子供の領分

「旅の写真術」の人物編として女性と男性の写真について語りましたが、今日は子供がテーマです。子供は世界共通の表情を見せます。イタリアでもヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、シチリアと場所が変わっても子供は皆同じです。時々、中東やアジアなどの紛争地域での子供の写真などを見ますが、緊迫した状況が目の前にないかぎり
子供の屈託の無い笑顔と澄んで輝く瞳は共通したものだと思います。だからこそ、子供は宝物なのですね。大人たちがどんな馬鹿げたことをしでかしたとしても、子供は神様から授けられたままの無垢な心で僕らを見つめ、微笑を返してくれます。この最初の写真はシチリアのスコペッロというパレルモからトラパニ方面へ行った海岸沿いの漁村で撮りました。漁村と言っても、かつてはマグロ漁の基地がありましたがいまではそれもなく、バリオという荘園の名残の周辺が避暑地になっているだけですが、美しい海岸線と砂浜があります。
誰もいない海を眺めながら、この村に着いて散策していたら、まだ2歳位の女の子が「Come ti chiami?あなたのお名前はな~に」と話し掛けてきました。自分の名前を言いながら、その子の名前を聞くと、イライアとか、なんかアラブ系の名前でした。この辺りはアラブの影響が多く残り、また今でもチュニジアやモロッコの移民も多く住んでいます。黒髪と黒い瞳はまさにアラブ系でしょうね。しっかりとこちらを見つめ、すでに足つきはポーズをとっているかのようです。見知らぬ異邦人にも物怖じしない可愛い子でしたので、安心してシャッターが切れました。しばらくして、お母さんが「誰と話しているの、家の中に入りなさい!」という声が聞こえました。
子供を撮影するときの基本は自分の目線の高さを合わせることなのですが、こうして上から見下ろすアングルで撮影すると、小さな子供はより小さく、可愛らしく見えますね。

この写真はパレルモから80キロばかり北上したチェファルーという町で撮影しました。この町も年々観光地化され土産物屋などが増えてますが、そんな店先の人形に惹かれて 立ち止まった自転車の女の子がこちらを向いた瞬間です。もう、5,6才でしょうか。大人っぽい雰囲気を漂わせていますね。イタリアは子供は日本ほど子ども扱いはしません。甘やかすのは日本以上ではないかと思うほど我がままを言わせたり、男の子など周囲をものともせず騒いで駆けずり回っても、子供はそれがあたりまえと言わんがばかりに親が厳しく注意するというのをあまり見かけません。しかし、何か失敗があったりすると自分がいかに間違っていたかを理屈で分らせようとしたり、そもそも幼児語で話し掛ける大人をほとんどみません。そして子供は自分の親や周囲にいる大人をしっかりと見て育ち、自分がどんな大人になりたいかをちゃんと主張します。自分の意見がちゃんと言えるというのがイタリアでは大人の第一歩でもあるからです。最近の日本の若い女性タレントなどが子供っぽく見えたり、舌足らずに話すのが受けるようですが、イタリアの子供に笑われるだけでしょうね。やはし年相応の見え方はあるべきですし、写真にはそれが写ります。

パレルモ取材中に、下町っぽい雰囲気の通りを市場など抜けながら歩いていると、建物の出入り口の照明の下で子供がカード遊びをしていました。時間は夜の8時を過ぎた頃。 遊んでいるのはどうやら東洋系、中国人のようです。それを見ている自転車に乗った少年はシチリア人のようでした。僕も少年の頃、もう暗くなったのに街燈の下で友人たちとメンコ遊びをしていた昔を思い出しました。




カード遊びをしている子供たちと、それを見ている自転車の少年を超広角(デジタルズームレンズの焦点距離10mm)でとらえました。夏が終わって冬が近づくと日も短くなります。子供は少しでも長く遊びたいのに。

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コメント (6)

ito-ani:

イタリアには少年時代のノスタルジアが残っていますね。

マカロニしのちゃん:

そうなんです。イタリアには僕が少年の頃の思い出を蘇らせてくれるものがたくさんあります。東京は変わることに生き残る道を見出しているかのようですが、イタリアには変わらないものの大事さをちゃんと分っているところがいっぱいあるような気がします。シチリアと言えばマフィアというステレオタイプな見方がありますが、それ以前に横繋がりの社会構造、つまり、まずは家族、兄弟、親戚、そして友人というネットワークが社会を形成しています。日本もかつてはそのような部分も多くありましたし、徳川幕府の管理社会のように縦の構造もしっかり作られ、しばらくは縦横が網の目のような構造になってなかなかうまい機能を果たしてきたと思うのですが、アメリカ並みの核家族化や経済効率優先の社会構造が横のネットワークを脆弱させてしまったようですね。若年層の犯罪は親族間の争いが目立つのもそのせいではないかと思いますがいかがでしょう。不景気になるとなおさらせちがらくなり、社会も荒廃を早めますね。その歪みが都会よりも地方で結果となって現れているようにも思える昨今です。どこか郷愁を感じる世界があるのは救いでしょう。

venexiana:

篠さん、お久しぶりです。
子供の写真って、とってもほっとします。国や政治に拘らず、その一途さって素敵ですね!!!

「最近の日本の若い女性タレントなどが子供っぽく見えたり、舌足らずに話すのが受けるようですが、イタリアの子供に笑われるだけでしょうね。」
本当に!!!! おっしゃるとおりです。日本ていつからこんなになっちゃったんでしょうか???
イタリアが好きな理由: 大人は大人でいることに誇りを持っていること。 男性は男性らしさを目指していること。女性は大人の女性としての美しさを追求していること。お年寄りは年相応の気品に包まれていること。なんです~。それにもちろん VINO, CIBO, DOLCE, etc....結局すべてでしょうか。

オンブラしのちゃん:

venexianaさん、イタリアのテレビを見ているとコマーシャルでも、とってもセクシーなどきどきするようなのがありますね。また、街中の大きな看板にまるで男性雑誌のグラビアみたいに煽情的なポーズのモデルさんとか、で、それがジェラートやクリーム・チーズのCMだったりして。たしかに、男と女、子供と大人、そしてお年よりがそれぞれ自分の役割をちゃんと自覚していると感じます。僕はいつも彼らは神様から役割を授けられた役者でこの世は劇場と認識しているのだと思っています。いい役者がそろっていて舞台装置もばっちりだから写真を撮っていて楽しいのです。

どばし:

子供の笑顔や遊んでいる姿は、心がやすらぎますよね。

最近の日本では、子供たちが犠牲となる事件が多く
親も神経質になっている事もあり、日が暮れても
外で遊んでいる子供を見る事が少なくなりました。
子供の居場所が分かるケータイなど、子供の自由も狭まり可愛そうです。
誰のせいかと言えば、大人なんですけどね。

オンブラしのちゃん:

どばしくん、コメントありがとう。イタリアでも近年は家でゲームに夢中になる子供が増えてるね。友人の家に行ったら子供部屋のドアに時間表が貼ってあって、ゲームもテレビも最大2時間までとお母さんが厳しくチェックしていた。子供も素直に従っていたね。庭が広いので僕が行くといつもサッカーの相手をさせられるのだけど、これが最近きついなぁ。30分も走り回るとハァハァするよ。でも、子供たちは日が落ちて、お母さんから夕食ができたわよと声が掛かるまで走り続けるんだ。
社会は大人だけでもだめだし、子供だけでも成り立たないもの。親と子、大人と子供の関係がちゃんとしてないと本来ありえない犯罪も事故も起こるわけだね。イタリアで友人の子供の幼稚園とか小学校に招かれて日本の話をしたりすることがあるけど、小学校4年生くらいまでは日本もイタリアもほとんど同じかなぁ。物心つき始めると、住んでいる環境や社会の影響で変化がある。日本はちょっと捩れすぎという印象は否めません。最初はみんな真っ白なカンバスだったのに。

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篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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