北イタリア、芸術と美食の旅、ピエモンテを行く 州都トリノ(その1)

ミラノ、ヴェネツィアと並んで北イタリアを代表する都市、トリノはフランスやスイスとも国境を接するアルプスの麓に栄え、かつてはイタリア王国の首都でもあった。現在、トリノと言えば、フィアットの本拠地として自動車工業や近代産業のリーダー的存在として知られ、またカフェ文化や美味しいチョコレートの街としても知られている。フィギュアスケートの荒川静香選手が金メダルを獲得した2006年の冬季オリンピックの開催地であったことも記憶に新しい。その歴史を紐解くと、紀元前44年のローマ時代まで遡り、街を歩けばローマ時代の遺跡にも出会う。ドーラ川とポー川挟まれ、ガリアを攻めたジュリアス・シーザー初め歴代のローマ皇帝たちもこの地の重要性を見抜き、植民地を築き、タウリ人の土地、タウリノールムと呼ばれていたのがトリノの語源である。タウルはギリシア語、ラテン語では牡牛を意味するので、現在も牡牛はトリノのシンボルマークになっているがインド-アーリア語源では山を意味するので、本来の意味は“山の人”であったようだ。ピエモンテとは山の麓を意味しトリノはアルプス山脈に抱かれた地理条件にある。

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モンテ・カプチーニから見たトリノ市内

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スペルガから見たトリノ市内

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トリノ市内からアルプスの山並みを望む

ローマが滅びた後、ロンゴバルドやフランクの領土となり、11世紀にサヴォイア家が興り勢力を広げ、フランス東部からニース、リグリア、スイスのジュネーヴあたりまで支配下に置き、1563年にフランス東部のシャンベリからトリノに首都を移した。中心部の道路が碁盤の目のように整然と造られたトリノの町のほぼ中央に位置するサン・カルロ広場には1553年から1580年までサヴォイア公であったエマヌエーレ・フィリベルトの騎馬像がある。フィリベルトの生涯は常に戦いの日々であったようで、彫像や肖像画は甲冑姿であることが多いが、「鉄の頭」という別名がついていたというのもうなずける。この騎馬像は1838年にカルロ・マロケッティによって造られたもの。

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サン・カルロ広場, サン・カルロ教会(右)と サンタ・クリスティーナ教会(左

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鉄の頭とも呼ばれていたエマヌエーレ・フィルベルト

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サン・カルロ広場

サン・カルロ広場は17世紀にカルロ・ディ・カステルモンテの設計で造られ、広場の開口部は向って左に1639年創建のサンタ・クリスティーナ教会、右側に1619年創建のサン・カルロ教会が建っている。1715年にサンタ・クリスティーナ教会のファサードはピエモンテを代表する建築家、フィリッポ・ユヴァッラにより現在見られるようなデザインに改装され、またサン・カルロ教会も1836年にロンバルディア人のフェルディナンド・カロネージによりサンタ・クリスティーナ教会と対を成すような形に改装され、現在では双子の教会として親しまれている。

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サン・カルロ教会とサンタ・クリスティーナ教会の背面にあるふたつの彫像

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左はポー川を象徴

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右はドーラ川を象徴

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カフェ・トリノの前にある牡牛の絵

サン・カルロ広場の二つの教会の裏側には2対の大理石彫刻があり、左はポー川を、右側はドーラ川を象徴している。また、サン・カルロ広場に面して開いているカフェ・トリノの入り口の歩道には真鍮製の牡牛が象嵌されており、ミラノのガレリアの床にあるモザイクの牡牛像と同じように、この牡牛の後足の間を踏むと幸運を授かると言われている。
サン・カルロ広場からそのまま北へ出るとグアリーノ・グアリーニの設計による科学・アカデミー館があり、エジプト博物館とサバウダ美術館が入っている。エジプト博物館はヨーロッパでも最も充実した収蔵を誇るもので、今年は日本でも8月1日から10月4日まで東京上野の東京都美術館でこの博物館の収蔵展が開催される。また、サバウダ美術館には15,6世紀のピエモンテの芸術家の作品の他にもトスカーナのベアート・アンジェリコやヴェネトのヴェロネーゼ、ティントレット、マンテーニャなどの作品の他、フランドル派の名品も多数収蔵している。
科学・アカデミー館の並びにはヴィットリオ・エマヌエーレ二世が誕生したカリニャーノ宮殿があり、現在はリゾルジメント博物館として公開されている。リゾルジメントとはイタリア統一運動のことで、フランスやオーストリアと勢力争いをしていたサヴォイア王国が1720年のハーグ条約によりサルデーニャ王国となり、その後、フランス革命、ナポレオンの支配など怒涛の時代を経て、カルロ・アルベルト国王の時代になると当時支配力を強めていたオーストリアに対する独立とイタリア統一の気運がヴェネトやロンバルディアなどイタリア各地で高まり、アルベルト国王の後を継いだヴィットリオ・エマヌエーレ二世の代の1861年にフランスの後押しもあってイタリア統一を実現させた。

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エジプト博物館

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ヴィットリオ・エマヌエーレ二世が誕生したカリニャーノ宮西面

カリニャーノ宮殿から更に北へ向うとトラム(路面電車)の行き交う大通りの向かいに4つの円筒形の塔を持った大きな建物がある。マダマ宮殿で広場に面したファサードは大理石のバロック様式で、カリニャーノ宮殿同様に中世のレンガ造りの建築に1721年、ユヴァッラの設計によってバロック様式の部分を増築したので、このような裏表の趣が全くことなる建築になっている。
マダマ宮殿はサヴォイア家のヴィットリオ・アメデオ一世の未亡人であるカルロ・エマヌエーレ二世の摂政であったマリー・クリスティーヌの住居であったのでマダマの宮殿と呼ばれるようになった。現在は市立古典美術館となっているが、トリノ市の迎賓館としても使用される。

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カステッロ広場にあるマダマ宮殿

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マダマ宮殿夜景

マダマ宮のファサードが面している広場はピアッツァ・カステッロと呼ばれるが、右奥を見ると、白亜の横長の宮殿が立っている。これが1660年に建設され1865年までサヴォイア家の王宮となっていたところで、背後には広大なフランス式庭園があり夏季に公開される。王宮とマダマ宮殿の間にあるふたつの建物は王立兵器博物館と王立図書館で、兵器博物館にはヨーロッパ各地で製造された16,7世紀の武器やアジアの珍しい兵器などが陳列されている。4月25日はリベラツィオーネ・ディタリア(イタリアの解放)即ち、第二次世界大戦でイタリアが連合国軍によってナチスドイツとムッソリーニのファシズム体制から解放された日を記念する祝日だったが、王宮広場ではロック歌手などが出演するコンサートが開かれたくさんの若者たちが集まっていた。

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王宮

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王宮前広場で開催された4月25日の夜の音楽イベント

王立兵器博物館の対面にはサン・ロレンツォ教会があり、建設は1668年から1680年で、特徴的な八角形のクーポラを持ち、グアリーノ・グアリーニの代表作のひとつである。その教会の脇の道を直進する通りが支庁館通りで突き当たりにトリノ市庁舎があるが、この建物もオリジナルは中世もの館であったところを1663年、ロンバルディアの建築家、フランチェスコ・ランフランキにより現在の形に改築されている。

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正面のトリノ市庁舎に続く通り。Via Palazzo di Citta

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トリノ市庁舎

今回の取材はピエモンテ州観光局の招待によるもので、4月22日から25日までの正味4日間を先ず第1日目はトリノ市内の要所とカッフェを中心に回り、23日から25日まではガヴィやアックイ・テルメ、ネイヴェ、アルバ、ドリアーニと各地のワイナリーを中心に回った。トリノではゴールデン・パレスというホテルに最初の2日と最後の1晩の計3泊をした。外観は極めてシンプルだが、内装はロビーやレストラン、そして各部屋などモダンなデザインだが落ち着きのある豪華さを感じさせる快適な空間であった。ホテルのあるArcivescovado通りも街の中心であるサン・カルロ広場にも徒歩で数分の距離にあり、道に迷わなければ、街の要所には徒歩でも十分回れる。夜になってライトアップされた建物を観賞しつつ、歩き疲れたらカフェで一休みする。このカフェについては改めて章を設けて紹介するがカフェ文化発祥の地とも言われるトリノならではの楽しみのひとつだ。
次回はトリノのシンボル的な建物、モーレ・アントネッリアーナの上から見た風景や聖骸布で知られる大聖堂、ポー川沿岸などを歩く。

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Hotel Golden Palace www.goldenpalace.thi.it Via dell Arcivescovado 18 Torino

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Golden Palaceの室内

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Golden Palace Hotelの朝食

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コメント (2)

mariko:

いつも、ここを楽しみにして、寄らせていただいています。
2日前までいたPIEMONTEの記事にうれしくって、私も4月25日王宮前広場にいた!!!!と盛り上がり、初めて、書き込みします。
電車とバスと徒歩でさまよい、あの空気、時間の流れ、チョコレート、ワイン、アニュロッティ、そして、ブドウ畑の遠く向こうに見える白いアルプス山々などのお気に入りがたくさんでき、再び秋にも訪れたいと強く願わずにいられない、魅力を感じました。
日本語での情報をが得にくいPIEMONTE。その2、その3…楽しみにしていますね。

mariko様、コメントありがとうございます。ちょうど同じ頃にトリノにいらっしゃったのですね。25日の夜の王宮前広場ではロックコンサートなどでたくさん人が集まっていましたが、ローマやフィレンツェの若者たちと違って、みんな静かにコンサートを鑑賞していたり、友人たちと歓談したりしてエレガントな街にふさわしいお行儀の良さを感じました。続編をどうぞお楽しみに。

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篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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