2009年01月30日

ワイアルアの謎の岩

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ハワイではこのところ、爽やかで涼しい気候が続いています! 朝晩ヒンヤリとして、トレーナーなど着ないと「寒い」くらいですが、カ~ッと暑い夏の気候に比べ、こういうのも過ごしやすくてなかなかよいもの。


そんなわけで先週の日曜は、久々にノースショアまでドライブしてきました。ワイアルア、ハレイヴァあたりを回ってきたのですが…その際ワイアルア近くのKaiaka Bay Beach Parkカイアカ・ベイ・ビーチパークという場所で、奇妙な岩を見かけたんです。写真を見るとわかるように、遠くから見るとキノコのようですよね? 近くに寄ってみると二つの岩から成っていて、小さな岩の上に大きな岩が危うく乗っているような感じ。岩と岩の間は洞窟上にポッカリ空いていました。猫か何かの住処になりそうな気配でした。


岩は珊瑚混じりで、高さは4メートル、幅5、6メートルくらいだったかしら? 周りにティーリーフが植えられているところを見ると、何か所縁のある岩のよう。そこで家に戻ってリサーチしてみると、やは~り! この岩はポハク・ラナイと言われ、様々な伝承があるようでした。


一見して古い古い岩なので、いろいろな説がありますが、うち1つは、この岩はタヒチから漂ってきたものだというもの。ハワイの半神半人、マウイが海から投げたものだという説もあります。または、この岩はもう何千年も昔からこの地にあり、火山活動によって一帯が地上に出てくる前までは海面下にあった、とする説も。その経過の途中、波に洗われたことによって、2つの岩の中心部が削られてキノコ状になった…とも。


真相は定かではありませんが、岩と珊瑚が一体になっている形状から見て、どの説も信憑性がありますね! 近くに似たような岩は全く見られませんでした(なぜラナイの岩と呼ばれるのかも、わかりません)。私がこれまで見てきた、ハワイの云われあるポハクとも全く違っていました。私のイメージするポハクは一般によくある自然岩で、形そのものはごくフツーというか。でもポハク・ラナイはすご~く変わっていて、古代ハワイのというより、原始時代の遺物という印象でした。一見して、私は奈良県明日香の石舞台とかを連想してしまいましたが…。


ポハク・ラナイの用途についてもまた、多説あるよう。信仰の対象、つまり祭壇とかヘイアウの一部であったというものや、近隣の漁師が魚の群れを探すための物見櫓であったというものまで。漁師はポハク・ラナイの上から、魚の大群が近づいてくるのを見つけると、木の棒でポハク・ラナイをガンガンと鳴らし、待機している漁師達に知らせたのですって。恐れ多くて試してみるのは怖いですが、珊瑚混じりの岩なので、もしかしたらキンキンとか? コンコンとか? よく鳴ったのかもしれませんね~。


ともあれ。ハレイヴァにお出かけの機会があれば、この不思議なポハク、ぜひご覧になってくださいね。一見の価値あり!の不思議度ですヨ。

2008年07月01日

ワウケの木が毛深い理由は?

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皆さんはWaukeワウケという植物をご存知ですか? ハワイ古来の工芸品にタパ布というのがありますが、タパ布の主原料がこのワウケ。ワウケの木の皮を水に浸して表皮を削り取り、叩き…という面倒な手作業を何度も繰り返して作られるのがタパ布です。ワウケのまたの名はペーパー・マルベリー。日本でいうカジノキですね。その葉は手の平大で、ギザギザのあるハート風のシェイプが特徴です(上の写真)。


タパ布は古代ハワイで衣類のほか寝具にも使われ、ワウケはそれは大切な木だったわけで。そんなワウケは、実は大昔に死んだ毛深いハワイアンの化身である…というユニークな伝説が残っているので、ご紹介しましょうね。


男の名前はマイコハ。マイコハに関しては彼が神だったという説と、元々は農夫で死んでから神に昇格したという説があります。初めの説はこう。マイコハは神聖な宝物をいくつも壊したので父神に追放され、マウイ島カウポという場所でとうとう死んでしまったとか。


その後マイコハの身体から生えてきたのが、ワウケの木。マイコハは大変毛深かったので、今なおワウケの花や茎は、ビッシリと毛に覆われているのだそうです。


2つ目の説は、父子の愛情が絡んだセンチメンタルなストーリーです! 主人公は同じマイコハですが、こちらのバージョンのマイコハは神ではなく人間。マイコハはホノルル・プイヴァの川の近くで、娘達と幸せに暮らしていました。ところが急病で死の床についたマイコハ。ある日娘達に言いました。


「お父さんはもうすぐ死ぬ。私が死んだら、川岸に墓を作っておくれ。やがて墓からは木が生えてくる。この木の皮を使えばよい布が作れるので、それを生活に役立ててほしい」


マイコハの死後、娘達が川辺に墓を作ると、本当に1本の木がそこから生えてきました。「これは先祖神となった父からの贈り物に違いない」。娘達はそう考えて父の遺言を実行すると、木の皮からは素晴らしい布が出来上がりました。これがハワイ初のタパ布。つまり、タパ発明の物語ですネ。


やがて1本の木はほかの島々にも広がり、ワウケはポリネシア全域への素晴らしい贈り物として認識されるようになりました。マイコハとその娘はその後、タパ作り職人の守り神として崇められるようになったとか。


そのため職人達はワウケの木を植える前にマイコハに祈りを捧げてお供え物をしたり、その枝を切ったりタパ作りを始める前には、その加護を求めて祈りが捧げられるのだそうです。


…以上、2つの伝説をご紹介しましたが、これらのうち、皆さんはどちらが好きですか? 私は、やはり放蕩息子(神)がワウケになったとの話より、慈悲深い父がワウケになり、ポリネシアにタパ布をもたらしたという話の方が好きですね~。なぜ放蕩息子がワウケになったか、そのあたりの関連性もよくわからないし…(毛深いという身体的特徴からだけでしょうか?)。


それにしても。こういう伝説が残るあたりに、ハワイアンにとってのワウケ、つまりタパ布の重要性が偲ばれますね。

2008年04月29日

カアラ山に棲む優しい女神カイオナ

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皆さん、お元気ですか? すっかりご無沙汰してしまいゴメンナサイ! 先週、無事日本から戻ってきました。4月の日本は…思ったよりはるかに温かく、ハワイと変わらない? と思った瞬間も。桜には少し遅かったけれど…。自著「ミステリアスハワイ」も書店で見つけて、大感激でした~。


そんなこんなでブログの更新がすっかり滞ってしまいましたが、今日は久々にカルチャー寄りの話題をお届けしましょうね。


昨夜、ニール・ブレイズデル・センターで行われた、ケアリイ・レイシェル&ホノルル・シンフォニーのジョイント・コンサートに行って来ました! ケアリイの甘い歌声、そして彼の主宰するハラウ・フラ(フラスクール)のダンサー達のフラを充分楽しみ、もう2時間があっという間。2月に見た彼の本拠地マウイでのショーに比べ、ケアリイは最初少し緊張気味でしたが、すぐに本領を発揮。愉快なトークも炸裂して、ひと晩中見ていたいほどの素敵なショーでしたよ。


ショーの終盤、ケアリイは「カイオナ」という歌を歌ったのですが…。「カイオナ」は彼のCD「ケアラオカマイレ」に収録されている名曲。作者はプアケア・ノグマイアーです。この優しく甘いメロディー、私も大好きだったのですが、恥ずかしながらハワイ語の歌詞の内容は知らなかったんです。


ところが昨夜、ケアリイの解説で初めて、カイオナとはオアフ島に住む女神の名であることを知りました。正直言うと、ハワイ神話は基礎の基礎しか知らない私。カイオナの名は初めて聞いたので、家に帰ってからちょっとリサーチもしてみました。


なんでもカイオナは、オアフ島西部ワイアナエのカアラ山に住んでいるそう。カアラ山といえばオアフ島最高峰。標高は1200mほどですが、希少な植物も多く、一帯はハワイ州の自然保護区に指定されています。山は鬱蒼とした森に包まれているんですね。


ケアリイによれば、カアラ山に住むカイオナは大変慈悲深い女神。森で迷った旅人がいると救いの手を差し伸べて、森から導き出してくれるのだそうです。森に入る時は森の神々に挨拶し、入場する許可を求めたりしますが、正しくない方法で入場した時。時に森の神は旅人に怒り、霧を送って旅人の往くべきトレイルを覆い隠してしまったりするとか。そんな時、カイオナは、優しい風を送って霧を追い払ってくれるんだ、とケアリイ。


また時には自分のペットである小鳥を案内役として送り、旅人を森から導き出してくれることも。そのため古代ハワイでの諺には、ヘ・ロコマイカイ・カ・マヌ・オ・カイオナ(カイオナの優しい鳥)というものがあり、これは道に迷った人を助けてくれる人のことなのですって。


ハワイの神々って、正直、火山の女神ペレのような、厳しい神々が多いような印象があったのですが…。人間を罰したりするような。でもカイオナはずいぶん違いますネ。こんな素敵な女神がオアフ島に住んでいたとは…。全く知りませんでした! Mahalo、ケアリイ!


…そういえばケアリイのコンサートって、単にエンターテイメントとして第1級なだけじゃなく、ハワイ文化に関する教育的な要素もまた強いですよね。歌う曲について1つ1つ解説してくれるので、結果、聴衆が学ぶものも多いというか…。


たとえば昨夜、ある歌の解説としてWaiについて説明したケアリイ。「Waiっていうのは淡水のことで…Waiは古来ハワイ文化ではすごく重要な意味があって…」なんて説明を、9歳の娘も熱心に聞き入っていました。学校のハワイアンクラスで、Waiのことを習ったばかりだったので、興味津々だったみたい。


2月のマウイ島でのコンサートでも感じたことですが、ケアリイは、人気シンガーである前にまずクムフラ(フラの教師)であり、ハワイ文化の教育者なんですね。インタビューの際にも、そんな話が出ました。「フラを教えることが僕の本流なら、歌は単にその支流なんだ。70歳になってフラは教えているだろうけど、歌っているかどうかはわからないナ」とケアリイ。昨夜は本当に(女神カイオナの存在も知ることができて)楽しいだけではなく、学び多いコンサートでした。ケアリイのコンサート、またぜひ行きたい!


(写真はカアラ山、ではなくヌウアヌの鬱蒼とした森です。こっちにはどんな女神が住んでいるのでしょうか?)

2007年10月26日

ハワイ人類発祥の地

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またまたツマラナイ写真をお見せして、ごめんなさい! 風景としては美しくもなんともない写真なのですが…。写真の海はオアフ島のカネオヘ湾。そしてかなたの海上に伸びる細長~い島は、正確にいうと半島で、モカプ半島と呼ばれています。そしてこのモカプ半島、実はハワイ神話上ちょっと重要な場所として知られており…。なんと! ハワイの神々によって初の人類が創られたのが、このモカプ半島なのだそうです~。


モカプ半島には、以前カハカハケアと呼ばれていた場所があります(現在の地名はパフナ)。カハカハケアの土は赤土で、そこに真っ黒い土が混ざっているのだそう。人によってはこの赤土が、鉄粉のようにキラキラ光っているという人もいます。そして昔々の大昔。ハワイ神話上の4大神クー、カナロア、カネ、ロノが、このカハカハケアの土から、初めての人類を作り上げたそうです。


なんでも、ある日カナロアが、赤土で神々の姿に似せて人形を作り、ほかの3人の神々が「土よ、人間になれ」と命じたとか。けれど土はピクリとも動かず、そのまま石になってしまいました。そこで今度は、カネが挑戦することに。カネはクーとロノに言いました。「私のいう言葉に呼応して助けてほしい」。


カネが土人形に向かって「起きよ!」というと、クーとロノは応えました。「生きよ!」。もう一度カネが「起きよ!」、クーとロノが「生きよ!」と命じると、ついに土人形は起き上がり、人間の男となったのだそうです。これがこの世で初めて誕生したハワイアンというわけ。


ちなみにこの神話にも、いくつかバージョンがあります。この後人間の男の骨から女が作られ、二人は夫婦になった…という話もあるのですが、それって、ちょっと旧約聖書のアダムとイブの話に似すぎていますよね? そのため女性が作られた話については、古代ハワイの神話ではなく、ハワイがキリスト教世界と接した後世、追加されたものではないか?…とも信じられているそうです。


なおMokapuモカプという地名ですが、その由来もまたユニークなので、ご紹介しましょうネ。16世紀の昔、モカプ半島を含む一帯の土地は、オアフ島の王族パレイホラニに属する、神聖な土地だったとか。


17世紀になると、今度はオアフを征服したカメハメハ大王により、この土地は王族の寄り合い処として選ばれたそうです。そのため半島はMoku Kapuモクカプと名づけられました。モクは小さな島または半島、カプはタブーの意味。つまり「立ち入り禁止の半島」とか「神聖な島」…といった意味ですネ。それが訛って、いつしかモカプと呼ばれるようになったということです。


余談ですが、このモカプ半島、今ではアメリカ海兵隊の基地になっていまして、一般人は立ち入り禁止なんです。…本来はハワイアンの聖地だったのに、こうして海兵隊基地にされてしまうなんて、何とも皮肉。つまりハワイ人類発祥の地は今も古代ハワイの昔と同様、立ち入り禁止(モカプ)なわけですが、当時とは全く違った理由で立ち入り禁止なわけで…。なんとなく複雑な気持ちに襲われてしまうのは、私だけでしょうか?

2007年07月05日

カメハメハと巨岩伝説

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このところ更新が滞っていてスミマセン! 夏休みに入ってサマースクールなど子供の学校のスケジュールが変わり、毎朝5時半起きでお弁当作り。ふだんは給食なので辛い~。…な~んて、言い訳はこれくらいにして、と。今日はしばらく前にハワイ島ヒロで拾ってきた、巨岩がらみのネタをご紹介しま~す。


まずは上の写真を見てくださいませ。ヒロ・ダウンタウンのヒロ図書館の入り口近くに、なんの変哲もない、日本でいうならコンクリートの塊にも見える岩が鎮座しているのですが…。実はこれ、ハワイ史上にも残る有名な岩なんです! ナハ・ストーンと呼ばれ、その重さは3.5トンだそうです。


ナハ・ストーンには数々の伝説が残っています。ひとつは、この岩は大昔カウアイ島にあり、大きなカヌーに乗せられて、ハワイ島にやって来たとか。人々はこの岩をナハ・ストーンと名づけ、ヒロ図書館の近くにあったというピナオ・ヘイアウ(神殿)に祀ったそう。…ナハ・ストーンには、なんらかのマナ(霊力)が籠もっているのかもしれませんネ。ちなみにナハ・ストーンの隣には小さめで垂直に立つ岩がありますが、こちらはヘイアウの名をとって、ピナオ・ストーンと呼ばれています。


もうひとつの伝説は、「この岩を持ち上げることができた者は、ハワイの王者になる」という言い伝え。なにせ3.5トンもの岩ですから、ヒョイと持ち上げるのは人間技ではないような気がしますが…。ある時、王族の若者が、ついにこの岩を持ち上げました! 人々が驚愕し、そして喜んだのは言うまでもありません。この若者はのちに、初めてハワイ諸島を統一。偉大なるカメハメハ大王として、後世、世界中に名を知られることになりました、とさ。


聖なる岩であるはずのナハ・ストーンは、一時期歴史の表舞台から姿を消していたのですが、1916年以降、ヒロ図書館に移されました。囲いもなにもありませんが、ヒロ市民の崇拝を受け、大切にされていたと思います。


ところが! 2004年、この岩にいたずら書きをするという大事件が勃発! 大問題に発展しました。なんでもある朝、図書館職員が出勤すると、ナハ・ストーンには「1893-2004年」との落書きが、ピナオ・ストーンには白線が、ペンキで残されていたとか。一見、意味のない落書きのように見えますが、1893年といえば、ハワイ王国が白人勢力によって転覆された、ハワイアンにとっては意味の大きい年ですよ。これには、なんらかのメッセージが込められていそう…。


もちろん悪意、の可能性が大きかったのでしょう。さっそく警察が呼ばれ、新聞沙汰になり、ハワイの文化を守るハワイアン団体のひとつ、「ロイヤル・オーダー・オブ・カメハメハ1世」のメンバーらも集まって、落書きを落とすのに必死だったと聞きました。


…それにしても、ハワイアンが大切にする聖なる岩に落書きとは…。どこの誰が、なんのためにしたことかはわかりませんが、ずいぶん罰当たりなことをしたものですね!


今年3月に私が訪れた際、ナハ・ストーンとピナオ・ストーンはすっかりきれいになって図書館前に鎮座していました。ヒロに行くたびに見てみたかったのですが、図書館の場所がわからず見逃していたので、ついに対面できて嬉しかったです! ナハ・ストーンは横2メートルはあり、ホント、あの岩を持ち上げるのは…人間技ではない感じ。カメハメハ大王は、超人だったのですね~。


それとも…。「カメハメハが王者になった後に、そんな伝説が作られたのかなあ…」というのは、一緒にいたカメラマンの弁。う~ん、そんな可能性もあり?


あなたはどちらの説を信じますか?

2007年04月04日

タロイモの恋伝説

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先日、アラモアナセンターをぶらぶら歩いていたら。センター2階で青々としたタロイモの葉が風に揺れていて、とても綺麗でした! …そう。アラモアナセンターには、タロイモやティーリーフ、バナナなど、南国の植物が観賞用に植えられたコーナーがあり、素敵です。観光客の方々もわざわざ畑などに出かけず、ハワイを代表する植物をお勉強することができるのがイイですよね(さもなければ、いくらハワイでも道端にタロイモが生えていたりはしません~)。


そんなわけで、(ちょっとこじつけですが)今回は可愛らしいタロイモの伝説をご紹介します!


昔々、ハワイ島南コナの山側、ホオケナの町の近くに、大きなタロ畑がありました。畑いっぱいにタロが元気に育っていましたが、なかでも2本、飛び抜けて立派なタロが隣あって生えていたとか。2本のタロは強く、美しく、大きく…。ハート型の葉は上品なシェイプを描き、茎も完璧なカーブを描いてスクッと伸びていました。


そんな完全な姿をしたタロが隣り合っているのですもの。2本のタロはお互いを密かに賞賛し、いつしかお互いに恋心を抱くようになったのも、無理はありませんね。タロたちはやがて、深く愛し合うようになりました。


ところがある日。タロ畑のある地区を支配する酋長が宴会を開くことになり、その立派なタロを引き抜いてこい! と部下に命じたから大変。部下はタロに、「おまえ達は明日、宴会に供されることになった。また明日くるから用意しておくように」と伝えて帰っていったので、2本のタロはその夜、闇夜にまぎれて一緒に畑を横切り、畑の反対側の端に移動しました。ところが酋長は部下に命じてタロを探し出し、また次の日の食事に出すように命令するのでした。


そこでタロの恋人たちは手に手をとって必死にジャンプし、隣の畑に逃亡。酋長は激怒してまた追っ手を差し向けたので、タロの恋人たちはさらに遠くの畑に移動。こうして地域の皆がタロの恋の逃避行を見守る中、酋長の部下とタロの追いかけっこが続いたのでした。


そしてある朝。いよいよ追っ手が、タロたちの隠れている畑のすぐそこに迫ってきました。そこでタロたちは力を振り絞って空中にジャンプ! ちょうど追い風が吹いたこともあって二人の体は宙高く浮き、とうとう近隣のカウの村にまで吹き飛ばされていきました。 


カウの酋長は、もう1人の酋長とは異なり、大変優しい酋長でした。タロの恋人たちは酋長の加護のもとで新しい畑に定着。そこでたくさんの子ども達を設け、大きなファミリーを築いて幸せに暮らした、ということです。めでたし、めでたし、の可愛らしい伝説ですね~。


この話はもちろんお伽話ですが、なんとなく…実話のエッセンスが少~し混じっているような気がしませんか? ハワイアンにとってタロイモは古来、主食だっただけでなくハワイアン民族の始祖である神の長子であり、ハワイアンの兄弟であるとする神話もあったりして、それは重要な植物です。そんなこともあって、どうも私には、上記のタロ伝説が人間の恋人たちをモデルにした物語であるような気が…。


もしかしたら古代ハワイでタブーを犯して恋に落ちた男女は、タロの恋人達のように、罰を恐れてほかの村に逃避行したのかもしれませんね? そしてその村の酋長が許可すれば、タブーを犯した人々も、その村で幸せに暮らすことができたのかも。それをタロになぞらえて後世に伝えたのが、この伝説なのかもしれません。…皆さんはどう思いますか?

2007年03月12日

ペレ神話の謎

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フランク・ヒューイットさんといえば、フラ競技会の最高峰、メリーモナーク・フラ・フェスティバルの審査員も務める偉い、偉いクムフラ(フラ教師)。しかもカフナ(祈祷師)としての肩書きをも持つ、大変スピリチュアルな方でもあります。


以前あるフラのイベントで、このフランクさんと、キラウエア火山のハレマウマウ・クレーターにご一緒した時のこと。噴煙をあげるクレーターを見下ろして立っているフランクさんに、恐る恐る聞いてみました。


「ペレの存在って感じますか?」


ハレマウマウは、火山の女神ペレが住むと信じられているクレーターです。カフナでもあるフランクさんなら、妖気か何かを感じたとしても、なんの不思議はありませんよね?


それに対し、「YES、感じる感じる。それにとてもすがすがしい気分だよ」と答えてくれたフランクさん。しかも、「ペレはヒューイット家の先祖だからね」な~んておっしゃるではないですか。…正直なところ、一瞬、目が点になってしまいました。


確かにハワイには、「ペレの子孫である」と主張する人々がいます。昔フラ・スクールで一緒だったハワイアン女性も、同じことを言っていましたっけ。でも。ペレってハワイ神話上の女神ですよね? その子孫であるというのは、いったいどういうことなのでしょうか? …それに関するフランクさんの説明は、以下のようなものでした。


「ペレというのは、大昔タヒチからハワイに渡ってきた人間の女性なんだ。彼女は強靭で崇高な人格の持ち主で、一族はペレを敬い、彼女の指示をよく守った。そうして一族の長として長年崇められた結果、ペレはだんだんと神格化され、後年、女神として人々に記憶されることになったんだ」


フランクさんの家には、ペレから連なる長い長い一族の系譜を伝えるチャント(詠唱)も残っているのだそうです。「クム、ぜひそのチャントを聞かせてください」。図々しくリクエストした私に、「本を見ながらじゃないと…」というフランクさん。流暢なハワイ語を話すカフナだった祖母に育てられたというフランクさんは、今やハワイでも珍しい、ハワイ語の本格的な使い手です。そのフランクさんが「本を見ながらじゃないと…」というからには、相当長~いチャントなのでしょうネ。


この話をどう受け取るかは、人それぞれでしょう。ですが少なくとも私は、大昔の神話や伝説の始まりの秘密を、垣間見たような気がしました。きっとタヒチからハワイへの移住が盛んだった1000年以上も前、強大な権力を持ったペレという女性が実在したのでしょう。人々はその女性を崇拝し、奉り、いつしか神として後世に伝えられたというフランクさんの説明に、私は妙に納得してしまいました。


ノアの箱舟伝説も昔、実際にあった大洪水を記録するものだとの説があるように、神々の誕生もまた、こうして何らかの史実を反映したものなのかもしれません。ペレだけではなくハワイ神話の大神カネや平和と豊穣の神ロノにも、もしかしたらモデルとなった偉大なハワイアンが存在したのかもしれませんね。


…それにしても。のちに神格化され、子孫に崇拝されるようになったのはイイとしても、いつの間にか「残忍で嫉妬深い」「恐怖の女神」なんていう形容まで定着してしまった、ペレ。今頃はあの世で、苦笑いしているカモしれませんね~。


(冒頭の写真はハレマウマウ・クレーターと、淵に残されていたお供えものです)

2007年03月02日

続ハワイアンと鮫のディープな関係

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前回お話したように、ハワイの海で鮫は、まさしく向かうところ敵なし。激しく噴火する火山への畏怖が、怒りっぽくて残酷な火山の女神ペレの神話を創りあげたように、鮫へのそんな恐怖もまた、鮫を神格化したのでしょう。女神ペレがタヒチからやって来た時、兄である鮫の神も一緒にやってきたとか、真珠湾の鮫の神の話などなど、鮫に関する神話・伝説は枚挙にいとまがありません。クジラ神話が見当たらないのとは、大きな差があります。


鮫は一般的に神であるばかりでなく、ハワイで各ファミリーにいるとされる守り神アウマクアの一種なので、鮫を崇めるファミリーも多いもの。そのため、「病気になった祖母に頼まれ、ある入り江に住む白い鮫に餌をやりに行った。すると祖母が回復した」なんて、一見(一聞?)ナンセンスな話を聞くことも、ハワイでは珍しくありません。


たとえばマウイ・オーシャン・センター水族館の文化コンサルタントを務める宗教家、チャールズ・カウルヴェヒ・マックスウェルさんは、2001年1月14日付けの地元紙ホノルル・アドバタイザーのなかで、鮫に関する逸話をいくつか紹介しています。チャールズさんは昔モロカイ島沖で、鮫に餌をやるハワイアン・ダイバーを見たとか。ダイバーは銛で魚を突いており、1尾突いては海に投げ、次の1尾を自分のものにする…と、実に2尾に1尾を海に捧げているのでした。


「すると、どこからともなく大きなタイガー・シャークが現れたんだ。僕はダイバーが襲われるかと思った。ところがダイバーが僕に言うんだ。『この鮫は僕の守り神なんだ。僕の行く先どこへでもこの鮫は現れて、助けてくれるんだよ』」


チャールズさんはまたその記事のなかで、1930年代に起きた海難事故にも言及しています。ある時モロカイ島沖でツアー・ボートが沈み、乗客は皆、鮫に殺されてしまったそう。ところが船長のハワイアンがチャント(詠唱)を始めると、船長の一家の守り神である大鮫が現れ、船長を背に乗せて陸まで送り届けてくれたのだそうです。不思議な話ですね~。


その記事のなかではほかにも、「守り神の鮫が現れると、その日は必ず大漁なんだ」と語るハワイアンなども紹介されていて、ハワイアンと鮫の愛憎関係というか複雑な関係を浮き彫りにした、興味深い記事でした。


なお現在のハワイアンと鮫の関係?ですが、ハワイで年に数回は鮫の襲撃事件が起きているものの、「鮫に噛まれた」だけで鮫に食い殺されたという事件はここ数年起こっていないかもしれません。鮫は人間をカメなどほかの生物と間違えて襲うのであって、そもそも人間を食べる習性はないというのは本当のようですネ。


ちなみに私も幸いなことに、今のところハワイの海で鮫に遭遇した経験は皆無。ただしハワイアン夫は一度、深夜にサーフィンをしていて、少々怖い体験をしました。サーフボードに寝そべって浮かんでいたら、下からなにかがドンッ!とボードに当たったので、あわてて海から上がった、と夫。


それが鮫だったのかどうかは、「神のみぞ知る」ですネ。ただ鮫は夜間、獲物を狩ると言いますから、夜中にサーフィンなんて命がけもいいところ。皆さんも、どうぞ夜中に海に入るなんてことはなさいませんよう…。映画「ジョーズ」の冒頭シーンの再現になっては、大変ですからね!


お知らせですが、明日から3日間、今度はハワイ島ヒロに出張です。コメントのお返事などは帰ってからになりますので、よろしくお願いいたします~。

2007年02月25日

ハワイアンと鮫のディープな関係

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ハワイ語で鮫はManoマノ。ハワイにもブルー・シャーク、ガラパゴス・シャーク、リーフ・シャークなど数種の鮫がいますが、そのうち人を襲うことがあるのはタイガー・シャーク、そしてシュモクザメです。映画「ジョーズ」に登場したホオジロザメもごく少数いるのですが、幸いなことに滅多にハワイでは目撃されていません(ホッ)。


ホオジロザメが人を襲ったとされる事件も、私が覚えている限りでは1度だけ。オアフ島ワイアナエコーストでイルカと泳いでいた男性が、ふくらはぎを噛まれたというものです。それだけのけがで住んだローカル男性は、本当にラッキーでしたね~。


ハワイアンにとって鮫は古来、少々複雑な存在でした。恐怖の的でもあり、同時に尊い神として崇められてもいて、いずれにしろ、ほかの海洋生物より格段に重要な意味合いを持つ存在だったと言えるでしょう。この点、以前お話したクジラとは、大違いだったと言えます。


鮫を神格化するハワイアンは古来、積極的に鮫を食料としたわけではなく、鮫釣りが王族の勇猛なスポーツだったほかは、ごく必要分だけ捕まえたようです。鮫の歯をノコギリの歯のように埋め込んだ棍棒は武器として重宝されましたし、皮は大太鼓を作るのに使われました。


もっともいくら神格化されているといっても、ハワイアンが海で鮫と遭遇するのを恐れなかった…なんてことはありません!


「鮫は荒れ狂う海のライオンであり、鮫を飼いならすことは誰にもできない」


鮫の恐ろしさをこうピタリと表現したのは、19世紀のハワイアン歴史家、カマカウ。鮫が海のライオンとは、まさに言いえて妙ですよね! カマカウは名著「ピープル・オブ・オールド」のなかで、さらに以下のように続けています。


「鮫は人を丸ごと飲みこむこともできる。誰かが鮫を怒らせれば鮫は何十もの歯を剥き出し、そこを海水がタプン、タプンとよぎり――鮫に襲われてカヌーをバラバラにされ、鮫の上下の歯に挟まれて上下左右に振り回される時の恐怖は、何事にも例えることはできまい。ハワイにはまだ、こういったシーンを目の前で見たという人々が存在する」


カマカウ自身が恐ろしい鮫の襲撃を目にしたわけではありませんが、マウイではしばしば、鮫に襲われた人に会う機会があったようです。ある時は片足と手を鮫に食いちぎられ、臀部は欠け背中には大きな傷があり、顔面も片目と頬に切り傷が走っている人に出会ったとか。ゾ~ッ!


また「本当に気の毒な女性にも会った」とも。「彼女は危うく鮫に飲み込まれそうになり、体の前面と後ろに、鮫の歯形を残っていた。彼女は海に仕かけた魚網をチェックしていて、目の前を小さな鮫が過ぎていくのを見た。そのとたんに体が生ぬるく感じたと思ったら、何と全身が大鮫の口にすっぽり入っているのだった。と、大鮫の口が閉まりそうになったその時、最初に見た小さな鮫が大鮫の口をなんとか開こうとしていて、女性はなんとか大鮫の口から抜け出ることができた」


カマカウは1845年、マウイ島ラハイナでこの女性に会ったそうで、頭のてっぺんから足先まで走る鮫の歯形を見た、と記しています。昔は今よりも海の生物も潤沢だったでしょうし、ハワイアンと海の精神的、物理的な距離も近かったでしょうから、鮫の事故も多かったのかもしれませんネ。


(次回に続く)

2007年01月12日

ヌウアヌにある「ハワイの天国」

ハワイを地上の楽園、天国と呼ぶ人は多いですネ。では、ハワイアンにとっての天国は、いったいどこにあると思いますか?

ハワイ神話に「神々の住む地」として登場する場所はいくつかあり、和訳すると「輝く天国」「宙に浮くカネの地」「遥かなる白いタヒチの地」などという地名で記されています。カネとはハワイの4大神のひとり。これらの地にはカネやそのほかの神々が、幸福に暮らしているのだそうです。いってみれば、ハワイのオリンポスですネ。

その神々が地上に降りて暮らしたとされる場所、つまりこの世の天国…ともいうべき土地が、実はうちから車で10分ほどのところにあります! その名はWaolaniワオラニ。ヌウアヌ渓谷の一部で、ダウンタウンから山側にヌウアヌ・パリ・ハイウェイを走り、エマ女王の夏の離宮からは、ハイウェイをはさんで反対側になります。現在はメンバー制のゴルフ場、オアフ・カントリークラブのある場所がそれ(写真)。

ワオラニはハワイ神話にたびたび登場し、全ハワイアンの祖先とされるワケアとパパが暮らしたのもココ。ハワイで初めてヘイアウ(神殿)が建てられたのもココだそうです。19世紀のハワイアン歴史家、カマカウによれば、少なくとも4つの有名なヘイアウがワオラニにあったとか。

またケアオメレメレ(ハワイ語で金色の雲を意味します)という有名な神話のなかで、時に金色の雲として現れる女神ケアオメレメレが、神々の国から降りてきて暮らしたのもココ。ケアオメレメレは月の女神ヒナと神クーの娘で、大変美しいお姫様だったそう。ケアオメレメレの世話をしていた神カネとカナロアが、その住居として美しいワオラニを選び、そこにヘイアウを建てたのだそうです。

ワオラニはまた、エエパ族がたくさん住んでいたことでも知られています。エエパ族は小柄な妖精たちで、メネフネとまったく同じ存在なのかどうか?は定かではありませんが、ワオラニに住む小柄な民族はエエパ族と呼ばれているんですよね。

このように、美しいハワイでも特に、神々が天国のように美しい地として居を定めたワオラニが、うちのほんの近くにあったなんて意外です! さっそくオアフ・カントリークラブを訪れてみると、そこはヌウアヌの山が間近に迫った、確かに美しい土地でした。コース全体がなだらかな斜面に造られていて、緑濃い山がすぐそこに迫っていて…。

私はサイキックでも何でもなく幽霊を見たといった経験もなく、霊的なことはまったくわからないのですが…。ハワイの渓谷に関しては、そこに漂うマナ(霊力)を感じるというか。なんとな~くなのですが、そこが神聖な土地であるような気はするんです。モアナルアの渓谷や、エマ女王の夏の離宮がある、ヌウアヌの渓谷もそう。そしてオアフ・カントリークラブのあるワオラニが、まさにそうでした。

しかも、家を出た時は快晴だったのに、車でほんの10分走ったワオラニでは霧雨が降り、山全体が霞んでいるかのようなミステリアスな雰囲気で。…昔ここに、金色の雲の女神が住んでいたんだなあ、と、なんだか納得できる雰囲気でした。

余談ですが、その日フと不思議に思ったのが、ワオラニ周辺には、寺院がとても多かったこと。車からサッと目を走らせただけで、オアフ・カントリークラブのすぐ近くに日蓮宗のお寺があったし、ユダヤ教の教会や、本間仏立宗というお寺もすぐそこでした。

…ハワイの原始宗教とは宗派が違っていても。神聖な土地というのは、なにかしら同様の尊いものを引き寄せるのかもしれませんネ。そんな気がしてなりません。

2006年11月29日

続ハワイの豚の神って?

まず初めに訂正から……。ハワイの豚の神について書いた前回、文末に「1999年前の日曜日にこの滝で起きた惨事」ウンヌンと書いたのですが、スミマセン! 1999年前でなく、7年前の1999年に起こった出来事を言いたかったのでした。そんな大昔に何が起こったの? と思った方も多かったでしょうネ。訂正してお詫びします。

今日はその続き。(いよいよ)1999年5月9日、母の日の日曜日に起こった惨事についてお話しましょう。

豚の神様カマプアアの本拠地である聖地セイクリッド・フォールズは、現在ハワイ州立公園になっています。雄大な滝を中心にした緑深い渓谷は、人気のハイキングコース。地元の人々はもとより観光客多数も、セイクリッド・フォールズをよく訪れていました。

そんな滝の周辺が約100人のハイキング客で賑わっていた、1999年5月9日午後2時半のことです。のんびりくつろいでいたハイキング客の頭上で突如轟音が鳴り響き、無数の巨岩が渓谷を転がり始めました。落石です! 高さ150メートルもの石場から、時速100キロ以上のスピードでたくさんの岩が転がり落ちてきたのですから、これはたまりません。滝壷の周りには身を隠す場もなく、人々は悲鳴をあげて逃げ惑ったそうです。結局8人が死亡し、50人以上が負傷。中には大きな岩の下敷きになり、何日も遺体が見つからなかった女性もいました。

この日は母の日のパーティがあったので、ハワイアン夫の実家にいた私たち。夕方のTVニュースでこの事故を知り、一同、大ショックを受けたことを覚えています。美しく晴れた日曜日、それもハッピーな日であるはずの母の日に、聖地でこんな事故があるなんて……。

事故以来、州立公園は閉鎖され、今も立ち入り禁止が続いています。その後「落石の可能性を察知し、しかるべき処置を取らなかった」という理由で、ハワイ州に対する集団訴訟も起こされました。ハワイ州が被害者と遺族に850万ドルを払うことで決着したのは、数年後のことでした。

ハワイ州がこの裁判であっけなく負けたのには、こんなわけが……。実はセイクリッド・フォールズは、古来、落石の多いことで知られていたのだそうです(私は知りませんでしたが)。一部のカマプアア伝説にすら、その事実が登場するとか。前回、「大昔は渓谷の入り口に見張り番が立っていて、女人禁制。足を踏み入れた女性は死刑になった」と書いたばかりなのですが、渓谷の入り口に見張りが立っていたのは、何も神聖な土地だったからという理由ばかりではなさそう。落石の危険があったから入場を規制していたのだ、と解釈する人もいるそうです。

それなのに。ハワイ州政府は(渓谷を保護しようという目的があったのでしょうが)ここを州立公園として定め……つまり人々の憩いの場やリクリエーション地区として渓谷を開放し、結果的に大惨事を招いてしまったことになるわけで。う~ん、やはりハワイ州に過失があったと言われても、仕方なさそうですよネ。

今もセイクリッド・フォールズ州立公園の再開放を求めて政府に働きかける人はいるようなのですが、やはりここは古代ハワイの例にならって、何人も足を踏み入れないほうがよさそう……。セイクリッド・フォールズが聖地ならなおさら、カマプアアをはじめとする多くの神々が、「そっとしておいてくれよ」と願っているのかもしれませんからネ。落石事故も神々が起こしたのだ、というつもりは毛頭ありませんが……。

2006年11月25日

ハワイの豚の神って?

豚の神様…なんていうとジョークのような響きがありますが、ハワイには豚の神様がおります。その名はカマプアア。半神半人で、ハンサムで長身の酋長として現れることもできれば、大きな牙と8つの燃える目を持つイノシシ、またはフツーの豚として人間の前に姿を現すのだそうです。

ほかにも様々な植物や魚が、カマプアアの化身として知られており、ハワイの州魚とされるフムフムヌクヌクアプアアも、カマプアアの化身。あの、ちょっとフグに似たとぼけた顔つき、そういえば豚に似ていませんか? また、その名のラスト3文字にご注目ください! プアアとつくのはカマプアア関連の印…。ハワイアン・ファミリーにもカマプアアの子孫だとされる人々がいて、実際プアアという名字の方が多いものです。

このカマプアアは乱暴者でいたずら好き、しかも女好きと、ちょっと問題児のような神様。ちょうど日本のスサノオノミコトと、近いイメージがあるかもしれません。火山の女神ペレとは愛憎関係にあり、蜜月関係が続いたり宿敵として戦ったり、の繰り返し。出会いの際も、ペレの美貌に目をつけて追い回すカマプアアを、ペレが「豚め!」とあざ笑ったので、血みどろの戦いに。海に逃げ込んだカマプアアはフムフムヌクヌクアプアアに変身し、逃げのびたのでした。

それにしても、どうして豚やイノシシが神様なのだろう、と訝しがる方もいるかもしれませんね? もっともな疑問なのですが……。牛や、もちろん象なんかもいなかった古代ハワイでは、イノシシは陸で最大の生き物でした。しかもするどい牙で人を襲うこともある獰猛な生き物ですし。そんな背景を考えると、なぜ豚の神様が誕生したのか、わかるような気がしますね。ちょうど人々が火山の爆発を恐れ、それが女神ペレの存在につながったのと同じことだと思います。

さてこのカマプアアを謳ったチャント(詠唱)は多く、フラの主題としても一般的なカマプアア。今年4月のメリーモナーク・フェスティバルでも、男性ハラウがカマプアアをテーマにした古典フラを踊ったのを見た方もいるのでは? ダンサーはケサを肩にかけ、イノシシの牙を模した首飾りをつけていましたっけ。カマプアアの踊りの際は、イノシシの牙状の首飾りをつけるのがお約束のようです。

ハワイでも各地にカマプアア伝説が残る土地があり、オアフ島では東部のクアロア、カハナなどが知られています。しかしカマプアア伝説の色濃く残る土地といえば、何といっても、ノースショアのセイクリッド・フォール、ハワイ語でいうカリウヴァア渓谷でしょう! キラウエア火山がペレの本拠地なら、セイクリッド・フォールはカマプアアの本拠地ともいえる土地柄なんですね~。

高さ25メートルもの壮大な滝を囲む渓谷には、カマプアアの隠れ家だったというポハク・ピイ・オ・カマプアア、カマプアアのカヌーの跡というカヴァア・オ・カマプアアなどなど、カマプアア絡みの地名もたくさん。そのほかカマプアアの生まれた洞窟、生まれた直後に両親の名を呼んだ丘、捕まえた男たちを食べたという地、カマプアアが川をせき止めその後洪水を起こし、敵をやっつけた地点など、20や30のロケーションが軽く挙げられるほど。しかもカマプアアの足跡まで残っているそうで、こうなると、まるでカマプアアが実在の存在であるかのような気になってきますネ。

この渓谷はそのほかの神々の伝説もいろいろある、古来神聖な土地だったようです。大昔は渓谷の入り口に見張り番が立っていて、女人禁制。足を踏み入れた女性は死刑になったそう。大きな滝壷の近くには、大変神聖なヘイアウもあり、祭壇だったという岩もあったとか。英名の地名、セイクリッド・フォール(神聖な滝)は、このあたりの故事からきた地名なのかもしれませんね。

それだけに1999年の日曜日にこの滝で起きた惨事は、大変ショッキングなものでした。

(次回に続く)

2006年10月05日

プナホウの泉の伝説

ホノルル・マキキにあるプナホウスクールといえば、ハワイで1、2を争う名門校。幼稚園から高校までの一貫教育で知られ、生徒数は3700人以上と、私立校としては全米最大の規模を誇ります。そうそう、あの有名な女性プロゴルファー、ミッシェル・ウィーの通う学校でもあります!

同校の歴史は古く、開校は1840年。そもそもその敷地は1829年、女王カアフマヌの薦めにより、当時オアフ島長官だった王族ボキが寄付したものだそうです。……カアフマヌ女王と言えば、かのカメハメハ大王がこよなく愛した妻ですね。クリスチャンだったカアフマヌ女王は、宣教師の師弟たちが遠い母国の学校に送られなくともすむようにと、宣教師の師弟用の学校創立を思いついたのが始まりだそうですよ。……つまりプナホウスクールの歴史は、(正確にはその死の2年後になりますが)なんとカメハメハ時代に遡るものだったんですね~。

ちなみにプナホウスクールのプナホウとは、ハワイ語で「新しい泉」を意味する地名。プナホウスクールの校門(写真)には、ハラの木(その長細い葉がラウハラマットの材料として重宝されています)がデザインされているのですが……。今日はその地名にまつわる、泉とハラの木絡みのユニークな伝説についてお話しましょう。


昔々ハワイ一帯を飢餓が襲い、この地に住んでいたある老夫婦は、飲み水にも困るほどでした。いつも遠くまで水を探しに行かなければならず、苦労していた2人。ある夜不思議なことに、2人揃って全く同じ夢を見たそうです。……それは見知らぬ老人が現れ、「この先に古いハラの木がある。その根元には泉があるので掘ってみろ」と語る、何ともミステリアスな夢でした。

翌朝、2人は半信半疑ながらそのハラの木を探しに行くと、ちょうど夢の老人が指示した場所に、古いハラの木が立っているではありませんか。そして木の根元を掘ると、アラ不思議! こんこんと清らかな水が湧き出したのでした。2人は大喜びし、以来その土地はプナホウ=新しい泉と呼ばれるようになったそうです。

別の伝説によると、この泉を創ったのは、ハワイ神話の大神カネなのだそう。海の神である弟のカナロアと、オアフ島を旅していたカネ。カナロアが「喉が渇いて死にそうだ」と文句を言うので、カネは手にしていた杖で地面をひと突きしました。すると。たちまち清らかな泉が湧き出したということです。

……今もプナホウスクールの中庭には泉が残り、美しい蓮の花が咲き乱れているそう。そして泉のほとりにはハラの木も……(もちろんこれは近年植えられたものですけどネ)。なお「プナホウの聖なる岩」でお話した聖なる岩が立っているのも、このプナホウスクールの門前なんですよね。……歴史と伝説に彩られたこのハワイの名門校、近くに出かけたらぜひ、足を止めてみてくださいネ。

2006年07月03日

プナホウの聖なる岩

ハワイには昔から、バース・ストーンという聖なる岩があります。これは、産みの苦しみをやわらげるマナ(霊力)がこもるという、女性には有難~い岩。昔ハワイの女性は、その岩の上で出産したとも、岩をお参りしたとも言われています。ハワイ各地にあるのですが、有名なのはオアフ島ワヒアワのバース・ストーン。でもワイキキにほど近いプナホウ地区にも、一つあるのをご存知ですか? そこで今日は、このプナホウのバース・ストーンをご紹介しましょう!

プナホウ・ストリートとワイルダー・アベニューの角に、プナホウ・スクールという、ハワイ指折りの名門校が建っています。幼稚園から高校まで一貫教育の私立校で、学費の高さでもハワイ指折り(年間1万2000ドルくらい?)。この学校の門前に、そのバース・ストーンは鎮座しております(上の写真)。

この岩、元々はマノアの渓谷にあったのだそう。学校を建てる際、学校の敷地のくぎりを示す大きな岩が求められ、マノアで大きな岩が見つかりました。さっそく大勢の労働者が地中深く埋まっていた岩を掘り出し、「やれやれ、これで明日は岩を動かせるゾ」と家に帰ったのですが……。翌朝見ると、なぜか岩はさらに深く、ガッシリと地中に埋まっていたのだそうです。

労働者たちは「これは尋常の岩ではない」と困り果て、カフナ(祈祷師)に相談しました。するとカフナは言ったそうです。「確かにこれはただの岩ではない。無理に動かそうとしても無理。丁寧にお願いして、動くことに同意してもらえ」。そこでカフナの言うとおり、素晴らしいご馳走が岩に捧げられ、ルアウ(宴会)が開かれました。翌日、岩を動かそうとするとすんなりと動き、現在地に運ばれてきたのだそうです。

かつては縦横、数メートル、数トンもあったそうですが、ある時いくつかに割れ、現在プナホウ・スクール前にある岩は高さ1.5メートルほど。学校の名前の銅版が埋めこまれ、今ではマナのこもる岩というより、ま、学校の看板のような役割をしています。

しかも。この岩、聖なる岩なのに間違いはないですが、バース・ストーンとしてお参りする人は、今ではいないみたいですね? でも。不思議なのは、このプナホウ・スクールの数十メートル先に、ハワイ随一の産婦人科病院、カピオラニ病院が建っていることなんですね~。

カピオラニ病院は1890年、ハワイ王国のカピオラニ女王(カラカウア王の妻)の命で建てられました。当時はカピオラニ・マタニティホームと呼ばれ、小規模の産院だったのですが、今では小児科、そして産婦人科も含む婦人科の総合病院に発展し、その規模はポリネシア随一(下が病院のロゴマークです)。かくいう私がお世話になったのもココでした。ちなみにプナホウ・スクールが設立されたのは、それに先立つこと49年の、1841年。


そんなこんなで、人によっては「例のバース・ストーンがこの地に産院を呼んだのだ」なんて言ったりするのですが、どうなのでしょう。また、いくつかに割れたバース・ストーンの一つが、カピオラニ病院の一角に残っているとも……。真相は藪の中ですが、バース・ストーンとカピオラニ病院には、ちょっと不思議な因縁を感じてしまう私……。皆さんはどう思いますか?

2006年05月29日

続ハワイのドラゴン伝説? モオ

前回お話したモオ伝説、意外に反響があって嬉しかったです! 「モオ伝説は日本の鬼伝説と似ているかも?」との指摘もいただき、なるほど~、と納得。モオは家族や地域の守り神であると同時に、悪役としてもハワイ神話にたびたび登場しているので、確かに日本の鬼と近い存在なのかもしれませんね。今日は悪役モオの伝説のうち、有名な2つお話をご紹介しましょう。

皆さんはカネオヘ湾、ちょうどクアロア・ビーチ・パークの目の前に浮かぶ小島、チャイナマンズハットをご存知ですか? 写真のように、中国人のかぶる帽子のように見えることからこう呼ばれるのですが……。ある伝説によれば、これは邪悪なモオの尻尾なのだそうです!

この島のハワイ語名はMokoliiモコリイ。昔々、モコリイという名の獰猛なモオが、一帯のハワイアンを苦しめていました。モコリイは目に入った全てのハワイアンを殺し、人々は恐怖の中で暮らしていたそうです。ある時、女神ヒイアカがクアロアを通りかかった時にも、モコリイが出現。ヒイアカの前に立ちはだかったので、ヒイアカはモコリイを打ち砕き、切断してクアロアの海に投げ込みました。そのうち尻尾が海に突き刺さった姿が、とんがり帽子のような姿をしたこの島だというわけです。

……前回、モオがどれだけ巨大か、ということを書くのを忘れたのですが、一度モコリイ島を見ていただければ、その大きさが実感できるかもしれませんね(あ、私まで、まるでモオが実在するかのように書いちゃったりして)。しかもモコリイ島はクアロアのシンボルとも言える存在ですから、一度見ていただきたいな~、と思います。

さて次のストーリーは、ホノルルのハワイ大学近くに広がる街、モイリイリにまつわるものです。モイリイリは今でこそMoiliiliと書きますが、もともとはカモオイリイリKamooiliiliと書かれていたものだそうです。カは定冠詞、モオはもちろんモオで、イリイリは小石。つまり日本語にすると、「小石状のモオ」という意味の地名になりますね。

この地名の由来になったのも、女神ヒイアカとモオに関する伝説です。ある日ヒイアカと恋人のロヒアウが、この地を歩いていた時のこと。強風が吹き荒れてモオが出現し、ロヒアウを連れ去ろうとしました。そこでヒイアカはモオに戦いを挑み……。どちらが勝ったのかは、もう言わなくてもわかりますよね? ヒイアカはモオの身体を粉々に打ち砕き、それらは石、つまりイリイリになったのだそうです。

そしてモオの身体だった小石が積もってできたのが、現在クヒオ小学校の建つ場所の山側にある丘。……こうして見ると、女神ヒイアカと大とかげモオの一族は、宿敵だったみたいですね~。探してみると、ヒイアカVSモオの伝説は、ハワイ各地にあるのかもしれません。

余談ですが、このクヒオ小学校というのは、「超有名なホノルルのお化けビル」で紹介したコンドミニアムのすぐお隣。ほんの偶然でしょうが、くだんのコンドCは、まさに伝説や逸話に彩られた土地に建っているようで……。Cに出没する霊というのが、モオでないこと祈ります!

2006年05月25日

ハワイのドラゴン伝説? モオ

ハワイでは古来、各ファミリーに守り神というか先祖神がいるとされ、Aumakuaアウマクアと呼ばれています。アウマクアは動物として現れることが多いのだそう。……もちろんそれは先祖の化身というか、動物の姿でご先祖さまが現れる、ということなのですけどネ。

これらアウマクアとして崇められる動物は、フクロウや鮫、ネズミなど様々。同じファミリーの守り神がいろいろな姿で現れるのではなく、各ファミリーに決まった姿のアウマクアがいるとされます。たとえば「うちのアウマクアは鮫よ」「そう? うちはフクロウなのよ」といった感じ……。その動物たちの一つが、ハワイ語でMooと呼ばれる大トカゲなんです。

ハワイには写真のようなチビなとかげ、つまりゲコはいますが、コモドドラゴンのような大型のトカゲはおりません。モオはあくまでも想像上の生き物。それにしては……ハワイ各地にモオ絡みの伝説がたくさん残っているのは事実です。時にはファミリーの守り神という範疇を超え、ある地方の守り神として、広く崇拝されていたりもします。

モオは沼や池、滝壺など淡水に住むとされ、巨大なそのボディは墨のように真っ黒なのだそう。カヴァ(「ポリネシアの御神酒? カヴァ」参照)が好きで、カヴァを与えられると、水の中でカヌーが引っくり返るようにグルグル回るのだそうです(ゾ~)。モオは沼や池の守り神でもあり、その土地のハワイアンが十分な魚をいつも得られるよう、池などを管理していたのだそうです。

各地に有名なモオがいて、たとえばオアフ島のエヴァ地方には、カネクアアナというモオがいました。魚や貝が不足したある年のこと。モオをアウマクアとして崇める一家がモオのためのヘイアウ(神殿)を建て、地方全体のハワイアンに食物をもたらせてくれるよう、祈願しました。と、しばらくするうちに一帯の海に貝や海老が大発生。それはエヴァ地方の全員が食べても食べきれないほどの量だったそうです。

一方で、もしその土地の酋長が貧しい人たちや孤児に、海や池からの産物を分け与えなかったら。モオは怒って食物を海から取り上げ、浜辺には石ころしかない状態が続くのだそうです。

……このモオ伝説、まるでお伽噺のようだ、と思う方も多いでしょうね? ごもっともです。それでも「うちの家族はモオの子孫」「アウマクアはモオなのよ」という人はハワイに実際いますし……。以前、大きな滝で知られるオアフ島ノースショアのワイメア・フォールズ・パーク(現在は経営母体が変わり、ボタニカルガーデンになっています)を訪れた時には、こんなことがありました。スタッフに滝の話を伺っている時、そのハワイアン女性が言うんです。「この滝にモオはいませんけどね。それは考古学者も認めていることよ」。

イエ、その時は別にモオの話をしていたわけではなくて、その滝の歴史だとか、伝説について聞いていただけなんですけどね……。なぜかきっぱり、そんなことを言われてしまい。「モオがいないなんて当たり前でしょう! いるわけないじゃないですか」な~んてことは私も当然言えず。「じゃ、どこの滝壺ならいるんですか?」なんてことも聞けなくて、黙って話を聞いているしかありませんでした。

以上のように、ありえない存在のようでいて、今もモオへの信仰や伝説がしっかり残るハワイ。ネスコの恐竜よりもゴジラよりも、もしかしたらずいぶん古い時代から信じられてきたハワイのモオ伝説、あなたはどう思いますか? 

もっともモオ伝説の中にもいろいろあり、悪さをして退治されてしまったモオの伝説も多いようです。次回はそんな悪役モオたちの伝説を紹介しますね。お楽しみに!

2006年03月20日

続ハワイアンにとってのクジラ

 

前回は、マウイ在住のクムフラ(フラの師匠)に、クジラのことを訊ねたまでを書きました。今日はその続編。

「ハワイアンにとってクジラはどういう存在ですか?」。雑談ついでに、何気なく口にした質問だったのですが。クムフラの答えは、ズバリ、私の疑問の核心をつくものでした!

「ハワイアンにとってクジラは、冬期しか到来しないビジターでした。現代でもクジラは、ハワイの海にとり単なるお客さんよね。昔も同じ。だからハワイアンは、あまりクジラに重きを置かなかった」

言われてみれば当たり前の、的を得たお答えでした。ハワイアンにとってクジラはお客さん。年中一緒にいる仲間というか、生活共同体の一部ではなかったわけですね~。なるほど、だからクジラはハワイ文化の中に、大きな足跡を落としていないというわけで。

「もちろん、クジラが岸に打ち上げられるようなことがあれば、それは王族の所有物になり活用されました」。クムフラは続けます。「特に珍重されたのは歯ね。歯は加工され、レイ・ニホ・パラオアと呼ばれるネックレスに仕立てられたの」

レイ・ニホ・パラオアは王族の象徴というか、王族だけが着けること許された装飾品でした。一番上の写真の肖像画で、2人の王族女性がつけている白いペンダントがソレです。ちなみに、黒いひも部分は人間の髪で編まれています(絵しかお見せできずゴメンナサイ。本物はビショップ博物館などでご覧くださいね~)。

クジラの歯は確かに貴重品だったには違いありませんが、専門書によると歯クジラは一般に、100本近くの歯を持っているそうです。歯はそれぞれ10センチから25センチ、重さ1キロ近くもあるそう。クジラ1頭が手に入れば、レイ・ニホ・パラオアに限っては相当量が取れますものネ。たまに手に入ればいいや、という感じだったのかな~? と想像します。

私にとっては雄大な海の主、という感じだったクジラですが……古代ハワイでは存在感が薄かったのも、以上のようなワケがあったんですね。もしかして……だから19世紀のマウイ・ラハイナが、外国の捕鯨船の基地になってしまったのかもしれませんね~。クジラがハワイでもっと尊敬され、畏怖される存在だったら。マウイのラハイナが捕鯨基地になることもなかったのではないでしょうか。

さて、最後に私個人のクジラとの関わりについて書きましょうね。大したお付き合いはないのですが……子供が生まれるまでは、毎年クジラのシーズンにマウイに出かけ、船に乗ってホエール・ウォッチングを楽しみました。最初は、きっと遠くでクジラの尾でも見られる程度なのだろう、とあまり期待せず出かけたんですよね。ところが! 尾どころか壮大なジャンプを繰り返すザトウクジラをたっぷり見て、びっくりでした。連邦法により、船は100メートル以上クジラに近づくことはできませんが、それでも思ったより近くで、大ジャンプを満喫。嬉しい驚きで、毎年出かけるようになりました。

一度など、長さ3、4メートルの子クジラが、船にピッタリ身体を寄せてきて。船からクジラには近づけませんが、クジラからやってくる場合は仕方ないので、こういう時、船はエンジンを切ってジッとしているしかないわけです。それこそ手を伸ばせば触れられそうなほど間近に見た子クジラの身体には、小さなフジツボがいっぱい付いていました。てっぺんのところが割れてフジツボの白い内部が露出し、それがエメラルドグリーンの海の色に染まって、幻想的な美しさでした! 

またうちのハワイアン夫は、ノースショアでサーフィン中、クジラのグループに遭遇し、怖い想いをしました。サーフボードの上に座って浮いていたら、クジラのグループが接近してきたそうです。その中に赤ちゃんクジラがいたので、母クジラが警戒したのでしょう。ハワイアン夫の3メートルくらい先を、大きなクジラがグル~ンと1周。その際、クジラの巨大な目玉にジロリ! と睨まれて、生きた心地がしなかったそうです。

ハワイアン夫は、カカアコ・ウォーターフロント・パーク前、通称「ポイントパニック」でボディサーフィンもよくするのですが、クジラの季節には、海に潜るとウォ~ン、ウ~とクジラの鳴き声が響いてくるのですって。姿は見えなくとも、すぐそこの海にクジラが潜んでいるんですね。ロマンチック~!

今年もあと1カ月くらいでクジラはハワイを去ってしまいますが、そういえばまだ一度もクジラを見ていません。オアフ島では船に乗るのではなく、マカプウの展望台やノースショアの丘からクジラを探すのが私は好きです。天気が回復したら、一度出かけて来ますネ。

2006年03月17日

ハワイアンにとってのクジラ

冬のハワイは雨が多くて……なんて前回書きましたが、このシーズンのハワイも、悪いことばかりではナイですよね。たとえば、このシーズンには近海でクジラが見られること。11月~3月が、ハワイのホエール・ウォッチング・シーズン。その手の船に乗るのがベストですが、この時期は岸からもクジラが見え、クジラ好きの私には嬉しい季節です。あの海に雄大なクジラが潜んでいると思うだけで! たとえクジラそのものが見えない時でも、海を眺めてこの上なく幸せに感じてしまいます。

ところが……ですね。日頃から気になっていたのですが、ハワイ文化の中でクジラって、なぜかかなり影が薄いんですよね~。ハワイ語でクジラはKoholaコホラといいますが……。クジラはあまり伝説とか神話とかにも登場せず、神として崇められている感じも、そんなにありません。一方、ハワイアンにとって鮫の存在は、それは大きなもの。火山の女神ペレの兄でタヒチからハワイに一緒にやってきた鮫の神とか、真珠湾の鮫の神の話とか、それこそ数えられないほど鮫の伝説があるのと対象的です。よく鮫の神の石像、なんていうのも見かけますが、先史時代に作られたクジラの石像なんて、今だかつて見たこともありません。

もう一つ、ハワイアンの精神世界では「Aumakuaアウマクア」と呼ばれる、守護神的な先祖の霊がとても重要な役割を果たしています。その家族をいつも見守り、警告を送ってくれたりする先祖の霊は、よく動物の姿を借りてこの世に現れるというのですが……。その化身とは、鮫、フクロウ、とかげ、ニワトリ、ネズミ、ウナギなど。このアウマクアにも、クジラは含まれていないんですよね! 

クジラはハワイ神話の4大神の1人、海の神カナロアの化身であるという話も、あることはあるんです。でもそれだけ。ほかにクジラがらみの神話・伝説は本当にナイんですよ(それとも私が知らないだけ?)。こう言っては何ですが、フクロウやネズミですら先祖神として敬われているというのに! ハワイでは、あの巨大で優雅な海の王者クジラが神ではないんですか? なぜなのでしょう? 

……日頃からとても不思議に感じていた私ですが、先日クジラについて、とあるハワイ文化の権威に尋ねるチャンスがありました。その方は、ホエール・ウォッチングのメッカでもあり、古くからクジラと縁が深かったマウイ在住のクムフラ(フラの師匠)。ハワイの歴史・文化のエキスパートとして、広く名の知られる人でもあります。

(この話、次回に続く)

2006年03月10日

ナウパカの花の伝説2つ

前回まで2回にわたり長々と、「墓」「憤慨」みたいな、ちょっと暗め~のテーマで書いてきました。そこで今日はハワイらしいブログに立ち戻って、可憐なお花の伝説についてシェアすることにしましょうね。

皆さんはナウパカの花をご存知ですか? 写真を見ていただくとわかる通り、白く小さな、可憐な花なのですが、まるで1つの花を半分に割ったような半円をしていますネ。しかもナウパカには2つのグループがあり、それぞれ海辺のナウパカ(ナウパカ・カハカイ)、山のナウパカ(ナウパカ・クアヒビ)と呼ばれています。伝説によるとこのナウパカは、離ればなれになって死んだ、ハワイアンの恋人たちの化身なのだそうです(あ、結局また暗い話でした。Sorry!)。

何種類かのナウパカ・ストーリーが知られていますが、最も一般的なのは、身分違いの男女が仲を引き裂かれ、若者は山で死に、娘は海辺で死んで花になったというものです。女性は高貴な酋長の娘。ですが男性は身分の低い庶民で、2人が恋仲であることを知った酋長の怒りにふれ、男性は山に追い立てられてしまいました。それを嘆き悲しんだ娘は海辺で、そして若者は山で死んでしまったそう。2人の死んだ場所にはその後、半円の花が咲き、仲を引き裂かれた恋人たちの化身だと信じられている……というのがそのお話です。悲恋ですね~。

もう一つ、私の好きなバージョンが、カウアイ島を舞台にした次のストーリーなんです。

昔々の大昔。ナナウ(男)、カパカ(女)という熱愛中のカップルが、フラ・ハラウ(フラの学校)で厳しい修行を受けていました。ところがある日のこと。フラ・ハラウの掟を破ったため、罰を恐れて二人は逃走します。そこにクムフラ(フラの師匠)が追いかけてきたから、さあ大変。逃げ回るうちに2人は離ればなれになり、ナナウは山に、カパカは海へと逃れました。

クムフラは山へと向かおうとしましたが、カパカはナナウを守ろうと自らクムフラの前に飛び出し、結局体罰を受けて死亡。一方、恋人の死を知らないナナウも、カパカを探し回るうちクムフラに捕まり、打ち殺されてしまいました。

その翌日のことです。ある漁師が海辺を歩いていると、ちょうどカパカが死んだ場所に、まるで花を半分に割ったかのような、見知らぬ花が咲いているのを見つけました。花のそばには、小さくまん丸の実もなっていました。山を歩いていたクムフラもまた、ナナウの死んだ場所に、同様の半円の花が咲いているのを発見しました。

その後、近隣の村の人々は2人の悲しい最期を知り、離ればなれになった2人が、それぞれ半分に割られたような形の花になったのだ、と噂しあったそうです。白くて丸い花の実は、2人が流した涙なのだそう。そこでこの可憐な花は、ナナウ、カパカという2人の名を合わせてナウパカと名付けられ、咲く場所によって海辺のナウパカ、山のナウパカと呼ばれるようになった……ということです。

……う~ん、書いている方が泣きたくなってくるような、悲しい伝説ですね~。2人を合わせて一つの花になるという部分もせつないし、その名前の由来も……。この2人に比べたら、牽牛と織姫なんて、ホント、幸せ者ですよネ!

ちなみにこのナウパカ、ハワイではごく一般的な植物で、ワイキキのあちこちに咲いています。写真のナウパカは、うちのコンドの庭に咲いていたもの。実は以前、ノースショアの(こちらも何かと伝説が残る)カエナ・ポイントという岬にハイキングに出かけた友人。「そこにナウパカが咲いていると聞いて探してみたけど、見つからなかったワ」というのですが……。エーデルワイスじゃあるまいし! そんな辺境の地にわざわざ出かけなくとも、ナウパカはホテルの庭などにいくらでも咲いています。ぜひ探してみてくださいネ。花自体は小さいけれど、潅木全体は以下のような感じで、すぐ見つかると思いますよ。

2006年01月03日

英雄マウイの逸話

新年おめでとうございます! 2006年も引き続きこのブログでは、ハワイの不思議世界を中心に、雑学をあれこれ書き連ねていきたいと思います(燃えています)。どうぞ今年もご愛読くださいネ!

さて2006年初回のテーマは……正月と言えば初日の出、初日の出と言えば太陽ということで、半神半人マウイと太陽の神話をご紹介することにしましょう(エ!? 無理やりこじつけてるのがミエミエですって? ズバリ、大当たりです~)。

先日、久しぶりにマウイ島に出かけました。カフルイ空港でレンタカー会社のシャトルを待っていると、中庭の、こんな立派な銅像が目に入りました。


「マウイ、太陽を解放する」と題された高さ3、4メートルもの銅像で、作者はマウイ島生まれの彫刻家、シゲ・ヤマダ氏。前回空港に来た時は全く気がつかなかったのですが、1992年の作品だそうです。

正面からだと、マウイが掲げ持つ太陽がよく見えませんね。後ろから見るとこんな感じです。どうですか。マウイの後ろ姿も力強くて素敵でしょう?


マウイというのはハワイ神話上の半神半人で、気が優しくて力持ち。人間のために尽くした、ハワイの英雄です。そもそもハワイ諸島からして、大海に漂っていた大きな大陸をマウイが釣り上げ、それが海に落ちて小さな島々になった、という神話があります。数々の偉業がありますが、そのうち一番有名なのが、銅像に表わされているマウイと太陽にまつわるストーリーでしょう。

昔々の大昔。ハワイでは日が暮れるのが早く、人間たちは日々の農作業もろくにできず、困っていました。グウタラな太陽はあっという間に空を翔けて寝床に戻ってしまうので、当時のハワイの日照時間はごく短かかったのです。ある日、母親が「すぐに夜が来てしまって、タパが乾かなくて困るワ」と嘆いているの聞いたマウイ。タパというのは、昔のハワイで衣類などに使われた、木の皮から作られた布のこと。そこでマウイは太陽をつかまえて、もっとゆっくり空を渡るよう説教しようと考えました。

よく太陽を観察すると、太陽はマウイ島のハレアカラ山の火口から登ってくることがわかりました。そこでマウイはハレアカラの頂き近くで太陽を待ち伏せ。暗闇に太陽の光線が延びると即座に飛びかかり、太陽を縛りつけました。

「おい、なぜもっとゆっくり空を翔けないんだ。人間たちは昼間が短くて仕事も進まず、困ってるんだゾ」。太陽は、自分を締めつけるマウイから逃れようと暴れますが、最後は降参。空をゆっくり渡ることを約束して、マウイから解放される……というのがそのお話です。ハワイ語でハレアカラは「太陽の家」。実はこの神話にちなんで付けられた名称なんですネ。

ほかにもマウイの偉業はたくさん。意地悪な鳥から火の作り方を盗んで、人間に教えたり。いつも低く垂れ込めていた空を押し上げ、人間がまっすぐ立って歩けるようにしたり。マウイはギリシャ神話でいうヘラクレスか、プロメテウスのような存在と言えそうです。

マウイ神話はハワイだけのものでなく、ポリネシアに共通のものです。たとえば、島々はマウイが釣り上げた大陸が海に落ちてこなごなになったもの、という神話。ニュージーランドではその神話にもとづき、北島をマオリ語でテ・イカオ・マウイ(マウイの魚)、南島をテ・ワカ・マアウイ(マウイの舟)と呼んでいるのだそうです。面白いですね~。

ところがマオリ神話では、死の女神から不死の秘密を盗もうとして、命を落とすマウイ。……そうなんです。英雄マウイは、ニュージーランドでは死んでしまうんですよね。でも! そこの部分の神話は、ハワイにはありませんのでご安心を。ハワイのマウイは、今も元気に人間たちを見守ってくれている……と信じることにしましょう。

そんなワケで、皆さんもマウイ島を訪れたら、ぜひこの凛々しいマウイ像を見学してきてくださいね。そして、聖なる山、ハレアカラを仰ぎ見るのもお忘れなく……!

2005年11月10日

「あなたはメネフネの存在を信じますか?」


メネフネと言えば、ハワイ神話&伝説上の小柄な民族。働き者で手先が器用、中でも石を使っての建設・細工が得意中の得意! ハワイ各地にメネフネがひと晩で作り上げた……という遺跡が残っていますから、ハワイ・フリークの皆さんにはお馴染みの存在ですね。

特にメネフネ遺跡が多いのがカウアイ島。ワイルク河沿いに、メネフネが建てたとされるヘイアウ(先史時代の神殿)や水路キキアロアなどなど、島中に遺跡があり、カウアイを訪れたらメネフネ遺跡巡りは欠かせないお楽しみ。キキアロア水路などは1メートルを越える石をぴったり職人技でもって組み立ててあり、エジプトのピラミッドも顔負け?という素晴らしさです。水路作りを依頼した酋長から、お礼に一人1匹のエビをもらうだけで、一晩で芸術的な水路を仕上げたメネフネ族って……いったい何者なのでしょうか?

いたずら好きだけれど、心優しい働き者。ハワイでメネフネ族は愛すべき存在であり、それなりに尊敬されているものの、「メネフネとはマルケサス諸島からハワイに移り住んだ先住民のことである」との説もあります。ハワイ諸島にポリネシア人が移り住んだ時期には諸説ありますが、まずはタヒチの右上に位置するマルケサスから、小規模な移住があったとか。

数百年後に今度はタヒチから、よく組織された集団での移住があり、先住していたマルケサス系の住民を奴隷にしたそう。食物をあまり持ち込まなかったマルケサスからの移民は身体が小さかったのに対し、タヒチ系の移民は身体が大きく強靭だったため、マルケサス系の移民をアッという間に征服してしまったのだそうです。

「ポリネシア人が移り住んだ時、ハワイにはメネフネが住みついており、各地に石作りの神殿やダム、養魚池があった……」という言い伝え。そしてメネフネが小柄な民族とされる事実。神話・伝説の類いのようでいて、メネフネの物語は、しっかり史実を示すものなのかもしれませんね!

以上のような背景を考えてみても……。それにしても。息子がお受験したホノルルのカメハメハスクールの保護者説明会で、配られた質問用紙に

「あなたはメネフネの存在を信じますか?」

とあった時は、おののきました……。あ、カメハメハスクールというのは、カメハメハ王朝の末裔、バーニス・ビショップ王女の遺志により創設された学校のことです。ハワイアンの血を引く子供たちだけが受験できるという、ちょっと特殊な名門校なのですが。もう一つ、こんな質問もありました。

「あなたはペレの存在を信じますか?」

ペレとはもちろん、あの火山の女神ペレのことです。う~ん。

これらの質問を見て、悩みました。きっと各家族の「ハワイアン度」をチェックしているんだろうけど、YESと答えて危ない人と思われたらどうしよう。でもNOと答えたら、「あんたのハワイアン度は足りない!」と思われちゃいそうでコワイ。

結局YESと答えたのですが、息子に合格通知は届きませんでした。896人が受験生して合格が64人という「狭き門」だったからなのか、それとも私の回答が災いしたのか。皆さんはどう思いますか?

そう言えば先日カイムキを歩いていたら、カイムキという地名の由来を示したプレートを見かけました(写真)。それによると、昔ここにメネフネが作った石のかまど(イム)があり、後にポリネシア人がそのかまどでティーリーフ(キー)を調理したから、カイムキ(カ・イム・キー)との地名が付けられたとか。

ちなみにこのプレートは1972年、ホノルル市が設置したもので、場所は12thアベニューとワイアラエ・アベニューの角近く。カイムキに出かけたら、ぜひ! チェックしてみてくださいね。そうすればあなたも、メネフネの存在を心から信じられるようになるかもしれません……。


ハワイ在住15年目。ネイティブ・ハワイアンの夫と小学生の息子&娘の4人家族。何よりもハワイアンカルチャー、ハワイの不思議世界が好き。

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