2010年07月05日

リグリアのワイナリー、VisAmoris訪問記

■リグリア・ワインの代名詞、ピガート

 今年の4月上旬、久々にコート・ダジュールを旅してからイタリア入りした。その最初に訪れたのがフランス国境を越えてすぐのインペリアにあるワイナリーヴィサモリス(VisAmoris)である。フランスと国境を接するイタリアの町、ヴェンティミリアから1時間足らずでインペリアに到着したが、そこからワイナリーにたどり着く道が分かりにくく我ら一行を乗せた小型バスのドライバーもワイナリーからの出迎えでようやく目的の場所に到着。ここで造っているのはピガートと言うリグリア特産の白葡萄のワインである。ピガート種はこのインペリア近郊のアルベンガという土地に十数世紀前から既に存在していた固有種で、古いリグリア方言で染みや斑点を“ピガ”というそうで、葡萄が熟成すると実の表面に褐色の斑点が現れることから“ピガート”と名付けられたのだ。

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コート・ダジュールのイタリアに最も近い町、マントン。

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国境を越えると風景も似て非なる雰囲気を感じる。

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国境の町、ヴェンティミリアの道路標識。

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ヴィサモリスの葡萄畑からインペリアを遠望。

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リグリアの葡萄畑は地中海に面して陽光には恵まれるが急斜面での農作業はとてもハードだ。

■美味しいワインは“愛の力”から生まれる

 ヴィサモリスのオーナー、ロベルトとロッサーナの夫婦がここでワイン造りを始めたのは2004年で、“Dome(ワイナリーがある土地の名前から取った)”というステンレスタンクのみで8ヶ月熟成させて仕上げられた白ワインとステンレスタンクで熟成させた後、更にオークの小樽で6ヶ月熟成させた“Sogno(夢)”の2種類の白ワインの他、リグリア特産のオリーブ、タジャスカ種100%のオイルも生産している。イタリアではある程度事業などに成功したりするとワイナリー経営をしてみたいという夢や計画を抱く人が少なくないようだが、それを成功させるには相当な覚悟と情熱がいる。また、白ワインの醸造にはコンピューターで温度管理されたステンレスタンクなど先行の設備投資も赤ワイン以上という。もちろん、まず肝心なのは良い葡萄畑を手に入れることだが、ロベルトはこの土地を代々持っていたがちょうどタイミング良く農夫の現役を退いたマリオさんから譲り受けた。また、オリーブ栽培についてはやはり土地っ子のジーノというパートナーにも出会えた。そして何よりもロベルトの、というより夫婦ふたりの夢を実現するために、いつも一緒に仕事をしてくれるロッサーナという妻の愛、その夫婦の愛と夢が困難な土地での厳しい仕事を楽しいものにさせている。ちなみに、VisAmorisというのはラテン語の“愛の力“という意味だそうで、ワイナリーのロゴマークにもハートと組み合わせてデザインされている。

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“ヴィサモリス、愛の力“という名前に相応しい熱々の夫婦

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まだ高校生の次男のピエロ君はニューヨークに行くことを夢に見ている。できればアメリカに留学したいそうだ。その手にしているのは野生のアスパラガス。

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イタリアでは春になると野生のアスパラガスがあちこちに生えてくるが、ことに葡萄畑やオリーブ畑ではしばしば見つける。それを茹でてオリーブオイルだけで食す。

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ヴィサモリスが生産している2種類の白ワイン。日本にはAvico(www.avico.jp)が輸入している。地中海に面した土地柄ゆえ、魚介料理にはぴったりのワイン。蒸し暑い日本の気候で、夏ばて美味の身体にはこのピガートで夏牡蠣やヒラメのカルパッチョ、あるいはアクア・パッツァなどを味わってはどうだろう。

■延々5時間、長い昼食

 ヴィサモリスを訪ねたのは私が企画したツアーに参加した総勢14名。コート・ダジュールからしばしば道路工事などで渋滞があったり、前述したようにインペリアに着いてからも道に迷ったりで到着予定時間を2時間も過ぎてしまった。これはさぞや迷惑を掛けてしまったなと不安を抱えながらワイナリーに入ったのだが、出迎えたロベルトとロッサーナのふたりの笑顔でそんな心配はいつの間にか消えて、早速、冷えた白ワインを味わっていた。家の周囲は緩やかな斜面が囲み、オリーブ林や葡萄畑が見える。庭には大きな素焼きの壷が置いてあり、それを見てすぐにその上にボトルとワイングラスを置いて撮りたいとイメージが湧いた。

 皆さん、食事の準備が出来ましたよと家の中に招かれると長細く大きなテーブルには真っ赤なクロスが敷かれ、鰯のマリネや干した鱈を水で戻して柔らかく調理してからマッシュポテトと合せるリグリア風のバッカラやボリジというコバルト・ブルーの美しい花のサラダやテーブル・クロスの赤にも負けない真っ赤に熟したトマトのスライスなどが並んでいた。圧巻はロベルトが自ら腕を奮って作った魚介のパスタ。スカンピやムール貝、アサリ、トゥリッリャなどをじっくりと煮込んだ濃厚なスープにトマトを加えて仕上げたソースのリングイネは何度もお変わりを頂いた。

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これほど大人数を招いた食卓はワイナリー始まって以来だとロベルトもロッサーナも大喜びだったそうだ。人をもてなす喜びをまた喜ぶのがイタリア人。

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魚介のスープを作るロベルト。イタリア男は料理の腕前もなくてはモテない。

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目の前は地中海という恵まれた土地だからこそ生まれた魚介料理の典型。

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出来上がった魚介のパスタの大きな鍋を嬉しそうに披露するロベルト。その右にいるのがオリーブ農園を運営するパートナーのジーノ。

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鰯のマリネ、鰯の新鮮さが命だが、こんなに新鮮で美味しいマリネは初めてだ。そこに使われた自社製のオリーブオイルだからこそ出せる味わいだ。

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リグリア風バッカラ。干し鱈はヨーロッパではどこでも食べるが、調理方法は地方ごとに異なる。ヴェネツィアのバッカラ・マンテカートはオリーブオイルでペースト状に仕上げたものだが、リグリア風はジャガイモが一緒になっている。これもまた大変美味。

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その形から“牛の心臓”と呼ばれる大きなトマトとボリジの花。

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美しいブルーの花、ボリジ。古代ギリシア人やローマ時代から健胃効果のある薬草としても利用されていると知ってはいたが、サラダで食べたのは初めて。小さな固い毛のようなものが生えていて口に入れると少しチクチクする感じだが、慣れると後を引く。

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小麦粉と蜂蜜にオリーブオイルで焼き上げたお菓子。リグリアの伝統的な保存食だそうだ。

■急斜面の葡萄畑を散策して消化促進

 ゆっくりと2時間あまり昼食と歓談の後、ロベルトが「さあ、葡萄畑を見に行こう」と声を掛ける。庭先からロベルトが指差す方を見上げると葡萄畑とオリーブの林の上にはまだ充分に明るい太陽と青空が広がっているのだが、その急な斜面に一瞬、皆、ここを登るのぉ・・・と怖気づく。しかし、地中海から吹き上がる風を感じながら斜面をゆっくり登り始めると、誰もがその心地よさに笑顔となり、たくさん食べたからバスに乗って移動する前にはこのくらいの運動はちょうどよいと楽しんだ。こういうところには必ず野生のアスパラガスが生えているはずだと私が言うと、一緒に着いて来たロベルトの次男のピエロがすかさずオリーブの木の根元などから数本の野生のアスパラガスを取ってきてくれた。

 ロベルトが開墾したばかりの畑を示しながら「こんなに大きな石がごろごろしているから、本当に仕事はきついよ。しかし、かつては海の底だった土地だから、ミネラルはたっぷりだし、丁寧に葡萄を育てれれば良質のワインになることは確信できる。だからこそがんばれるんだね。」と笑った。小1時間ばかり葡萄畑やオリーブの木立の間を歩き回ってから、また車に乗って醸造所に移動し、まだステンレスタンクの中の2009年のワインを味わった。田園を散策した後のこの1杯もまた歓喜の味わいだ。

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昼食の後、時刻は既に午後5時近くになっていたが4月上旬の空はまだまだ明るく、オリーブの林の上には青空が広がっている。

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ロベルトがステンレスタンクから“Dame”をグラスに注いでくれる。

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葡萄畑の中にぽつんと目立つ松の木。まだまだ若いがワイナリーの成長と伴にこの松も大木になるに違いない。

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日が沈み始めた頃、インペリアからサンタ・マルゲリータ・リグレに向かった。その途中のアウトストラーダはほとんどが長いトンネルだ。それだけリグリアの海岸線はリアス式に入り組んでいる。

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ヴィサモリスと訪ねたあと、リグリアの代表的な観光地のひとつサンタ・マルゲリータ・リグレで朝を迎えた。

■ヴェローナのワイン博、ヴィニタリーで再会

 ロベルトとロッサーナの二人にはリグリアの旅の数日後、ヴェローナで毎年開催されるイタリア最大のワイン博覧会ヴィニタリー(VinItaly)で再会した。日本の輸入元であるアビコの社長夫妻と一緒に夕食に招かれ、再会と美味しい夕食を楽しんだ。ワイナリーでは撮影するのを忘れてしまったオリーブオイルのボトルをその時に撮影できたのだが、残念ながらこのオイルは他の高級オイルに比べても3割ばかり高値なのでまだ日本には輸入されていない。しかし、ユーロもだいぶ下がってきたから今年の分から少量でも輸入されると期待したい。

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ヴェローナのヴィニタリー会場、リグリア・ブースで再会したロッサーナとロベルト、そして友人のエノロゴ(醸造技師)。

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これがVisAmorisのオリーブ・オイル(250ml瓶)。タジャスカ種は最も繊細でエレガントな味わいと言われるオリーブだが、ヴィサモリスのオイルはまさに果実のような柔らかで優しい甘さを感じるオイルだ。

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ヴェローナのレストランで再会したロベルトとロッサーナ夫妻。

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2010年02月12日

ヴェネツィアのカルネヴァーレ!

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冬の霧に包まれたカナル・グランデとヴェネツィアの町。サン・ジョルジョ・マジョーレ教会の鐘楼から

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リアルト橋にもカルネヴァーレの飾り

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サン・ジョルジョ・マジョーレ教会のある島を背景にポーズをとる、バウッダ(ドミノ仮面)の仮面の男

今、ヴェネツィアではカルネヴァーレ(「謝肉祭」)の真っ最中。サン・マルコ広場を中心に思い思いの仮装をした人たちが現れます。中世やルネッサンス風の豪華なドレスがやっぱり歴史的な街並みにはよく似合いますね。今年は今月10日から16日までがカルネヴァーレ期間ですが、ヴェネツィアではクリスマスを過ぎたあたりからもうカルネヴァーレ気分で、街中の飾りもカルネヴァーレの雰囲気です。また、お土産店や仮面の専門店では年中、仮面(マスケラ)を売っていますから、真夏でも観光客がカルネヴァーレの仮面姿で歩いていたりします。


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様々な仮面の下は、時には男性だったりすることも


カルネヴァーレに仮装して舞踏会に出るという風習はヴェネツィアが発祥だそうで、15世紀頃から始まりフランスやドイツなどヨーロッパ各地に広がりました。「謝肉祭」とか「仮装舞踏会」というタイトルの楽曲も多く作られています。ムード音楽のオーケストラで知られるマントヴァーニ楽団のアルバムに「ベニスの謝肉祭」というのがありましたが、その原曲がショパンが作曲した「ベニスの舟歌」でした。ショパンはイタリアに行ったことがなく、ずっと憧れを持っていたそうですが、この曲もそんな想いで作られたのですね。

オペラの巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディも「仮面舞踏会」という作品を創っていますが、これは18世紀の終わりにスウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会に紛れ込んだ暗殺者に撃たれて死んだ事件をもとにしています。

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貴族制が廃止されてもコンテ、コンテッサなど称号は残るイタリアで、ヴェネツィアの貴族たちもカルネヴァーレはかつてのファミリーの栄光を楽しめるお祭だ

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ドゥカーレ宮殿の窓に登場した人たちはヴェネツィアの栄華な時代を思い起こさせる

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カルネヴァーレの衣装などを作っている店のオーナーが自らショーウィンドーの中に入って、道行く人を楽しませている

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ヴェネツィアで有名な仮面工房トラジ・コミカ(www.tragicomica.it)

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鏡の中のカップル

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道化師の衣装を着た可愛い赤ちゃんに周囲が注目


ヴェネツィアで仮面が流行したのは平民も貴族も身分を隠して自由に楽しめるからだそうですが、そのことで風紀や治安が乱れることにもなったようで、外国では禁止令を出したこともあります。ヴェネツィアでもペストが流行した18世紀から長く控えめになったり、世界大戦の影響で20世紀に入っても今ほど派手には楽しまれなかったようですが、イタリア経済が復興し、また観光立国として世界中から人々が訪れるようになると、ヴェネツィアでもより観光客を呼び寄せるプロジェクトとしてカルネヴァーレの期間中に様々なイベントが企画されたり、毎年異なるテーマ性を持ったお祭に変化し、年々、盛大になってきました。

今年はチョコレートを楽しむこともテーマのひとつのようで、プログラムを見るとカフェや舞踏会でチョコレートを使った様々なメニューが宣伝されています。また、いくつかの歴史的な館の中ではドレス・コードはカルネヴァーレ衣装ということで、舞踏会も開催されていますが、あの世紀のプレイボーイと呼ばれたカサノバをテーマにしたような仮装舞踏会もありちょっと怪しげです。カルネヴァーレが一番盛り上がるのは、やはり週末で今日から3日間は舞踏会やコンサートなど様々なイベントが開催されています。

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昨年の12月上旬に出会ったグループ。結婚目前の友人を祝福する独身最後のドンチャン騒ぎでもカルネヴァーレの仮面を被っている

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サント・ステファノ広場にあるちょっと変わったブティック

2010年01月26日

あれから15年、忘れえぬトスカーナの日々

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「トスカーナの青い空」の取材がきっかけで知り合ったアレ。最近は世界各地の旅を楽しんでいるらしい。相変わらず働く必要のない優雅な日々を送っている。昨年の暮れにもインドからクリスマスメールが届いた。

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かつてアレのファミリーが所有していた館の屋上から見た夜のドゥオーモ。


2010年になって半月以上が過ぎてしまった。昨年末のピエモンテ~ヴェネツィアのツアーの後、年末年始も多忙な日々が続き、イタリア紀行のブログ更新がだいぶ遅れてしまった。1月17日は朝からテレビではどの局も15年前の関西の大地震の追悼番組を繰り返していた。それは僕にとっても忘れえぬ過去であり、同時に大事な思い出の年でもあった。

初めてイタリアの大地を踏んで18年目にして、最初の著書「トスカーナの青い空」を出版した年で、1月から6月にかけてイタリアを往復した、その間にはフィレンツェに部屋を借りて住んだ。1月17日、まさにイタリアに出発した日に神戸の地震は起きていた。更にその年の3月20日にはオーム真理教による地下鉄サリン事件も起こった。帰国して、「トスカーナの青い空」の原稿を書きつつも、この2つの大きな出来事は現在進行形となり身近な関心ごとであり、その数年後、「住宅建築」という雑誌の取材で神戸を訪れたときにも大きな傷跡の残る街並みを見た。世界に眼を向けるとボスニアの紛争も激しさを増すばかりであったし、中東、中近東も未来の不穏な気配を孕んでいた。

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アルノ川の堰で日光浴をする人々。1995年は初夏まで天候不順で長雨が続いたが、初夏になると素晴らしい晴天が秋まで続き、この年のワインの出来も上々だった。

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フィレンツェに住んでいた頃、毎日のように行ってワインを楽しんだ店のひとつ、ヴェッラッツァーノのワイン・バー

大げさな言い方かもしれないが、日本も世界もそんな激動の時代にありながら、僕はトスカーナでタイムスリップしたように中世からルネッサンス時代の余韻の中を漂っていたのだ。ロベルト・ベニーニとマッシモ・トロージが共演した映画「もう泣くっきゃない(Non ci rest che piangere)」みたいな体験だった。しかし、そのお陰で、この本がその後の生き方の方向付けにもなったのだ。あれから15年、出版界にも写真の世界にも大きな変化があり、時代は新たな方向に向かっている。不易流行、進歩と発展は否定せず、むしろ積極的に受け入れ、しかし、初心忘るべからず、そんな気持ちを込めて今は絶版となった「トスカーナの青い空」のあとがきを読み直し、2010年のスタートしたい。読者の皆さん、今年もご愛読のほどよろしくお願いします。


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1995年5月上旬に撮影したコル・ドルチャの糸杉とその12年後の2007年6月上旬に撮影した同じ糸杉。


『「トスカーナの青い空」
1995年の夏に出版した本の《あとがき》

今年の一月にイタリアへ発った日は、神戸の大震災の翌日だった。ローマのホテルでテレビ報道を見ながら、日毎に増大していく被害の大きさを知って驚愕し、胸が痛んだ。見知らぬイタリア人からも日本人と分かると「あなたの町は大丈夫か」と心配してくれるのだった。この本の取材のために四月から六月にかけてイタリアを旅していたときには、ある宗教集団が前代未聞の事件を起こし、日々露呈する組織の全貌に呆れるほどであったが、それで日本人の私が白い目で見られるようなことは一度もなかった。宗教が時には暴走するものであることを、歴史の中で繰り返し体験していたからかも知れない。それよりもアドリア海の対岸のボスニア紛争の方がよっぽど深刻な問題だった。

私が部屋を借りた家の大家さんは、スロヴェニア生まれのイタリア人だったし、アリナーリ画伯の家へ案内してくれたアイーダもボスニアのヴァニャルーカ出身だった。二章にも書いたマケドニアのミルチなど、私はイタリア滞在中に何人もの旧ユーゴスラビア出身者と出会った。イタリアにとってこの国のことは隣の県のように身近なものなのである。第二次世界大戦が終決して五十年が過ぎたが、太平洋戦争だけが戦場ではなかった。それどころか日本はイタリア、ドイツと同盟まで結んでいたのだ。日米だけでは捉えられない世界史をもっと知りたいと思った。特にこの三つの国の戦後の在り方を。 歴史の本を繙けば、人間とは戦争をするために存在するのだろうか、と思うほどに争いを繰り返している。諍いごとのない日常がいいに決まっている。人間は歴史にいったい何を学んできたのだろうか。旅の間ずっとそんなことを考えながら歩いていて、それだからこそ出会う人々との交感が記憶のなかに強く刻まれた。ことにヴィンチ村の帰りに、バスの中で話し掛けてきた小学生たちの無垢な眼と好奇心いっぱいの質問ぜめにあったとき、すべてはここから始まるのだと実感した。つまりどんな教育をしたらいいのか、一歩誤れば大変恐いことになる。日々の命の尊さを知るこどもならきっとよい子に育つだろう、あのピノッキオのように。

住んでみなければ解らないことがあり、住み慣れて見え難くなることもある。初めてイタリアを訪れてからの十八年の歳月を、片時もこの国のことを忘れず旅を重ねてきたことで、そのどちらでもない眼を持つことになった。多くのイタリアの友人との出会い、またともにイタリアを愛する日本の、そして外国の友人との交友がなければ、この本は生まれなかったであろう。文中に登場した友人の他にも挙げきれない方々のお世話になってきた。はじめは誰でも未知から出発している。未知(道)に迷う楽しさと思いがけぬ出会いの喜びを知れば、イタリアの旅はもっと面白くなる。そんなさまざまな出会いが物語になればいいと夢を見ていた。

                  一九九五年、八月の光の中で、篠 利幸」』
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2009年06月26日

北イタリア、ピエモンテを行く ポー川の流れる街、トリノ

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ラ・モーレからポー川河岸を望むパノラマ

世界の名だたる大都市は川とともに生きている。パリにはセーヌ、ロンドンにはテムズ川が流れるように、イタリアの都市、ローマにはテヴェレ川が流れ、フィレンツェにはアルノ川が流れる。そしてトリノにはポー川とドーラ川が流れている。ラ・モーレの上から東の方に目をやると左手にスペルガの丘が見え、その下を緑の木々が茂り北から南へと伸びている。その並木の中に丸いドームの建物が見えるが、それはグラン・マードレ・ディ・ディオ(Gran Madre di Dio)教会で、ナポレオンが失脚した後、サヴォイア家の復権を記念して建設された19世紀初頭の建築でローマのパンテオン神殿をモデルとしている。その教会の前にはヴィットリオ・エマヌエーレ1世橋があり、トリノ市内のマダマ宮殿からここまで一直線にポー通りが走っている。

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路面電車、トラムが走るポー通り

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ポルティコと呼ばれるアーチが連なるアーケードの歩道は雨の日には傘要らずだ

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大学も近いので若者も多い

ポー通りは川に向って緩やかな下り坂になっており、トラム(路面電車)も走る車道の両側はポルティコ(アーケード)の歩道がポー川に沿ったヴィットリオ・ヴェネト広場まで続いている。この通り沿いには有名なカフェやショッピングが楽しいブティック、書店などがあり、また大学もあるため若者たちも多い。夜になるとけっこう遅くまで散歩を楽しむ恋人たちや若者たち、家族づれなど人通りも多く賑やかだ。

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土日は特に夜になっても散策する人が多いポー通り


ポー川の岸辺を上流に向って歩くと中世風の城が見えてくる。1884年の万博の時に中世の城のスタイルを模して建てられたもので、現在は手漉き紙の工房や中世にちなんだ土産物などを売る店が並び、フレスコ画で飾られた教会もあり、時々、結婚式が行われたりするそうだ。

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"中世村“(Borgo Medievale)の城門

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レンガの壁には昔風の壁画が描かれ、タイムスリップした感じだ

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教会の壁にも色鮮やかに壁画が描かれている


その中世村の手前にはイドロヴォランテ(飛行艇)という名前のレストランがあり、ポー川の上にテラス席を設けているので、暖かな春から秋にかけて、ポー川の眺めを楽しみながらピエモンテ料理を味わえる。訪ねた時間がランチタイムが終わった時で、客もいないテラスの屋根に鴨が川から上がって来て、乗ったり下りたりして遊んでいた。店内の壁は1メートルほどの高さまでポルトガル製のタイルが張り巡らされているが、上流で大雨が降ったりするとポー川の水かさが増してその高さまで冠水するのでタイル貼りにしたそうだ。

少し下流にはヴァレンティーノ城というフランスの城を模した17世紀中庸の城があり、この辺り一帯はヴァレンティーノ公園と呼ばれトリノ市民の憩いの場所である。ローマやミラノにも広々とした緑の茂る公園は少なくないのだが、やはりトリノはフランス文化の影響が色濃いせいか、セーヌ河畔の公園のような雰囲気がある。

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レストラン、イドロヴォランテの入り口

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イドロヴォランテのテラスからポー川の眺め

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イドロヴォランテのテラス

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テラスの屋根に遊びに来る鴨

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ポルトガル製のタイルで飾られたイドロヴォランテの店内

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1884年の万博の時に建てられた中世風の城

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ヴァレンティーノ公園は市民の憩いの場所

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近年になり造られた大噴水

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大噴水を囲む彫刻


ポー川を更に遡るとモンカリエーリやニケリーノなど郊外の町があるが、モンカリエーリにはサヴォイア家のレアーレ城があり、ニケリーノの近くには屋根の上に大きな鹿の像を載せたストゥピニージ宮がある。ストゥピニージ宮は1730年にユヴァッラの設計で建てられた建物で、ヴィットリオ・アメデオ2世が狩猟を楽しむために建てた別荘なので、そのシンボルとして大きな角の雄鹿の像を載せているのだ。現在は往時の家具などをそのままに博物館として見学できる。ストゥピニージ宮の裏側へ回ると環状線とポプラの林の彼方にアルプスの山々が連なっている。その中に一際高く三角の頂上を見せているのが標高3,841mのモンヴィーゾ山で、ポー川はこの山の中腹、2,000m辺りに源流があり、アドリア海まで652kmの大河となって北イタリアを横断している。

ストゥピニージ宮とは反対のトリノ市の北西には"狩猟“という意味が語源のヴェナリア宮殿がある。今回の取材ではトリノの最初の晩餐会の前に訪れて見学する予定だったが、急に大統領がトリノを訪問しここに滞在することになったので、見学は出来なかった。またしても、秋の旅行に期待することにした。

トリノを去る最後の夜はカフェやジェラテリアで休みながらライトアップされた夜の街の美しさを楽しんだ。

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屋根の上に雄鹿のブロンズ像が目立つストゥピニージ宮

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ニケリーノから眺めたアルプスの峰々

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ポー川の源流を抱くモンヴィーゾ山。アメリカのパラマウント映画社のシンボルマークにもなっている

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17世紀にサヴォイア家が狩猟用の別荘にしていたヴェナリア宮

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4月25日のイタリア解放記念日のイヴェントで王宮前広場に集まった若者たち

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ライトアップされた純白の壁面が夜の闇に浮かび上がる王宮

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王宮広場からトリノ市庁舎に続くチッタデッラ通りの夜

2009年06月25日

北イタリア、ピエモンテの旅 トリノで小写真展

サヴォイア家の伝統が息づく街、トリノにはどことなくフランス的な雰囲気がある。そんな佇まいをポルタ・ヌオーヴァ駅から北へ走るラグランジェ通りとアンドレア・ドリア通りが交わる辺りの建物を見て強く感じた。パリのカルティエ・ラタンやサン・ジャック界隈に似ている。ラグランジェ通りの左手にはカルロ・フェリーチェ広場がある。

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ラグランジェ通りとアンドレア・ドリア通りが交差する角の建物はまるでパリの街角を彷彿とさせる

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ラグランジェ通りの店の入り口で店番をする眠そうな犬

アンドレア・ドリア通りにはカーサ・デル・バローロ(バローロの家、www.casadelbarolo.com)と言う名前のエノテカがある。バローロと言えばイタリアが世界に誇る銘ワインだが、この店にはバローロばかりでなくピエモンテ各地のワインは当然、その他トスカーナからシチリアなどイタリア中のワインがある。店の1階には乾燥パスタやバルサミコ酢、蜂蜜とワインなどがあり、地下に降りていくと、ワイン好きなら思わずにんまりするような光景、四方の壁の棚にはイタリア各地のワインが並んでいる。

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ワインについて熱く語るカーサ・デル・バローロのダミアーノさん

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カーサ・デル・バローロの1階には白ワインや乾燥パスタ、バルサミコ酢、蜂蜜なども販売している

白ワインは1階で、地下には赤ワインがメインである。棚を隈なく見ているとカンパニア州、ソレント半島はアマルフィ海岸の銘酒を見つけた。マリーサ・クオーモ(Marisa Cuomo)という造り手のワインで、プライスを見ると36ユーロ。バローロと肩を並べる価格であるが、それだけの価値はあるワイン。ピエディ・ロッソ種とアリアニコ種を半々にブレンドして仕上げた高級赤ワインだ。

その棚から足元に目を移すと大きなボトルが置いてある。通常のワインの6本分はあるだろう、トリプル・マグナムのボトル。ワインはこれもまたピエモンテの名門、ジャコモ・コンテルノのバローロでヴィンテージは1961年だ。ワインの楽しさのひとつにはこのオールド・ヴィンテージを味わいつつ、時代の流れ、歴史の記憶に思いを馳せるところだ。これまでにも1960年代のワインを何度か飲んだことがあるが、通常はそう長熟ではないと言われていた昔のキャンティでさえも美味しかったし、このバローロも期待を裏切らないはずだ。

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四方の壁の棚にイタリア全土のワインが並ぶ地下のカンティーナ

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南イタリア、ソレント半島の名門マリーサ・クオーモの“FURORE”

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ピエモンテを代表するバローロの生産者、ジャコモ・コンテルノのオールド・ヴィンテージ“Vino Monfortino 1961 Riserva”の大瓶

店の案内をしてくれたダミアーノさんもワインについて語りだすと泉の水が迸るように話が途切れない。こちらも好きだから一日中でも彼と話したいところであったが、今回は取材は短期集中であるが故に、続きはまた秋にでも再会したときにと挨拶をして出た。

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オーガニックの素材から健康的且つ、味わい豊かな料理が楽しめるリストランテ“DIVIZIA”

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“DIVIZIA”で日本の自然と伝統とテーマに写真展を開催

今回の旅ではちょうど取材期間に重なって2ヶ所で写真展を開催することになっていた。そのひとつがこのラグランジェ通り界隈から北へ数分歩いたところにあるサン・トンマーゾ通りにある”DIVIZIA”(http://www.divizia.it)というオーガニック農産物を使ったレストランで、カネッリにあるアグリトゥリズモ・ルペストル”Rupestr”(http://www.rupestr.it)のオーナー、ジョルジ・チリオのプロデュースだった。この店で食事もしたかったのだが、やはりそんな余裕はなく、ジェラートを味わってみたのだが、天然素材の味わいがそのまま凝縮されたもので、これまでに食べてきたジェラートの中では一番美味しく感じた。ここでの食事もまた秋の旅行で再訪したときのためにキープしておこう。

さて、その秋の旅行だが、詳しくはこのURL:http://www.delsole.st/travel_italy/toshitour_0910.pdf で詳しく案内されている。今回のピエモンテ取材とこれまでに重ねてきたピエモンテ取材で訪ねた町やアグリトゥリズモを体験したりワイナリーなどで美食と芸術と歴史を探訪するテーマで、後半は我が町ヴェネツィアもたっぷり満喫する。

2009年02月05日

冬のヴェネツィア、早朝の出立

昨年の暮、ヴェネツィアからマルケ州のヌマーナへ向いました。到着地でワイナリーの友人と出会う約束が正午だったので、ヴェネツィアを出発する列車は午前7時過ぎ。荷物が多いので定宿にしている家を6時に出てリアルトからヴァポレット(水上バス)に乗りました。外へ出ると辺りは一面霧に包まれていました。気温は4度か5度、手袋をしていても指先が冷たくなります。人影のない路地を抜けてリアルトの船着場に着くと、そこにも人は誰もいませんでした。しばらくするとボートが近づいてきて船着場に寄せると、新聞と雑誌を積み下ろし、近くの売店に運び、また立ち去って行きました。

ヴァポレットが鉄道駅の方からやってきたので、駅に向うヴァポレットの乗り場はここでいいのかと訪ねると、ここかもうひとつ先の橋のところが早く来るが、駅に着くのはどちらも同じ時間だといいます。船着場で立っていても寒いだけなので、運動がてらまた荷物を引きながら橋を越えて別の船着場に移動。ところが、後に来ると言われた前の船着場へ先にヴァポレットが到着しました。思わずイタリア人のように両手を広げ、マンマミア!ついでにケ・パッレ!とローマ弁も。しかし、僕が乗ったヴァポレットも着くのは同じだからと自分を納得させました。

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そろそろヴァポレットが到着するかという頃合いになった時、50代の夫婦がやって来ました。奥さんのほうは毛皮のコートを着て、いかにもヴェネツィア婦人。こんな早朝からどこへ出かけるのでしょうか、やはり列車に乗り遠方へ向うか、それにしても荷物はほとんどないようで、別の町へ仕事に出るのかもしれません。年齢の行った夫婦の割には奥さんが亭主にぴったりと着いて仲はとてもよさそう。あるいはただ寒いからだけなのでしょうか。ヴァポレットがゆっくりとリアルト橋を潜り抜けて行きます。

「大運河」、そういうタイトルと映画があったそうですが、この間、その映画のサウンド・トラックのCDを中古店で見つけて買いました。タイトルは「黄昏のヴェネツィア」。そのタイトルに引かれて買ってみたのですが、モダン・ジャズ・カルテットの演奏で、久々にミルト・ジャクソンのヴィヴラホーンの音を聞きました。案外に、たそがれではなく、この早朝の薄暗い光のヴェネツィアにも合いそうな曲です。ちなみに、「大運河」はフランスのロジェ・バディム監督のアクション映画。ヴェネツィアとこのMJQの音楽で話題になった作品だから、見ても損はないでしょうね。

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ヴァポレットのデッキに立って岸を見ると、ファッブリカ・ヌオーヴァの広いフォンダメンタに若い男の影が街灯に浮かび上がっています。やはり仕事に出る迎えのボートでもっているのでしょうか。手持ち無沙汰そうに運河を覗き込んだりしてぶらぶらしています。警笛の音がして、霧の中から別のヴァポレットが現れました。15年ばかり前、霧がものすごく深い日にカンナレッジョのあまり広くはない運河で、ヴァポレットとヴァポレットの距離が1mもないほどに接近してすれ違うのを体験しました。

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やがてサンタ・ルチア駅に着き、出発まで30分も早いのですが番線まで行くとありがたいことに乗る予定の列車は既に入っていて、早々に乗り込むことが出来ました。ただ、コンパートメントの中はまだ暖房を入れてないので、外より少しましな温かさ。ポケットに入れていたミネラル・ウォーターを一口飲んで、眼を閉じ、列車が走り出すのを待ちました。乗ってくる人もほとんどなく、やがて列車は静かに走りだし、車内放送が、メストレ・ヴェネツィア、パードヴァ、ロヴィーゴ、フェッラーラと停車駅を挙げていきます。いつのまにか入っていた暖房で窓ガラスが曇り、あまり外は良く見えませんが、まだ暗いラグーナ(潟)の上に架かるリベルタ橋を列車は滑り出して行きました。
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「大運河」のサントラ、ジャケットの絵は英国の画家ターナーの作品

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ロジェ・ヴァディム監督「大運河」主演女優:フランソワーズ・アルヌール 1956年フランス、イタリア合作


2009年01月06日

忘れえぬ日の出の思い出

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。皆様は新年の朝をどこで迎えましたか?海外で向かえた方も多いと思いますが、僕はいつも日本で迎えています。今年は鎌倉で初日の出を見ました。日の出の時刻は6時50分頃、鎌倉の由比ガ浜に着くとすでに大勢の人たちが砂浜を埋め尽くしていました。昨年は何かと厳しい社会状況でしたから、やはり、新年、元日に初日の出を見ることで特別な思いを込めて新年をスタートさせたいという人たちが例年以上に多かったようです。

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Buon Anno 2009

新年にかかわらず旅先で朝日を見ると、その日の晴天を約束されたようで嬉しくなります。僕はたいがい窓のカーテンは開けたまま眠ります。東京にいると真夜中でも外が明るかったりしますが、イタリアではローマやミラノでもほとんど真っ暗になりますから、窓のカーテンを開けて、夜明けの太陽の光が窓から差し込んでくる明るさで目覚めることにしています。前日、かなりワインを飲んで遅く寝ても、朝の光、鳥の囀りで目覚めると気持ちが良いものです。
昨年の暮れに近い11月末に1週間ほどシチリアを旅して来ましたが、タオルミーナのエクセルシオール・ホテルの海を臨む窓から眺めた夜明けの様子は忘れられません。この旅では途中、メンフィという町の郊外にあるアグリトゥリズモに宿泊しましたが、その時に見た朝日は重く立ち込めた上空の雲の彼方から、あたかもギリシアのアポロンの馬車が放つ輝きのように日が昇り、草原を照らして行きました。

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タオルミーナの夜明け

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朝日に染まるエトナ山

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メンフィの朝

南イタリアで体験した日の出で忘れられないのは4年前にナポリからソレント半島を巡った時、アマルフィに滞在した時の朝日です。また、昨年の4月にバジリカータのマテーラに宿泊した時にもちょうど日の出が見える部屋でしたので、マテーラの町を一望しながら、まだ星や三日月がはっきりと見える暗い内から日の出を楽しみにしていました。ただ、あまりにも晴天で雲ひとつ無いと、太陽が地平から現れたとたんに明るすぎて、写真としてはあまり面白いものにはなりませんね。人生にも多少の陰りがあったほうが、喜怒哀楽を体験できるように、朝日もまた雲のありようで様々な変化を楽しめます。

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アマルフィの夜明け

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アマルフィの朝日

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朝日に染まるアマルフィ海岸

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マテーラの夜明け

もっとも感動したのが10年以上も前に北イタリアのマジョーレ湖から旅を始めた時の日の出ですが、朝の5時に窓の明るさで目覚めた時、対岸の山の稜線がうっすらと赤みを帯びていたので、そのまま起きてカメラを用意して眺めていると、あれよあれよと思ううちに空一面が真っ赤な朝焼けとなり、それがまた湖面に反射して、それは息を呑むほどでした。光は紅、紫、黄金と様々な色彩の変化を見せながら太陽が昇りきるまでの一時間あまり素晴らしい光のドラマを見せてくれました。

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マジョーレ湖の朝焼け 1

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マジョーレ湖の朝焼け 2

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マジョーレ湖の朝焼け 3

そして、イタリアで一番多く見て来たのはヴェネツィアのサン・マルコから大運河を望みつつ上る朝日です。四季折々、日の昇る位置や時間を変えながらも、対岸に浮かぶサン・ジョルジョ・マジョーレや日が昇る方向にあるジャルディーノの木々が闇の中から徐々に浮かび上がり、そしてサン・マルコ広場に差し込んでくる朝日の中に浮かび上がるドゥカーレ宮殿の列柱や聖テオドロと翼のあるライオンを載せた2本の柱のシルエット、やがて小広場の石畳をオレンジ色に染めながら、まさにオリエントから届けられた至上の宝物のような輝きで太陽が現れます。東洋と西欧の文化を結ぶ担い手となったヴェネツィアらしい夜明けのシーンは何度見ても飽きることはありません。ことに今頃、冬の季節に霧が立ち込めた朝などはより幻想的な雰囲気を醸し出します。

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ヴェネツィアの夜明

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ヴェネツィアの朝日

かつてヘミングウェイの作品を読んでいたときに「太陽は陽に向かって歩む者の前にのみ昇る」という言葉ありました。どんな厳しい状況や時代であっても、太陽に向かって歩む気持ちを忘れないでいたいですね。

では、皆さん、今年もよろしくお願いいたします。


篠 利幸

1977年初渡欧、画家としてしばらく活動後、イタリアの写真を撮り始める。書籍、雑誌等で写真と文筆の両面で活動、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「トスカーナの青い空」(東京書籍)など著書多数。 2004年11月、ヴェネツィアで写真展(www.toshi-shino.com)を開催した。

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