2005年11月29日

イタリアの猫たち その3

”我輩は考える猫である”とでも言いたげなこのポーズ。ところは背景にある教会を見てお分かりの方もいると思いますが、中部イタリア、ウンブリア州にあるアッシージです。アッシージと言えば、聖人フランチェスコの生誕の町で、このサン・フランチェスコ大聖堂にはルネサンスの夜明けの帳を引いたと言われる画家、ジョットーの傑作やその師匠、チマブーエの壁画があります。アッシージの現在の町の様子はジョットーの時代、つまり中世からルネサンス時代の建物で、この周辺から産出するバラ色の石を積み上げて建てられているので、とても明るく優しい雰囲気があります。町の歴史は古く、中心には紀元前1世紀に建てられたローマ時代のミネルバ神殿が残っていますが、16世紀中ごろにキリスト教の教会に改修されサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会となりました。この町、いかに穏やかかこの猫を見れば一目瞭然ですね。広角レンズの28mmで大接近して何枚も撮影したのですがまったく動じませんでした。実は僕も聖フランチェスコを敬愛しております。

2005年11月27日

イタリアの猫たち その2

 ミケランジェロがフィレンツェからローマにやってきた頃、彼が住んでいたと言われている家が、現在のゲットー界隈にあります。古代ローマのマルチェッロ劇場とアルジェンティーナ劇場の間の地区でジャコモ・デッラ・ポルタ作の”亀の噴水”があったり、少し歩けばローマの市場で一番楽しい”花の広場、カンポ・デイ・フィオーリ”があります。20年ばかり前に友人からここにミケランジェロが住んでいたと教えられ、その後、ローマに来るたびに訪れては中を覗き込んでいましたが、ある時、まるで舞台のスポットライトのように建物に囲まれて四角く空いた空から太陽の光が差し込み、そこで日向ぼっこをしていた猫を浮かび上がらせていました。

2005年11月25日

イタリアの猫たち その1

 今日のカテゴリーは「歴史と見どころ」。しかし、猫のお話です。猫と犬は人間の歴史ととも歩んできたもっとも身近な動物で、愛玩用でもあり、また狩猟などの助手ともなり、そして猫はヴェネツィアなどでペストが蔓延した時代にはペスト菌をばら撒くネズミ退治の大役を仰せつかったわけです。そういう歴史を振り返れば猫もまた文化、というか猫が野生ではなく、たとえ野良であっても、いや野良として勝って気ままな生活ができる環境を人間が作れるところに文化があると言えるのではないかと思います。古代エジプトでは神の使者でもあったわけですし、ドラエモンはのび太君だけでなく、いまやイタリアの子供たちにとってもなくてはならない親友となっています。
 さて、この黒猫が4匹かっぽするところ、ヴェネツィア島から10Kmばかり離れたところにあるトルチェッロで撮影しました。トルチェッロは今日のヴェネツィアの源となった島で、およそ1000年前、古代ローマ、アルティーノの都市がありました。当時は人口が2万人、主に海からの塩を採る塩田の都市としてローマ人はこの島を領土にしていたのです。この島が最も栄えたのは6~10世紀前後で、7~11世紀に建てられたサンタ・マリア・アッスンタ教会やサンタ・フォスカ教会には当時のモザイク画が残されています。ところが、ペストならぬマラリアがこの都市に蔓延し、人びとは現在のヴェネツィア島に逃れ、以来、トルチェッロはほとんど見捨てられた島となったわけです。現在でもほんの少しの漁師や画家、そしてヘミングウェイの作品にも出てくるロカンダ・チプリアーニがある程度で、無人島のような静けさが漂っています。

2005年11月16日

子供の領分

「旅の写真術」の人物編として女性と男性の写真について語りましたが、今日は子供がテーマです。子供は世界共通の表情を見せます。イタリアでもヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、シチリアと場所が変わっても子供は皆同じです。時々、中東やアジアなどの紛争地域での子供の写真などを見ますが、緊迫した状況が目の前にないかぎり
子供の屈託の無い笑顔と澄んで輝く瞳は共通したものだと思います。だからこそ、子供は宝物なのですね。大人たちがどんな馬鹿げたことをしでかしたとしても、子供は神様から授けられたままの無垢な心で僕らを見つめ、微笑を返してくれます。この最初の写真はシチリアのスコペッロというパレルモからトラパニ方面へ行った海岸沿いの漁村で撮りました。漁村と言っても、かつてはマグロ漁の基地がありましたがいまではそれもなく、バリオという荘園の名残の周辺が避暑地になっているだけですが、美しい海岸線と砂浜があります。
誰もいない海を眺めながら、この村に着いて散策していたら、まだ2歳位の女の子が「Come ti chiami?あなたのお名前はな~に」と話し掛けてきました。自分の名前を言いながら、その子の名前を聞くと、イライアとか、なんかアラブ系の名前でした。この辺りはアラブの影響が多く残り、また今でもチュニジアやモロッコの移民も多く住んでいます。黒髪と黒い瞳はまさにアラブ系でしょうね。しっかりとこちらを見つめ、すでに足つきはポーズをとっているかのようです。見知らぬ異邦人にも物怖じしない可愛い子でしたので、安心してシャッターが切れました。しばらくして、お母さんが「誰と話しているの、家の中に入りなさい!」という声が聞こえました。
子供を撮影するときの基本は自分の目線の高さを合わせることなのですが、こうして上から見下ろすアングルで撮影すると、小さな子供はより小さく、可愛らしく見えますね。

この写真はパレルモから80キロばかり北上したチェファルーという町で撮影しました。この町も年々観光地化され土産物屋などが増えてますが、そんな店先の人形に惹かれて 立ち止まった自転車の女の子がこちらを向いた瞬間です。もう、5,6才でしょうか。大人っぽい雰囲気を漂わせていますね。イタリアは子供は日本ほど子ども扱いはしません。甘やかすのは日本以上ではないかと思うほど我がままを言わせたり、男の子など周囲をものともせず騒いで駆けずり回っても、子供はそれがあたりまえと言わんがばかりに親が厳しく注意するというのをあまり見かけません。しかし、何か失敗があったりすると自分がいかに間違っていたかを理屈で分らせようとしたり、そもそも幼児語で話し掛ける大人をほとんどみません。そして子供は自分の親や周囲にいる大人をしっかりと見て育ち、自分がどんな大人になりたいかをちゃんと主張します。自分の意見がちゃんと言えるというのがイタリアでは大人の第一歩でもあるからです。最近の日本の若い女性タレントなどが子供っぽく見えたり、舌足らずに話すのが受けるようですが、イタリアの子供に笑われるだけでしょうね。やはし年相応の見え方はあるべきですし、写真にはそれが写ります。

パレルモ取材中に、下町っぽい雰囲気の通りを市場など抜けながら歩いていると、建物の出入り口の照明の下で子供がカード遊びをしていました。時間は夜の8時を過ぎた頃。 遊んでいるのはどうやら東洋系、中国人のようです。それを見ている自転車に乗った少年はシチリア人のようでした。僕も少年の頃、もう暗くなったのに街燈の下で友人たちとメンコ遊びをしていた昔を思い出しました。




カード遊びをしている子供たちと、それを見ている自転車の少年を超広角(デジタルズームレンズの焦点距離10mm)でとらえました。夏が終わって冬が近づくと日も短くなります。子供は少しでも長く遊びたいのに。

2005年11月14日

エノテカ・ピコーネ


イタリアの、ことにシチリアは古来から“テルス・エノトリア” ワインの大地と言われて来ました。最古の葡萄栽培の痕跡は中央アジア、現在のグルジアあたりと言われ、5千年あるいは7千年も昔から葡萄が栽培されワインが造られていたそうです。素焼きの甕を首まで土に埋め、葡萄をその中で潰して自然発酵させたものを飲んでいたようです。発掘された甕の底に残った種子から、年代などが解明されたのです。
 しかし、葡萄にはワイン造りに適したものとそうでないものがあります。俗に山葡萄などと呼ばれる野生種には学名ではヴィティス・ルペストリスとかヴィティス・リパリアなどがありますが、糖分が少なく酸味や渋みが強いもの、あるいはおいしいワインと感じるには適さない独特のクセを持つものが多く、ワインには糖分が高く風味の良いヴィティス・ヴィ二フェラ種が最適なのです。もっともこの名前はワインに造ってみてから適合した種類を分けるために後付けされたわけですが。

ギリシア人のワイン文化

 古代ギリシア時代になるとギリシア人の植民地や交易の拡大に従って中央アジアに誕生した葡萄が南欧の各地でも育ちます。民族と文明の移動によってワイン造りも受け継がれ、ギリシアではあの酒の神、バッカス(ディオニソス)が神話にも現れたりしていますが、ギリシア人はこよなくワインを愛したようです。そのギリシア人が紀元前8世紀頃、シチリアに植民地を建設すると同時に葡萄とワイン造りの“文化”も移植しました。やがてシチリアのシラクーサはギリシア本土のアテネよりも大きなギリシア国家にまでなったのです。

  そのシラクーサ近郊のアヴォラというギリシア都市に起源を発する土地に移植されたのが現在でもシチリアを代表する赤ワインの葡萄、ネロ・ダヴォラです。ネロというのはイタリア語では”黒”を意味しますので、赤ワイン用の黒葡萄のことで、ダヴォラはd’Avoraと綴って、“アヴォラの”という意味です。タオルミーナに“ネロ・ダヴォラ”という名前の素敵なワイン・バーがありまして、そこのオーナーが現在主にオーストラリアやフランス、アメリカなどで造られているシラー種はネッロ・ダヴォラと同根でシラクーサが起源だと主張していました。この説は過去にも何度か流れているのですが、実際にはまだ確定していません。中近東のシラーズという説もありますし、少なくともネロ・ダヴォラと同根というのはかなり新説です。



パレルモの酒屋、エノテカ・ピコーネEnoteca Picone 

 さて、シチリアの州都、パレルモに“エノテカ・ピコーネ”という大きなワイン屋さんがあります。第2次世界大戦の後、先々代のニコロ・ピコーネ氏がダミジャーナという大きなガラス瓶(通常は33リットルの容量)からワインを量り売りしたのが始まりだそうで、現在はその孫のニコラ・ピコーネ氏に受け継がれていますが、今ではレーベルだけでも7千種を下らないという品揃えを誇る、イタリアでも有数のエノテカ(“エノテカ”はイタリアでは“酒屋”を意味する“普通名詞”)です。そのエノテカのピコーネ氏もシラーとネロ・ダヴォラの同根説には疑問を呈していますが、最近はシチリアでもシラー種だけの葡萄が人気を高めているそうです。

 シチリアの人はこの島はカターニアを中心とする東部とパレルモを中心とする西部で土地の性質も文化も違うと言います。確かにギリシア側に向いた東のイオニア海沿岸にはギリシアの影響が多く残り、北アフリカを正面に見る西部では古代フェニキアやアラブの影響がより多く見られます。また、イタリア最大の活火山であるエトナ山の影響も地質的な大きな違いを形成し、カターニア近郊やエトナ山麓のワインとパレルモからアグリジェト、シラクーサ辺りまでの地中海沿岸では栽培される葡萄の品種も異なります。

 エトナ山の麓では昔から白葡萄のカリカンテやカタラットが有名で、赤ではネレッロ・マスカレーゼやカラブレーゼが主流ですが、西の方では白ならインゾリアやグリッロ、カタラットがあり、赤ではネッロ・ダヴォラが代表的な葡萄です。東と西の中間あたりにあるラグーサ近郊ではフラッパート種とカラブレーゼ種から作られるチェラスオーロ・ディ・ヴィットリアというワインが有名です。どのワインが美味しいかは好みですから、まずはいろいろと飲んで見るのが一番ですが、エノテカ・ピコーネのワイン・アドバイザー、ヴェラさんの好みは、赤ならエトナのネレッロ・マスカレーゼで、どちらかというとエレガントな風味で、西のネッロ・ダヴォラには力強いが野趣を感じるそうです。僕はネロ・ダヴォラが好きですが。

 シチリアの葡萄にはほかにも白のマルヴァジアやモスカート、パンテッレリア島特産のジビッボ(モスカートのアラブなまり)、グレカニコがあります。料理酒として世界に知られるマルサラはカタラット、グリッロ、インゾリア種の白葡萄から造られています。近年はこうしたシチリア固有の葡萄品種に加えて、フランスで主流の黒葡萄、カベルネ・ソーヴィニョンやメルロ、白葡萄ではシャルドネなどが入り、シチリア原種と合わせたりしてバラエティに富んだワインが誕生しています。最近は北イタリア特産と言われていたゲブルツ・トラミネール酒の白ワインを飲みましたがなかなか美味しい仕上がりでした。このように、シチリアのワインはかつて言われていた“ワインの大地”にふさわしくこれからもどんどんと発展し続けるでしょう。




エノテカ・ピコーネの主人とアドバイザーのヴェラさん。デグスタツィオーネと言って試飲用のグラスワインもあって値段はワインの種類によっても違いますが、このグラスの右側に並んでいるのがこの日のテイスティング用ワインです。この日僕が飲んだのはPIANA DEI CEMBALIのネッロ・ダヴォラでボトル値段は17.5ユーロでしたが、グラスでは5ユーロでした。最近はユーロが高すぎて辛い!




エノテカ・ピコーネの店の奥にはテイスティング用に大きなテーブルがあって、壁を埋め尽くすワインのボトルを眺めながらゆっくりと味わえます。パレルモに行ったおりにはぜひお試しを!ワインはイタリアのテーブルには欠かせない文化ですから。

2005年11月10日

人物編3 男性を撮る



  大宅壮一の有名な言葉に「男の顔は履歴書である」というのがあります。なるほど、なんで女の顔でないのでしょうか。人生経験を積めば、男であろうと女であろうと、その体験が顔の表情に自然と現れるのではないかと思いますが、ポーカーフェイスは女性の方が一枚も二枚も上手といいたかったのでしょうか。まあ、女性はいつまでも若くありたいと願うばかりにあまり人生の年輪を顔に出したがらないのかもしれませんね。

  男性がいつまでも若く見られるというのも限度ものでしょう。四十、五十を数えるのに子供のような顔をしていたら軽く見られるかもしれません。まあ、歳相応の顔つきが出来上がるのが一番いいのだと思いますが、寿命も延びていることですし、若干は若く見えることをほとんどの人が望んでいると思います。人の年輪を現すのは顔の皺でもあるのですが、やはり表情そのものに人生経験を感じさせるものです。

  この写真はナポリのピッツェリアで撮影したものですが、なんとものんびりした店で、僕が注文したピッツァが出てくるまでちょっと時間が掛かりました。僕は退屈しのぎに写真を撮り始めたのですが、カメリエーレのおじさんも口笛を吹きながら自分の出番を待っているところでした。しかし、御覧のとおり、腰に手をあてた立ち姿といい、顔の表情といい、大人の男の渋さとこころのゆとりを感じさせますね。同時に、いかにもナポリというちょっといい加減そうな陽気さも感じるでしょう。このまま映画の登場人物になっても不思議ではない印象だったので、当然、写真を撮りましたが、ご本人は気づいていなかったそうで、ピッツァを運んで来たときにモニターを見せたら、喜んでいました。店内の照明が右側から彼を照らし、明暗のコントラストがより立体的に見せています。


これはミラノに本社がある写真専門誌”IL FOTOGRAFO"の編集長を務めている友人です。ブレラ界隈にある”カフェ・ジャマイカ”でワインを飲みながらの撮影ですが、僕はノーファインダーで撮りました。ジャーナリストの彼は深夜の店内にいる客たちを見つめ、その手には愛用のカメラが握られています。レンズと彼の眼が同質の鋭さをを持っているように感じます。



トスカーナのワイナリー、カーサ・ディ・モンテのオーナー、マルコ・シモンチーニを酒蔵で撮った写真です。開いた扉から入った外光を利用し、顔の左右の明暗を強調することによって、力強い意志を持つ彼の性格、けっこう頑固なところも見えてます。人物を撮影するときには顔や体が向いている側に多く空間をとるのですが、この写真は背景のワインのタンクによって酒蔵の奥行き感を出すことにしました。

2005年11月08日

人物編2 女性を撮る

写真のジャンルには絵画と同様に風景、静物、人物があります。そしてまた報道や記録という分類もありますが、カメラがない時代は戦争などの記録も画家の仕事でした。僕もかつては画家を志していたのですが、絵筆をカメラに持ち替えたとき、惑いはほんの一瞬でした。レンズとカメラで描く絵画、それが僕の写真のモットーです。人物写真ではやはり女性をモデルとした写真が一番多いのではないかと思いますが、古来からギリシア彫刻のアフロディーテやダ・ヴィンチの描くモナリザ、そしてボッティチェッリが描くヴィーナスからピカソの描く妻や愛人まで、女性こそ美の象徴であり、メタファーでした。その女性を撮影するときにカメラを意識したポーズや作られた表情よりも日常のさりげない自然な瞬間のほうがよりその女性の人柄などを感じさせるでしょう。まあ、最近は肖像権とかいろいろと気を遣わなければならないのですが、それはそれとして、本人がカメラを意識しない自然な表情の美しさはなにものにも変えられないと思います。この写真は8月にシチリア取材をしたときに、タオルミーナの古代ギリシア劇場の入場管理をしている係員の女性を撮影したものですが、遺跡とタオルミーナの美しい海をたっぷりと眺めてきた後ではまさにヴィーナスが現れたかと思いつつ素早くシャッターを切ったものです。ええ、もちろん次にタオルミーナを訪れる時には彼女にこの写真をプレゼントしてきます。


この写真はレストランの隣のテーブルの女性を撮影しました。決して隠し撮りではありません。何度かシャッターを切っていましたので、きっと撮られている事には気づいていたでしょう。そんな表情を少し感じますね。後でお店のひとに聞いたらブラジルから仕事でタオルミーナに来ている常連のお客さんだそうです。店内の明かりとテーブルの上のロウソクの灯かり。一緒に来た友人の女性が席をはずした時ですが、夜の海を見つめながら母国を思っているのでしょう。


画家とモデル、女性を見るとプロのモデルさんかとも思える雰囲気ですね。ライティングは似顔絵描きの画家がセッティングしただけあっていい雰囲気ですね。実際はこれほど明るくはないのですが、最近のデジタル一眼レフの性能が向上し高感度と手ブレ防止機能のお陰で手持ちの撮影で大丈夫でした。僕は画家とモデル、ことにモデルに対してもっとも適切なアングルを探って撮りました。

2005年11月05日

光と影

  写真は英語ではフォトグラフィー、イタリア語でもフォトグラフィア、フォトはギリシア語で「光」を意味し、つまり写真は「光の絵」ということになります。光があればまた影ができる。写真は光と影の芸術とも言えるでしょう。しかし、この写真は影だけで構成してみました。トスカーナのアグリトゥリズモで朝起きてきたら、外のテーブルに朝日が当たり、面白い影を見せていました。

そこで部屋に戻って、ワイングラスとボトルをテーブルに置いてみたのです。仕掛けは極めて単純ですが、なかなか面白い「絵」ができたと思っています。影だけをモチーフに構成したのがヴェネツィアの橋の写真です。これも夜の散歩をしていて発見したのですが、イタリアは建物などのライトアップがとても魅力的なので、こうした影もまたおもしろいテーマになります。その反対に光の当たり方がキーポイントになって撮れた写真が赤ワインを入れたグラスです。これもまったくシンプルな方法で、グラスの真上から強めのランプの光が落ちて、赤ワインを透明に光らせています。コンパクト・デジカメのレンズをグラスの中に入れるようにして撮ったのがこの写真で、まるで抽象絵画のようになりました。皆さんも試してみて下さい。











イタリアの画家、キリコは強烈なイタリアの太陽が作る影を巧みに描き独特の世界を表現しましたが、太陽の国イタリアならではの光と影の織り成すシーンは実に日常的な世界です。イタリア人の多くはそのことに慣れっこになっているようですが、ある日本贔屓の写真ディレクターが、僕の写真には東洋的な影のとらえかたを感じると評したことがあります。そう言われてみればそうかもしれません。浮世絵などでも影の表現を見事に応用したものがあります。谷崎潤一郎も「陰翳礼賛」という名著を残しています。水の都、ヴェネツィアの冬の朝はまさに光と影が織り成すドラマチックな劇場空間です。

2005年11月03日

居酒屋「アッラ・マスカレータ」


アル・マスカロンの姉妹店

 アル・マスカロンの姉妹店として数年前にオープンしたのが、このAlla Mascareta(アッラ・マスカレータ)です。しかし、当時流行りだしたワイン・バースタイルがなかなか上手く行かず、店長が2,3回変わったところで、一昨年あたりに今の経営者、アルフォンソに譲られました。アルフォンソは見かけも喜劇俳優のような面立ちと服装で目立ちます。どうじに、ひょうきんな応対で軽妙に客をさばき、また美味しい料理とワインのリストもなかなか魅力的で、どんどんとお客を増やし、今ではヴェネツィアでも有数の人気店となり、毎晩、外にも客が溢れるほどです。近年はヴェネツィアに行ったときにはツアーの同行以外は書店をやっている友人、ルイジ・フリッツォが貸している部屋に泊るか、一軒家を借りることにしていますが、アッラ・マスカレータのとなりにルイジの家があるのです。そんなわけでルイジともちょくちょくこの店にワインを飲みに入ります。また、かつてやはりマスカロンのジジとモミが持っていたヴェーチョ・フリトリンという店を1年ほど任されていたトレヴィーゾ近郊の若い兄弟たちがいましたが、彼らもこの店のお気に入りです。といっても今は故郷のジャヴェア・デル・モンテッロで創業1780年という老舗の有名レストラン“アニョレッティ”を譲り受けてがんばっているので、ここに来るのはたまに休日の時だけですが。アル・マスカロンにしろ、アッラ・マスカレータにしろ、他の店とちょっと違うのは仕事が終わった後の同業者のコックやバリスタが来ることでしょう。それだけプロも認める料理やワインの美味しさがここにあるし、やはり経営者の人柄が同業者にも好かれているからです。日本でも最近はヴェネツィアやフィレンツェの居酒屋を真似した造りの店が増えてきましたが、やはり大事なのは経営者や従業員が居酒屋に来るお客の心を理解したサービスをできるかどうかですね。
 

ジャヴェラ・デル・モンテッロの老舗レストラン、アニョレッティのシェフ、マッシモは牡蠣や生の貝が好物。ちょうど今ごろの季節から牡蠣が美味しいので、ヴェネトの山育ちの彼はヴェネツィアで牡蠣を食べるのを楽しみにしています。


さて、好物の生牡蠣を充分に食べるとこんな顔になるようです。背景の写真と牡蠣は関係ありませんが・・・

2005年11月01日

居酒屋「アルマスカロン」


 ヴェネツィアの居酒屋でもっとも人気がある店と言えば、このAl Mascaron(アル・マスカロン)でしょう。サンタ・マリア・フォルモーザという教会の広場から細い路地を入っていくと右側にあります。店の名前の由来はその教会の鐘楼の下にあるレリーフで、異様な怪人のマスク〔面)があります。路地にもCalle lunga S.Maria Formosaと名前が付いています。その先を抜けると病院のあるサン・ジョヴァンイ・エ・パオロ教会があるので狭い路地ながら人通りも多いところです。この店が出来たのは70年代初めで、ジジとモミという共同経営者が始めました。ヴェネツィアでイギリス映画「007」の撮影が行われ、その時にジェームズ・ボンド役だったロジャー・ムーアがこの店を気に入り、毎日のように通ってきたそうです。そのせいでしょうか、僕がこの店に行き始めた90年頃にはすでに海外でも知られていて、夜などは外国の観光客でいっぱいでした。それは今でも代わらないのですが、ランチタイムには地元の常連が決まって座るテーブルがあったりして、地元に人たちからも愛されています。写真に写っている大きなボトルがダミジャーナと呼ばれ50リットル入りのワインボトルです。料理も美味しく、ヴェネツィアに数日滞在できる時には一度は必ずここで食べます。


アル・マスカロンで撮ったお気に入りの一枚。彼らはヴェローナからヴェネツィア観光に来たカップル。ヴェローナと言えば、シェークスピアの「ロミオとジュリエッタ」の物語の舞台になった町。ヴェネツィアで存分に逢瀬を楽しんでいるのでしょう。こうしたドラマッチックなシーンがしばしば見られるのもヴェネツィアの居酒屋の楽しさです。


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 2004年11月、ヴェネツィアで写真展(www.toshi-shino.com)を開催した。

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