■サンタ・ジュスティーナ修道院・教会
ガヴィからモンジャルディーノ・リグレのモンテーボレ・チーズ工房を訪ねた後、アウトストラーダA7を走りノーヴィ・リグレ、カステッラッツォ・ボルミダを通りアックイ・テルメを目指す。ガヴィのラ・スコルカから同行の現地ガイド、ピヌッチャさんが「私の住んでいる町はカッシーネですが、その少し手前に是非見せたいところがあるのよ」と案内してくれたところがサンタ・ジュスティーナ修道院であった。イタリアはどこを訪ねても教会や修道院あるいは古代ローマの植民地に神殿などがあり、旅の半分はこうした宗教関連の建築巡りということもしばしばある。
サンタ・ジュスティーナ教会。西日を浴びてレンガ造りのファサードがより赤みを帯びる
サンタ・ジュスティーナ教会内部
建築様式もロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココなど様々だが、自分が好むスタイルは非常に対照的だが、静謐でストイックなロマネスク様式と躍動的で感情が迸るようなバロックである。ゴシック建築はあたかもアルプスの高嶺を仰ぐがごとくであり、ミラノの大聖堂のように華麗な美を感じるが、その緊張感と壮麗さに人を寄せ付けぬ力の圧倒があり、あまり長く見ていると首や肩の辺りに疲れが出る。ルネッサンス様式はあまりにも端正な美を求めるあまり、絵画には印象深い作品が多々あるが、建築においては時に退屈さを感じることがある。ロマネスク様式も端正ではあるが、より自然体の姿で飽きることがない。古い修道院の多くがロマネスク様式であるのは、その時代の隠遁的な修道の自然を敬う姿勢とシンプルな建築技術が合致している結果であろう。バロックには人間の力の限りを見せ付けようとする、欲望と驕りの深さをむき出しにしているところがドラマチックな面白さを感じさせる。人の心の中にはこれほどまでに対極的な、矛盾する感情が存在することをこれらの建築が証明しているようなものだろう。
1階の祭壇後部のフレスコ画
地下にあるクリプタの床のモザイク装飾
サンタ・ジュスティーナ修道院は722年にロンゴバルドの王、リュップランド(Liutprando)により創建され、1030年にセッツァーディオの貴族によりベネディクト派の修道院として大々的な改築がなされた。ナポレオン時代には他のピエモンテの教会や修道院と同じくかなり破壊されたが、ロマネスク様式を基礎とし、後にゴシック様式の装飾を施され、また内部は14世紀から15世紀にかけて描かれたフレスコ画の装飾があり、地下のクリプタ(聖堂・納骨堂)の床には11世紀にモザイク装飾が施されている。このクリプタ内には一切の照明がなく、訪れたのが日没近くであったので、ほとんど暗闇でモザイク装飾も見えないほどであったが、幸いにカメラのストロボ光で撮影することが出来た。この修道院の脇にはヴィッラ・バディアという館があり、修道院の教会で結婚式を挙げ、館のレストランやホールで披露宴が行える。URL:www.villabadia.com/Italia/Abbazia.asp
■アックイ・テルメの古代ローマの水道橋
セッツァーディオの修道院を後にしてアックイ・テルメを目指す道はボルミダ川と並んで走り、市内に入る手前の橋から河原に残る古代ローマの水道橋を見ることが出来る。アウグストゥス帝政時代のもので全長は13kmあったと推定されている。4連のアーチが美しく残り、ボルミダ川の岸から左手の野原にもアーチが落ちた遺跡が見える。河原に下りて水道橋を間近に見ることもできる。その河原から橋を見上げると夕日を浴びながらガイドのピヌッチャさんとドライバーのマウロさんが手を振っていた。

紀元2世紀頃のものと推定される古代ローマの水道橋
水道橋から見上げるとガイドのピヌッチャさんとドライバーのマウロ氏が手を振っていた
■ローマ時代からの温泉地、アックイ・テルメ
紀元前2世紀頃から温泉地として古代ローマ人が訪れ、都市を築いたアックイ・テルメは現在もイタリアを代表する温泉保養地のひとつである。ローマ人が温泉好きであったことはつとに知られているが、このアックイ・テルメはプリニウスやセネカ、タキトゥスなども絶賛したと伝えられる。湯質は硫黄、塩分、臭素、ヨウ素を含み、おそらく格闘技や戦争などで疲労し、傷ついた身体を消毒し、癒す効果が絶大であったろう。また、臭化カリウムは高揚した精神の鎮静作用、性欲抑制などに効果があり、19世紀には精神医療の治療薬として使われていたが、毒性もあるため現在は使われなくなったそうだ。街の中心にはラ・ボレンテと呼ばれる源泉の湧き出るところがあり、74.5度の熱湯が毎分560リットルの湯量で流れ出ている。
1879年に建築家ジョヴァンニ・チェルッティによって作られた大理石製の小堂、ラ・ボッレンテ(ボッレンテとは”沸いている“という意味)
常時74.5度の温泉が湧き出ている
アックイ・テルメはまたワインのブラケット・ダックイやドルチェット・ダックイでも知られるワインの生産地である。ドルチェットはアスティやアルバなどピエモンテ各地で作られるが、その土地の個性がはっきりと出るデリケートな葡萄で、独特の青みを感じるので、好き嫌いの差が大きいワインだが、バローロのブレッツァやヴァイラ、ドリアーニ近郊にあるカルーのチェッラーリオなどのドルチェットを飲めば、この品種の魅力を良く理解できるだろう。
トラヴェルサのブラケット“La Tia”
腹を空かしているらしいリストランテ・ラ・クーリアの愛犬がじっとテーブルを見つめる。しつけがよいので、ただこちらを見つめるだけだが。
ブラケットは通常は微発泡の甘口ワインに造られることが多いのだが、それはバローロやバルバレスコのネッビオーロ同様にかつては水代わりに食事と一緒に飲まれていた時代には、微発泡でアルコール度数も低いものが好まれていたからである。バローロやバルバレスコはブルゴーニュワインの影響を受けて現在のようなスタイルに進化したが、ブラケットの主流は未だに微発泡、甘口である。しかしながら、この葡萄から辛口のスティルワインを造っているところもいくつかある。
アックイ・テルメには”ラ・クーリア La Curia“というお気に入りのリストランテがある。かつて、ここでデザートに食べたブラケットを使ったジェラートの味が忘れられない。今回の取材でも嬉しいことにラ・クーリアでディナーを楽しんだのだが、残念ながら、ブラケットのジェラートはメニューになかった。食事の後で聞いたところ、現在シェフをしているマダムのご主人が作っていたメニューだそうである。その代わりに、ブラケットの辛口ワインのとても良いものを飲むことが出来た。ジュゼッペ・トラヴェルサ(Giuseppe Traversa)のカシーナ・ベルトロットで作られている”La Tia”という銘柄のワインの2005年で、たった2500本しか造られていないうちの235番であった。スミレの花を思わせる香りに、ラズベリーやカシスの味わいが爽やかで、肉料理にも魚料理にも合わせやすい上等なワインであった。
アックイ・テルメ名物のサラメ・バッチャート
ジェノヴァ風鱈の煮込み
ラ・クーリアで食べた料理のひとつに“サラメ・バッチャート(フィレット・バッチャート)”がある。サラミをスライスするとその中に生ハムの赤み(豚肉のフィレ)が入っている。サラミと生ハムのふたつの加工肉の味わいを同時に楽しめるもので、この地方ならではのものだ。しかし、ピエモンテ料理のほとんどは肉料理で、旅の後半ともなるとやはり魚料理も食べたくなる。しかし、メニューを見ると魚料理は1種類だけで、ジェノヴァ風鱈料理である。ストッカフィッソという干し鱈の肉厚の部分をひよこ豆と煮込んだものだが、見た目のあっさり感とは違ってなかなかボリュームのある一皿であった。魚料理ではあるが言うまでもなく、ブラケット・セッコのワインにも良く合い満足した。
リストランテ・ラ・クーリアからラ・ボッレンテを眺める
夕食の後の散策も楽しい
懐かしのカフェ・デッレ・テルメ
満タンになったお腹をさすりながら、外へ出るとボッレンテ通りの奥にラ・ボッレンテの白大理石の小堂が清らかに光っている。ドライバーと合流する広場に向かい夜のアックイ・テルメを散策したが、静かで町全体にエレガントな佇まいがある。そう言えば、この町に入ってすぐ見覚えのあるカフェを見つけ中に入った。広々とした店内と豪華なシャンデリアの輝く天井、長いバーカウンターの向こうから親しげに微笑みかけてくれたカメリエーラのお嬢さんの笑顔をふと思い出す。人に優しい町、心身ともに人を癒す町、それがアックイ・テルメなのだ。

