友人からヴェネツィアに行ったときにどこで食べたらいいかと聞かれたら、まず最初に紹介するいくつかの店のひとつが “アル・マスカロン”です。ヴェネツィアというのは面白いところで、さほど大きくもない町の中で、地元の人は行きつけのバールや居酒屋がちゃんと決まっていて、歩いて10分ちょっとの距離でも生活範囲が小さいのか、他の店にはほとんどいかず自宅近辺で済ませるようです。
それと似たようなことが旅行者にも言えて、リピーターでも定宿というかお気に入りのホテルが定まると、そのホテルを中心とした範囲の店に通うようになるのです。もっとも、東京のような巨大な都市でも、飲みに行くとなると、1時間以上も時間を掛けてもわざわざ青山や恵比寿まで出て、しかも大体同じ行きつけの店ということになるわけですから、小さなヴェネツィアでも人間の習性は大差ないのでしょうね。
僕がかつて宿としたところはサン・マルコ広場周辺でした。その理由は朝早く起きて、ほとんど誰もいないサン・マルコ広場やピアッツェッタからサン・ジョルジョ・マジョーレを眺めながら日の出を楽しみにしていたからです。それがだんだんと遅くまで飲んで帰るようになると宿はお気に入りの居酒屋の近所が便利になります。宿が先か、行きつけの店が先か、どちらを優先するでもなく、自然と落ち着いてしまったのが、アル・マスカロンとその並びにある書店のルイジがやっているB&Bでした。もっとも、アル・マスカロンには85年か87年に初めて行って以来お気に入りの店になって、90年の春にヴェネツィアに長逗留していた時には毎日のように足繁く通いすでに常連となっていましたから、そこの同じ常連であったルイジと出会うのも必然だったわけです。ただ、ルイジのB&Bに泊るきっかけはずっと後で、 僕がアル・マスカロンに仕事の世話をした日本人青年T君の紹介でした。
アル・マスカロンは1970代初めにモミとジジという共同経営者によって始められました。店名のゆらいは店の近くの教会、サンタ・マリア・フォルモーザの鐘楼の下にある怪奇な顔(マスク)を看板にしたからです。イギリス映画の「007」、ジェームス・ボンド役がロジャー・ムーアだった頃、ヴェネツィアでのロケ中にムーアは日に何度もこの店に来てワインを一気飲みしてはさっと出て行ったそうです。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツなど世界中で有名になっていて、最近ではお客の8割がたは外国の観光客になっています。だからと言って、この店が昔と大きく変わってしまったわけではありません。


(左)サンタ・マリア・フォルモーザ教会と鐘楼(右)アル・マスカロンの看板
鐘楼の下にある怪人マスクのレリーフ
ヴェネツィアの居酒屋のお手本のような店内
ヴェネツィアがほとんど観光収入で成り立つ都市であり、そのために地元の人間が住みづらくなっているということも事実です。しかし、だからこそまた地元の人が優先される部分もあるわけで、老舗の居酒屋にはそんな暗黙の了解のような粋な計らいもあります。つまり、同じ料理でも観光客からはメニューどおりの支払い、地元の人間や常連、友人たちからはその半分とか、ワイン代はとらなかったり、ましてやチップを置くと言うこともありません。レストランの中にはメニューはなく、マダムがその日その日の料理をペラペラ、しゃべって、わけが分からなくてただ頷いているうちに料理が2,3品出てきて、まあ、ヴェネツィアの郷土料理で味も悪くは無いが、支払いがずいぶんと高かったという話もよく聞きます。そんな店でも地元の人間と一緒だと支払いはかなりリーズナブルなものになります。
いつも豪快なジジと名シェフのカルロ
ヴェネツィアの家の主、本屋のルイジも常連。
アル・マスカロンをひとに薦めて後で感想を聞くと、凄くよかったというのと、とんでもないという二通りがあります。とんでもない結果の原因が、週末、土曜日の夜に予約もしないで、4,5人で行ってだいぶ待たされた上に、慌しい雰囲気の中で食事をしたので、じっくり味を楽しめなかったというわけです。あるいは、ここは居酒屋ですが、レストラン感覚で来ると、ウェイターたちの対応がぞんざい、粗野に感じたりするわけです。日本の月島や築地あたりの居酒屋に行ったときと同じと思えばいいのですが、言葉もあまり分らない。メニューの内容も分らない。空腹を我慢してなおかつ待たされていると、たいした問題でもないのに期待はずれだったと評価してしまうのですね。それが雑誌などの取材に来た人間だったりして、たった一度の不運な体験を書いて公表してしまうのですから残念なことです。


(左)ヴェネツィアでは「とりあえず、”プロセッコ”」そしてこの肴。小エビのマリネとアーティチョークのフォンド(ガクの底部)。(右)スカンピ、ムール貝、アサリたっぷり、トマト風味のスパゲッティーニ・アル・スコーリオ(磯作り)。


(左)左からマグロ、ヒメジ、イサキ、カレイ、タイのグリル(右)イタリアでは新しい法律で飲食店の中では禁煙になりました。
アル・マスカロンもまたヴェネツィアの時代とともに生きている店です。この島で生き抜くことの難しさを知っているジジとモミも世界中からやって来て勝手にガイドブックなどに紹介されて、観光客がどっと押し寄せ、地元の常連が入りづらくなることは百も承知です。だから、地元の人間や友人が来たときには、無理でもなんとか席を作ってくれるし、それなりのサービスもするわけです。水の都ですから、物事すべて”魚心あれば水心”です。日本人ならばよく理解できるでしょう。陰口を叩くような評論をサイトに載せる輩には理解できないハートがちゃんとこの店にはあるのです。


(左)アル・マルカロンで撮った、“決定的瞬間”。(右)観光客も地元の人にも大人気。
アル・マスカロンは店の雰囲気もいいし、料理も美味しいです。魚介が常に新鮮です。生牡蠣も安心して食べられるし、ワインのクオリティも高く、ちゃんと予約を入れてゆっくりと食事をすれば、この店の実力に納得できるはずです。その料理を作っているシェフのカルロは自分のサイトでレシピを紹介したりしています。ヴェネツィア弁まじりのイタリア語ですが、ぜひ、覗いて見て下さい。
数年前、この店で知り合った友人、ロベルト。
食べて、飲んでお腹が満足したらヴェネツィアの夜景を楽しむ。
http://www.giancarloseno.com
●アル・マスカロン Al Mascaron
住所:Calle Lunga Santa Maria Formosa


コメント (6)
素晴らしいお店の紹介が続き、ただただ圧倒されていました。そして、憧れと共にどこか懐かしさも感じました。郷里の知り合いのお店とか、大学の近所の学生相手のお店のことを思い出しました。通年そのお店を支え続けている地元の人間を優遇するのは当たり前のことで、たまにしか行かない、もしかしたらたった一回きりかもしれない正体不明の他所者と同等というわけにはいかないですよね。ただ、女一人・小食&貧乏だと、予約して行った方がいいのか、込み合わない時間帯に出向いて長ッ尻せず短時間で切り上げるほうがいいのか、迷うところです。
投稿者: おーぱすわんわん | 2006年12月16日 12:52
日時: 2006年12月16日 12:52
そうそう、お店がどんな風によそ者を受け入れてくれるのか、様子をうかがってしまいますよね。
わたしが先週マスカロンに行ったときは、なぜか、入り口そばには一人で食事している女性が二人、さらに私も女性ひとり、そんなこともあるんですね。
以前、ヴェネツィアに行ったときは、夏で金曜だか土曜だかの夜一番込み合う時間にうっかり行ってしまい、店は大忙し、次から次へとやってくる観光客、ゆったり楽しむ余裕もなかったのでした。
そんなときは、きっちり予約するか、時間をずらすか、かんがえたほうがいいのでしょうね。
投稿者: おかもと | 2006年12月19日 01:02
日時: 2006年12月19日 01:02
おかもとさま、女性一人でも食事に入れる、というのは貴重な情報です。ありがとうございます。
さて、先日書店で手に取った某ガイドブックに郷土料理の食べられる店としてこちらのブログで紹介されているお店が沢山出ていました。今までもガイドブックにしばしば掲載されていたところから、あまりガイドブックでは紹介されていなかったところまで。旅行者とお店の、幸せな出会いを願います。
投稿者: おーぱすわんわん | 2006年12月19日 13:14
日時: 2006年12月19日 13:14
篠さま、マスカロン私も大好きです!
先日「イタリア好き」も拝見しました。ベネチアの章を貪るように読ませていただきました…あの曲がりくねった小路を歩いていた時間を思い出しました。ありがとうございます。
Yahoo!検索でこちらのHPがヒットした時は驚きました!! 嬉しい!!
数年前のカーニバルで私、スリに遭って泣きながら歩いていたことがあるんです。そしたらとあるお店の前でどっしりしたおじさんが「来い来い」と手招き。どうしたんだい? のようなことを言われたので「ウォレットがストールンなの…」とカタコト英語(苦笑)で呟くと、「それはいけない!!」みたいなジェスチャーで店に入れてくれ、プロセッコをご馳走になった経験があります。イタリア語が全く分からない私にも、「元気出せー!」のエールがじんじん伝わってきました。
おじさんの名前を聞くと「ジジ」さん。そう、あれはマスカロンだったんです…!! 地図を握り締め、翌日両替した後にお礼と食事に行ったことは言うまでもありません。
帰国してからこのお店が有名なことを知りました。
あのジジさんとプロセッコの細かい泡のことはとても忘れられません。
今、イタリア語を習い始めています。今年の8月に再びベネチアへ行く幸運に恵まれたので、今度はきちんとイタリア語であの時のお礼を言いに行きたいと思っています!
投稿者: つつき | 2008年06月01日 14:42
日時: 2008年06月01日 14:42
つつきさん、マスカロンでの体験談、ありがとうございます。ヴェネツィアに限らず、居酒屋というのはただ酒やワインを楽しむというのではなく、その店の亭主やイタリアで言えば、カメリエーレ(給仕)の人たちとの人情に溢れた交流が大切なんですね。ワインはあくまでもその間を取り持つものでしょう。つつきさんの体験はまさにそれを物語っていますね。ジジもきっと覚えていると思います。来月半ば過ぎにはヴェネツィアの居酒屋を沢山紹介したガイド・ブックが発売されますから、もちろん、アルマスカロンも紹介されてます。ぜひそれを持って行ってきて下さい。
投稿者: 旅人しのちゃん | 2008年06月11日 16:29
日時: 2008年06月11日 16:29
篠さま、コメントありがとうございます!
ベネチアに着いたらルイジさんの本屋さんも捜してみたいと思っていますv 部屋貸ししてらっしゃるんですよね。
「イタリア歩き」で住所をしっかりメモさせて頂いたので、次のベネチア訪問に備えて…♪ E-mail adressお持ちか聞いてこなくては!
7月半ば過ぎに発売のベネチア居酒屋満載のガイドブック、今からとても楽しみですv
投稿者: つつき | 2008年06月15日 10:51
日時: 2008年06月15日 10:51