蘇ったド・スパーデ
昨年、ヴェネツィアの居酒屋を訪ねて路地を散策するガイド・ブックを作った。たいへん好評で初版部数は残り1割程度だそうで、台湾でも翻訳され出版されることになった。この本には私の20年来の思いがあり、漸く日の目を見ることが出来たので、待ちに待ったという感慨がある。近年、ヴェネツィアでは新たな居酒屋が増えて、リアルトの市場付近の夜は見違えるほど賑やかになっている。拙著もこの流れに合致したものだと感じている。ただ、ひとつだけ心残りだったのが、ド・スパーデ(Do Spade)という店を収録できなかったことである。
夕暮れの市場界隈のバーカロ
ド・スパーデはリアルトの魚市場前にあるベカリエ広場に面した居酒屋ダ・ピントの真裏にある。そのダ・ピントの向って右に写真店があり、その右脇の端をふたつ左周りに渡って行くと、ド・スパーデのソット・ポルテゴ(潜り抜け)があり、その昼も薄暗い小路にカンティーナ・ド・スパーデ(Cantina Do Spade)がある。ド・スパーデとは”二本の剣”という意味で、由来は中世にこの潜り抜けのところに架かる小橋の上でひとりのコルティジャーナ(宮廷娼婦)を奪い合って騎士が決闘したという逸話にもとずく。以来、この橋はド・スパーデの橋と呼ばれ、この居酒屋はその名前をとっている。ド・スパーデはヴェネツィアの有名な放蕩男、カサノバが女性を伴って通い、当時は宿になっていた二階に上がったというエピソードも伝えられている。途中、近くにある聖マッティオ教会のふたりの尼僧が油を売る店を開いていた時代もあったそうだが、1970年にジョルジョという男が受け継ぎカサノバの時代のような居酒屋を始めた。もっとも2階はなかったが。

ド・スパーデの朝

ド・スパーデの夜
ジョルジョはフランスで取得したソムリエの資格も持っていて、90年初め頃、バーカロの本を作りたいと思い始めた私にヴェネツィアで飲まれるワインのことなどいろいろと教えてくれたことがある。ワインについて話し出すと客が来ても止まらないほど熱心だった。最初は無愛想な男だと思ったのだが、通ううちにオンブラをご馳走になる仲になった。数年前、突然にジョルジョが店を止めてしまった。この商売に疲れたといい、リアルトのアーケードの角に奥さんと雑貨屋を始めた。色とりどりのスカーフやアクセサリー、土産物などを並べた店に立つジョルジョはどこか居心地が悪そうで、多くは語らなかったが、「ま、人生ってわけさ」と肩をすくめた表情が未だに記憶にある。詳しい事情は聞かなかったがとにかくジョルジョのド・スパーデは閉めたまま、この路地はいっそう暗く、寂しいものになってしまった。

2000年のガイドブックで紹介した時の4代前のジョルジョ。
しばらくして、サン・ポロの方にあるオステリア・ヴィヴァルディに行くと馴染みのエミリオが現在のオーナー、ピノに変わっていた。エミリオはどうしたのかと聞くとド・スパーデをやっているという。それはまた良いことだと喜んで行くと、店はかつてのジョルジョの時以上に満員だった。朝の9時過ぎにオンブラ片手のおやじたちがワイワイやり、エミリオも持ち前の陽気さで古い常連にオンブラを振舞っていた。ところが、それも長く続かぬままエミリオはいなくなり、しばらく閉めたままのド・スパーデはかつての居酒屋から普通のリストランテに変身していた。だが、客で溢れているのを見たことがなかったし、私もここに足を向けることがなくなっていた。だから、昨年の本にも紹介しなかった。エミリオはド・スパーデを止めてしばらく準備期間を持った後に、ヴィヴァルディで右腕だったブルーノとカンピエッロ・レメールを開いた。これは拙著にも紹介したが、ヴェネツィアっ子の人気の店として連日賑っている。
蘇ったド・スパーデ
新しいオーナー、セバスチャーノ
今年の4月、ヴィニタリーに行ったついでにヴェネツィアに寄り、友人とプロセッコを飲みながら最近のヴェネツィア事情を話していると、なんとド・スパーデがまた変わって、昔のようなオステリアになったという。たった24時間しか滞在する暇がなかったが、親友のジョヴァンニがいるダ・ピントや一番お気に入りのアラルコにも寄らず、ド・スパーデに向った。なるほど、数メートル先から雰囲気が昔のようになっているのを感じた。
ヤリイカのフリット
鰯のから揚げ
ひき肉のポルペッティ(肉団子)
かつてのように、店の扉を押して入ると、顔を見知っている男たちが何人かいてオンブラの立ち飲みをしている。厨房にかっぷくのよい男がせっせと料理を作っていて、友人から聞いていたように、「セバスチャーノ?」と尋ねるとすぐに笑顔で「そう、俺だよ」と返事が返ってきた。「ド・スパーデが帰ってきたね。やっぱりこの店はこうでなくっちゃ。昔の姿が蘇ったようだ。」というと、セバスチャーノは「むしろ、前よりも良くなったんじゃないか」と半分本気で笑う。確かに、ヤリイカのフリットや鰯のから揚げなど料理も上々で、またまたヴェネツィアに来る楽しみが増えた。諸行無常、会者定離。人は変わっても時を重ねて築いたものの良さは必ずや人々の記憶に残り、きっと蘇ることが出来るのだと思った。それが文化というものだろう。 ただ、ヴェネツィアの家賃はかなり高いものだそうで、それが原因で経営が続かない店も多いとか。外資の力で新しい店が生まれたりして、かつてのヴェネツィアらしさが失われつつあるのではないかと危惧がないでもない。バンコ・ジーロのアンドレアのように味のある人間がこの街を離れつつあるのも現実だからだ。もっとも世代交代はいずこも避けられないが・・・
この路地の先に小さな橋がある。
リアルトの夜















鐘楼の下にある怪人マスクのレリーフ
ヴェネツィアの居酒屋のお手本のような店内
いつも豪快なジジと名シェフのカルロ
ヴェネツィアの家の主、本屋のルイジも常連。 





数年前、この店で知り合った友人、ロベルト。
食べて、飲んでお腹が満足したらヴェネツィアの夜景を楽しむ。
この光に憧れ、この光に吸い込まれた。
朝から常連が立つバンコ(カウンター)
バッカラ・マンテカート(干鱈をオリーブ油で練り上げたペースト)とポレンタ(トウモロコシの粉を熱湯で溶いて作ったもの)
ラ・ヴェドヴァのソアーヴェはいつも美味しい。



肝臓にもいいイカ墨のリングイネ
僕のマンマ、アーダ。



トレヴィーゾ特産のラディッキオ(赤チシャ)のグリル
レースの覆いのランプが昼も薄くらいテーブルを照らす。
“アル・ディアボロ・エ・ラックアサンタ”があるカッレ・ディ・マドンナ(マドンナの小路)
いつもこの店で出会う友人たち。煙草に火をつけているのが画家のフランコ、その左は写真家のカルロ、右は貴族の末裔、ピエロ。 

この店は小さな子供もいる家族でも楽しめる。ヴェネツィアっ子の常連、シルヴァーノの親類などがやってくる。
イタリアの子供は絵を描くのが大好き。

ヤリイカ、ホタルイカ、アンコウのフリット。まさに天ぷら、日本人の口にも違和感はまったくない。

春先なら何は無くてもカストラウーラですね。4月中旬から2週間くらいが旬です。これはサンテラズモというヴェネツィアの島で採れるアーティチョークのつぼみで、丸ごと食べられる柔らかさなのです。音楽に詳しい方ならカストラウーラの語源、想像つきますね。これはあの去勢された男性歌手、カストラートと同じ語源です。つぼみの内に摘み取るからですね。フランコはこれを生でペコリーノチーズのスライスと一緒にトーストに載せて、エキストラ・バージンのオリーブオイルをたっぷりをかけます。組み合わされた食材の言葉の意味を考えながら食べてみてくださいね。
(左上)サンテラズモ島のカルチョーフィ畑。カルチョーフィは株が大きい割には小さな蕾を収穫するだけなので、土地を広く使います。狭いヴェネツィアでは贅沢なことですね。(右上)これはヴェネツィアならではの名物料理のひとつ。カストラウーラ。(左)朝の一杯はまず、プロセッコから。シャワシャワと喉から胃袋を伝って全身を目覚ませてくれます。フランコが今朝のソルプレーザ(驚き)に何を作ろうか考えてます。

日本では太陽が明るいうちにアルコール類を飲むのはちょっと気が引けるようですが、ヴェネツィアでは朝から飲むのが当たり前。特に寒い冬はちょっとお酒を入れて、体を温めてから仕事を始めるというのが日常です。

ヴェネツィアのリアルト橋をサン・マルコ側に降りてくると、サン・バルトロメオ広場に出ます。向かって左手の路地を入って行くと角にこの居酒屋「アッラ・ボッテ」〔ボッテは大樽という意味)があります。入り口はとても小さいのですが、入ると正面に大きな樽を伏せたような円形のカウンターがあって、ここの名物にもなってる、大人の太ももほどの大きさのボロニェーゼ・ハムが載ってます。右の奥にはテーブル席が並んでいて、間口の狭さからは想像の出来ない広さにちょっとびっくりするでしょう。ヴェネツィアにはこのように間口が狭いのに入ると意外に広かったり、部屋がいくつもある店が多いのです。
夜には若者たちで賑わう「アッラ・ボッテ」ですが、朝は現役から引退した男たちの世界です。イタリアの人たちはお洒落ですが、ことにヴェネツィアの男たちは昔からシニョーリ、紳士と言われていた伝統があり、ちょっと居酒屋にワインを一杯飲みに出るときにも、ネクタイに帽子、冬なら上等なコートを着て出かけます。そして、旧友たちとのおしゃべりを楽しむのです。






ヴェネツィアのサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の近くにある酒屋、“Al Canton del Vin”で出会った人たち。開店祝いの日には教会の修道士さんもワインを飲んで酔っ払っていました。ここではボトルのワインの他にもダミジャーナと呼ばれる50リットル入りの大きなガラス瓶から、灯油を入れるのに使うようなポンプでお客が持ってきたボトルやペットボトルに量り売りのワインを入れます。1リットルで2ユーロ前後、それがイタリアで日常飲むワインの値段です。
ヴェネツィアの居酒屋、ダ・ピントは観光客も多く通る魚市場の広場、カンポ・ディ・ベカリエに面しているので、外国人の観光客も多い店です。観光客が多いというと、たいがいは味も良くないし、なかには料金をぼったくったりする店もなくはないのですが、このダ・ピントはまったくそんな心配はいりません。最近のイタリアではユーロになったとたんに物価が2倍以上に跳ね上がって、通常のレストランで食事をしたら50~60ユーロは当たり前、物価が高いヴェネツィアでは居酒屋でもその位になることがあります。
しかし、ジョヴァンニのダ・ピントなら30ユーロ前後で前菜、盛り合わせにパスタ、魚介のグリルとおいしいハウス・ワインを楽しめるでしょう。ちなみにイタリアでハウス・ワインをヴィーノ・デッラ・カーザといいますが、ダ・ピントのハウス・ワインはマクランという名門のワインを使っています。ヴェネツィアでは冬は特に冷えるので朝から”オンブラ”を飲む習慣があります。特に仕事が休みの土日には、朝の8時くらいになると開き始める店に客が5人、6人と集まり、カウンターも前に並び、店が溢れると外にグラスを持ってオンブラを飲みながら、友人たちと語り合っています。そして、必ず2,3軒はハシゴして歩きます。そんあヴェネツィアの居酒屋を現地では「バーカロ」と呼んでいます。
イタリアの水の都、ヴェネツィアではワインのことを「オンブラ」ともいいます。その昔、サン・マルコ広場の鐘楼の日陰にワイン売りの屋台が出ていました。太陽の動きにつれて日陰が動くと屋台も移動しました。イタリア語では「日陰」をオンブラと言いますが、ヴェネツィアっ子たちはワインが飲みたくなると「オンブラに行こう」と友人たちを誘い合い、いつのまにかオンブラと言えばワインを意味することになりました。今でもヴェネツィアの居酒屋ではオンブラと言えば、ワインが出てきます。後はロッソ(赤)かビアンコ(白)かを付け加えればいいのです。また、オンブラを動詞形にしてオンブラーレなどと言ったりもしているようです。
世界中どこへ行ってもその国、その土地ならではの酒がありますね。日本なら米から作る酒、イギリスならウイスキー、メキシコならテキーラ、中国は老酒とか、ドイツやベルギーではビールが主流。そしてイタリアはワインです。ただ、朝からワインを飲むという習慣はイタリアでもヴェネツィアとその近郊の町やピエモンテ州のトリノ周辺くらいなものでしょう。やはり、冬になると寒くなるので、体を温めるためにワインを飲むわけです。アルプスの山岳警備隊などはワインよりアルコール度数が強いグラッパを飲んだりします。イタリアでは全土で素晴らしいワインを生産していますが、南部はもちろん、ローマやフィレンツェでも朝からワインを飲むというのはあまり見られません。その代わりにバールでエスプレッソですね。北イタリアでもミラノとなると、やはり朝はコーヒーが多いようですから、ワインを飲むというのはヴェネツィア独特ですね。
右の写真の店はアンティコ・ドーロ(Antico Dolo)といいます。Doloはヴェネツィア近郊、本土側にある古い町で、周辺ではワインを作る農家がたくさんありました。料理も美味しく地元でも人気の見せですが、席数が少ないので夜は予約の観光客ですぐに満席になります。土地っ子は朝のオンブラーレで楽しみます。
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