歴史とみどころ ~ミラノのナヴィリオ運河~


イタリアでファッションをモーダといいますが、ミラノはイタリア・モーダの代名詞でもあります。パリ・コレを手本に誕生したミラ・コレですが今や世界のファッション界の双璧をなしています。そのお洒落な町ミラノで僕が最も好きな界隈がここナヴィリオです。かのレオナルド・ダ・ヴィンチがミラノに呼ばれ、城壁やドゥオーモの建設にも天才的な知恵を発揮しましたが、この運河もそのひとつでダ・ヴィンチが設計したものです。このナヴィリオ・グランデと呼ばれる運河はアッビアーテグラッソという町まで続き、そこから建設用の石材の運送に使われていました。もうひとつの運河は修道院のあるパヴィアに繋がっています。ダ・ヴィンチはフィレンツェでメディチに雇われていた頃、マキャベッリと共同でアルノ川を利用して下流にあるピサを水攻めにする軍略を試みたことがあります。それは実現には至りませんでしたが、その時の研究がミラノで活かされたのです。一昔前のナヴィリオには画家など芸術家が好んで住んでいましたが、最近はレストランやピッツェリア、洒落たワイン・バーなどが増えて、一段と賑やかな雰囲気になっています。また、日曜日には骨董市なども運河沿いに立ちます。ナヴィリオを訪れるとしたら、夕食をこのあたりのレストランに予約して日が落ちる少し前の夕暮れの散策を楽しんではいかがでしょう。古きよき時代のミラノのもうひとつの顔を味わえるでしょう。

ミラノにはトラムと」呼ばれる路面電車が走っています。ナヴィリオ運河のあたりにも線路が縦横に敷かれ、夜の街燈に照らされて光っています。僕が生まれたのは東京の下町、飛鳥山公園の近くですが、そこには今も都電の荒川線が唯一残されて走っています。少年時代からそんな風景に親しんできたので、イタリアのローマやミラノで路面電車を見ると懐かしさが沸いてきます。東京は自動車が優先されいつのまにか消えてしまいましたが、ミラノでは車とトラムが今でも共存しているのです。

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コメント (2)

Yoko:

いつも楽しみに拝見しています。
さすがに私の写真と違って、素敵なナヴィリオですね。
素敵・素敵!
実は、このあたりに住んでいたものの、大学の課題の多さに追われて夜は殆どこのあたりをふらついていませんでした。 La sera がこんなにきれいだったとは!!
ああ、もう少し遊べば良かった・・・。

ナヴィリオしのちゃん:

日本は海に囲まれているし、僕は隅田川とか荒川の水辺に近い下町で育ったので、やっぱり川とか運河が近いと心が和みますね。ヴェネツィアが大好きというのもそういう理由です。
水を征するものが国を征する、とか故事があるけど、水のように変幻自在な心の柔軟性がクリエイティブな仕事には必要でしょうね。ダ・ヴィンチが水を研究したのもそういう面白さを発見したからだと思います。運河あれば(運があれば)またいつでもミラノで遊べますよ!

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篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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