ヴィーナスの港、ポルト・ヴェーネレ
地中海に太陽が輝き、青空が大きく広がる爽やかな朝、サンタ・マルゲリータ・リグレを出発し、ポルト・ヴェーネレを目指す。古くから軍港の町として知られるラ・スペツィアの手前、車窓から、丘の上に美しい小邑を望む。運転手も名前が分からず、グーグルの地図で探してもどこか検討がつかず、帰国してからインペリアのワイナリーVisAmorisのロベルトに写真を送って尋ねたが、彼らもなかなか分からなかったが数週間後、やっとそれがVezzano Ligure(ヴェッツァーノ・リグレ)という町だと連絡があった。「名も知れぬ美しき丘の上の町」に憧れのような想いを抱きつつ車はいつのまにかラ・スペツィアの街中を抜けてポルト・ヴェーネレに近づいていた。
ポルト・ヴェーネレ、美の女神、ビーナスの港と呼ばれるこの小さな漁村を訪れる日をずっと待ち焦がれていた。今より15年以上も前にジェノヴァからチンクエテッレの旅をしたのだが、その時に何故訪れていなかったのだろうかと小さな棘のような後悔があった。
町の中心に入る手前で車を降り、潮風の匂いの吹いてくる方向を目指して歩いていくと、前方にパステル・カラーの家々の連なりが現れた。こちらでは“Palazzata”(パラッツァータ)と呼ばれているが、イタリア語でPalazzo(パラッツォ)は建物、館だから、そこから派生したこの土地独特の呼び名だ。
ポルト・ヴェーネレの歴史は紀元150年のローマ時代まで遡る。ラテン語でポルトゥス・ヴェネリスと呼ばれいたが、現在サン・ピエトロ教会の建つとろこに女神ヴィーナスを祀る神殿があったそうだ。また、ローマ時代から漁村としても栄え、海上に浮かぶティノ島に隠遁していた聖ヴェネリウスに由来するという説もある。イタリアの漁村では漁から帰る船が港や自分の家の位置を分かりやすくするために、それぞれの家をカラフルに塗り分けたりする。ヴェネツィアのブラーノ島やナポリ湾のプロチダ島など。しかし、リグリア沿岸では後で紹介するカモッリやポルトフィーノ、そしてチンクエテッレの入り江に面した漁村のそれぞれの建物が色とりどりに塗り分けられ、まさに絵画的な美しさを見せる。
港では漁師が網の手入れをし、幼い娘がそれを手伝う光景を見ると思えば、砂浜では観光客の子供たちが無心に砂遊びをしている。

ヴェッツァーノ・リグレ

カラフルなポルト・ヴェーネレの家並み

めったに撮れないセルフ・ポートレート

漁師の父の手伝いをする少女

無心に砂浜で遊ぶ観光客の子供たち
西ローマ帝国が滅びるとポルト・ヴェーネレはビザンチン帝国の軍港となるが、それも643年にはロンバルドに滅ぼされ、以後も再三、サラセンの侵入に脅かされる。12世紀なり漸く強固な城砦と城壁を構築した。そしてしばらくヴェッツァーノの貴族の領地となっていたが、1494年、ジェノヴァと戦っていたアラゴンの戦艦の砲撃を受け沿岸は大打撃を被る。そこには1198年にサン・ピエトロ教会が建立されていたところであり、1340年の火災とその後のアラゴンの攻撃による損壊の後、1582年に修復された。
初期のローマンスタイルから後のゴシックの様式を併せ持つ現在のスタイルとなり、リグリア地方の教会ではしばしば見られる白と黒の横縞模様はサラセン文化の影響と言われる。

サン・ピエトロ教会

サン・ピエトロ教会の主祭壇

サン・ピエトロ教会の聖母マリアの祭壇

サン・ピエトロ像

アーチ型の開口部からの眺め

ドリア城が見える。ドリアはルネサンス時代のジェノヴァ総督の名前
港に沿って立ち並ぶカラフルな家々、パラッツァータの東側の端にローマ門があり、そこからサン・ピエトロ教会のあるスパッランツァーニ広場(P.zza Spallanzani)までカペッリーニ通りという小路が続く。土産物店や花屋、レストラン、パン屋などが並び観光客を楽しませる。地元ではカルージョ(Carugio)と呼ばれるらしいが、その一角に古い井戸があり、その脇にラ・メドゥーサ(La Medusa)というレストランが美味しそうな雰囲気を漂わせていたので、そこで昼食を摂った。
海辺の町らしく、オーダーしたメニューは全て魚介料理の数々であったが、家庭的な味わいのパスタやリゾット、そして魚介のフリットなど、軽快な飲み心地の白ワインとともにポルト・ヴェーネレを胃袋でも満喫できた。

Via Capellini(カペッリーニ通り)

カペッリーニ通りの花屋の店先

カルージョ(Carugio)の井戸がある広場

カルージョにあるリストランテ、ラ・メドゥーサ(La Medusa)

自家製のラビオリを箱詰めするおばあちゃん、92歳とか。

スカンピとトマトソースのペンネ

海の幸のスパゲッティ

魚介のリゾット

ハウスワイン(Vino della Casa)

海の幸のフリット・ミスト

スカンピのオーブン焼
昼食を満喫して小路を歩き始めるとグリーンの看板が目立つ店があった。近づいてみるとバジリコを植えたプランターがあちこちに並べてあり、店の中を覗くと美味しそうなフォカッチャやパン、瓶詰めのジェノヴェーゼ・ソースなどが並んでいる。“Bajeico”、こちらの方言でバジリコを指すことばだが、それがこの店の名前で、自家製のジェノヴェーゼ・ソースが売りの店らしい。オリーブの実やトマトなどを焼きこんだフォカッチャも魅力的だったが、何しろ昼食で満腹になったばかり、ジェノヴァ風パネットーネというのを土産に買った。女主人のラウラ・マッサさんはとても気さくで「日本の雑誌やテレビにも紹介されたことがあるよ」と嬉しそうだった。確かに、ポルトヴェーネレでは一番目に付きそうな店だから日本のテレビや雑誌の取材も来れば必ずや訪れるに違いない。その後2週間ばかり北イタリアを取材して帰国した後にこのジェノヴァ風パネットーネを食したが、ほんのりと甘みがあるが、いつも馴染んでいるパネットーネのようなしっとりした食感はなく、ちょっと乾いた食感と香辛料のほのかな香りからしても、その昔、長い航海でも日持ちするように工夫された船乗りのパンであったのだろう。

“Bajeico”La Bottega del Pesco

鮮やかなグリーンのバジリコ

フォカッチャいろいろ

絞りたて、タジャスカ主100%のオリーブ油

Bajeicoの主人ラウラ・マッサさんとジェノヴァ風パネットーネ
カルージョの小路から港に降りると路面に大きなチェスの盤面で遊ぶ人がいた。1997年にチンクエテッレとともに世界遺産に認定されたポルト・ヴェーネレ。この港からチンクテッレ巡りの船も出ている正真正銘の観光名所だ。しかし、朝に着いて、昼食を摂り、まだ陽も高いうちに立ち去るには惜しい気もした。旅の日程もあり仕方ないのだが、午後になり逆光の中に浮かぶパラッツァータの家並みに名残り惜しさを秘めつつ港を後にした。
これから、いよいよチンクエテッレのひとつ、リオ・マジョーレに行くのだが、その前にラ・スペツィアの町を見下ろすところで写真を撮った。ラ・スペツィアは現在もイタリア海軍の軍港として知られるが、かつて天橋立を訪れた時に遊歩道に明治時代に輸入されたカノン砲が展示されており、その砲身にはLA SPEZIAと刻印されていたのを思い出した。砲の説明書きには英国製と記してあったのだが、砲身には確かにラ・スペツィアで製造と鋳造されたときの刻印があったのだ。開国期の日本はイタリアとも様々な関わりと持ち、今回も訪ねる事ができなかったが、ジェノヴァにはキオッソーネ東洋美術館がある。キオッソーネは明治初期に来日し財務省紙幣局で16年間も紙幣製造のための版画指導を行い、当時の西洋美術の文化を日本に伝えた芸術家である。次にリグリアを訪れる機会があれば、必ずやジェノヴァのこの美術館も訪れてみよう。

Carugioから港へ降りる路地

海岸通りにあった大きなチェス

ポルト・ヴェーネレの港

昼下がりのポルト・ヴェーネレ

日帰りでは名残惜しい・・・

ラ・スペツィアの眺望





































































































































マウロが昨年のヴィニタリーの帰りに寄った時に飲ませてもらい僕が気に入ったワインを開けてくれて、ドン・アルフォンソたちにふるまうと、誕生日気分はより盛り上がり、僕は十八番のオーソレミオを歌いだしました。すると、ふるさとの有名な歌を聴いたものですからドン・アルフォンソたちも歌い始め、その後もアネマ・エ・コーレやマラフェンメナなどナポリ民謡の大合唱で大変な盛り上がりになりました。マウロやドン・アルフォンソをはじめ居合わせた人たちのお陰で今年も忘れられない閏年の誕生日を祝うことができました。次はぜひともソレントのドン・アルフォンソの店で祝いたい、いや、この店には年内にも行きそうですね。


(左上)常連が切れ間無く来る
金箔押し職人をヴェネツィアでは“INDORADOR”といいます。標準的なイタリア語では“Indoratore”。ヴェネツィア弁の語尾はスペイン語の影響があります。
10年、20年、ここを通る度に見てきた変わらない店構え。
ヴェネツィアの伝統的な彫像、ムーア人の召使をモデルにしたモレット。
金箔を貼る作業。ところせましと飾られた額縁や壁掛けランプなど。
流麗な曲線で構成されたエンジェル像は孫がモデル?
日本では職人というと、ともすると頑固で近寄りがたい存在のように思われ、実際にそのようなひともいるようですが、ヴェネツィアで出会う職人は誰もが、快く自分の仕事を見せてくれるし、話を聞かせてくれます。イタリアではどんな分野の人も自分の仕事に誇りと自身を持っているので、働く姿はなおさら魅力的に見えるのです。 例えアルバイトでも一生懸命、無駄の無い動きを見せてくれますね。良い意味で、自分がどう見えるかを意識したパフォーマンスが生まれながら身に着いているようです。そのかっこよさを一番感じるのが手仕事の職人です。
パダナ平野の大きな空と雲。これが”イタリアの青空”。
ワイナリー、イル・ポッジョレッロの母屋。 
(左上)9月中旬、収穫目前の葡萄畑。
マッシモさんはとても陽気でいつもニコニコと楽しそうで冗談を連発し、ダジャレ王を自称する僕とは車の中でも笑いあっていましたが、ワイナリーにある農機具の博物館みたいな納屋に入ってびっくりです。螺旋階段を上がった2階にあるのですが、なんとそこにはイタリアの大衆車の魁となった名車、フィアット・チンクエチェントが置いてあるのです。それも建物を修復したときに出入り口が小さくなってしまい出せなくなってしまったというからなおさら笑えました。(写真)2階の納屋に閉じ込められてしまったフィアット・チンクエチェント。
ジョークが大好きなマッシモ。
ポッジョレッロの居並ぶ赤ワイン。ピストンと呼ばれる白い磁器のお椀でバルベーラをガブ飲み。金のラベルが僕のお気に入り。 


料理は昼でしたので前菜を3種類にパスタとデザートにして頂きました。ワインもスプマンテをスタートに赤ワインはバルベーラ、そしてデザートに合わせたモスカートのパッシートをそれぞれ1杯づつ頂きました。メニューはお任せで、最初に出てきたのは赤と黄色のピーマンの中にツナのペーストを詰めたファルシとつけ合わせにはチコリ(アンディーブ)やズッキーニ、ミニ・トマトなどが飾られてます。ピーマンのファルシはイタリアではしばしば食べますが、ここの味はとてもあっさりとして上品なものでした。
Tradizionale Vitello Tonnato dirazza"Fassona"Piemontese 子牛のロースト・ビーフ、エイのペースト添え。
Taglierini all'uvo al burro con tartufo nero d'Alba. 黒トリュフのタリオリーニ、ピエモンテではタイヤリンと言う。
Funghi porcini trifolati con pancetta croccante ed erbe aromatiche ポルチーニのソテー、パンチェッタと香草をカリッと焼いて添えました
アルバの黒トリュフと季節の果物。サン・マルコ自家製のグリッシーニ。
Sformatino caldo al cioccolato Gianduja "CAFFAREL"con salsa al caffe' 型焼きしたケーキにバニラ風味とコーヒー風味のクリーム添えに季節の果物。
Sformatino caldo al cioccolato Gianduja "CAFFAREL" con salsa al caffe' 型焼きしたケーキの中にはピエモンテ名物のへーゼルナッツ味の溶けたチョコレートが入っている。添えてある果物は桃やラズベリー、ほおづきなど。
サン・マルコのオーナー夫妻とスタッフのみなさん。ICEFで修行した日本人の若い夫婦も働いていました。
熟成させると表面は白からオレンジ色に変わりながら周りが青黴に包まれてきます。
ロビオラ自体はローマ時代から作られていた古いタイプのチーズですが、ロッカヴェラーノで作られるようになったのは1200年頃からとか。山羊は冬に出産するのでそのころから乳を搾ることができますから夏から秋に一番このチーズが作られます。イタリアではワインのD.O.C.と同じようにチーズは生ハムなどに原産地呼称統制があって、チーズの場合はD.O.P.(Denominazione Origine di Protetta)といいます。ロビオラ・ロッカヴェラーノもそれに認定されているチーズですね。ただ、山羊の乳が取れる時期も量も限られているので、必ずしも100%を山羊の乳から採らなくてはならないというわけではありません。季節によっては、つまり冬季、山羊の乳が少ない時期は85%まで牛乳を混ぜてもよいことになっています。
ロビオラ・ロッカヴェーラ周辺の風景。ここはヴェッシメ(Vesime)。
僕が最初に訪れたエンリーコさんは共同経営者のマッシモさんとこの仕事を始めてまだ4年目で、以前は農業機械を販売していたとか。山羊の乳を搾るところも貯蔵庫も現代的でとても清潔感に溢れたところで、山羊の糞の臭いなどもさほど気になりませんでした。




ノブレス・オブリージュ、”高貴なる者の義務”という言葉があります。まさにこのワイナリーにふさわしい言葉ではないかと思います。ヴェネツィアから60kmほど離れたヴェネト州トレヴィーゾ県にあるスセガーナという人口1万人ほどの町があります。プロセッコのD.O.C.のひとつコネリアーノは目と鼻の先です。その町から少し離れた田園の丘の上にサン・サルヴァトーレという古城があります。ピエーヴェという東京なら多摩川のような大きな川が流れアドリア海まで注いでいます。その川岸から丘の上に高い鐘楼と城壁の連なりを眺めながら、トレヴィーゾの駅まで迎えに来たロドヴィーコが、あの城の両側に見える丘と田園が全てコッラルトのものだといいました。
コッラルト家は歴史を遡ると紀元150年まで遡り、この一帯を支配していたロンバルド族の王家で、現在もコンテ、つまり伯爵の称号をワイナリーの名前に使用し、コンテ・コッラルト農園になっています。この地を代々治めて来た貴族の役目として、 今も幼稚園の設立や教会や病院の維持などに大きく貢献しています。
これは池のように見えるが、自然と共存したスタイルのプール。自然環境を最優先し共存するのがコッラルトの流儀です。
ロドヴィーコはコッラルト家の娘と結婚し、現在はワイン部門の営業責任者です。彼との出会いのきっかけはもう知り合って10年以上になるヴェネツィアでワイン・バーとワインの卸をやっている友人、ピエトロの紹介でした。かつて、ザルデットというおいしいプロセッコを紹介してくれたのもピエトロでした。ザルデットは今、日本でも人気のプロセッコになっていますが、ピエトロにまたもっと美味しいプロセッコはないかと聞いたら、間髪入れずに返ってきた答えが、コッラルトでした。ヴェローナのヴィニタリーの会場でそのコッラルトを訪ね、十数種類のワインとオリーブ・オイルを試飲しました。そのどれひとつとっても欠点のないもので、かつ価格的にも大変リーズナブルなものだったのです。 
サン・サルバトーレ城の中で開催されていた小規模出版社のブック・フェア。小さな出版社ならではの珍しい本が集まり大勢の人々が訪れていた。
これは”幻の”という形容がふさわしいフラゴリーノ種の葡萄。このワインは何度も飲んでますが、実際に樹に実っている葡萄を見たのは始めてです。
コッラルトのオフィスやたくさんの広間、厨房などがある。
セネガリアの市長(右)とロドヴィーコさん。 

(左)イタリアでは今は2社しか作っていない希少品種の葡萄、ヴィルバッケル。コッラルトではこのように、土地の歴史の中で稀少になった品種にも再度、光を当てて後世に伝えたいと考えています。
カサーリ社では
ランブルスコなど発泡酒を醸造する
燻し銀のような味わいの
出自の良さを漂わせる
(左上)広々としたレストランと宿泊施設、バルサミコ酢の熟成庫などがある建物、CAVAZZONE.



あれから10年近くを経て、ジョヴァンニもルディもド・モーリの板に着いて来ました。しかし、セルジョもまだまだ頑張っていて、僕が扉を押して入ると「チャオ!お帰り!」と我が家へ帰ってきたように迎えてくれます。ヴェネツィアのバーカリではどこでもそうですが、そこに行けば必ず顔なじみの友人に会うことが出来ます。 
職業もまちまちで、建築家、画家、写真家、保険の外交員。なかでも、池田満寿夫とも親交があった版画家のシルヴァーノや近所で靴の修理職人をしているフランチェスコとはヴェネツィアに行けば必ず1,2度はド・モーリで一緒にオンブラを飲みます。
ランチェスコはなかなかのインテリで、選挙間近の時期になれば政治の話を熱く語ったり、数年前に共通の友人だった詩人のマリオ・ステファーニが自殺して突然亡くなった知らせもフランチェスコからで、共に涙を流しました。2004年の11月 に僕がサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の大講堂で写真展を開催したときにはポスターや写真を店の入り口に貼って、友人たちに宣伝してくれました。
ド・モーリではプロセッコなどの地元ヴェネトやフリウリのワインの他にもピエモンテのバローロやトスカーナのブルネッロ、キャンティなどもグラスで飲めます。しかし、僕がヴェネツィアを去るときに必ず一杯は飲むのがフラゴリーノです。野イチゴのような甘い香りのワインですが、1800年代にフィロキセラという葡萄の樹を枯らすアメリカの害虫がフランスのボルドー経由でヨーロッパ各地に広がった時に、 この害虫に耐性がある野生の葡萄の樹がアメリカから何種類も移植され接木の台になりました。フラゴリーノもそのひとつですが、ワインにするにはアルコール度数が充分に達しないので今のワイン法では製造販売は禁止されています。しかし、これを一度飲んだら忘れられない魅力があり、ヴェネトではこっそり造られ売られています。。

店内を一目見て納得しました。ピッツァが誕生したのはもちろん、ナポリ。でも、店の壁には1939年に撮られた写真が飾ってありました。



週に何度も来ると言う近くの銀行に勤めているお嬢さん。
こうした食べ物がたどった道程を考えると、ピエモンテの小さな町に切り売りピッツァの老舗があったとしても不思議ではありません。ファリナータからスタートしたロベルトの先祖が、いつしか切り売りのピッツァも売り始めて、それが今ではアスティ市内に2軒の店になって、売っているピッツァのバリエーションも70種類だそうです。1号店は1953年、アルフィエリ大通り(Corso Alfieri) に誕生し、このペッレッタ通りに”LA PIZZA”2号店が出来たのは1984年です。もう、22年も経っているのですね。これぞイタリアのファーストフードです。グルメ料理もいいけれど、こうした切り売りピッツァやパニーニやエミリア・ロマーニャのピアディーナなどイタリアには美味しくて楽しめるファーストフードがいろいろあります。ちょっとヘビーな食事が続いた時にはありがたい存在でもありますね。
アスティが生んだ文豪、ヴィットリオ・アルフィエーリの像が立っている彼の名前をとった広場周辺が町の中心。
ポルティコ(アーケード)が多く雨の日の散歩も楽。 
イタリアに通い始めて20年目、この国のワインの真髄がようやく分り始めた頃で、その魅力をぜひ日本に紹介したいとヴェローナのヴィニタリーの会場をほとんど毎年、隈なく歩いていました。既に有名になっているところや大きな造り手には興味はありません。イタリアワインの魅力は小さな造り手が丹精こめて仕上げた、言わば職人的な魂が篭ったワインこそ本物でしょう。





2005年の春に結婚したばかりの新妻、ミリアムの実家はバローロに4つの畑を持っている。ここはそのひとつ、カスティリオン・ファッレット。
ミリアムのお父さんは電気技術者だが、ワインが好きで葡萄畑に投資している。娘婿のエリオがその畑で作ったバローロのボトルを手に大満足だ。
まるで我が子のように葡萄の房を手に取るミリアム。
堂々としたネッビオーロの房とバローロの雄姿。
ミリアムの妹、キアラは大学で醸造学や生化学を修めた。父は醸造家になることを望んだようだが、本人は薬学の道を目指している。 





イタリアで秋と言えばまず、葡萄の収穫、イタリア語でヴェンデンミア(Vendemmia)の季節です。収穫の頃合は細長いイタリアですから温かな南と北、あるいは葡萄の種類によって異なりますが、概ね白葡萄から始まり、シチリアなど南部では8月の終わりからもう収穫し始めるところもありますが、通常は9月の中旬からですね。赤ワイン用の黒葡萄は9月の下旬、バルバレスコやバローロを作るネッビオーロは10月に入ってから充分に熟成したタイミングを読みながら慎重に収穫の時期を決めます。ワイナリーによっては古来の伝統にのっとり月の運行などに従うバイオダイナミクスを計算して時期を決めるところもあります。
葡萄の実りは天候に大きく左右されるものですが、この10年ばかりの間では、1994年、2002年はどうも太陽の恵みが足らず、葡萄造りが難しい年でしたが、それでも造り手の努力しだいでは素晴らしいワインに生まれ変わっているところも少なくありません。逆に、2003年は猛暑の年で葡萄の熟成が進み、中には樹に実ったまま干し葡萄になったところも少なくありませんが、糖分がアルコールに変わってワインとなりますから、それだけこの年は濃厚なワインが誕生しました。しかし、ワインは酸味も大事な味わいの要素ですから、2003年が必ずしも最良の年とは思わないほうがよいでしょう。
僕の記憶では1990年代なら、1990年と比較的奇数年、つまり1993年、1995年、1997年、1999年は素晴らしい年でしたし、2000年代では、2000年、2001年、2003年は良い年ですが、2004年や2005年はイタリア全体にバランスよく美味しいワインが造れた年でした。そして今年もかなり期待ができる年となったようです。

ワイナリーとしてはまだ自分のところで醸造設備を完成させていないので、カネッリの町にある大手の醸造所に葡萄を運んで造ってもらっていますが、彼の農園にはすでに自家醸造できる設備が準備されつつあるので、来年にはすべて自家製のワインが生まれるでしょう。
葡萄の収穫は奥さんと娘と息子を合わせた家族はもちろん、友人や収穫の時期だけ頼む手伝いを含め10人ほどの人数で行っていました。今年の葡萄もなかなかいい実りだととても満足げなジョルジョです。黄色くなるまで熟成させた葡萄はデザートワインのパッシートに仕上げられます。

1997年にはありませんでしたが、ルペストルの地下にはレンガを積んで築かれた立派な酒蔵が完成していました。味覚のセンスに優れたジョルジョが100%自家醸造でワインを造れるようになればルペストルのワインは一段と魅力的なものになるでしょう。今年、彼は新しいワインラベルのデザインをカネッリの著名なアーティストであり、デザイナーのジャンフランコ・フェッラーリ氏に依頼しました。ワイン造りには長い年月と情熱が必要です。苦労もいっぱいありますが、一生懸命に働く彼の姿を見れば自然と応援したくなりますね。 

僕たちはレーヴィさんの家の庭や蒸留所などを見ながら彼の登場を待っていました。家の壁にはレーヴィさんが描いたラベルと同じような絵が飾ってあったり、蒸留所の中にはレーヴィさんが好きだというミミズクの置物のコレクションなどが飾られていました。 



(左上)手造りの画板、窓に張った蜘蛛の巣、まるで画家のアトリエのようです。(右上)なんとロマーノは僕が自分の名前を書いたメモにまで”O sole mio”と太陽の絵、そして自分のサインに日付を書き入れてくれました。(下)出来上がったボトルとロマーノ・レーヴィさん。
旅スタBlogをご愛読頂いている皆様、先週の金曜日に無事イタリアから帰国しました。ピエモンテのアスティ近郊のカネッリ、ランゲのバルバレスコ、バローロの葡萄畑を歩き、エミリア・ロマーニャのレッジョ・エミリアとピアチェンツァ、ヴェネトのトレヴィーゾ郊外のワイナリーを訪ね歩き、そしてヴェネツィア、ミラノと正味10日間の急ぎ旅。でも、中身もぎっしり詰まったいい旅でした。帰国後最初のブログは中でも一番のハイライトからスタートします。それは、”イタリア好き”な方ならこの写真のボトルを見ればすぐにおわかりですね? 
11日から22日まで、まずはミラノ、マルペンサ空に着くや否や、ピエモンテの優美なワインの土地、アスティ近郊のカネッリに向かいます。アグリトゥリズモのRupestrに宿を取り、アスティ近郊から1日はバローロ、バルバレスコの葡萄畑を訪れ、今年の実り具合を確認して参ります。次は列車に揺られて5・6時間、エミリア・ロマーニャで特産ワインのランブルスコの里を訪れ、日本ではまだまだ馴染みが薄い土地柄を取材して参ります。そしてモデナ、ボローニャと美食の町々は車窓から味わうことにして、一気にヴェネト入りです。トレヴィーゾ郊外のスセガーナ(Susegana)というこれまた美味しいワインの生産地にあるとても由緒あるお城のワイナリーを訪ねます。わが愛するヴェネツィアまであと一歩のところ。途中で、ジャヴェラ・デル・モンテッロという小さな村にある偉大なトラットリア、アニョレッティで秋のキノコ、まだ、ソパ・コアーダというこの店自慢の郷土料理、鳩のスープなど満喫します。葡萄畑を歩くのは斜面ですから、けっこうな労働ですから、しっかりと食べておかないと翌日がありません。
旅も余るところ3分の1、いよいよ、いざヴェネツィア入りとなります。週間予報を見ますと、どうやらこのあたりから天候は崩れて雨が続きそうです。そういえば、今年の春に訪れたときにもずいぶんと降られました。しかし、ヴェネツィアはさすが、水の都。雨に降られてもいいのですね。濡れた路面に街燈が反射して、雨が大嫌いな僕でも、ヴェネツィアの雨だけは許せます。靴とカメラにはちょっと可哀想ですが、雨のヴェネツィアならではの、旅愁を味わい、ひょいと入った居酒屋でプロセッコを頂き、ああ、今、自分はヴェネツィアにいるんだなぁ・・・と感慨に耽る・・・のも束の間、常連の顔なじみがすぐさま僕を見つけて、「オ~、チャオ、トシ!いつ戻ったんだ」なんて声を掛けてきて、今日までの旅の話をあれこれと、そして、また新しい居酒屋が出来たぞ、あの店は代替わりして、そうそう、今は映画祭じゃないか、リドにはもう行ったか、なんて賑やかな会話に花が咲きます。

トスカーナの小さな町、サン・ミニアートにイタリアで一番と言ってもいい、カントゥッチを作っている店があります。カントゥッチはイタリア・ブームに乗って日本にもいち早く紹介され今や日本製のコピー商品まで売られていますが、中世にトスカーナで誕生した伝統的なビスケットです。名前の語源は、Canto(歌)の縮小辞で、砂糖、卵、バターにアーモンドや干し葡萄、アニスの種などを練りこんだ小麦粉を焼いたもので、歯で噛んだ時にカリッと軽やかな音が出ることから”小さな歌”、Cantocci=カントッチ”が”Cantucci=カントゥッチ”となったそうです。”サン・ミニアートのカントゥッチ”はパン職人の家系の5代目となるパオロ・ガッザッリーニさんの経営する”Il Cantuccio di Federigo=イル・カンツッチョ・ディ・フェデリーゴ” に受け継がれ、この町の名産品として知る人ぞ知る、カントゥッチのナンバーワンなのです。フェデリーゴとは12世紀にこの町も支配していた神聖ローマ帝国の皇帝、フェデリーコ一世、通称バルバロッサのことですね。
カントゥッチは通常、食事の後のデザートとしてこれもトスカーナ特産のヴィン・サントという甘口のワインと一緒に味わいます。かなり固くて歯が丈夫でないと痛い目に合うお菓子なので、しばしばヴィン・サントの入ったグラスに漬けて少し柔らかくしてから食べます。しかし、パオロさんのカントゥッチは小さな子供や歯の弱いお年よりでも食べられる固さで、わざわざヴィン・サントに漬ける必要もないし、コーヒーや紅茶と一緒に楽しめるビスケットです。ビスコット・ディ・サン・ミニアートとも称されますが、BiscottoはBis=2度、Cottoは焼く、調理するという意味で、長期保存を可能にするため充分に乾燥するまで焼いたのでそう呼ばれるのです。
店に立つパオロさん。店内には酒屋さんかと思うほど、様々なワインやグラッパなどが並んでいますが、ワインはほとんどがお菓子に合わせるパッシートなどのデザート・ワイン。






イタリアのリストランテ、トラットリアでいつも関心するのは、30人や50人のお客たちを2名くらいで対応している給仕、カメリエーレたちの動きです。お客がどんなにめんどうな注文を言っても嫌な顔をひとつみせず、きちんと対応してくれます。もし、そうでない経験をしたとしたら、それは運が悪かったのでしょう。僕はこれまでの30年間でイタリアの店で嫌な思いをしたのはたった3回くらいです。
Il Porticoにも役者にしたいようなハンサムなカメリエーレがてきぱきと動いていました。特別は祭日ですから、時間がかかるのは仕方ありません。しかし、彼らやお客たちを眺めているのも楽しいものでした。

リストランテ” Il Portico”の入り口の黒板にメニューが書いてあります。その真中あたりに”Carcifi alla Giudia”と書いてありますね。カルチョーフィは和名”朝鮮アザミ”ともいいますが、その拳大の大きな蕾のガクを食べるのですが、先端の尖ったところを切って、蕾を叩くなどして十分に開いてからオリーブ油でから揚げにし、塩味で食べるシンプルな料理です。ローマに行ったらぜひ食べてみてください。先だって、日本の某店でこの名前をメニューに見つけたので、さっそくオーダーしてみましたが、出されたものは似て非なるものでした。カルチョーフィの料理の仕方をまったく知らない人間がやったとしか言いようのない、半生状態。それを給仕した者もガクの舌の部分の柔らかいところだけを食べて下さいと説明していましたが、この料理は丸ごと食べられるのです。写真を見ればその違いは一目瞭然ですが、その出来そこないの”Calciofi alla Giudia”には何故か茎と青々としたガクまで添えてあります。もちろん、こんなものを食べたらとたんに腹をこわします。日本には本場を凌ぐほどの優秀な料理人もいますが、時にはとんでもないものにも出会ってしまうわけですね。まあ、これも運が悪かったと思うしかありませんが…。




2番目はグリーンアスパラガスのソテーにほろほろ鳥の卵のカルボナーラ風。上に載せてあるのは薄くスライスした生ハムをカリッと焼いたものです。アスパラガスと生ハムをクリーム状に仕上げたほろほろ鳥の卵で包んで、この3つの味の一体感を味わいます。
3つ目のお皿はジャガイモの詰め物をしたラビオリ。さて、このジャガイモ、ルーツはトマトと同じく南米ペルーですが、そのオリジナル種を蘇らせたもので、小粒ですが、味わいは栗のように甘く濃厚な味わいがあります。 








トテウマ(とても旨いということ)のフリット、尻尾まで丸ごと食べられる魚は”目ヒカリ"、野菜は”こごみ”と”こしあぶら”という名前です。旬の味だから食べるなら今。ところで、旬というのは"10日間”という意味です。だから1カ月30日を3つに分けて、上旬、中旬、下旬といいますよね。
”パスタアマーレ”で出会った上垣さんと梶野さん。梶野さんはバイオリニスト。上垣さんは日本各地の地域活性、まちづくりの仕事をしているコンサルタント。上垣さんは僕の書いたアグリトゥリズモの本の読者で、拙著を参考にときどきイタリア各地を旅しているそうです。テーブルに並んでいるのは彼がお土産に買ってきたイタリアのグラッパや薬草酒。左が日本でもお馴染み、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で作っているリキュールで、アイリスの香りもします。そのとなりがアオスタで見つけたというGinepro(ビャクシン)の木の香りがするグラッパ。その隣は拙著でも紹介しているトスカーナのアグリトゥリズモ、PodereTerrenoのグラッパ、そして甘い食後主のVin Santo。後ろに隠れている小さな瓶もアオスタのスーパーで見つけたというブルーベリーを漬け込んだグラッパ。イタリアつながりだと、人が人を呼び、こんな嬉しい出会いもあるのですね







アドリア海最大の漁港があるキオッジャ。人口は6万人足らず。街中には車が走りますが、その家並みはヴェネツィアと同じ。昼下がり、ボートを漕ぐ漁師の姿を見て、この町にしばらく住んで見たいと思いました。観光のヴェネツィアとは対照的な漁師町です。最も近年は少しづつ、観光客やみやげ物店も増えてきましたが。 

ヴェネツィアの春と秋の年に2回の旬があるのがモエッケです。これはラグーナ(潟)に生息する蟹がちょうど春と秋に脱皮するのですが、その脱皮したてで甲羅が柔らかいものをから揚げにして食べるのです。 




食事は落ち着いた店内でもいいのですが、春から秋のお天気が良い日にはぜひとも外で食べたいですね。モンテッロという自然環境に恵まれた美味しい空気とともに味わう料理やワインは格別ですから。ワインをサービスしているのは店長で長男のアンドレアです。乗馬が趣味の好青年です。



すでに日本には紹介ずみのゲンメの生産者、Rovellottiのパオロとその友人の生産者たち。ネッビオーロ種を主体に作られるゲンメのワインもなかなかいいものです。特に伝統的な作り方に