
自らも王族の血を引き、若くハンサムな国王に嫁ぎ、そして可愛い息子に恵まれ……。ところがその幸せの全てを、27歳にして失くしてしまったエマ女王。華やかな人生を歩んでいた彼女が27歳で未亡人だなんて、人生は皮肉ですよね。
特に夫を亡くした時は大打撃だったよう。エマ女王は夫の遺体が安置されたヌウアヌの王家の霊廟、ロイヤル・モザリアム(「お墓で結婚写真ですか? その1」参照)でなんと2週間、キャンプ生活を送ったそうです。24時間家族のそばにいたい。離れられない。そんな想いで、夫と息子の冥福を祈り続けていたのかもしれません。
その後のエマはイギリスを訪問したり、夫の4世とともに創設したホノルルのクイーンズ病院(初代の建物は2人の個人的資金から建てられました)を支援したり、社会的には静かな生活を送っていたよう。ところが1874年のこと。38歳だったエマは、再び歴史の表舞台に引っ張り出されることになります。
この年、ハワイ王国6代目の君主、ルナリロが亡くなり、7代目君主が選挙で選ばれることになりました。人々の目から見た時、血統の上で王座に一番近かったのは、カラカウア。カラカウアよりもカメハメハ王朝に近い王族として、一応カメハメハ直系王族の末裔バーニス・パウアヒ王女、カメハメハ4世と5世の妹であるルース王女がいました。けれど2人は王位への就任を依頼されながらも、きっぱり辞退していたからです。
この時、誰に推薦されたのかはわかりませんが、なぜか。エマは7代目君主への立候補を決め、カラカウアと一騎打ちすることになったのです。しかし結果はカラカウアの勝ち。カラカウアには39議員の投票が集まりましたが、エマの得票はわずか6票だったそうです。カラカウアの圧勝だったわけですね。
ところが結果を聞いて納得できなかったのが、エマの支持者たち。選挙の行われた州議会をグルリと取り囲み、ついに暴動が勃発しました! エマの支持者は議員たちの馬車を壊し、議会になだれ込んで、窓ガラスを叩き割ったり机や椅子を破壊したり、乱暴の限りを尽くしたそうです。最終的には、選挙に備えてホノルル港で待機していたアメリカとイギリスの軍隊が出動し、事態を収拾しなければならないほどの大騒動に。死者が出なかったのは不幸中の幸いでした。
……その後エマは二度と政治の世界に足を踏み入れることもなく、49歳で波乱の生涯を閉じました。夫を亡くしてから、22年後のことでした。
……なんだかこうしてエマの人生をザッと見ていくと、やはり様々な想いに襲われてしまいます。選挙に破れて晩節を汚してしまったのも残念というか。暴走が勃発したのは、なにもエマのせいではないのですが……。元女王として、そして美しき未亡人として華麗なる人生を全うすればよかったのに、と思わずにいられません。
もっともこんなことを考えるのは私だけのよう。エマは今もハワイアンに慕われ、エマに捧げるハワイアンソングも多数! 美しくエレガント、そして悲しい女王として、後世の人々の心に記憶されています。

