2009年12月09日

ピエモンテからヴェネツィア、そしてミラノ

11月中旬から下旬にかけてピエモンテからヴェネツィア、そしてミラノまで旅をした。ピエモンテからヴェネツィアまでは私が企画した「芸術と美食の旅」で8名の友人たちとの楽しい旅であった。成田からアリタリア機でミラノ、マルペンサ空港へ飛び、そこから出迎えの専用バスでピエモンテ州カネッリ郊外にあるアグリトゥリズモ、ルペストルに到着。そして、オーナーの友人、ジョルジョ・チリオが用意してくれたチーズや生ハム、サラミなどで彼の作ったドルチェットやモスカートのワインで軽い夕食。日本から12時間の空路とマルペンサから2時間半ほどのバス移動にも関わらず、一同元気にワインやチーズを楽しんだ。チーズは今回の旅でも訪問予定の工房が作るヤギのチーズ、ロビオラ・ディ・ロッカヴェラーノを熟成違いの3,4種を味わった。栄養価が高く消化しやすいチーズは旅の疲れをとるには一番だ。

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アグリトゥリズモ、ルペストルの2階の部屋の窓からテラス越しに見えた風景。

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ガヴィのレストランのカンティーナで撮影した1952年と1964年のバローロ。

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ネイヴェで極上バルバレスコを生産するエリオ・フィリッピーノ夫妻。

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トリノ、王宮広場の夜。

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オルトレポー・パヴェーゼのワイナリー、カステッロ・ディ・ルッツァーノの葡萄畑の紅葉。

今回の旅は4月の取材でもここぞと思ったガヴィやモンフォルテ・ダルバのレストランでピエモンテ料理の真髄を味わい、ガヴィ、バルバレスコ、バローロのワイン生産者を訪ね、そしてトリノではカフェ文化とフランスの影響を受けたエレガントな街並み散歩を楽しみ、続いて、ロンバルディアのオルトレポー・パヴェーゼにある2つのワイナリー、アルバーニとカステッロ・ディ・ルッツァーノを訪ねてからヴェローナに入り1泊、ヴェネトを代表するヴァルポリチェッラやソアーヴェのワイナリーを訪れてから、ヴェネツィアで2泊してバーカロをハシゴしながら冬のヴェネツィアをたっぷり味わうという日程。日程的にはあと2日あるともう少しゆったりと歩けるのだが、主に現役の第一線で活躍するメンバーのグループだったので最初のアグリトゥリズモと最後のヴェネツィアだけが2泊であとはトリノとヴェローナに1泊づつというコンパクトなもの。しかし、季節はピエモンテでは白トリュフが旬であり、ロンバルディアやヴェネトでも秋の味わいを満喫した。

私はこのグループとの旅の後、ミラノで少し取材する必要があり、ひとり残り4泊ほどミラノに滞在し、路面電車のトラムを活用しながらミラノを歩いた。

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ヴェネツィアで写真家を撮る。ドイツ人らしいがリンホフという4x5インチ判フイルムを使うカメラ。題して“Fotografo fotografa fotografo!(写真家が写真家を撮る)”。

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写真家が撮影していた先に見える島の教会、サン・ジョルジョ・マジョーレの鐘楼からのパノラマ。この季節は霧に包まれることが多い北イタリアだ。

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夜になると霧はますます深くたちこめ、サン・マルコ広場もご覧の通り。

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ツアーのメンバーを空港まで見送り、馴染みの店のひとつ、“Al Milion”で独りランチ。そして慌しくミラノに列車移動。

イタリア旅行中に家人や友人に国際ローミングの携帯電話で写メールしたのだが、2,3年前にヴェローナからワイン博、VinItalyの記事を送った時にもその料金にびっくりしたが、今回はその倍になっていてより驚いた。原因は新しく買い換えたSoftbankの携帯が1千万画素、送信用に自動サイズダウンしても写真1つが295kb、その割にはパソコンで見るとせいぜいご覧のような程度。最近はコンパクトデジカメでも高画素を売りにするが、もともと受光素子が小さなところに画素数だけ無理に増やすのはあまり意味ないようだ。旅全体はとても満足したが、この写メだけは反省点。もともとアナログ人間ゆえの失敗。今後はよりデジタル人間を目差すか・・・

今回の旅の報告は一眼レフで撮影した写真とともに、近々、連載する予定だが、とりあえずはちょっと物足りないが携帯で撮影した写真で予告編。

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ミラノの親友、サンドロのアパートからは右手に中央駅が見える。

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ミラノに着いて初めて一日中太陽が輝き、青空が広がった。徒歩とトラムで夕方まで市内を歩いた。

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中央駅左側のトラムのターミナル。夜空には三日月も見えた。


2009年10月29日

ワインのあるべき姿、カステッジョのアルバーニ

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アルバーニのワイナリーで試飲の準備を整えたリッカルド・アルバーニ

●ミラノからポー河を越えて
オルトレ・ポー・パヴェーゼ(ポー河の向こうにあるパヴィアの地)、ミラノから車で1時間弱南下しポー河を越えたヴォゲーラの近くにカステッジョという小さな町がある。そこからもう少し南の丘陵地帯に入って行くサン・ヴィアージョ通り沿いに小さな田舎家のワイナリー、アルバーニがある。ワイナリーとしてはイタリアによくある家族経営の小さな葡萄農家だが、畑はその家や酒蔵を囲んだ周囲に広がり、ジープで左右に大きく揺られながら案内されると、サン・ヴィアージョ通りを挟んで、ここも、あそこもとびっくりする。

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サン・ヴィアージョ通りから見たアルバーニのワイナリー。建物の裏手に葡萄畑が広がる

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ワイナリーの前の道路の向かいにも葡萄畑が広がる

明るく陽光に照らされた丘の斜面の畑にはバルベーラ、ボナルダ、クロアティーナ、ウーヴァ・ラーラ、ヴェスポリーナ、ピノ・ネーロ、リースリングと様々な品種の葡萄が畑の微妙に異なる土質や日当たりの具合により区分けされ栽培されている。クロアティーナ、ウーヴァ・ラーラはボナルダと同系の葡萄である。ヴェスポリーナは別名ウゲッタとも呼ばれるが、ピノ・ネーロ、リースリング以外はいずれもこの地方のみではなくピエモンテのノヴァーラ周辺やロンバルディアからエミリア・ロマーニャ西部で広く栽培される葡萄でいずれもローマ時代からこの土地に存在する土着品種である。

オルトレ・ポー・パヴェーゼのワインでは10年ほど前にカステッジョから東へ30キロほど車を走らせたロヴェスカラにあるカステッロ・ディ・ルッツァーノという由緒あるワイナリーを訪ね、アグリトゥリズモとしても日本に紹介しているが、トスカーナやピエモンテ、ヴェネトなどに比べ日本ではあまり知られていない地味なイメージのワイン産地であった。しかし、ワイン生産としての歴史はローマ時代まで遡り、あまり流行にも乗らずに地元の人々に愛されてきたせいもあり、伝統的でいかにもイタリアのワインと感じさせる銘酒が数多くある。

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リッカルド・アルバーニの婚約者のクリスティーナさん


●アブルッツォのペペを彷彿とさせるワイン
ヴィニタリーの会場でイタリアの友人から興味深いワインがあるから飲んでみないかと誘われて行き紹介されたのがリッカルド・アルバーニであった。大柄の無骨な感じの男で、大きく見開いた眼でしっかりとこちらを見つめ、ゆっくり味わってくれと椅子を勧めるとすぐに10本ほどのワインをずらりと並べた。今年の春もヴィニタリーの会場で彼を訪ねるとすぐに、「さあ、座ってテイスティングをしてくれ。今日は“Costa del Morone”の02,03,04,05を飲み比べてもらうよ」とさっそくボトルを並べた。昨年飲んで大変気に入った99年物はすでに在庫稀少で出ていなかった。リッカルドは02年のワインをグラスに少し注ぎ、注意深く回しながらグラス全体にワインを馴染ませ、それを捨ててから改めて、ゆっくりと、慎重にワインを注ぎ、こちらに渡す。その仕草と真剣な眼差しを黙って見つめながら、彼の生涯を掛けた仕事を全身で受ける心地でグラスを手に取った。

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ヴェローナのヴィニタリーのブースでサービスをするリッカルド

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ワイナリーの試飲でリースリングを注ぐリッカルド

“Costa del Morone”はバルベーラ種を65%にクロアティーナ、ピノ・ネーロ、ウーヴァ・ラーラ、ヴェスポリーナを少しづつ混ぜて造られている。このように4,5種の葡萄を混合して造るのはこの辺りでは普通に行われてきた伝統的方法で、イタリアのワイン法でのDOCに認定されている。昨年の春もその“Costa del Morone”を99年から順に飲みはじめたとき、おや、これはどこかで飲んだことがあるワインだなと感じていた。翌年、リッカルド・アルバーニから送ってもらったサンプルの02年を友人のインポーターAVICOの阿掛氏と飲んでいたときにもそのイメージが蘇り、同時に「これはペペだね」と言葉がついて出た。

ペペとはアブルッツォで頑なに伝統的な造りを守りつつ銘酒の誉れ高いモンテプルチャーノを作っているエミディオ・ペペのことである。バルベーラやボナルダ系の葡萄からえもいわれぬフルーティ且つ、晩秋の森の濡れた枯葉のような熟成香を芳醇に漂わすのは、葡萄の違いというよりも、むしろ葡萄という数千年の歴史を重ねた果実が共通に持っている要素が、大樽の中で醸されることにより、その自然の持ち味を自由に出し切ったところから生まれるものだろう。近代イタリアワインはブルゴーニュのピノ・ノワールから造られるワインを手本に長熟で複雑な味わいのワインに発展してきたと言えるが、より多種多様な葡萄を有するイタリアではフランス以上に幅広く、奥行きのあるワイン世界を更に期待させる。こうしたワインは20年、30年と長期熟成させてからじっくりと味わうワインなのだ。少なくとも10年は待って味わいたいものである。

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アルバーニの葡萄畑でAVICOの阿掛社長と記念写真を撮影

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たった12本だけ在庫があり日本に輸入できた1999年のVigne Della Casonaの貴重な1本

余談だが、オルトレ・ポー・パヴェーゼのピノ・ネーロはスプマンテが2007年にDOCGに認定されている。元来フランスのブルゴーニュ地方の葡萄であるピノ・ノワールだが、ナポレオンの時代にイタリアに入り、ピノ・ネーロとして栽培されてきた。現在ではピエモンテ州からマルケ州まで北を中心に多く栽培され、それぞれの土地を反映した興味深いイタリアのピノ・ネーロ種からはスプマンテやスティル・ワインが造られている。ことにフランチャコルタのスプマンテはフランスのシャンパーニュにも負けぬ味わいがある。スティル・タイプならば、ピエモンテではマルケージ・ディ・アルフィエーリのサン・ジェルマーノ、マルケではルイジ・マンチーニの赤ワインが素晴らしい。


●酸化防止剤すら使わないアルバーニのワイン
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ワイナリーの樽の前に立つリッカルド・アルバーニ

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春の陽光を浴びる葡萄畑

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とても優しいリッカルドのお母さん


アルバーニでは“Costa del Morone”とほぼ同じ組み合わせの葡萄から畑違いの“Vigne della Casona”を造っているが、この畑はアルバーニが先祖代々受け継いできた大事な畑である。半世紀ほど自分のところや友人、知人のためだけにワインを造るだけであったが、1991年からリッカルドが本格的にワイナリー経営に再挑戦し、当初は4,5ヘクタールだった葡萄畑も現在は20ヘクタールに拡大している。リッカルドのモットーは葡萄と自然の持つ力を信じ、畑には化学肥料や殺虫剤、除草剤などの浸透性農薬の一切を排除し、またワインの製造およびボトリング時にも二酸化硫黄などの化学的酸化防止剤、防腐剤など一切の薬品を使用しないということである。
葡萄の発酵も大量に収穫し厳選した房を大きなタンクに入れて、その自重によって搾り出る果汁のみを葡萄に付着している自然酵母のみで発酵させる、いわゆるフリーラン製法を取っている。畑とならぶ草地には養蜂箱がならんでいるが、葡萄の花の受粉をミツバチが行うためである。繊細な命のミツバチを守るためにも農薬はやっかいな存在なのである。近年、世界的にそのミツバチの生存が危機に晒されている。イタリアでは古来からワインは神の手によって作られ、グラッパは人の手に寄り作られるという諺があるが、アルバーニのようなワインを飲むと、これがワインの本来あるべき姿であろうと実感する。

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葡萄畑の周囲には様々な種類の木々の森があり、草地にはミツバチの養蜂箱が並んでいる


●まだまだ知られぬロンバルディアのワイン
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パヴィア近郊のアグリトゥリズモで飲んだ“Buttafuoco”.はサラミやハム、肉のローストなどに良く合うしっかりしたボディのワインであった

オルトレ・ポー・パヴェーゼのワインは日本ではまだまだ多く知られておらず、アルバーニと同じカステッジョ近郊からはリーノ・マーガが知る人ぞ知るという程度だが、ロンバルディア全体を見ても、山岳部のヴァルテッリーナ、ブレーシャ周辺で生産されるスプマンテのフランチャコルタが日本では良く知られているほうだ。かつてアグリトゥリズモの取材をしていたときに、“Buttafuoco”を飲んだが、やはりバルベーラ主体にボナルダやピノ・ネーロなどから構成されるもので、大変しっかりしたボディのあるワインであった。

■イタリア文化講座開講します。詳しくはこちらのURLから:http://www.bellitalia.jp/popup/mangekyo_shino.htm

2009年09月10日

芸術と美食の旅、ピエモンテを行く ドルチェットの郷、ドリアーニ

今年の5月4日からスタートした「芸術と美食の旅、ピエモンテを行く」もいよいよ最終章となった。ピエモンテの州都トリノを出発して、ガヴィやアックイテルメ、ネイヴェ、ケラスコ、ブラなど実際の旅は正味4泊5日であったが、ピエモンテも他のイタリア各地と同じく、なかなか簡単に語りきれるものではなく、たった5日間の旅とはいえ、訪れた郷土の文化や歴史背景はイタリアの建国の歴史にとっても最重要地域である。そのため、つらつらと文が長くなりブログとしてはかなり重たいものになってしまったが、これもいずれはこのブログから誕生した「イタリア好き」第2弾として本にまとめることも念頭においての内容である。今回の取材では、ピエモンテ州とピエモンテ商工会議所によって運営されているCentro Estero per L’Internanazionalizzazione(www.centroestero.org 代表Angelo Feltrin氏)とトリノ在住の石井美絵氏の運営するジャパン・プランニング・アソシエツ(www.japanplanning.it)の多大なるご協力を得て実現した。この素晴らしい取材旅行を提案して頂いた御両者に心から感謝を申し上げたい。


ピエモンテの万能ワイン、ドルチェットの郷、ドリアーニ
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ランゲの丘陵を背景にしたドリアーニ近郊カルーのワイナリー、チェッラーリオのワイン

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チェッラーリオの代表的なドルチェット“SOL”を持つジャンピエトロ・チェッラーリオさん

イタリアのワインの面白さは土着品種の多さに尽きると言って良い。イタリア20州には必ず数種の土着品種がある。なおかつ、それらの葡萄が州の中で更に細分化され、葡萄畑の地質や微気候により個性を際立たせるのだ。そこに毎年の気象の違いが加味され、ワインの作り手の思想や土地と葡萄に対する愛情と情熱が大きく関わって1本のワインが生まれる。

ワインは地名を聞いただけでもワインの種類や銘柄がすぐに浮かび上がる。それだけ土地があっての産物なのだが、ネロ・ダヴォラはシチリア、サンジョヴェーゼはトスカーナやエミリア・ロマーニャ、プリミティーヴォはプーリア、カンノナウはサルデーニャと通常は州あるいは島など大きな範囲で葡萄から産地を想起するが、ドルチェットと言えば直ぐに思いつくのがドリアーニであり、またドリアーニと聞くとドルチェットのワインとひらめく。それだけインパクトが強い。

もちろん、ドルチェットが作られる土地はドリアーニだけではない。ピエモンテだけでもアルバ、アスティ、アックイテルメ、オヴァダ、ランゲ・モンレガージなどイタリアワイン法のDOCに指定された7つの地域があり、リグリアやロンバルディアなど他州でも作られている。しかし、アルバ周辺ではバローロ、バルバレスコに代表されるネッビオーロのイメージが高く、アスティではバルベーラやモスカートが、アックイではブラケットの方が印象が強いのではないか。葡萄は土地と気候により大きく変わるが、自分の性質に合わなければ本領を発揮しないわけで、ピエモンテの地で、ネッビオーロやバルベーラという優れた葡萄が確固たる地位を占める中で、ドルチェットがまさにドルチェットらしい個性を発揮できる土地がドリアーニとその周辺の地質にあるのだろう。その地質は主に石灰と粘土質で、バローロやバルバレスコを生むネッビオーロが好む土地に比べミネラル分は少なく、ドルチェットは酸味や渋みの少ない軽快な赤ワインになる。肉料理にはもちろん、魚料理にも合わせやすい万能的な飲みやすいさを持っている。蓼沼佐和さんの著書「ゼロからわかる イタリアワイン」でもバルバレスコ作りの王者と言われるアンジェロ・ガヤ氏が、もしも無人島に持って行くたった1本のワインならば何を持っていくかと聞かれたときに答えたワインが、このどんな食べ物にも合わせ易いドルチェットだったと書いている。

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チェッラーリオが誕生したサビノットの家の前で

ドルチェット、イタリア語の甘いという意味のドルチェを語源とするので、ワインをよく知らない人には甘口のワインを思わせるかもしれないが、この葡萄はネッビオーロに比べるとはるかに酸味も渋みも少ないので甘みのある葡萄ということから「ちょっとだけ甘い」というニュアンスでドルチェットと呼ばれるようになったわけで、決してモスカートのような甘口ワインではない。また、通常は1,2年の若いうちに飲まれることが多いので、赤の色もそれほど濃くなく、明るいルビー色にやや青味がかった赤紫で、香りも若葉の青味を感じさせたりする。人によってはその青味のクセを好まないほど個性が強く出る場合もある。最近の作り方では1本の木に実らせる葡萄の房の数を減らしたり、本来は早熟の葡萄だが、ゆっくりと生育させて密度を高めた葡萄から濃厚なドルチェットのワインを作る傾向にあり、より魅力を増している。2005年にドリアーニのドルチェットはDOCGに認定された。その後2008年にオヴァダのドルチェットがDOCGに認定されているので、ピエモンテでは現在2つの地域のドルチェットがDOCGに認定されている。


エイナウディの生誕地、カルーのワイナリー、チェッラーリオ
ドルチェットは16世紀にはすでにドリアーニで作られていたという記録があるそうで、その地位を更に高めたのは戦後イタリアの2代目大統領となったルイジ・エイナウディであろう。ドリアーニ近郊のカルーに生まれたエイナウディは23歳の時にドリアーニの葡萄畑を所有しドルチェットのワインを作り始めた。そのカルーで1971年からワイン作りをスタートさせたワイナリー、ポデーレ・チェッラーリオがある。

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12年前、廃屋となったサビノットの古い家の中でボトルを撮影した

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今年の4月に再訪したチェッラーリオの新しいカンティーナ

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カンティーナの中には試飲用にお洒落なバー・カウンターもある

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セメント製やスロベニア産の大樽、フレンチ・オークのバリックが並ぶチェッラーリオの酒蔵

1997年のヴェローナのヴィニタリー会場のピエモンテのパビリオン(イタリア語ではパディリオーネ)を歩いていると太陽の形の顔の面白いラベルが目に入った。その隣には色鉛筆で丘をイメージさせる2本の曲線をあしらったシンプルなラベルのワインが並んでいる。そのラベルに惹かれて一坪ほどの小さなブースに入ると太陽のラベルの顔と同じように目のギョロリと大きなおじさんとヒョロヒョロと痩せて背が高く眼鏡をかけた青年が起立をして出迎えてくれた。これがチェッラーリオ親子との最初の出会いで、父のジャンピエトロがニコニコと満面の笑顔で椅子を用意し、息子のファウストが緊張した面持ちで丸いテーブルにワイングラスを並べる。最初に飲んだのがまず目に入った太陽の顔のラベル、ドルチェットの“SOL”であった。非常に凝縮感がありながら、極めてナチュラルなテイスト。品のある軽い酸味に他のドルチェットとは違ったベルベットのような厚みのある舌触り。日本の巨峰やピオーネの葡萄の皮を噛み締めた時のような微かな渋みと酸味に旨みが合わさり、思わず「ブオーノ!(美味しい)」という言葉が出た。彼らはネッビオーロからランゲ・ネッビオーロを作り、バルベーラから”Sabinot”(サビノット)という赤ワインを作っている。ネッビオーロもサビノットも飽きの来ない、飲み疲れしない銘酒である。また、ファヴォリータもナチュラルな風味で夏も冬も常に傍に置きたい白ワインである。初めての出会いで彼らの作るワインの全てを味わい気に入った。その出会いから現在まで10年以上の付き合いが続いているのは、一重に彼らが作っているワインが純粋で、時間を繋いでいく価値と力を持っているからに他ならない。”In Vino Veritas”(ラテン語で「ワインには真実が宿る」という意味)言葉があるが、どんなワインにも真実が宿るわけではない。

この言葉を言ったら、“Dipende Vino(ワインにもよる)”と返えした生産者もいた。私の旅は常に“真実の宿るワイン”を求めての旅でもある。


2009年誕生の新しいドルチェット“San Luigi”di Podere Cellario
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今年発表された新酒のNo.1ボトルのラベルのサインを入れる筆者

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筆者のサインが入ったマグナムサイズのNO.1ボトル

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カルーの青空を背景にドルチェット”San Luigi”の赤紫が映える

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ワイナリーの中に日本の自然をテーマに筆者の写真を展示した

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ワイングラスを片手に写真展を見る人たち


チェッラーリオのワイナリーで写真展を開催
今年の4月、ピエモンテ州からの招待取材は筆者とチェッラーリオにとってとても嬉しいスケジュールが組まれていた。チェッラーリオは4月上旬のヴィニタリーで“San Luigi(サン・ルイジ)”という新しいドルチェットを発表した。ラベルには息子が描いた可愛い魚の絵があしらってある。サン・ルイジはドリアーニの特級畑である。そして、ちょうど取材の日程の最終日にチェッラーリオのワイナリーで、そのワインのお披露目パーティを開催し、カルー市長はじめ町の名士や友人などを招いた。そして、なんと名誉なことに最初に瓶詰めされたマグナムボトルのラベルに私がサインをするというイベントとこの式典に合わせて私の写真展を開催してくれたのだ。私がボトルにサインするシーンは地元のTVやサイト、新聞などでも画像入りで紹介されていた。

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ランゲの自然と景観保全を提唱するスローガン

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ワイナリーではジャズのライブも開かれた

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中央の若いふたりがファウスト・チェッラーリオと奥さんのチンツィアさん


日本のジャーナリスト、空を飛ぶ
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飛ぶ前から心が浮き浮きする気球初体験

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地上約30mからの眺め

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強風で遊覧飛行は出来なかったが楽しい体験

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千年の歴史を受け継がれてきたランゲに生きる喜び

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イベントを案内するパンフレット

このイベントの趣旨は単に新しいワインの発表のお祝いだけでなく、自然をこよなく愛するナチュラリストでもあるファウスト・チェッラーリオがランゲの自然の素晴らしさを讃えるとともに、環境保全の意識を広めようというメッセージも含め、訪れた人々には気球に乗って空の上からランゲの自然を眺めてもらおうという試みもあった。残念ながらこの日は強風のため、なんとか気球は揚げられたがロープを切り離して空の旅を楽しむことはできなかった。それでも私は30mほどの高さまで乗せてもらい、チェッラーリオのワイナリーの正面に横たわるランゲの丘陵の眺めを楽しんだ。チェッラーリオ・ファミリーと友人の皆さん、Grazie Mille! また、晩秋の旅で再会しましょう!

2009年09月07日

芸術と美食の旅、ピエモンテを行く ブラのホテルとカフェ・コンヴェルソ

ブラはスローフード発祥の地として知られている。ムラッツァーノ、モンフォルテ・ダルバ、ケラスコと取材旅行をして夕暮れにブラに着いた。泊まったホテル、ALBERGO CANTINE ASCHERI(www.ascherivini.it)はASCHER(アシェリ)という1880年創業のワイナリーが経営するもので、中世の雰囲気が漂う小邑ではびっくりするようなモダンなデザインのホテルである。しかし、たった一夜ではあったが、なかなか快適で、もしまたブラに泊まるのであればここに来るだろう。ただし、ホテルの敷地内にある系列のレストランの料理はスローフード発祥の地に巡礼する美食家たちの舌を満足させるほどではないだろう。翌朝の朝食は普通と言えばそれまでだが、エスプレッソのコーヒーも美味しく、このホテルの雰囲気とあいまって満足できた。

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中世のブラ旧市街を出てホテルに着いてみると過去から現代へタイムスリップしたような気分になるデザインのアルベルゴ・カンティーネ・アシェリ

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クロークに向かって左手にダイニング・フロアと小さなバールがある

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ロビーも寛げる雰囲気

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各階のフロアはこんな感じ

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広々として茶系をベースにしたシックな空間で快眠

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室内の壁にいくつか開いた小さな覗き窓からの眺め

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バス・ルームも快適

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ダイニング・フロアの窓の向こうの建物にOsteria Murivecchiがある

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大きな”ヌテッラ“が置いてあるのが微笑ましい。ヌテッラはヘーゼルナッツのクリームでピエモンテ産であり、イタリアのシンボルでもある

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スプーンに載せられたジャム。最近、レストランでも料理をこんなふうにスプーンの載せるのが流行っている

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朝はフルーツが特に嬉しい。食器もなかなか素敵なデザインを選んでいる

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チーズやサラミ、生ハムもピエモンテは美味しい。ハードな取材ではしっかり食べる


スローフード発祥の地、ブラ
ブラはスローフード発祥の地として、日本でもかなり知られている。今回は10年ぶり2度目の訪問ではあるが、なにしろ短い日程の急ぎ働きで、訪ねた目的は前述のホテルと古いカフェ、コンヴェルソである。が、その前にひとつ紹介しておきたいのが、市庁舎広場に面して建つ教会、サンタンドレア(Chiesa Sant Andrea)で、この教会のファサードはローマのナボナ広場にある“四大河の噴水“や”プロセルピナの掠奪“や”アポロとダフネ“などの優美で官能的なバロック彫刻の天才、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品だそうである。

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ローマの巨匠、ベルニーニがファサードをデザインしたサンタンドレア教会

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サンタンドレア教会の内観

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19世紀の趣を残るカフェ・コンヴェルソ

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昔ながらの製法のヌガー。後ろに型取りする手動のプレス機がある

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夕方にはほとんどのお菓子が売り切れていた

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地元のお客さんがひっきりなしにくる町のカフェ

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コンヴェルソのカフェ・マッキアート


カフェ・コンヴェルソ
ピエモンテの旅では州都トリノをはじめ各地で歴史のあるカフェやパスティッチェリアを見てきたが、このブラにあるコンヴェルソもそのひとつ。創業は1902年、フェリーチェ・コンヴェルソが菓子店を開き、フェデリーコとアレッサンドロのボリオーネ兄弟が現在のオーナーとなって伝統を継承している。カフェは地元の人のまさにオアシスと言ったところで、老若男女が入れ替わり立ち代り訪れるが、100年の歴史を感じる店の雰囲気のせいか忙しさはなく居心地が良い。短い時間のインタビューの後、店の外に出たところをフェデリーコに呼び止められ、振り返ると手にカカオの実を持って見せてくれた。

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大きなカカオの実を見せてくれたフェデリーコさん

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ケラスコからブラに向かう途中の川沿いで見かけた19世紀のアーチ

2009年09月01日

芸術と美食の旅、北イタリア・ピエモンテを行く 銘酒と美食の宝庫、ランゲ

ピエモンテ州クーネオ県のランゲ地方、正しくイタリアの美食街道の筆頭と言える地方でバローロ、バルバレスコの2大ワインを有し、アルバ、ドリアーニなどバルベーラやドルチェットのワインやタルトゥーフォ・ビアンコ(白トリュフ)の特産地としても食通には垂涎の地である。また、ピエモンテ州は様々なチーズの生産地でもあり、ロビオラ、ムラッツァーノ、トーマ、トミーノ、ラスケーラ、カステルマーニョ、モンテボーレなど百数十種類もあり、今日ではスローフードの運動が生まれたブラの地名がいっそうランゲを美食の地というイメージを強くしている。


ムラッツァーノのチーズ工房を訪ねる
ロッカヴェラーノのロビオラと並んで私が好きなチーズであるムラッツァーノを訪れた。村外れの国道沿いにあるチーズ工房を訪ねる前に、村を見下ろす小山の上にある塔を訪れた。15世紀頃に要塞として築かれ、33mの高さがある。残念ながら、塔には登れなかったが塔の立つ小広場から360度の眺望を楽しむことが出来た。

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ムラッツァーノの塔のある丘からの眺め

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15世紀に建てられた塔の高さは33m

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塔のある広場から眺めたランゲの風景。小雨に霞む春の田園

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メッレア通りにあり、大きな看板が目印のチーズ工房

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ロビオラ・ロッカヴェーラノにも似ているムラッツァーノのチーズ

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ムラッツァーノ・ペンタ農場自家製のサラミやパンチェッタの貯蔵庫

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薄くスライスして生で食しても美味しいが、カルボナーラに使うといっそう風味が香ばしく美味しいパンチェッタ

訪ねたところはムラッツァーノ・ペンタ農園というところでドリアーニからムラッツァーノ村に入る2kmほど手前のメッレア通り沿いにあり、店先やその上の方の坂を少し上ったところにある工房の前からはランゲの美しい田園風景を見渡せるところにある。ムラッツァーノのチーズは主に羊の乳を原料とするが、牛乳を混ぜたものもある。また、ここの売店ではヤギの乳だけのチーズもあった。その他、ヨーグルトやサラミ、パンチェッタなど加工肉もあり、パンチェッタを購入して帰国してからカルボナーラを造ったのだが、風味は抜群でやはり日本製のベーコンとは別物であった。

日本には生ハム、ベーコン、ソーセージなど国産の物が無数にあるが、数ばかりで何十年経っても本場の本物とは似ても似つかぬ物がほとんど。チーズも然り。時には偽物、紛い物に慣れた感性が本物に接したとき、その本物を受け付けられないという珍妙な現象もある。努々気をつけねばならない。


“ケラスコの接吻”というチョコレート
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古地図に見るケラスコ

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ノルツォーレ門のアーチ

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ノルツォーレ門からヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを北へ直進すると“勝利のアーチ”があり、その上にはロザリオの聖母像が祭られている

ムラッツァーノからドリアーニを越えて更に北上するとケラスコという町がある。歴史的には1243年にフェデリーコ2世の息子であるマンフレーディ・ランチャによって建設され、アルバやアスティとともに皇帝派に加わり、またミラノのヴィスコンティ家が統治した時代もあった。ケラスコの街を真上から眺めた古地図を見ると亀の甲羅のような形をして城壁が囲み、市内は碁盤の目のように道路が走り区分されている。ケラスコを挟むように左からストゥーラ・ディ・デモンテ川、右からタナーロ川が流れ、合流しアルバ方面へ流れるちょうど合流地点の丘の上にあるのだから要塞としての立地は良い。

1796年4月、オーストリアと戦っていたフランス軍はイタリアでの総司令官としてナポレオンを送り、ジョセフィーヌと結婚したばかりの若き英雄はこのケラスコを包囲、オーストリア軍との間に停戦協定を締結させ、5月にはパリでオーストリア側であったピエモンテ王、ヴィットリオ・アメディオ3世を講和条約に調印させフランスはピエモンテを支配下に置くことに成功する。ナポレオンはそのケラスコからの眺めの美しさをとても気に入っていたそうだ。

街の北側には”勝利のアーチ“がある。1630年のペスト禍から開放された記念に建てられた門で、その上には1647年から1688年の間にジョヴェナーレ・ボエット作のロザリオの聖母像が祭られている。1832年にはこの聖母像の両脇にサヴェリオ・フランツィ作の聖人像が2体づつ加えられた。アーチに向かって左手にある教会、サンタゴスティーノ(Sant‘Agostino)は1672年の建立で、やはりジョヴェナーレ・ボエットの設計による。

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伝統の味を伝える雰囲気のバルベーロの店

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バルベーロの定番、”バーチ・ディ・ケラスコ“

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様々なリキュール味のチョコ。唐辛子風味もある

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ロマーノ・レーヴィの幻のグラッパをチョコレート中に秘めた


1881年創業のチョコレート店“バルベーロ”
今日、ケラスコの名を世界に知らしめているのは、やはりグルメ王国ピエモンテの町らしく、“バーチ・ディ・ケラスコ(ケラスコの接吻)”という名前のチョコレート菓子で、大きな釜で炒ったヘーゼルナッツを砕いてチョコレートに練りこんだもの。街の中心を通るビットリオ・エマヌエーレ通りの中ほどにある”バルベーロ(Barbero)“という1881年創業の菓子店のオリジナルである。他にもリキュールが入ったチョコレート、何と今では幻となったロマーノ・レーヴィのグラッパを入れたチョコレートも作っている。これらのチョコレートは東京の自由が丘に同名の店ができて日本でも手に入る。ケラスコはまたルマーケ(かたつむり)料理でも知られている。また、ピエモンテの銘酒バローロの産地のひとつでもある。


モンフォルテ・ダルバの名店“オステリア・カタリ・デイ・モンフォルテ”
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小雨に濡れたモンフォルテ・ダルバの広場

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赤い外壁に青い鎧戸の窓、入口に描かれた絵が印象的な“オステリア・カタリ・デイ・モンフォルテ”

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ゴーギャンやルノワールの絵画を思わせる店内の装飾

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3階から見下ろした2階の空間

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オステリアの窓から見えるレンガ色が独特なネオゴシック様式の教会

ケラスコから再びドリアーニ方面へ南下するとモンフォルテ・ダルバの町がある。ランゲのワインのラベルを見るとしばしばこの“Monforte d’Alba”という地名を目にするが、北側にはノヴェッロ、セッラルンガ・ダルバ、バローロ、カスティリオーネ・ファッレットなどバローロの主産地が点在している。そんなわけで、この街には魅力的なレストランも少なくないが、そのひとつである“オステリア・カタリ・デイ・モンフォルテ”(www.osteriadeicatari.com)で昼食を味わった。このレストランは1950年までふた家族が住んでいた後、廃屋となったところをジョルダーノ・ジュゼッピーナさんの家族が1997年に修復、改装して3階建てのレストランとして1998年に開業した。壁にはグレゴール・デュリクのユニークな壁画が描かれ、窓からは1912年に完成したネオ・ゴシック様式の教会と高さ54mの鐘楼が見える。

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この店で飲むにふさわしいと選んだドメニコ・クレリコのバルベーラ・ダルバ。向かいはガイドのピエラさん。体形のごとくまさに美食家

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前菜に出たピエモンテソース(ツナベース)を詰めたパプリカ

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絶品、バルベーラで仕上げたリゾット

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鴨肉のラグーのタイヤリン(ピエモンテ名物のタリオリーニ)

昼食のワインには分厚いリストからドメニコ・クレリコのバルベーラ・ダルバを選んだ。それはメニューの中にバルベーラを使ったリゾットがあり、是非ともそれとともに味わいたかったのだ。前菜のひとつであるトンナータ・ソースを詰めたパプリカやピエモンテ名物のパスタ、タイヤリンのラグーなど料理のどれもが素晴らしかったので、タルトゥーフォの旬になる秋の旅行には是非ともここでもう一度食べたいと思っている。

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毎年、モンフォルテ・ジャズというフェスティバルも開催される

2009年08月22日

芸術と美食の旅、ピエモンテを行く 大統領のバローロ、エイナウディ

イタリアの町ではどこが一番好きですか?そういう質問をしばしば受けて困ることがあるように、イタリアワインの中で何が一番好きですか?という質問もよくあり、これもまた返答に困る。イタリアの魅力にどっぷりつかって30年余り、しかし、初めて飲んだイタリアのワインがトスカーナのキャンティだったことははっきりと記憶している。そして、キャンティやブルネッロなどトスカーナのワインは最も好むワインであった。そのワインを造るための葡萄、サンジョヴェーゼはあたかも古い友人のように親しみを持っている。しかし、近年、一番好きな、あるいは、もしも最後の伴として選ぶならばと考えたとき、ピエモンテやヴァルテッリーナ、ゲンメなどで造られるネッビオーロのワインではないかと思い始めている。

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大統領のバローロ、カンティーナで撮影したエイナウディのバローロ、コスタ・グリマルディ


●イタリアワインの真髄、ネッビオーロという葡萄
ネッビオーロは熟れてくると表面に霧(ネッビア)のように白く粉がふくことから名付けられたとか熟成が遅く収穫される10月にはよく霧が出るのでそのような名前になったとかの説がある。ヴァルテッリーナではキャヴェンナスカと呼ばれ、ゲンメやガッティナーラ辺りではスパンナ、ヴァルダオスタではピクトゥネールと呼ばれている、名前は変わってもこの葡萄の持つ個性には共通した魅力がある。そして、ピエモンテではバルバレスコやバローロというイタリアを代表する偉大なワインになる。最近のワインは黒かと思うほど深紅で、口に含むと重油(飲んだことはないが)のように重厚過ぎ、時には柿渋のような強いタンニンとそれに負けまいとする果実味たっぷりな甘さで一口飲んだだけでもうたくさんというものが多い。また、毎年通っているヴェローナのイタリアワイン博覧会(VinItaly)でもワインの品質は向上していると感じられるが、どれもこれも均一な美味しさで、一軒、一軒違ってもよいはずのワインが似たり寄ったりになり面白みがなくなっている。しかし、ネッビオーロの葡萄で作られるワインはあまりそのような均一性を持たず、不味いところははっきりと不味いワインになり似たり寄ったりの不味さだが、美味しいところのワインはやはりそのワイナリー、即ち葡萄畑や作り手の技術、姿勢を反映した個性的な魅力に溢れている。

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エイナウディのカンヌービ畑のバローロ 2001

ネッビオーロは若い時は色は明るいルビー色、熟成が進むにつれガーネットからオレンジがかり、20年、30年もすると褐色を帯びてくる。香りは複雑で、胡椒やシナモンのようなスパイシーさに干したプルーンや煮詰めたダークチェリーの香りもする。若い時にはミントのような甘い香りがすると思えば、熟成されてくると重油やなめし皮のような鉱物あるいは動物的な香りも感じる。この複雑な香りと口に含んだときの滑らかでいて、しっかりとしたボディ感と長い余韻が自然とゆっくりと味わうように仕向けてくる。それらを支えている芯となっているのが酸であり、熟成していないときのネッビオーロの酸は顔をしかめるほどの場合もある。それが時間の経過により柔らかく、しなやかにタンニンや糖分と調和を持った時には、少しでも長く口の中に留め、その酸味をも味わたいという思いになるのだ。


●イタリアワインの王様、バローロ
ネッビオーロの繊細なキャラクターは畑の違い、ミクロクリマを素直に反映する。ことにバローロではカスティリオーネ・ファッレットやバローロ、ラ・モッラは比較的柔らかでバルバレスコにも似た優しくエレガントな仕上がりになり、モンフォルテ・ダルバやセッラッルンガ・ダルバでは重厚で力強いものになると言われる。なかでも、バローロとラ・モッラに挟まれた地区にある小さな畑、カンヌービ、ブルナーテ、チェレクイオとサルマッサでは極めて優秀なネッビオーロを産出し、なかでもカンヌービのバランスの良さはトップ・オブ・トップと言われている。1980年代から90年代にバローロ・ボーイズと呼ばれ一世を風靡した生産者のバローロは葡萄の皮からタンニンとアントシアニンをたっぷりと抽出し、フランス産のバリックで熟成させることにより、非常に濃厚なバローロを作り出したが、その方法には賛否両論あり、モンフォルテ・ダルバのパルッソのように、このグループを脱退し、カンティーナの樽の中ではなく、畑の特徴を限りなく反映したバローロに復帰しているところも少なくない。バローロのブレッツァのサルマッサやミケーレ・キャルロのカンヌービ、ブルナーテ、チェレクイオなどは伝統的なバローロの味わいと畑の個性を良く反映した味わいを持っている。

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アスティにある樽の工房Gamba社がフレンチオークを使って造ったバリックが並ぶ。中身はコスタ・ガリマルディ畑のネッビオーロでバローロになる。

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熱くワイン造りを語るエノロゴのロレンツォ・ライモンディ氏

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カンティーナで出荷までの熟成を待つボトル詰めされたバローロ。1966年にDOC, 1980年にDOCGに認定されているが、法廷熟成期間は最低38ヶ月、リゼルバは62ヶ月と定められている。

ネッビオーロという晩成型の葡萄は歴史を重ねるごとに魅力を増し、また長期熟成にふさわしい素質があるがゆえに、自然が与える様々な要素を内包しつつ完成されていく葡萄であり、その力がバローロやバルバレスコ、ヴァルテッリーナ、ゲンメ、ガッティナーラといった魅力的でイタリアを代表する偉大なワインになるのだ。まあ、若い時にはサンジョヴェーゼから始まり、シチリアのネロ・ダヴォラだ、プーリアのプリミティーヴォだ、バジリカータのアリアニコだとプラムジュースを煮詰めたような濃厚なワインをごくごく飲んだりするのも楽しんだが、自分も齢を重ねてきたお陰で、熟成してオレンジ色を帯びたネッビオーロの魅力を心身ともに味わえる用意が出来てきたのだろうか。

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4月下旬、ドリアーニのカシーナ・テックの醸造所とカンティーナから見たテックの畑。春の日差しを受け、葡萄の若葉が伸び始めている。

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バローロ・カンヌービ2001年を注ぐライモンディ氏と現地ガイドのピエラさん。


●大統領のバローロ、ルイジ・エイナウディ・カンヌービ
さて、今回訪ねたドリアーニに本拠地を持つワイナリー、エイナウディであるが、このワイナリーの創設者はイタリアの歴史を知っている人ならばすぐに思いつく戦後2代目の大統領ともなった偉大な政治家で学者のルイジ・エイナウディである。1874年3月24日にドリアーニ近郊の村、カルーの名門の家庭に生まれたエイナウディは、1902年からトリノ大学で財政学の教授を務め、ファシズムが台頭するとスイスに亡命するが、戦後1948年から55年までイタリア銀行総裁、副首相、財政大臣などを歴任したのち、第2代大統領となりイタリアの戦後の復興に大きな役割を果たした。彼は若い時からイタリアの農業を発展させることに情熱を注ぎ、1897年、まだ23歳の時にドリアーニの葡萄畑を手に入れ、ドルチェットやバルベーラ、ネッビオーロのワインを造り始めていた。最初に手に入れたドルチェットの畑、サン・ジャコモやサン・ルイジはクリュ畑として素晴らしいドルチェットを生産しているが、更に、1958年にバローロのラ・モッラとノヴェッロの間にあるコスタ・グリマルディの畑を入手しバローロを生産する。彼は1961年10月30日に他界するが、ワイナリーを受け継いだファミリーは1997年にカネッリのガンチャが所有していたバローロの超特急畑とも言えるカンヌービの畑を手に入れ、醸造家、ロレンツォ・ライモンディ氏のプロデュースの基に優秀なバローロを生産している。

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2001年のバローロは近年最良の年だと語るライモンディ氏

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帰国して見つけた1995年ヴィンテージのバローロ


ワイナリーを訪問した時、ライモンディ氏は近年のヴィンテージでも大変高く評価されている2001年のカンヌービ畑のバローロを開けて試飲させてくれたが、芳醇な香りと柔らかで上品な味わいは深く記憶に残るものであった。帰国してからエイナウディのバローロの1995年のヴィンテージを見つけ、ピエモンテ料理との組み合わせを堪能した。                                    

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Luigi Einaudi Barolo 1995と緑ヶ丘、リストランテ・コルニーチェのイベリコ豚をひよこ豆と煮込んだ料理がワインに良く合っていた。

2009年08月14日

芸術と美食の旅 北イタリア、ピエモンテを行く バルバレスコの郷を訪ねて

●ポンツォーネのアグリトゥリズモの一夜
アックイ・テルメから12kmほど南下したところにポンツォーネという町がある。ピエモンテの州都トリノからは約80km、1時間ほど南下すれば地中海に面した都市、サヴォーナであり、ジェノヴァまでもおよそ80kmなのでトリノとジェノヴァの中間にある。地中海の風が届き、なだらかな丘陵と緑豊かな森が広がる。そのポンツォーネの山間部にあるアグリトゥリズモ、カシーナ・ピアッジェ(www.agriturismolepiagge.it)に宿泊した。

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アグリトゥリズモ、レ・ピアッジェの家

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レ・ピアッジェの宿泊した部屋。シンプルだが居心地は良い

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レ・ピアッジェのオーナー、ステファニア・グランディネッティさん

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温かなカフェ・ラッテと手作りの林檎のタルトやクロワッサン

アックイ・テルメでゆっくりと夕食を満喫してから到着したので時刻はすでに深夜11時を回っていた。車から降りると小雨が降っていた。すでに休んでいたらしい宿の主人、ステファニア・グランディネッティさんがガウンを羽織って迎えに出て、ドライバーや我々にそれぞれの部屋の鍵を渡してくれた。私は2階にある部屋に入るとまず室内の撮影を先に済ませ、そしてシャワーを浴び、ベッドに入る。ふわりと適度な弾力のベッドと羽毛の布団に包まれ睡魔に身を任す。

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庭先に咲くリラやチューリップの花々

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家の下の方を見ると大きな豚が見えた

翌朝、開けておいたカーテンの間から弱い光が差し込み自然と目が覚めたが、時計を見ると既に8時近くになっていた。連日、中身の詰まった取材で疲労が溜まっていたが、熟睡できたお陰ですっきりとした気分である。ただし、外は雨でちょっとがっかり。下に降りて食堂に行くとすでに朝食の支度がされていて、焼きたてのタルトやクロワッサン、自家製のジャムや蜂蜜がテーブルに並んでいる。ステファニアさんが「ボンジョールノ、ア・ドルミート・ベーネ?(よく眠れましたか?)」と声をかけ、熱いコーヒーとミルクを用意してくれた。昨夜は真っ暗で何も見えなかったが母屋の下にもうひとつ建物があり、大きな豚が柵から身を乗り出していた。庭には藤やライラック、チューリップの花々が雨模様の灰色の空気に色合いを添えていた。本来ならば数日は滞在してのんびりと田園の安らぎを満喫したいところだが、取材旅行ではそういうわけには行かない。出発時刻の9時少し前に今日の本命、バルバレスコの郷へ向かった。

●バルバレスコはネイヴェが発祥の地
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ネイヴェのバルバレスコの郷。蛇行するタナーロ川が見える

イタリアを代表するワインと言えばバローロとバルバレスコの名前があがる。ネッビオーロという土着の黒葡萄から作られる赤ワインはしばしばフランスのブルゴーニュワインを引き合いに語られ高く評価されている。それもそのはずで、このネッビオーロを上等なワインに仕上げる知恵と技術を伝えたのは19世紀、イタリア王国の初代首相であるカミッロ・ベンソ・カヴールが招聘しネイヴェに居を構えたフランス人の醸造技師、ルイ・ウダールである。当時は完熟したネッビオーロから甘口の、しばしば微発泡性に作られていたワインをブルゴーニュのような辛口のワインとして新風を吹き込み、トリノのサヴォイア家の人々や貴族たちを満足させたのであった。バローロによって成功を収めると次にネイヴェでもネッビオーロから辛口の赤ワインを造ることに成功する。その啓蒙によりアルバ農業大学のドミツィオ・カヴァツァ教授はフランスのモンペリエなどで醸造技術を学んだ知識を活かし、1894年、ブルゴーニュに勝るとも劣らぬ赤ワイン、バルバレスコを誕生させた。バルバレスコは1966年にD.O.C.に、1980年にはD.O.C.G.に認定され、今日、バローロと双璧をなすイタリアの代表的なワインに発展したのである。その赤ワインはネイヴェ、バルバレスコ、トレイゾで生産されるが、銘柄としてバルバレスコと称されている。



●小さな畑の偉大なワイン
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ヴェローナのヴィニタリーでマイネルドのロベルト(左)とイラリオ(右)

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葡萄畑に立つロベルトとイラリオと筆者。隣にはガヤの畑がある(Foto di Kyoko Katayama)

バルバレスコと言えば世界的にその名を知られているアンジェロ・ガヤがいる。彼とそのワインについては多くが語られ、彼自身の素晴らしい著書もあるのでここで説明する必要はないだろう。そのガヤの葡萄畑と接して小さな畑を持っているのが今回の取材で再訪したマイネルド(MAINERDO)である。マイネルドは1920年にネイヴェのジョヴァンニ・マイネルドによって創設された、バローロやバルバレスコを語る時にしばしば引用されるフレーズ「小さな葡萄畑の偉大なワイン」を生産するワイナリーである。1996年か97年の春、ヴェローナで毎年4月に開催されるイタリアワインの博覧会、ヴィニタリーでそんな小さなワイナリーの偉大なワインを探し歩いているときに出会ったのがマイネルドであった。一坪ほどの小さなブースでいつもにこやかな笑顔を絶やさない叔父さんときりっとした眉が印象的な青年、ロベルト、そして伝統的な風格を感じさせるワインのラベル。美味しいワインがあるという雰囲気がその小さなブースに漂い、テイスティングしてみようという気にさせる。

初めての出会いの時に81年や82年というオールド・ヴィンテージから89年、90年、91年と素晴らしい収穫年を味わい、いつかここのワインを日本に紹介したいと思っていた。ちなみに同時期に出会ったのが既に日本に輸入されているエリオ・フィリッピーノで拙著「イタリア好き」にも紹介した。2000年にネイヴェの街中でエリオ・フィリッピーノとロベルト・マイネルドのふたりに合い、彼らのワインを撮影したことがあるが、いずれ勝るとも劣らない魅力を湛え、彼らとは毎年1度は会い、そのワインを味わってきた。

●ワインは畑で決まる
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10月の収穫風景とネッビオーロの房

美味しいワインを完成させている作り手の多くが語るように、ワインの良し悪しを左右するのはまず畑で、恵まれた資質の土壌で、いかに健康的な葡萄を育てるかである。数千年の時を重ねて地球に生きてきた葡萄は本来強靭な生命力があり、太陽と適度な水分があれば他の農作物が育たないような痩せた土地にこそ良質のワインとなる房を実らせるといっても過言ではない。時々、どうしたらこんな不味いワインを造れるのだろうかと考えるようなワインに出会うことがあるが、そのほとんどが畑での面倒をあまりみていない葡萄を無造作に、大量に収穫して、ほとんど機械的に圧搾し、雑多な物が混在する果汁を酵母を加えて発酵させ管理の悪い酒蔵で熟成、瓶詰めされたものだ。質よりも量、スーパーで売れられているようなワインならばそれでも良いのだろうが、ワインという長大な歴史を内包してきたからには、それなりの敬意を持って作る心が大切だろう。マイネルドでは葡萄を発酵させるために、葡萄に付着した自然の酵母のみで行っている。しかし、葡萄の房すべてにその酵母があるとは限らず、そのためには大量の葡萄を同時に搾汁する必要があるが、それによって自然酵母による発酵を確実にしているのだ。仕上がったワインを飲めばそのヴィンテージがどんな気候であったか分かるのだ。

 バルバレスコの産地であるネイヴェ、バルバレスコ、トレイゾの3つの中で、トレイゾが最も軽やかな造りが多く、ネイヴェはタンニンもバローロほどではないがしっかりとあり、酸と糖分のバランスがよく取れている。バルバレスコ産はネイヴェとトレイゾの中間と言えようか。ネイヴェに畑とワイナリーを持つマイネルドのバルバレスコは若い内は硬さを感じるが10年、15年と時を経たものは実にエレガントな気品を蓄えつつも、骨格と芯のしっかりとしたネッビオーロらしさを堪能できる。おそらく20年から30年がこのワインの真骨頂を体験できるのかもしれない。筆者が味わったのは1980年、1981年、1982年の3つがオールド・ヴィンテージであるが、いずれも心地よい余韻にひたれる銘酒であった。現在は98年、99年がお薦めだが残り数百本と聞いている。

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大きなステンレスタンクで収穫した葡萄を発酵させる。最初の段階は近代的な技術で葡萄の品質を100%抽出することに専念する

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熟成はスロベニア産の大樽を主に、フランス産のバリックを適度に組み合わせる。2006年のバルバレスコになるネッビオーロを吟味する父と伯父と息子

バルバレスコについてだいぶ長く語ってしまったが、マイネルドでは当然のこと、バルベーラ・ダルバ、ドルチェット・ダルバ、アルネイス、モスカート・ダルバを造り、またバルバレスコを作った後の葡萄の搾り滓から素晴らしく口当たりのやわらかなグラッパも作っている。ただし、極めて生産量が少ないのが残念である。マイネルドはまたバローロも作っている。畑はウダールが最初にバローロを手がけたセッラルンガで、ここには日本でも良く知られているフォンタナフレッダやパッラディーノ、ブルーノ・ジャコーサなどが19世紀からバローロやドルチェットを作っている。バローロについては次回のメイン・テーマであるが、バルバレスコに比較すればよりタンニンが強く、それにバランスをとるために酸味や糖度、ミネラル分も強いため重厚なワインになることが多い。バルバレスコは女性的でバローロは男性的だと表現する人もいる。マイネルドのワインで初めて飲んだときに感動したのがバザリンの畑で育ったバルベーラ・スペリオーレで、濃いガーネット色とコルクを抜いた瞬間から広がる香りの高さ、そして、その目と鼻で得た喜びを口の中でしっかりと再確認させ満足感を得られたことだ。その感動が10年以上もマイネルドのワインと付き合うきっかけになったわけだが、更に、今年はアルネイスに感動と喜びを覚えた。

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バザリンの畑の葡萄を使ったバルベーラ・ダルバ・スペリオーレ

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筆者がアルネイスの中で一押しのランゲ・アルネイス

アルネイスは主にロエロ地方とランゲ地方で作られる白葡萄だが、ネイヴェの畑で作るマイネルドのアルネイスはランゲ・アルネイスである。麦わら色の輝きを持った色の白ワインでカモミッラや白ばら、桃などの香りやアカシアの蜂蜜、熟した林檎や梨など香りのバリエーションも複雑である。ロエロの方がミネラル分が多いと言われ、ブルーノ・ジャコーザはロエロで作るが、このマイネルドのランゲ・アルネイスを飲んでみると、非常に飲み応えがあり、飽きることのない深い味わいが常に爽やかに持続する。近年、上質のアルネイスが少なくなったが、やはり伝統を基本の柱にしながらも、現代の気象状況など様々な自然条件と葡萄本来の性質を研究し、近代的な技術と伝統的な技術の利点を十分に活かして作られたワインこそ具現できた味わいと品質であろう。機会があればこのブログの読者の皆さんにも是非、味わって頂きたいマイネルドのワイン。10月に筆者が同行案内するツアー「芸術と美食の旅、ピエモンテからヴェネツィアのバーカロ巡りを満喫!」URLでも、マイネルドを訪問し全てのワインやグラッパを味わいプログラムを組んであるので興味のある方はこのサイトをご覧頂きたい。
http://www.delsole.st/travel_italy\toshitour_0910.pdf

2009年07月22日

芸術と美食の旅、北イタリア・ピエモンテを行く アックイ・テルメ

■サンタ・ジュスティーナ修道院・教会
ガヴィからモンジャルディーノ・リグレのモンテーボレ・チーズ工房を訪ねた後、アウトストラーダA7を走りノーヴィ・リグレ、カステッラッツォ・ボルミダを通りアックイ・テルメを目指す。ガヴィのラ・スコルカから同行の現地ガイド、ピヌッチャさんが「私の住んでいる町はカッシーネですが、その少し手前に是非見せたいところがあるのよ」と案内してくれたところがサンタ・ジュスティーナ修道院であった。イタリアはどこを訪ねても教会や修道院あるいは古代ローマの植民地に神殿などがあり、旅の半分はこうした宗教関連の建築巡りということもしばしばある。

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サンタ・ジュスティーナ教会。西日を浴びてレンガ造りのファサードがより赤みを帯びる

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サンタ・ジュスティーナ教会内部

建築様式もロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココなど様々だが、自分が好むスタイルは非常に対照的だが、静謐でストイックなロマネスク様式と躍動的で感情が迸るようなバロックである。ゴシック建築はあたかもアルプスの高嶺を仰ぐがごとくであり、ミラノの大聖堂のように華麗な美を感じるが、その緊張感と壮麗さに人を寄せ付けぬ力の圧倒があり、あまり長く見ていると首や肩の辺りに疲れが出る。ルネッサンス様式はあまりにも端正な美を求めるあまり、絵画には印象深い作品が多々あるが、建築においては時に退屈さを感じることがある。ロマネスク様式も端正ではあるが、より自然体の姿で飽きることがない。古い修道院の多くがロマネスク様式であるのは、その時代の隠遁的な修道の自然を敬う姿勢とシンプルな建築技術が合致している結果であろう。バロックには人間の力の限りを見せ付けようとする、欲望と驕りの深さをむき出しにしているところがドラマチックな面白さを感じさせる。人の心の中にはこれほどまでに対極的な、矛盾する感情が存在することをこれらの建築が証明しているようなものだろう。

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1階の祭壇後部のフレスコ画

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地下にあるクリプタの床のモザイク装飾

サンタ・ジュスティーナ修道院は722年にロンゴバルドの王、リュップランド(Liutprando)により創建され、1030年にセッツァーディオの貴族によりベネディクト派の修道院として大々的な改築がなされた。ナポレオン時代には他のピエモンテの教会や修道院と同じくかなり破壊されたが、ロマネスク様式を基礎とし、後にゴシック様式の装飾を施され、また内部は14世紀から15世紀にかけて描かれたフレスコ画の装飾があり、地下のクリプタ(聖堂・納骨堂)の床には11世紀にモザイク装飾が施されている。このクリプタ内には一切の照明がなく、訪れたのが日没近くであったので、ほとんど暗闇でモザイク装飾も見えないほどであったが、幸いにカメラのストロボ光で撮影することが出来た。この修道院の脇にはヴィッラ・バディアという館があり、修道院の教会で結婚式を挙げ、館のレストランやホールで披露宴が行える。URL:www.villabadia.com/Italia/Abbazia.asp

■アックイ・テルメの古代ローマの水道橋
セッツァーディオの修道院を後にしてアックイ・テルメを目指す道はボルミダ川と並んで走り、市内に入る手前の橋から河原に残る古代ローマの水道橋を見ることが出来る。アウグストゥス帝政時代のもので全長は13kmあったと推定されている。4連のアーチが美しく残り、ボルミダ川の岸から左手の野原にもアーチが落ちた遺跡が見える。河原に下りて水道橋を間近に見ることもできる。その河原から橋を見上げると夕日を浴びながらガイドのピヌッチャさんとドライバーのマウロさんが手を振っていた。

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紀元2世紀頃のものと推定される古代ローマの水道橋

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水道橋から見上げるとガイドのピヌッチャさんとドライバーのマウロ氏が手を振っていた

■ローマ時代からの温泉地、アックイ・テルメ
紀元前2世紀頃から温泉地として古代ローマ人が訪れ、都市を築いたアックイ・テルメは現在もイタリアを代表する温泉保養地のひとつである。ローマ人が温泉好きであったことはつとに知られているが、このアックイ・テルメはプリニウスやセネカ、タキトゥスなども絶賛したと伝えられる。湯質は硫黄、塩分、臭素、ヨウ素を含み、おそらく格闘技や戦争などで疲労し、傷ついた身体を消毒し、癒す効果が絶大であったろう。また、臭化カリウムは高揚した精神の鎮静作用、性欲抑制などに効果があり、19世紀には精神医療の治療薬として使われていたが、毒性もあるため現在は使われなくなったそうだ。街の中心にはラ・ボレンテと呼ばれる源泉の湧き出るところがあり、74.5度の熱湯が毎分560リットルの湯量で流れ出ている。

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1879年に建築家ジョヴァンニ・チェルッティによって作られた大理石製の小堂、ラ・ボッレンテ(ボッレンテとは”沸いている“という意味)

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常時74.5度の温泉が湧き出ている

アックイ・テルメはまたワインのブラケット・ダックイやドルチェット・ダックイでも知られるワインの生産地である。ドルチェットはアスティやアルバなどピエモンテ各地で作られるが、その土地の個性がはっきりと出るデリケートな葡萄で、独特の青みを感じるので、好き嫌いの差が大きいワインだが、バローロのブレッツァやヴァイラ、ドリアーニ近郊にあるカルーのチェッラーリオなどのドルチェットを飲めば、この品種の魅力を良く理解できるだろう。

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トラヴェルサのブラケット“La Tia”

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腹を空かしているらしいリストランテ・ラ・クーリアの愛犬がじっとテーブルを見つめる。しつけがよいので、ただこちらを見つめるだけだが。

ブラケットは通常は微発泡の甘口ワインに造られることが多いのだが、それはバローロやバルバレスコのネッビオーロ同様にかつては水代わりに食事と一緒に飲まれていた時代には、微発泡でアルコール度数も低いものが好まれていたからである。バローロやバルバレスコはブルゴーニュワインの影響を受けて現在のようなスタイルに進化したが、ブラケットの主流は未だに微発泡、甘口である。しかしながら、この葡萄から辛口のスティルワインを造っているところもいくつかある。

アックイ・テルメには”ラ・クーリア La Curia“というお気に入りのリストランテがある。かつて、ここでデザートに食べたブラケットを使ったジェラートの味が忘れられない。今回の取材でも嬉しいことにラ・クーリアでディナーを楽しんだのだが、残念ながら、ブラケットのジェラートはメニューになかった。食事の後で聞いたところ、現在シェフをしているマダムのご主人が作っていたメニューだそうである。その代わりに、ブラケットの辛口ワインのとても良いものを飲むことが出来た。ジュゼッペ・トラヴェルサ(Giuseppe Traversa)のカシーナ・ベルトロットで作られている”La Tia”という銘柄のワインの2005年で、たった2500本しか造られていないうちの235番であった。スミレの花を思わせる香りに、ラズベリーやカシスの味わいが爽やかで、肉料理にも魚料理にも合わせやすい上等なワインであった。

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アックイ・テルメ名物のサラメ・バッチャート

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ジェノヴァ風鱈の煮込み

ラ・クーリアで食べた料理のひとつに“サラメ・バッチャート(フィレット・バッチャート)”がある。サラミをスライスするとその中に生ハムの赤み(豚肉のフィレ)が入っている。サラミと生ハムのふたつの加工肉の味わいを同時に楽しめるもので、この地方ならではのものだ。しかし、ピエモンテ料理のほとんどは肉料理で、旅の後半ともなるとやはり魚料理も食べたくなる。しかし、メニューを見ると魚料理は1種類だけで、ジェノヴァ風鱈料理である。ストッカフィッソという干し鱈の肉厚の部分をひよこ豆と煮込んだものだが、見た目のあっさり感とは違ってなかなかボリュームのある一皿であった。魚料理ではあるが言うまでもなく、ブラケット・セッコのワインにも良く合い満足した。

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リストランテ・ラ・クーリアからラ・ボッレンテを眺める

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夕食の後の散策も楽しい

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懐かしのカフェ・デッレ・テルメ

満タンになったお腹をさすりながら、外へ出るとボッレンテ通りの奥にラ・ボッレンテの白大理石の小堂が清らかに光っている。ドライバーと合流する広場に向かい夜のアックイ・テルメを散策したが、静かで町全体にエレガントな佇まいがある。そう言えば、この町に入ってすぐ見覚えのあるカフェを見つけ中に入った。広々とした店内と豪華なシャンデリアの輝く天井、長いバーカウンターの向こうから親しげに微笑みかけてくれたカメリエーラのお嬢さんの笑顔をふと思い出す。人に優しい町、心身ともに人を癒す町、それがアックイ・テルメなのだ。

2009年07月10日

芸術と美食の旅、北イタリア・ピエモンテを行く、モンジャルディーノ・リグレからアックイ・テルメへ その1

スローフードのプレシディオ、モンテーボレ・チーズ
地球の営み、歴史の変遷は誕生と消滅の繰り返しであるとも言える。今や恐竜やマンモスの生きた姿を見ることはできないし、今も消滅しつつある動植物は数え切れない。そうした消滅の危機は生物ばかりでなく、人間の文明と文化を支えてきた様々な手業にも言える。原材料が調達できない、後継者がいないなどの理由でせっかく築かれた伝統の技や文化が消えていく。

料理は人間が火を使って肉や魚、木の実などを焼いたり、煮たりと人手間加えることから始まったと言われるが、食物を生産するためにも様々な知恵が生かされ、発明があり、そして誕生したものが人間の生活を豊かに彩ってきた。しかし、そうした食べ物の世界にも消滅していくものがあり、その理由は自然環境の変化や乱獲によるもの、食べ物の世界にもある流行や原材料の消滅ばかりでなくさまざまな理由で生産者がいなくなって消滅するものなど多様である。

スローフード協会ではそれらのいわゆる”絶滅危機品種の食品“の保護と生産の活性化を目指すと共に、そのために必要となる健全な自然環境の保全や後継者の育成などを広める運動を展開している。そして、1999年にトリノで開催された食品見本市”サローネ・デル・グスト“において”味の箱舟“計画を発表し絶滅危機にある食品とその生産を保護するマニフェストを発布した。ことに保護が急がれる物については”プレシディオ(砦)“という枠組みに指定し広く社会の認識を高めるようにした。そのプレシディオのひとつにモンテーボレというチーズの生産がある。

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熟成したモンテーボレは石の城を思わせる存在感のあるチーズだ


1489年、アレッサンドリアの隣にある都市、トルトーナでミラノ公のジャン・ガレアッツォ・スフォルツァとナポリ王アルフォンソ2世の娘であり、ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァとは従妹になるイザベッラ・ダラゴーナの婚礼が行われた。そこには偉大な芸術家であり科学者であり、食通としても著名であったレオナルド・ダ・ヴィンチも招かれていた。傑作「モナリザ」のモデルはイザベッラ・ダラゴーナという説もある。その祝いの宴に唯一供されたチーズがモンテーボレであった。

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ヴァレノストラのモンテーボレ・チーズ工房のロベルト・グラットーネさん

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2,3週間の熟成を経たモンテーボレ。長いものは45日から60日くらい熟成させる


モンテーボレのチーズはすでに9世紀から11世紀にはベネディクト派の修道院で作られていた。ブルーナ・アルピーナ種の牛の乳を7割にトルトーナの羊の乳を3割合わせて造られるチーズだが、牛も羊も放し飼いの自然放牧で、この地方の健全で豊かな田園の草を食んで育ったものである。この地が第二次世界大戦の戦災にあって以来、最後の作り手が世を去って数十年、このチーズは幻のチーズとなっていた。それを1999年のサローネ・デル・グストにおいて蘇らせたチーズを出展したのがヴァッレノストラのロベルト・グラットーネで、このチーズを発掘しプレシディオとして復活を実現させる原動力となったのが私の友人でもあり、当時この地域のスローフードのリーダーであったマウリツィオ・ファーヴァである。

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モンテーボレのリコッタチーズはおぼろ豆腐のような軽い味わい

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チーズに合わせたティモラッソ種の白ワインがまた美味であった

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レストランに飾ってあった籐を編んで包まれたアンティークな携帯用ワインボトル


最初にチーズ工房の中に入った時には、4月下旬ながら発酵の温度を保つためか、生暖かい空気が頬に感じ、同時に強烈な匂いで眩暈を起こしそうであった。外国人の多くが日本の納豆の匂いに辟易した態度を示すが、日本人にとってはチーズの匂いが同じような異臭に感じるだろう。私はチーズが好きな方であるが、それでも熟成庫の中に入ったばかりは息が詰まるように感じることもある。まあ、それほどインパクトがあったモンテーボレだが、レストランのテーブルにカットされて並んだチーズを味わい始めると、熟成の若い真っ白なチーズから数週間の熟成を経たやや黄色実を帯びたものまで、ハーブやナッツの香りなど複雑な風味があり、なるほど奥深い味わいのチーズであることが分かった。

また、それに合わせて、添えられたモスタルダやジャム、蜂蜜がチーズの味わいをより引き立てるのである。更に、特筆したいのは一緒に試飲させて頂いた白ワインで、これはティモラッソという希少な白葡萄から造られ、これもまた12年ばかり前にブラのレストランでマウリツィオ・ファーヴァ氏に教えてもらったワインである。その時の作り手とは別のワイナリーのものだが、100%オーガニックで造られているもので、爽やかな若草や柑橘系の白い花の香りがするワインで、モンテーボレの熟成の若いタイプにはぴったりの組み合わせであった。

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ヴァッレノストラの建物の石積みはこの地方の伝統的なスタイルだ

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チーズ工房のある家の前に広がる牧場には姫りんごの花が咲き、大きな豚が自由に歩き回っていた。牛や羊はもっと奥の草原を散歩中。豚はシエナ原産のチンタセネーゼという希少種もいるそうだ


ヴァッレノストラでは観光客が宿泊しレストランで食事もできるアグリトゥリズモも運営している。今年で10年目になるそうで、健全な自然環境の中で都会の疲れを癒し、子供たちには自然の味わい、ことにモンテーボレのチーズのような希少な食べ物を味わいながら本物の味とその伝統文化を学ぶ食育のイベントなど、親子で楽しめる様々な催しを企画し、四季を通じて楽しめるそうだ。そして、年間に100ユーロの会費を払えば、”モンテーボレの友達“という会員になり、モンテーボレの祭りに参加できる。

Vallenostra Agriturismo e Caseificio, Soc.Cooperativa Agricola: http://www.vallenostra.it/

2009年07月06日

芸術と美食の旅 ガヴィの故郷を訪ねる

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マリオ・ソルダーティの著書「VINO AL VINO alla ricerca di vini genuineワインからワインへ」純粋なるワインを求めて(1969年)表紙

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「ワインからワインへ」の中のヴァルテッリーナを紹介したページ


数年前にイタリアの著名な作家にして映画監督としても知られるマリオ・ソルダーティが1969年に出版した"VINO AL VINO(ワインからワインへ)”という本の初版本を手に入れることができた。1977年の夏、初めてイタリアを旅行した時、たまたまローマの書店でソルダーティの書いた新刊本の小説”La sposa Americana(アメリカの花嫁) “を買ったことがありずっと記憶にあった作家であった。マリオ・ソルダーティは1906年にトリノで生まれ、1999年6月19日にテッラーノという町で他界しているが、この「ワインからワインへ」という本のために、シチリアからカンパニア、トスカーナ、ヴェネト、ロンバルディア、ピエモンテとイタリアを縦断している。彼はイタリア各地で土着品種による純粋なイタリアワインとは何かを追求し続けていた。

10年ほど前、スローフードという食文化の運動が日本にも伝わり始めた頃、現地のノーヴィ・リグレ地域のリーダー的存在であったマウリツィオ・ファーヴァ氏の案内でガヴィ周辺を回った。その折に、スコルカというワイナリーをちょっと覗いたのだが、実はこのワイナリーはマリオ・ソルダーティの血筋が経営するワイナリーである。その数年前にトリノのワイン・バーをあちこち巡った時、スコルカのガヴィの黒ラベルを飲んですっかり気に入っていたので、自分にとってはガヴィと言えばまずスコルカであった。

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ラ・スコルカのワイナリーと葡萄畑

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ラ・スコルカの4代目、キアラ・ソルダーティさん

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ま、こんな感じでお仕事中!


現在、スコルカの運営を担っているのはマリオ・ソルダーティの姪にあたるキアラ・ソルダーティさんで4代目にあたる。曽祖父の時代にはまだワイン造りよりも小麦生産農家であったが、祖父のアルフレッドの義理の息子であるヴィットリオ・ソルダーティとマリオ・ソルダーティがワイン造りに目覚めたのがスコルカを大いに発展させるきっかけである。キアラさんは1974年の生まれで大学では政治経済学を専攻し、農業経営の事業家として父のジョルジョ・ソルダーティ氏とともに1919年創業のワイナリーのすべてを引き継いでいる。

今年で90年目を迎える祝賀パーティの招待を頂いていたがこちらの日程が合わず残念に思っていたところ、ピエモンテ州観光局からの招待取材ツアーの日程を見たら、そこにスコルカが予定されていた。祝賀パーティより先に帰国しなければならない日程ではあったが、久しぶりにガヴィを訪ね、キアラさんにも会うことができた。もっとも、この取材の前の4月上旬にはヴェローナのヴィニタリー(イタリアワイン展示会)でジョルジョ・ソルダーティ氏には会い、1997年物のスプマンテをグラスに注いで頂いていた。

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ヴィニタリーの会場に並んだスコルカのワイン

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’97年のスプマンテ”D’ANTAN”。長期熟成されたコルテーゼ種の芳醇な香りと肌理細やかな泡立ち


ガヴィはコルテーゼ種という土着の葡萄から作られる白ワインで1998年にイタリアワイン法によるD.O.C.G.に認定されている。かつてはどちらかというと甘口のワインとして仕立てられていたが、近代に入りこの地は地中海に面したリグリア州に接し、沿岸地域の魚介料理に合わせるワインとして需要が高まると、すっきりと酸味が利いた辛口ワインとして造られるようになった。しばしば、ガヴィ・ディ・ガヴィという呼称を聞くが正式にはコルテーゼ・ディ・ガヴィやガヴィ・デル・コムーネ・デル・ガヴィと言う。ただ、ガヴィがあまねく知られるようになるとガヴィ市以外の近隣でも同じように造り始めたので、より印象を深くするためにガヴィ・ディ・ガヴィという呼称が生まれた。スコルカのガヴィは先駆者的存在でもあり品質も優秀であることから、当然、既に日本にも昔から輸入されているがトップランクの高級ワインである。他には求めやすい価格のフォンタナ・フレッダや今回の取材でも訪ねたヴィッラ・スパリーナなど数十の生産者がある。

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勢ぞろいしたヴィッラ・スパリーナのワイン

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ヴィッラ・スパリーナの酒蔵

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ヴィッラ・スパリーナのレストランのバーカウンターにて

ヴィッラ・スパリーナはガヴィの東にあるモンテロトンドにある18世紀の古いワイナリーを1978年に現オーナーのモッカガッタ氏が購入し、ワインの醸造家としてジュゼッペ・カ・ヴィオラを迎えて素晴らしいワインを造っている。カ・ヴィオラのワインも既に日本に輸入されているが、特にバルベーラなどの赤ワインは現代的な輪郭のはっきりした造りであるが、同時にピエモンテらしい伝統の深み、葡萄とその土地のミネラルを十分に感じさせるワインである。そのカ・ヴィオラが力を注いでるヴィッラ・スパリーナのワインは白のガヴィもよいが、バルベーラやドルチェットで造られる赤ワインも飲み応えがある。ヴィッラ・スパリーナはホテルとレストランも同時運営しており、モッカガッタ氏の趣味だという雄鶏のオブジェや絵があちこちに飾ってあり、酒蔵の中の雰囲気もなかなか良いので、次回は泊りがけで来たいものである。

午前中に2軒のワイナリーを訪問したところですっかり昼をまわっていたが、いよいよガヴィの街中にあるレストランで昼食を味わえることとなった。

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ガヴィの駐車場から見上げた中世の要塞

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ガヴィのメインストリートからサン・ジャコモ教会の鐘楼を見る

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サン・ジャコモ教会のファサード

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リストランテ・カンティーネ・デル・ガヴィ


訪れたレストランはガヴィのドゥオーモ、サン・ジャコモ教会のすぐ近くにあるカンティーネ・デル・ガヴィという店であった。サン・ジャコモ教会は12世紀のロマネスク様式の教会で、この地域の石である砂岩質の石で造られているため、シンプルな造りとあいまって柔らかな温もりを感じさせる。そして、リストランテ、カンティーネ・デル・ガヴィの入り口にある店名が彫られたプレートもまた同質の石を使っているようである。

17世紀の貴族の館であったという店内はベンガラ色の壁面と時代を感じさせる木のテーブルや調度の広い空間とその奥にもまたやや明るめの赤茶に壁が塗られた部屋があり、その天井にも古いフレスコ画が修復されて残っている。オーナーのアルベルト・ロッキ氏の娘、ロベルタさんがフロアを仕切っているが、厨房には若い男女の料理人と女性アシスタントが1名いた。ちょっと気忙しい取材だったので、テーブルについてまず冷えた水とそして続けて出された野菜がたっぷりと美しく飾られたサラダに白ワイン、もちろんガヴィを一口飲むととたんに全ての疲れが消えた。瑞々しい野菜サラダやホロホロ鳥の料理に合わせて出されたガヴィのちょうど良い冷え加減とその味わいに、申し訳ないがこの取材の中でももっとも印象的なもので、続けて味わったガヴィを使ったリゾット、肉料理とそれに合わせた独創的なトンナータ・ソースの味わい、そのための赤ワインなどなど最後まで満喫した。

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カンティーネ・デル・ガヴィの店内

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瑞々しい野菜のサラダとホロホロ鳥の白ワイン(ガヴィ)蒸し

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ガヴィを使ったリゾット

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前菜からプリモピアットに合わせた白ワイン、Nicola Bergalioのガヴィ・ディ・ガヴィ

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肉を切り分けるロベルタさん

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メインの肉に合わせたのはVajraのドルチェット・アルバ Coste&Fossati


食事の後にロベルタさんがカンティーナを見ないかと地下の酒蔵まで案内してくれた。小さな窓にはステンドグラスがはめ込まれ、その下には昨年他界したグラッパ造りの名人、ロマーノ・レヴィのボトルが並んでいる。奥へ入っていくと、無数のオールド・ヴィンテージのボトルが棚に並び、また床に置かれた大きな木箱にもワインが積まれている。銘柄を見るとアンジェロ・ガヤ、ビオンディ・サンティ、ピオ・チェーザレ、スカルパ、ボルゴーニョなどピエモンテを中心にトスカーナのブルネッロなどいずれも銘酒と名高いもので、30年、40年とここで眠らせている物だった。これはロベルタさんの父のアルベルト・ロッキ氏がコレクションしてきたものだそうである。

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地下のカンティーナのステンドグラス

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地下のカンティーナには自家製のサラミなどが保存されている

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カンティーナに案内してくれたオーナーの娘さん、ロベルタ・ロッキさん

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アンジェロ・ガヤのバルバレスコやビオンディ・サンティのブルネッロのオールド・ヴィンテージが並んでいる

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大きな木箱にもピオ・チェーザレ、スカルパ、ボルゴーニョの70年代のボトルが眠る

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昨年他界し貴重な遺作となったロマーノ・レヴィの手書きラベルのグラッパのコレクション


今日が初対面で、最初はどことなくよそよそしさを感じていたロベルタさんだが、食事の合間にあれこれとワインの談義をしているうちに地下の酒蔵の宝物を見せてくれた上、なんとそれらのコレクションを日本のコレクターに紹介してもらえないかと、あなたになら全部任せてもいいとまで言った。これだけのコレクションはなかなか見つけるのも大変だが、それを任せると言われるのは大変名誉なことでもあり責任重大な話であるが引き受けることにした。

秋に予定しているツアー(http://www.delsole.st/travel_italy/toshitour_0910.pdf)ではもちろんこの“カンティーネ・デル・ガヴィ“で昼食を楽しみ、ちょっと高級な自腹払いになるだろうが、70年代のバローロでも味わってみたいものである。

2009年06月11日

芸術と美食の旅、北イタリア・ピエモンテを行く トリノのカフェ文化その2

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1836年創業のStratta

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カヴールのサインが入った請求書

●イタリア初代首相、カヴール伯爵御用達の菓子店、ストラッタ
イタリア王国の初代首相となったカヴールはトリノのカフェ文化を世界に広めた人物としても知られている。甘いものが大好物であったカヴールは諸外国との外交の時の贈答品やレセプション・パーティのケータリングとしてトリノの名店のチョコレートや菓子を大量に発注した。1836年、サン・カルロ広場に開業したカッフェテリア・ストラッタを訪れたとき、カヴールが外務省主催のパーティのためにチョコレートやコンフェッティ、マロングラッセなどをキロ単位で大量に発注したときの請求書のコピーを頂いた。それによると、29kgのマロングラッセ、18kgのシャーベット、37kgのキャラメルかけフルーツの他に焼き菓子やジャムなど総額2,547リラ60セントと記されている。もっとも、これらの大量注文の理由が、カブールが甘いもの好きだったからというよりも、当時からトリノのお菓子は重要な産物として高く評価され、また輸出品としても国を挙げて売り込みに力を入れていたのだろう。カカオにはテアニンという物質が含まれ、気分を冷静に落ち着かせ、頭を働かせる効果があるそうだから、誕生したばかりの国家の会議場や外交の席で高揚した気分と疲れた脳を休ませるためにも功を奏したに違いない。

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アーモンドを砂糖で包んだコンフェッティは結婚や出産のお祝いなどに知人や友人に贈られる。

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ストラッタのショーウインドーに飾られたコンフェッティやチョコレートのボックス。

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ストラッタの店内

●フィギュア・スケートの荒川静香選手もお気に入り?
ストラッタはトリノ名物のヘーゼルナッツクリームとチョコレートを合わせたジャンドゥイオットでも高く評価され、ストラッタと言えばジャンドゥイオットをすぐに想起させるほどの代名詞的存在である。2006年のオリンピック冬季大会がトリノで開催され、日本の荒川静香選手がイナバウアーの妙技を見せて堂々の金メダルを獲得したが、その荒川選手もストラッタを訪れサイン入りのカードを残している。上質なチョコレートとヘーゼルナッツの香ばしさが絶妙の配合で組み合わされ、味わいの余韻がいつまでも続く。ひとつ食べるとまたひとつと続けてしまう。もちろん、食べ過ぎれば肥満や余病の原因にもなるのだろうが、スポーツ選手並に運動をしていればむしろ必要な栄養素ではないか。

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荒川静香選手のサイン入りカードとジャンドゥイオット

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プッチーニのオペラ「蝶々夫人」のイメージをデザインしたボックス

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フィオーリオのバール

●フィオーリオ、自慢のジェラート以外にも
ポー通り沿いにあって以前に訪れた時に食べたジェラートの味が忘れられなかったのがフィオーリオであった。19世紀から20世紀の始め、ここのジェラートはわざわざナポリから取り寄せていたそうで、それが今日も美味しいジェラートの店として毎日行列が出来るほどの原点である。今回の取材でバールの奥にあるサロンを見たが、外から一見しただけでは想像も出来ない優雅な空間がそこにあった。しかも、ランチタイムにはこのサロンでバイキング風に自分の好きなものを選んで気軽に昼食を楽しむことも出来る。日本のようにラーメン屋やスタンドのカレー屋に行列するのではなく、トリノではこのように昼のランチをカフェで摂るのが普通のようだから、まったくお洒落である。最近はローマやフィレンツェでもこのようなカフェのスタイルが増えているようだが、日本のような忙しない日常生活の中にこそランチタイムくらいは優雅にしたらと思うのだが、やはり国民性の違いで、バカンスと同様になかなかこういう優雅さの真似はできないようである。

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サロンではランチタイムの準備をしていた。

●宰相カヴールのテーブル
フィオーリオは1780年に創業されて以来常に貴族や学者などセレブレティの集まるところで、フィオーリオのバールから二つ目のサロンはカヴールの部屋と呼ばれるサロンがあり、カヴールが決まって座っていたテーブルの上の壁には彼の肖像が掛かっている。カミッロ・ベンソ・コンテ・ディ・カヴールは1810年トリノに生まれ、イタリア王国初代首相、外務大臣、サルデーニャ王国首相としてイタリアの統一とその後の国家の方向と位置づけに多大な貢献をした。ことに外交政策に長け、また鉄道網や流通の整備、農業政策の改革と農生産の促進に尽力を注いだ。1832年から1849年まで領地であったアルバ近郊のグリンザーネ・カヴール市の市長を務めた時代には、砂糖大根の栽培やフランスのボルドーから醸造家を招きワインの生産をしたり、またイタリアで最初に化学肥料を試用するなど農業技術の研究にも熱心であった。

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カヴールのサロン

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カヴールがいつも座っていたテーブルの壁面に彼の肖像が飾られている。

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アール・ヌーヴォー様式のデザインが美しいカフェ・ムラッサーノ

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昼もちょっと薄暗いところが落ち着いた雰囲気を感じる店内。


●アルプスから届く地下水を汲み上げた美味なるカッフェ
カステッロ広場にあるアール・ヌーヴォー調の古色蒼然とした雰囲気を醸し出すカフェが1907年創業のムラッサーノだ。1800年代から1900年代の初めに流行したアール・ヌーヴォの建築家のひとり、アントニオ・ヴァンドーネの設計で、他のカフェに比べこじんまりとしたスペースがむしろこの様式には合っているように思える。入口から入ると正面にカウンターがあり、その中央に陶器製の大きな植木鉢を載せたベージュ色の大理石製の台がある。よく見るとその台の両脇に小さな蛇口があり水がちょろちょろと流れ、小さなガラスのコップを溢れさせている。口ひげが白くなった年配のバリスタにこの水は飲めるのですか?と訪ねると丸い眼鏡の奥の目を細め、もちろんです。これは天然の井戸水を汲み上げているのですとのこと。さっそく、味わってみると柔らかで甘さを感じる水であった。これならカッフェも美味しいに違いないとエスプレッソを注文してみると、期待通りに美味しいカッフェであった。

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アルプス山脈の麓の町、トリノならではの名水

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大理石の丸い小さなテーブルに革張りの椅子。こじんまりした空間ながら歴史を重ねた風格を感じさせる。

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本家と言われる“Al Bicerin”に勝るとも劣らぬ“Caffe Mulassano”のビチェリン

結局、このカフェ・ムラッサーノには帰国する前夜にも来てしまい、トリノ名物のひとつビチェリンを味わった。ビチェリンはそもそもガラス製の小さなコーヒーカップで、そこにドロリとした濃厚なチョコレートを入れ次にエスプレッソ・コーヒーを注ぎ、最後にたっぷりと生クリームを載せた飲み物で、通説ではこれを考案したのがトリノのアル・ビチェリンというカフェと言われている。しかし、別の説ではカフェ・フィオーリオが先に考案したとも言われている。そもそも、ピエモンテには“バヴァレイザ(Bavareisa“という似たような飲み物が1700年代には飲まれていて、その飲み物を小さなグラスを意味するビッキエリーニのピエモンテ方言で言うところのビチェリンに注いで飲まれていた。やがてそのグラスに金属製の取っ手の付いた台が組み合わされた、ビチェリンの名前が飲み物の名前になったものだ。カヴール伯爵もたいそう好み、ついにはカヴール伯爵のために作られた飲み物が始まりと記述した記事まである。また、サボイアのという意味の”サバウド(Sabaudo)”なる飲み物もあり、これはグラスの内側にジャンドゥイア・チョコレートのクリームを塗り、そこへエスプレッソを注いでからホイップした生クリームを載せ、さらに砕いたヘーゼルナッツをトッピングしたもので、ビチェリンの兄弟みたいな飲み物である。いずれにせよ、ピエモンテの美味しいチョコレートがベースにあったからこそ生まれた魅力的な飲み物である。
ところで、本家と言われるカフェ“アル・ビチェリン(Al Cicerin)”には10年ばかり前にも1度、そしてトリノ冬季オリンピック後の一昨年の秋にも言ってみたが、オリンピック以来かなり観光的になったせいか、その時にはアメリカ人らしき観光客で満席、いずれも名物のビチェリンを飲んでいた。今回の取材旅行でもアル・ビチェリンを訪ねたいと思っていたが、現地のコーディネーターが取材を申し込んだところ何故か断られたそうである。既に日本の雑誌などにもこの店はビチェリンの代名詞のように紹介されていることでもあり、自分としてはトリノの最後の夜にポー川の夜風で少し冷えた身体を温めてくれた”カフェ・ムラッサーノ“のビチェリンの味が忘れがたい思い出となっている。
蛇足になるが、”Al Bicerin”の手前の右角に“イル・バーカロ(Il Bacaro)”という名前のオステリアかワイン・バーのような店がある。このブログの読者の皆さんにはバーカロと言えばヴェネツィアの独特の居酒屋スタイルを指す言葉で店名にするようなものではないとすぐに分かるだろうが、自分としてはこのような芸の無い店名の付け方に失笑するしかない。飲食の文化と歴史を解しないだけのことであろうが。

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赤いテーブルクロスにシンボルのイラストの赤が印象的なプラッティ

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プラッティのバール

●思わず入りたくなるカフェ・プラッティ
ポルタ・ヌオーヴァ駅の前を通るヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りとヴィットリオ王通りの交わる角に“カフェ・プラッティ”がある。創業は1875年で他の多くのカフェ同様にレストランとしても営業している、“カフェ・リストランテ”である。最初はリキュールの店として開業したようだ。店の正面の入口の上には“CONFETTI(砂糖菓子)”と“LIQUORI(リキュール店)”と大書されている。その横には朱色の地にリキュールのボトルを左手に提げ、右手は赤いリキュール、おそらく日本でも知られるカンパリだろう、が入ったふたつのグラスの載ったプレートを高く掲げたカメリエーレの絵が描いてある。ピエモンテはリキュールの生産地としても有名で、ガスパーレ・カンパリが発明したカンパリやチンザノやマティーニが有名な甘口のベルモットやバニラとアニスの香りの黄色いリキュール、ガリアーノなど日本のバーでもよく見かける。もちろん、プラッティはその看板のようにチョコレートやいろいろなお菓子でも19世紀から有名な老舗のひとつとして、トリノのカフェ・レストランとお菓子の文化の一翼を担っている。

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プラッティのお菓子売り場。エンジェルの装飾に注目。

2009年06月04日

芸術と美食の旅・北イタリア、ピエモンテを行く トリノのカフェ文化

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サン・カルロ広場にあるカフェ・トリノのオープン・テラス

イタリアが好きで食通を自認する人であれば、トリノと聞けば、カフェとチョコレートの街というイメージがすぐに湧くに違いない。コーヒー文化の発祥はヴェネツィアで現存する最古のカフェは1720年創業のサン・マルコ広場にあるカフェ・フローリアン。その前身となるボッテガ・デル・カフェは1600年代の終わりには誕生していた。トリノで一番古いと伝えられているカフェは1763年に誕生したカフェ・アル・ビチェリンである。エスプレッソとチョコレートとたっぷりの生クリームを合わせ、小さなコーヒーカップ、ビチェリンに入れたとても甘く、温かい飲み物だ。初代イタリア首相のカヴールの好物のひとつでもあった。トリノのカフェ文化はこのカフェ・アル・ビチェリンから広まったと言えるだろう。
 4月の取材ではサン・カルロ広場にあるカフェ・トリノ、カステッロ広場のバラッティ&ミラノ、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りのプラッティなどを訪ねた。

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1903年創業のカフェ・トリノ

チェーザレ・パヴェーゼも愛したカフェ・トリノ
サン・カルロ広場には1828年創業のカフェ・サン・カルロがあるが、その並びにあるカフェ・トリノはそれよりも5年若く、1903年の創業である。店の入り口の歩道の床には真鍮を雄牛の形に象嵌したトリノのシンボルがあり、その雄牛の後足の間にあるものを踏むと幸運が得られると伝えられ、そこのところが妙に磨耗している。店に入ると長いバーカウンターがあり、その上を見ると緑のイルミネーションの中に雄牛の像が飾られている。ここには作家のチェーザレ・パヴェーゼや1945年から53年まで8年間の最長在任歴を達成したデ・ガスペリ元首相ら著名な人々が常連であった。もっとも、カフェはトリノ以外のヴェネツィアやフィレンツェなどでも政治家や文化人が集まるサロンとして18,9世紀から利用され、そのカフェでの歓談の中から歴史的な出来事や芸術のアイデアが生まれたりしている。だからこそカフェを文化とも言えるのである。

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奥行きのあるカフェ・トリノの店内

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バー・カウンターの上に飾られているトリノのシンボルの雄牛の像

カフェ・トリノの内部は長いカウンターとテーブル席にドルチェを並べたショー・ウィンドーのあるカフェ部分とその奥の右手にレストラン部分があり、2階にはパーティや会議などに使われるサロンがある。お昼に軽い食事をとレストランの方へ案内されたが、日本ならばちょっとした高級レストラン並みの豪華な内装で、シャンデリアがきらきらと光を放っているがそれも控えめ、全体としてはいたってシック。ゆるやかな曲面の天井のせいか圧迫感もない。午後2時をまわっていたせいか、他の客はご婦人がひとり、奥に熟年のカップル、そして取材の我々4人であった。
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カフェ・トリノのリストランテ

カメリエーレとバリスタこそが店の顔
イタリアの飲食店で常に快く感じるのがバールやレストランのフロアーサービスのスタッフ、すなわちカメリエーレ、バールであればバリスタの仕事ぶり、接客態度である。格式のあるレストランや品位をわきまえたカフェであれば、それなりにエレガント、しかし、慇懃無礼にならず、客を自然とリラックスさせ、無駄の無い動きで仕事をスマートに済ませる。よっぽど暇な店ならいざ知らず、店内をだらだらと気だるそうに歩く姿を見たことが無い。バリスタの動きなどはよりスピーディで小気味良いくらいだ。50代、60代の熟年の男性が働いているのもイタリアでは当たり前だ。カフェ・トリノのカメリエーレも若い青年であったが、とても感じが良かった。運んできたアニョロッティの皿には保温のために銀製の丸い蓋が被せてあり、それをおもむろに取って、パルミジャーノ・チーズを摩り下ろす。簡単な作業だが、その背筋の伸びた姿勢やしぐさのひとつひとつが絵になる。彼もまた20年、30年と経験を重ねて、このカフェの伝統を伝える役割に誇りを持った人生を歩むに違いない。

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カフェ・トリノのカメリエーレ

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ピエモンテを代表する料理のひとつ、アニョロッティ

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バラッティ&ミラノ

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バラッティ&ミラノがあるガレリア・スバルピーナ

バラッティ&ミラノのバリスタ
20年ほど前、初めてトリノを訪れた時に、最初に入ったカフェがバラッティ&ミラノであった。いつもイタリアからの帰りに空港で買っていたチョコレートのジャンドゥイアがこの店のもので馴染みがあったからだ。トリノにあるのに何故、ミラノという名前が入っているのだろうかと当初は訝しく思っていたのだが、トリノの店を訪れてみて創業者のフェルディナンド・バラッティとエドアルド・ミラノの名前であると分かった。バラッティ&ミラノは創業が1858年、当時はドーラ・グロッサ通りとファブロ通りの交差する角にあったそうで、1873年にスバルピーナのガレリアが出来てから1875年に現在の場所に移転してた。カステッロ広場のほぼ正面に位置する好立地で、右手の扉を押し中へ入るとアールヌーヴォー風のエレガントなバー空間があり、カウンターや見上げた天井の装飾にしばし見とれた。このバーカウンターを飾るのはトリノを代表する彫刻家エドアルド・ルビーノ(1871-1954)のブロンズ作品である。トリノオリンピックの2,3年前に来た時にはこのバンコでカッフェのサービスをしていたはずだが、現在、このスペースは使われていないようだ。左手、ガレリアに面して広々としたカフェ・スペースがある。

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エドアルド・ルビーノのレリーフが美しいバーカウンター

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見上げると天井の装飾にもため息が

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長いバーカウンターがあるカフェ

カフェ・スペースは右手に長いバーカウンターがあり、ガレリア側にテーブル席が2列づつ整然と並んでいる。今回はタイトな取材スケジュールの合間でもあるので、とりあえずカフェ・マッキアートだけを注文する。チンバリー社製の大型のエスプレッソ・マシーンでシューシューと蒸気の音を立ててバリスタがエスプレッソを入れる仕草をじっと見つめる。真っ白でドレッシーなシャツに黒い蝶ネクタイ、黒いジャケットできちんと身なりを固めたバリスタのよどみのない動き。カウンターの上にそっと置かれたカフェは自分の仕事に誇りを持った姿勢が一杯の小さなカップの中にも反映されているかのように、格調高い香りがした。写真を撮らせて欲しいと言うと、カウンターの上に軽く両手を広げて着き、柔和で自信に溢れた笑顔を見せてくれた。

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由緒あるエレガントなカフェにふさわしいバリスタ

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創業当時のシンボルであったキャラメルの包みのデザインを帽子にした広告のポートレート

2009年03月26日

ヴェネツィアとヴェネト各地の小邑を訪ねる(その1)

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ベルガモ・アルタの田園風景

毎年、4月はヴェローナで開催されるイタリアワインの博覧会ヴィニタリー(VinItaly)に行きます。1990年からほぼ毎年行っています。イタリア各地を旅していると必然、美味しい料理と一緒に美味しいワインに出会います。するとそのワインを造っている人にも会いたくなり、トスカーナやシチリア、ピエモンテと各地のワイナリーを訪ね歩くことになり、まだ日本に輸入されていないと自分がまず飲みたいから日本のインポーターに紹介したりして、今では30社あまりのワイナリーを紹介してきました。最近、日本では農業に対する関心が高まっているのか、農業をテーマにした雑誌の特集が目立ちますが、農業は常に自然との対話が大切で、自然と上手にコミュニケーションがとれないと期待通りに農産物は誕生しません。

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ベルガモのヴェッキオ広場

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ベルガモ・アルタのエノテカ コッツィ

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ヴェローナ市内を流れるアディジェ川

近年は自然環境破壊などの影響で天候が不順で、人間がどんなに努力をしても自然にそっぽを向かれたらだめですね。特にこの10年あまり豪雨や旱魃など極端な気候変動があり、たとえば2002年は雨が多く、翌年はイタリア全体で猛暑、旱魃となりブドウ畑の半分が収穫不能になったワイナリーもありました。しかし、そうした中でも葡萄を厳選し、その持ち味を活かしたり、幸いに大きな被害を受けなかったワイナリーからは素晴らしいワインが誕生しているのです。「葡萄は自分で勝手に育つ。人間ができることはその葡萄が育つ環境を整え、あとはイタリアの太陽に祈るだけさ」とはかつてトスカーナのワイン生産者が語った言葉です。ワインとその造り手たちの人柄に惹かれいつのまにかワインにどっぷりと浸かり、出来るだけ多くのワイン生産者に出会いたいと今年もヴェローナに出かけます。

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ヴェローナの古代ローマ劇場、アレーナ

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ヴィニタリー会場

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ヴィチェンツァのロトンダ

イタリアがいちばん美しいと感じる季節は春から初夏の頃でしょうか。毎年、ヴィニタリーの前後にツアーを企画してイタリア各地のアグリトゥリズモに泊まったり、ワイナリーを訪ねたりしますが、今年は4月後半にもピエモンテ取材の予定があるので、ツアーの企画は5月31日から6月第1週にヴェネトを巡ることにしました。この旅のハイライトはやはりヴェネツィアで後半に4連泊もする贅沢な日程です。スタートはミラノ、マルペンサ空港からベルガモ・アルタに泊まります。ベルガモはヴェネツィア共和国の傭兵隊長だったコッレオーニの生誕地でロンバルディア州にありながら、丘の上のアルタの町並みはヴェネツィアを思わせる佇まいです。

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テアトロ・オリンピコ

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アーゾロ

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アーゾロの居酒屋

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アーゾロのパン屋さん。昔ながらの薪の石窯で焼く

それからロミオとジュリエットの物語の舞台になったヴェローナを寄り、ルネッサンス時代の建築家パッラーディオとその弟子たちの傑作が世界遺産となっているヴィチェンツァに泊まり、英国の詩人ブラウニングやアメリカの作家ヘミングウェイが愛した小邑アーゾロや蒸留酒のグラッパで知られるバッサーノ・デル・グラッパなど訪ねます。バッサーノは春の味覚白アスパラガスの特産地としても知られていますが、この町を流れるブレンタ川に架かるヴェッキオ橋、別名アルピーニ橋もパッラーディオの設計で、屋根のある広い橋の袂にはナルディーニというグラッパ蒸留所が経営する老舗のバールがあります。このバールはヘミングウェイの小説にも紹介され、彼がしばしば通ったところです。 グラッパはワインを造るために葡萄を搾った後の皮などを発酵させ蒸留したアルコールを精製水で割ったものですが、当然、この周辺にはワイナリーが沢山ありこの旅でも1軒は訪ねる予定です。

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バッサーノ・デル・グラッパのアルピーニ橋、パッラーディオの傑作のひとつ

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ナルディーニのバール

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ナルディーニのグラッパ

そしてヴェネツィアに入る前に大学町として知られるパドヴァに寄り、スタンダールが絶賛したカフェ・ペドロッキで優雅な雰囲気を味わいます。パドヴァはヴェネツィアが衰退するまでヴェネツィアに忠誠を示したところで、オーストリア支配に対抗する蜂起があったり、それがまた1861年のイタリア統一の意識を高めた歴史があります。ここからヴェネツィアまで列車でも30分ほどで着きますが、僕のツアーでは専用バスでそのままヴェネツィアのローマ広場に到着します。

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15)バッサーノ特産の白アスパラガス

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春の味覚、白アスパラガス

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トレヴィーゾ近郊のワイナリー、ルイジ・グレゴレット

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パドヴァのプラート・デッレ・ヴァッレ広場

2009年03月18日

カターニアの市場(その2)

前回に引き続きシチリアのカターニアの市場を歩きます。魚介市場から先に進むと肉屋さんや酪農製品の店、そして野菜や果物、豆やナッツ、ドライフルーツの店などが続きます。イタリアの野菜はおしなべて香りも味も濃厚でしっかりとしていますね。また、茄子などは赤ちゃんの頭ほど大きなものがあったり、紫色のブロッコリーやズッキーニのほか日本ではあまり見かけないフェンネル(フィノッキオ)などがあります。トマトもサラダ用とソース用に使い分けたり、また乾燥させたドライ・トマトはオリーブやケッパーの塩漬け同様にイタリアの食卓欠かせないものです。茄子も皮を剥いて細長くスライスしたものを乾燥させてから酢漬けやオイル漬けにします。 

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チーズ売り場のカチョ・カヴァッロ

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干したイチジクやデーツなど

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野菜も色とりどり

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赤ちゃんの頭より大きな茄子

アーティーチョークはイタリア語ではカルチョーフィと呼ばれますが、夏が最盛期です。肝臓を丈夫にするとも言われ古来から食べられていますが、これを食べた後にうっかり赤ワインを飲んだりするとワインの味は消えて妙な渋みだけが残ります。白ワインでも多少は感じますが、ポリフェノールが多いせいか赤ワインとカルチョーフィは合わせないほうが良いでしょう。シチリアはアーモンドやピスタチオ、松の実も特産でお菓子や料理にしばしば使われます。

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こちらはカルチョーフィ

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カルチョーフィ(アーティチョーク)を買うおじさん

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シチリアはアーモンドやピスタチオも特産だけど、アメリカ産もあります


しかし、なんと言ってもシチリアを代表するのはオレンジでしょう。ことにタロッコと呼ばれる赤い実のオレンジは最近は日本でも知られるようになりました。オレンジは9月頃から4月まで収穫時期により異なる種類が7つから9つあるそうで、タロッコの収穫が一番遅い2月以降が最盛期だそうです。

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11月はまだ出始めだけど。オレンジはシチリアのシンボル


 珍しいものとしてはインドのイチヂクと呼ばれるサボテンの実ですね。云われはコロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、インドと間違えたのでそこから持ち帰ったサボテンの実をインドのイチヂクと言うようになったそうです。これを食べるときにはゴム手袋などで十分棘が刺さらないようにして皮を剥きます。実の中には散弾銃の玉のような小さく固い粒の種があり、馴れないと食べにくく感じます。味はスイカのような食感です。

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フィーキ・ディンディア(インドのイチヂク)

市場を出たあたりに雑貨屋さんがあります。写真のおじいさんはそこの主ですが、入り口の傍らに底に穴がたくさん開いた鍋があったので、これは何に使うのかと聞いたら、焼き栗を作る時の鍋だそうです。焼くと言えば、活火山のエトナ山の麓にあるカターニャは市場の周りの建物を見ても土台に黒い火山が見えたりします。夜になると頂上の辺りから溶岩がオレンジ色に光り流れているのが分かります。 こうした土地にはミネラル分が豊富で、だからこそシチリアの野菜や果物も味と香りが濃厚になるし、ワインも個性的な味わいの力強いものになるのでしょう。

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市場の近くの雑貨屋のおじいちゃん

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雑貨屋のおじいちゃんの座り方がいいね

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底に穴が空いた鍋?焼き栗用です

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カターニャの町はエトナの溶岩の上に造られている証拠

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市場通りの上を見上げたら洗濯物とおばあちゃん

2009年03月10日

カターニャの市場(その1) 

世界のどこを旅しても、面白い場所と言えば市場でしょう。東京の築地には毎日のように外国人が見物に来ますが、僕もイタリアへ行くとどの町を訪ねてもまず市場を見に行きます。一番数多く見てきたのはヴェネツィアですが、ちょっと冒険心をそそるような魅力はナポリやシチリアの市場ですね。もっとも、ナポリではスリに気をつけろと常に言われるので、そういう緊張感もありますが、シチリアの場合はパレルモでもカターニャでも魚屋や八百屋、肉屋の男たちの眼光がとても鋭く、ちょっと怖いくらいです。マフィアについての本を読んだりすると、パレルモの市場などの男たちは実際に組織の構成員だったりし、けっして本名は明かさず、ニックネームで呼び合うとか。

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ドゥオーモ広場の噴水。この向こう側に市場が広がる

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噴水の裏を下りると別世界

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まるでアラブのスークを思わせる雰囲気

カターニャの市場はドゥオーモ広場の片隅にある噴水の裏に下りていくとあります。広場自体はドゥオーモや溶岩で作られた黒い像の上に立つオベリスクがあり、周囲をカフェなどが囲んだ優美な雰囲気ですが、噴水の裏の市場はまったくの別世界ですね。特に開店してまもない時間にはごついかんじの男たちばかり、もっともイタリアでは買い物も奥さんより旦那さんが財布を握って行くことも多いので、余計に男の姿が目立つのでしょうか。

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ほーら、蛸だぜ、まだ生きてるぞ!

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シチリアの魚と言えば、ペッシェ・スパーダ、カジキマグロだ

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エイの口と鼻(?)が人の笑い顔みだいだ

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エイの表側

見ていていつも面白と思うのは魚市場で、イタリア各地で共通の魚もいれば、その土地ならではの魚もいて、興味は尽きません。シチリアを代表する魚と言えば、まずカジキマグロで、1メートルにもなるような長い角のカジキがゴロゴロならんでいる様は壮観ですね。また、蛸やイカなども良く食べるし、ウニのパスタもシチリア名物と言えるほどですから、あちこちにウニ専門の屋台があります。

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シャコもピンピン生きている

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紫ウニ

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中身は日本の馬糞ウニより少ない

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ギリシアやローマ時代のモザイク画のような並べ方

ちょっと怖そうな顔のおじさんでも話しかけて魚の名前を聞いたりしてみると案外に親切だし冗談好きです。中には俳優にしたいようなハンサムな人もいたりして、だから旦那さんはあまり奥さんを買い物に出さないのかも知れませんね。魚市場でギョッとすることはあまりありませんが、肉屋さんの売り場で皮を剥かれた羊の頭、それも真ん中でふたつに割られたのを見たときには一瞬固まりましたね。でも、この脳みそ料理、食べてみるとクリーミィな味わいで美味しいとか・・・20年以上前に一度だけローマで食べましたが、味は忘れました。狂牛病以来、羊の脳みそも、Oh,No!です。

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並べ方で売れ行きもちがうよ

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奥さん、今日のはとびきり活きがいいよ

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どうだい、俺っていい男だろ?

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アッチャ~!羊の運命。Oh, No!

2008年12月12日

マルケ州の名醸造ワイナリー、コンテ・レオパルディ・ディッタユーティを訪問

アックア・アルタのヴェネツィアには12月1日の夜に着いてエリオ・フィッピーノ夫妻と2泊でしたが、実質的には36時間くらいの最短滞在で、3日の早朝6時にはルイジの家を出てまだ暗闇の路地を重い荷を引きずりながらリアルトまで歩き、水上バスに乗ってサンタ・ルチア駅へ向かいました。アンコーナ行きの列車は7時20分発でしたが、ヴェネツィアの水上バス利用は意外に時間が掛かるからいつも余裕を見て宿を出ます。最初は手もかじかむほどの寒さでしたが、駅に着く頃にはうっすらと汗ばんでいました。旅で辛いのはこの大荷物を持っての移動で、ツアーならバスに乗せていけるのが、鉄道利用では天国と地獄の差です。これを20年以上もやってきたわけで、ひとり薄暗いヴェネツィアの駅に立つと昔の様々な思い出が蘇ります。僕のイタリアはこのヴェネツィアから出発したとも言えるからです。

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アンコーナの海岸道路に残るローマ時代の門

アンコーナまでは特急で4時間、途中、フェラーラ、ファエンツァ、チェゼーナ、リミニ、リッチョーネ、ペーザロ、ファーノ、セニガリアと懐かしい地を通ります。ファーノには画家の友人、ジョヴァンニ・フェッリがいますが、今回は会う時間もありません。アンコーナに着くと、招待を受けているワイナリー、Conte Leopardi Dittajutiのオーナー、ピエールヴィットリオから電話があり、タクシーに乗って劇場近くのEnopolis(www.enopolis.it)というレストランで待っていてくれと携帯電話に連絡がありました。このワイナリーは遡れば4世紀のビザンチン時代、オリジナルはシチリアから来た貴族の末裔。ワインは以前から知っていましたが、一昨年、たまたまワイナリーに連絡をするとオーナーである伯爵のピエールヴィットリオが僕の写真を以前、イタリアの雑誌で見たことがあり、ヴェネツィアの写真展のことも知っていて、僕のファンだと言われてびっくりしました。それから、ワインの話よりも写真の話で仲良くなり、是非、一度ワイナリーに来てくれと言われていたのです。その後、今年のFoodex Japanで会い、VinItalyでもブースを訪ねて再会し、ワインの数々を飲みましたが、なかなか美味で家柄の歴史と伝統にふさわしい高品質のワインであると確信、写真の趣味の仲と同時にワインを通じても気の置けない友情を深めることができました。

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アンコーナの劇場、右手奥の18世紀の貴族のJona館の中に素敵なレストラン・バーがある

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Jona館の中にあるレストラン・バーEnopolis.

待ち合わせたレストラン、EnopolisはPalazzo Jonaという18世紀の貴族の館の建物の中にあり、その地下にあるカンティーナは10世紀からのものだそうです。レストランはモダンな造りになっていますが、天井などは昔のままで、古いものと新しいものを上手に組み合わせるイタリアならではの良い雰囲気です。オーナーのジュゼッペは気取らない性格で、大きな声であれこれ話しながらピエールヴィットリオを待つ間に飲んでくれとスプマンテを開け、生ハムやサラミを用意してくれました。その僕をカウンターの向こうから愛犬のクレオパトラが見つめています。サラミや生ハムが欲しそうですが、行儀が良くて、カウンターに手(足?)は着いても盗み食いなどはしません。そのうちに店の常連が来て、おしゃべりをしたり、写真を撮ったりしているとピエールヴィットリオが奥さんを伴って到着しました。

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Enopolisのオーナー、Pepe

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Enopolisのアイドル、クレオパトラ

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Enopolisの常連

シェフのアレッサンドロが日本人のお客さんということで気を遣ったようで、前菜はマグロと鯛のお刺身で、オリーブオイルと醤油を合わせたタレにはなんとワサビも添えられていました。イタリアではめったに日本食は食べませんが、こうした気遣いのもてなしは嬉しいですね。パスタはマルケ州の特にウルビーノ特産と言われているパッサッテッリ。魚介ベースのソースで、これをピエールヴィットリオの作る白ワイン、マルケ特産のヴェルディッキオで味わいました。

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シェフのアレッサンドロ

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魚介のソースを絡めたパッサッテッリ

食事を終えて、ワイナリーのあるヌマーナへ向かいましたが、その道中の風景は絵に描きたくなるような葡萄畑や桑の木の林などの田園風景です。その夜は葡萄畑が目の前に広がるアグリトゥリズモに宿をとってあるとのことで、まずはそこへ向かいました。到着して2階の入口に立つと180度葡萄畑が広がります。左手には「ロレートのマドンナ」として知られるロレートの教会が丘の上に見えます。ヴェネツィアから4時間列車に揺られて来たかいがあったと、夕暮れの光の移ろいを楽しみながら撮影に興じました。その夜はピエールヴィットリオの自宅に夕食に招かれ、食事の後はワインボトルを被写体に写真撮影も彼と楽しみました。

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アンコーナからヌマーナの田園へ

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アドリア海を望むヌマーナの丘の上

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一夜の宿となったアグリトゥリズモ。道路の左側にアドリア海、右側には葡萄畑が広がる

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アグリトゥリズモの室内

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アグリトゥリズモの前に広がる葡萄畑.

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左手遠方の丘の上にはロレートのマドンナで知られる教会が見える


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自社の葡萄畑の前に立つレオパルディ伯爵夫妻

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丘をくり抜き築かれたコンテ・レオパルディの酒蔵の入口

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カンティーナの広々とした空間

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勢ぞろいしたConte Leopardi Dittajutiのワイン

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夕食の後は伯爵と写真撮影を楽しんだ


2008年06月11日

カステッロ・ディ・ヴェッラッツァーノのワイナリー訪問

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カステッロ・ディ・ヴェッラッツァーノ

ちょうど、昨年の今頃、ワイン好きの仲間たちとトスカーナからローマまでワイナリーを訪ねるバス旅行をしました。トスカーナ、そしてイタリアを代表するワインと言えば、キャンティですね。キャンティはグレーヴェ・イン・キャンティ、カステッリーナ・イン・キャンティ、ラッダ・イン・キャンティ、ガイオーレ・イン・キャンティなどのクラッシコ地区とコッリ・フィオレンティーニ、コッリ・セネージなどクラッシコ地区を囲む広範囲で生産されるワインの原産地呼称です。

クラッシコ地区のワインには黒い雄鶏のマークがついたラベルがボトルの首に貼られています。このシンボルマークが生まれた由来はかつてシエナとフィレンツェが対抗し合っていたとき、夜明けに雄鶏が第一声を発したら互いに歩き始め、出会ったところまでをそれぞれの領地にするという取り決めをしました。フィレンツェ側は雄鶏が少しの光でも朝が来たと思って鳴くようにずっと目隠しをしておいたので、シエナより先に出発することができたので、多くの土地を確保し、これがコジモ一世の時に、キャンティ・クラッシコ地区と制定されました。この雄鶏の鳴かせ方には空腹にしておいたからという説もあるそうです。

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(左)グレーヴェ・イン・キャンティ (右)グレーヴェ・イン・キャンティの広場に立つ、ジョヴァンニ・ヴェッラッツァーノ像

さて、そのキャンティ・クラッシコの代表的な地区のひとつであるグレーヴェ・イン・キャンティの町の広場にジョヴァンニ・ヴェッラッツァーノという人物のブロンズ像が立っています。歴史の記録によると彼はコロンブスの船の航海士として同行し、新大陸、アメリカのハドソン湾を最初に発見した人物だったそうです。そして、帰国後はグレーヴェ・イン・キャンティ近郊の丘の上に居城を築きました。現在、その領地はカッペリーニという家族に受け継がれ、カステッロ・ディ・ヴェッラッツァーノという非常に優秀なキャンティ・クラッシコのワインを生産しています。

フィレンツェ市内にはカンティネッタ・ディ・ヴェッラッツァーノというワイン・バーがあって、1995年に「トスカーナの青い空」(東京書籍)という本を書くために半年ばかりフィレンツェに住んだことがありますが、このワイン・バーには毎日のように通い、自社農園で育てている評判の猪のサラミとワインを楽しみました。その頃に2度ほどこのワイナリーを訪ねたことがあります。フィレンツェの友人がフィアット・500で連れて行ってくれたのですが、我々の車がワイナリーの近くまで上がっていくと、白髪のおじいさんが、車は下だ、上がってくるな!と叫んで追い返されました。下の駐車場と思しき空き地に車を残して改めて城まで登っていくと、そのおじいさんが笑顔で迎えてくれましたが、実はこれが先代のカッペリーニさんだったのです。今は亡くなられましたが、フィレンツェのお店からから取材の申し込みをしてあったので、とても親切にワイナリーなどを案内してくれました。自動車を上まで入らせないのは、排気ガスから酒蔵のワインやオリーブオイルなどを守るためでした。

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(左)トスカーナ名物は猪の生ハムやサラミ (右)1960年代のオールド・ヴィンテージがならぶ酒蔵

ワイナリーに広々としたレストランもあり、美味しい生ハムやサラミ、パスタなどの食事のサービスを受けました。もちろんワインもいろいろと飲みました。特に僕はキャンティ・クラッシコ・リゼルバとパルティコラーレという銘柄のワインが好きだったので、2杯づつくらい飲みましたが、ワイナリーで飲むとまあ数倍の美味しさに感じますね。

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(左)ヴェッラツァーノの東屋からの眺め (右)ヴェッラッツァーノの一番人気、キャンティ・クラッシコ・リゼルヴァ

昨年の旅の前年にもこのワイナリーを訪れましたが、今では大型の観光バスが数台も留められる駐車場もあり連日、アメリカやドイツ、フランスの観光客が見学に来ていました。もちろん、見るだけでなく、ワインと食事も楽しむためです。このワインのいくつかは日本にも輸入されていますから、このブログの読者にはすでによく飲まれている方も多いと思います。伝統を重んじた、重厚で味わい深いワインですから、レストランで飲むとき予約を入れて、食事の時間に合わせて事前に開けてもらうか、デカンターに移して飲み頃を楽しめるようにすればなお美味しく味わえるでしょう。もちろん、家庭ならば3日くらいはかけてゆっくり味の変化を楽しみたいものです。ワインは時間をかけて丁寧に作られたものほど、味わう時にもゆっくりと楽しみたいものです。

2008年05月08日

祝祭の都市「ヴェネツィア・ツアー」

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レガータ・ストリカ、総督の御座舟のパレード

読者の皆様、ブオン・ジョルノ!だいぶ、長くブログの更新をサボってしまいました。3月中旬にFoodex Japanの紹介をして以来ですが、ヴェネツィア取材に2度、その間にはプーリアツアーやヴェローナでのワイン博覧会、VinItaly取材などがありました。ヴェネツィア取材は7月上旬には出版予定の本のためで、現在、原稿に追われる日々です。ただ、あまりにもブログの更新を怠っては申し訳ありませんし、今日は9月上旬に計画しているヴェネツィア・ツアーのご案内をしたいと思います。

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(左)レガッタ・ストリカの漁師の船のパレード (右)サン・ジョルジョ・マジョーレの鐘楼から

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(左)サン・マルコからサン・ジョルジョを望む (右)溜息の橋

祝祭の都市とも言われるヴェネツィアは2月のカルネヴァーレ、5月のヴォガロンガ、7月第3土曜日のレデントーレ、そして9月第1日曜日にレガッタ・ストリカなどが続きます。レガッタ・ストリカはヴェネツィアが海洋王国として最も栄えた時代を彷彿とさせる歴史的な船のパレードで、ヴェネツィア総督が使用した御座舟ブチントーロをはじめとする貴族階級の華麗な装飾船や漁師や水上の八百屋の船などヴェネツィア共和国の繁栄を支えてきた様々な船のパレードと5月のヴォガロンガのようなレースが繰り広げれます。今日ご案内するのは、そのヴェネツィアの祭りの中でもとりわけ華麗で歴史的な水上のページェント、レガッタ・ストリカをハイライトにしたツアーです。

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(左)手長海老のグリルとイカの墨煮、ポレンタ添え (右)ヴェネツィアならではの魚介料理の例

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(左)バーカロでプロセッコを楽しむ (右)ミズリーナ湖から見たドロミティ山脈

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(左)春のドロミティにはまだ雪が (右)ブラノ島の昼下がり

スタートは9月2日(火曜)に成田からミラノへ向けて出発し、翌日、ロミオとジュリエッタの物語りの舞台となったヴェローナを訪ねた後、ドロミティ山脈の町、コルティナ・ダンペッツォに宿をとり2泊します。美しいミズリーナ湖やイタリアアルプスの雄大な自然と美しい田園の休日を満喫します。4日目はルネッサンス時期の天才建築家、アンドレア・パッラーディオの傑作が数多く残るヴィチェンツァの町やパッラーディオが生まれた町でもあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂でジョットーの壁画など世界遺産の数々を観賞します。

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(左)ブラノ島の家 (右)レースを編むご婦人たち。ブラノ島

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(左)ヴィチェンツァ (右)ヴィチェンツァのロトンダ

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(左)ヴィチェンツァのテアトロ・オリピコの舞台 (右)ヴィチェンツァのオリンピコ劇場のサロンに残されている壁画には日本の少年使節団訪問の時の絵が残っている

そして5日目にいよいよヴェネツィア入りして、まずレース編みとカラフルな家並みのブラノ島を観光します。翌日は午後からレガッタ・ストリカが始まります。14世紀から続くというヴェネツィアのレガッタ競技ですが、その中でもレガッタ・ストリカは最も優雅でドラマチックな水上の時代絵巻が展開されます。7日目もヴェネツィアに滞在し路地裏を歩いたり、運河を滑るようなゴンドラや橋、教会と広場などこの水の都の素顔に触れながら世界遺産の都市ヴェネツィアを存分に楽しみます。

9月のイタリアはまだまだ残暑厳しいですから、暑い日本からまずは避暑地のコルティナ・ダンペッツォで日本からの旅の疲れを癒し、心身ともにリフレッシュさせてからヴェネツィアの華麗な祝祭や島々のフォトジェニックなシーンを撮影したり、評判のオステリアで魚介料理に舌鼓を打ち、居酒屋でワインを楽しんだり、とにかくヴェネツィアの魅力を満喫して頂けます。このツアーの主催は“日通旅行”で申し込みと問い合わせは 電話:03-3571-4600 
http://tabino-somurie.nittsu.co.jp/tokyo/tour/italy/02/index.html
ですので、是非、この機会に僕と一緒にヴェネツィアの旅に行きましょう。現在、制作が進行しているヴェネツィアの本の取材で得た新たな情報をもとに、魅力的なレストランやパスティッチェリアで美味しいものもたくさん味わいます。僕は日通が提案する”旅のソムリエ”という案内役で同行し、撮影スポットや写真撮影のテクニックなどのレクチャーもしますから、写真が趣味あるいは将来写真の仕事がしたいという人にもお薦めのツアーです。

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(左)ヴェローナ市内を流れるアディジェ川 (右)ヴェローナの古代ローマ劇場、アレーナ

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ヴェローナのジュリエッタの家の入り口の壁のグラフィティ

2008年03月21日

「Foodex Japan 2008」

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イタリア貿易振興会主催の記者会見

今年も幕張メッセで開催されたFoodex Japan 2008を取材してきました。国際食品・飲料博覧会、世界各国から生産者が集まり日本市場への売り込みに燃える一大イ
ベントですが、さすがに全てを4日間の日程では回りきれないし、全てを取り扱う企業もないでしょうから、おのずと自分の専門地域のブースを訪問します。
もちろん、僕はイタリアが専門ですから海外出展館にあるイタリアのブースと国内パビリオンにもイタリア製品を輸入している企業がありますので、それらを取材しました。
それでも、この大量の食品、飲料の情報ですから、おそらく始めてきた方にはどれが良いのか、どこから手をつけてよいのか分からないでしょう。僕は1990年からヴェローナのVinItalyに通ったり、ア
グリトゥリズモの本を書くためにイタリアはシチリアからサルデーニャ、半島の爪先からアルプスの山中まで歩いてきて培われた経験がありますから、美味しいもの、優れたワイン生産者にはある種の勘が働きます。それで、これまでにも様々な優秀なワイン生産者や農産物生産者に出会って来ましたが、それでも毎年、新たな発見と出会いの連続です。

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(左)ICI会長、ウンベルト・ヴァッターニ大使 (右)毎年同じ場所を確保するICEブース

今回はイタリア貿易振興会の記者会見からスタートしました。ローマ本部会長のウンベルト・ヴァッターニ大使のお話しの中で、今年は「スプンティーノ(SPUNTINO)しよう!」というキャッチフレーズとともに、昼食や夕食のフルコースだけではなくて、もっと気軽に、おやつ感覚でイタリアの生ハムやチーズ、タラッリ(プーリアやカンパニアでよく食べる指で輪を作ったような形の塩味クラッカー)やちょっと手を加えて簡単に調理したパスタや野菜サラダなどのイタリア食材とスプマンテや軽口のワインで楽しむことを言うそうです。恵比寿のエスプレッソ&ワイン・バー”daGino"(www.ginogino.jp)では「アペリティーヴォしよう!」というキャッチフレーズで既に同じようなサービスを展開していますが、今年はこれが新しいイタリアの食文化として大きく展開されるようです。イタリアのエスプレッソが美味しく飲める本格的なバールも増えてきましたし、今年もますますイタリアは元気に楽しめますね。

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(左)国内パビリオンにブースを出したGino。お向かいはインドのカレー屋さん (右)Ginoのワインとコーヒー、これが僕のおいしい毎日

フーデックスの会場で、突然、背の高いイタリア人に声をかけられました。手に持ったワインリストにはToshi Shinoと書いてあります。出会ったのは国内パビリオンに出展しているGinoのブースの前。自己紹介されてびっくり。昨年、マルケのロッソ・コーネロを飲んだらなかなか美味しかったので生産者にメールをしたら、「Mr.Shino,私はあなたを知っています。あなたの写真は素晴らしい。あなたのヴェネツィアの展覧会とそのサイトを見てすっかり気に入り、いつかお会いしたいと思ってます」とメールを頂いたのです。その方はマルケで何代も続くレオパルディ伯爵でした。彼も僕と同じ、コンタックスのカメラで写真を趣味にしているとか。もう、10年近く前ですが、ファエンツァでここのワインを飲んだことがあって、その印象もよかったのです。ただし、今回、メインに味わったワインはかなり現代的な作りになっていて、ちょっと僕好みというものではなかったのが残念です。聞いてみると、リッカルド・コッタレッラという知る人ぞ知る、著名な醸造家の指導で作られたそうです。フレンチ・オークのバリックを使い、濃厚な赤というより、黒に近いようなワインを造るのです。決して、まずいワインとはいいません。アメリカ人やドイツ人は
このような人の手が強く入り込んだワインを好むようですが、日本人の繊細な味覚にはもっと自然な味わいのほうが飽きないでしょうね。レオパルディ伯爵とはしばらくは写真の趣味だけのお付き合いが良さそうです。

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(左)僕好みのワインを揃えているグランサムのブース (右)Enzo Meccelaのセミナーで解説をするカリスマ・ソムリエの内藤さん

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(左)ワイン・セミナーではヴィンテージの違うワインを試飲して勉強 (右)ロッソ・コーネロで知られるEnzo Meccelaの幻の1984のワイン

同じく、マルケの生産者で日本には何度も来ているエンツォ・メッチェラ(EnzoMeccela)さんのワインの試飲会がイタリア貿易振興会のセミナー会場でありました。講師はイタリアワインのカリスマ的存在として知られるVino della Paceの内藤さんです。1990年から1997年、また1984年のオールド・ヴィンテージのワインを試飲しました。収穫年によって大きく差が出るワイン、ということは人工的な手段でその差を埋めようとしていないので、比較的自然な風合いを残した、とても好感が持てるワインで、生産者、エンツォ・メッチェラさんの人柄が良く出たワインだと思います。ワインの出来、不出来にかかわらず、その特徴や面白み、味わい方などを的確に解説し、いつもんがら流石だと感心しました。また、サルデーニャの鰻の燻製や日本でもかなり普及しているサルデーニャ産のからすみ、ボッタルガを作っているところや、サルデーニャのパネットーネなどにも出会いました。何故か、このパネットーネのブースにはプーリアの美女が遊びに来ていて、モデルさんになってもらいました。

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(左)サルデーニャのお菓子のブースに何故かプーリア美人が (中)今回とても印象に残ったAureio Settimo 1999年のバローロ (右)1984年のラベルがあるEnzo MeccelaのBraccano

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珍しい鰻の燻製やボッタルガが旨い、サルデーニャSarda Affumicati社

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(左)マルケ州のDOCGワイン、ロッソ・コーネロを生産者で僕の写真の大ファンのレ
オパルディ伯爵ご夫妻 (右)いつもご夫婦で仲良くVinItalyでも毎年会うSanyoの渡辺さん

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シチリアのラグーサ郊外で優秀なオリーブオイルを作っているゾットペッラさん

 フーデックスの会場はあくまでも業者による業者のためのイベント会場ですから、そこに来るのは業界のプロばかりです。だから、イタリアのブースではたくさんの知り合いのシェフやソムリエ、ホールのスタッフの方々に会いました。その皆さんの多くは海外パビリオンのイタリア貿易振興会が仕切るブースに集まるのですが、今回、国内パビリオンには優秀なイタリアワインをたくさん揃えている田園調布のGinoがブースを出しました。自慢のエスプレッソ・マシーンも設置してイタリアよりおいしいエスプレッソをサービスし、また今回はピエモンテで素晴らしいバルバレスコやバルベーラのワインを造るエリオ・フィリッピーノ夫妻やトスカーナの有名なワイナリー、ランチョーラのジャンカルロ社長も来日、ブースで日本のお客さんに一生懸命、自社ワインの宣伝に努めていました。僕は3日間、通いましたが、いつの間にかGinoブースの向かいのインド・カレーを出している会社の方々とも仲良しになり、終了後には記念写真も撮りました。我が家から幕張メッセは遠く、片道2時間ちかくかかるので、朝早くでて、広い会場をいろいろな方と会って話していると、口に入れているのはほとんどワインだけという毎日でしたが、このインド・カレーやアマゾンのフルーツ、アサイーを扱っているブースで毎日、試飲、試食しているとお昼抜きでも元気でしたね。
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(左)毎朝、会場で飲んで、元気になったアマゾンのフルーツ、Acaiのジュース。朝、良いです! (右)エリオ・フィリッピノがわざわざ届けてくれた、ロマーノ・レヴィ爺さんから
のプレゼント

毎年、このフーデックスが終わるとすぐにヴェローナで開催されるイタリアワイン博覧会、VinItalyの取材に出ます。フーデックスの会場でも何人もの生産者とまたヴェローナで会いましょうと挨拶をして分かれました。24日からプーリアのツアーに出発して、そのままヴェローナに直行。帰国は4月10日です。では、皆さん、次回はVinItalyの報告になります。どうぞお楽しみに!


2008年03月14日

「あのドン・アルフォンソとヴェネツィアで誕生」

今年は閏年なので2月は29日までありました。そして1年は366日です。実は僕はその2月29日が誕生日。4年に1回なので前回も友人や写真講座の生徒さんたちから盛大に何度かの誕生会を開き祝って頂きました。

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ドン・アルフォンソとマウロ・ロレンツォン

4年に1回の誕生日なので今は何歳?まだ未成年だからお酒はだめよ!なんて冗談を言われますが、確かに誕生日の回数で言えば14回目。ところで閏年とはどういうことでしょうか?
暦には古来から太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦などがあり、太陽暦の中には古代エジプト暦、ユリウス暦、グレゴリオ暦などがあり、太陽と月の運行の関係で生じる月日のずれを調整するために考案されたもので、ユリウス暦は紀元前46年の古代ローマの皇帝ユリウス(ユリウス・カエサルつまりジュリアス・シーザー)が定めたもの。これが1000年以上も使われてくると復活祭などキリスト教の重要な移動祝祭日を決めるのに重要な春分の日が大幅にずれてくることが判明し、1582年ローマ教皇グレゴリウス13世のときに研究を重ねた方法が制定され、それが今日に至っているそうです。ちなみに、オリンピックやアメリカの大統領選挙も閏年に行われることになっているそうです。

今年はその2月29日の誕生日にちょうどヴェネツィア取材の最中でした。これまでに誕生日を海外で迎えたのは初めてだったかもしれません。いつも楽しい仲間たちとワインを飲みながら盛り上がっていたので、なんとなく寂しい気持ちでその4日まえに旅たちました。
しかし、そこは僕が大好きなイタリア、そしてヴェネツィア。携帯のメールにも日本のみならず、誕生日を覚えていてくれたイタリアの友人たちからお祝いのメールを頂きましたが、とりわけて嬉しかったのはヴェネツィアの居酒屋、マスカレータに行った時でした。亭主のマウロ・ロレンツォンがちゃんと誕生日のプレゼントを用意してくれていました。おまけにその数日後にはナポリでミシュラン2つ星(かつては3つ星)の有名レストランのドン・アルフォンソの友人たちと同席に
なり、僕が閏年の誕生日だと言うと、皆、「本物の閏年生まれに出会ったのは初めてだ。これは何かいいことがありそう!」と祝福してくれたのでした。

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親友のルイジととっておきのワインを注ぐマウロ                マウロからの誕生日プレゼント

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ドン・アルフォンソとワイン談義               ドン・アルフォンソとツーショット 

4.jpgマウロが昨年のヴィニタリーの帰りに寄った時に飲ませてもらい僕が気に入ったワインを開けてくれて、ドン・アルフォンソたちにふるまうと、誕生日気分はより盛り上がり、僕は十八番のオーソレミオを歌いだしました。すると、ふるさとの有名な歌を聴いたものですからドン・アルフォンソたちも歌い始め、その後もアネマ・エ・コーレやマラフェンメナなどナポリ民謡の大合唱で大変な盛り上がりになりました。マウロやドン・アルフォンソをはじめ居合わせた人たちのお陰で今年も忘れられない閏年の誕生日を祝うことができました。次はぜひともソレントのドン・アルフォンソの店で祝いたい、いや、この店には年内にも行きそうですね。
ついにまたナポレターナを合唱!


2006年11月29日

ヴェネツィアのバール エリオ、レ・デル・トラメッツィーノ

イタリアはどこへ行っても美味しいものがいっぱいあるので、ついつい食べ過ぎてしまいます。せっかく旅行に来たのだから、このレストランもこのオステリアも食べてみたい。それはヴェネツィアに来ても同じ。観光客をうるさく呼び込むリアルトやサン・マルコ広場付近の店には当たり外れがありますが、地元の常連が行くオステリアやバールならハズレはありません。でも、昼も夜もフルコースで食べていたらどんなに美味しい料理でもギブアップしてしまうでしょう。そんな時にはバールでパニーニトラメッツィーノ程度にして、夜はフルコースでたっぷり食べるというふうにすればよいのです。でも、バールだからと言っても美味しいものは食べたいですよね。そこでお薦めのバールのひとつがここ “エリオ、レ・デル・トラメッツィーノ”。長い名前ですが、“トラメッツィーノの王様、エリオ”という意味で、トラメッツィーノはイタリア語でサンドイッチのこと。店主のエリオさんはその王様だと看板にしている店です。

日本でも最近はパニーニという名称が一般的になってきましたね。チェーン店のコーヒーショップでもパニーニが売られています。昔から細長いパンにソーセージを挟んだホットドックとか、焼きそばや餃子を挟んだりした、いわゆるおかずパンがあって学校帰りに食べながら帰った想い出があると思います。イタリアではそれをパニーニと呼んでます。パンは細長いものや、丸いもの、フランスパンのように皮が固く焼かれたものや、ホットドッグやハンバーガーのパンみたいなものなどいろいろとあります。また、日本のサンドイッチのようなスタイルのものもあって、これは“間に挟んだ”という意味のトラメッツィーノと呼ばれています

(左)いつも出来たてのパニーニ(右)手前のお皿に巻き逗子のようなのがピッツァと呼ばれている。後ろのお皿がトラメッツィーノ(サンドイッチ)。
パニーノもトラメッツィーノも中に挟むものは似たり寄ったりですが、生ハム、ボンレスハム、サラミ、茹でたほうれん草、ゆで卵、チーズ、トマト、アーティチョークの酢漬けなどが一般的。ヴェネツィアは海辺の町なので、茹でた小エビやイワシのマリネ、ツナなど魚介系のものもあります。僕のお気に入りは小エビとゆで卵や白アスパラガスとツナのトラメッツィーノです。エリオの店にはミラノ風の薄い牛カツを 挟んだものや薄く焼いたピッツァ生地でロールにしたものもあります。僕は朝食をバールで摂るのが好きで、特に冬や春にはスプレムータと言って、オレンジやグレープフルーツなどの生絞りジュースでビタミンCをたっぷり摂りながら、トラメッツィーノを食べてから、バーカロ巡りをします。最近はヴェネツィアの定宿が出来ましたが、仕事の関係であちこちのホテルに泊った場合でも朝食はエリオのバールまで来ます。とにかくイタリアではバールで“常連”になっていろいろと情報を仕入れたりすることも大切なのです。新聞を読まなくてもバールで話しながらいろいろなニュースも聞けますし、突然の鉄道や水上バスのストライキの情報なども朝のバールでゲットできます。エリオは魚市場のところでバールをやっていました。この店には今年の春からで、それまでにはフランコという口ひげの細面のおじさんが店長でした。フランコもすごく感じがよくて仲良しだったのですが、その頃からいるのがパオロという青年です。フランコの頃からパニーニやトラメッツィーノはパオロが作っていました。でも、彼には別の才能もあるのです。

(左)右からエリオ、バルバラ、パオロ。(右)モダンな店内の内装


(左上)常連が切れ間無く来る
(上)ピッツァというよりもエミリア・ロマーニャのピアディーナに似ている、ロール・サンドとパニーニ。
(左)ハムとゆで卵、ツナとアスパラガス、アーティチョークにつなとゆで卵。その他、小エビとゆで卵などボリューム満点。

ある時、彼が「トシ、あとでこのサイトを見て」とメモをくれました。日本に帰って、それを思い出して見たら、なんとイタリアでも有名なトトのグループにも参加したりする現役のロック・ギタリストなのです。彼のサイトからはその演奏も楽しめますので、皆さんも彼のサイトを訪ねて下さい。(http://www.paolozambon.com

イタリアのバールではこんな出会いがあるのも常連になる楽しさ
ですね。イタリア人にとって、バールはコミュニケーションの場として日常生活に欠かせないものですし、誰もが行きつけのバールがあります。日本でも行きつけの喫茶店に行って世間話をするとか、その内に店主に相談事に乗ってもらうとかありましたが、最近はどうなのでしょうね。あちこちにあるチェーン店のコーヒー店ではマニュアル通りの応対でおしまいで、世間話も出来ないし、隣り合わせの客と言葉を交わすなんてこともほとんどないでしょう。しかし、イタリア人の一日はそういうコミュニケーションから始まるのです。日本でいくらイタリアを真似たバールを作ってもそういうコミュニケーションの場として活用されなければ、本当のイタリアンバールとは言えませんね。

(左)生ハム、ルッコラ、モッツァレッラチーズ。ボンレスハムにほうれん草とゆで卵。パニーニの種類もたくさん。
(右)「トレメッツィーニの王様、エリオはここ!」と書いてます。

2006年11月27日

ヴェネツィアの木彫職人

「チャオ、ヴェーチョ。コメ・ゼイ?」、「オー、チャオ。ベーネ、ベーネ。ヴェンガ、ヴェンガ」。ヴェーチョとは歳をとったとか古いという意味のイタリア語、ヴェッキオのヴェネツィア方言です。長い付き合いの友人に出会ったときなどによく使われる挨拶。

知り合ってからもう20年以上にもなる木彫職人、マエストロ、 ジャンニ・カヴァリエールは1932年の10月2日生まれだからこの秋で74歳になります。「ああ、元気だよ。お入り、お入り」と挨拶が返ってきて僕は工房の中に入って行きます。ジャンニがこの仕事を始めてから42年、2坪ほどの小さな工房で毎日休むことなく続けてきた仕事。木を削り、彫刻刀で彫り、紙やすりで磨き、下地を塗り、金箔を貼っていく。ほとんど毎年、年に何回か顔を合わせているせいか、彼がそんなに歳をとったとは思えない。むしろ、僕の方が20年前より20キロも太ったから様変わりしたのは僕の方かもしれない。ピエタのキリストのようだった僕は今ではどちらかというとエンジェルのような体型になっている。
金箔押し職人をヴェネツィアでは“INDORADOR”といいます。標準的なイタリア語では“Indoratore”。ヴェネツィア弁の語尾はスペイン語の影響があります。

ヴェネツィアを代表する工芸にはまず、ムラーノ島で作られるガラスがあるのは言うまでもない。しかし、町を歩けばあちらこちらに金箔仕上げの額縁や鏡、ランプ、 そして大小のエンジェルの彫像を見かける。時代様式は16世紀、17世紀、18世紀のもの。つまり、ヴェネツィアが最も栄えたルネッサンスからバロック、そして一世を風靡したロココの時代です。こうした作品の中でも特にヴェネツィア的だと思わせるのが “モレット”と呼ばれるムーア人をモデルにした彫刻ですね。ムーア人はヴェネツィアが海洋王国としてアドリア海から地中海を制覇していた頃、アフリカのエチオピアなどから連れてこられたイスラム教徒の黒人奴隷やヴェネツィアとオリエントの物産の交易をしているムーア人商人の召使がモデルで、ランプや燭台などを持っている姿が一般的です。
10年、20年、ここを通る度に見てきた変わらない店構え。

ヴェネツィアの伝統的な彫像、ムーア人の召使をモデルにしたモレット。

それにしても、彫刻の腕は見事なもので、エンジェルの作品はバイオリンやフルートなど楽器をもっていたり、表情もひとつひとつ違っていて、どれもコレクションにしたくなるような出来栄えです。天使像はキリスト教の信仰とも関わるものですが、そればかりでなく、むしろ子供をとても可愛がるイタリア人の、そしてジャンニの優しい心が反映されているようです。彼が仕事をする後ろの壁には額縁や鏡の作品と一緒に孫の写真を入れた額も飾られています。きっと、天使を彫るときのモデルになっているのはこの孫なのでしょう。
金箔を貼る作業。ところせましと飾られた額縁や壁掛けランプなど。

流麗な曲線で構成されたエンジェル像は孫がモデル?

日本では職人というと、ともすると頑固で近寄りがたい存在のように思われ、実際にそのようなひともいるようですが、ヴェネツィアで出会う職人は誰もが、快く自分の仕事を見せてくれるし、話を聞かせてくれます。イタリアではどんな分野の人も自分の仕事に誇りと自身を持っているので、働く姿はなおさら魅力的に見えるのです。 例えアルバイトでも一生懸命、無駄の無い動きを見せてくれますね。良い意味で、自分がどう見えるかを意識したパフォーマンスが生まれながら身に着いているようです。そのかっこよさを一番感じるのが手仕事の職人です。

2006年の10月で75歳を迎えたマエストロ、ジャンニ・カヴァリエール。いつも変わらない優しい表情。長年積み重ねてきた仕事への自身が、人間的な奥深さと優しさとなって滲み出ていますね。

2006年11月15日

ポッジャレッロのオルトゥルーゴ

イタリアのワインを理解するのは難しい・・・と、これはソムリエやレストラン関係のプロの人たちからもしばしば聞かれることです。その一番の理由は、全土20州に渡って様々な土着品種の葡萄があって、現在、イタリアのワイン法に認められているものだけでもざっと300種はあるからです。例えば、シチリアのノチェーラとかピエモンテのデューダンリー、ヴェネトにはフラゴリーノとならんでご禁制ですが、クリントンなんていうのもあります。覚えきれないどころか、数え切れないくらいです。また、ひとくちに、ランブルスコと言っても、グラスパ・ロッサ種、サラミーノ種、マラーニ種、マルボ・ジェンティーレ種やまれに、アンチェッロッタ種が組み合わされたりします。バローロやバルバレスコを造るネッビオーロにしてもミケ、ランピア、ロゼと細別されていますし、そのネッビオーロも産地が変わればスパンナとかキャヴェンナスカと呼ばれています。更にピエモンテでネッビオーロから白ワインは造りませんが、ロンバルディアではキャヴェンナスカから白ワインを造るところもあるのです。まあ、だからこそイタリアのワインは幅も広く、奥が深く、ある意味、めちゃくちゃのようなところが面白いと思うのですが、体系的に勉強しようとするとやっぱり難しいものですね。

そんなことを考えながらピエモンテからエミリア・ロマーニャまで旅をして来たところで、極上のランブルスコを造っているカサーリ社の社長、ジョヴァンニ・シドリ氏の友人、マッシモ・ペリーニさんがやっているピアチェンツァのワイナリーを紹介されました。ピアチェンツァはエミリア・ロマーニャ州と言っても、ずっとミラノに近く、このあたりではロンバルディア州のオルトレポ・パヴェーゼとピアチェンツァのふたつのDOCにまたがってワインを造っているところもあります。
パダナ平野の大きな空と雲。これが”イタリアの青空”。

紹介されて訪ねたところは、ピアチェンツァから南西に流れるポー川の支流、トレッビア川に沿って25kmほどのところにあるスクリッヴェラーノ・ディ・トラヴォにある”イル・ポッジャレッロ”というワイナリーです。道中にはリヴァルタ、ジュンチ、スタット、モンテキアーロなど中世からの古城があり、歴史的にも興味深い地域です。“イル・ポッジャレッロ”のワイナリーはスタット城を過ぎたあたりで西側の丘の上にあります。このワイナリーの母体にはクワトロ・ヴァッリ(4Valli)というワイナリーがあり、マッシモさんで4代目になりますが、代々、このポッジャレッロでワインを造っていた農家のペリーニ家とピアチェンツァの樽造り職人、フェッラーリ家が100年以上も協力しあって来ました。1952年にこのクワトロ・ヴァッリを創設し、現在では他にも“ラ・コスタ・ビネッリ”、“ペリネッリ”などを含め合計5つのワイナリーを運営しています。
ワイナリー、イル・ポッジョレッロの母屋。

ワイナリーに到着してまず目に入ったのが様々な花々と葡萄棚に飾られた瀟洒な石造りの家でした。マッシモさんはこのワイナリーは訪れる人全てに開放して田園の美しさとワインの素晴らしさを楽しんで欲しいと思い、ワイナリーにはそうした配慮に満ちています。庭先から見下ろす葡萄畑、そして来る途中に昼食をとった”Le Ruote"(www.hotelleruote.it)というレストランホテルで飲んだスプマンテで初体験した不思議な味わいの葡萄、オルトゥルーゴに会えたのです。明るい緑色の葉陰に実るその房は翡翠のような透明感を持った美しい葡萄でした。洋ナシのラ・フランスにも似た甘い香りがありながら、キリリとしまった味わいのスプマンテにはいっぺんに惚れてしまいました。シャンパーニュをはじめ、ランブルスコもプロセッコも、スプマンテというのはその立ち上る繊細な泡によって飲む人を一瞬にして幸せな気持ちにさせるものですね。

(左上)9月中旬、収穫目前の葡萄畑。
(上)オルトゥルーゴ種の葡萄。
(左)右から3番目がオルトゥルーゴ主体にシャルドネ、ピノ・ネロから生まれたスプマンテ。秀逸!左右にならぶ白ワインも最近のイタリアワインでは珍しく、超辛口。

マッシモさんはとても陽気でいつもニコニコと楽しそうで冗談を連発し、ダジャレ王を自称する僕とは車の中でも笑いあっていましたが、ワイナリーにある農機具の博物館みたいな納屋に入ってびっくりです。螺旋階段を上がった2階にあるのですが、なんとそこにはイタリアの大衆車の魁となった名車、フィアット・チンクエチェントが置いてあるのです。それも建物を修復したときに出入り口が小さくなってしまい出せなくなってしまったというからなおさら笑えました。(写真)2階の納屋に閉じ込められてしまったフィアット・チンクエチェント。

ジョークが大好きなマッシモ。

“イル・ポッジャレッロ”のワインでもうひとつのお目当ては、 “グットゥルニオ(Gutturnio)”というコッリ・ピアチェンティーニDOCの赤ワインです。バルベーラ種とクロアティーナ種から造られるワインですが、トスカーナのブルネッロやピエモンテのバローロにも比較できる素晴らしいワインなのに、日本ではあまり馴染みがありません。クロアティーナは別名、ボナルダともいい、ロンバルディア、ピエモンテ、エミリア=ロマーニャ州で一般的に使用される葡萄です。バルベーラと並びカジュアルなワインとして造られてきたので、その真価が誤解されているようです。特にブランド指向が強い日本の市場では先入観に邪魔されてプロの方でも正しい評価ができる人が少ないのは残念です。あまり引き合いに出したくはないのですが、ガンベロ・ロッソの評価でもグラス2つマークを得ているポッジャレッロの”La Barbona Riserva”を体験すればそれまでの誤解の雲はすっきりと晴れ渡り、エミリア=ロマーニャのワインを再認識するはずです。
ポッジョレッロの居並ぶ赤ワイン。ピストンと呼ばれる白い磁器のお椀でバルベーラをガブ飲み。金のラベルが僕のお気に入り。

レッジョ・エミリアのカヴァッツォーネに戻る途中でマッシモさんがリヴァルタの城に立ち寄ってくれました。城では何かのイベントの片付けがあって入ることが出来ませんでしたが、その向かいにあるリストランテを覗かせて頂きました。“アンティカ・ロカンダ・デル・ファルコ (www.locandadelfalco.com)”というレストランの傍らには地元の食材を美しく飾ってあるコーナーがあり、マッシモさんのワインのお得意先というオーナーのマルコ・ピアッツァさんがいかにもレストランの経営者にふさわしい風貌でした。日本に帰国したらもう、訪問したことのお礼がメールで届いていた心遣いなど、次回にはぜひここでゆっくりと食事をして、お城の見学も楽しみたいと思っています。これから、イタリア旅行を計画している方にも、エミリア・ロマーニャにはボローニャやパルマ、モデナ、ラヴェンナだけではない魅力的なところがたくさんありますから、ぜひ開拓してみて下さい。

(左)ガッツォーラにあるリヴァルタ城の脇の教会。(右)リヴァルタ城の美しい窓。


(左)リヴァルタ城にあるリストランテ”アンティカ・ロカンダ・デル・ファルコ”のショップとオーナーのマルコ・ピアッツァさん。(右)リストランテでマルコ・ピアッツァさんと談笑するマッシモ。

2006年11月10日

カネッリのリストランテ、サン・マルコ

カネッリ、人口1万人ほどの小さな町にミシュランのひとつ星レストランがあります。名前はリストランテ“サン・マルコ”。ヴェネツィア好きな僕は思わず、水の都のサン・マルコを思い描いてしまいましたが、聖マルコという聖人はなにもヴェネツィアだけのものではなく、ピサ県にも同名のホテルがありました。このリストランテはマリウッチャさんという女性シェフと彼女のご主人、ピエール・カルロ・フェッレッロさんが経営しています。ピエール・カルロさんはソムリエであり、また“Trifolau”というトリュフ組合の会長でもあるそうです。
カネッリ郊外にワイナリーとアグリトゥリズモ“ルペストル”をやっている友人、ジョルジョの紹介でサン・マルコで昼食を頂くことになりましたが、ちょうどその夜は大きなパーティがあって100人分の料理を仕込まなくてはならないとかで厨房は朝から大忙しの状況でした。にもかかわらず、ジョルジョの顔もあったのでしょうが、マリウッチャさんも快く僕のために昼食を作ってくれました。

(左)格別ゴージャスという雰囲気ではないが、テーブルとテーブルの感覚が広く、ゆったりと寛げる空間です。(右)昼食ながら窓も多いので自然の光がほどよくテーブルを明るくします。

料理は昼でしたので前菜を3種類にパスタとデザートにして頂きました。ワインもスプマンテをスタートに赤ワインはバルベーラ、そしてデザートに合わせたモスカートのパッシートをそれぞれ1杯づつ頂きました。メニューはお任せで、最初に出てきたのは赤と黄色のピーマンの中にツナのペーストを詰めたファルシとつけ合わせにはチコリ(アンディーブ)やズッキーニ、ミニ・トマトなどが飾られてます。ピーマンのファルシはイタリアではしばしば食べますが、ここの味はとてもあっさりとして上品なものでした。

Peperone al forno farcito alla Piemontese. ピーマンのファルシと生野菜添え。

次に出てきたのは肉料理ですが、これもメニューではアンティパストに入る軽めのもので、子牛のローストビーフにトンナータというペーストを合わせたものです。トンナータは通常はマグロを使いますが、この料理にはエイを使っています。これもまたあっさりとした味わいで、なるほどこれなら前菜として食べるのも納得です。
Tradizionale Vitello Tonnato dirazza"Fassona"Piemontese 子牛のロースト・ビーフ、エイのペースト添え。

3皿目に出てきたのはパスタで、ピエモンテ名物のタイヤリンです。僕はパスタの中でもこのタイヤリンが一番好きで、日本のレストランではあまりメニューにないのが残念です。ソーメンくらいに細く繊細な平打ちのパスタで卵がたっぷりと入っているのでコシはしっかりとしています。それに黒トリュフをバターと一緒にたっぷりと合えています。9月半ばでまだ白トリュフの時期でなかったのがちょっと残念でしたが、このパスタには思わずにんまりとしました。
Taglierini all'uvo al burro con tartufo nero d'Alba. 黒トリュフのタリオリーニ、ピエモンテではタイヤリンと言う。

僕がどれも美味しくて満足しているとカメリエーレの青年に伝えると、彼がもう一皿、キノコの料理を作れるけれどもお腹にはまだ余裕はありますか、と聞くので当然、もちろん!と応えました。すると出てきたのが採れたてのポルチーニのソテーにパンチェッタ(ベーコン)とハーブをオーブンでカリッと焼いたものを添えた一皿です。けっこうボリュームのある一皿でしたが、ポルチーニがこんなにも甘味があるものかとビックリしました。ちょうど、店に来る前の市場で採りたてポルチーニの香りをたっぷりと嗅いできたばかりだったので、大満足です。
Funghi porcini trifolati con pancetta croccante ed erbe aromatiche ポルチーニのソテー、パンチェッタと香草をカリッと焼いて添えました

デザートにはスフォルマティーノと言って、カッファレル(Caffarel)のジャンドゥイヤのチョコレートを入れて型焼きしたケーキです。焼きたてのケーキにナイフを入れると中からチョコレートがとろりと流れ出ます。ジャンドゥイヤはピエモンテで多く生産されいろいろなお菓子に使われているへーゼルナッツとカカオを合わせたチョコレートです。そして、カッファレルは1826年にトリノに生まれたジャンドゥイヤの元祖です。このスフォルマティーノと一緒にふたつの陶器製のスプーンにはそれぞれカスタードとカッフェの味のムース、フレッシュな桃とラズベリーやブルーベリーなどと一緒にホオヅキも載せてありました。
アルバの黒トリュフと季節の果物。サン・マルコ自家製のグリッシーニ。

Sformatino caldo al cioccolato Gianduja "CAFFAREL"con salsa al caffe' 型焼きしたケーキにバニラ風味とコーヒー風味のクリーム添えに季節の果物。

Sformatino caldo al cioccolato Gianduja "CAFFAREL" con salsa al caffe' 型焼きしたケーキの中にはピエモンテ名物のへーゼルナッツ味の溶けたチョコレートが入っている。添えてある果物は桃やラズベリー、ほおづきなど。

食事が済むとマリウッチャさんが、ここには日本人もいるのよ、と若い日本人の夫婦も働いていて彼らを紹介してくれました。聞けば、アスティにある料理学校で勉強した後この店で修行しているそうです。アスティの料理学校とはI.C.I.F.という名前でアスティ郊外にあるコスティリオーレ城というお城の中にある学校です。実はこの学校は日本でイタリア料理の第一人者と言われる室井克義さんが1991年にとても苦労をして設立した学校で、素晴らしい教授陣と厳選された最上の食材を使って勉強できると評判の料理学校です。マリウッチャさんはこの学校の講師でもあるし、イタリア国内外でも料理を教えたりしています。僕は2000年にその学校を訪問したことがあって懐かしく思いました。

日本でイタリア料理のブームが始まったのは80年代の終わりごろですが、そのブームに乗ってたくさんの若者達がイタリアへ料理修行に出ました。僕もよく相談されたりしてイタリアの修行先を紹介したこともありますが、真面目で、繊細な味覚のセンスを持った日本人はとても好感を持たれ、帰国するとみなさんがイタリアでの修行を実らせて独立したり一流のレストランで体験を活かしていますね。

最近は逆に日本料理がとても注目され、日本料理を習いたいというイタリア人にもしばしば出会います。生の魚や肉料理もオリーブオイルをかければカルパッチョ、醤油を使えばお刺身、天ぷらはイタリアではフリットで、イタリア人と日本人の味覚にはとても共通なところがあります。レストランのテーブルとは食べ物を通して異国の文化を楽しく理解できる場でもあるのですね
サン・マルコのオーナー夫妻とスタッフのみなさん。ICEFで修行した日本人の若い夫婦も働いていました。

*Ristorante ”San Marco" di Pier Carlo e Mariuccia ferrero
Via Alba, 136 - 14053 Canelli-AT-Italia
Tel:041/823544 e-mail:rist_sanmarco@libero.it

2006年11月08日

ロビオラ・ロッカヴェラーノ

イタリアの食卓に欠かせないものは、オリーブオイル、ワイン、そしてチーズですね。ワインのように全州にそこの土地ならではのチーズがありますが、原料となるミルクは牛、羊、山羊、水牛から作られます。一番多いのが牛乳で次が羊。水牛はローマ以南のカゼルタやナポリ、サレルノ周辺の特産のモッツァレッラ・ディ・ブーファラが有名ですね。数百の種類があると言われているイタリアのチーズの中でもこのモッツァレッラ・ディ・ブーファラと並んで僕が好きなのがピエモンテのロビオラ・ロッカヴェーラノで、これは山羊のミルクから作られています

(左)出来たてのロビオラ・ロッカヴェラーノ
(右)こんな形はフランスのシェ―ブル・チーズ、ヴァランセみたいですね。

ロビオラという名前の語源はこのチーズが熟成されるに連れ表面に赤みを帯びてくるので、ルビーのイメージでロビオラと呼ばれるようになったという説があります。 昔はそんな風に作られていたのでしょうが、僕がよく見るものは熟成されたものでもオレンジ色ですね。それに青黴と白黴が混ざりながら生えてきたものがなかなか美味しいですね。
熟成させると表面は白からオレンジ色に変わりながら周りが青黴に包まれてきます。

ロビオラ自体はローマ時代から作られていた古いタイプのチーズですが、ロッカヴェラーノで作られるようになったのは1200年頃からとか。山羊は冬に出産するのでそのころから乳を搾ることができますから夏から秋に一番このチーズが作られます。イタリアではワインのD.O.C.と同じようにチーズは生ハムなどに原産地呼称統制があって、チーズの場合はD.O.P.(Denominazione Origine di Protetta)といいます。ロビオラ・ロッカヴェラーノもそれに認定されているチーズですね。ただ、山羊の乳が取れる時期も量も限られているので、必ずしも100%を山羊の乳から採らなくてはならないというわけではありません。季節によっては、つまり冬季、山羊の乳が少ない時期は85%まで牛乳を混ぜてもよいことになっています

3週間くらい熟成させたもの。

幸いに僕が行った9月は100%山羊の乳のものを味わうことが出来ましたし、訪れた二つの農家は100%山羊を使うことにしているようです。ただ、山羊の乳を固めるときには牛から摂った凝固液(イタリア語でカリオ、Caglio)を使うそうです。
ロビオラ・ロッカヴェーラ周辺の風景。ここはヴェッシメ(Vesime)。

このチーズの味わいは出来たばかりでは非常にさっぱりとして、ヨーグルトのような酸味が爽やかで、後味にクリーミィな余韻が残ります。この地方特産のモスカートやドルチェットに合わせるといいですね。そして1,2週間して熟成してくると少し辛味が出て濃厚な風味になり、ワインもバルベーラのようなあまり重過ぎない赤ワインがよいですね。イチジクや柏、葡萄の葉で包んで熟成させたものもあり、それぞれの風味が楽しめます。

僕が最初に訪れたエンリーコさんは共同経営者のマッシモさんとこの仕事を始めてまだ4年目で、以前は農業機械を販売していたとか。山羊の乳を搾るところも貯蔵庫も現代的でとても清潔感に溢れたところで、山羊の糞の臭いなどもさほど気になりませんでした。

チーズ工房を始めて4年目、まだ40代のエンリーコさん。



(左)朝の10時過ぎ、やぎさんたちの散歩が始まり。
(右)名残惜しそうに僕を見つめて動かないヤギさん。

2軒目に訪れたのは典型的な家族経営の農家で規模も大変小さく、山羊の小屋には鶏も一緒で素朴な感じがしました。日本に入ってくると300gほどのチーズが3000円ちかくするのですが、チーズは熟成のタイミングとかなかなか管理に手間隙がかかり、もちろんフレッシュなチーズは空輸ですから仕方ありませんね。特に山羊のチーズは生産量も少ないので、これを好きになった人が情熱を持ってチーズを作り、輸入し、味わう権利を持っているのでしょう。ワインもそうですが、 チーズも一度はまるとなかなか奥が深いようです。

(左)プロリオさんの家。薪がたくさん摘んである壁の内側に山羊とニワトリが同居している。
(右)プロリオさんの家の山羊。こちらはメスばかり。


(左)これは雄の山羊。いかにも精力ありそう。
(右)小さな農家なので30個程度しか作らず全て地元で消費される。


(左)プロリオ氏と奥さんのマッジョリーナさん。      (右)家の壁に色褪せた道印があった。

ノーブレス・オブリージュ、コッラルトのワイン

ノブレス・オブリージュ、”高貴なる者の義務”という言葉があります。まさにこのワイナリーにふさわしい言葉ではないかと思います。ヴェネツィアから60kmほど離れたヴェネト州トレヴィーゾ県にあるスセガーナという人口1万人ほどの町があります。プロセッコのD.O.C.のひとつコネリアーノは目と鼻の先です。その町から少し離れた田園の丘の上にサン・サルヴァトーレという古城があります。ピエーヴェという東京なら多摩川のような大きな川が流れアドリア海まで注いでいます。その川岸から丘の上に高い鐘楼と城壁の連なりを眺めながら、トレヴィーゾの駅まで迎えに来たロドヴィーコが、あの城の両側に見える丘と田園が全てコッラルトのものだといいました。
(写真)サン・サルバトーレの城。右側の建物は第二次世界大戦の時に爆撃されたままの状態である。

コッラルト家は歴史を遡ると紀元150年まで遡り、この一帯を支配していたロンバルド族の王家で、現在もコンテ、つまり伯爵の称号をワイナリーの名前に使用し、コンテ・コッラルト農園になっています。この地を代々治めて来た貴族の役目として、 今も幼稚園の設立や教会や病院の維持などに大きく貢献しています。
コッラルト家の寄付によって作られた保育園
これは池のように見えるが、自然と共存したスタイルのプール。自然環境を最優先し共存するのがコッラルトの流儀です。

ロドヴィーコはコッラルト家の娘と結婚し、現在はワイン部門の営業責任者です。彼との出会いのきっかけはもう知り合って10年以上になるヴェネツィアでワイン・バーとワインの卸をやっている友人、ピエトロの紹介でした。かつて、ザルデットというおいしいプロセッコを紹介してくれたのもピエトロでした。ザルデットは今、日本でも人気のプロセッコになっていますが、ピエトロにまたもっと美味しいプロセッコはないかと聞いたら、間髪入れずに返ってきた答えが、コッラルトでした。ヴェローナのヴィニタリーの会場でそのコッラルトを訪ね、十数種類のワインとオリーブ・オイルを試飲しました。そのどれひとつとっても欠点のないもので、かつ価格的にも大変リーズナブルなものだったのです

コッラルト自慢のワインのひとつ、マンゾーニ・ビアンコ。


(左)収穫直前のプロセッコの大きな房を手にするロドヴィーコ・ジュスティニアーニさん
(右)ヴェネトを代表するスプマンテ、プロセッコ種の葡萄

コッラルトの城を訪れた日に、城の中にあるいくつもの部屋ではイタリア中から零細ながらも貴重な本を出版している会社の本を紹介するブック・フェアが開かれていました。城はこうして音楽会や絵画展など様々な公共的な催事にも開放されているのです。ブック・フェアを見学していたら、ロドヴィーコの義母にあたる上品な女性に出会いました。孫の男の子、つまりロドヴィーコの息子と一緒でしたが、次々と彼女に挨拶する知人達はコンテッサ、伯爵夫人と呼んでいました。しかし、彼女の態度にも、ロドヴィーコの態度にも自分達の地位をひけらかすような素振りは皆無で、僕たちはロドヴィーコ、トシと互いの名前で呼び合い、出会って間もないのに長い付き合いの友人のようです。
サン・サルバトーレ城の中で開催されていた小規模出版社のブック・フェア。小さな出版社ならではの珍しい本が集まり大勢の人々が訪れていた。

広大な葡萄畑を散策しながら、僕がヴェネツィアの居酒屋、ド・モーリなどで時々楽しむフラゴリーノという甘いワインの葡萄はあるかと聞きました。製造販売がご禁制のものだからもちろんコッラルトでも作ってはいません。しかし、幸運にも庭園の中にペルゴラに仕立てられて真夏の日よけ用に作られていました。丁度熟れ頃の実を食べたらとても甘く、やはりフラゴリーノ(野イチゴ)の香りがしました。黒葡萄ですが、赤と白の両方のワインが作れます。夢にも見たフラゴリーノにも出会えたのは嬉しい限り。
これは”幻の”という形容がふさわしいフラゴリーノ種の葡萄。このワインは何度も飲んでますが、実際に樹に実っている葡萄を見たのは始めてです。

城と葡萄畑など一通り巡ってから、ワインの醸造所と蔵を見に行きました。オーストリア国境にも遠くないこの地方には几帳面なゲルマン気質の血も入っているのでしょうが、きちんとコンピューターで温度管理され、清掃の行き届いた内部は、ここのワインを口にしたときの非常にクリアで、葡萄の個性、持ち味はもちろんのこと、何よりもこの土地の特長を充分に感じさせるワインが生まれるにふさわしい環境でした。ロドヴィーコはコッラルトのワインはテロワール、つまりそこの葡萄が育つ畑の性質や環境が如実に感じるワインだと力を込めて言っていました。カベルネやメルロなど元々はフランス原産の葡萄もヴェネトでは200年以上も昔から造られていますが、コッラルトのカベルネやワインを東京で飲むと、すぐにヴェネツィアのレストランや居酒屋で飲んでいるヴェネトらしい味わいを思い出すのです。まさに、ロドヴィーコが言っているとおりの愛すべきワインに出会いました。
コッラルトのオフィスやたくさんの広間、厨房などがある。

セネガリアの市長(右)とロドヴィーコさん。


(左)城のテラスから望む風景。この全てがコッラルト家の所有。
(右)葡萄畑の向こうにサン・サルヴァトーレ城を望む。

(左)イタリアでは今は2社しか作っていない希少品種の葡萄、ヴィルバッケル。コッラルトではこのように、土地の歴史の中で稀少になった品種にも再度、光を当てて後世に伝えたいと考えています。
(上)コッラルト社のワインセラー。

2006年11月01日

ランブルスコの極み、カサーリのワイン

エミリア・ロマーニャを知っていますか?この名前にはあまり馴染みがなくても、パルミジャーノ・チーズやパルマの生ハム、モデナのバルサミコ酢を知っている方はたくさんいると思います。では、ランブルスコは?最近、少しずつ人気が高まっている発泡性のワインですね。パルマも、モデナも、ボローニャもイタリアでは指折りのグルメ都市です。その都市の胃袋を支えているのはこの地方の豊かな農業。必然、ワインについても確かなセンスを持っているはず。にもかかわらず、ランブルスコをはじめ、この地方のワインは日本ではあまり馴染みがありませんでした。ランブルスコというと、クリスマス頃になるとお酒が苦手な人がパーティの仲間はずれにならないようにグラスに注いでもらう、ルビー色の軽いスプマンテ程度にしか思われていませんでした。エミリア・ロマーニャでランブルスコがそんな位置付けにあるわけありません。おいしい、本物のランブルスコを飲んでみれば、このワインの本当の魅力がわかるはずです。

(左)日本でも最近注目されてきているランブルスコ。同社のトップランクにある”SANRUFFINO”のコルク栓にこの地方の伝統的を象徴している。グラスパロッサ種100%の極めつけランブルスコ。
(右)旬のポルチーニを生のまま、パルミジャーノ・チーズを粉にしてからクレープのように焼いて、20年もののバルサミコ酢風味に仕上げた一皿。合わせたワインはランブルスコの極み、SANRUFFINO.


エミリア・ロマーニャ州の州都、レッジョ・エミリアに程近い、スカンディアーノ。ノーベル文学賞を受賞している詩人、ジョスエ・カルドゥッチはこの地を”学者と詩人”の大地、と呼んだそうです。その高尚な大地に1900年からワインを作っているのがカサーリ社です。オーナーはレッジョ・エミリアの町にある“パラッツォ・デル・カピターノ・デル・ポポロ”という14世紀には都市国家軍の市民隊長の館として、15世紀にはシジモンド・デエステの住居であった館の4つ星ホテルやパルミジャーノ・チーズ工房、 アグリトゥリズモ、その他幅広く事業を展開している名門の家柄、シドリ家です。
カサーリ社では
主力のランブルスコをはじめ、
重厚な赤ワインやグラッパ、
バルサミコ酢など製品の幅は広いが
いずれも高い品質を保持している。


ランブルスコなど発泡酒を醸造する
ステンレス(右)と内部を
グラスファイバーコーティング
した鉄製タンク(左)。



燻し銀のような味わいの
"Casino dei Greppi"は
カベルネ・ソーヴィニョンを主体に
サンジョヴェーゼ、メルロの
3種から造られ、オークの
小樽で熟成される。


出自の良さを漂わせる
カサーリの社長、
ジョヴァンニ・シドリ氏。

今年の4月、ヴィニタリーの会場でカサーリ社の社長、ジョヴァンニ・シドリ氏と出会う幸運に恵まれました。発泡性の赤ワインのランブルスコ、白ワインのマルヴァジア、そして長期熟成用に作られたカベルネ・ソーヴィニョンを主体とした赤ワインなど次々とテイスティングし、そのどれもが葡萄本来の持ち味を充分に醸し出し、上品な風味と心地よい余韻を楽しませてくれました。80年代のイタリアブーム以来日本ではイタリア各地の素晴らしいワインが輸入され楽しまれていますが、まだまだ充分に知られていない地域が残されています。レッジョ・エミリアもその一つですが、ランブルスコというフランボワーズのような色と香りの素敵なスプマンテが日本でもっと飲まれるようになれば、トスカーナやピエモンテに負けないグルメの土地の魅力がよりいっそう高まるでしょうし、イタリアを訪れる楽しみも増すと思います。

カサーリ社のワインの味わいは自然な時の歩みで作られたものだけが持てる味わいです。当主のジョヴァンニ・シドリ氏は海外でもその名を知られている実業家ですが、彼は大地と農業を心から愛し、趣味の一つと言ってもよいのがバルサミコ酢造りです。最終的に納得できるものが完成するまでに20年以上待たなければならないこの特産の酢を自然の力だけで造ることを楽しむ、つまり時間的なゆとりを楽しむことが出来る心、これこそが優雅な生き方というものです。私たちがイタリアを旅して楽しい気分になれるのは、イタリアには何千年も続く歴史的な遺産や伝統、ずっと守り続けている生活のスタイルから生まれる心のゆとりを感じられるからでしょう。誰彼と無く人見知りせず、一介の旅行者とも気さくに接してくれる、そんな優しさが生まれるのは健康な大地で作られた食べ物を慈しむ心で料理して味わうところに、穏やかな気持ちが生まれ、和やかな家庭や友人関係が保たれるのです。ワインはその料理と人々の間を取り持つ大事な飲み物なのですね。スカンディアーノで再会し、ともに食事を楽しみながらそんなことを実感しました。


(左上)広々としたレストランと宿泊施設、バルサミコ酢の熟成庫などがある建物、CAVAZZONE.
(上)ジョヴァンニ・シドリ氏が誰にも触らせないと、精魂込めて育てているバルサミコ酢。醸造庫の中で眠るバルサミコ酢の吐息が聞えるようだ。
(左)訪問客にはシドリ氏がバルサミコ酢の作り方を説明してくれる。年数を経るごとに目減りするので、その都度小さな樽に移し変えていく。


(左)毎年11月6日に解禁となる新種”ノヴェッロ”のために、マルボ・ジェンティーレ種から造られた"SANMARTEIN".
(右)シドリ氏が自分の家族と友人のためだけに仕上げた自慢のバルサミコ酢をバニラと栗の風味のジェラートにたっぷりとかけたデザート。

2006年10月23日

ヴェネツィアの居酒屋「老舗中の老舗”ド・モーリ”」


わが愛しのヴェネツィアで、もっとも心休まるのが水の上。小船に揺られて水面と対岸の歴史的建築物を交互に眺めるとき、ああ、自分は今、ヴェネツィアに抱かれていると感じるのです。水の都、ヴェネツィアでは人の心も状況に応じて水のように自由に形を変え、異国の旅人も常に快く出迎えてくれます。その例外に出会った人は、ただ運が悪かっただけと水に流しましょう。そして、バーカロと呼ばれる居酒屋の扉を押して一杯のオンブラ(ワイン)を注文するのです。二杯か三杯を飲むうちには、隣のヴェネツィアっ子と友人になっているかも知れません。



リアルトのサン・ジョヴァンニ・エ・エレモジナリオ教会の前の路地を入ると、ヴェネツィアで現存する最も古い居酒屋と伝えられる”カンティーナ・ド・モーリ”があります。“ド・モーリ”とはヴェネツィア弁で“ふたりのムーア人”という意味で、かつてのこの店の経営者から由来しているそうです。そのかつてとは・・・1462年、15世紀半ばです。もっとも、バーカロという言葉は1800年代に生まれたもので、ド・モーリは名前にもあるように、カンティーナ、つまり酒屋だったのです。今のようなカウンターだけの立ち飲みの店になったのは1966年11月の大洪水からヴェネツィアが復興してからです。







1760年6月11日土曜日に発行された地元紙、
Gazzetta Venetoにもド・モーリが紹介されている。



僕がこの店に通い始めた頃、カウンターの向こう側にはロベルトとセルジョというふたりの熟年男が渋い雰囲気で仕切っていました。それまではロベルトの父親がやっていたのですが、父の跡を継いで、高校の数学教師だったロベルトがセルジョと店を受け継いだのです。そして、97年にロベルトが引退すると同時にルディとジョヴァンニという青年にバトンタッチしました。

その交代の日のパーティに誘われたのですが、ロベルトの最後の日の笑顔もほがらかで、新しい青年たちの肩を抱きながら「これからはこのラガッツィ(少年達)を宜しく頼むよ」と乾杯し合いました。ただ、流石に長年付き合ってきた常連達に若いふたりが馴染むのは大変だったようで、しばらくするとロベルトの相棒だったセルジョが一緒にいました。こういう店が、いかに経営者の人柄に支えられているかを如実に表わしていました。
あれから10年近くを経て、ジョヴァンニもルディもド・モーリの板に着いて来ました。しかし、セルジョもまだまだ頑張っていて、僕が扉を押して入ると「チャオ!お帰り!」と我が家へ帰ってきたように迎えてくれます。ヴェネツィアのバーカリではどこでもそうですが、そこに行けば必ず顔なじみの友人に会うことが出来ます。
現在のド・モーリの面々。右からセルジョ、ルディ、ジョヴァンニ。



(左)海外でも有名になり、ことに90年代に入ってからは外国の観光客も多い。
(右)店内が込み合ってくると常連達はグラスを片手に外へでる。画家、建築家、写真家など馴染みの友人たち。

職業もまちまちで、建築家、画家、写真家、保険の外交員。なかでも、池田満寿夫とも親交があった版画家のシルヴァーノや近所で靴の修理職人をしているフランチェスコとはヴェネツィアに行けば必ず1,2度はド・モーリで一緒にオンブラを飲みます。
池田満寿夫とも親交があり、実は日本には
妻と子供もいる版画家、シルヴァーノ



ランチェスコはなかなかのインテリで、選挙間近の時期になれば政治の話を熱く語ったり、数年前に共通の友人だった詩人のマリオ・ステファーニが自殺して突然亡くなった知らせもフランチェスコからで、共に涙を流しました。2004年の11月 に僕がサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の大講堂で写真展を開催したときにはポスターや写真を店の入り口に貼って、友人たちに宣伝してくれました。
ド・モーリからド・スパーデの路地に入るとフランチェスコの工房がある。
NHKがヴェネツィアを紹介したドキュメンタリーフィルムにも登場している。


ド・モーリではプロセッコなどの地元ヴェネトやフリウリのワインの他にもピエモンテのバローロやトスカーナのブルネッロ、キャンティなどもグラスで飲めます。しかし、僕がヴェネツィアを去るときに必ず一杯は飲むのがフラゴリーノです。野イチゴのような甘い香りのワインですが、1800年代にフィロキセラという葡萄の樹を枯らすアメリカの害虫がフランスのボルドー経由でヨーロッパ各地に広がった時に、 この害虫に耐性がある野生の葡萄の樹がアメリカから何種類も移植され接木の台になりました。フラゴリーノもそのひとつですが、ワインにするにはアルコール度数が充分に達しないので今のワイン法では製造販売は禁止されています。しかし、これを一度飲んだら忘れられない魅力があり、ヴェネトではこっそり造られ売られています。。
これが幻のスウィート・ワイン、フラゴリーノは恋の酒。

もちろん非合法だからラベルも貼られていないのですが、ド・モーリに行ったらぜひフラゴリーノを試して下さい。赤と白がありますが、お薦めは白です。ただし、注文するときにはなるべくこっそりとお願いします。ボトルでも買えるのでお土産に1本持ち帰り、ヴェネツィアを想いながら日本で味わうのです。

2006年10月20日

アスティから始まった切り売りピッツァ

イタリアで一番最初に切り売りのピッツァを始めた店アスティにあるんだ。トリノに行く前に寄ってお昼をそこで食べて行こう」、カネッリのルペストルで葡萄の収穫を手伝っていたレナートが嬉しそうに言う。ピッツァ、それも切り売り?なんでピエモンテでもグルメの町として知られるアスティでわざわざ切り売りのピッツァなんだろうと半信半疑でしたが、店の名前もズバリ”LA PIZZA” とピッツァに定冠詞を付けたりして本気を感じます。

店内を一目見て納得しました。ピッツァが誕生したのはもちろん、ナポリ。でも、店の壁には1939年に撮られた写真が飾ってありました。

ただ、売っているのはファリナータというヒヨコ豆(イタリア語ではCeca,複数形でCeci=チェーチ)の粉を水で溶いて塩を少し入れただけの極めてシンプルなクレープでした。


イタリアにはポレンタと言って、トウモロコシの粉をお湯で溶きながらマッシュポテトのようになったのをそのまま食べたり、練ったものを型に入れて、固まったら四角く切って、ちょっとオーブンで焼いてから肉や魚料理の付け合せにして食べるものがあります。日本人にはあまり美味しく感じられないみたいですが、ファリナータはトウモロコシの変わりにヒヨコ豆を使っているので、栄養価も高く味付けも塩だけですが、飽きのこない健康食といえまね。


人生、何があってもくよくよしない、ファリナータの正統な食べ方?よりおいしくなるそうです。

週に何度も来ると言う近くの銀行に勤めているお嬢さん。

トウモロコシの原産は南米ですが、ヒヨコ豆もイタリア原産ではなく、インドからエジプトなどアラブ世界を経由して来たものです。すっかりイタリアの代名詞になっているトマトも原産は南米だし、ジャガイモもそうですね。インドのイチジクなんて言うのもありますが、これは団扇(うちわ)サボテンの実で、コロンブスがアメリカ大陸を発見したときにインドと勘違いしていたから、イチジクに似た南米が原産のサボテンの実がそう呼ばれたのです。
こうした食べ物がたどった道程を考えると、ピエモンテの小さな町に切り売りピッツァの老舗があったとしても不思議ではありません。ファリナータからスタートしたロベルトの先祖が、いつしか切り売りのピッツァも売り始めて、それが今ではアスティ市内に2軒の店になって、売っているピッツァのバリエーションも70種類だそうです。1号店は1953年、アルフィエリ大通り(Corso Alfieri) に誕生し、このペッレッタ通りに”LA PIZZA”2号店が出来たのは1984年です。もう、22年も経っているのですね。これぞイタリアのファーストフードです。グルメ料理もいいけれど、こうした切り売りピッツァやパニーニやエミリア・ロマーニャのピアディーナなどイタリアには美味しくて楽しめるファーストフードがいろいろあります。ちょっとヘビーな食事が続いた時にはありがたい存在でもありますね。

アスティが生んだ文豪、ヴィットリオ・アルフィエーリの像が立っている彼の名前をとった広場周辺が町の中心。

ポルティコ(アーケード)が多く雨の日の散歩も楽。

2006年10月18日

イタリアワインの真髄、エリオ・フィリッピーノ


ピエモンテ州のネイヴェで素晴らしいワインを造っている青年、エリオに出会ったのは1997年4月のヴィニタリーでした。
イタリアに通い始めて20年目、この国のワインの真髄がようやく分り始めた頃で、その魅力をぜひ日本に紹介したいとヴェローナのヴィニタリーの会場をほとんど毎年、隈なく歩いていました。既に有名になっているところや大きな造り手には興味はありません。イタリアワインの魅力は小さな造り手が丹精こめて仕上げた、言わば職人的な魂が篭ったワインこそ本物でしょう。

当時は、まだスーパータスカンとかバローロ・ボーイズとか、フランス産のオークの小樽、バリックによる醸造を重視した、岩のように重厚な赤ワインが人気を集めていました。確かに、それらは素晴らしいかも知れない。しかし、その真価を確認するには20年、30年を待たなければならないでしょう。できれば、4,5年でも充分に実力を感じられるワインが欲しい。ワインは熟成の期間のそれぞれのポイントで楽しめるものです。しかし、あまりに重厚に造り過ぎると、なかなか素顔を見るのは困難です。素直に、自然に、自分の持てる力を発揮できる葡萄とその力を100%引き出す造り手の実力、それだけで充分なのです。



ピエモンテの巨大な展示館の中の一坪程度の小さなブースでエリオは自分のワインをちゃんと評価してくれる客を待っていました。テーブルの上にはピカピカに磨かれた幾つかの大きさの違うグラス。僕が訪ねると若者らしい軽快な身のこなしで椅子を勧め、テーブルのグラスにワインを注いでいきます。始めはドルチェット・ダルバ、そしてバルベーラ、2種類のバルバレスコ。クラシックなデザインのワインラベル。ふっくらとしたブルゴーニュタイプのボトルから注がれるガーネット色の液体はボトルからグラスに移される間にも芳しい微風を送ってきました。



直感は当たりました。これは大樽中心の醸造だね。樹も古いね。君は若いのにワインには充分に歴史を感じるよ。とてもいいワインだ。僕は畳み掛けるようにエリオに言い、そのワインの素晴らしさに酔いました。近年はみんなフランス産のバリックに頼ったワインばかり造られるけど、僕はピエモンテの伝統的な大樽のワインが好きだ。ただ、ドイツやアメリカのお客さんがバリックしたものも望むので、そういうスタイルのワインも造るけど、バリックの影響は極力抑えている。エリオはまだ20代半ばなのに、とてもしっかりした考えを持ってこれらのワインを造っています。あれから10年近くなり、僕は毎年、彼と会い、彼のワインを飲んでいますが、その味わいはますます安定感と深みをまし、より魅力的になっています。最近、イタリアワインの造り方が変わりつつあります。みんな、エリオのように、伝統的な作り方を見直し、バリック離れが起こっているのです。





日本に持ち帰ったエリオのワインを評判の高いレストランのシェフやソムリエの友人たちに飲んでもらうと、彼らの評価はことごとく同じで、これがイタリアワインですよね。イタリアワインの本質を再確認しました。ワインはこうじゃないといけないよね。と皆さん、まったく僕と同意見です。1本のワインを介して得られる、”共感”これこそがエリオ・フィリッピーノのワインの魅力でしょう。畑と太陽と葡萄と造り手の情熱が一体となった自然体のワイン、まさにイタリアワインの真髄です。
2005年の春に結婚したばかりの新妻、ミリアムの実家はバローロに4つの畑を持っている。ここはそのひとつ、カスティリオン・ファッレット。

ミリアムのお父さんは電気技術者だが、ワインが好きで葡萄畑に投資している。娘婿のエリオがその畑で作ったバローロのボトルを手に大満足だ。

まるで我が子のように葡萄の房を手に取るミリアム。


堂々としたネッビオーロの房とバローロの雄姿。

ミリアムの妹、キアラは大学で醸造学や生化学を修めた。父は醸造家になることを望んだようだが、本人は薬学の道を目指している。







2006年10月16日

カネッリのルペストル


イタリアで秋と言えばまず、葡萄の収穫、イタリア語でヴェンデンミア(Vendemmia)の季節です。収穫の頃合は細長いイタリアですから温かな南と北、あるいは葡萄の種類によって異なりますが、概ね白葡萄から始まり、シチリアなど南部では8月の終わりからもう収穫し始めるところもありますが、通常は9月の中旬からですね。赤ワイン用の黒葡萄は9月の下旬、バルバレスコやバローロを作るネッビオーロは10月に入ってから充分に熟成したタイミングを読みながら慎重に収穫の時期を決めます。ワイナリーによっては古来の伝統にのっとり月の運行などに従うバイオダイナミクスを計算して時期を決めるところもあります。

葡萄の実りは天候に大きく左右されるものですが、この10年ばかりの間では、1994年、2002年はどうも太陽の恵みが足らず、葡萄造りが難しい年でしたが、それでも造り手の努力しだいでは素晴らしいワインに生まれ変わっているところも少なくありません。逆に、2003年は猛暑の年で葡萄の熟成が進み、中には樹に実ったまま干し葡萄になったところも少なくありませんが、糖分がアルコールに変わってワインとなりますから、それだけこの年は濃厚なワインが誕生しました。しかし、ワインは酸味も大事な味わいの要素ですから、2003年が必ずしも最良の年とは思わないほうがよいでしょう。

僕の記憶では1990年代なら、1990年と比較的奇数年、つまり1993年、1995年、1997年、1999年は素晴らしい年でしたし、2000年代では、2000年、2001年、2003年は良い年ですが、2004年や2005年はイタリア全体にバランスよく美味しいワインが造れた年でした。そして今年もかなり期待ができる年となったようです。
さて、ちょうど9月の中旬に訪ねピエモンテ州のカネッリ市郊外にあるルペストルのワイナリーではちょうど収穫の日に到着しました。イタリアのワイン法で1967年にDOCワインとして認定されたのがモスカート・ダスティ(Moscato d’Asti) で、ルペストルではそのモスカート・ダスティとモスカートのパッシート、そして赤ワインのドルチェットを生産しています。
オーナーのジョルジョ・チリオと出会ったのは1997年で、ちょうど最初のアグリトゥリズモの本を準備している時に、アスティの観光局から紹介されて行きました。ざっくばらんでアメリカのカウボーイみたいなジョルジョとはそれ以来の親交を続け、彼もしばしば日本を訪れては自分のワインや自家製の野菜や果物を加工した瓶詰めや周辺地域で友人たちが生産する山羊のチーズなどを持参して紹介しています。



彼は父親がカネッリで世界的に有名なスプマンテの会社、ガンチャのお城のレストランに勤めていたので、ジョルジョもその仕事を受け継ぎ、カメリエーレ(給仕)からスタートしてやがては料理人としても仕事を始めいくつかのレストランで経験を積んだ後、このルペストルの農園を親戚から譲り受けました。
ワイナリーとしてはまだ自分のところで醸造設備を完成させていないので、カネッリの町にある大手の醸造所に葡萄を運んで造ってもらっていますが、彼の農園にはすでに自家醸造できる設備が準備されつつあるので、来年にはすべて自家製のワインが生まれるでしょう。

葡萄の収穫は奥さんと娘と息子を合わせた家族はもちろん、友人や収穫の時期だけ頼む手伝いを含め10人ほどの人数で行っていました。今年の葡萄もなかなかいい実りだととても満足げなジョルジョです。黄色くなるまで熟成させた葡萄はデザートワインのパッシートに仕上げられます。



葡萄の収穫は朝の7時過ぎには始まり日暮れまで続きます。お昼には近所の奥さんたちも応援でおいしい昼食もしっかり食べ、とにかく摘んだ葡萄はできるだけ早く町の醸造所に運びます。一日の仕事が終わって夕食が出来るのは8時過ぎですね。ワインを飲みながら陽気な会話を楽しめば一日の疲れも忘れます。
1997年にはありませんでしたが、ルペストルの地下にはレンガを積んで築かれた立派な酒蔵が完成していました。味覚のセンスに優れたジョルジョが100%自家醸造でワインを造れるようになればルペストルのワインは一段と魅力的なものになるでしょう。今年、彼は新しいワインラベルのデザインをカネッリの著名なアーティストであり、デザイナーのジャンフランコ・フェッラーリ氏に依頼しました。ワイン造りには長い年月と情熱が必要です。苦労もいっぱいありますが、一生懸命に働く彼の姿を見れば自然と応援したくなりますね。

2006年10月04日

ロマーノ・レーヴィのグラッパ 後編


レーヴィさんが午後に現れるのは3時からで、時間は15分ばかり過ぎていたので大丈夫だろうとブザーを鳴らしました。しばらくすると、表門ではなく、脇の小さな出入り口からアシスタントの男性が顔を出し中に入れてくれました。他にもスイスから来たカップルやドイツから来た青年が待っていました。

僕たちはレーヴィさんの家の庭や蒸留所などを見ながら彼の登場を待っていました。家の壁にはレーヴィさんが描いたラベルと同じような絵が飾ってあったり、蒸留所の中にはレーヴィさんが好きだというミミズクの置物のコレクションなどが飾られていました。



しばらくすると、背中を深く折り曲げちょぼちょぼと歩く老人が現れました。エリオが近づいて自分と僕を紹介すると、レーヴィさんは顔も上げずに、そうかいそうかいと事務所と思しき中へ招き入れました。アシスタントの男性がレーヴィさんを助けながら椅子に座らせると、レーヴィさんは両手でほほを少しづつ押上ながら、「このところずっと首が痛くてこうしないと顔を上げられないんだよ」と言いました。なんでも、ここ半年くらい首の筋肉が痛くて動かなくなったそうで、それでラベルを作ることもしてなかったとか。僕はこれまでのイタリアの旅のことや自分の仕事のことを話しながら、「首が痛いのは筋肉が固いからだと言ったけど、両手を強く擦り合わせて熱くなってきたらその手のひらを首にあててみるといいですよ。」と言って一緒にやってみました。するとレーヴィさんはなるほど、これは気持ちがいいね、と笑顔を見せてくれました。僕は彼の手を取って、さっき握手をしたときには手が冷たかったけど、今は暖かいでしょ。これを日に何度かやってみるといいのですと薦めたらとても嬉しそうでした。

それから、彼の机を明るく照らす蜘蛛の巣だらけの窓ぎわに置かれたエトルリア時代の彫像、「夕暮れの影」のレプリカのことや、僕の名刺の裏に書いた"In Vino Veritas, In Grappa Laititia (ワインには真実が宿り、グラッパには喜びがある)”という文字を見て、ラテン語の話やら、仏教とキリスト教の違いなどさまざまなな話題になりました。ちなみに、彼はキリスト教の説教者ではないけど、信者ではあるよと言っていました。つまり、神を信じてはいるけど、その言葉で人にどうこう言うつもりはないということでしょうね。

そして、突然、彼はテーブルの上に2本だけ置いてあった琥珀色のグラッパのひと瓶を指差して、「それを君にプレゼントするよ。名前を正確に書いておくれ。間違えるといけないから」と言いました。そしてアシスタントの男性に手作りの画板とラベル用紙を準備させ、首が痛くて上がらない頭を固定させるためのコルセットとベルトを装着しました。僕はなんだか申し訳ない気持ちだったけど、それよりも彼が自らプレゼントするよ、君の名前を書くから教えてくれと言い出したことにビックリしました。そばにいたエリオたちも目を丸くしていました。そして僕はアシスタントの方が渡してくれたメモの紙に”Toshi”と書いて渡しました。

レーヴィさんはしばらく空を見つめ何か図案を考えるようにしてから描き始め、しばらくするとペンが止まり、難しい表情になってまた何を描こうかと考えているようでした。そこで僕はいつも酔っ払った時に歌う”O Sole Mio(オー・ソーレ・ミオ)”を唄い始めました。するとレーヴィさんの顔が明るい表情になり、一緒に口ずさみ、そしてラベルが完成しました。そこには、”Grappa per Toshi (Toshiのためのグラッパ)”という文字と一緒に、O Sole mioの文字と太陽の絵が加えられていました。その上、僕が自分の名前を書いたメモにまでサインや"O sole mio"の文字を書き加えてくれました。なんとも、とても楽しいひと時で、最初はちょっと無愛想だったアシスタントの男性も笑顔で、「今日のロマーノは久々にご機嫌がいいよ。君たちのお陰だ」と喜んでくれました。

僕の名前が入った正真正銘のロマーノ・レーヴィのグラッパ。そして彼のやさしい笑顔。この旅のスタートから僕は素晴らしい贈り物を授かりました。ロマーノ、ありがとう!また、近いうちに会いましょう。元気で!そう言って、僕らは彼に挨拶してきました。

(左)こうしないと顔を上げられないんだというロマーノ・レーヴィさん。(右)君はどんな絵を描くのかい、と聞かれていつも描いているワイングラスとボトルの絵に”In Vino Veritas、 In Grappa Lautiti a”と書いたところ。

取材旅行直前に歯を抜いた僕もその時の痛さを思い出し、ロマーノと一緒にほほを手でおさえて記念写真。
 
(左上)手造りの画板、窓に張った蜘蛛の巣、まるで画家のアトリエのようです。(右上)なんとロマーノは僕が自分の名前を書いたメモにまで”O sole mio”と太陽の絵、そして自分のサインに日付を書き入れてくれました。(下)出来上がったボトルとロマーノ・レーヴィさん。


一緒に行った、エリオ・フィリッピーノと彼の奥さんのミリアム。






2006年09月27日

ロマーノ・レーヴィのグラッパ 前編

旅スタBlogをご愛読頂いている皆様、先週の金曜日に無事イタリアから帰国しました。ピエモンテのアスティ近郊のカネッリ、ランゲのバルバレスコ、バローロの葡萄畑を歩き、エミリア・ロマーニャのレッジョ・エミリアとピアチェンツァ、ヴェネトのトレヴィーゾ郊外のワイナリーを訪ね歩き、そしてヴェネツィア、ミラノと正味10日間の急ぎ旅。でも、中身もぎっしり詰まったいい旅でした。帰国後最初のブログは中でも一番のハイライトからスタートします。それは、”イタリア好き”な方ならこの写真のボトルを見ればすぐにおわかりですね?

 幻のグラッパ造りの名人と言えば、ピエモンテのネイヴェに住むロマーノ・レーヴィ(Romano Levi)さんです。1928年に生まれましたので、今年で78歳です。彼がグラッパ造りを始めたのは1945年、17歳の時からだったそうです。父親のセラフィーノ・レーヴィさんの後を受け継ぎ今日まで、いまでは珍しい直火の蒸留器で造り続けています。ちなみに、蒸留器はアランビッコ(Alanbicco)と言いますが、発明したのはアラビア人です。他にもアルコールとかアルカリとか”AL”がつく言葉の語源はアラビア語でアラビア人の発明によるものです。
 レーヴィさんのグラッパにはいろいろな味わいがあります。70年代、80年代、90年代それぞれのヴィンテージでも味が違いますし、同じ時期でも直火で作るせいか、ボトル1本づつが異なると言われています。僕もこれまでに4、5本はイタリアの友人たちかプレゼントされましたが、自分で開けて飲んだのは1、2回で、ワインは大好きでも度数の強いグラッパはちょっと舐めるか、コーヒーに入れてカッフェ・コレットにしてしまいます。レーヴィさんのグラッパはそんなことをしたらもったいないので、味がよく分る友人にプレゼントしてました。何しろ50度から60度はありますからね。しかし、ワインのための果汁を搾った後の葡萄の皮を発酵させて作るグラッパもそれぞれ葡萄の種類や産地ごとに風味があって、香りだけでも充分に楽しめますね。

 これまでにもシチリアのジョーヴィのジョヴァンニ・ファウチトスカーナの頑固親父、ジョアキーノ・ナンノーニ、フリウリのトゾリーニやノンニーノ家族、バッサーノ・デル・グラッパのナルディーニなど著名なグラッパの造り手たちと会い雑誌に紹介したり、イタリアのワイナリーから頼まれてグラッパ造りのお手伝いもしました。グラッパを造る人はワイン以上にそれぞれに強烈な個性を持った造り手ばかりですが、ロマーノ・レーヴィの名前を一躍世界的なものにしているのは、彼のグラッパもさることながら、そのボトルに貼られた手書きのラベルの魅力にもあるのです。

 彼は一日に数本しか売らないと言われています。予約もできないので、直接、彼の家を訪ねるしかありませんが、せっかく遠路遥々来ても、今日はないよと言われることもしばしばとか。それで、「気まぐれおやじ」、「頑固者」とも言われ、それだけにやっと市場に出たボトルにはとてつもないプレミアが付いたりします。ただ、僕も今年の3月にピエモンテのある町に行った時に、そこのエノテカ(酒屋)にボトルが並んでいるのを見て、一緒に行った友人と1本づつ買って来ましたが、その時の値段は50ユーロでした。日本では2万円からヴィンテージ物やめずらしいラベルのものは20万円以上の値段が付いていますね。実はイタリアでも90年代から彼のラベル・コレクションの本が出た/b>りしてすでに伝説的な存在になっていましたので、とても貴重なグラッパになっています。ついでにニセモノも出回るというウワサも聞いてますが、それはあくまでもウワサで、本物とニセモノをちゃんと並べて見たことはありません。  さて、そんな”伝説的”なグラッパ造りの名人、ロマーノ・レーヴィさんと会ってきました。もちろん、今回が初めてで、それも僕の親友で素晴らしいバルバレスコを作っているエリオ・フィリッピーノと彼の奥さんのミリアムとネイヴェを散歩の途中で、エリオが「そうだ、ロマーノ・レーヴィの家にも行ってみるかい?すぐ近くだから」と思いつきで言ったのがきっかけです。晩夏の太陽がまぶしく輝く、とても気持ちのよい日でした。( 次回につづく)

2006年09月11日

いざ、ヴェネツィアへ!


このブログをスタートさせてから、来月で早1年になります。週に2回から3回のペースの予定で進めて来ましたが、このところ、いろいろと多忙になり、また、今年の蒸し暑さ、立秋を過ぎ、9月に入ってもウンザリするような熱帯夜が続いていますね。
そんな日々で少々体調も崩しました。ワインを飲まない日が十日余り・・・う~ん、長かった。なんと言っても、自分で主宰したワインの会の当日も飲めなかったのですからねぇ。薬も飲めないほどの不調は救いようがない、というわけで、外科的な両方しかなくなり、歯を抜かれました。するとみるみる具合が好くなって、いざ、イタリアへ出発とあいなりました。
11日から22日まで、まずはミラノ、マルペンサ空に着くや否や、ピエモンテの優美なワインの土地、アスティ近郊のカネッリに向かいます。アグリトゥリズモのRupestrに宿を取り、アスティ近郊から1日はバローロ、バルバレスコの葡萄畑を訪れ、今年の実り具合を確認して参ります。次は列車に揺られて5・6時間、エミリア・ロマーニャで特産ワインのランブルスコの里を訪れ、日本ではまだまだ馴染みが薄い土地柄を取材して参ります。そしてモデナ、ボローニャと美食の町々は車窓から味わうことにして、一気にヴェネト入りです。トレヴィーゾ郊外のスセガーナ(Susegana)というこれまた美味しいワインの生産地にあるとても由緒あるお城のワイナリーを訪ねます。わが愛するヴェネツィアまであと一歩のところ。途中で、ジャヴェラ・デル・モンテッロという小さな村にある偉大なトラットリア、アニョレッティで秋のキノコ、まだ、ソパ・コアーダというこの店自慢の郷土料理、鳩のスープなど満喫します。葡萄畑を歩くのは斜面ですから、けっこうな労働ですから、しっかりと食べておかないと翌日がありません。

旅も余るところ3分の1、いよいよ、いざヴェネツィア入りとなります。週間予報を見ますと、どうやらこのあたりから天候は崩れて雨が続きそうです。そういえば、今年の春に訪れたときにもずいぶんと降られました。しかし、ヴェネツィアはさすが、水の都。雨に降られてもいいのですね。濡れた路面に街燈が反射して、雨が大嫌いな僕でも、ヴェネツィアの雨だけは許せます。靴とカメラにはちょっと可哀想ですが、雨のヴェネツィアならではの、旅愁を味わい、ひょいと入った居酒屋でプロセッコを頂き、ああ、今、自分はヴェネツィアにいるんだなぁ・・・と感慨に耽る・・・のも束の間、常連の顔なじみがすぐさま僕を見つけて、「オ~、チャオ、トシ!いつ戻ったんだ」なんて声を掛けてきて、今日までの旅の話をあれこれと、そして、また新しい居酒屋が出来たぞ、あの店は代替わりして、そうそう、今は映画祭じゃないか、リドにはもう行ったか、なんて賑やかな会話に花が咲きます。
そう言えば、映画祭なんですねぇ・・・残念ながら、今回の取材はあくまでもワインと美味しい料理です。その取材の報告は帰国したらすぐ皆様にご報告しますので、
どうぞお楽しみに。では、Arrivederci!

2006年07月12日

イタリアで一番のカントゥッチ

トスカーナの小さな町、サン・ミニアートにイタリアで一番と言ってもいい、カントゥッチを作っている店があります。カントゥッチはイタリア・ブームに乗って日本にもいち早く紹介され今や日本製のコピー商品まで売られていますが、中世にトスカーナで誕生した伝統的なビスケットです。名前の語源は、Canto(歌)の縮小辞で、砂糖、卵、バターにアーモンドや干し葡萄、アニスの種などを練りこんだ小麦粉を焼いたもので、歯で噛んだ時にカリッと軽やかな音が出ることから”小さな歌”、Cantocci=カントッチ”が”Cantucci=カントゥッチ”となったそうです。”サン・ミニアートのカントゥッチ”はパン職人の家系の5代目となるパオロ・ガッザッリーニさんの経営する”Il Cantuccio di Federigo=イル・カンツッチョ・ディ・フェデリーゴ” に受け継がれ、この町の名産品として知る人ぞ知る、カントゥッチのナンバーワンなのです。フェデリーゴとは12世紀にこの町も支配していた神聖ローマ帝国の皇帝、フェデリーコ一世、通称バルバロッサのことですね。

カントゥッチは通常、食事の後のデザートとしてこれもトスカーナ特産のヴィン・サントという甘口のワインと一緒に味わいます。かなり固くて歯が丈夫でないと痛い目に合うお菓子なので、しばしばヴィン・サントの入ったグラスに漬けて少し柔らかくしてから食べます。しかし、パオロさんのカントゥッチは小さな子供や歯の弱いお年よりでも食べられる固さで、わざわざヴィン・サントに漬ける必要もないし、コーヒーや紅茶と一緒に楽しめるビスケットです。ビスコット・ディ・サン・ミニアートとも称されますが、BiscottoはBis=2度、Cottoは焼く、調理するという意味で、長期保存を可能にするため充分に乾燥するまで焼いたのでそう呼ばれるのです。

パオロさんのカントゥッチはラズベリーやチェリー、干しイチジクが入ったものなどのバリエーションがありますが、製法はあくまでも伝統に則ったもので、化学的な 食品添加物や着色料などは一切使用していない天然素材100%です。パオロさんのモットーですね。 彼の店を訪れたとき、パネットーネの試食をしました。パネットーネとはクリスマスの時期が近づく10月頃にイタリア中で焼かれる甘いパンですが、パオロさんはこれを もちろん100%天然素材で作り、それが1年くらい経つとどうなるか試しているそうです。そして、8ヶ月ほど経過したものを食べたのですが、とても良い香りでちっとも変質していません。カビも生えていません。一週間ほど前にアメリカから来た観光客がどうしても食べてみたいと言うので、切ったのがあるからと、僕も食べてみました。カットされてから1週間ほど過ぎているので、その部分はやや乾燥してみましたが、噛み締めるとなかなかいい味です。僕はパネット―ネが好きで、その時期にはいくつも買って翌年の5月頃まで朝はパネットーネとカフェ・ラッテを楽しむのですが、こんな上質のパネットーネを毎朝食べたいですね。すでに友人のインポーターにも紹介したので可能性はあると思います。

店に立つパオロさん。店内には酒屋さんかと思うほど、様々なワインやグラッパなどが並んでいますが、ワインはほとんどがお菓子に合わせるパッシートなどのデザート・ワイン。



これが”カントゥッチ・ディ・サン・ミニアート”、見ているだけでも「カリッ!」と音が聞えてきそう。でも、固すぎて歯が立たないものが多いのですが、これなら子供からお年寄りまで食べられます。



お店の地下はカンティーナ(酒蔵)になっていて数千本のワインや自家製のリキュールが保存されています。オレンジやレモンの皮を漬けたものでも一味、二味違うパオロさんの秘法があり、サクランボの種を漬けたリキュールなど初めての味で魅力的でした。自分の仕事に誇りを持ち、こころから楽しんでいるのですね。

2006年05月31日

ローマのユダヤ風カルチョーフィ


イタリアはどこの町が一番好きですか?と聞かれたら、まず出てくるのはローマとヴェネツィア。どうしてもこのふたつですね。ヴェネツィアは路地裏の静けさや水音、そしてなによりも朝からワインを楽しめる居酒屋、バーカロの魅力。ローマはなんと言っても、イタリアらしい青空と泉の水、もちろん古代ローマ遺跡の中で感じる悠久の時の流れに身を任すというこの町ならではの安らぎもあります。

 そのローマでいつも歩くコースは前に噴水のところでも紹介しましたように、カンポ・デイ・フィオーリやトラステヴェレ、ナボナ広場からパンテオンのあたり。そしてテベレ川の流れを見ながらティベリーナ島やゲットー界隈を歩きます。”亀の噴水”の噴水もこの近くですが、4月に行ったら修復工事で見ることが出来ませんでした。紀元前60年頃、ポンペイウス帝によってローマに連れてこられたユダヤ人たちは中世までは比較的自由な生活を営み、医学や金融業の発展にも貢献していました。

 この界隈にゲットーが設けられたのは16世紀、法王パウロ4世の時でした。壁に囲まれた集合住宅に住まわされ、夜間外出も禁止されていました。第2次世界大戦時の悲劇については言うまでもないでしょう。この界隈には現在もユダヤ人たちが住んでいて、テベレ川沿いには1874年に建てられたシナゴーグもあります。そんなわけでユダヤ風料理が食べられるレストランもあります。有名なところでは、Piperno。でしょう。ズッキーニの花のフライやカルチョーフィ(アーティチョーク)のフライなどが名物です。4月のちょうど復活祭の時にぶつかってしまい、Pipernoは満杯状態。裏手の路地、Via Porticoにあるリストランテ、Il Porticoも満席状態でしたが、この日はどこを歩いても同じだろうと思い、2,30分待てば席が空くと言うカメリエーレの言葉を信じてここに決めました。待つこと40分、ようやく席に着くことが出来ました。目指す料理はまずは”ユダヤ風カルチョーフィ”です。これはアーティチョークをオリーブ油でゆっくりとから揚げにしたもので、全体がこんがりと上がって、サクサクと食べられます。カルチョーフィは古来から肝臓の薬とも言われているので、日々、ワイン漬けの身体にはありがたい料理です。他にはやはりローマ名物、スパゲッティのカルボナーラやまだ草を食べていない子羊のロースト、アバッキオなど。



イタリアのリストランテ、トラットリアでいつも関心するのは、30人や50人のお客たちを2名くらいで対応している給仕、カメリエーレたちの動きです。お客がどんなにめんどうな注文を言っても嫌な顔をひとつみせず、きちんと対応してくれます。もし、そうでない経験をしたとしたら、それは運が悪かったのでしょう。僕はこれまでの30年間でイタリアの店で嫌な思いをしたのはたった3回くらいです。 Il Porticoにも役者にしたいようなハンサムなカメリエーレがてきぱきと動いていました。特別は祭日ですから、時間がかかるのは仕方ありません。しかし、彼らやお客たちを眺めているのも楽しいものでした。




リストランテ” Il Portico”の入り口の黒板にメニューが書いてあります。その真中あたりに”Carcifi alla Giudia”と書いてありますね。カルチョーフィは和名”朝鮮アザミ”ともいいますが、その拳大の大きな蕾のガクを食べるのですが、先端の尖ったところを切って、蕾を叩くなどして十分に開いてからオリーブ油でから揚げにし、塩味で食べるシンプルな料理です。ローマに行ったらぜひ食べてみてください。先だって、日本の某店でこの名前をメニューに見つけたので、さっそくオーダーしてみましたが、出されたものは似て非なるものでした。カルチョーフィの料理の仕方をまったく知らない人間がやったとしか言いようのない、半生状態。それを給仕した者もガクの舌の部分の柔らかいところだけを食べて下さいと説明していましたが、この料理は丸ごと食べられるのです。写真を見ればその違いは一目瞭然ですが、その出来そこないの”Calciofi alla Giudia”には何故か茎と青々としたガクまで添えてあります。もちろん、こんなものを食べたらとたんに腹をこわします。日本には本場を凌ぐほどの優秀な料理人もいますが、時にはとんでもないものにも出会ってしまうわけですね。まあ、これも運が悪かったと思うしかありませんが…。

2006年05月19日

特別編 日本のイタリア料理ー2


前回、なかなか好評でした「日本のイタリア料理」、今回も引き続き、素敵なお店を紹介します。本当は間にイタリア本国の話題を入れようかと思ったのですが、今回もこれは続けて紹介しないといけない、とても不思議な”ご縁”を感じましたので第2段を続けます。
今回、紹介するお店は江戸っ子の息吹を感じる深川、門前仲町にある”Passo a Passo” です。


実は昨年の秋から大手町にあるNHK学園(http://www.n-gaku.jp/open/ope_ohtemachi.html)の講座で「イタリア人の生き方に学ぶ」を開講しています。この講座は、東京のイタリア料理店で受講生の方々とランチを楽しみながら、その料理やワインの故郷の歴史や文化を学ぶという、とっても”おいしい講座” なのです。ランチと言っても、その店のランチ・タイムのサービスメニューではなくて、特別にちゃんとしたフルコースをシェフにお願いして、ワインもその地方の料理に合わせた赤・白を味わいます。講座の都合でランチ・タイムという制約がありますが、お店は僕がこれまでに食べ歩いてきた体験からその時々のテーマに相応しいお店に協力を頂いています。
これまで、イタリアを南部・中部・北部そしてシチリア、サルデーニャと分類してやってきましたが、とりあえず大まかにイタリアを周ったので、今度はシェフのオリジナリティ溢れた料理やイタリア料理に対する哲学を語って頂き、イタリアの本場とは違った角度からイタリア料理文化を探求するスタイルでしばらく続きます。その第1回目にお願いしたのが”Passo a Passo”です。オーナーシェフの有馬邦明さんは大阪、枚方出身で24歳の時に初めてイタリアに渡ったそうです。ミラノとベルガモの間にクレスピ・ダッダという世界遺産にも登録されているデニムの紡績工場とそこに働く人たちの町があるのですが、その町の近郊にある、レストランでまず修行をしたそうです。僕が初めてイタリアに行ったのも24歳の時でした。もっとも彼が行く20年も前だったのですが。有馬さんはそこで北イタリアの料理を学んで一時帰国し、また改めて今度はフィレンツェの名店、チブレオやフィレンツェ近郊にある小邑、アルティミーノの”デルフィーナ” で修行します。このレストランも拙著で紹介しているアグリトゥリズモ、Tenuta San Vitoの裏手の丘にある店で毎年一度は訪れるトスカーナでも指折りのお気に入りの店なのです。そこで有馬さんが97年に修行していたわけです。いやぁ、有馬さんはその時に 厨房にいたわけですねぇ・・・不思議なご縁です!有馬さんはイタリアから帰国して2002年の2月にこの店をオープンしました。僕が有馬さんの店に来たのは2度目ですが、初めて有馬さんの料理を食べた時から、彼のセンスの素晴らしさに感激しました。もちろん、料理ばかりでなく、ワインの選定やお店の雰囲気、そこには彼がイタリア在住中に体感したイタリアの空気があるのです。そして、おそらく出会っただれもが思うはずの彼の人柄です。料理も写真も人と人を結ぶためにあるものですから、やはり創作する人の人柄は自然と表現に現れるのです。自分のセンスや力に自信が持てないとやり続けることはできないですが、謙虚さがなければすぐに見失うものです。常に自然と対話し探求するレオナルド・ダ・ヴィンチのような姿勢が大切なのですね。天才は才能は1割、残りは努力と運ですね。


このランプ、漆喰の白壁に設えた小さな棚の本や置物。反対側には幻のグラッパと言われる”ロマノ・レヴィ”のコレクションボトル。可愛いラベルはすべてロマノ・レ ヴィ叔父さんの手描きです。その下には有馬さんが山で収穫したものや送ってもらった木の実や果実を漬け込んだ様々なリキュールの瓶詰めが並びます。


最初のお皿には燻製した鴨のカルパッチョ、クレソン添え。ワインは白ワインのソアーヴェです。 2番目はグリーンアスパラガスのソテーにほろほろ鳥の卵のカルボナーラ風。上に載せてあるのは薄くスライスした生ハムをカリッと焼いたものです。アスパラガスと生ハムをクリーム状に仕上げたほろほろ鳥の卵で包んで、この3つの味の一体感を味わいます。
3つ目のお皿はジャガイモの詰め物をしたラビオリ。さて、このジャガイモ、ルーツはトマトと同じく南米ペルーですが、そのオリジナル種を蘇らせたもので、小粒ですが、味わいは栗のように甘く濃厚な味わいがあります。



メインディッシュは”子羊のモモ肉のローストに焼いた山菜添え” です。ここでまた驚いたのは、数日前に荻窪の森さんの店(前回のブログに紹介)で食べた山菜にまた出会えたのです。そして調理する前の姿も撮らせて頂きました。右から、コシアブラ、アイコ、行者ニンニク、シドケで、これらは有馬シェフ自ら前日に宮城の山で収穫してきたものです。アイコの別名はイラクサ、イタリアでもOrticaと呼ばれ食されています。シドケはモミジガサあるいは地方によってはキノシタとも呼ばれているそうです。感動の味わいはローストされた子羊のモモ肉。有馬さんが2度目にイタリアに渡りトスカーナで修行したときには、暖炉の遠火でじっくりと肉を焼く伝統の料理をたっぷりと勉強したそうですが、この料理にその全てが反映され、凝縮されていました。「僕は君とずっと一緒にいたいよ」そう囁きたくなるような味わいです。わっかるかなぁ・・・・ そして、特筆しなければいけないのがこれに合わせて有馬さんが選んだワインです。有馬さんが修行したトスカーナのコッリ・セネージ(シエナの丘)で作られている” PACINA” のキャンティです。伝統の大樽で熟成され、清澄するためのフィルターを通していないので 葡萄の味わい、その葡萄が育った大地のミネラル、豊潤な香りと深い味わいが五臓六腑に染み渡るようでした。あまり数多くは作ってないワインですから、なくならないうちにぜひまた門前仲町に行って味わいたい逸酒ですね。



いよいよフィナーレですが、デザートの前にちょっとだけチーズがでました。このチーズ、実は知る人ぞ知る、吉田農場で作られたものでスイスでは溶かして食べたりするラクレット。それをちょっと焼いてこのチーズならでは風味をより引き出したもの。それに山胡桃がそえてあるなんて、これはワインにも精通した有馬さんが、PACINAの赤ワインを存分に味わって欲しいと言う気持ちが感じられますね。ワインは澱まで飲みました! そして、デザート。頂いたメニューにはさりげなく”パンナコッタ”とだけ書いてあるのですが、写真を見てもおわかりのように、そんな簡単なものではありません。パンナコッタは今や世界的に有名になっているフィレンツェの”Do Mori”社のチョコレートを使っています。また、隣に寄り添うように置かれたジェラートは山胡桃を使用しています。このふたつのドルチェの上にのせてあるのはホロホロ鳥の卵の白味で作ったメレンゲなのです。味わいはもうただのパンナコッタではなく「なんてこった!!!」と叫びたくなる美味しさです。もちろん、締めくくりは”カッフェ” でしたが、前に紹介した山菜のアイコを干して作ったハーブティまでサービスして頂きました。カモミッラにも似たやさしい味わいでした。  深川、僕の母は実は日本橋浜町で生まれ深川育ったものですから、この町に来ると僕は自分が住んだことがないのに懐かしさを感じるのです。そこにこんな素敵なイタリアンの店がある、ああ、何かご縁があるんだなぁ・・・としみじみと感じたのでありました。もしかしたら、このブログを読んだどなたかとPasso a Passoでお会いするかも知れませんね。



Passo a Passo
東京都江東区深川2-6-1 アワーズビル1F Tel:03-5245-8645 水曜定休  
Lunch(月・火・木・日)の11:00~14:00
Dinner 平日17:30~21:30(ラスト・オーダー)

2006年05月10日

特別編 日本のイタリア料理

 
 日本でイタリア・ブームと言われて始めてからかれこれ10年が過ぎました。今では"ブーム”を越えてすっかり定着しています。イタリアに料理やワインの修行に出るひとたちも少なくありません。そして、帰国すると本場仕込みのイタリア料理を楽しませてくれます。ところが、せっかく本場で習得した味付けをそのまま表現しても、お客さんには受け入れてもらえないこともままあり、だんだんと馴染み易い、日本的な味になってしまうという話も聞いてます。ことに塩味の濃度で、イタリアはけっこう塩が強いですね。また、イタリアには一度も行ったことがないけど、イタリア料理が大好きなので、独学で修練を積んで美味しい料理を創り出している料理人もいます。
 そもそも、これがイタリア料理だ! と言えるものはイタリアには存在しません。シチリア風、カラブリア風、トスカーナ風、ヴェネト風、ピエモンテ風、あるいはナポリ風、フィレンツェ風、ヴェネツィア風、ミラノ風と食材や調理方法によって大まかにその地方の特色が反映されるものはあります。そして、究極的には”マンマの味”なのです。どんなに有名なシェフになっても、その味覚の基本は”マンマ(お母さん)”です。
 もう十数年も前のことですが、ナポリ大学から留学していた友人が我が家にあったトマトの缶詰とオリーブオイル、ニンニクと塩だけでパスタ・ソースを作ってくれました。僕がいつも使っているのと同じ物なのに明らかに味が違うのです。「あっ、これはナポリで食べた味と同じだ!」と感激したと同時に、その20分足らずで仕上げてしまったトマト・ソースの方法をしっかり学びました。その友人が言うには、「去年の夏休み、マンマは毎日、1ヵ月間、昼も夜も私に料理を作らせました。もう、たいへんだったよ~。でも、それで私はぜんぶ覚えました。マンマの味です。もちろん、それはおばあちゃんの味でもあるわけです」。ここにイタリア料理の原点があるわけですね。また、別の友人はアサリのスパゲッティを作るときに、当時日本では手に入りにくかったイタリアン・パセリのかわりに春菊を、白ワインの代わりに焼酎を使っていましたが、食べるとやはりナポリの味がしました。アサリはわざわざ築地まで買いに行ったそうですが、どうやら味は食材だけで決まるものではないようです。
 昨夜、友人に連れられて東京荻窪にあるイタリア料理店に行って来ました。名前は『パスタアマーレ』です。オーナーシェフの森さんは長崎県西海市の漁師の息子でイタリアには一度も行ったことがないし、料理もまったくの独学だそうです。奥さんは仙台の出身で、つまり日本の北と南のカップルがやっているイタリア料理店です。美味しかったです。とても美味しかったです。4月19日で2周年を向かえたという森さんのモットーは「本格的なものをもっと身近にしたい」ということだそうで、本当の”本格的”とは何か、”身近さ”とは何かと常に自問しながら成長するお店でありたいと語ってます。作った料理は奥さんに確かめてもらいながら美味しい味を探求しているそうです。
 食材はパスタやオリーブ・オイル、ワイン以外はほとんど純国産、淡路の玉ねぎ、北海道千歳田園クラブのフルーツトマト、三鷹の吉田農園の完全無農薬の茄子、キュウリ、大根、小松菜、ほうれん草、ニンジン、じゃが芋などなど。また、旬に合わせて奥さんの郷里からさまざまな山菜が届きます。そして魚介は漁師であったお父さんから受け継いだ眼で選んだ産直、あるいは築地の指定卸からかなりいいものを入れてもらっているそうです。もちろん、鶏肉、豚肉、牛肉も厳選しています。ワインは田園調布駅前のCaffe Ginoが直輸入しているイタリアワインです。新鮮でナチュラルな食材にふさわしい自然な味わいのワインです。森さんとの出会いも食文化に詳しいジャーナリストの友人からおいしいワインを探している人がいるので相談に乗って欲しいと頼まれて、迷わずGinoを紹介したのがきっかけです。
 森さんの料理を和風イタリアンと思うかもしれません。僕は正確にいうなら森風イタリアンだと思いました。イタリアから直輸入した鶏や羊の肉、あるいは野菜を使っても本場イタリアの味ができるわけではありません。大事なのは、イタリア料理が伝統的に大事にしてきた調理方法です。まず、鮮度のよい野菜や肉、魚介など素材の持ち味を充分に活かすこと、次にオリーブオイルやニンニク、塩の使い方とか炒めたり煮込んだりするときのちょっとした火加減や時間のタイミングが味を決めるのだと思います。そういう意味で、とても感覚的なもの、幼少から培われた味覚のセンスが基盤になっているのだと思います。プラス情熱ですね。そういう意味で森風イタリアンは美味しいと思えるのです。「おいしい!」ということは何か。まあ、これは食べてみるのが一番理解しやすいでしょう。
パスタアマーレ:東京都杉並区上荻1-24-4 (杉並公会堂の向かい)
定休日:毎月1,11,21,31 Tel:03-3393-3156


このトマトの甘さにびっくり。北海道の田園クラブの完熟フルーツトマト。持ち帰りも出来るのでお土産に買ってきて、真夜中に撮影!ワインは田園調布駅前Caffe Ginoが輸入しているElio FilippinoのBarbera d’Arba。アジのカルパッチョにもこの赤ワインが美味しいです!ドルチェットだったらもっといいかな。ま、それはお好みで。(ワインについては http://ginoblog.exblog.jp)



牛肉のカルパッチョと森風アジのカルパッチョ柚子胡椒風味。(カルパッチョとはもともとヴェネツィアのハリーズ・バーで生まれた牛肉の薄切りを生で特製のマヨネーズと食べるもの。名前の由来は画家のカルパッチョの絵画に使われている赤の色合いが牛肉の色と似ている事から、ハリーズ・バーの先代のオーナー、ジュゼッペ・チプリアーニが思いついたもの)



森風アサリのスパゲッティと山菜に岩魚のスパゲッティ。山菜には奥さんの郷里仙台から送られてきた、ワラビ、カタクリの花、行者ニンニク、アイコ、ミズ、シドケが使われています。後半の3種の名前は僕も初めて聞いた名前です。


トテウマ(とても旨いということ)のフリット、尻尾まで丸ごと食べられる魚は”目ヒカリ"、野菜は”こごみ”と”こしあぶら”という名前です。旬の味だから食べるなら今。ところで、旬というのは"10日間”という意味です。だから1カ月30日を3つに分けて、上旬、中旬、下旬といいますよね。



”パスタアマーレ”で出会った上垣さんと梶野さん。梶野さんはバイオリニスト。上垣さんは日本各地の地域活性、まちづくりの仕事をしているコンサルタント。上垣さんは僕の書いたアグリトゥリズモの本の読者で、拙著を参考にときどきイタリア各地を旅しているそうです。テーブルに並んでいるのは彼がお土産に買ってきたイタリアのグラッパや薬草酒。左が日本でもお馴染み、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で作っているリキュールで、アイリスの香りもします。そのとなりがアオスタで見つけたというGinepro(ビャクシン)の木の香りがするグラッパ。その隣は拙著でも紹介しているトスカーナのアグリトゥリズモ、PodereTerrenoのグラッパ、そして甘い食後主のVin Santo。後ろに隠れている小さな瓶もアオスタのスーパーで見つけたというブルーベリーを漬け込んだグラッパ。イタリアつながりだと、人が人を呼び、こんな嬉しい出会いもあるのですね

2006年04月24日

カステッロ・ディ・ルッツァーノ

 
 ミラノから車で1時間ほど東南へ走るとルッツァーノという小さな城があります。鉄道ならピアチェンツァへまず向かい、そこからヴォゲラ方面へ乗り換えて鈍行なら4つ目の駅、カステル・サン・ジョヴァンニで降ります。しかし、この田舎町にタクシーはないので、事前にワイナリーに訪問の予約をして迎えに来てもらうしかありません。やはり、ミラノからレンタカー利用が一番良いのですが、帰りは酔払い運転になること必至ですから、これもやっぱりお薦めできないかな。でも、ここには素敵なアグリトゥリズモがあるので、1泊して翌日出発すればいいでしょう。アグリトゥリズモについてはまた改めて紹介します。
 さて、カステッロ・ディ・ルッツァーノですが、城というよりは館というほどの規模で、ここはロンバルディア州とエミリア・ロマーニャ州の丁度州境の地点で、かつては関所のようなものがありました。そこを守っていたのがこのルッツァーノ城でした。古くからこの地方の名門貴族の家系であるフガッツァ家の所有になっていて、そこの当主のふたりの姉妹がワイナリーを運営しています。醸造担当は姉のマリア・ジュリアさん、販売と管理は妹のジョヴァネッラさんです。葡萄畑に立っているのが妹のジョヴァネッラさんですが、お姉さんにあったことはありません。表の顔はいつもジョヴァネッラさんの担当のようです。


カステッロ・ディ・ルッツァーノではオルトレポ・パヴェーゼとエミリア・ロマーニャのコッリ・ピアチェンティーニのふたつのD.O.C.認定を受けた葡萄畑を持っていて、この地方特産の黒葡萄のボナルダやバルベーラ、カベルネ・ソーヴィニョン、メルロー種を、白葡萄ではマルヴァジア、シャルドネなどで、ことにマルヴァジアの微発泡はこれからの季節にはぜひとも飲みたいと思うのですが、残念ながら日本に入っているのはボナルダとメルローの2種だけです。ここの葡萄畑がある土地は古生代からの地層の上に、現在もなおローマ時代の遺跡が発掘されます。ワイナリーの地下には博物館のように発掘された壷などが展示されています。


カンティーナ(酒蔵)のバリック(オークの225L容量の樽)に囲まれたジョヴァネッラさん。


勢揃いしたカステッロ・ディ・ルッツァーノのワインはいずれも秀逸。現在、日本に入っているのはこのうちの左から6番目と8番目の2本だけ。その他はぜひ、現地へ行って味わってみて下さい。


3月にワインが大好きな仲間たちとピエモンテからヴェネツィアまでワイナリー巡りのツアーをしました。その時にカステッロ・ディ・ルッツァーノを訪れ、最近ここで働き始めたエノロゴ(醸造家)のステファノさんの解説で数々のワインのテイスティングをしました。ぜひ、皆さんも訪れてみてください。 CASTELLO DI LUZZANO: www.castelloluzzano.it

2006年04月17日

ペッレストリーナとキオッジャ


ヴェネツィアからアドリア海沿岸をラヴェンナ方面へ南下するとキオッジャという漁港があります。アドリア海沿岸では最大と言われる漁港で、150種類以上の魚介が水曜日を除いて、毎日水揚げされます。建物など街並みはヴェネツィアそっくりですが、ここは自動車が通っています。ヴェネツィアにしばらく滞在して車の無い静かな生活をしていて、この島を訪れると不思議な感じですね。トーマスマンの原作を映画化した「ヴェニスに死す」の舞台になったリド島も車が走っています。
 そのリド島とキオッジャの間に細長く伸びたペッレストリーナという島があります。島全体が漁村と言った風情で、遠浅のラグーナには写真のような小屋が点在しています。水中に杭を打ち込んで、その上に木造の小屋を建てていますが、小屋の下にはボートを入れたりしています。この風景を始めて見たとき、ヴェネツィアも誕生した当時はこのような小屋からスタートしたのだろうなと思いました。この小屋は漁師の作業小屋として使われていて人は住んでいません。




ペッレストリーナ島にはキオッジャから行く方法とリド島からバスに乗って途中でバスはフェリーに乗ってペッレストリーナ島にひとまたぎします。ヴェネツィアに滞在していると、ここまで小一時間は掛かりますが、旅の時間にゆとりがあるなら、ぜひ訪れて欲しいところ。ここの漁師が採った魚介をヴェネツィアのレストランで味わっているのです。


夕暮れのペッレストリーナ島の船小屋。ラグーナには静けさだけが残り、波音すら聞こえない。この瞬間に、ああ、旅に出ているのだなと実感します。

アドリア海最大の漁港があるキオッジャ。人口は6万人足らず。街中には車が走りますが、その家並みはヴェネツィアと同じ。昼下がり、ボートを漕ぐ漁師の姿を見て、この町にしばらく住んで見たいと思いました。観光のヴェネツィアとは対照的な漁師町です。最も近年は少しづつ、観光客やみやげ物店も増えてきましたが。

2006年04月14日

ヴェネツィアの市場・魚介編


ヴェネツィアの魚市場はリアルトの大運河に面していて青物市場の隣にあります。毎朝、近郊の漁村やアドリア海最大の水産市場があるキオッジャから届く魚介が、新鮮な潮の香りを漂わせています。キオッジャでは150種類以上の魚介が水揚げされるそうです。活きの悪い魚臭さというものがこの市場にはありません。写真を見てもお分かりのように、イタリアでは男性が財布のひもを握っていて、自ら買い物に来る男の人が多いですね。それもきちんと正装して買い物に来ます。そんな客と魚屋のやりとりを語った古いジョークがあります。
 買い物客「おい、魚屋、この魚は新鮮だろうね?」
 魚屋「もちろんですぜぇ、旦那。ほら、この通り生きてますよ」
 買い物客「う~ん、うちの女房も生きているがな・・・」
女性の読者のみなさん、ごめんなさい。イタリアのジョークです。


ヴェネツィアのレストランや居酒屋で必ずメニューに載っているのがシャコ。ヴェネツィアではカノーチェと呼ばれています。大きなものは20センチ近いものもあります。また、店によっては生で食べさせてくれることもあります。美味しいです!もちろん、売っているときは活きていて、足がよく動いています。通常は塩茹でにしてオリーブオイルとレモンをかけて食べます。

ヴェネツィアの春と秋の年に2回の旬があるのがモエッケです。これはラグーナ(潟)に生息する蟹がちょうど春と秋に脱皮するのですが、その脱皮したてで甲羅が柔らかいものをから揚げにして食べるのです。

2006年04月12日

ヴェネツィアの市場・青物編


旅に出て、まず興味がわくのが町の市場ですね。ヴェネツィアのレストランや居酒屋で出される料理の材料のほとんどは、リアルトの市場に行けば買える物ばかりです。日本は産直とか契約農家からの直送を売りにしている飲食店が少なくありませんが、イタリアでは当たり前のことで、外食でも家庭でも同じ市場で仕入れたものを使っています。レストランは料理の腕前とサービスの良し悪しで家庭料理にプラスした料金を得ているに過ぎないのです。
 朝の7時には市場を開く準備が始まり、8時頃から市場はだんだんと賑わいを見せて、昼前には大方の店が片付いてしまいます。冬から春の野菜といえば、まずはラディッキオで、特にトレヴィーゾ産の人気が高いですね。美しい赤紫と白の細長い葉が茶筅のよう方で内側に巻き込んでいる形が特長です。新鮮な甘味とほろ苦さを併せ持った味は一度食べると病み付きになります。そのままサラダで食べてもいいのですが、オリーブオイルを掛けてグリルしたり、リゾットやパスタソースに仕立てます。また、グラッパに漬けて胃腸に良い薬草酒にもなります。4月になると、アスパラガスの季節ですね。ことに前回のトラットリア・アニョレッティでも紹介した白アスパラガスが旬です。この写真でラディッキオの後ろにある丸くて白い野菜はフィノッキオ(フェンネルです)。これもラディッキオと同じように使われます。薫り高く美味しい野菜ですね。


アーティチョークも春が待ち遠しい野菜のひとつです。イタリア語ではカルチョーフィといいますが、古来から肝臓を丈夫にすると言われています。赤ワインを飲む前に食べたりするとワインの味がどこかへ飛んでいって渋みだけが残りまずくなりますが、それだけ肝臓には良いのでしょう。3月、4月の北イタリアではまだ充分な大きさにはなっていないので、南部のシチリアやプーリア州、あるいはスペインから輸入されるものもあります。この写真にはBariと書いてありますから、プーリア州のバーリ産ですね。値段は5個で2.5ユーロ。食べ方は茹でてオイルをかけたり、オーブンでグリルしたり、ローマ(ユダヤ)風にから揚げにしたりといろいろな食べ方があります。


4月に入るとヴェネツィアでも地場のカルチョーフィが出てきますが、まだ蕾です。この蕾はとてもやわらかなので、生のまま刻んでオリーブ・オイルをかけて食べたり、茹でたものをオイル漬けにして丸ごと食べられます。口の中でとろけるような食感がなんともいえず、僕は春にヴェネツィアに来たときには必ず一度はこれを食べます。別名をカストラウーラとも呼ばれますが、これは去勢された男性ソプラノ歌手をカストラートといいますが、同じ意味ですね。きっと、蕾の内に食べるからでしょうか。ヴェネツィアのサンテラズモ島には野菜畑がありますが、この島の特産がこのカストラウーラです。


サンテラズモ島はヴェネツィア本島から船に乗ってブラノ島の方へ行く途中にあります。ヴェネツィア本島と同じ位の細長い島です。カルチョーフィは株が大きく広がるので広い畑が必要です。春には蕾のカストラウーラを収穫し、だんだんと夏に向かって株が大きく成長すると大人の拳大のカルチョーフィを収穫できます。

2006年04月10日

トラットリア・アニョレッティ


イタリアの3大魅力は歴史的な文化遺産、美しい海や田園の風景と都市美、そしてこうした環境と伝統に裏打ちされた美味しいワインや料理ですね。各地方ごとに個性的な郷土料理と有名なレストランなどがあります。今日紹介する北イタリアのヴェネト州にあるジャヴェラ・デル・モンテッロという町の老舗のトラットリア、アニョレッティもそのひとつです。
”Locali Storici d'Italia"というレストランやホテルなどで無料配布されている小冊子がありますが、アルファベット順に紹介される最初の2軒目に登場するのが、このトラットリアです。正式名称を”Antica Trattoria Agnoretti"といいます。Antica、アンティーカは古い、つまり老舗という意味ですが、このレストランの創業は1780年にアニョレッティという人が始めました。ミラノには13世紀創業の店もあるし、イタリアには4~500年の歴史を持つ店は少なくありませんから、1780年創業と言ってもそれほど驚くほどのものではありませんが、老舗がおしなべて美味しい料理を味わえるわけではなく、そういう中で、このアニョレッティは何度でも行きたい店のひとつです。イタリア統一のおりには首脳陣が集まって秘密の会合も開かれたと言う歴史的な店です。
 実はこのレストランは代々経営を受け継いできたアニョレッティ家から数年前に地元の若い4人兄弟が譲り受けたものです。彼らが引き継ぐまで数年間の休眠状態が続き、店の建物は廃屋同然だったのですが、4人兄弟が数ヶ月をかけて元の姿に蘇らせました。彼らがこの店を受け継ぐことができたのは、先代のアニョレッティさんが、この兄弟の次男であるシェフのマッシモの腕を見込んだからでした。
 この地方はいろいろなキノコが有名で、かつては収穫したキノコだけでいっぱいなった貯蔵庫もあったそうです。シェフのマッシモの得意料理は肉料理で、牛肉の料理は天下一品です。また、ソパ・コアダという郷土料理のスープもあります。このソパはスペイン語から来ていますが、かつてヴェネト地方をスペインが統治した時期が合って、その名残ですね。ヴェネツィア方言にもスペイン語の影響がいろいろあるくらいですから、料理にあっても不思議ではありません。鳩の肉、ワイン、パン、野菜をことことと細火でじっくりと煮込んだスープです。コアダとは”とろ火”という意味です。ヴェネツィアやその近郊に行ったら、ちょっと足を伸ばしてぜひ、この店で極上のヴェネト料理を満喫して下さい。
Antica Trattoria Agnoletti:Via della Vittoria,193 Giavera del Montello (Treviso) Tel.0422-776009 火曜日休業

食事は落ち着いた店内でもいいのですが、春から秋のお天気が良い日にはぜひとも外で食べたいですね。モンテッロという自然環境に恵まれた美味しい空気とともに味わう料理やワインは格別ですから。ワインをサービスしているのは店長で長男のアンドレアです。乗馬が趣味の好青年です。


4月のヴェネトと言えば、特産の白アスパラガス料理を食べなければいけません。スープから前菜、メインまで白アスパラガスのフル・コースを食べさせる店もあるほどですが、このようにゆで卵を崩してパセリなどで味を調え、オリーブオイルを掛けて食べるのが郷土風です。


アニョレッティの4人兄弟と初めて出会ったのは99年のヴェネツィアで、彼らが1年間だけ、Vecio Fritolinという店をやっていた時でした。気の合う兄弟たちとはすぐに仲良くなってヴェネツィアに行くたびに会い、店の休業日には彼らとあちこち飲み歩きました。彼らが地元に帰ってこの店を開いた時のパーティにも招待され、長い付き合いです。シェフのマッシモは僕が行くと地元のいろいろなところへ連れて行ってくれますが、この水車で小麦を挽く製粉所もそのひとつです。小麦は全て有機栽培のものを使います。アニョレッティのパスタやパンはぜんぶここの粉を使っています。

2006年04月07日

ヴィーニタリー


毎年、春になると楽しみなイベントとして先日は日本で開催されるFoodex Japanを紹介しましたが、今回はイタリアのヴェローナで開催されるVinItalyを紹介します。イタリア中のワイナリーを主体にフランスやハンガリー、中国などからも出展がある大きなワイン博覧会です。1967年にスタートしたこのイベント、今年は4月6日から10日までの日程で、40周年記念の年です。年々、出展者数が増えて近年は4000社もあります。もちろん、これらのワイナリーを全て訪れて試飲をしていたら、1日目で酔いつぶれてしまいますね。もっとも、試飲の場合はお腹の中まで飲み込むことはめったにありませんが、それでも美味しいワインほどついついゴックンと飲んでしまいます。

 僕は90年代初めに始めて行って以来、ほぼ毎年取材に訪れ、そこで出会った美味しいワインを作っているワイナリーを15,6社を日本のインポーターに紹介しました。まあ、これは仕事としてではなくて、ただただ、イタリアで美味しいと思ったワインを日本でも飲みたい、またイタリア文化と同様に、日本のワイン好きな人たちにも飲んで欲しいという思いからです。3~4,000社もあるワイナリーから美味しいものを探すのはなかなか至難の業なのですが、一口で言えば、直感ですね。これがほとんど当たります。ただ、直感を与えてくれるいくつかのポイントチェックはします。ワインの作り手が自分のワインをどれだけ愛しているか、また味わいの作り方にはどんなコンセプトを持っているのか、それはワインラベルのセンスに表れます。また、会場での接客態度や試飲している人たちの表情を見れば、そのワインが美味しいのかどうかもわかりますね。そしていよいよ僕も試飲をさせてもらう段階で、初めてその造り手の方と対面し、いろいろと話を聞きますが、その時のコミュニケーション、応対振りでほぼこれは長くお付き合いしたいかどうか決まります。気に入れば毎年、そこを訪れ、あるいはまたイタリア企画の雑誌や書籍の記事の取材させて頂きに、ワイナリーを訪れたりします。そうして知り合ったワイナリーの人たちはとても親切で深い友情の絆に結ばれるわけです。こうなるともう、僕はワインが好きなのか、その造りてが好きなのか分りません。ワインは造り手の人柄が反映されますから当然のことでしょう。
 さて、今年はどんなワインと造り手に出会いますか、大いに楽しみです。帰国したらまた今年のVinItalyの報告を致します。


6,7年前のVinItalyの会場で出会い、ワイナリーも訪ねたことがあるシチリアのワイナリー、RIOFAVARAのマッシモ・パドヴァ。パキノーノというチェリートマトでも有名なイスピカーパキーノ地方の生産者です。海抜50センチ、地中海を見渡す砂地の畑で、特産のネッロ・ダヴォラから素晴らしいワインを作っています。いよいよ、今年は日本上陸か・・・
すでに日本には紹介ずみのゲンメの生産者、Rovellottiのパオロとその友人の生産者たち。ネッビオーロ種を主体に作られるゲンメのワインもなかなかいいものです。特に伝統的な作り方にこだわり大樽でじっくりと熟成させたワインの奥深い味わい、近年では1990年の仕上がりが抜群でしたが、今年はどんな驚きと感動を味わえるのでしょうか。楽しみです。

2006年03月31日

フィレンツェのワイン・バー

近年、フィレンツェにはだいぶワイン・バーが増えました。この店は以前はマガジーノ・トスカーナと通りの名前がついていましたが、今は日本でも知られているフレスコバルディの経営になっています。そもそも“ワイン・バー”と英語を使った店が出来始めたのもここ数年のことです。95年に半年ばかりフィレンツェに住んだことがありますが、その頃はワイン・バーらしきところはせいぜい5軒ほどで、その中でいきつけ、つまり日に1度は行くというのが3箇所程度でした。日本でも最近はワイン・バーがあちこちに出来ていますが、イタリアのワイン・バーではそこで飲んで気に入ればボトルごと買って帰ることができます。値段も高くはありません。店でも酒屋で買うのと同じ程度、店によっては酒屋より安い場合もあったりします。グラスワンをカウンターで飲んで、気に入ればボトルを買って帰る。それはフィレンツェに限ったことではなく、ローマでもヴェネツィアでもミラノでもそうです。もっとも日本では輸入や保管の経費がかかりますから、本場のようなわけにはいきませんから、イタリアに行ったときには出来るだけたくさんのワインを飲んで、気に入ったものはメモしておきます。




フィレンツェに行くと必ず行くのがこの店、“きつねと葡萄”です。ご存知、イソップ物語に出てくる話のタイトルが店名になっていますね。この店のモットーは安くて美味しいワインをイタリア中を歩きながら見つけること。例年、4月にヴェローナで開催されるワイン博、“ヴィニタリー”の開場でも必ず何度か出会います。この店にはレストランの経営者やワイン関連のプロも来ますので、彼らからいろいろと学べたりします。僕にとっては言わばワインの学校ですね。


ワイン・バーの中にはワイン生産者が直営する店もあります。最近ではフレスコバルディもそうですが、このヴェラッツァーノもキャンティの名門ワイナリーが経営するところです。かつて本に紹介するきっかけになったのも、初めはこのワインバーで飲んで、気に入ったので店の人からオーナーを紹介してもらって訪ねました。この店はワインもさることながら、イノシシのサラミもお気に入りです。

2006年03月17日

街と食 番外編「Foodex Japan 2006」 

 
 毎年春になると楽しみなイベントがふたつあります。ひとつは3月に東京の幕張メッセで開催される「Foodex Japan」という国際食品見本市です。もうひとつは4月にイタリアのヴェローナで開催されるワイン博覧会、「VinItaly」。いずれも毎回、ほぼ連日通います。「Foodex Japan」はイタリアのみならずフランス、ドイツ、スペインなどヨーロッパ諸国からアジア、アメリカなど世界中から出展されます。イタリアはローマに本部があるICE,イタリア貿易振興会のオーガナイズにより、北はピエモンテ、ヴェネト、トレンティーノから南はプーリア、シチリア、サルデーニャまで20州から様々な物産が展示され、試飲、試食が出来ます。ただし、あくまでも食品関連業界のプロだけが入場できます。
 今年の開催は14日から17日までの4日間で、開幕当日、イタリアのブースではICE事務所が置かれている受付の前で、マリオ・ボーヴァ駐日イタリア大使、日本ソムリエ協会会長の小飼一至氏、ICEローマ本部会長のウンベルト・ヴァッターニ氏、ジェトロ副総裁の塚本弘氏、そして「Foodex Japan」の主催者であるJMA(日本能率協会)会長の宮坂良雄氏が並んでテープ・カットが行われました。
 今年のイタリアからの出展者数は250社を超えるそうで、各ブースはワイン、オリーブ・オイル、チーズ、生ハム・サラミ類、コーヒー、野菜や果物の加工品、パスタ、シチリアの天然の塩など様々なものが展示され、試食と試飲のサービスが行われています。イタリアの通貨がリラからユーロになり物価が上がったと言われていますが、そのユーロがさらに高くなったため、対日輸出はなかなか厳しいものがあるようです。
 それでも、出展者の中には毎年参加する企業も多く、馴染みの顔に出会うと、お互いに嬉しそうに挨拶を交わします。クオリティーはいずれもなかなか高く、魅力的。特にワインやチーズ、生ハム・サラミなどに関心が高いのですが、最近はオーガニック野菜などの酢漬けやオイル漬けなどの保存食品にも人気が高まっているそうです。イタリアのオーガニック食品はワインも含めてAIABなど公式団体の厳しいチェックもあり、高品質を維持しながらの生産はとても難しいのです、年々良い物が出るので、これからも成長する分野でしょう。


イタリアのイベントでは必ず出会うロマーノ・マズッコ氏(写真右端)はアリタリア航空の元極東総支配人。陽気で気さくな氏と出会うとすぐに明るい笑い声が広がる場となります。田園調布でCaffe Ginoを営み、イタリアから数々のワインを輸入している友人の藤野氏や今年、初めて参加というサルデーニャのワイン生産者VIGNE D'OROのサルバトーレ氏(左端)とピエモンテのワイナリーのCastino氏。Castino氏は今日の午後、早々とブースにヴァカンスの張り紙をして消えてしまいました。






イタリア製品は世界中で人気も高いので、他国の出展者の訪問も頻繁です。美しい民族衣装のチョゴリを着た韓国ブースの女性に挟まれて、ちょっと照れながらもご満悦のサルヴァトーレ氏。サルデーニャは赤のカンノナウや白のヴェルメンティーノなどワインも美味しい。

優秀な生産者が居並ぶ中、一段と関心を集めているのがピエモンテで極上のバローロを生産しているPodere Rocche Dei Manzoni Di Valentino。モンフォルテのクリュ畑でとてもエレガントなバローロを造っています。 ヴェローナのヴィニタリーのブースではヴァレンティーノ氏にも会いましたが、今年の「Foodex Japan」では息子のロドルフォ・ミリオリーニ氏がひとりで来日しています。1本で40ユーロ前後するワインですが、その価値は充分に感じられました。

トスカーナのインプルネータとキャンティ・グレーヴェで優秀なワインを生産するLANCIOLAのGiancarlo Guarnieri氏と彼のワインを輸入する田園調布のFamiglieの藤野社長。実はふたりとも私の友人で、今年の7月にはこのワイナリーを訪ねるツアーを計画しています。


昨年の春に出版されたソニーマガジンズの「Gokutabi ITALIA」ではマルケ州を重点的に特集しましたが、そのマルケを代表する葡萄、ラクリマ・ディ・モッロ・ダルバなど素晴らしいワインを生産するConti Di Buscareto社。左の女性は通訳のロベルタさん。昨年の3月にイタリアに帰り最近までヴェネツィア大学で経営学を勉強していましたが、「Foodex Japan」が終わったらミラノに拠点を移すそうです。出身がマルケなので故郷のワインなどを一生懸命に売り込んでいます。


大好評発売中のソニーマガジンズ発行「Gokutabi ITALIA」のシチリア取材でコーディネートをしてくれたパレルモ在住の高橋絹子さんも、本誌の中で紹介されているトラパニの天然塩の生産者と一時帰国していました。