アルベルゴ・イタリアの部屋から見た風景
今年の春、プーリアの各地を回ってから洞窟住居群で知られる世界遺産の都市、マテーラを訪れました。先史時代から石灰岩質の岩山をくり貫き洞窟住居が造られて都市を築いてきましたが、1950年代にイタリアの貧困の象徴になってしまうという理由で、先祖代々この洞窟住居に住んできた人々は別の地区に強制移動させられ近代化に相応しい生活を再スタートしました。そして洞窟住居の都市は廃墟同然となっていましたが、1993年にユネスコの世界遺産に登録され、洞窟住居群と岩窟教会や内部の壁画などの保護政策が促進され観光地として注目を集めています。
サッシの町、マテーラ
サンタ・マリア・デ・イドリス教会
サンタ・マリア・デ・イドニス教会内部
ドゥオーモ
宿泊したホテル、アルベルゴ・イタリアは小さなホテルですが、各部屋からはこの町の様々な表情を楽しむことができます。ちょうど夕暮れ近くに着いたので、洞窟住居群に明かりが点り始め、その光景を夢中になって撮影しました。ちょうど僕の部屋の前にはエッローネ山の上に十字を戴くサンタ・マリア・デ・イドリス教会が見え、その左下にはサン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会がひときわ明るくライトアップされていました。別の部屋の正面にはプルガトリオ教会が優美な曲面に似合わない髑髏のレリーフを見せていました。
ホテルでなかなか美味しい夕食とワインを楽しんだ後、散策に出ましたが、オレンジ色の街灯に照らされたリドラ通りには若い人たちが行き交い、思いのほか夜の活気も感じました。どこかバールに入ろうとリドラ通り脇を少し下がったバールに入りましたが、入り口にある看板を見てびっくりしました。そこには”Bar Shibuya”と刻まれていたのです。旅の仲間たちとスプマンテを飲みながら気さくな店のオーナーやスタッフたちとおしゃべりを楽しみ、店の名前について聞いてみると、日本へ行ったことのあるオーナーの友人から東京で一番若者が集まり人気がある街が渋谷だと聞いたのでそれにあやかってこの名前にしたそうです。この街の人たちはとても気さくで、1,2泊の滞在ではもったいない、もう少し長く滞在したいと思いました。
サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会
サン・フランチェスコ・ダッシージ教会
プルガトリオ教会
マテーラの住居内部1
マテーラの住居内部2 ベッドが高い
翌日は素晴らしい晴天に恵まれ洞窟住居群のある迷路の散策を楽しみました。岩窟教会は7世紀から13世紀ごろに修道士たちが隠遁したあとだそうで、壁面にはビザンチン風の宗教画が描かれていました。また、つい50年ほど前まで使われていた洞窟の住居が当時のままに保存され見学することができましたが、トイレはおまる、またロバや馬などの家畜も一緒に住んでいたようで、確かに衛生面などを考えるとその当時のままの生活はさぞや不便、あるいは辛いものであったと思います。もっとも、家畜などの臭いは酪農家の宿に泊まったときの体験では十分に慣れてしまえるものだとも思いましたから、数百年、あるいは数千年の歴史を重ねた生活習慣は傍が思うほど苦ではなかったかも知れません。近年はこうした洞窟住居に現代的な設備を施しがホテルが誕生し、その自然の風合いの洞窟の室内などなかなか雰囲気があり次回はそういうホテルにも泊まってみたいですね。
ロバなど家畜も一緒に暮らしていた
キッチン
自宅の中庭で遊ぶ子供たち
マテーラの路地
帰国する日は何故か日の出前に目覚めてしまったので、窓からだんだんと明けていく空に浮かぶ三日月と街明かりを眺めながら、また撮影に夢中になりました。帰国して半年ばかり過ぎた9月、晴海の国際展示場で開催され世界観光博に行ったらマテーラのブースがあり、市の観光局の人たちと知り合うことなりました。マテーラにはこちらの人と結婚した日本人女性が現地の旅行代理店で働いており、イタリア語が出来なくても日本語でガイドもしてもらえるようです。これまでイタリア30以上の世界遺産を訪ねてきました、今年、ようやくこの街を訪ねることができました。イタリアは古いものを上手に残し、歴史的な景観を次世代に受け継ぐことに力を入れていますから、日本各地で世界遺産を望んでいる市町村の皆さんにもマテーラを訪れて、その歴史的な価値などをどう保存し、また未来に伝えるか参考になるでしょう。
洞窟住居を改装したカフェ
バール・シブヤ
Bar Shibuyaの人たち
マテーラの夜明け
リドラ通りとパラッツォ・ランファンキ(美術館)
世界旅行博でのマテーラ観光局の人たち

