2011年01月12日

ポルトフィーノの朝、カモッリの夕陽

●映画スターや世界の著名人がバカンスを楽しむポルトフィーノ

リグリア海岸はローマ時代からその複雑に入り組んだ入り江が軍港としても重用されていたが、平和な時代には風光明媚な観光地として内外の旅行者の関心を惹きつけてきた。近年、世界遺産に認定される場所が注目を浴びるようになり、リグリアでもポルトヴェネレやチンクエテッレに憧れる観光客が急増しているが、その昔はポルトフィーノが憧れの海浜リゾートであった。ローマ人は「ポルトゥス・デルフィーニ、イルカの港」と呼び、今はポルトフィーノと変わったが、その名前の響きからして美しい場所を想像させるではないか。カンツォーネに歌われ、映画の舞台となり、世界中の著名人がここに別荘を持ち、あるいは優雅な長期バカンスを過ごした。シーズンともなれば所狭しと湾内には豪華なヨットやクルーザーが係留され、岸辺にはブティックや画廊が並び、お洒落な観光客たちが幸せに満ちた笑顔で散歩する。
耳を澄ますと、英語、フランス語、ドイツ語がイタリア語と同じくらい聞こえてくる。フィレンツェやミラノと違って日本人を見かけるのは極めて稀。ヨーロッパから近いので、日本人のハワイ旅行的な感覚でドイツ人もフランス人も訪れるのだろう。ローマ時代、中世、近世そして現代へとこの港の支配者が変わり、第二次世界大戦後はイタリアで一番リッチで華やかなリゾートになったが、現在ではサルデーニャやスペインなどに人気が移っているらしい。それでも、この町を歩くと優雅な気分になる。もしも1日しか予定がなくここを訪れるのなら日が翳る午後ではなく午前中が良いだろう。昔も今もイタリアや外国からの訪問客が絶えない港町である。

110112-%EF%BC%90%EF%BC%91.jpg
ブラウン城の窓から見下ろすポルトフィーノの入り江

110112-%EF%BC%90%EF%BC%92.jpg
あいにくの雨天であったが、カラフルな家並みの港には明るさがある

110112-%EF%BC%90%EF%BC%93.jpg
1993年に撮影した写真。現在も大きな変化はない
  
110112-%EF%BC%90%EF%BC%94.jpg
16世紀に建てられたブラウン城。城の中にはこれといって目ぼしい陳列物があるわけではないが、壁面のあちこちに飾られた往年の映画スターや著名人の写真を見て歩くのは楽しい

110112-%EF%BC%90%EF%BC%95%20%282%29.jpg
110112-%EF%BC%90%EF%BC%96.jpg
ブラウン城の階段の壁面はカラフルな装飾タイル貼り

110112-%EF%BC%90%EF%BC%97.jpg
いつの時代かの説明もない祭壇画

110112-%EF%BC%90%EF%BC%98.jpg
古い箪笥

110112-%EF%BC%90%EF%BC%99%E3%80%801958%2014%20luglio.jpg
1958年7月14日、ポルトフィーノの岸を歩くマルチェッロ・マストロヤンニ

110112-%EF%BC%91%EF%BC%90%20a%20santa%20margherita%20ligure.jpg
サンタ・マルゲリータ・リグレのホテルのソフィア・ローレン

110112-%EF%BC%91%EF%BC%91.jpg
ジェノヴァ港に立つアーネスト・ヘミングウェイ

110112-%EF%BC%91%EF%BC%92.jpg
港からブラウン城を見上げる

110112-%EF%BC%91%EF%BC%93.jpg
浜から眺めた家並み

110112-%EF%BC%91%EF%BC%94.jpg
バカンスシーズにはまだ少し早いが観光客は少なくない


■漁師町の生活感に親しみを感じる高級リゾート、カモッリ
110112-%EF%BC%91%EF%BC%95.jpg
カモッリの町の入口にあった絵タイルの地図

●リグリア沿岸の町で一番好きな街はどこかと聞かれたらカモッリと応えるだろう。ポルトフィーノよりも生活観があり、サンタ・マルゲリータ・リグレよりこじんまりとして密集した感じがヴェネツィアの路地を歩く雰囲気にも似ている。海岸線から街の中に入ったり出たり、いろいろな表情を見せてくれるので写真や絵画のモチーフとしても楽しい街だ。

 地名の語源の一説にはカモッリは「カーサ・ディ・モッリエ」即ち「妻の家」の意味で、漁師が港へ戻るときに色とりどりに塗り分けれた家々を見て、自分の妻が待つ家を目印にしているという、これもヴェネツィアのブラーノ島などでも聞いたような話と同じ話がある。また、ギリシア植民地時代にギリシア人が「“cam”=低い、“gi”=土地、すなわち“低い土地”」と呼んでいたのが語源とする説もある。
 土地の歴史を辿れば先史時代まで遡るそうだが、ギリシア人やローマ人に支配された時代以降の流れはポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレと同様の歩みを辿っている。20世紀の初頭までは鄙びた漁村であったようで、徐々に海岸線に沿って住宅群が建設され、道路整備や航海学校や船員施設が建設されるなど都市機能が改善され、マルゲリータ王妃や著名な文学者のダンヌンツィオが滞在するようなホテルも生まれた。現在ではポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレに並ぶリゾートに発展しているが、港周辺を歩けば親しみのある市民的な空気が漂い、漁村の素朴な味わいもあり、スノッブなポルトフィーノなどより親近感が持てる街である。

110112-%EF%BC%91%EF%BC%96.jpg
1990年に撮影したカモッリの港

110112-%EF%BC%91%EF%BC%97.jpg
網籠越しに港風景を撮る

110112-%EF%BC%91%EF%BC%98.jpg
2010年4月撮影の港

110112-%EF%BC%91%EF%BC%99.jpg
13年前に撮影した時は網籠だったが昨年はこんな網になっていた

110112-%EF%BC%92%EF%BC%90.jpg
湾に沿ってこんなアーケードの道もある。街の構造の変化も面白い

110112-%EF%BC%92%EF%BC%91%20%282%29.jpg
港の防波堤の上には赤錆びた昔の大砲らしきものに網や漁の道具が結び付けられていた

110112-%EF%BC%92%EF%BC%92.jpg
以前来たときに食べたことがあるトラットリア“da Paolo”が移転して開業したばかりの場所に出会った

110112-%EF%BC%92%EF%BC%93.jpg
左の写真を貼った壁紙の部分、実は“da Paolo”のトイレ。広くはないが居心地は良い空間だ

110112-%EF%BC%92%EF%BC%94.jpg
カモッリも漁港だけにどの店でも魚介料理にハズレはないだろう

110112-%EF%BC%92%EF%BC%95.jpg
イカ墨を練りこんだスカンピのパスタをサーヴするパオロの奥さん

110112-%EF%BC%92%EF%BC%96%20%282%29.jpg
ムール貝やアサリ、海老など魚介がふんだんに入った海の幸パスタ

110112-%EF%BC%92%EF%BC%97%20%283%29.jpg
アンティパストも鰯のマリネやから揚げ、蛸のマリネなどが美味しいのは当たり前だが、この真っ赤な完熟トマトが更に美味しさをアップさせた

110112-%EF%BC%92%EF%BC%98%20%282%29.jpg
毎年5月に開催される漁師祭りで振舞われる魚介のから揚げを作る大きなフライパン。これはかつて使われていたもの。カモッリの観光振興会情報によると横浜にこれをコピーしたものがあるそうだ。自分はまだ見たことはないが

110112-%EF%BC%92%EF%BC%99.jpg
海岸は玉砂利。奥にサンタ・マリア・アッスンタなどの教区の建物が見える。

110112-%EF%BC%93%EF%BC%90%20%282%29.jpg
晴れていれば夕陽が美しいスポットだが、昨年の訪問時は小雨だった。それでも子供たちはサッカーに興じていた

110112-%EF%BC%93%EF%BC%91%20%282%29.jpg
晴れていればこんなに素敵な夕陽が楽しめるカモッリ

110112-%EF%BC%93%EF%BC%92%20%282%29.jpg
真冬でもカモッリの夕陽は恋人たちを熱く包み込む

2011年01月07日

リグリア海岸の旅、サンタ・マルゲリータ・リグレ

110107-01.jpg
朝日に浮き上がるヨットのシルエット

新年明けましておめでとうございます。
昨年の10月3日にチンクエテッレを紹介して以来、3ヶ月も更新できず、ご愛読頂いている皆さんには申し訳ありませんでした。いろいろと超多忙な1年でなかなか続きにとりかかれずにいました。というわけで、2011年の幕開け、気分も新たに昨年の続き、リグリアの旅からスタートしましょう。
今年もどうぞよろしくご愛読をお願い申し上げます!

110107-02.jpg
1994年発行「イタリア四季の旅 I」(東京書籍・絶版)


■1993年、3度目のサンタ・マルゲリータ・リグレ訪問の時に撮影した写真が、翌年、東京書籍から出版した田之倉稔氏との共著「イタリア四季の旅I」のカバーになった。その時には十数名の写真愛好者の方々のグループを引き連れリグリアからヴェネツィアまで北イタリアを横断するような撮影ツアーであったが、たまさか一人になって街中を歩いていたちょっとした時間に、金髪の少年が家の前で絵本を読んでいたシーンに出会ったのだ。
 カメラに気づくと最初は訝しそうにこちらを見つめたが、「ここは君の家?壁の色が綺麗だね。何の本を読んでるの?」などと話しかけると安心したのか、また自然な姿で絵本に没頭し始めたので、すかさず数枚を撮影した。しばらくすると、撮影旅行のうちの数名がこちらを見つけ、「あら、先生、いい被写体を見つけたじゃない」と言いながら、いっせいにカメラを向けてその子を撮り始めると、その気配に気づいた男の子は「なんで、僕を写真に撮るの!」と怒り出してしまった。あれから18年経ち、あの少年も立派な青年になっているだろうが、その時の光景はこの写真と伴に今も瑞々しく記憶に残っている。

110107-03.jpg
「イタリア四季の旅I」の表紙になった写真の別バージョン

110107-04.jpg
2010年4月に撮影したサンタ・マルゲリータ・リグレ。海岸通りにはホテルやレストラン、丘の斜面には別荘が立ち並ぶ

■サンタ・マルゲリータ・リグレを初めて訪れたのは1987年の真夏で、リビエラ海岸はバカンスのピークながら、それほど人の混雑のようなものは感じなかった。泊まったのはアザレアとかいう安いペンションだったが、街を歩けば優雅でリッチな気分になれた。旅費をケチるほどの貧乏旅行ではなかったが、イヴ・サンローランのピンクと黒のチェックの半ズボンを買ったきりで、特に買い物をする必要もなかったが、街並みの美しさと広場のベンチやボート、ヨットでゆったりとした時間を過ごしている人たちが醸す雰囲気がこちらの気持ちも豊かなものにしてくれていた。本当のゆとりある生活とは何でも買えるお金のあるなしではなく、本を読んだり、友人たちとワインを味わいながら歓談したり、自分の時間をゆったりと過ごせる精神的な生活のことだとイタリアから学んだことをしばしば思い出す。

110107-05.jpg
Basilica Nostra Signora Rosa教会前のカプレラ(Caprera)広場。カラフルな建物が並んでいる

110107-06.jpg
窓の装飾は巧みな描画で立体的に見せてある。この地方の建物に多いスタイル。そういえば、昔ここで買った半ズボンもこんな壁の色合いだったかな


■サンタ・マルゲリータ・リグレの歴史はローマ時代の植民地まで遡る。7世紀半ばにはロンゴバルド、10世紀にはサラセンに占領され、13世紀に入るとジェノヴァの傘下となり、15世紀にはジェノヴァと敵対していたヴェネツィア海軍の攻撃を受けたりした。1813年、ナポレオンによる統治を受け、2年後にサルデニア王国に属国となる。1861年のイタリア統一によってイタリア王国の1県となり、20世紀に入ると、第二次世界大戦後は風光明媚な立地が注目され観光リゾートとして発展してきた。

110107-07.jpg
1492年にアメリカ大陸を発見したと伝えられるクリストファー・コロンブスはジェノヴァに1451年に生まれたが、その像がサン・マルゲリータ・リグレにもある

110107-08.jpg
16世紀のジェノヴァ支配時代の城砦跡

110107-09.jpg
San Francesco d’Assisi(アッシージの聖フランチェスコ)教会

110107-10%20%284%29.jpg
聖フランチェスコ教会の隣には素敵な庭のヴィッラ・ドゥラッツォがある

110107-11%20%288%29.jpg
ヴィッラ・ドゥラッゥオは16世紀の館と17世紀の庭園からなる


110107-12%20%283%29.jpg
館の内部も豪華な内装だが、市民に開放され、この日はハンドメイド製品や特産物のフェアが開催されていた

■2度目に訪れたのは1990年の2月だったと記憶するが、さすがに海辺のリゾートは冬に来るものではないなと思った。海岸にはほとんど人影がなく、カモメだけが冷たい風に吹かれては裏返しになって浜辺にならんだボートでかすかな日差しを浴びていた。森進一の歌に「冬のリビエラ」というのがあるが、まさにそんな情景か、いや、その時には冬の熱海みたいだと思った。望遠ズームを着けたコンタックスのボディが冷たく重い。うす曇の空と弱い光ではファインダーを覗いても寂しさが覗けるだけ。なんか、カモメの気持ちが伝わるような日で、翌日はまたヴェネツィアに帰った。4月上旬でも天気が悪ければ、肌寒い海風が吹くから、5月から10月いっぱいが訪れるのに最高の時期だ。

110107-13%20%287%29.jpg
サン・フランチェスコ教会前の広場から湾を眺める

110107-14.jpg
早朝の港で仕事に出る漁船を待つ男

110107-15.jpg
サンタ・マルゲリータ・リグレでお気に入りの店、ダ・エミリオ

■今年の4月はイタリア料理を研究している友人の先生のグループと自分の講座でイタリア料理が好きなグループからのメンバーだった。南仏から美味しい物ばかり食べてきたが、
一番記憶に残る店はこのサンタ・マルゲリータ・リグレのダ・エミリオで食べた料理だ。
最初に食べた魚介のフリットから美味しいと思ったが、鰯のマリネやパスタを食べ、メインの石鯛を食べた時には是非またここに来たいと思った。店の経営も家族で、明るく親しみ易く、まさにイタリア的な雰囲気が充満している店だった。カメリエーレのおじさんがまた面白く、グループの中で最初に店に着いた人が鈴木さん夫妻だったので、何かにつけて「スズキさん!」と声を掛けてくる。コンニチワ、アリガト、サヨナラと知っている限りの日本語を連発しては旅の仲間を笑わせてくれた。
 美味しく楽しいディナーを満喫したら、海岸をちょっと散歩したくなった。お酒が飲める数人と連れ立って夜の散歩に出ると、なかなかお洒落な感じのワイン・バーがあったので入ってみる。4月下旬とは言え、バカンスシーズンにはまだ早いせいか、客は自分たちだけ。東南アジア系の若い女性が2名、愛嬌のある笑顔で迎えてくれた。シチリアのワインを注文すると、中年のソムリエがスマートな手つきでそれぞれのグラスにワインを注いでくれる。品の良い笑顔で高級リゾートのワイン・バーに相応しい雰囲気を醸しだしている。こちらもワインに詳しいと知ると、珍しいものがあるよと、イチジクと青い姫リンゴをリキュールに漬けたものをサービスしてくれた。これはトレンティーノ産で帰りがけにそれぞれを土産に買って帰ったほど美味しかった。

110107-16%20%285%29.jpg
エミリオの店は家族経営。家族の絆を大事にするイタリアではよくある経営だ。当然、料理にも家庭的な愛情がこもったものになる

110107-17.jpg
日本人の名前や片言の言葉をすぐに覚える楽しいカメリエーレ

110107-18.jpg
海辺の町で前菜はこのフリット・ミストが定番

110107-19.jpg
ムール貝、アサリ、スカンピのスパゲッティも美味!

110107-20.jpg
採れたての新鮮な石鯛をポテト、トマト、ローズマリー風味で調理した絶品の味。なんといっても魚介の鮮度が命

110107-21.jpg
リグリアを代表する白葡萄、ピガート種の白ワイン。生産者はLaura Aschero、日本にはまだ輸入されていないかもしれないが、なかなか良い味わいのワインである


110107-22.jpg
地元の若者たちもエミリオがお気に入りの常連

110107-23.jpg
夕食後の散歩で見つけたワイン・ラウンジ“DIVINO”。久々のサンタ・マルゲリータ・リグレなので新しい店も多かったがなかなか良い雰囲気の店

110107-24.jpg
DIVINOのソムリエのPaolo Barabinoさん。高級リゾート地にある店だけに、とても感じ良くまた行きたい!

110107-25.jpg
トレンティーノ産のフルーツのグラッパ漬け


サンタ・マルゲリータ・リグレは今やリグリアの有名な観光地で、チンクエテッレやポルトヴェネレなど世界遺産がある町を訪ねるには最も便利なところだが、永住する町としてもなかなか魅力的なのではないか。別荘に長期滞在してバカンスを楽しむ人々のも利用するのでスーパーや食品店も大きな店があり、また手打ちパスタ専門もけっこう大きな店で大繁盛だ。流石に手打ちパスタは土産に出来ないが、いつかキッチン付きのペンションでも借りたらこの店のパスタを味わってみたい。八百屋の店先を見ても、イタリアはどこへ行っても彩りを上手に組み合わせて魅力的だ。イタリア人の造形感覚、色彩センスは古代ギリシア、ローマの時代から受け継がれた遺伝子に組み込まれているのだろうが、日本人だって平安時代の絵巻や江戸の粋なデザインを見ればそれに負けない素晴らしさがある。そうした民族固有の感性を大事にしなければいけない。

110107-26.jpg
街中を歩くと手打ちパスタの店があった

110107-27.jpg
大きなガラス窓から手打ち作業の全てが見れて楽しい

110107-28.jpg
八百屋さんの商品の並べ方にもイタリア人らしい色彩センスを感じる

110107-29.jpg
ホテル、ティグリオ

110107-30.jpg
小さなホテルだったが駅や海岸に近く、雰囲気も上々。朝食のカッフェやクロワッサンなども美味しくて、気軽な旅なら次回もここに泊まりたいと思った

110107-31.jpg
大小無数のヨットやボートが浮かんでいる港。今度はのんびりと絵でも描いてみたい

2010年10月03日

チンクエ・テッレを行く、ヴェルナッツァ再訪

チンクエ・テッレは初めて訪れた1987年から90年、93年、そして、今年の春で4度目の再訪である。最初は真夏で日本画家の山田昌宏とふたり旅だった。画家の山田にとってイタリアはさぞや色彩に溢れた国だろうという期待があったが、ローマからナポリやウンブリア各地、フィレンツェ、シエナを歩いてきて街並のほとんどが褐色系であったことにいささかがっかりしていたようだった。しかし、サンタ・マルゲリータ・リグレのペンションに泊まりながら、チンクエ・テッレを訪れリグリア海岸の港町のカラフルな家々を見たとき、彼はやっと期待していた風景に出会ったと言った。帰国直後、彼はとてもカラフルな作品を発表していたが、あれから20年余り経った近年の作品は淡いベージュ色のモノクロームの世界を描いている。ただ、その作品は裏側に光源でもあるかのような光と温もりを感じさせるのは、一見、モノクロームに見える画面の下には何色もの色彩が内包されているからであろう。水墨の世界でも墨に七色ありと言うが如しだ。

私にとってのヴェルナッツァのイメージはふたつある。ひとつは最初に訪れた時のカラフルな色彩と光に満ちた海辺の町、もうひとつは2月か3月かまだ冬の冷たさを引いているモノトーンの静かな海である。80年代、90年代の初めは観光客も今から比べれば真夏のバカンス時期以外はとたんに少なくなる。その町の素の顔が見える時期だ。93年を最後にしばらくリグリアを訪れることはなかったのだが、今年の春、17年ぶりに訪れてみると、ポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレのような観光リゾートとして有名なところは昔も今も大きな変化を感じさせないが、チンクエ・テッレはだいぶ様相が変わっていた。あまりにも観光地化されているという印象だ。それは、やはり山田と87年に初めて訪れたナポリ湾の小島、プロチダも同じである。プロチダが変わったのは映画「イル・ポスティーノ」のロケ地として知られるようになってからだが、チンクエ・テッレの場合は1997年に世界遺産に認定され、観光客がどっと増えてからだろう。

世界遺産に認定されて保護される部分もあれば、それにより昔とは姿を変えてしまう部分もある。前時代的な歴史や文化を受け継いで行くことは容易い事ではない。人間が欲望の動物であるかぎり、文明の発展とともに欲望は新しき物事の誘惑に負け、それまで大事に護って来たものを手放すことにもなる。一度、堰を切ればあっという間に変化は起こる。日本がその代表的な例だろう。古いものが消えていけば、それを拠り所にしていた記憶も徐々に断片的なものになり、やがては消えてしまうこともある。過去を見失えば、未来はおろか現在でさえも何であるかを判断しにくくなるものだ。イタリアではまだまだ容易に数百年変わらぬ風景や生活習慣が残っている。温故知新、不易流行、イタリアを旅する度に、そのことが脳の中でリフレインする。情報に溢れ、流行に惑わされやすい日本の環境を出て、イタリアを旅する意味はそこにある。

101003%EF%BC%91%20%20%EF%BC%B6%EF%BD%85%EF%BD%92%EF%BD%8E%EF%BD%81%EF%BD%9A%EF%BD%9A%EF%BD%81%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%97%E3%80%80%EF%BC%A1_edited-1.jpg
1987年に初めてヴェルナッツァを訪れた時のPiazetta Bastreri(バストレーリ小広場)

101003%EF%BC%92%20vernazza.jpg
ヴェルナッツァ駅から海岸へ下る坂道

101003%EF%BC%93.jpg
坂道の途中にある八百屋、客の姿も海のリゾートらしいスタイル

101003%EF%BC%94.jpg
漁港の岸辺では子供が綾取りをして遊んでいた

1010035.jpg
漁港の出入り口辺りからヴェルナッツァの町とサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキア教会を眺める

1010036.jpg
1987年と比べると建物の色もだいぶ褪せている、まるで記憶のように

1010037.jpg
港を護る幅広い防波堤も憩いの広場

1010038%20%EF%BC%B6%EF%BD%85%EF%BD%92%EF%BD%8E%EF%BD%81%EF%BD%9A%EF%BD%9A%EF%BD%81%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%97.jpg
1990年冬、昼下がりの海。モノトーンの中に色彩がある

1010039.jpg
2010年春、ヴェルナッツァから眺めたモンテロッソ・アル・マーレ

10100310%20%20%20Monterosso%20al%20Mare%20%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%97.jpg
1987年のモンテロッソ・アル・マーレ、夏

10100311.jpg
1990年冬のひとり旅で再訪したモンテロッソ・アル・マーレ

10100312.jpg
今年の春の旅で、ヴェルナッツァのピアッツェッタ・バストレーリ

10100313.jpg
小さな漁港で過疎化、少子化が激しいと思ったら、意外に子供が多い

10100314.jpg
また、坂を上って駅へ向かう

10100315.jpg
ヴェルナッツァの駅のホーム

10100316.jpg
車窓から見上げると大きな松の上をかもめが舞っていた

10100317.jpg
サンタ・マルゲリータ・リグレへ向かう車窓から

10100318.jpg
明日もきっと晴れるだろう・・・

2010年10月01日

チンクエ・テッレ、愛の散歩道を歩く

リグリアの旅で、人びとがもっとも憧れを抱きつつ訪れるのがチンクエ・テッレだろう。イタリア語でチンクエは5、テッレは大地を意味し、即ち、リオ・マジョーレ、マナローラ、コルニリア、ヴェルナッツァ、モンテロッソ・アル・マーレの5つの漁村を総称してチンクエ・テッレと呼ばれている。まるで鋸の歯のように小さな入り江がギザギザと続く海岸線にこれらの漁村は点在し、かつては船でしか辿り着くことは出来なかった。現在はこれらの漁村を結ぶ鉄道がジェノヴァからラ・スペツィアの間に走り、また近年は自動車道もかなり整備されてきたので、漁村のすぐ近くまで自動車や観光バスでも来ることができる。

チンクエ・テッレのそれぞれ村は漁村であると同時に、11世紀頃から要塞としての役割も持って築かれたそうだ。そういえば、以前、サレルノ地方を旅していたとき、海岸線に突き出た丘の先端のそこここに砦のようなものが築かれていて、それはサラセンがジェノヴァまで点々と築き、そこから鏡を利用して伝令を行なったそうだ。光通信であるから、即日に情報を伝えられたわけで、まさに現代の光通信である。

“愛の散歩道”を歩き始めると4月の上旬だったからか、日本人は我々のグループだけで、すれ違うほとんどの観光客はフランス人であった。その次がアメリカ人とイタリアの他の地方から来た人々で、フランス人には高校生くらいの若者たちも少なくなかった。道すがら、自然の岩に造られた花壇にはサボテンや龍舌蘭などが植えられているが、龍舌蘭の大きな葉には男女の名前が刻まれていたり、補強の為に構築された人工壁にはびっしりと隙間のないほどの落書きがあった。ひところ、イタリアの歴史遺産の悪戯書きがニュースになったりしたが、イタリア人ではポンペイの遺跡にもあるように、古代から悪戯書き好きだったようだ。また、リオ・マジョーレに近づいて来て駅が見える辺りのアーチにある2連のハート型の飾りには沢山の錠が掛けられていた。最近、イタリアのあちこちで見られるが、どうやら恋人同士が固く結ばれるようにとの願掛けだという。

散歩道はリオ・マジョーレを迂回してその先、マナローラにも続いているそうだが、われわれは時間の制約もあり、リオ・マジョーレから列車に乗り、ヴェルナッツァへ向かった。


101001_1%20%283%29.jpg
眼下にモンテロッソ・アル・マーレ(Monterosso al mare)と地中海が広がる

101001_2%20%283%29.jpg
Via dell‘Amoreという名前のトラットリアの看板

101001_3%20%283%29.jpg
モンテロッソからのスタート地点。リオ・マジョーレから歩いてきた観光客とすれ違う

101001_4%20%283%29.jpg
急斜面の海岸線に道路を敷く大工事の様子が壁画になっている

101001_5%20%283%29.jpg
切り立った断崖絶壁と地中海を眺めながらの散策路

101001_6.jpg
どうやって辿り着いたのか、岩の上の釣り人

101001_7.jpg
すれ違う観光客のほとんどがフランス人だった

101001_10%20%E5%B2%A9%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB.jpg
岩場を見下ろすとカップルが語り合っていた

101001_8.jpg
龍舌蘭の葉に刻まれた落書き

101001_11%20%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%82%AA%E6%88%AF%E6%9B%B8%E3%81%8D.jpg
ポンペイの遺跡にも2千年前の落書きが残っているほどだから、イタリア人は落書き大好き人間である

101001_12%E3%80%80%E9%BE%8D%E8%88%8C%E8%98%AD.jpg
50年に1度しか花を咲かせないという龍舌蘭。果たしてここにはいつ頃から根を下ろしているのだろう。そもそもは南米産だから、これもコロンブスの土産かもしれない

101001_13%E3%80%80%E6%B0%B4%E5%B9%B3%E7%B7%9A%E3%81%A8%E3%83%A8%E3%83%83%E3%83%88.jpg
いつまでも眺めていたい水平線

101001_14%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1.jpg
フランスからやって来た女子高生

101001_15%E3%80%80%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%AE%A2.jpg
イタリアの陽気な女性

101001_16%E3%80%80%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%81%B4%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E5%9C%B0%E7%82%B9%E3%81%A7.jpg
最近はイタリアのあちこちで願掛けに鍵を着けるの流行だ

101001_17%E3%80%80%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%81%AE%E9%A7%85%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F.jpg
写真を撮りながらゆっくりと歩いて小1時間ほどでリオ・マジョーレの駅が見えてきた。その先にはマナローラが見える

101001_17%E3%80%80%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3.jpg
リオ・マジョーレの岸壁レストラン

101001_18%E3%80%80%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E9%A7%85%EF%BC%91.jpg
トンネルを抜けるとすぐリオ・マジョーレ駅。列車に乗るとトンネルだらけだ。景色を楽しむには徒歩か船が良い

101001_19%E3%80%80%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E9%A7%85%E3%80%80%EF%BC%92.jpg
昼下がりのリオ・マジョーレ駅。次の列車まで1時間待ち

101001_20%20%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%97%E5%B9%B4%E3%81%AB%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%81%97%E3%81%9FRio%20Maggiore%20a.jpg
1987年、リオ・マジョーレを初めて訪れた時の写真

2010年07月05日

リグリアのワイナリー、VisAmoris訪問記

■リグリア・ワインの代名詞、ピガート

 今年の4月上旬、久々にコート・ダジュールを旅してからイタリア入りした。その最初に訪れたのがフランス国境を越えてすぐのインペリアにあるワイナリーヴィサモリス(VisAmoris)である。フランスと国境を接するイタリアの町、ヴェンティミリアから1時間足らずでインペリアに到着したが、そこからワイナリーにたどり着く道が分かりにくく我ら一行を乗せた小型バスのドライバーもワイナリーからの出迎えでようやく目的の場所に到着。ここで造っているのはピガートと言うリグリア特産の白葡萄のワインである。ピガート種はこのインペリア近郊のアルベンガという土地に十数世紀前から既に存在していた固有種で、古いリグリア方言で染みや斑点を“ピガ”というそうで、葡萄が熟成すると実の表面に褐色の斑点が現れることから“ピガート”と名付けられたのだ。

100705_1.jpg
コート・ダジュールのイタリアに最も近い町、マントン。

100705_2%20%283%29.jpg
国境を越えると風景も似て非なる雰囲気を感じる。

100705_3%20%283%29.jpg
国境の町、ヴェンティミリアの道路標識。

100705_4%20%283%29.jpg
ヴィサモリスの葡萄畑からインペリアを遠望。

100705_5%20%283%29.jpg
100705_6%20%283%29.jpg
100705_8%20%285%29.jpg
100705_9%20%283%29.jpg
リグリアの葡萄畑は地中海に面して陽光には恵まれるが急斜面での農作業はとてもハードだ。

■美味しいワインは“愛の力”から生まれる

 ヴィサモリスのオーナー、ロベルトとロッサーナの夫婦がここでワイン造りを始めたのは2004年で、“Dome(ワイナリーがある土地の名前から取った)”というステンレスタンクのみで8ヶ月熟成させて仕上げられた白ワインとステンレスタンクで熟成させた後、更にオークの小樽で6ヶ月熟成させた“Sogno(夢)”の2種類の白ワインの他、リグリア特産のオリーブ、タジャスカ種100%のオイルも生産している。イタリアではある程度事業などに成功したりするとワイナリー経営をしてみたいという夢や計画を抱く人が少なくないようだが、それを成功させるには相当な覚悟と情熱がいる。また、白ワインの醸造にはコンピューターで温度管理されたステンレスタンクなど先行の設備投資も赤ワイン以上という。もちろん、まず肝心なのは良い葡萄畑を手に入れることだが、ロベルトはこの土地を代々持っていたがちょうどタイミング良く農夫の現役を退いたマリオさんから譲り受けた。また、オリーブ栽培についてはやはり土地っ子のジーノというパートナーにも出会えた。そして何よりもロベルトの、というより夫婦ふたりの夢を実現するために、いつも一緒に仕事をしてくれるロッサーナという妻の愛、その夫婦の愛と夢が困難な土地での厳しい仕事を楽しいものにさせている。ちなみに、VisAmorisというのはラテン語の“愛の力“という意味だそうで、ワイナリーのロゴマークにもハートと組み合わせてデザインされている。

100705_7%20%284%29.jpg
“ヴィサモリス、愛の力“という名前に相応しい熱々の夫婦

100705_10%20%283%29.jpg
まだ高校生の次男のピエロ君はニューヨークに行くことを夢に見ている。できればアメリカに留学したいそうだ。その手にしているのは野生のアスパラガス。

100705_11%20%283%29.jpg
イタリアでは春になると野生のアスパラガスがあちこちに生えてくるが、ことに葡萄畑やオリーブ畑ではしばしば見つける。それを茹でてオリーブオイルだけで食す。

100705_12%20%283%29.jpg
ヴィサモリスが生産している2種類の白ワイン。日本にはAvico(www.avico.jp)が輸入している。地中海に面した土地柄ゆえ、魚介料理にはぴったりのワイン。蒸し暑い日本の気候で、夏ばて美味の身体にはこのピガートで夏牡蠣やヒラメのカルパッチョ、あるいはアクア・パッツァなどを味わってはどうだろう。

■延々5時間、長い昼食

 ヴィサモリスを訪ねたのは私が企画したツアーに参加した総勢14名。コート・ダジュールからしばしば道路工事などで渋滞があったり、前述したようにインペリアに着いてからも道に迷ったりで到着予定時間を2時間も過ぎてしまった。これはさぞや迷惑を掛けてしまったなと不安を抱えながらワイナリーに入ったのだが、出迎えたロベルトとロッサーナのふたりの笑顔でそんな心配はいつの間にか消えて、早速、冷えた白ワインを味わっていた。家の周囲は緩やかな斜面が囲み、オリーブ林や葡萄畑が見える。庭には大きな素焼きの壷が置いてあり、それを見てすぐにその上にボトルとワイングラスを置いて撮りたいとイメージが湧いた。

 皆さん、食事の準備が出来ましたよと家の中に招かれると長細く大きなテーブルには真っ赤なクロスが敷かれ、鰯のマリネや干した鱈を水で戻して柔らかく調理してからマッシュポテトと合せるリグリア風のバッカラやボリジというコバルト・ブルーの美しい花のサラダやテーブル・クロスの赤にも負けない真っ赤に熟したトマトのスライスなどが並んでいた。圧巻はロベルトが自ら腕を奮って作った魚介のパスタ。スカンピやムール貝、アサリ、トゥリッリャなどをじっくりと煮込んだ濃厚なスープにトマトを加えて仕上げたソースのリングイネは何度もお変わりを頂いた。

13%20%283%29.jpg
これほど大人数を招いた食卓はワイナリー始まって以来だとロベルトもロッサーナも大喜びだったそうだ。人をもてなす喜びをまた喜ぶのがイタリア人。

100705_14.jpg
魚介のスープを作るロベルト。イタリア男は料理の腕前もなくてはモテない。

100705_15.jpg
目の前は地中海という恵まれた土地だからこそ生まれた魚介料理の典型。

100705_16.jpg
出来上がった魚介のパスタの大きな鍋を嬉しそうに披露するロベルト。その右にいるのがオリーブ農園を運営するパートナーのジーノ。

100705_17.jpg
鰯のマリネ、鰯の新鮮さが命だが、こんなに新鮮で美味しいマリネは初めてだ。そこに使われた自社製のオリーブオイルだからこそ出せる味わいだ。

100705_18.jpg
リグリア風バッカラ。干し鱈はヨーロッパではどこでも食べるが、調理方法は地方ごとに異なる。ヴェネツィアのバッカラ・マンテカートはオリーブオイルでペースト状に仕上げたものだが、リグリア風はジャガイモが一緒になっている。これもまた大変美味。

100705_19.jpg
その形から“牛の心臓”と呼ばれる大きなトマトとボリジの花。

100705_20.jpg
美しいブルーの花、ボリジ。古代ギリシア人やローマ時代から健胃効果のある薬草としても利用されていると知ってはいたが、サラダで食べたのは初めて。小さな固い毛のようなものが生えていて口に入れると少しチクチクする感じだが、慣れると後を引く。

100705_21.jpg
小麦粉と蜂蜜にオリーブオイルで焼き上げたお菓子。リグリアの伝統的な保存食だそうだ。

■急斜面の葡萄畑を散策して消化促進

 ゆっくりと2時間あまり昼食と歓談の後、ロベルトが「さあ、葡萄畑を見に行こう」と声を掛ける。庭先からロベルトが指差す方を見上げると葡萄畑とオリーブの林の上にはまだ充分に明るい太陽と青空が広がっているのだが、その急な斜面に一瞬、皆、ここを登るのぉ・・・と怖気づく。しかし、地中海から吹き上がる風を感じながら斜面をゆっくり登り始めると、誰もがその心地よさに笑顔となり、たくさん食べたからバスに乗って移動する前にはこのくらいの運動はちょうどよいと楽しんだ。こういうところには必ず野生のアスパラガスが生えているはずだと私が言うと、一緒に着いて来たロベルトの次男のピエロがすかさずオリーブの木の根元などから数本の野生のアスパラガスを取ってきてくれた。

 ロベルトが開墾したばかりの畑を示しながら「こんなに大きな石がごろごろしているから、本当に仕事はきついよ。しかし、かつては海の底だった土地だから、ミネラルはたっぷりだし、丁寧に葡萄を育てれれば良質のワインになることは確信できる。だからこそがんばれるんだね。」と笑った。小1時間ばかり葡萄畑やオリーブの木立の間を歩き回ってから、また車に乗って醸造所に移動し、まだステンレスタンクの中の2009年のワインを味わった。田園を散策した後のこの1杯もまた歓喜の味わいだ。

100705_22.jpg
昼食の後、時刻は既に午後5時近くになっていたが4月上旬の空はまだまだ明るく、オリーブの林の上には青空が広がっている。

100705_23.jpg
ロベルトがステンレスタンクから“Dame”をグラスに注いでくれる。

100705_26.jpg
葡萄畑の中にぽつんと目立つ松の木。まだまだ若いがワイナリーの成長と伴にこの松も大木になるに違いない。

100705_27.jpg
日が沈み始めた頃、インペリアからサンタ・マルゲリータ・リグレに向かった。その途中のアウトストラーダはほとんどが長いトンネルだ。それだけリグリアの海岸線はリアス式に入り組んでいる。

100705_28.jpg
ヴィサモリスと訪ねたあと、リグリアの代表的な観光地のひとつサンタ・マルゲリータ・リグレで朝を迎えた。

■ヴェローナのワイン博、ヴィニタリーで再会

 ロベルトとロッサーナの二人にはリグリアの旅の数日後、ヴェローナで毎年開催されるイタリア最大のワイン博覧会ヴィニタリー(VinItaly)で再会した。日本の輸入元であるアビコの社長夫妻と一緒に夕食に招かれ、再会と美味しい夕食を楽しんだ。ワイナリーでは撮影するのを忘れてしまったオリーブオイルのボトルをその時に撮影できたのだが、残念ながらこのオイルは他の高級オイルに比べても3割ばかり高値なのでまだ日本には輸入されていない。しかし、ユーロもだいぶ下がってきたから今年の分から少量でも輸入されると期待したい。

100705_29.jpg
ヴェローナのヴィニタリー会場、リグリア・ブースで再会したロッサーナとロベルト、そして友人のエノロゴ(醸造技師)。

100705_30.jpg
これがVisAmorisのオリーブ・オイル(250ml瓶)。タジャスカ種は最も繊細でエレガントな味わいと言われるオリーブだが、ヴィサモリスのオイルはまさに果実のような柔らかで優しい甘さを感じるオイルだ。

IMG_3432.jpg
ヴェローナのレストランで再会したロベルトとロッサーナ夫妻。

100705_32.jpg

2010年02月12日

ヴェネツィアのカルネヴァーレ!

1_100212PH.jpg
冬の霧に包まれたカナル・グランデとヴェネツィアの町。サン・ジョルジョ・マジョーレ教会の鐘楼から

2_100212PH.jpg
リアルト橋にもカルネヴァーレの飾り

7_100212PH.jpg
サン・ジョルジョ・マジョーレ教会のある島を背景にポーズをとる、バウッダ(ドミノ仮面)の仮面の男

今、ヴェネツィアではカルネヴァーレ(「謝肉祭」)の真っ最中。サン・マルコ広場を中心に思い思いの仮装をした人たちが現れます。中世やルネッサンス風の豪華なドレスがやっぱり歴史的な街並みにはよく似合いますね。今年は今月10日から16日までがカルネヴァーレ期間ですが、ヴェネツィアではクリスマスを過ぎたあたりからもうカルネヴァーレ気分で、街中の飾りもカルネヴァーレの雰囲気です。また、お土産店や仮面の専門店では年中、仮面(マスケラ)を売っていますから、真夏でも観光客がカルネヴァーレの仮面姿で歩いていたりします。


3_100212PH.jpg
4_100212PH.jpg
5_100212PH.jpg
様々な仮面の下は、時には男性だったりすることも


カルネヴァーレに仮装して舞踏会に出るという風習はヴェネツィアが発祥だそうで、15世紀頃から始まりフランスやドイツなどヨーロッパ各地に広がりました。「謝肉祭」とか「仮装舞踏会」というタイトルの楽曲も多く作られています。ムード音楽のオーケストラで知られるマントヴァーニ楽団のアルバムに「ベニスの謝肉祭」というのがありましたが、その原曲がショパンが作曲した「ベニスの舟歌」でした。ショパンはイタリアに行ったことがなく、ずっと憧れを持っていたそうですが、この曲もそんな想いで作られたのですね。

オペラの巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディも「仮面舞踏会」という作品を創っていますが、これは18世紀の終わりにスウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会に紛れ込んだ暗殺者に撃たれて死んだ事件をもとにしています。

6_100212PH.jpg
貴族制が廃止されてもコンテ、コンテッサなど称号は残るイタリアで、ヴェネツィアの貴族たちもカルネヴァーレはかつてのファミリーの栄光を楽しめるお祭だ

13_100212PH.jpg
ドゥカーレ宮殿の窓に登場した人たちはヴェネツィアの栄華な時代を思い起こさせる

8_100212PH.jpg
カルネヴァーレの衣装などを作っている店のオーナーが自らショーウィンドーの中に入って、道行く人を楽しませている

12_100212PH.jpg
ヴェネツィアで有名な仮面工房トラジ・コミカ(www.tragicomica.it)

9_100212PH.jpg
鏡の中のカップル

10_100212PH.jpg
道化師の衣装を着た可愛い赤ちゃんに周囲が注目


ヴェネツィアで仮面が流行したのは平民も貴族も身分を隠して自由に楽しめるからだそうですが、そのことで風紀や治安が乱れることにもなったようで、外国では禁止令を出したこともあります。ヴェネツィアでもペストが流行した18世紀から長く控えめになったり、世界大戦の影響で20世紀に入っても今ほど派手には楽しまれなかったようですが、イタリア経済が復興し、また観光立国として世界中から人々が訪れるようになると、ヴェネツィアでもより観光客を呼び寄せるプロジェクトとしてカルネヴァーレの期間中に様々なイベントが企画されたり、毎年異なるテーマ性を持ったお祭に変化し、年々、盛大になってきました。

今年はチョコレートを楽しむこともテーマのひとつのようで、プログラムを見るとカフェや舞踏会でチョコレートを使った様々なメニューが宣伝されています。また、いくつかの歴史的な館の中ではドレス・コードはカルネヴァーレ衣装ということで、舞踏会も開催されていますが、あの世紀のプレイボーイと呼ばれたカサノバをテーマにしたような仮装舞踏会もありちょっと怪しげです。カルネヴァーレが一番盛り上がるのは、やはり週末で今日から3日間は舞踏会やコンサートなど様々なイベントが開催されています。

14_100212PH.jpg
昨年の12月上旬に出会ったグループ。結婚目前の友人を祝福する独身最後のドンチャン騒ぎでもカルネヴァーレの仮面を被っている

15_100212PH.jpg
サント・ステファノ広場にあるちょっと変わったブティック

2010年01月26日

あれから15年、忘れえぬトスカーナの日々

A.jpg
「トスカーナの青い空」の取材がきっかけで知り合ったアレ。最近は世界各地の旅を楽しんでいるらしい。相変わらず働く必要のない優雅な日々を送っている。昨年の暮れにもインドからクリスマスメールが届いた。

B.jpg
かつてアレのファミリーが所有していた館の屋上から見た夜のドゥオーモ。


2010年になって半月以上が過ぎてしまった。昨年末のピエモンテ~ヴェネツィアのツアーの後、年末年始も多忙な日々が続き、イタリア紀行のブログ更新がだいぶ遅れてしまった。1月17日は朝からテレビではどの局も15年前の関西の大地震の追悼番組を繰り返していた。それは僕にとっても忘れえぬ過去であり、同時に大事な思い出の年でもあった。

初めてイタリアの大地を踏んで18年目にして、最初の著書「トスカーナの青い空」を出版した年で、1月から6月にかけてイタリアを往復した、その間にはフィレンツェに部屋を借りて住んだ。1月17日、まさにイタリアに出発した日に神戸の地震は起きていた。更にその年の3月20日にはオーム真理教による地下鉄サリン事件も起こった。帰国して、「トスカーナの青い空」の原稿を書きつつも、この2つの大きな出来事は現在進行形となり身近な関心ごとであり、その数年後、「住宅建築」という雑誌の取材で神戸を訪れたときにも大きな傷跡の残る街並みを見た。世界に眼を向けるとボスニアの紛争も激しさを増すばかりであったし、中東、中近東も未来の不穏な気配を孕んでいた。

C.jpg
アルノ川の堰で日光浴をする人々。1995年は初夏まで天候不順で長雨が続いたが、初夏になると素晴らしい晴天が秋まで続き、この年のワインの出来も上々だった。

D.jpg
フィレンツェに住んでいた頃、毎日のように行ってワインを楽しんだ店のひとつ、ヴェッラッツァーノのワイン・バー

大げさな言い方かもしれないが、日本も世界もそんな激動の時代にありながら、僕はトスカーナでタイムスリップしたように中世からルネッサンス時代の余韻の中を漂っていたのだ。ロベルト・ベニーニとマッシモ・トロージが共演した映画「もう泣くっきゃない(Non ci rest che piangere)」みたいな体験だった。しかし、そのお陰で、この本がその後の生き方の方向付けにもなったのだ。あれから15年、出版界にも写真の世界にも大きな変化があり、時代は新たな方向に向かっている。不易流行、進歩と発展は否定せず、むしろ積極的に受け入れ、しかし、初心忘るべからず、そんな気持ちを込めて今は絶版となった「トスカーナの青い空」のあとがきを読み直し、2010年のスタートしたい。読者の皆さん、今年もご愛読のほどよろしくお願いします。


E.jpg
F.jpg
1995年5月上旬に撮影したコル・ドルチャの糸杉とその12年後の2007年6月上旬に撮影した同じ糸杉。


『「トスカーナの青い空」
1995年の夏に出版した本の《あとがき》

今年の一月にイタリアへ発った日は、神戸の大震災の翌日だった。ローマのホテルでテレビ報道を見ながら、日毎に増大していく被害の大きさを知って驚愕し、胸が痛んだ。見知らぬイタリア人からも日本人と分かると「あなたの町は大丈夫か」と心配してくれるのだった。この本の取材のために四月から六月にかけてイタリアを旅していたときには、ある宗教集団が前代未聞の事件を起こし、日々露呈する組織の全貌に呆れるほどであったが、それで日本人の私が白い目で見られるようなことは一度もなかった。宗教が時には暴走するものであることを、歴史の中で繰り返し体験していたからかも知れない。それよりもアドリア海の対岸のボスニア紛争の方がよっぽど深刻な問題だった。

私が部屋を借りた家の大家さんは、スロヴェニア生まれのイタリア人だったし、アリナーリ画伯の家へ案内してくれたアイーダもボスニアのヴァニャルーカ出身だった。二章にも書いたマケドニアのミルチなど、私はイタリア滞在中に何人もの旧ユーゴスラビア出身者と出会った。イタリアにとってこの国のことは隣の県のように身近なものなのである。第二次世界大戦が終決して五十年が過ぎたが、太平洋戦争だけが戦場ではなかった。それどころか日本はイタリア、ドイツと同盟まで結んでいたのだ。日米だけでは捉えられない世界史をもっと知りたいと思った。特にこの三つの国の戦後の在り方を。 歴史の本を繙けば、人間とは戦争をするために存在するのだろうか、と思うほどに争いを繰り返している。諍いごとのない日常がいいに決まっている。人間は歴史にいったい何を学んできたのだろうか。旅の間ずっとそんなことを考えながら歩いていて、それだからこそ出会う人々との交感が記憶のなかに強く刻まれた。ことにヴィンチ村の帰りに、バスの中で話し掛けてきた小学生たちの無垢な眼と好奇心いっぱいの質問ぜめにあったとき、すべてはここから始まるのだと実感した。つまりどんな教育をしたらいいのか、一歩誤れば大変恐いことになる。日々の命の尊さを知るこどもならきっとよい子に育つだろう、あのピノッキオのように。

住んでみなければ解らないことがあり、住み慣れて見え難くなることもある。初めてイタリアを訪れてからの十八年の歳月を、片時もこの国のことを忘れず旅を重ねてきたことで、そのどちらでもない眼を持つことになった。多くのイタリアの友人との出会い、またともにイタリアを愛する日本の、そして外国の友人との交友がなければ、この本は生まれなかったであろう。文中に登場した友人の他にも挙げきれない方々のお世話になってきた。はじめは誰でも未知から出発している。未知(道)に迷う楽しさと思いがけぬ出会いの喜びを知れば、イタリアの旅はもっと面白くなる。そんなさまざまな出会いが物語になればいいと夢を見ていた。

                  一九九五年、八月の光の中で、篠 利幸」』
Davide.jpg

2009年06月26日

北イタリア、ピエモンテを行く ポー川の流れる街、トリノ

090626_01.JPG
ラ・モーレからポー川河岸を望むパノラマ

世界の名だたる大都市は川とともに生きている。パリにはセーヌ、ロンドンにはテムズ川が流れるように、イタリアの都市、ローマにはテヴェレ川が流れ、フィレンツェにはアルノ川が流れる。そしてトリノにはポー川とドーラ川が流れている。ラ・モーレの上から東の方に目をやると左手にスペルガの丘が見え、その下を緑の木々が茂り北から南へと伸びている。その並木の中に丸いドームの建物が見えるが、それはグラン・マードレ・ディ・ディオ(Gran Madre di Dio)教会で、ナポレオンが失脚した後、サヴォイア家の復権を記念して建設された19世紀初頭の建築でローマのパンテオン神殿をモデルとしている。その教会の前にはヴィットリオ・エマヌエーレ1世橋があり、トリノ市内のマダマ宮殿からここまで一直線にポー通りが走っている。

090626_02ViaPo.JPG
路面電車、トラムが走るポー通り

090626_03IMGP0967.JPG
ポルティコと呼ばれるアーチが連なるアーケードの歩道は雨の日には傘要らずだ

090626_04.JPG
大学も近いので若者も多い

ポー通りは川に向って緩やかな下り坂になっており、トラム(路面電車)も走る車道の両側はポルティコ(アーケード)の歩道がポー川に沿ったヴィットリオ・ヴェネト広場まで続いている。この通り沿いには有名なカフェやショッピングが楽しいブティック、書店などがあり、また大学もあるため若者たちも多い。夜になるとけっこう遅くまで散歩を楽しむ恋人たちや若者たち、家族づれなど人通りも多く賑やかだ。

090626_05ViaPo.jpg
090626_06ViaPo.jpg
土日は特に夜になっても散策する人が多いポー通り


ポー川の岸辺を上流に向って歩くと中世風の城が見えてくる。1884年の万博の時に中世の城のスタイルを模して建てられたもので、現在は手漉き紙の工房や中世にちなんだ土産物などを売る店が並び、フレスコ画で飾られた教会もあり、時々、結婚式が行われたりするそうだ。

090626_12.JPG
"中世村“(Borgo Medievale)の城門

090626_13BorgoMedievale.JPG
レンガの壁には昔風の壁画が描かれ、タイムスリップした感じだ

090626_14BorgoMedievale.JPG
教会の壁にも色鮮やかに壁画が描かれている


その中世村の手前にはイドロヴォランテ(飛行艇)という名前のレストランがあり、ポー川の上にテラス席を設けているので、暖かな春から秋にかけて、ポー川の眺めを楽しみながらピエモンテ料理を味わえる。訪ねた時間がランチタイムが終わった時で、客もいないテラスの屋根に鴨が川から上がって来て、乗ったり下りたりして遊んでいた。店内の壁は1メートルほどの高さまでポルトガル製のタイルが張り巡らされているが、上流で大雨が降ったりするとポー川の水かさが増してその高さまで冠水するのでタイル貼りにしたそうだ。

少し下流にはヴァレンティーノ城というフランスの城を模した17世紀中庸の城があり、この辺り一帯はヴァレンティーノ公園と呼ばれトリノ市民の憩いの場所である。ローマやミラノにも広々とした緑の茂る公園は少なくないのだが、やはりトリノはフランス文化の影響が色濃いせいか、セーヌ河畔の公園のような雰囲気がある。

090626_07Entrata.JPG
レストラン、イドロヴォランテの入り口

090626_08LIDOROVOLNTE.JPG
イドロヴォランテのテラスからポー川の眺め

090626_09LIDROVOLANTE.JPG
イドロヴォランテのテラス

090626_10.JPG
テラスの屋根に遊びに来る鴨

090626_11lidorovolante.jpg
ポルトガル製のタイルで飾られたイドロヴォランテの店内

090626_15.JPG
1884年の万博の時に建てられた中世風の城

090626_16.JPG
ヴァレンティーノ公園は市民の憩いの場所

090626_17.JPG
近年になり造られた大噴水

090626_18.JPG
大噴水を囲む彫刻


ポー川を更に遡るとモンカリエーリやニケリーノなど郊外の町があるが、モンカリエーリにはサヴォイア家のレアーレ城があり、ニケリーノの近くには屋根の上に大きな鹿の像を載せたストゥピニージ宮がある。ストゥピニージ宮は1730年にユヴァッラの設計で建てられた建物で、ヴィットリオ・アメデオ2世が狩猟を楽しむために建てた別荘なので、そのシンボルとして大きな角の雄鹿の像を載せているのだ。現在は往時の家具などをそのままに博物館として見学できる。ストゥピニージ宮の裏側へ回ると環状線とポプラの林の彼方にアルプスの山々が連なっている。その中に一際高く三角の頂上を見せているのが標高3,841mのモンヴィーゾ山で、ポー川はこの山の中腹、2,000m辺りに源流があり、アドリア海まで652kmの大河となって北イタリアを横断している。

ストゥピニージ宮とは反対のトリノ市の北西には"狩猟“という意味が語源のヴェナリア宮殿がある。今回の取材ではトリノの最初の晩餐会の前に訪れて見学する予定だったが、急に大統領がトリノを訪問しここに滞在することになったので、見学は出来なかった。またしても、秋の旅行に期待することにした。

トリノを去る最後の夜はカフェやジェラテリアで休みながらライトアップされた夜の街の美しさを楽しんだ。

090626_19PalazzinadiCaccia.JPG
屋根の上に雄鹿のブロンズ像が目立つストゥピニージ宮

090626_20.JPG
ニケリーノから眺めたアルプスの峰々

090626_21.JPG
ポー川の源流を抱くモンヴィーゾ山。アメリカのパラマウント映画社のシンボルマークにもなっている

090626_22.JPG
17世紀にサヴォイア家が狩猟用の別荘にしていたヴェナリア宮

090626_24.jpg
4月25日のイタリア解放記念日のイヴェントで王宮前広場に集まった若者たち

090626_25.jpg
ライトアップされた純白の壁面が夜の闇に浮かび上がる王宮

090626_23.jpg
王宮広場からトリノ市庁舎に続くチッタデッラ通りの夜

2009年06月25日

北イタリア、ピエモンテの旅 トリノで小写真展

サヴォイア家の伝統が息づく街、トリノにはどことなくフランス的な雰囲気がある。そんな佇まいをポルタ・ヌオーヴァ駅から北へ走るラグランジェ通りとアンドレア・ドリア通りが交わる辺りの建物を見て強く感じた。パリのカルティエ・ラタンやサン・ジャック界隈に似ている。ラグランジェ通りの左手にはカルロ・フェリーチェ広場がある。

1%29%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%80%9A%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E9%80%9A%E3%82%8A%E3%81%AE%E4%BA%A4%E5%B7%AE%E7%82%B9%E3%80%81%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AB%E4%BC%BC%E3%81%9F%E9%9B%B0%E5%9B%B2%E6%B0%97%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B.jpg
ラグランジェ通りとアンドレア・ドリア通りが交差する角の建物はまるでパリの街角を彷彿とさせる

2.JPG
ラグランジェ通りの店の入り口で店番をする眠そうな犬

アンドレア・ドリア通りにはカーサ・デル・バローロ(バローロの家、www.casadelbarolo.com)と言う名前のエノテカがある。バローロと言えばイタリアが世界に誇る銘ワインだが、この店にはバローロばかりでなくピエモンテ各地のワインは当然、その他トスカーナからシチリアなどイタリア中のワインがある。店の1階には乾燥パスタやバルサミコ酢、蜂蜜とワインなどがあり、地下に降りていくと、ワイン好きなら思わずにんまりするような光景、四方の壁の棚にはイタリア各地のワインが並んでいる。

3%29Damiano.JPG
ワインについて熱く語るカーサ・デル・バローロのダミアーノさん

4.JPG
カーサ・デル・バローロの1階には白ワインや乾燥パスタ、バルサミコ酢、蜂蜜なども販売している

白ワインは1階で、地下には赤ワインがメインである。棚を隈なく見ているとカンパニア州、ソレント半島はアマルフィ海岸の銘酒を見つけた。マリーサ・クオーモ(Marisa Cuomo)という造り手のワインで、プライスを見ると36ユーロ。バローロと肩を並べる価格であるが、それだけの価値はあるワイン。ピエディ・ロッソ種とアリアニコ種を半々にブレンドして仕上げた高級赤ワインだ。

その棚から足元に目を移すと大きなボトルが置いてある。通常のワインの6本分はあるだろう、トリプル・マグナムのボトル。ワインはこれもまたピエモンテの名門、ジャコモ・コンテルノのバローロでヴィンテージは1961年だ。ワインの楽しさのひとつにはこのオールド・ヴィンテージを味わいつつ、時代の流れ、歴史の記憶に思いを馳せるところだ。これまでにも1960年代のワインを何度か飲んだことがあるが、通常はそう長熟ではないと言われていた昔のキャンティでさえも美味しかったし、このバローロも期待を裏切らないはずだ。

5%29%20Casa%20del%20Barolo-Via%20A.Doria%2C%207%2C%20Torino%20www.casadelbarolo.com.JPG
四方の壁の棚にイタリア全土のワインが並ぶ地下のカンティーナ

6%29%20Costa%20Amalfi%20Furore%20di%20Marisa%20Cuomo.JPG
南イタリア、ソレント半島の名門マリーサ・クオーモの“FURORE”

7%29Giacomo%20Conterno%201961.JPG
ピエモンテを代表するバローロの生産者、ジャコモ・コンテルノのオールド・ヴィンテージ“Vino Monfortino 1961 Riserva”の大瓶

店の案内をしてくれたダミアーノさんもワインについて語りだすと泉の水が迸るように話が途切れない。こちらも好きだから一日中でも彼と話したいところであったが、今回は取材は短期集中であるが故に、続きはまた秋にでも再会したときにと挨拶をして出た。

8.JPG
オーガニックの素材から健康的且つ、味わい豊かな料理が楽しめるリストランテ“DIVIZIA”

9.JPG
10.JPG
“DIVIZIA”で日本の自然と伝統とテーマに写真展を開催

今回の旅ではちょうど取材期間に重なって2ヶ所で写真展を開催することになっていた。そのひとつがこのラグランジェ通り界隈から北へ数分歩いたところにあるサン・トンマーゾ通りにある”DIVIZIA”(http://www.divizia.it)というオーガニック農産物を使ったレストランで、カネッリにあるアグリトゥリズモ・ルペストル”Rupestr”(http://www.rupestr.it)のオーナー、ジョルジ・チリオのプロデュースだった。この店で食事もしたかったのだが、やはりそんな余裕はなく、ジェラートを味わってみたのだが、天然素材の味わいがそのまま凝縮されたもので、これまでに食べてきたジェラートの中では一番美味しく感じた。ここでの食事もまた秋の旅行で再訪したときのためにキープしておこう。

さて、その秋の旅行だが、詳しくはこのURL:http://www.delsole.st/travel_italy/toshitour_0910.pdf で詳しく案内されている。今回のピエモンテ取材とこれまでに重ねてきたピエモンテ取材で訪ねた町やアグリトゥリズモを体験したりワイナリーなどで美食と芸術と歴史を探訪するテーマで、後半は我が町ヴェネツィアもたっぷり満喫する。

2009年02月05日

冬のヴェネツィア、早朝の出立

昨年の暮、ヴェネツィアからマルケ州のヌマーナへ向いました。到着地でワイナリーの友人と出会う約束が正午だったので、ヴェネツィアを出発する列車は午前7時過ぎ。荷物が多いので定宿にしている家を6時に出てリアルトからヴァポレット(水上バス)に乗りました。外へ出ると辺りは一面霧に包まれていました。気温は4度か5度、手袋をしていても指先が冷たくなります。人影のない路地を抜けてリアルトの船着場に着くと、そこにも人は誰もいませんでした。しばらくするとボートが近づいてきて船着場に寄せると、新聞と雑誌を積み下ろし、近くの売店に運び、また立ち去って行きました。

ヴァポレットが鉄道駅の方からやってきたので、駅に向うヴァポレットの乗り場はここでいいのかと訪ねると、ここかもうひとつ先の橋のところが早く来るが、駅に着くのはどちらも同じ時間だといいます。船着場で立っていても寒いだけなので、運動がてらまた荷物を引きながら橋を越えて別の船着場に移動。ところが、後に来ると言われた前の船着場へ先にヴァポレットが到着しました。思わずイタリア人のように両手を広げ、マンマミア!ついでにケ・パッレ!とローマ弁も。しかし、僕が乗ったヴァポレットも着くのは同じだからと自分を納得させました。

1%20%283%29.JPG

2%20%282%29.JPG

そろそろヴァポレットが到着するかという頃合いになった時、50代の夫婦がやって来ました。奥さんのほうは毛皮のコートを着て、いかにもヴェネツィア婦人。こんな早朝からどこへ出かけるのでしょうか、やはり列車に乗り遠方へ向うか、それにしても荷物はほとんどないようで、別の町へ仕事に出るのかもしれません。年齢の行った夫婦の割には奥さんが亭主にぴったりと着いて仲はとてもよさそう。あるいはただ寒いからだけなのでしょうか。ヴァポレットがゆっくりとリアルト橋を潜り抜けて行きます。

「大運河」、そういうタイトルと映画があったそうですが、この間、その映画のサウンド・トラックのCDを中古店で見つけて買いました。タイトルは「黄昏のヴェネツィア」。そのタイトルに引かれて買ってみたのですが、モダン・ジャズ・カルテットの演奏で、久々にミルト・ジャクソンのヴィヴラホーンの音を聞きました。案外に、たそがれではなく、この早朝の薄暗い光のヴェネツィアにも合いそうな曲です。ちなみに、「大運河」はフランスのロジェ・バディム監督のアクション映画。ヴェネツィアとこのMJQの音楽で話題になった作品だから、見ても損はないでしょうね。

3%20%283%29.JPG


4%20%282%29.JPG

ヴァポレットのデッキに立って岸を見ると、ファッブリカ・ヌオーヴァの広いフォンダメンタに若い男の影が街灯に浮かび上がっています。やはり仕事に出る迎えのボートでもっているのでしょうか。手持ち無沙汰そうに運河を覗き込んだりしてぶらぶらしています。警笛の音がして、霧の中から別のヴァポレットが現れました。15年ばかり前、霧がものすごく深い日にカンナレッジョのあまり広くはない運河で、ヴァポレットとヴァポレットの距離が1mもないほどに接近してすれ違うのを体験しました。

5.JPG

やがてサンタ・ルチア駅に着き、出発まで30分も早いのですが番線まで行くとありがたいことに乗る予定の列車は既に入っていて、早々に乗り込むことが出来ました。ただ、コンパートメントの中はまだ暖房を入れてないので、外より少しましな温かさ。ポケットに入れていたミネラル・ウォーターを一口飲んで、眼を閉じ、列車が走り出すのを待ちました。乗ってくる人もほとんどなく、やがて列車は静かに走りだし、車内放送が、メストレ・ヴェネツィア、パードヴァ、ロヴィーゴ、フェッラーラと停車駅を挙げていきます。いつのまにか入っていた暖房で窓ガラスが曇り、あまり外は良く見えませんが、まだ暗いラグーナ(潟)の上に架かるリベルタ橋を列車は滑り出して行きました。
MJQ%E3%80%8C%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%80%8D%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E5%A4%A7%E9%81%8B%E6%B2%B3%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%80%81%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E7%B5%B5%E3%81%AF%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81.JPG
「大運河」のサントラ、ジャケットの絵は英国の画家ターナーの作品

%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%8C%E5%A4%A7%E9%81%8B%E6%B2%B3%E3%80%8D%E4%B8%BB%E6%BC%94%E5%A5%B3%E5%84%AA%EF%BC%9A%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%96%E5%B9%B4%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%90%88%E4%BD%9C.JPG
ロジェ・ヴァディム監督「大運河」主演女優:フランソワーズ・アルヌール 1956年フランス、イタリア合作


2009年01月06日

忘れえぬ日の出の思い出

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。皆様は新年の朝をどこで迎えましたか?海外で向かえた方も多いと思いますが、僕はいつも日本で迎えています。今年は鎌倉で初日の出を見ました。日の出の時刻は6時50分頃、鎌倉の由比ガ浜に着くとすでに大勢の人たちが砂浜を埋め尽くしていました。昨年は何かと厳しい社会状況でしたから、やはり、新年、元日に初日の出を見ることで特別な思いを込めて新年をスタートさせたいという人たちが例年以上に多かったようです。

%EF%BC%91%EF%BC%89%EF%BC%A2%EF%BD%95%EF%BD%8F%EF%BD%8E%E3%80%80%EF%BC%A1%EF%BD%8E%EF%BD%8E%EF%BD%8F%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%99.jpg
Buon Anno 2009

新年にかかわらず旅先で朝日を見ると、その日の晴天を約束されたようで嬉しくなります。僕はたいがい窓のカーテンは開けたまま眠ります。東京にいると真夜中でも外が明るかったりしますが、イタリアではローマやミラノでもほとんど真っ暗になりますから、窓のカーテンを開けて、夜明けの太陽の光が窓から差し込んでくる明るさで目覚めることにしています。前日、かなりワインを飲んで遅く寝ても、朝の光、鳥の囀りで目覚めると気持ちが良いものです。
昨年の暮れに近い11月末に1週間ほどシチリアを旅して来ましたが、タオルミーナのエクセルシオール・ホテルの海を臨む窓から眺めた夜明けの様子は忘れられません。この旅では途中、メンフィという町の郊外にあるアグリトゥリズモに宿泊しましたが、その時に見た朝日は重く立ち込めた上空の雲の彼方から、あたかもギリシアのアポロンの馬車が放つ輝きのように日が昇り、草原を照らして行きました。

%EF%BC%92%EF%BC%89%E3%82%BF%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91.JPG
タオルミーナの夜明け

%EF%BC%93%EF%BC%89%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%92%E6%9F%93%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%8A%E5%B1%B1.JPG
朝日に染まるエトナ山

%EF%BC%94%29%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D.JPG
メンフィの朝

南イタリアで体験した日の出で忘れられないのは4年前にナポリからソレント半島を巡った時、アマルフィに滞在した時の朝日です。また、昨年の4月にバジリカータのマテーラに宿泊した時にもちょうど日の出が見える部屋でしたので、マテーラの町を一望しながら、まだ星や三日月がはっきりと見える暗い内から日の出を楽しみにしていました。ただ、あまりにも晴天で雲ひとつ無いと、太陽が地平から現れたとたんに明るすぎて、写真としてはあまり面白いものにはなりませんね。人生にも多少の陰りがあったほうが、喜怒哀楽を体験できるように、朝日もまた雲のありようで様々な変化を楽しめます。

%EF%BC%95%EF%BC%89%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91.JPG
アマルフィの夜明け

%EF%BC%96%29%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E6%97%A5.JPG
アマルフィの朝日

%EF%BC%97%29%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%9F%93%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E6%B5%B7%E5%B2%B8.JPG
朝日に染まるアマルフィ海岸

%EF%BC%98%29%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91.JPG
マテーラの夜明け

もっとも感動したのが10年以上も前に北イタリアのマジョーレ湖から旅を始めた時の日の出ですが、朝の5時に窓の明るさで目覚めた時、対岸の山の稜線がうっすらと赤みを帯びていたので、そのまま起きてカメラを用意して眺めていると、あれよあれよと思ううちに空一面が真っ赤な朝焼けとなり、それがまた湖面に反射して、それは息を呑むほどでした。光は紅、紫、黄金と様々な色彩の変化を見せながら太陽が昇りきるまでの一時間あまり素晴らしい光のドラマを見せてくれました。

%EF%BC%99%EF%BC%89%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E6%B9%96%E3%81%AE%E6%9C%9D%E7%84%BC%E3%81%91%E3%80%80%EF%BC%91.jpg
マジョーレ湖の朝焼け 1

%EF%BC%91%EF%BC%90%29%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E6%B9%96%E3%81%AE%E6%9C%9D%E7%84%BC%E3%81%91%E3%80%80%EF%BC%92.jpg
マジョーレ湖の朝焼け 2

%EF%BC%91%EF%BC%91%29%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E6%B9%96%E3%81%AE%E6%9C%9D%E7%84%BC%E3%81%91%E3%80%80%EF%BC%93.jpg
マジョーレ湖の朝焼け 3

そして、イタリアで一番多く見て来たのはヴェネツィアのサン・マルコから大運河を望みつつ上る朝日です。四季折々、日の昇る位置や時間を変えながらも、対岸に浮かぶサン・ジョルジョ・マジョーレや日が昇る方向にあるジャルディーノの木々が闇の中から徐々に浮かび上がり、そしてサン・マルコ広場に差し込んでくる朝日の中に浮かび上がるドゥカーレ宮殿の列柱や聖テオドロと翼のあるライオンを載せた2本の柱のシルエット、やがて小広場の石畳をオレンジ色に染めながら、まさにオリエントから届けられた至上の宝物のような輝きで太陽が現れます。東洋と西欧の文化を結ぶ担い手となったヴェネツィアらしい夜明けのシーンは何度見ても飽きることはありません。ことに今頃、冬の季節に霧が立ち込めた朝などはより幻想的な雰囲気を醸し出します。

%EF%BC%91%EF%BC%92%29%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E.jpg
ヴェネツィアの夜明

%EF%BC%91%EF%BC%93%29%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%9C%9D%E6%97%A5.jpg
ヴェネツィアの朝日

かつてヘミングウェイの作品を読んでいたときに「太陽は陽に向かって歩む者の前にのみ昇る」という言葉ありました。どんな厳しい状況や時代であっても、太陽に向かって歩む気持ちを忘れないでいたいですね。

では、皆さん、今年もよろしくお願いいたします。


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 2004年11月、ヴェネツィアで写真展(www.toshi-shino.com)を開催した。

2011年03月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

アーカイブ

RSSを取得