ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅を出た列車はアドリア海に沿ってアンコーナに向けて走り出しました。この列車は最終的にはプーリア州のバーリまで行きます。パドヴァ、ロヴィーゴ、フェッラーラ、ボローニャ、リミニ、ペーザロ、そしてアンコーナで私は降ります。ヴェネツィアを出るときにはまだ夜の闇のようでしたが、3,40分もしてパドヴァを過ぎた頃から東の空の明るさが増し、霧が少し晴れてくると白く、小さな太陽が遠方にある木々の梢の上に見えて来ました。しばらくして、鉄橋を渡りましたが、この川はヴェローナの上の方から流れてくるアディジェ川です。水源はオーストリア、スイスの国境が接するアルプス山脈。そのアディジェ川流域とピエモンテ州からエミリア・ロマーニャ州を通りアドリア海まで北イタリアを横断するように流れるイタリア最大のポー河流域は肥沃な平野が広がる豊かな農業地帯になっています。
ポー川は過去、何度も大きな氾濫を起こしていますが、9年前の2000年10月の洪水もすさまじく、ちょうどマジョーレ湖からヴェネツィアまでの取材旅行をしていたのですが、洪水によりあちこちの道路は寸断され、ポー河流域のほとんどが水没しました。その洪水によってまた土地に養分が蓄えられ農地としてふさわしい大地となるのでしょうが、被害の大きさはイタリア史上最大とも報道されていました。しかし、普段は退屈するほどのっぺりと広がる平野です。
車窓から見える平野の風景は、どこか遠い記憶の彼方で見たことがあるような懐かしさを感じるのです。しばしば、整頓した並木を見せるのはポプラの木で、これは防風林や成長が早いので主にパルプの材料になるらしいのですが、春先は綿毛を付けた種子が飛びアレルギーの原因にもなります。私もポプラのこの綿毛には弱く鼻炎や時には喘息を起こすこともあります。しかし、ひょろひょろと伸びた幹と枝ぶりに柔らかでハート型の葉は風に吹かれるとさざ波のような音を聞かせてくれるし、なによりも絵に描きたくなる姿が好きです。二十歳代の頃は聳え立つアルプスの山容に憧れを抱き、山登りもしましたが、最近はむしろ一見退屈しそうな平野の風景やなだらかな丘陵の風景に親しみを感じるようになりました。ことに霧に包まれたりして、朧げに見えるくらいの風景に心引かれるのです。それを歳のせいと言うのでしょうか。
平野に植えられている木々は他にもシナノキや菩提樹、時には白樺に似た木も見かけます。北イタリアでは稲の栽培も盛んでピエモンテのヴェルチェッリやノヴァーラ近郊が有名ですが、実はマントヴァからポー河に合流するミンチョ川を挟んだ辺りのお米も良質で高く評価されています。北イタリアではまたポレンタというトウモロコシの粉から作るすいとんのような食べ物が必ずと言って良いほど料理に付きますが、そのトウモロコシ栽培や砂糖の原料になる甜菜の畑も多いですね。その他に忘れてはならない農産物としてはワインのための葡萄やりんご、梨、キウイなどの果物の栽培も盛んですし、ことに有名なのはチーズやバター、生ハムやサラミなどの酪農製品で、列車の窓からも牛舎や牛を見かけます。
肥沃な農業地帯とは言え、かつては貧しさの象徴のようにも思われた農村地帯で、ベルトリッチ監督の長編映画「1900年(ノヴェチェント)」で描かれる生活がそれを良く伝えています。ボローニャとペーザロの中間あたりにフォルリという町がありますがここはムッソリーニの出身地として知られています。イタリアは1861年の統一にともないローマ時代からの伝統であった封建的な大土地所有制が解体されましたが、さまざまな歪みも生まれました。資本主義的な大農場では農民と経営者の対立が激しくなり社会主義運動が活発になります。ムッソリーニも初めはそうした運動家の一人でしたが、後にまったく逆の立場で独裁的な政治家になってしまったのです。
鉄道の車窓から見えるイタリアの大地はどこへ行っても絵になるような風景を見せてくれますが、それは長い年月を重ねて農民が作り上げてきたものです。かつては打ち棄てられたような農家も多く見かけましたが、近年は明るいパステルカラーの新しい家並みが現れたり、80年代以降のイタリアの経済発展が漸く農村にも行き届いてきたかのように思えます。農家は現代的な農機具や設備投資が盛んになり、また、様々な分野の工場や流通関連の建築が平野の中に目立つようになり、時として、せっかくの美しい風景を台無しにしているとしか思えない光景も眼にします。それが資本主義的な発展の結果で、生活が豊かになった反面失われていくものもあるわけです。
イタリアの風景を見てしばしば懐かしさを覚えるのは、かつて日本で見た風景を思い出させるからなのかもしれませんが、そのイタリアも最近は急速に変わりつつあり、少なからず憂いを抱かざるを得ません。だからこそ、余計にまだ壊されていない風景がよりノスタルジックな感情を生むのでしょうね。

