ボールドウィン家、今昔

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マウイ島ラハイナのフロント・ストリートを訪れた方なら。そのど真ん中にあるボールドウィンハウスを見かけたこと、あるのではないでしょうか? 石造りの2階建ての家は今、博物館になっており、1階にはギフトショップも入っています。


この家は元々、ドゥワイト・ボールドウィンが1834年から1868年まで住んだ家だそうです。ドゥワイト・ボールドウィンといえばパイオニア的な、ごく初期のアメリカ人宣教師ですが、ご存知でしょうか? その息子が友人と創設したアレキサンダー&ボールドウィン社(A&B)は、今でもハワイを代表する大企業。そもそもは砂糖きび製造業からスタートし、現在はあのマトソンを運営する海運業や、不動産の分野でもハワイのビジネス界に君臨しています。今でも何せ広大な土地をハワイに所有していて…。A&B社を知らない人はハワイのロコには絶対いないでしょうから、ボールドウィン家といったら、日本でいえば三井家とか住友家? とかっていう名家でしょうか。


A&B社についてこれくらいの知識しかなかった私にとって、アレキサンダー…とか、ボールドウィン…とかという名前に、あまりよい印象を持っていませんでした。昔々の宣教師の子孫が土地持ちになり、結果大儲けしてその子孫全てが大金持ち…という構図、ハワイでは結構あるんです。でもなんだか、あまりいい気持ちのする話ではないような…。だって本来は宗教家だったアメリカ人の子孫が、ハワイの土地を乗っ取ったような感じがするんですもの。そう思いません?


でも今回のマウイ滞在の際、ボールドウィンハウスの説明書きなどよく見てみると。初代ボールドウィンさんは、宣教師とはいえ、本来、医師だったのですね! イエール大学を出て、ハーバード大学院で学んだ、それはそれは有能な。で、そもそもはハワイで医療活動をするため、宣教師の身分でマウイにやって来たのだそうです。それも海外に赴任する宣教師は妻帯者でなければいけない、との規則があったので、ハワイ入りの直前に妻を娶ってまで…。


当時のハワイといえば、はしかや百日咳、天然痘などの大流行で、大量の死者が出ていました。ボールドウィン医師はマウイ、そしてモロカイ、ラナイの病人に献身的に尽くしたそう。特に1853年の天然痘の流行の際、ハワイ各地で数千人の死者が出ましたが、マウイではわずか250人が亡くなったのみ。ボールドウィン医師がワクチン接種や病人隔離を積極的に進めたお陰ですって。初代ボールドウィンさんは強欲な宣教師では全くなくって、英雄だったのですね! …長年の誤解を、ここで心からお詫びしたい気持ちです(ペコリ)。


さてさて。実は以前、ボールドウィン家の一員と、ごく軽~く接触する機会がありました。それはマウイ島のフラ学校を取材した際。クムフラ(フラの先生)がこっそり、「あの青年は、ボールウィン家の出身なんだよ」と教えてくれたんですね~。彼はロングヘアのハンサムさん。髪をハワイアン風にアップにまとめて、フラを踊っていました。スラリとしたハーフ顔の素敵な男性でしたよ! 若いのにベンツでフラのレッスンに駆けつけてきたのを目撃しましたが、ボールドウィンの一族と聞いて納得。


で、またクムフラがポツリ。「彼のお母さんはハワイアンなんだけどね。なんと。ボールドウィン家の中でハワイアンと結婚したのは、彼のお父さんが初めてなんだよ」。…結構これには驚きました! だって。初代ボールドウィン氏がマウイ入りしてから、かれこれ170年。その間、誰も、土地のネイティブであるハワイアンと結婚しなかったのですか!? これにはちょっと複雑な気持ちがしました。別に白人以外の血が入ってないわけではないでしょうが、ハワイアンとの結婚が、今の今までなかったというのは不自然。どうしても「ある意志」のようなものを感じてしまいます。


初代ボールドウィン氏を讃えた後で話が矛盾しますが、やはり、その子孫一族の中では、ネイティブ・ハワイアンと自分達は違う…みたいな、ある種の妙なプライドが働いていたのでしょうか。そう思うと、ちょっとショックな話ではありませんか?


…レッスンの後には皆で食事に出かけ、その話をボールドウィン青年も交えてするチャンスがありました。「あなたのお父さんは偉い! 立派な人ですね」と、よけいなことを言ってしまいました、私。でも本当にそう感じたのですもの。ああ、あの青年は今でも元気にフラを踊っているでしょうか? 今も堂々と、「ハワイアン道」を極めていることを祈ります!

コメント (4)

hoihoi:

複雑な感じを受けますね~。
歴史的にも、昔から、後からやってきた、よそ者(異民族)が、前からその土地に住み、独自の文化や歴史を重ねて来た民族(人達)を全否定?して、追いやってしまって、我が物顔に、土地を奪い去る……ってイメージが、まだどこかに私の頭の中にあるんです。

私が住む北海道の地もそうです。
アイヌの人たちが倭人に強いられてきた、さまざまな辛い仕打ち(表現悪いかも)。
ほんと、一昔前まで、いろいろあったみたい。会社や、学校での差別、いじめ。

今では、彼らの文化、知恵、技能などが再認識されて、政界で活躍もされています。

クリントン大統領でしたっけ?
ハワイアンに謝罪のスピーチをしたの。
あれを聞いて、私は感動しました。

JUN:

ホイホイさん、ALOHA!
やっぱり宣教師の子孫の繁栄、ホイホイさんの目にも複雑に映りますか?
そうですよね~。
北海道の方ならなおさら。
今はアイヌ民族の方々は、社会的に活躍されているのですか?
よい話ですね!
ああ、いつかアイヌ&ハワイアンの交流会を…なんて。
アメリカ・インディアンとハワイアン、アラスカのインディアンとハワイアンの交流はあるのですから、あってもよさそうですよね。
そういえば来年、そういった少数民族の大会がホノルルであったっけ?
そんな話を聞いたような…。
アイヌの方々の参加もお待ちしています!(なんて、大会のこともよく知らずに言ってすみません)

COZY:

JUNさん、アロハ!
この話を読んでなんとも複雑な感じ受けています。初代ボールドウィンさんの
医師としての功績は疑いなく素晴らしいもので尊敬する人物であったと言うのは
間違いない事だと思います。ただ、蔑視までは行かないにしてもネイティブと
一線を引いてしまっていたような事柄が伺えるのが残念ですね。
ただ単に縁がなく、婚姻関係まで至らなかったと思いたいです。
以前、独立記念日で沸くホノルルで知り合いのネイティブの方がポツッと言った
一言が忘れられないです。
彼は“私たちの国を奪った人たちが独立した日だから別にどうでも良い”と。
お気楽な感じのハワイでも歴史の暗部と言うのはあるものだなって感じました。

JUN:

コージーさん、こんにちは~。
ボールドウィン家の御曹司の話、どうしても複雑に受け止めてしまいますよねえ。
この話、実はほかのマウイのフラ教師にしたことがあるのです(おしゃべりの私…)。
その方はボールドウィン君が、同じマウイの、かのフラ学校で踊っていることを知りませんでした。
で、「へ~、あそこにボールドウィン家の人がいるの」と、やはり興味を示したよう。
そのお父さんが初めて、ハワイアンと結婚した旨を伝えると、その場にいた一同が驚いていました。
フラの先生いわく、「でもきっとハワイアンの愛人、恋人は過去にもいたはずだよ」。
やはりそう考えるのが自然ですよね。
でも結婚はしなかった…。
ハワイにも結構、人種的な問題は残っていますよね。

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ハワイ在住15年目。ネイティブ・ハワイアンの夫と小学生の息子&娘の4人家族。何よりもハワイアンカルチャー、ハワイの不思議世界が好き。

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