期はこのバリックを使うことが流行になり、葡萄よりも樽の木の香りが勝っているものが多く出回りましたが、最近はそのような行き過ぎにブレーキがかかり、葡萄本来の個性と力を引き出すために使われます。そのためには葡萄も樽の木に負けない強さに仕上げなくてはなりません。もちろん、この樽も安いものではないので、これを使えばその分ワインの値段も高くなるわけです、225Lを750mlのボトルにすれば何本のワインが生産できて、樽の価格は1本のワインにつきいくら加算されるか計算してみるといいでしょう。樽は概ね8万から12万円くらいだそうです。まあ、ワイン1本の値段にはこうした樽の価格やガラスのボトル代、コルク(最近はシリコンなど増えてきましたが)やラベル代などが含まれてきます。コルクはワインにとってはとても大事なものですが、それはまた改めてお話しします。

カステッロ・デル・トレッビオの城の地下にあるワイン蔵

2005年10月14日

「陰謀の赤」という名のワイン

 トスカーナのキャンティ・ルフィナ地区のワイナリー、カステッロ・デル・トレッビオのワインに「陰謀の赤」という名前のワインがあります。この名前の由来は、このワイナリーの城に纏わる歴史的な事件が大きく関わっています。前回、In vino veritasu,“ワインには真実が宿る”というフレーズを紹介しましたが、ワインにはまたさまざまな歴史的なエピソードに由来するものも少なくありません。
 
 トスカーナと言えば、ルネサンス文化の繁栄を大きく支えた支配者、メディチ家の名がすぐに浮かぶと思いますが、このメディチ家とフィレンツェ市民を震撼させる大事件が起こりました。メディチ家はもともとはムジェッロというフィレンツェの北に位置する山間部の農民から始まりましたが、もともとのフィレンツェの貴族たちにはそのような成り上がり一族の台頭を面白く思わないファミリーもいました。
 
 1478年、フィレンツェの商家で名門のパッツィ家の刺客が豪華王と名高いロレンツォの暗殺を企て、ロレンツォたちが花の大聖堂と言われる、サンタ・マリア・デル・フィオーレのミサの礼拝に行ったおりに暗殺を決行した。ロレンツォ暗殺は失敗したものの一緒にいた弟のジュリアーノは暗殺された。メディチ家はすぐに復讐を実行し、パッツィ一族を皆殺しにしたという血生臭い事件である。アンソニー・ホプキンスが演じるレクター博士が登場するアメリカ映画「ハンニバル」では、このパッツィの事件がストーリーに組み込まれていました。余談になりますが、この映画には拙著「トスカーナの青空」に登場するフィレンツェの友人たちも登場します。レクター博士がピアノを弾いたり、調べ物をする書斎はアルノ川沿いのニッコロ・カッポーニの館だし、ウッフィッツィ美術館の前で日本人のツアーを案内しているのガイド役の日本人女性とか自転車でシニョリーア広場を横切る通行人もそうでした。

 
 さて、この赤ワイン、“ロッソ・デラ・コンジューラ”はそのパッツィが所有者だったお城のワイナリーなのです。この暗殺事件の後、当然城はメディチ家のものとなり、城の各所にあったパッツィ家の紋章なども削り取られ、今では1箇所くらいしか残されていません。城の中にはまさにその陰謀が相談された部屋があって、このワインはその歴史にちなんで命名されました。メディチ家の時代が終わって近代になるとフィレンツェ市の管理するものとなり、そしてスイスの資産家が1968年に買い取り、今は娘さんのアンナさん夫婦に受け継がれています。現在はワインの他にオリーブ・オイルやサフランなども生産し、またアグリトゥリズモも運営しています。日本でも有名なイタリア料理人のカルミネ・コッツォリーノさんはこのワイナリーの隣に家を持っていて、このお城でいっしょになったことがあります。城の地下にはワインやオリーブオイルを貯蔵するカンティーナになっていたり、ワインの試飲もできる部屋があります。

2005年10月12日

収穫の秋

 10月と言えば日本もイタリアも”収穫の秋”ですね。ワインを造る農家では9月に入ると葡萄の収穫とワインの仕込みで忙しくなり、ピエモンテのネッビオーロのように10月中旬ぐらいの収穫が標準的な葡萄もありますし、トスカーナのヴィン・サントのような甘口デザートワインにはやはり収穫を遅らせて、葡萄を完熟させて糖度が最高になったところで収穫となります。この頃の気温は日中はまだ夏の名残のような太陽の光がありますが、朝夕はぐーんと冷えます。日中は20度から30度前後,夜は10度前後にまで下がり、その温度差が葡萄の糖度を増すのにもいいのですね。もっとも近年は地球の温暖化のせいか、夏の陽射しをたっぷり受けて今年もいいワインが造れるぞと思っていたら、大雨、長雨になるということもしばしばです。2000年の10月に北イタリアを半月ほど取材したときには8日間、雨が降り続き、大雨で斜面の葡萄畑が流されるところもありました。2002年もイタリア各地で長雨が続き、ワイン造りには苦労した年でした。収穫の日はまだ太陽が上がらないうちから畑に出て、午前中が一番適しています。


 かれこれ10年ばかり前のことですが、トスカーナのある大きなワイナリーの社長さんと食事をしながら話していて、僕が

「イタリアではどうしてワインがこんなにおいしくつくれるんだろう。実は日本でもワインを造っているのですよ。昔から葡萄の産地で知られる山梨県や長野県が有名ですが、北海道という北の大地でも作っています。なかなか美味しいと思いますが、みんな我が子を育てるように、あるときは厳しく、またあるときは優しくと育てているのです。でも、ここで飲んでいるイタリアワインには敵いません。どうしてでしょう?」

 と言ったら、その社長さんは

「君の言っている意味がよくわからん。葡萄を育てるって?いや、葡萄は勝手に育つんだよ」

 と応えて続けました。

「どこが日本と違うかって?そりゃあ、日本にはこんな太陽はないだろう」

 と右手を上げて天を指しました。

 なーるほどねぇ、太陽か。そういえばそうですね。イタリアの最大の魅力と言えば、まず太陽と青空ですから。フランスの作家、フランソワーズ・サガンの小説に「イタリアの青空」というのがあって、まだフランスで絵の勉強をすることを考えていた20代の頃、そのタイトルだけで何故かイタリアに憧れるようになりました。95年に東京書籍からトスカーナをテーマにした本を、と依頼されたときに、すぐに頭に浮かんだのが「トスカーナの青い空」というタイトルでした。それで1月から6月まで、途中一度帰国して,また3月から6月までフィレンツェに住んだのですが、それがまあ、ほとんど毎日のように雨が降っていたのです。僕は何よりも雨の日の陰鬱なのが一番嫌いだったので、もう朝起きるたびにがっかりしていました。

 ある日、ローマから来た友人が言うのです。

「トシ、あんまりがっかりするなよ。こうやって春に雨が多い年は葡萄がゆっくり育って、夏に晴天が続いて太陽の光をたっぷりと浴びれば美味しいワインになるんだぜ」と。

 なーるほどねぇ。僕はまたまたうなずきました。そして彼が言ったとおり、95年のワインはなかなか良いものになりました。
こんな話を以前、筑波の小学校での講演で話したことがあるのですが、後日,校長先生から葉書を頂いて、
そこには
「子供も葡萄も同じですね。我々は子供を育てよう,育てようとしていましたが、子供は勝手に育つものなんですね。我々教師の仕事はその子供が勝手に育てる環境を作ることなのですね」
と書いてありました。

 なーるほどねぇ。またまたまた感心してしまいました。僕は葡萄とワインのことだけ考えてイタリアの話をしたのですが、その先生は、それをちゃんと子供たちの教育と重ね合わせて考えていたのですね。そういえばお百姓さんは毎日毎日大地を見つめながら仕事をしているだけなのですが、ちょっとでも話ししてみるとものすごく奥が深い言葉が返ってきますし、やっぱり「真実」というのは「自然」「歴史」の中に潜んでいるものなのですね。そう言えば、ワインに関連した僕の好きな言葉に“IN VINO VERITAS”というラテン語があります。「ワインには真実が宿る」という意味ですが、これもイタリアの友人に話したら、「うーん、ワインにもよるけどね」と答えが返ってきました。ではこの続きはまた次回に。

キャンティ・ワインの収穫。昔ながらに黒葡萄に白葡萄が少し混ぜられている

2005年10月10日

お城のワイナリーのアグリトゥリズモ

 「ワインと食」のところで、フィレンツェ郊外にあるカステッロ・デル・トレッビオを紹介しましたが、ここでは素敵なアグリトゥリズモも運営しています。イタリア語でアパルタメントと呼ばれる一軒やをまるまる借りて自分の別荘のように数日間、あるいは数週間を過ごします。欧米ではバカンスと言えば最低1~2週間、長ければ1ヶ月以上も休暇を楽しむことができます。そんなわけで、アグリトゥリズモのほとんどは1週間単位で予約することを基本条件にしているところが多いのですが、週末の金土日なら3泊でもOKという場合もあります。

 カステッロ・デル・トレッビオにはアパルタメントが5つあって、それぞれにベッドが4つから7つ入っていますので、家族や友人たちのグループで利用することができます。料金は1週間単位で740ユーロから3350ユーロでまるまる1軒が借りられますから、家族やグループならとても経済的です。もしも1日単位で利用したいのであれば、2泊以上が条件ですが、1日につき50ユーロです。もしも、フィレンツェのホテルに泊ったとしたら2倍以上になるでしょう。


かつてオーナー夫妻が新婚当時に使っていたという寝室

 ただ、日本の旅行者にとって問題なのは車がないと交通アクセスはとても不便なことです。もっとも最近はレンタカーを利用して自由に旅をする方も増えているので、そういう方にはアグリトゥリズモは大変お薦めですね。とにかく朝、目覚めたときの田園の空気の美味しさ、小鳥たちの囀り、木々の緑や抜けるような澄み切った青空。そして夜になれば満点の星。それだけでもリフレッシュできますし、その上、ワインや郷土料理を存分に味わえたり、料理教室や陶芸、絵画、あるいはイタリア語のレッスンなどもあります。訪れる季節としてはやはり4月から10月か11月の上旬がお薦めです。


メディチ家のロレンツォとジュリアーノの暗殺を企てたパッツィ家の城

それから言葉が心配と言う方も多いと思いますが、ほとんどのアグリトゥリズモでは英語を話せる人がいます。カステッロ・デル・トレッビオでも問題ありません。ぜひ、次回の休暇はトスカーナの田園の中で過ごしてみてください。詳細はサイトでどうぞ。
Castello del Trebbio
www.vinoturismo.it

メディチ家のロレンツォとジュリアーノの暗殺を企てたパッツィ家の城。この城の地下に、カステッロ・デル・トレッビオのワイン蔵がある。

2005年10月08日

歴史とみどころ ~ヴェネツィアその1~


 
 イタリアは春夏秋冬、いずれの季節に旅をしても楽しめるのですが、やはり一番お薦めの季節は春と秋です。冬は南のローマやナポリであっても、雨が多く、時には雪も降るほど冷えます。フィレンツェなどでは町の中心を流れるアルノ川が氷結するほどの寒さになり、ウッフィツィ美術館やピッティ宮殿のルネサンス美術観賞がなければ耐えられないかも。この寒さと、じくじくと雨に降られ、どんよりと重い雲に覆われているけっして楽しいとは言いがたいですね。まして取材の仕事で写真を撮りに行ったときなどはもうホテルの窓からじっと空を眺めるだけで憂鬱になります。イタリアを魅力的にしているのはやっぱり青い空と輝く太陽、オーソレミオなのです!

 しかし、ヴェネツィアだけは冬を薦めたいです。確かにヴェネツィアは北部に位置しますから冬は寒いし、時には雪も降ります。また、冬から春先にかけてはアックア・アルタというこの町の名物にもなっている洪水に見舞われることもあるでしょう。それでも、ヴェネツィアの冬はなかなか味わい深いのです。もともと車も通らないところなので、人びとは歩くか水上バスやゴンドラなどを利用します。ですから、町を歩いていて聞こえるのは人々の話し声、水上バスのエンジンの低い唸り、ゴンドラの櫂が水をかく音くらい。春から秋までは観光客に溢れ、路地を歩くのもままならない時もありますが、冬は観光客も少なく、静かな町がいちだんとしっとりと落ち着いた佇まい取り戻し、ヴェネツィアの素顔が見えてくるようです。
 
 ヴェネツィアが水の都と言われ、建物は水の上に造られているというとちょっと信じがたいというか、やはり行って見るまでは実感は出来ませんでした。しかし、初めてこの町を訪れ、列車が長い橋を渡って終着駅、サンタ・ルチア駅に着いて、駅前の運河に架かるスカルッツィ橋から眺めてみると、運河の両脇に並ぶ建物がほんとうに水の上に浮かんでいるかのように見えて、しばしその不思議な光景に見とれてしまいました。初めてヴェネツィアに訪れたのは1977年の真夏、8月上旬で、ローマからアッシージ、ペルージャ、フィレンツェと内陸の都市を巡って来たものですから、その水の都を見たときの感動は今もなお忘れられません。まさに、一目惚れですね。

 ヴェネツィアの冬の魅力を実感したのは90年頃でしょうか。仮面と仮装で有名な謝肉祭、カルネヴァーレの撮影に行ったのですが、霧が立ち込めた運河沿いで時代衣装に仮装した人が佇むと、まるで自分が300年も400年も前にタイムスリップしたかのような幻想的な雰囲気に包まれてしまいました。もっともカルネヴァーレの時には真夏並に、あるいはそれ以上に人が溢れるので、むしろこの時期よりもその前後も味わいたいですね。

 イタリアは晩秋から春先まで雨が多くなるのですが、ヴェネツィアはもともと水辺の空間ですから、雨もまた似合うのです。雨で濡れたり、アックア・アルアで洪水になったサン・マルコ広場に寺院や鐘楼が映っている光景もなかなかいいですし、旅情をより感じたりします。冬こそヴェネツィアへ!


 夜のカナル・グランデとリアルト橋。リアルト橋の右手の建物はカメルレンギ館と呼ばれ当時の財務局があり、1階には刑務所がありました。その並びの長いアーチの建物はファッブリケと呼ばれ,現在は倉庫、居酒屋のバンコ・ジーロ、端には裁判所が入っていますが、この建物の裏手に青物市場が広がっています。左側には1508年に建てられたドイツ人商館がります。ドイツはヴェネツィアからオリエント貿易商品を買う上得意先の国でした。当時はドイツ人商人の宿泊施設や倉庫として使われていましたが、現在は中央郵便局になっています。

2005年10月06日

ダ・ピント

ヴェネツィアの居酒屋、ダ・ピントは観光客も多く通る魚市場の広場、カンポ・ディ・ベカリエに面しているので、外国人の観光客も多い店です。観光客が多いというと、たいがいは味も良くないし、なかには料金をぼったくったりする店もなくはないのですが、このダ・ピントはまったくそんな心配はいりません。最近のイタリアではユーロになったとたんに物価が2倍以上に跳ね上がって、通常のレストランで食事をしたら50~60ユーロは当たり前、物価が高いヴェネツィアでは居酒屋でもその位になることがあります。

 しかし、ジョヴァンニのダ・ピントなら30ユーロ前後で前菜、盛り合わせにパスタ、魚介のグリルとおいしいハウス・ワインを楽しめるでしょう。ちなみにイタリアでハウス・ワインをヴィーノ・デッラ・カーザといいますが、ダ・ピントのハウス・ワインはマクランという名門のワインを使っています。ヴェネツィアでは冬は特に冷えるので朝から”オンブラ”を飲む習慣があります。特に仕事が休みの土日には、朝の8時くらいになると開き始める店に客が5人、6人と集まり、カウンターも前に並び、店が溢れると外にグラスを持ってオンブラを飲みながら、友人たちと語り合っています。そして、必ず2,3軒はハシゴして歩きます。そんあヴェネツィアの居酒屋を現地では「バーカロ」と呼んでいます。

2005年10月04日

チャオ、オンブラ!

イタリアの水の都、ヴェネツィアではワインのことを「オンブラ」ともいいます。その昔、サン・マルコ広場の鐘楼の日陰にワイン売りの屋台が出ていました。太陽の動きにつれて日陰が動くと屋台も移動しました。イタリア語では「日陰」をオンブラと言いますが、ヴェネツィアっ子たちはワインが飲みたくなると「オンブラに行こう」と友人たちを誘い合い、いつのまにかオンブラと言えばワインを意味することになりました。今でもヴェネツィアの居酒屋ではオンブラと言えば、ワインが出てきます。後はロッソ(赤)かビアンコ(白)かを付け加えればいいのです。また、オンブラを動詞形にしてオンブラーレなどと言ったりもしているようです。

 ところで、日本でも挨拶の言葉としておなじみの「チャオ」ですが、これもヴェネツィアで生まれた言葉で、もともとの意味はスキアーヴォという奴隷(僕)を意味する言葉で、昔の奴隷が主人に対して「あなたのしもべです」という言葉が転じて「チャオ」になったそうです。今ではイタリアではどこでも友人たちと出会えばチャオ、別れるときにもチャオ。手紙はメールにも親しい友人どうしならチャオを使ってますね。ちょっと大人っぽい挨拶では「サルヴェ」を使います。
 ヴェネツィアに行ったら、居酒屋で「チャオ、オンブラ!」と言ってみてください。
そして、この写真のお店は、ヴェネツィアの魚市場の前の広場に面しところにあるダ・ピント(Da Pinto)です。創業は1890年からというからなかなかの老舗。Pintoは初代亭主の苗字ですが、現在はこの窓の向こうからワインを注いでいる、ジョヴァンニがやっています。

2005年10月01日

ワインと食 その1

 


イタリア・ブームと言われ始めたのが80年代の終わり頃、ちょうどバブル景気頃からでした。同時に、日本ではフランスが一番でドイツが2番だったワイン市場の中で、イタリアがどんどん注目され、今ではイタリアが主流とも言えるほど人気が高いですね。それは世界的にも同じ傾向で、アメリカやドイツにもたくさん輸出されています。実はワインの総生産量ではイタリアはフランス以上に多いのですが、イタリアワインの最も特筆すべき特長は葡萄の種類が多く、必然ワインの種類も多いということです。


イタリアワインの選び方
 赤ワイン用の葡萄は黒葡萄、白ワイン用の葡萄は白葡萄と呼ばれますが、イタリアではざっと数えただけでも黒葡萄、白葡萄それぞれ50種類、合計100種類ぐらいは思い浮かびます。イタリアは20の州に別けていますが、それぞれの州に固有の葡萄があり、個性的なワインを作っています。
 イタリアのワインを選ぼうとするときには、どうしたらいいでしょう。まずは赤ワインか白ワインを選びますね。あるいはスプマンテと言われる発泡性もあります。赤ワインを決めたら次にはどの州、あるいは地方のものを選ぶか決めます。まあ、大まかに北か南かでもいいのですが、例えば北のピエモンテ州を選んだとすると、赤ワイン代表はバローロやバルバレスコがあります。これはバローロ村、バルバレスコ村という地名です。これらのワインはネッビオーロという黒葡萄から作られます。
 バローロ、バルバレスコのどちらかを選んだら次は造り手、ワイナリーをどこにするかという選択があります。たとえばバローロならロベルト・ヴォエルツィオやブレッツァであるとか、バルバレスコならアンジェロ・ガヤとかエリオ・フィリッピーノとかその造り手による個性や味わいの違い、また当然価格の違いなども選択の基準になりますね。葡萄品種から選ぶとするとピエモンテならバルベーラとかドルチェットが代表的な赤ワインです。そしてまた造り手を選びます。カ・ヴィオラであるとかチェッラーリオであるとか、自分の好みに合わせて選ぶのです。こうしてイタリアワインを選ぶときには生産地、葡萄の種類、生産者、そして作られた年などが選択の基準になります。


イタリアワインを世界に広めた「キャンティ」
 イタリアワインを世界的に広めたのはやはりなっと言っても「キャンティ」でしょう。これはイタリア中部のトスカーナ州にあるキャンティ地方で生産されるワインで、もちろん赤と白がありますが、特に赤ワインのイメージが大きいですね。このワインはサンジョヴェーゼという黒葡萄を主に作られています。昔からキャンティのワインは黒葡萄に白葡萄を2割程度混ぜて作るのが伝統的でした。黒葡萄はサンジョヴェーゼを主にカナイオーロを加え、白葡萄はトレビアーノやマルヴァジア種を加えていました。白葡萄を加えることによってすっきりと爽やで軽快な飲み心地が得られ、肉料理やオリーブオイルの料理を食べるときに脂っこさをすっきりと流してくれるからです。
 ただ、イタリアでは1966年にイタリアのワイン法、DOCが制定され、各地方特有のワインと葡萄の関係を明確に定め管理するようになりました。DOCの正式名称はイタリア語ではDenominazione di origine controllata ”原産地呼称統制”と言います。また、この中から特に優秀なワイン原産地についてはこのDOCに”保証”という言葉”Garantita"がついてDOCGというランクに指定されます。通常、ボトルの首のところにこのラベルが貼られています。キャンティワインは1984年からDOCG指定のワインになりました。そうした経緯もあって、やはり赤ワインは黒葡萄だけで作るのがよろしいということにもなり、トレビアーノやマルヴァジアを混ぜることは少なくなりました。また、世界的なワインブームの傾向が軽快な飲み心地よりも濃密でどっしりとした重みのあるものを上等だと思われるようにもなり、造り方に大きな変化が起こってきたのです。カベルネ・ソーヴィニョンとかメルロという本来フランス原産の葡萄を混ぜるようになったのもボルドーワインに負けない重厚なワインを造ろうとしためで、一時はこうしたワインが”スーパータスカン”などと言われ人気を得ていました。


  最近はキャンティの主要葡萄であるサンジョヴェーゼの特長をより活かし、かつ適度に重厚なワインに仕立てようとする造り手が多く現れ、かつては水代わりの安ワインの代表みたいなイメージのキャンティワインもフランスの有名なワインに負けない素晴らしいものが誕生しています。しかしながら、こうした変革の間に同じDOCGの指定を受けそれを証明するラベルが貼られていても、1000円のものもあれば1万円以上もするものがあるという、消費者にとってはちょっと戸惑うこともあり、このイタリアのワイン法がはたしてワイン選びの良い目安になるかどうかちょっと疑問です。それがまたイタリアらしいと言えるのでしょうか、何事も決まりどおりにはならないわけです。つまりキャンティワインと一口に言ってもキャンティ地方のまた小さく区分された地区や生産者によってワインの味もグレードも違うのです。それらを知るのは大変な経験つまりいろいろと飲むことが必要なのですが、キャンティひとつをとってもこうなのですから、プロのソムリエでもイタリアワインは難しいと言われるわけであり、逆にそれが奥深い面白さにもなってくるのです。


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 2004年11月、ヴェネツィアで写真展(www.toshi-shino.com)を開催した。

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