芸術と美食の旅、北イタリア・ピエモンテを行く トリノのカフェ文化その2

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1836年創業のStratta

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カヴールのサインが入った請求書

●イタリア初代首相、カヴール伯爵御用達の菓子店、ストラッタ
イタリア王国の初代首相となったカヴールはトリノのカフェ文化を世界に広めた人物としても知られている。甘いものが大好物であったカヴールは諸外国との外交の時の贈答品やレセプション・パーティのケータリングとしてトリノの名店のチョコレートや菓子を大量に発注した。1836年、サン・カルロ広場に開業したカッフェテリア・ストラッタを訪れたとき、カヴールが外務省主催のパーティのためにチョコレートやコンフェッティ、マロングラッセなどをキロ単位で大量に発注したときの請求書のコピーを頂いた。それによると、29kgのマロングラッセ、18kgのシャーベット、37kgのキャラメルかけフルーツの他に焼き菓子やジャムなど総額2,547リラ60セントと記されている。もっとも、これらの大量注文の理由が、カブールが甘いもの好きだったからというよりも、当時からトリノのお菓子は重要な産物として高く評価され、また輸出品としても国を挙げて売り込みに力を入れていたのだろう。カカオにはテアニンという物質が含まれ、気分を冷静に落ち着かせ、頭を働かせる効果があるそうだから、誕生したばかりの国家の会議場や外交の席で高揚した気分と疲れた脳を休ませるためにも功を奏したに違いない。

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アーモンドを砂糖で包んだコンフェッティは結婚や出産のお祝いなどに知人や友人に贈られる。

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ストラッタのショーウインドーに飾られたコンフェッティやチョコレートのボックス。

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ストラッタの店内

●フィギュア・スケートの荒川静香選手もお気に入り?
ストラッタはトリノ名物のヘーゼルナッツクリームとチョコレートを合わせたジャンドゥイオットでも高く評価され、ストラッタと言えばジャンドゥイオットをすぐに想起させるほどの代名詞的存在である。2006年のオリンピック冬季大会がトリノで開催され、日本の荒川静香選手がイナバウアーの妙技を見せて堂々の金メダルを獲得したが、その荒川選手もストラッタを訪れサイン入りのカードを残している。上質なチョコレートとヘーゼルナッツの香ばしさが絶妙の配合で組み合わされ、味わいの余韻がいつまでも続く。ひとつ食べるとまたひとつと続けてしまう。もちろん、食べ過ぎれば肥満や余病の原因にもなるのだろうが、スポーツ選手並に運動をしていればむしろ必要な栄養素ではないか。

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荒川静香選手のサイン入りカードとジャンドゥイオット

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プッチーニのオペラ「蝶々夫人」のイメージをデザインしたボックス

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フィオーリオのバール

●フィオーリオ、自慢のジェラート以外にも
ポー通り沿いにあって以前に訪れた時に食べたジェラートの味が忘れられなかったのがフィオーリオであった。19世紀から20世紀の始め、ここのジェラートはわざわざナポリから取り寄せていたそうで、それが今日も美味しいジェラートの店として毎日行列が出来るほどの原点である。今回の取材でバールの奥にあるサロンを見たが、外から一見しただけでは想像も出来ない優雅な空間がそこにあった。しかも、ランチタイムにはこのサロンでバイキング風に自分の好きなものを選んで気軽に昼食を楽しむことも出来る。日本のようにラーメン屋やスタンドのカレー屋に行列するのではなく、トリノではこのように昼のランチをカフェで摂るのが普通のようだから、まったくお洒落である。最近はローマやフィレンツェでもこのようなカフェのスタイルが増えているようだが、日本のような忙しない日常生活の中にこそランチタイムくらいは優雅にしたらと思うのだが、やはり国民性の違いで、バカンスと同様になかなかこういう優雅さの真似はできないようである。

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サロンではランチタイムの準備をしていた。

●宰相カヴールのテーブル
フィオーリオは1780年に創業されて以来常に貴族や学者などセレブレティの集まるところで、フィオーリオのバールから二つ目のサロンはカヴールの部屋と呼ばれるサロンがあり、カヴールが決まって座っていたテーブルの上の壁には彼の肖像が掛かっている。カミッロ・ベンソ・コンテ・ディ・カヴールは1810年トリノに生まれ、イタリア王国初代首相、外務大臣、サルデーニャ王国首相としてイタリアの統一とその後の国家の方向と位置づけに多大な貢献をした。ことに外交政策に長け、また鉄道網や流通の整備、農業政策の改革と農生産の促進に尽力を注いだ。1832年から1849年まで領地であったアルバ近郊のグリンザーネ・カヴール市の市長を務めた時代には、砂糖大根の栽培やフランスのボルドーから醸造家を招きワインの生産をしたり、またイタリアで最初に化学肥料を試用するなど農業技術の研究にも熱心であった。

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カヴールのサロン

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カヴールがいつも座っていたテーブルの壁面に彼の肖像が飾られている。

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アール・ヌーヴォー様式のデザインが美しいカフェ・ムラッサーノ

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昼もちょっと薄暗いところが落ち着いた雰囲気を感じる店内。


●アルプスから届く地下水を汲み上げた美味なるカッフェ
カステッロ広場にあるアール・ヌーヴォー調の古色蒼然とした雰囲気を醸し出すカフェが1907年創業のムラッサーノだ。1800年代から1900年代の初めに流行したアール・ヌーヴォの建築家のひとり、アントニオ・ヴァンドーネの設計で、他のカフェに比べこじんまりとしたスペースがむしろこの様式には合っているように思える。入口から入ると正面にカウンターがあり、その中央に陶器製の大きな植木鉢を載せたベージュ色の大理石製の台がある。よく見るとその台の両脇に小さな蛇口があり水がちょろちょろと流れ、小さなガラスのコップを溢れさせている。口ひげが白くなった年配のバリスタにこの水は飲めるのですか?と訪ねると丸い眼鏡の奥の目を細め、もちろんです。これは天然の井戸水を汲み上げているのですとのこと。さっそく、味わってみると柔らかで甘さを感じる水であった。これならカッフェも美味しいに違いないとエスプレッソを注文してみると、期待通りに美味しいカッフェであった。

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アルプス山脈の麓の町、トリノならではの名水

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大理石の丸い小さなテーブルに革張りの椅子。こじんまりした空間ながら歴史を重ねた風格を感じさせる。

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本家と言われる“Al Bicerin”に勝るとも劣らぬ“Caffe Mulassano”のビチェリン

結局、このカフェ・ムラッサーノには帰国する前夜にも来てしまい、トリノ名物のひとつビチェリンを味わった。ビチェリンはそもそもガラス製の小さなコーヒーカップで、そこにドロリとした濃厚なチョコレートを入れ次にエスプレッソ・コーヒーを注ぎ、最後にたっぷりと生クリームを載せた飲み物で、通説ではこれを考案したのがトリノのアル・ビチェリンというカフェと言われている。しかし、別の説ではカフェ・フィオーリオが先に考案したとも言われている。そもそも、ピエモンテには“バヴァレイザ(Bavareisa“という似たような飲み物が1700年代には飲まれていて、その飲み物を小さなグラスを意味するビッキエリーニのピエモンテ方言で言うところのビチェリンに注いで飲まれていた。やがてそのグラスに金属製の取っ手の付いた台が組み合わされた、ビチェリンの名前が飲み物の名前になったものだ。カヴール伯爵もたいそう好み、ついにはカヴール伯爵のために作られた飲み物が始まりと記述した記事まである。また、サボイアのという意味の”サバウド(Sabaudo)”なる飲み物もあり、これはグラスの内側にジャンドゥイア・チョコレートのクリームを塗り、そこへエスプレッソを注いでからホイップした生クリームを載せ、さらに砕いたヘーゼルナッツをトッピングしたもので、ビチェリンの兄弟みたいな飲み物である。いずれにせよ、ピエモンテの美味しいチョコレートがベースにあったからこそ生まれた魅力的な飲み物である。
ところで、本家と言われるカフェ“アル・ビチェリン(Al Cicerin)”には10年ばかり前にも1度、そしてトリノ冬季オリンピック後の一昨年の秋にも言ってみたが、オリンピック以来かなり観光的になったせいか、その時にはアメリカ人らしき観光客で満席、いずれも名物のビチェリンを飲んでいた。今回の取材旅行でもアル・ビチェリンを訪ねたいと思っていたが、現地のコーディネーターが取材を申し込んだところ何故か断られたそうである。既に日本の雑誌などにもこの店はビチェリンの代名詞のように紹介されていることでもあり、自分としてはトリノの最後の夜にポー川の夜風で少し冷えた身体を温めてくれた”カフェ・ムラッサーノ“のビチェリンの味が忘れがたい思い出となっている。
蛇足になるが、”Al Bicerin”の手前の右角に“イル・バーカロ(Il Bacaro)”という名前のオステリアかワイン・バーのような店がある。このブログの読者の皆さんにはバーカロと言えばヴェネツィアの独特の居酒屋スタイルを指す言葉で店名にするようなものではないとすぐに分かるだろうが、自分としてはこのような芸の無い店名の付け方に失笑するしかない。飲食の文化と歴史を解しないだけのことであろうが。

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赤いテーブルクロスにシンボルのイラストの赤が印象的なプラッティ

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プラッティのバール

●思わず入りたくなるカフェ・プラッティ
ポルタ・ヌオーヴァ駅の前を通るヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りとヴィットリオ王通りの交わる角に“カフェ・プラッティ”がある。創業は1875年で他の多くのカフェ同様にレストランとしても営業している、“カフェ・リストランテ”である。最初はリキュールの店として開業したようだ。店の正面の入口の上には“CONFETTI(砂糖菓子)”と“LIQUORI(リキュール店)”と大書されている。その横には朱色の地にリキュールのボトルを左手に提げ、右手は赤いリキュール、おそらく日本でも知られるカンパリだろう、が入ったふたつのグラスの載ったプレートを高く掲げたカメリエーレの絵が描いてある。ピエモンテはリキュールの生産地としても有名で、ガスパーレ・カンパリが発明したカンパリやチンザノやマティーニが有名な甘口のベルモットやバニラとアニスの香りの黄色いリキュール、ガリアーノなど日本のバーでもよく見かける。もちろん、プラッティはその看板のようにチョコレートやいろいろなお菓子でも19世紀から有名な老舗のひとつとして、トリノのカフェ・レストランとお菓子の文化の一翼を担っている。

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プラッティのお菓子売り場。エンジェルの装飾に注目。

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コメント (1)

☆⌒(*^-°)v Ciao!!

“Caffe Mulassano”のビチェリン飲んでみたいです♪


素晴らしい写真ですね!

(^-^)ニコ


てりぃ~

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篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 新ブログスタートしました→http://blogs.yahoo.co.jp/fotombra

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