2008年02月19日

「プロチダ島」

今回はシチリアの話を書こうかと思ったのですが、2月19日は僕が大好きなイタリアの俳優、マッシモ・トロイージの”誕生日” なので、彼にちなんだ島を紹介します。マッシモ・トロイージは1953年2月19日にナポリで生まれました。日本では『イル・ポスティーノ』 という映画が良く知られていますが、マルチェッロ・マストロヤンニと父子を共演した『バールに灯ともる頃』や日本では未公開の映画でロベルト・ベニーニと共演の『Non ci resta che Piangere(もう、泣くしかない)』 (1985)などがあります。『イル・ポスティーノ(郵便配達人)』は1994年の9月にイタリアで公開され、日本では1996年の4月に公開されましたが、フィリップ・ノワレ演じるチリの詩人、パブロ・ネルーダが住む島で詩人と彼に世界中から届く手紙の郵便配達の青年との交流の物語で、やがてその青年も詩人になるという、とっても素敵な名画です。その郵便配達を演じたのがマッシモ・トロイージでこれが残念ながら遺作となりました。僕が生まれたのが1952年2月29日ですから、マッシモとはひとつ違いなんですね。彼が元気だったらきっとイタリアで会っていたと思います。ちなみに、パブロ・ネルーダは一度も祖国、チリを出たことがないそうですから、この島に住んでいたというのは映画上でのことです。

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プロチダ島へようこそ!

 さて、その映画『イル・ポスティーノ』のロケに使われた島、プロチダですが、ナポリからフェリーに乗って30分くらいで着く周囲24Kmの小島です。日本の観光客はまずカプリ島、そしてイスキア島へ行くことが多いのですが、このプロチダ島も映画の舞台になってからはだいぶ観光的な変化しました。僕が初めてこの島を訪れたのは1987年の6月か7月です。山田昌宏という日本画家の友人を案内しつつローマからナポリ、アマルフィなどを回ってアッシージ、フィレンツェ、シエナ、ボローニャ、ヴェネツィア、リグリアのサンタ・マルゲリータやポルトフィーノ、カモッリなども訪れてからミラノ経由で帰国するというひと夏の大旅行をしました。その年はたいへんな猛暑で、フィレンツェのペンシオーネに泊まった時には、夜でさえ部屋の中でサウナのように汗がダラダラと流れ出て、おまけに大きな蚊がブンブンと攻撃してくるのです。1週間くらい滞在する予定でしたが、3泊でフィレンツェから逃げました。その3泊の間にもルッカやピサに行ったりして暑さを凌いでいました。

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プロチダ島、コルティチェッラの漁港のながめ

 プロチダに行こうとしたきっかけは以前から『Bella Italia』という雑誌の特集で見た写真に惹かれていたからです。まさにこのブログでお見せする港の眺望がそれです。この入り江はナポリから島に到着したフェリーの港から反対側に島を30分ほど歩いて横断したところにあります。そうそう、このフェリーが到着する港はアラン・ドロン主演の名画『太陽がいっぱい』にも登場します。島に上陸するやいなや僕らは真っ先にこの漁港を目指しました。しかし、その道中の楽しいこと! カラフルな建物の壁、塗られた色が風雨に曝され退色したり、車か何かで削られたり、まさに油絵のようでした。そこへ南の太陽が濃い影とのコントラストを作り、僕はすでに画家から写真家になっていましたが、連れの山田君と絵画的な町の美しさにすっかりうきうきした気分になっていました。山田君はイタリアはどんなに色彩に溢れた国かと期待して来たら、意外に褐色の建物が目立ち当初はだいぶ戸惑ったそうです。でも、この島やリグリア、ヴェネツィアのブラノ島ではしっかりとイタリア的な色彩を感じとったようで、帰国後は繊細ながら色彩が飛び散った作品を描き続けました。近年はその真逆にモノトーンと思えるような作品を発表しつづけているようですが、それでもその淡いモノトーンの奥には色彩と溢れる光を感じます。あの時のイタリアの光はまだ彼の心の奥で輝いているはずです。

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コルティチェッラの可愛い漁船

 小さな車がなんとかすれ違える程度の坂道をどんどんと登っていくと教会の丸屋根が見えてきます。その左手には城のような建物が見えます。迷わず、とにかくその城の方へ登り始めると右手にはあの雑誌『Bella Italia』で見たのと同じ光景が目の前に広がりました。思わずワァ~っと歓声をあげるほどの美しさ。入り江にはまるでおもちゃの帆船を並べたように小さな漁船がいくつも停留していました。パステルカラーで色とりどりに塗られた建物は積み木を重ねたように島の斜面を多い、真夏の太陽に眩しく光っていました。心地よい潮風に吹かれながら小一時間もその眺めを楽しみ、ようやく港へと降りました。浜辺では漁師たちが網の手入れをしたり、船大工が家の下のガレージでペンキ塗りをしていたりと、漁村の生活の匂いがぷんぷんとしていました。船大工のヴィンチェンツォと知り合ったのもこの時で、以来、4、5回は訪れていますが、その度に彼に会います。ブログに掲載している写真は1987年から90年初頭のもので、ヴィンチェンツォの頭はますます輝きをましましたが、港には輝きを失いつつある部分もあります。

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プロチダ島、コルティチェッラの漁師家族

 あの映画の後、この島もどんどんと変わりました。 90年代の初めまでは行く度に出会えた漁師の家族もこの入り江が観光地化されていくと別の入り江に移り住むことになり、町にはバールやレストラン、近年はホテルまで出来てすっかりイスキアと変わらないようになってきました。それでもまだ素朴な風合いはカプリやイスキアよりはあるでしょうか? でも、それもまた時間の問題でしょうね。近年は時間がゆっくりと進むのが魅力だったイタリアにも国際資本、グローバル化の波は強く押し寄せ、なんでも金が物差しの国に変わりつつあります。イタリアの魅力の大きな要素だった何にたいしても大らかだったことが年々薄れていくと感じるのは僕だけでしょうか? イタリアという国は日常そのものが映画のような魅力に溢れた国なのです。それが映画の中だけになったら、それこそ、Non ci resta che Piangere! ですね。

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プロチダ島の静かな昼下がり

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プロチダ島の赤い家と黒猫

2008年02月07日

「春のプーリアを旅する」

イタリアを旅するにはどの季節が一番いいですか?という質問をよく受けます。訪れる場所にもよりますが、年間、押しなべてお勧めできるのが3月から6月上旬あたり、つまり早春から初夏ですね。この時期、僕は毎年、オリジナルのツアーを企画してあまり多くない人数でイタリア各地を訪れます。今年は3月24日から4月1日まで9日間の旅を企画しました(問い合わせ:(デル・ソーレ・イタリア/電話:03-3401-6130 E-mail:italia@fortuna.ne.jp)。訪れる町はファサーノ近郊のアグリトゥリズモに泊まりながら、アルベロベッロオストゥーニ、マルティーナ・フランカなど家々の壁が漆喰で白く塗られた白亜の都市群や南のバロック美の町として知られるレッチェ。そして隣の州、バジリカータにある世界遺産の洞窟住居群の街、マテーラです。また、途中、マテーラとターランとの間にあるカステッラネータというところで名門ワイナリーも訪ねて、プーリア特産のプリミティーヴォやネグロアマーロのワインもたっぷり味わいます。

 プーリアはイタリアでも最大と言われる農産物の豊かなところで、オリーブの生産高もイタリアで一番、新鮮な野菜や肉の料理はもちろん、アドリア海に面した州なので、魚介の美味しさも素晴らしく、グルメには絶対にはずせないところですね。オレキエッテという耳たぶのようなパスタを真っ赤に熟したトマトソースに爽やかなバジリコの葉をちぎって添えただけのシンプルなパスタが格別に美味しく感じられるし、最近、日本にも入ってきたブッラータというチーズ、これはモッツァレッラの中に生クリームを入れた鮮度が命のとてもクリーミーなチーズですが、これもプーリア特産です。ターランとのムール貝もイタリアでは有名ですし、生ウニもプーリアは有名な食材ですね。そんな美味しい料理とワインを味わいながら、アドリア海沿岸に細長く伸びたこの州の端から端まで旅するのはやっぱり春が一番です。

 このブログでは以前にもプーリアを紹介していますが、僕が一番好きな街はオストゥーニですね。歴史を遡れば千年前にギリシア人が築いたのが始まりと言われていますが、初めてこの町に鉄道で着き、小さな駅舎からオリーブの森の向こうの丘に積み重なる白い家々の光景は今までにない感動を覚えました。東京も先週、少しだけ雪に覆われましたが、雪に覆われた白い風景はとても美しいですよね。初めて見たオストゥーニの町は全体が白い角砂糖を重ねたような感じで、あたかも雪に覆われた町並みを見るかのようでした。それがまたプーリアの抜けるような青空、海原のような緑のオリーブの森の間に輝くように見えたのです。大都市の市内バスと同じ色ですが、サイズはミニの巡回バスに乗って市内へ向かいます。オリーブ園を囲む石垣の間の道をゆるやかに登るにつれ、白亜の石壁がだんだんと迫ってきます。やがて、バスはやっと通り抜けられる細い道を抜けて市内に入りました。窓の外を見るとバスはもちろん小型の車すら通れないような細い路地がいくつもあります。後でホテルに荷を降ろしてから市内を散策してみると、これらの路地は町の下から渦巻き型に上っているメインの通りから枝状にいくつも作られ、それがまさに迷路を構築しているのです。大きな建物の下はアーチになったり、トンネルの中で三方に分かれていたり、とても複雑でどんなに歩いても飽きることがありません。もちろん、写真に撮るのにこれほど楽しいことはありませんでした。
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オストゥーニ遠望
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オストゥーニの迷路
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オストゥーニの大聖堂の薔薇窓

ロコロトンドという町も丘の上に作られた町で、周囲はオリーブと葡萄の畑に囲まれています。外からの町並みは王冠のように城壁が円形に築かれていますが、ロトンドは丸い、ロコは場所を意味する言葉で、すなわち”丸い場所”というのがこの町の名前です。この町で作られるヴェルデーカ種とビアンコ・ダレッサーノ種から作られる白ワインはDOC認定でプーリアを代表する優秀なワインです。
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ロコロトンド、バスの車窓から
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ロコロトンドの街で

 そのロコロトンドからアドリア海沿いにずっと南下したちょうどブーツの形をしたイタリア半島の踵の底にある町がオートラントです。海はギリシアと向かい合うイオニア海に面し、その水の青さはモルフォ蝶の翅のようです。この町の大聖堂はプーリア州で一番、ロマネスク調のシンプルなファサードからはその大きさは感じないでしょうが、内部がまた素晴らしく、床には”生命の木”と命名されたモザイク画に覆われ、また見上げる天井も重厚にして繊細な装飾が施されています。
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オートラントの大聖堂
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オートラントの大聖堂内部
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オートラントの海

 ロコロトンドから北へ少し行ったところにファサーノという町がありますが、この町も市内には白漆喰の壁の家々で構成されています。オストゥーニと同じく町はオリーブの林に囲まれた丘の上にありますが、この辺りの地形の特徴である石灰岩の大地のあちこちに大小の洞窟があり、ビザンチン時代に隠遁修道士たちが描いた壁画が残っていたりします。
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ファサーノ近郊の洞窟
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ファサーノ近郊の洞窟壁画1
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ファサーノ近郊の洞窟壁画2

 この地方ではマッセリーアと呼ばれる荘園が多く見られます。そのマッセリーアを観光客が宿泊できるように活用したアグリトゥリズモがとても人気でイタリア人ばかりでなく、世界中の人々が利用しています。素朴で泊まるだけの設備のところもあれば、立派なレストランもあって美味しいプーリア料理を味わえるところもあります。3月のツアーでも始めの3泊をファサーノ近郊にある“サラミーナ”というアグリトゥリズモに宿泊しながら周辺の都市巡りを楽しみます。このマッセリーアは17世紀の貴族、サラミーナ家のものだったのを現在のオーナーが受け継ぎアグリトゥリズモとして運営しているもので、オリーブオイルなどの農産物を生産し、また宿泊客も買うことが出来ます。また、広々としたレストラン設備もあり、郷土料理の講習会やオーナーの趣味でもある音楽会も開催されるなど、文化的な活動にも役立っています。
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マッセリーア・サラミーナ
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プーリアの新鮮野菜
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マッセリーア・サラミーナ付近で


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 2004年11月、ヴェネツィアで写真展(www.toshi-shino.com)を開催した。

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