日も落ちて、街燈に明かりが灯り始める頃、リアルト橋を市場側に渡り、運河沿いに並ぶ観光客向けのレストランの呼び込みには耳を貸さず歩いていくと、右手に“カッレ・デッラ・マドンナ(マドンナの小路)”があります。ここには日本のたいがいのガイド・ブックに紹介されている”マドンナ”というレストランがありますが、それも通り過ぎて先へ行きます。すると店の外でグラスを片手に語り合う人たちが目に入り ます。グラスの中身はたいがい赤ワインです。この店の赤ワインは旨い。メルロ、カベルネ、近郊のトレヴィーゾ周辺で造られる、いわば地酒です。しっかりと濃厚な造りで、ゆっくりと談笑しながら味わえる。仕事帰りの職人、画家、写真家、いつもの顔が集まる。ヴェネツィアに来るたびにここに立ち寄って1杯、2杯と飲んでいるうちに、すっかり彼らの仲間になりました。写真家のカルロとはリアルトのアーケードの横丁にあるサクロ・エ・プロファーノで初めて出会って、以来、たいがいは一緒に2,3軒のハシゴをするようになりました。画家のフランコとはここで知り合い、彼をモデルにお気に入りの一枚の写真が撮れました。やがて、顔なじみが5人、6人と増えてひとしきり語り合った後、また次の店へぶらぶらと歩き始めます。
“アル・ディアボロ・エ・ラックアサンタ”があるカッレ・ディ・マドンナ(マドンナの小路)
いつもこの店で出会う友人たち。煙草に火をつけているのが画家のフランコ、その左は写真家のカルロ、右は貴族の末裔、ピエロ。
老舗が多いヴェネツィアの居酒屋の中で、ここはさほど古くはありません。1998年7月12日がこの店の誕生日。その翌年の春、いつものようにサクロ・エ・プロファーノに行って、八百屋のジョルジョにで出会うと「トシ、アックアサンテにはもう行ったか?シルヴァーノの店だ。え、まだ行ったことがない?新しくできた店でいいワインを飲ませるぞ」と言いつつ一緒に行きました。すでに顔なじみが何人もいて、店主のシルヴァーノ、カウンターで客の相手をしている息子のニコラを紹介してくれました。確かに、美味しい、上等のワイン。それ以来、ヴェネツィアに来ると必ずこの店に寄るようになりました。
シルヴァーノは代々船乗りの家柄に育ちました。店にはボガロンガ、レガッテ・ストリカなどヴェネツィアの船の競技や祭りや古いゴンドリエたちの写真などがたくさん飾ってあります。ゴンドリエの常連も多く、みんな父親の時代からの幼馴染み。店は新しいけれど、この店には古き良き時代のヴェネツィアが生きていて、もう何十年もやってきたかのような雰囲気があります。老舗の店でも経営者がころころと変わり、その都度店の雰囲気も客の顔ぶれも変わる店も少なくないヴェネツィアで、ここに来ると昔のヴェネツィアを感じることができるのです。この店で出す料理はすべてヴェネツィアの郷土料理。他の居酒屋ではピッツァを出すところもあるけれど、シルヴァーノはやらない。大勢の観光ブループのお客も丁重にお断り。グループならせいぜい5,6人にして欲しい。もちろん、外国の観光客が着てくれるのは嬉しい。しかし、何よりも地元の常連を大切にしたいし、自分の生まれ育ったヴェネツィアの伝統をしっかりと受け継いでいきたい。これがシルヴァーノがこの店をやり続けるエネルギーにもなっています。


(左)ヴェネツィアの船乗りの魂を内に秘めている亭主、シルヴァーノ。後ろに画家、フランコの作品がある。(右)シルヴァーノの奥さんとゴンドリエの友人たち。サン・マルコの船着場が彼らのテリトリー。
この店は小さな子供もいる家族でも楽しめる。ヴェネツィアっ子の常連、シルヴァーノの親類などがやってくる。
イタリアの子供は絵を描くのが大好き。


(左)左から干鱈のバッカラ・マンテカート、蛸のマリネ、鰯のサルデ・イン・サオール。どれもヴェネツィアの名物料理。(右)極旨のイカ墨のスパゲッティ。
ヤリイカ、ホタルイカ、アンコウのフリット。まさに天ぷら、日本人の口にも違和感はまったくない。
昔は当たり前だったけど、家族でやっている店は少なくなりました。顔なじみの居酒屋の30軒ばかりを思い浮べても、家族でやっているのはカ・ドーロの“ラ・ヴェドヴァ”、リアルトの“アッラルコ”、そしてシルヴァーノの“アル・ディアヴォロ・エ・アックアサンタ”くらい。家族で経営していれば人件費を節約できる分だけ、 良質の食材やワインを使えます。それだけ味の良い店になります。何よりも店の雰囲気が温かい。イタリアは何よりも家族を大事にする国柄ですから、美味しい店、感じのいい店はたいがい、家族経営です。そうやってクオリティを高めればお客も増えて商売も繁盛するわけです。食べ物屋ばかりでなく、靴や衣服、家具など家族経営で世界に名を成しているブランド企業が成長しています。
この間、シルヴァーノ店に行ったら入り口にメニューが貼ってありました。イタリア語、英語の他に日本語も入っています。日本人のお客はマナーがよいと好感を持たれています。ガラスの店に行っても、アメリカの客はやたら商品を勝手に触って挙句の果てには落として壊したりする。でも、日本人は静かで、欲しいものはちゃんと聞いてから手に取ったりするからいいね、と聞いたことがあります。僕が昔、バーカリの本を出そうとしたとき、ヴェネツィア通と言われる学者やヴェネツィア在住の彼の友人から猛反対されたことがあります。曰く、日本人の観光客に荒らされるからと。僕は我慢してその企画を諦めました。すると、その学者が間もなく出した本にはしっかりと自分で紹介していました。今ではどんなガイドブックにもバーカリが紹介されるようになりましたが、日本人の観光客が荒らしているなんてことにはなっていません。むしろ、このような地元の庶民が来る店を分りにくい路地裏に求めて来るほどの日本人の観光客こそ、本当にイタリアを愛し、またイタリアに好かれる人たちで、居酒屋もちゃんと文化交流の場の役割を果たしています。
サルデ・イン・サオール、バカラ・マンテカ、ビゴリ・イン・サルサ、ゴ、ビズィ・エ・リズィ、コテギン・エ・ファゾイ、フィガ・アッラ・ヴェネツィアーナ、 カノーチェ・エ・カペサンテ、カパロッソリ・アッラ・ヴェネツィアーナ、モエッケ、カストラウーラ、ポルペッタ、フォルピ、セペ・ネーレ、・・・さて、これらは何のことでしょう?ヴェネツィアのシルヴァーノの店に行ったら、メニューからこれらの料理を探して、オンブラと一緒に味わってみて下さい。回答は行ってからのお楽しみです。


コメント (3)
メチャクチャ美味しそうですね。イカ墨スパは吸い込まれてしまいそうな魅力です。お金貯めてベニスに行くべきなような。恐ろしいほど魅力がありますね。
投稿者: ito-ani | 2006年11月22日 22:23
日時: 2006年11月22日 22:23
出発まであと一ヶ月程となりました。今回初めて、本格的なバーカリにデビューしようとしてますが、今までは神聖で侵してはいけないような気がしてましたし、京都のお茶屋さんや銀座の老舗バーのような、目に見えない高い敷居と厚いカーテンを感じてもいました。三顧の礼もどきのヴェネツィアへの礼を尽くしてからやっと入って良いのかな?という気持ちになってきています。そのオーラのような空気を感じることが出来ず、ここで過去にご紹介いただいてるお店の悪評を某サイト等で書いているかわいそうなツーリストもいますね。どうやらサイトの口コミで評判が良かったから行ったようです。だから、本にするのは難しいという某先生のご意見は半分当たっているのかもしれません。その、某先生の著書を拝読したときにお店の紹介に、「ご自分の著書を読破するような旅人には入店を許可する、という踏み絵のようだ」と微苦笑しました。
投稿者: おーぱすわんわん | 2006年11月24日 12:37
日時: 2006年11月24日 12:37
おーぱすわん様、あと一ヶ月、まだまだいろいろと下調べの時間はありますね。確かに、移り変わりが激しい、飲食の世界、日本では”水商売”と称されますが、その水物の水源は結局はわれわれ客となる立場の不特定多数かつ不確実な嗜好によって振り回されているのが現状です。それを簡単に、あそこは不味くなったとか、外人の観光客ばかりになって雰囲気が悪くなったとか公のサイトや媒体で批判するのは大間違いだと思います。それぞれのお家事情を思いやる気持ちで、物足りないことがあれば、まずは直接、店主や責任者にアドバイスするべきですね。陰で鬼の首でもとったかのように自慢下に自分の独善をひけらかすのは控えたいですね。ガイドブックの中荷は数年前の情報を更新せずに毎年繰り返し掲載しているところが多く、閉店して存在しない店屋、代替わりして、内容が様変わりしたところも往時のまま紹介しているものが目立ちますから、そこから様々な誤解も生じると思います。最終的な判断は個人個人が自分で下すのが一番でしょう。権威とか学識経験者とか、ブランド・バリューとかに日本人は振り回されやすいですが、諸行無常、会者定離と世界をとらえるのがよいのでしょうね。写真で言えばシャッターチャンスのようなものです。他人がいい写真を撮れてもあとで同じ場所で同じような写真が撮れるなんてことはありえません。時にはそれを超えるものが撮れる可能性もありますが・・・
投稿者: 旅人しのちゃん | 2006年11月25日 01:18
日時: 2006年11月25日 01:18