
今から40年前の1966年の11月4日、フィレンツェの中心を流れるアルノ川が豪雨により大洪水を起こしました。水位はどんどんと上昇し、最も被害が大きかったサン・クローチェ教会は5mも浸水したそうです。当然、アルノ川を挟んで盆地の中に築かれたフィレンツェの町のほとんど全域が浸水という大被害で、ポンテ・ヴェッキオの上の貴金属店などの商店も押し流され、右岸にあるウッフィッツィ美術館の地下倉庫にも濁流は押し寄せ、ここだけでも、8千点、1万点とも言われる美術品が壊滅的な被害を受けました。
世界の主要都市にはほとんど必ず大きな川が流れ、観光の名所にもなっています。パリにはセーヌ、ロンドンにはテムズ、ニューヨークにはハドソン、ウィーンにはドナウ、東京には隅田川、そしてイタリアのローマにはテベレ川が流れています。橋の上から、川の流れを見つめながら、様々な思いが脳裏を過ぎるという経験を持った方も少なくないと思いますが、川の流れはまた時の流れにも似たものがありますね。時には激動の時代と言われるように、戦争や自然の大災害が歴史に大きな傷跡を残したりしますが、時の流れも、川の流れも普段は穏やかで、日々あまり変わりないように見えるものです。
アルノ川の上流はフィレンツェの北東部、アペニン山中のムジェッロとカゼンティーノの森の間から流れ出ています。標高千メートル程の源流から南下して、アレッツォの手前で大きくUターンをしてフィレンツェの町中を通り抜け、ピサの町から地中海に注いでいます。数年前にフィレンツェの友人と源流を訪ね、ちょうどポルチーニ茸が旬の季節だったので、収穫を楽しみ、また翌日はカマルドリのカルトジオ会の修道院を訪ねました。千年ほどの昔、聖ロムアルドとその弟子達が完全な隠遁生活を送った場所で、薬草の研究を調査に行ったのですが、周囲はまた栗の林が広がり大きな栗の実がころころと落ちていました。
山からフィレンツェの町に下りてあらためてアルノ川を眺めてみますと、山に大雨が降ればすぐに水嵩を増し、濁流は時には大洪水を起こすこの川により親しみが湧いてきます。
水を制する者は国も制すると言われるように、かつてメディチ家はマキャベッリとレオナルド・ダ・ヴィンチとの共同で、アルノ川に堰を築き、溜めた水を一気に流して、下流のピサを攻めるという戦略を考えました。その戦略は途中でマキャベッリが失脚したため、未完のままに終わりましたが、ダ・ヴィンチはその時の研究をミラノの運河造りに活かしたのです。大自然の猛威による洪水はフィレンツェをたびたび脅かしました。フィレンツェの町のところどころに、1966年の洪水の水位の位置を示す記録の印があります。

サンタ・トリニタ橋から眺めたポンテ・ヴェッキオ。トリニタ橋の橋柱の上には時々、カップルが降りて、川の上なのに”水入らず”の時を楽しんでいます。

アルノ川岸に面したウッフィツィ美術館の周辺には似顔絵画家がたくさんいます。午後の西日が石畳に反射して、逆光のモデルを美しく照らしていました。

アルノ川がもっとも美しく見えるのは、やはりなんと言っても夕陽が川面を紅く染める頃でしょう。夕陽に照らされながら、川の流れと共に今日の出来事を思い出しながら、一日の終わりを迎えます。もっとも、美食の町でもあるフィレンツェでは、日が沈むとすぐに楽しみな夕食が待っているのですが。

