もう、かれこれ15年ほど前になるが「トスカーナの青い空」という本を出版した。10年間発行され続け、4,5年前に絶版となったが、自分にとってはイタリアとの関係をより深めるきっかけにもなった思い出深い本である。
その本を書くために1995年の1月から6月まで2回に分けてフィレンツェに暮らしたのだが、それまで閉鎖的に感じてきたこの町の人々との交流により、旅人としてではなくフィレンツェやトスカーナ各地を見ることが出来た。
もっとも、そこの何十年も暮らしている日本人の友人たちに比べれば、まだまだ知らないことばかりなのだが、生きるための基本姿勢としては、「住めば都」、「住みづらいからこそ詩が生まれ、画が出来る」という考え方を支えとしている。
すると、このトスカーナの、ことにフィレンツェという町の人々が、わが町、東京生まれの人々のように親しみを感じてくるのである。
本を書く仕事をしていると、自分の本でありながら出来上がってしまったものを、再び手に取り読み直すということはほとんどない。この「トスカーナの青い空」のように15年も前のものであれば尚更であるが、最近、これを復刻してみようかという思いになるきっかけがあり、久々にいくつかの章を読んでみた。そして、いまだにこの本をよろこんでくれる読者もいるようなので、今日は、その序章だけを紹介してみる。
序章 トスカーナへの誘い


トスカーナ、この美しい響きをもった地名をどれだけの人々が憧れてきただろうか。ヨーロッパの北からは太陽の光とレモンやオレンジの香りを求めて、イギリスやフランスからは食卓に置かれた葡萄酒やオリーブ油の生まれた故郷をひとめ見たくて、またスペインやポルトガルからも同じ神と学問の流れを育んできた兄弟の土地を訪ねるように、この地に向かって旅に出た。二十世紀に入ってもっとも盛んにイタリアを訪れてきたのはアメリカ人だろう。なんといっても新世界を「発見」したコロンブスはジェノヴァに生まれたイタリア人だということを知らぬ者はない。フィレンツェに生まれたイタリアン・モードを支えてきたのもアメリカだった。
フランス料理がフィレンツェのカトリーヌ・メディチがフランスに嫁いだときに持ち込んだというのはよく知られた話。ガラスは東方からヴェネツィアを通ってヨーロッパに広まったが、その中身のワインや香水そしてさまざま薬も毒もルネサンスの時代にフィレンツェで盛んに研究されてヨーロッパに広まっていたもの。柔らかで、エレガントな革のバッグや靴、そして何よりもミケランジェロやダ・ヴィンチ、ラファエロ、ボティチェルリなどの絵画の名作、オペラの発祥もフィレンツェを中心にこのトスカーナで生まれ育ったものばかり。



麗しきトスカーナ、オリーブの葉は銀に輝き、甘い葡萄の汁は樽の中で熟成の眠りをむさぼり、糸杉の梢はヤマバトやクロツグミの羽を休ませ、若草の野はアフロディーテがいましがたまで横たわっていたかのように、やわらかくうねり、甘い香りを漂わせている。なだらかな丘に羊飼いと農夫の小屋があり、そのまわりには真っ赤なケシやアイリスが咲いている。そこに住む人々は、悠久の日々をあたかも毛糸を紡ぐようにゆったりとしかし休むことなく生きている。


シエナやルッカ、フィレンツエのような町の生活もある。そこには酔い潰れた飲んだくれもいれば、気位の高い貴婦人や、河の流れに涙する詩人もいる。鼠はその河の両岸を往き来して右と左の情報を流しては、朝の鶏がそれを町中に知らせる。もう何百年もそんな毎日が飽きもせずに続き、積み重ねられ、いっそう珈琲色に艶々と照り、調合の秘密を明かさぬ香油のように、うっとりと夢想の世界に誘いこみ、道に迷った旅人をどうにでもしてくれとすべての拘束から解き放つ。


トスカーナの臍はどこにあるのだ。フィレンツェこそトスカーナの臍に違いない。そこからシエナの丘を越えて南の草原、マレンマの湿地帯に遊べば、エルバやジリオの島々はもうすぐそこの、青々としたティレニア海に見えるだろう。フィレンツェはトスカーナだけでなくイタリアの臍でもある。臍はちょっと窪んでいる。フィレンツエも町の周りを山に囲まれ、真ん中をアルノという河が流れている。大昔はピサから船でこの町に入った時代もあっただろうが、現代は鉄道を利用すれば、急行でローマから二時間半、ミラノからボローニャ経由で三時間、ヴェネツィアからニ時間程で着く。フィレンツェにも飛行場があるから飛行機を利用すればミラノ、ローマ、ヴェネツィアのどこからでも一時間で市内に入ることができる。
私がいつもフィレンツェに入るときはローマからアッシジやペルージアなどのウンブリアの町を旅してからか、ミラノからヴェネツィアをゆっくり楽しんでからにしている。どちらにも古くからの友人がいるので、いきなりフィレンツェに行ってしまうと怒られる。ゆっくりと鉄道で移動する旅情もいいものだ。時間が無いときはもちろん飛行機を使う。いずれにせよフィレンツェにいればどこに出るにも都合が良い。
船や馬車で訪れた昔から比べれば、今では飛行機が世界のどこからでも運んでくれる。思いついたら吉日、その日の夜にはトスカーナのどこかのホテルのベッドで旅の疲れを癒すことが出来るのだ。いつかフィレンツェの中華料理の店で働く中国人に、北京へはどうやっていくかと訪ねたら、カンポ・ディ・マルテから乗ればいいと答えた。フィレンツェのふたつ手前のローカル駅だ。世界はこんなにも小さくなった。恐れることも、迷うこともない、トスカーナの魅力に誘われたあとは近くの旅行代理店へ行ってキップを手に入れさえすればいい。旅に出るより簡単な決断はない。いざ、ボン・ヴィアッジョ!



コメント (1)
はじめまして。ブログはよく拝見させていただきますが、書き込みは初めてです。
現在フィレンツェに住んでいますが、ずっと昔、まだイタリアにあこがれているだけだったころ日本で購入したのが、まさにこの本だったんです。ああ、こんなところに住むことができたら、と漠然と感じながら大学の卒業旅行でイタリアを自然選び。。。そのあと時をおいて住むことになるとは思わなかったのですが。
ここにいると本当に自然の刻々とした移り変わり、光や雲の美しさを感じますね。まあ理不尽なこともたくさんありますが。(笑)これからも素晴らしい写真、そして奥深い食に対するエッセー楽しみにしております。
追伸 実はあるご縁で以前日本で篠さんの写真のサークルにはいってらっしゃったとてもステキなご夫妻とお友達なのですよ。なので勝手に身近に思わせていただいております。
投稿者: yossy | 2009年11月26日 20:53
日時: 2009年11月26日 20:53