2006年12月15日

続ハワイアンが英語を学んだワケ

学校でハワイ語禁止、という悪法がハワイに登場したのが1896年。1898年(ハワイ王国崩壊から5年後ですね)には、白人勢力によってハワイ共和国が設立され、人々のハワイ語離れはますます進んでいきました。この世からハワイ語が消滅するのも時間の問題、と思われていた時期もあったようです。

ちなみにこれはハワイ語だけの問題ではなく、多くの言語に現在進行中で起きている問題なのでした。言語学者によれば世界で現在6800の言語が使われていますが、2100年までに、そのうち3400~6100の言語が消滅する可能性あり、と推定されているそうです(2001年5月の地元英字紙「スター・ブルテン」の報道より)。

なんでもユネスコは、「ひとつの言語が次世代に引き継がれるには最低10万人がその言語を話していることが必要」とみなしているとか。その統計からみて、世界のどの言語が消滅しそうなのか判断できるようなんです。言語学者も、言語が消滅する理由として、戦争や天災で多数の死者が出た場合と並び「政府がほかの言語を採用した時」「政府によりその言語が禁止された時」という項目を挙げており、まさにそのふたつが、19世紀末のハワイで起こったわけですね!

もっともハワイ語禁止令は後に解除され、ハワイ大学ではハワイ語を学ぶコースが1921年にスタート。1930年代にはカメハメハスクール(ハワイアンの子息だけが行ける学校)でも、同様の動きがありました。けれどあまりに長い間ハワイ語が疎んじられていたお陰で、1983年のハワイ語人口は…ナントたった1000人に減っていたそうです!

そんな時! 幸いなことに、「こんな状況じゃイケナイ。ハワイ語を守らなきゃ」と考えるハワイ語堪能な教育者のグループが立ち上がりました。1983年、ハワイ語だけで授業を行う画期的な学校、アハ・プナナ・レオが、ごく小規模ながらオアフ島で設立されたんですね~。最初は保育園だけだったのがのちに小学校、中学校も設立され、1999年には中学校から最初の卒業生も出ています。

ちなみにアハ・プナナ・レオとは、ハワイ語で「言語の巣」を意味します。ここからハワイ語族の子どもたちが巣立っていくようにとの願いをこめ、名づけられたのかもしれませんネ。

このアハ・プナナ・レオの存在も手伝って、ハワイ語人口は確実に増え、2001年の時点でハワイ語を話す人の数は約1万人だそう。約20年で10倍にまでハワイ語族が増えたのは、なんとも素晴らしいことではないでしょうか?

実はハワイアン夫の姪っ子(4歳)も、上記のハワイ語保育園に通う子どもたちのひとりです。去年入学したので、まだまだハワイ語ペラペラ…というわけにはいかないのですが、この間は絵本を見ながら、「プアア」(豚)、「マノ」(鮫)と、ハワイ語で動物の名前を復唱していました! とても可愛いらしかったです!

…ハワイ語のともし火は一時消えかけましたが、こうして次世代に向け、少しづつでも引き継がれていっているのは確かなよう。世界的なハワイアン・ブームで、海外でハワイ語を学ぶ人も増えていますしね! 

美しいハワイ語が永遠に地上に残るよう、私も祈らずにはいられません。

2006年12月11日

ハワイアンが英語を学んだワケ


ハワイアンが初めて文字を持った日」で書いたように、文字を持たなかったハワイアンが、ハワイ語のアルファベットを学習し始めたのが1822年でした。今回はその続き。いよいよ英語学習を始めたハワイアンの話です。

ハワイ語の読本「プケ・アオ・ケペラ」が出版された1822年から約30年後の1853年、今度は子供向けの英語教本が初めてハワイで出版されました。これも宣教師絡みのホノルルの出版社から発行されたものです。

驚いたことに、英語学習はハワイアン自身が望んだものだったようです! それ以前からハワイ王国の役人も宣教師たちも、ハワイアンが英語を学びたがっていることを切々と感じていたそう。ある政府関係者は、その理由を以下のように書いています。

「ニイハウ島のような遠方も含めて、ハワイのいたるところでハワイアンは子供達に英語を学ばせたがっている。その理由を聞くと、どのハワイアンも口を揃えて次のように説明する。『英語が話せないままでは、いつまでたってもハワイアンの価値はゼロ(nothing)、白人が全て(everything)、ということになる』」

英語ができなければ自分たちは人間としての価値が低い、と感じていたハワイアン。白人と平等になるよう、そしてきちんと対抗できるよう、英語を必死で学ぼうとしていたんですね。それもニイハウ島のような、ハワイアンだけが暮らすのどかで小さな島まで。……なんだか当時のハワイアンの置かれていた状況が痛いほどわかり、涙が出そうな話です。

そんな背景からひとたび英語教育が始まると、ハワイ語で授業を行う学校が次々姿を消し、英語だけで授業をする学校が増えていきました。カメハメハ王朝の末裔、バーニス・ビショップ王女の遺産で設立され、ハワイアンの血を引く子供たちだけが通うことができた学校、カメハメハ・スクール(写真はそのシンボルマーク)であっても、同じことだったようです。それどころかハワイの王族でも、カメハメハ4世以降はハワイ語でなく英語を話すことを好んだとか。西洋好みの4世でしたから、それも当然のような気がしますが……。白人に対抗するという意識からだけではなく、英語を話すことが上流階級の印、という意識もあったのでしょうネ。ちなみにハワイ王国が崩壊したのは1893年。

そして1896年には、ハワイの公立校での授業も英語に。その頃にはハワイ語を話すハワイアンもグッと減っていました。教育の手段が英語に切り替わったのに加え、大人も子供も、次第に「ハワイ語は悪い言葉だ。英語が正しい言葉だ」という意識を抱くようになっていたようです。

さらに後年は、学校ではハワイ語禁止という規則も登場。ハワイ文化の権威、故カヴェナ・プクイ女史も、英語がわからない新入生にハワイ語で先生の説明を伝えたのが見つかり、外出禁止の罰を受けた…という体験談を書いています。母国語を話したら即、罰を受けるなんて……。ずいぶんナンセンスな規則がまかり通っていたんですねえ!

こうして歴史的に口承伝承に長け、詩的で美しい言語を操っていたハワイアンも、次第に英語民族に変化していったというわけです。……しかもそもそもは、白人に負けるまい! というハワイアンの意気込みから英語熱がスタートしたというのですから、なんともせつない話ではないでしょうか。

(この話、次回に続く)

2006年10月28日

初めてハワイアンが文字を持った日

文字を持たず、数百年にもわたり重要な事柄を、口承で次世代へと伝えていたハワイアン。歴史や家系図などをすべてチャント(詠唱)に盛りこんで記憶していたことは、すでによく知られています。それを身体の動きで表現したのがフラですよね。現在発売中のアロハエクスプレス86号でもふれているように、著名クムフラ(フラの教師)のサニー・チンも次のように語っています。「古代ハワイの貴重な情報や知恵が、全てチャントとフラに記録され何百年も伝わってきたんだ」。

ところがハワイがキャプテン・クックに発見され、西洋との交わりが生じてからは事情が異なってきました。キリスト教宣教師は布教の一環としてハワイアンに文字を持たせようと、まずはハワイ語のアルファベット表記の学習をハワイアンに勧めたからです。

このような意図のもと、1822年1月7日、初のハワイ語スペルの教本、「Puke A`o Kepelaプケ・アオ・ケペラ」が出版されました。ちなみにプケはブック、ケペラはスペルのハワイ語読み。ハワイ語の読み書きを習うことは、当初王族だけに限られており、当時王族の家庭はそれぞれ家庭教師を抱えて勉強に励んだそうです。それが次第に庶民へと広がり……。

口承伝承に強いハワイアンは、ハワイ語の読み書きにもその能力をいかんなく発揮しました。ハワイ語の文章を学ぶ際にも節をつけ、チャントのように謳って覚えたそうです。ハワイアンの中には、数ページにもわたり「逆さに持った教本」をスラスラ間違いなく読む人もいたそう。つまり、そのページを丸暗記していたってことですね~。この一例が示すように、ハワイアンは凄まじい記憶力の持ち主だったようです。

もっとも教本の中身は、当初の宣教師の意図を反映して、キリスト教的な教えがたっぷり盛りこまれていました。19世紀のハワイアン歴史家、カマカウによると、教本にはモーゼの十戒や聖書の一部、それに「偶像は持たない、崇拝しない」との誓いなども含まれていたとか。……ハワイアンたちは、いったいそれらをどんな気分で暗記したのでしょうか。内容はおかまいなしに、ただ記憶しただけ? それとも洗脳されたのか? ……興味の引かれるところですね~。

そんなこんなでハワイ語の学習熱は広がり、毎年4月にはオアフ島で、各地区の学校対抗発表会なども開かれていたそうです! カマカウによれば発表会が近づくと、ヌウアヌ・パリからカイムキの家々までの灯りが、夜遅くまで灯っているのが見えたとか。発表会で好成績を収めた学校は有名になり、みっともない結果を出した学校は嘲笑されたといいますから、当時のハワイアンは現代日本人も顔負け?の熱心さで、初めての読み書きに熱中したようですネ。

こうしてハワイ語教本が出版されてから2年後の1824年末までに2000人がハワイ語スペルを学んでいましたが、その数は毎年飛躍的に増加。1828年には3万7000人が、1831年には5万2000人が学んでおり、その数は実に当時の全ハワイアン人口の5分の2! すごいペースで、ハワイアンに文字が浸透したことになりますね~。

そもそもキリスト教の布教から始まった試みにしても、ハワイへの文字の導入は、よい意味でハワイの社会を変えた……ともいえるのではないでしょうか? カマカウのような19世紀のハワイアンが、当時のハワイの貴重な情報をいろいろ書き残してくれたことは、大変有難いこと。

いつかハワイ語をしっかり勉強して、それらの文献を原書で読むのが私の大いなる野望なのですが……。さあ、いつになることやら?

2006年08月02日

ハワイの人々のハワイ語能力

先週はひ弱にも休んでしまいましたが、今日からまた元気に復活です! ちょっと内輪の赤っ恥ネタになりますが、今回は「ハワイの人々のハワイ語能力」をテーマにお話しましょう。

夫はハワイアンなので、子供たちも(当然)ハワイアンの血をしっかり受け継いでおります。なので、よく「家族はハワイ語もOK?」なんて聞かれるのですが……その答えは、恥ずかしながら「とんでもナイ!」の一言。うちのハワイアン夫より、日本でフラをやっている方々とかの方がよっぽどハワイ語を知っているんじゃない? と思うこともしばしばです。これは我が家に限らず、ハワイのロコ全般に共通のことかも。たとえハワイアンであっても、ハワイ語なんて話せないのが実情なんですね~。

思い返せば息子が3歳の頃、こんなことがありました。息子がオアフ島のことを「オエイフ~、オエイフ~」と言うのを聞いて愕然! 息子はメインランド在住のアメリカ人みたいに、OAHUを英語読みしていたんですよね。幼いから仕方がないとはいえ、ハワイの子供たちですら、教えなければハワイ語の地名が読めないとは! ……私にとって、これは結構カルチャーショックでした。

そして先日、ホノルルからカネオヘへと走るリケリケ・ハイウェイを走っていた時のことです。今度は娘が「ライクライク・ハイウェイ」と。これまたLikelike Hwy.リケリケ・ハイウェイをしっかり英語読みしていたわけです。……こういう笑い話は、よく旅行者から聞くんですよね。「リケリケ・ハイウェイをライクライク・ハイウェイなんて発音しちゃって、ホテルの従業員に大笑いされたワ」なんて。それがハワイアン娘まで、堂々とライクライク・ハイウェイとは! 久々に驚愕しました。

確かにハワイでも日常生活でハワイ語にふれる機会は少ないので、ハワイ語を学校で習いでもしなければ、ハワイ語ができないのも仕方ないことだと思うんです。うちのハワイアン夫も、ベーシックな単語は知っているけれど、会話となるとお手上げ。ですが、そういう事情を知らない外国人は案外多いらしく……。ハワイアン夫が中学生の頃、こんなことがあったそうです。バスの中でメインランドからの観光客に道を聞かれ、ハワイアン夫が親切に答えると……。

「君は英語が上手だね~。どこで英語を勉強したんだね?」

……夫はハワイアンながら、生まれて以来、英語しか話したことはないんですけどね(冷や汗)。

一方、大学でハワイ語をとっていたので「簡単な日常会話くらいはできるヨ」と豪語していたハワイアン義弟。ところが義弟にも、こんな赤っ恥事件が勃発しました。……10年ほど前のことです。あるパーティで、私のフロリダ出身の友人を義弟に紹介。フラを習っている彼女は、常々「ハワイアンの恋人がほしいワ」と言っていたからです。ハワイ語をはじめハワイの文化に造詣の深い人なので、義弟にも「ハワイの文化に興味のある女性がいるから紹介するわ~」と、2人を引き合わせたわけです。もしかしたら素敵なカップルになるかも? そんな期待をこめて。

ところが友人は、義弟があまり気に入らなかった様子。後日こんなことまで言われてしまいました。「弟さん、いい人なんだけどちょっとね……。張りきって私にハワイ語で話すんだけど、そのハワイ語のひどいことと言ったら! あんな下手なハワイ語を聞いたの初めてよ。聞いてて恥ずかくなったワ」。

ハワイ語自慢をしていたハワイアン義弟の実力も、そんなものだったとは……。本人には、そんな友人の言葉を伝えなかったことは言うまでもアリマセン。

なんだか今日は、身内の恥を赤裸々に明かしてしまいましたネ。――ハワイ語は断じて死語ではないのですが、「ハワイの人々のハワイ語能力はこんなモン」というお話でした~。

2006年07月11日

ハワイ語の地名

アロハエクスプレス本誌で、「ハワイ地名事典」なる連載をしている私。これは、ワイキキ=噴き出す水、カイムキ=ティーリーフを調理するイム、などなど、ハワイ語の地名の由来を解説する記事なのですが……。読者の皆さんが「絶対知りたい!」であろう主な地名のルーツがわからず、ムズムズしてしまったことが過去に何度もありました。

その最たるものが、ハワイ各島の名前。ラナイ島以外は、実はオアフ島もカウアイ島もモロカイ島も島名の意味が一般に知られておらず、解説することができなかったんです(ちなみにラナイは征服の日、という意味。悪魔に支配されていた島を、ある酋長の息子が解放したという伝説からついた島名だそうです)。

ハワイの地名についてのバイブル本、「Place Names of Hawaii」の著者でありハワイアン・カルチャーの大御所でもあるメアリー・カヴェナ・プクイさんによれば、そのあたりの理由を次のように説明しています。なんでも島の名のような重要な地名は、ストリートの名前なんかとは違ってあまりにも大昔につけられたので、由来も意味合いも失われてしまったのだそう。今さら英語に翻訳することができないのだそうです。

たとえばオアフ島。「オアフ島=人の集まる島」なんて訳されることがありますが、言語学的にその根拠はありません。そもそも今でこそハワイ諸島の中で最も人口の多いオアフも、先史時代にはそれほど人が住んでいたわけではなく。どちらかというとハワイ島が文化&社会の中心だったくらいなので、意味合いからしても筋が通らないんですね。

同様に、カウアイ島、モロカイ島の意味もわかっていません。カウアイをFood Season、食べ物の季節なんて解釈する人もいたようですが、それも誤訳だそう。マウイ島にしても、半神半人マウイにまつわる地名のようではありますが、なぜそれが現マウイ島につけられているのかは、誰にもわかりません。

これらハワイの地名に関する謎のうち最たるものは、ズバリ「ハワイ」の意味合いでしょう。ハワイに似た響きの地名がポリネシア中にあるのは、よく知られているところ。サモアのサヴァイイ、マルケサス、ニュージーランドのハワイキなどなど。それらの島では魂の故郷、という意味がありますが、でもそれがここハワイでもあてはまるのか? はたまたポリネシア人の魂の故郷とは、ハワイ諸島のことなのか? なぜ、ハワイ諸島最大の島がハワイ島と呼ばれるのか? ……謎はいくつもありますが、諸説乱れるばかりで真相は藪の中なんですね~。

そんなこんなでムズムズすることは多いですが、でも! 一つ心から「よかったな~」と思うのはコレです。……キャプテン・クックにより発見されてから、ハワイ諸島は一時、サンドイッチ諸島なんて呼ばれていましたよね。イギリスの海軍大佐だったサンドイッチ伯爵を記念して。

そんなヘンテコな名が後年ハワイの人々の抗議を受けて消え、本来の名称に戻ったのは、本当に幸運なことでした。なんたって今でも世界各地に、その土地の言葉での地名を無視して、勝手にフランス語、英語の名を付けられている土地は数知れず。もしもハワイがそのままサンドイッチ諸島なんて呼ばれていたら……。今頃、「今度の夏、サンドイッチに行かない?」「え、サンドイッチに? いいね~」なんて会話が、日本でも飛び交っていたかもしれませんからね……。

そんなわけで、(謎は多いけれど)エキゾチックかつミステリアスな響きのハワイという地名が、私は大好きです。皆さんはいかがですか? サンドイッチという地名の方がよかったナ、という方……いらっしゃいます?

2006年04月27日

フラの女王のハワイアンネーム

ALOHA! ハワイ島に出かけていたため、1週間以上も更新できませんでした。「ハワイ島から帰ってきたの? 生きてるの? 死んでるの?」との声もあったようで、スミマセン。無事帰ってきました! ……身辺まだバタバタなので、今日は小ネタを一つ。

ハワイ島ヒロでは、世界一のフラの祭典、メリーモナーク・フラ・フェスティバルを見学。連夜、熱いフラの連続で生涯忘れられない時間を過ごしました! 初日はミス・アロハ・フラの競技。18歳~25歳の独身の女性ソロ・ダンサーが、いわば「フラの女王」の座をかけて競うわけですネ。

今年の優勝者は、ハワイ島コハラのハラウ(フラの学校)、「ナ・レイ・オ・カホロク」のダンサー、バーニス・アロハナマカナマイカラニマイ・デイビス・リムさん。……長~いお名前ですね~。名前をタイプするのに、今もしかしたら1分くらいかかっちゃったかもしれません……。立派なハワイアンネームの意味は「天国からの愛の贈物は戻ってくるであろう」みたいな意味ですって。う~ん、ディープ。

こんな長い名前の持ち主は、なにもバーニスさんに限ったことではありませんヨ。今年のミス・アロハ・フラの出場者の中では、カエナアロハオカウイカウケハケハ・アオエ・ホプキンスさんなんて方もいました(4位入賞)。ちなみに過去のミス・アロハ・フラ優勝者のリストを見てみると、マリア・エミリー・カウイラニオナプアエヒイポイオケアアヌエヌエオケオラ・フランシスコさん(2005年度)、ナターシャ・カマラマラマオカライロコカプウワイメハナオケケイキプナヘレ・オダさん(2001年)などなど……。皆さん、凄まじい長さです!

初回の「ハワイアンネームの掟」でお話したように、ハワイアンネームはその人の人生にも影響を与えうる精神性の高いものというか、名前自体がマナ(霊力)を持つものなので、親や祖父母、クムフラ(フラの教師)など名を付ける側も、海のように深い想いを託すのでしょうネ。

そこは日本人の名前も同様でしょうが、ハワイアンネームの長さはまさにジュゲムジュゲム……の世界で桁違い。しかも長いハワイアンネームの各パーツが単語として意味を持ち、それぞれ一つの名前として独立できる感じです。たとえばバーニス・アロハナマカナマイカラニマイ・デイビス・リムさんのハワイアンネームを例にとると、アロハさん、ナカマさん、カラニさんといういくつもの名前に分けることができそう。

こういう長い名前を日本風に付けるとなると、「田中桜子・幸与・美絵・愛子・教実・清恵・純・花枝・波乃・優華・雪葉」みたいなことになるわけですね。……こうやって考えると、ハワイアンネームの奥深さが、しっかり実感できるような気がします。

それにしても。こういう超立派なハワイアンネームの持ち主は、それが正式な名前の場合、パスポートの名前の記載や銀行など各種書類に名前を書く時、どうしているのでしょうか? 書くスペースもなければ、書く手間も大変そう。そもそも、自分でも自身の名前を間違えて書いてしまいそうですよね~。イニシャルだけで済ませてしまうのでしょうか? そのあたり、今度誰かにインタビューしてみたいナ、と思います。

2006年04月04日

マイハマイハ大王って何者?

ハワイアンが敬愛してやまないカメハメハ大王ですが、その名前の英訳は「The lonely one」。日本語で言えば孤独な男、とか、淋しい奴、みたいな感じでしょうか? Mehamehaメハメハという単語自体に孤独な、との意味があり、Kaカはハワイ語の定冠詞なので、こういう訳になるわけですネ。

1823年頃にハワイ諸島を訪れたウィリアム・エリスは、ロンドン生まれの宣教師。当時29歳で好奇心いっぱいだったエリスは、ハワイについて興味深い供述をたくさん記しており、このカメハメハの名前についてもそれはユニークな考察をしています。彼の記述によると……何でもキャプテン・クック一行はカメハメハのことを、「マイハマイハ」と呼んでいたんですって!

英語とハワイ語では、もちろん発音の方法がずいぶん違います。英語にはない母音や子音が、ハワイ語にはありますしネ。それでマイハマイハなんて妙な発音にされてしまった上、カメハメハのカは定冠詞なので、勝手に名前から省かれてしまった模様。……定冠詞といってもカメハメハのカは、紛れもなく固有名詞の一部なんですけどね~。それを無理やりはがしてマイハマイハとは……。そんな風に呼ばれたカメハメハが、「は? それって誰のことですか?」とクック一行に尋ねたかどうかは、神のみぞ知る、です。

そしてキャプテン・クックから約14年後の1792年にハワイを訪れた、やはりイギリスの航海家キャプテン・バンクーバー。バンクーバーの場合はカメハメハのことを、「Tamaahmaahタマアマア」と呼んでいたそう。この場合は定冠詞らしきものがまだ残っていますが、でもタマアマアっていったい? なんかネコちゃんかなんかの名前みたいですよね。「クックのマイハマイハよりも、バンクーバーのタマアマアの方が、やや本当の発音に近い」とは、エリスの弁。とは言え、当のエリスだって偉そうなことは言えませんよ! エリスだってカメハメハを「タメハメハ」と呼んでいたのですから……。

エリスはハワイ諸島の前にタヒチを訪問しており、タヒチ語のTはハワイ語ではKとなります。だからタヒチ語のタブーはハワイ語でカプ、タロはカロ、ティキはキイ、タネはカネとなるわけで。それでエリスはカメハメハのことも、タメハメハと呼んだんですね。

マイハマイハだのタマアマアだのタメハメハだの。気の抜けるような発音で呼ばれた大王は、ホントにお気の毒。ハワイが世界に誇る、強靭な王者もカタナシですネ。……そんなわけで、もしイギリス人と話していて、「偉大なるマイハマイハ」とか、「ハワイ諸島を統一したタマアマア」なんてフレーズが出てきたら。もう皆さんには、それが誰のことかわかりますね? その発音を訂正するかどうかは、皆さん次第ですが。

あ、冒頭の写真はタマアマア、いえ、カメハメハ大王の肖像画です。銅像の方がずいぶん男前。これはやはり別人としか見えませんね~。

2006年03月28日

雨とハワイアン

ハワイは今日も雨。世界的に異常気象が続いていますが、ハワイのこの雨も、ちょっと尋常ではないですよね~。今週末にはキャンプに行く予定なのですが、さあ、どうなることやら?

でも! 文句ばかり言ってはいけませんね。雨は恵みの雨。雨が降らなければそれこそ困るわけで。今朝そんなことを考えながら、フとハワイ語辞典の「雨」の部分を見ていたら、素敵なことがいろいろ書かれているではありませんか! そこで今日は、ハワイにおける「雨」の解釈をポジティブに紹介しましょうね。

ハワイ語辞典によると「Ua雨」は愛すべきもの。雨こそが大地を維持、保護するものだからで、古来ハワイでは雨を「Kahiko o ke akua神の装飾品」と呼んだそうです。

古来詩の中でも、ハワイの雨は、喜び、生命、成長、緑、幸運を表わす形容として使われてきました。雨を表わすハワイ語もいろいろ。たとえば冷たく厳しい雨は「Ua awaウア・アヴァ」、大粒の雨は「Ua Hekiliウア・ヘキリ」、シャワーのような雨は「Ua Nauluウア・ナーウル」、大地を潤す雨は「Ua hanaiウア・ハナイ」、霧雨は「Uakeaウアケア」、何日も続く激しい雨は「Ua lanipiliウア・ラニピリ」、小雨は「Uaoaウアオア」。以上はほんの一例で、雨を現す言葉がさらにたくさんあり、ハワイ語辞典では軽~く10行以上も費やされているほどです!

またハワイ各地の雨を詩的に表現した固有名詞もたくさんあるよう。たとえば私の住むホノルル・ヌウアヌ地区の雨は「Uamakalaukoaウアマカラウコア」と呼ばれたそうです。直訳すると、「コアの木の葉の真ん中に降る雨」。きっと昔のハワイでは、ヌウアヌの山にコアの木がたくさん生えていたんでしょうね! こんな、特定の場所の雨を現す固有名詞が、オアフ島に関しては15、マウイ島は12、ハワイ島は9、カウアイ島には4つあることが知られています。ハワイアンはさんさんと降り注ぐ太陽も愛していたのでしょうが、雨の美しさも同様に愛でていたんですね~。

……雨に関するハワイ語の数が多いことはまた、すなわち、ハワイでの雨の重要性を示していると言えないでしょうか? 先日触れたクジラですが、クジラ関連のハワイ語といえば、わずかコホラ(ザトウクジラ)とパラオパ(マッコウクジラ)の2つだけ。雨とはずいぶん扱いに差がありますよね~。

……あ! こんなことを午前中に書き、後で見直しをしようとしているうちに。外を見れば雨がいつの間にかあがって、晴れ間が広がっているではありませんか! う~ん、嬉しい驚きです。上の写真のような雨のダウンタウンが、下の写真のような晴天のダウンタウンに変わっていたのですから……。


雨のハワイも美しいけれど……久々に見る晴天のハワイは、やっぱりいいですね~。街中が輝いて見えます。子供たちは、さっそくプールへと出かけていきました! しばらくこの晴れ間が続くことを、心から祈ります。 

2006年01月24日

白のへエイア、黒のへエイア

先日、カネオヘ湾に面したヘエイアケア・ボートハーバーで、釣りをしてきました。カネオヘ湾といえばエメラルドグリーンの珊瑚礁の海が続き、その美しさはひとしお! スノーケルや水上スキーなどなど、オーシャン・スポーツのメッカでもありますね。私たちが陣取っていた波止場の周りにも、トロピカルフィッシュがちょろちょろ泳いでいて、それを見ているだけで、癒されました~。1メートルくらいの大きさのエイ(マンタ?)も、悠々と泳いでましたヨ。

あ、前書きが長くてスミマセン。今回はこのヘエイアケア・ボートハーバーの地名をテーマに、お話しましょう。

へエイアケアとは、「白のへエイア」という意味の地名です。なんでも古代ハワイでヘエイアの地は、死後の魂がよい魂と悪い魂に分けられる、審判の地と信じられていたそう。そしてよい魂は「白のへエイア」、ヘエイアケアに集められ、天国に送られたんですって(道理でこのハーバー周辺の海が、天国のように美しいワケですね!)。

一方、へエイアには「黒のヘエイア」、ヘエイアウリという名のエリアもあります。こちらは白のヘエイアの反対。黒のヘエイアには悪い魂が集められ、地獄に落とされたんだそうですよ。昔ヘエイアに閻魔大王がいたのでしょうか?(くさい冗談)

ちなみに、ヘエイアという地名そのものは「押し流される」という意味だそうです。ある伝説によれば、昔ヘエイアに、よその土地のハワイアンが攻めてきたそう。と、その時。津波が押し寄せてきて、敵を全て海に押し流してしまったとか。その出来事以後、この土地はヘエイアと呼ばれるようになったのだそうです。


地名と言えば、へエイアケアは「タコの赤ちゃん」を意味する、という解釈もありますよ。こちらは、この海にタコの赤ちゃんが多いことからの命名ですって。確かに波止場の近くでも、浅瀬に腰まで入ってタコを探す人たちがいました。ちょっとグロテスクですが、その日ヘエイアケアでとれたタコの写真が上の写真です。

……このように、ヘエイアケアひとつを例に取っても、豊かな歴史や伝説、自然の特色など、様々な要素が込められているハワイの地名。ハワイ語って、ホント、奥が深いですね~。ハワイ語の地名は、豊かなハワイの文化に彩られているんだナ……とつくづくと思いました。皆さんもそう思いません?

2005年10月26日

ハワイアンネームの掟

Aloha! 初めまして。ホノルル在住のライター、ホクラニ桜子です。今日からこのブログでは、ハワイでのライター生活15年(年齢がバレそう……)で見聞きしたハワイの文化や歴史、社会、自然にまつわる雑学を、ちょっとづつご紹介して行く予定。よろしくお付き合いください。さらにはネイティブ・ハワイアンの一家に嫁いで「へえ~!?」と知った、雑多なネタにもふれていきますので、ご愛読くださいね!

さて初回は、自己紹介の意味を含めて、「ハワイアンネーム」をテーマにお話しましょう。

私のハワイアンネーム、ホクラニは、ワヒアワ出身のハワイアン夫と結婚した際、ハワイアン義母が付けてくれたものです。ハワイ語でラニは天国の、ホクは星を意味し、ホクラニは「天国の星」。なんか立派すぎる名前ですよね(冷や汗)。霊的な話というかハワイの不思議世界が大好きな私なので、義母はスピリチュアルな名を選んでくれたようです。感謝。だから写真のように、全てハワイアン・ジュエリーにも、〈Hokulani〉の文字を刻んでおります。


一般にハワイで人に名前を与えていいのは、親、クムフラ(フラの教師)、カフナ(ハワイの祈祷師)の3人とされています。ハワイアンの信条によれば、名前は与えられた時から霊的なパワーを持ち、その人の健康状態から幸福、寿命にまで影響するものなのだそうです。つまりハワイアンネームを与えるのは、霊的な重みと責任のある特別な行為。誰もが無責任に、人に名前を与えてよいというわけではナイんですね。

ましてや、ビジネスで人にハワイアンネームを与えるなんてトンデモナイこと、と思うのですがどうでしょう? というのも……フラの大御所である男性が、見も知らぬ外国のフラダンサーに$500の料金でハワイアンネームを与えていると聞き、ガックリしたことがあるからです。その幼馴染みのおばあさんは、ある日フラの大御所に言ったそうです。「外国人相手に妙なぼったくり商売しないでちょうだい!」。すると大御所も「黙れ!」と怒鳴り返してきたそう。腹が立つのナンのって……と、おばあさんは怒り心頭でこの話をシェアしてくれました。私もおばあさんの意見に賛成。戒名でもあるまいし、大金を出して立派なハワイアンネームをもらうなんて……絶対変ですよね?

ちなみに、ハワイアンのほとんどがハワイアンネームを持っていますが、出生証明証に記されていないことが多いもの。単に愛称として使っている人も少なくありません。様々な理由がありますが、一つはカメハメハ4世の治世だった1860年、氏名について定めた法律が制定され、その中に「子供にはクリスチャンネームをつけること」という項目があったためです。ハワイアンがハワイ語の名前を持つことを禁じられるなんて……。ハワイ語やフラが弾圧された時代ですから、こんなおかしな法律までできちゃったんですね。

この悪法が廃止されたのが1967年。意外に最近のことで、今38歳になる人たちまでが、厳密に言えばハワイアンネームを持つことを禁じられていたことになります。その影響からか若い人でも、ハワイアンネームが出生証明証に記載されていない、もしくはファーストネームではなく、ミドルネームとしてハワイアンネームを持つ人がすごく多いです。私自身、日頃「カアヒナノ」「ナへナへ」「コア」なんてエキゾチック~な名で親しんでいた友人の戸籍上の名が、実は「ダグラス」「ティファニー」「ジョン」だった、なんて知って、目が点になったこともしばしば(ホント)。

以上のように、とても奥が深~いハワイアンネーム。話は尽きませんが、今日はこの辺で……。


ハワイ在住15年目。ネイティブ・ハワイアンの夫と小学生の息子&娘の4人家族。何よりもハワイアンカルチャー、ハワイの不思議世界が好き。

2007年03月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

アーカイブ

RSSを取得