
トスカーナ州のピサと言えば、あの斜めに傾いた鐘楼を思い浮かべますね。この 斜塔があまりに有名なためにピサ県を訪れる人はほとんどこの斜塔を見るだけで終わります。かく言う僕もヴォルテッラには2度ばかり訪れたことがありますが、ピサは斜塔を見るために3度訪れたばかり。ましてや他の観光地や名所旧跡となるとまだまだ知らないところがいろいろとあります。つい先週もピサの商工会議所の招待で3泊だけの視察旅行に行ってきたのですが、ヴォルテッラやサン・ミニアート、カルチなどを訪ねる機会がありました。
カルチはピサの東8kmほどのところにあります。周囲はオリーブの林と小麦畑に囲まれた田園地帯です。1366年、この地にカルトジオ会の修道院が建てられました。カルトジオはフランスではシャルトルーズ、ここで造られているリキュールが有名ですね。11世紀に建てられたシャルトルーズの修道院からイタリアにやってきてた修道士が14世紀半ばにこの修道院を建てたのですが、現在のような姿は17世紀の聖ブルーノによって再建されたものです。その後も小回廊や噴水の庭園、バロック様式の教会や礼拝堂が増設されています。


畑に面した大きな門をくぐると芝の庭が広がり、教会堂を中心にした大きな建物が堂々と建っています。教会堂のファサードはバロック様式ながら全体的にはルネサンス様式で左右対称の調和を持たせた装飾は控えめの建物です。しかし、教会堂の中に一歩足を踏み入れたとたんに、左右の壁や天井を埋め尽くすダイナミックなバロック様式のフレスコ画に目を奪われます。天井画は1600年半ばに、壁画は1700年の始めに描かれたものです。

これらの荘厳な内部を見るとかなりの隆盛を誇った時代があったのだろうと想像にやすいのですが、時代の趨勢で修道士がいなくなり、1972年からはピサ大学の管理するところとなり、自然史と郷土史の博物館となっています。原則的には院内の撮影は禁止されているのですが、ピサ商工会議所の取り計らいで特別に撮影を許されました。
チェルトーザ・ディ・ピザの教会内部は壁画ばかりでなく、床を埋め尽くす大理石装飾も素晴らしく興味深いものです。一見、立体に見えますが、これは白と黒とグレーの大理石の板を組み合わせて造られたモザイクの床で、もちろん滑るほど平らです。 現代のデザインとしてもまったく違和感を感じない斬新な装飾で、本来は質素な暮らしがモットーの修道院とは思えない豪華さです。大理石の産地として有名なカッラーラが近くにあるのですから大理石装飾の技術が優れているのは当然のことでしょうね。教会のファサードやこれらの仕事は1700年晩期の建築家、ニコラ・スタッシによるものです。

教会堂を抜けて僧院の方へ回るととたんに雰囲気はシンプルなものとなります。ことに修道士が起居する部屋は小さなベッドと礼拝のための椅子と書見台、そして神学書が置かれている小さな書棚があるのみです。しかし、部屋は思いのほか広く造られています。他の修道院と比べても1.5倍から2倍くらいの空間で窓も大きいのですが、厳格な規律の中で日々を送る修道士が自室ではゆったりと寛げるような配慮があったそうです。17世紀後半から18世紀に増築、改装があったので、その時に改善されたのでしょう。
この部屋の壁には四角い小窓が穿たれていて、その窓の蓋にある小さな穴から中を覗きこむことができます。修道士は基本的には24時間、年がら年中沈黙の生活を送ることが基本的な規則となっており、例え他の修道士と一緒にいても言葉を交わすことは許されません。そしていろいろな規則に則った生活をしているか、時々、他の修道士が監視したりするわけです。また、修道士が病気になったりして、他の修道士の助けが必要なときにはこの小窓の所にロウソクを灯して置くのです。
生活の基本は自給自足の共同体ですから、野菜や果物の生産や家具の製作、また薬 草の研究と薬の製造など様々な仕事があります。ことに西洋の薬学はこうした修道士の研究によって発展したと言えます。当時は文字を読むことが出来るのは聖職者や修道士などのごく一部の人たちで、彼らはラテン語やギリシア語、アラビア語などを学び、様々な学問に長けていました。もちろん、これらの仕事以外の時間は祈りと瞑想の時間です。食実は昼と夜の2回、野菜を中心とした質素なものでした。

イタリアの修道会には11世紀にウンブリアのノルチャに始まったベネディクト会や13世紀のフランチェスコ会が特に知られますが、フランスからもカルトジオ会やシトー会など厳格な戒律の修道会が誕生し、イタリアにも修道院を建てています。トスカーナの廃虚の修道院として有名なサン・ガルガーノの修道院も元はフランスから来たシトー会の修道院です。
修道士の規則正しい日常生活を維持するためには時計はとても大事なものでした。機械仕掛けの時計が発明されるまえにはどこの修道院にも日時計がありました。その頃は夜明けとともに目覚め、まず祈りを捧げ、そして正午頃まで労働して昼食を摂り、午後の2時頃から日暮れまで労働し、7時頃から夕食をしたあとにまた夜の祈りの時間になります。睡眠は7時間は充分にとることを決められていました。
修道士たちは名前でなく”A”とか”T”などアルファベットの頭文字で認識されていたそうです。そして、互いに言葉でコミュニケーションが出来ない規則の彼らは、日々の役割分担などを修道院長あるいは監督の役割のある修道士が、役割分担を支持するための掲示板を使って伝えるのです。
また、修道士たちは死後も自分達の名前が墓石に彫られるというようなこともなく、ただ土に帰るのみです。修道院ないには彼らの墓地もありますが、そこにはただ十字架が立つのみです。墓地の入り口の両脇の柱の上にはリアルな大理石彫刻の頭蓋骨がありましたが、常に死を思いつつ生きる生活ですね。天国は神に召されて初めて見るのです。僧坊から墓地の向こうにある庭園と噴水は天国の象徴なのです。この噴水の頂点には聖母像が載る水盤があり、それを支えるイルカの像はカルトジオ会が誕生したフランス国の象徴です。


コメント (4)
篠さん、お帰りなさい。
今、ピサの観光3つ見ました。どれも素敵ですね。
なかでも特にこのチェルトーザ・ディ・ピサの修道院の修道層の話に心を留めました。
私はここ1年、イタリア美術史を習っているのですが
(って書いたらかっこいいですが、全く知らないので知りたくなっただけです・・笑)
最近、ジョットの絵画とジョットが描いたといわれる絵画を通してアッシジのサンフランチェスコの生涯に触れる機会がありました。
サンフランチェスコも、現在の修道僧にもいえることですが、
これほどに生活を変え、生涯を修道僧として生き、まっとうすることに、私は胸が熱くなります。
ちょうど、今朝も電車の中で、昨晩習ったばかりの絵画の事を思い浮かべていたので、篠さんの話でまたまた心がストンと入り込んでしまいました(笑)。
ところで・・・、
チーズも修道院の修道僧が研究を重ねてきた努力のおかげで、今の私たちの食卓を豊かにしていたりします。特にフランスが多いですが・・・。
なんだか、そういうつながりがあるところに(勝手にですが)身を置くことが出来ることに、今、とてもロマンと感謝を感じます。
篠さんありがとう!
投稿者: vinoeformaggio | 2006年06月27日 10:07
日時: 2006年06月27日 10:07
神に奉げる一生は、どの宗教でもあまり変わらない。
現代の「ジーザス・クライスト」キリスト教とは、何か根底が違うような気がします。
名を持たず、己を無くし、そんな彼らの幸せとは、何処にあったのだろう?
お写真、素晴らしいです。覗き窓のお写真は、フェルメールの絵のようです。
大理石の床の模様を見ていたら、今のコンテンポラリーアートが、既に歴史上に存在した芸術作品の模倣からした成り立たないのが、よくわかりました。
投稿者: @M | 2006年06月28日 20:46
日時: 2006年06月28日 20:46
@Mさん、己が、己がという意識、心が全ての煩悩の始まりですね。「我思う、故に我あり」、これは本当のことでしょうが、この我は果たして本当の我なのでしょうか?たかが自分が思う程度の我でしかない極めて曖昧な存在でしょう。他者から見た我、自分から見た我、いずれも真実の我と言えるのかどうか。漱石は「則天去私」という言葉を好んだそうです。「坊ちゃん」、「我輩は猫である」、「こころ」、あれほど「我」に苦悩した作家の行き着くところは「知に働けば角が立つ。情に棹差せば流される・・・」でしたね。修道院という時空を越えた世界を訪れ、そこに生涯を投げ打った人がいると、思いを馳せた時だけでも自分を忘れることができました。決して閉ざされた世界ではないのです。むしろ、宇宙へ広げられた心を開くところなのかもしれません。
投稿者: フランチェスコしのちゃん | 2006年07月04日 14:05
日時: 2006年07月04日 14:05
ファイト!!
投稿者: ♪とろぴかりずむ♪ | 2007年01月10日 12:27
日時: 2007年01月10日 12:27