ヴォルテッラに最初に町を築いたのはエトルリア人です。エトルリア人は紀元前9世紀、あるいはそれ以前に小アジアからイタリア半島にやってきた民族であるということはこれまでの研究で確認されています。かつては元々イタリアから発生したというと説く学者やロレンツォ・メディチのように自分の祖先はエトルリア人であるとトスカーナ人の純血性を強調する発言もありますが、エトルリア人の信仰する肝臓占いなど古代バビロニア人の風習に似たところも多く、現在では小アジアからの渡来民族であることが確認されているのです。


南はナポリ周辺から北はボローニャ周辺までエトルリア人が町を建設し住んでいたことが遺跡などから分っていますが、中心となったのはローマを流れるテベレ川上流のウンブリアから地中海沿岸のトスカーナです。トスカーナの語源もローマ人がエトルリア人をトゥスキあるいはエトルスキと呼んでおり、その大地をエトルスカーナと称していたことに始まります。ヴォルテッラには紀元前7世紀末にエトルリア人が都市建設を始めたようです。
ヴォルテッラのドン・ミンゾーニ(Don Minzoni)通りにあるグアルナッチ(Guarnacci)エトルリア博物館には近郊から出土したエトルリアの発掘物、とくに石棺や600を数える骨壷の収集でイタリアで一番と言われています。テラコッタ製や特産のアラバスターという透明感のある白色のやわらかい石に見事な彫刻を施したもので、着色の痕跡が残っているものもあります。また、金や銅を使った装飾品などを見ても、彼らが大変繊細な芸術的なセンスを持った民族であることが分ります。トスカーナで産出される鉄を求めてやってきたギリシア人との接触によってエトルリアの文化は急速に発展し、始めはローマを支配し、それが逆転しながらイタリア半島での文化の礎となったのです。

この博物館にある傑作と言われるのが1879年に農夫が発見したという少年のブロンズ像です。僕は90年代にこの像を見たくてヴォルテッラを訪れたことがありますが、ジャコメッティの彫刻作品を思わせるその像はいつまで眺めていても見飽きないものでした。
近代の詩人・小説家であるガブリエーレ・ダンヌンツィオはこの像にOmbra della Sera”夕暮れの影”と命名しましたが、まさにその名にふさわしい趣きのあるブロンズ像です。以前に見たときには黄色く変色したプラスチック製の円筒形のケースに入れられていましたが、今は透明なガラスケースに保管され、より見やすくなっています。それにしても、最初に発見した農夫はこれが何であるかも分らず、暖炉の火掻き棒に使っていたそうですから、エトルリアの少年もずいぶんと熱い思いをしたのです
ね。
ヴォルテッラの町を歩いていると西日が石畳を照らしていました。そこに立つと、まさに”夕暮れの影”が現れました。

