ヴェネツィアの木彫職人

「チャオ、ヴェーチョ。コメ・ゼイ?」、「オー、チャオ。ベーネ、ベーネ。ヴェンガ、ヴェンガ」。ヴェーチョとは歳をとったとか古いという意味のイタリア語、ヴェッキオのヴェネツィア方言です。長い付き合いの友人に出会ったときなどによく使われる挨拶。

知り合ってからもう20年以上にもなる木彫職人、マエストロ、 ジャンニ・カヴァリエールは1932年の10月2日生まれだからこの秋で74歳になります。「ああ、元気だよ。お入り、お入り」と挨拶が返ってきて僕は工房の中に入って行きます。ジャンニがこの仕事を始めてから42年、2坪ほどの小さな工房で毎日休むことなく続けてきた仕事。木を削り、彫刻刀で彫り、紙やすりで磨き、下地を塗り、金箔を貼っていく。ほとんど毎年、年に何回か顔を合わせているせいか、彼がそんなに歳をとったとは思えない。むしろ、僕の方が20年前より20キロも太ったから様変わりしたのは僕の方かもしれない。ピエタのキリストのようだった僕は今ではどちらかというとエンジェルのような体型になっている。
金箔押し職人をヴェネツィアでは“INDORADOR”といいます。標準的なイタリア語では“Indoratore”。ヴェネツィア弁の語尾はスペイン語の影響があります。

ヴェネツィアを代表する工芸にはまず、ムラーノ島で作られるガラスがあるのは言うまでもない。しかし、町を歩けばあちらこちらに金箔仕上げの額縁や鏡、ランプ、 そして大小のエンジェルの彫像を見かける。時代様式は16世紀、17世紀、18世紀のもの。つまり、ヴェネツィアが最も栄えたルネッサンスからバロック、そして一世を風靡したロココの時代です。こうした作品の中でも特にヴェネツィア的だと思わせるのが “モレット”と呼ばれるムーア人をモデルにした彫刻ですね。ムーア人はヴェネツィアが海洋王国としてアドリア海から地中海を制覇していた頃、アフリカのエチオピアなどから連れてこられたイスラム教徒の黒人奴隷やヴェネツィアとオリエントの物産の交易をしているムーア人商人の召使がモデルで、ランプや燭台などを持っている姿が一般的です。
10年、20年、ここを通る度に見てきた変わらない店構え。

ヴェネツィアの伝統的な彫像、ムーア人の召使をモデルにしたモレット。

それにしても、彫刻の腕は見事なもので、エンジェルの作品はバイオリンやフルートなど楽器をもっていたり、表情もひとつひとつ違っていて、どれもコレクションにしたくなるような出来栄えです。天使像はキリスト教の信仰とも関わるものですが、そればかりでなく、むしろ子供をとても可愛がるイタリア人の、そしてジャンニの優しい心が反映されているようです。彼が仕事をする後ろの壁には額縁や鏡の作品と一緒に孫の写真を入れた額も飾られています。きっと、天使を彫るときのモデルになっているのはこの孫なのでしょう。
金箔を貼る作業。ところせましと飾られた額縁や壁掛けランプなど。

流麗な曲線で構成されたエンジェル像は孫がモデル?

日本では職人というと、ともすると頑固で近寄りがたい存在のように思われ、実際にそのようなひともいるようですが、ヴェネツィアで出会う職人は誰もが、快く自分の仕事を見せてくれるし、話を聞かせてくれます。イタリアではどんな分野の人も自分の仕事に誇りと自身を持っているので、働く姿はなおさら魅力的に見えるのです。 例えアルバイトでも一生懸命、無駄の無い動きを見せてくれますね。良い意味で、自分がどう見えるかを意識したパフォーマンスが生まれながら身に着いているようです。そのかっこよさを一番感じるのが手仕事の職人です。

2006年の10月で75歳を迎えたマエストロ、ジャンニ・カヴァリエール。いつも変わらない優しい表情。長年積み重ねてきた仕事への自身が、人間的な奥深さと優しさとなって滲み出ていますね。

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篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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