2009年09月22日

マウイの聖なる岩

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皆さん、お元気ですか~? 今回は再び話題をマウイ島に戻し、ラハイナの神聖な岩についてお話したいと思います。ラハイナのフロントストリートにほど近い臨海公園からすぐ!の海中に鎮座する、ハウオラストーンのお話で~す。あ、歴史的な建造物、あのパイオニア・インの目の前の海中にあるので、もうとっくにご存知の方、多いかもしれませんね。


ちょっと上の写真をご覧ください。この岩、自然にイスのような形をしていると言われますが、わかりますか? 手前に向かって座る形になるわけですが、ほのかに背もたれのような部分もついています。見ようによっては、巨大な足型のようにも見えますね。 


15世紀の昔から、このハウオラストーンはマウイ島の王族女性によりバースストーンとして使われていたのだそうです。バースストーンというのは、その上で出産すると産みの苦しみが和らぐという、不思議なマナ(霊力)が籠もった岩のこと。


バースストーンといえば、自著「ミステリアスハワイ」でも詳しく触れていますが、オアフ島ワヒアワにあるバースストーン、クーカニロコが有名ですよね。でもクーカニロコに限らず、ハワイ各地に、バースストーンはあったよう。ホノルルのプナホウスクール前とか、カウアイ島とか…。


ラハイナのハウオラストーンは、ちょうど波に洗われる浅瀬の海に位置していて、この岩の上での出産は、気分的に水中出産だったのでしょうか? …出産の苦しみを、静かに押し寄せる冷たい波が癒してくれたのかもしれませんね。岩に籠もるマナにプラスして、海の持つ霊的な癒しの効果や洗浄作用も働いていたのかな、と、私は勝手に想像しております。


もっとも、後世この岩は実際に、バースストーンとしてではなく、ヒーリングストーン、つまり癒しの岩としても多用されたそうです。病人はこの岩に座り足を水中でぶらぶらし、波に洗われるのにまかせたとか。ちなみにHauolaとは、ハワイ語で命、健康を助長する、という意味があります。


とにかく、過去500年にわたってハワイアンから神聖視されてきたハウオラストーン。この岩の上には、いったい何人のハワイアンが座ったのでしょう? そのため、岩の中央部にはわずかに窪みができているとも言われます。写真ではよくわからないかしら…。

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ハウオラストーンはとにかく公園の岸壁からすぐそこ! という感じなので、私もちょっと座って見たいような気もしたのですが、なんだか畏れ多くてやめておきました。今でもマウイのハワイアンは、この岩をヒーリングストーンとして使っているのでしょうか? 次回のマウイでは、ぜひそのあたりについても探ってみたいです!

2009年09月04日

マウイの聖なる池の跡

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前回お話したナヒエナエナ王女、そしてその母ケオプオラニ女王の墓があるワイオラ・チャーチは1823年、ケオプオラニ女王の命により、建てられたものだそう。ケオプオラニ女王は、ハワイでクリスチャンの洗礼を受けたハワイアンの第1号なのだそうです。


教会の後ろは今、広々とした公園になっています(上の写真)。そして実はこの地には、様々な伝説が残されております。ここは元々、モクヒニアと呼ばれる大きな池だったとか。この池には、大変スペシャルなMooモオが住んでいました。モオというのは、自著「ミステリアスハワイ」の中でも触れていますが、オオトカゲの姿をした精霊のこと。ほかの文化での、ドラゴンのような存在かもしれません。古代ハワイでは滝壺とか池とか沼とか、水の集まる場所に、それぞれ守り神としてモオが住んでいると信じられていました。


モクヒニア池に潜んでいたモオはキハワヒネといい、マウイ島のモオの中でも最も位の高い、モオの王様だったようです。このモオの王のことを、マウイ島はもとよりラナイ島、モロカイ島の王族や島民みんなが、崇め奉っていたとのこと。ようするにこれらの島々の住民にとって、神のような存在だったわけですネ。


キハワヒネは時に池を出てハワイ島やオアフ島、カウアイ島まで遠征することもあり、そんなことからハワイ全島に、崇拝者がいたそうですよ。


この池の真ん中には昔、小さな島モクウラが浮かんでいました。モクウラはカメハメハ3世も含むマウイの王族が永年住んでいた、聖なる島だったとか。マウイの王家の霊廟もこの島にあったのだそうです。そもそもケオプオラニ女王やナヒエナエナ王女の墓もここにあったのですが、後に現在地に移されたとのこと。モオ、キハワヒネの棲家も、ちょうどこの島の下にある…と信じられていたのですって。


時代は移り…。なぜかは不明ですが、島の霊廟にあった王族たちの遺体はほかの地に移され。池は埋め立てられ、島も破壊されてしまいました(ハワイ王国の首都がラハイナからホノルルに移ったことも関係あるのかも?)。1918年以降は公園として市民の憩いの場に生まれ変わりましたが…。私が訪れた際には、夏休みの真っ最中だったというのに子供達の姿はなく、ガラーンとしていました。週末には、野球少年などで賑わうのかもしれませんけれど。


それにしても池の主だったモオは、埋め立て後、いったいどこに消えたのでしょうか。そして王族達の遺体は? …モオ伝説を信じる、信じないは別としても、昔、王族の墓があった聖地跡に建てられた公園で遊ぶのは、なんだか私はイヤ…。別にそれだからといって、真昼の公園に人の気配がなかったわけではないでしょうが。

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ちなみに、公園の中心には石が積み重ねられ、花が置かれていました。そこがもしかしたら、島のあった場所だったのかもしれません。未確認でスミマセン。

2009年07月27日

神様はいる

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最近はブログで、自分の生活周辺の雑多な出来事ばかり、つづっている私。「(ンなことどうでもいいから)恐い話を書いて~」とお叱りの声もあるのですが、今回も。あまりハワイな話ではアリマセン。でも話題は少しスピリチュアル? 最近つくづく感じる、「神様っているんだな~。私達は守られている」という想いについて、書きたいと思います。


一昨年のことなのですが。子供2人を乗せ、高速道路を走っていた私。自宅近くの出口で降りてすぐに、車がエンコしてしまったのです。高速道路を走行中も、なんだか機械が燻るような、変な臭いがするな、とは思っていました。でも、まさかそれが自分の車だったとは! 高速を降りて100メートルほど行き、ブルンブルンと妙な音がしたと思ったら、車が死んでしまったのですね~。


そのまま車線をふさいでしまうことになりましたが、そこから徒歩15分のオフィスで働くハワイアン夫に電話をし、すぐ来てもらうことができました。


それにしても。これが高速道路上でのことでなくて、本当によかった。車音痴な私です。自分では何もできず、オロオロするばかりだったでしょうし、そんな場所では夫が駆けつけることもできなかったでしょう。おりしも、夕方のラッシュアワー。高速でも走ったり止まったり、を繰り返していたのに何も起こらず、高速を降りたところでエンコしたのは、不幸中の幸い以外の何者でもありません。


しかも車のエンコした場所は、3車線をはさんでYMCAの目の前。レッカー車が来るまで、とりあえずYMCAの駐車場に車を移動することにしました。夫が一人でウンウン頑張っていると、そこにジョギング中だった夫の友人が通りかかりました。「どうしたの?」。友人にも手伝ってもらって、無事、車を駐車場まで押すことができたのでした。


その時思い出したのが、やはり在ハワイの友人の話です。彼女も高速道路を降りたところで、ブレーキが全く利かなくなってしまったとか。運よく空の駐車場に車を入れることができましたが、その時偶然にも助手席に座っていたのが、日本から遊びに来ていた義兄。その義兄というのが、なんと車の修理工場を経営しているメカニックだったのです! 


さっそく義兄にチェックしてもらうと、ファンベルトが切れ、車の電気系統が全てダウンしていたとのこと。ですがさすがプロです。義兄は彼女のストッキングをベルト代わりに応急処置を施し、無事、一行は車を修理工場まで運転することができたのでした。この場合も、運が悪ければ、大事故に発展する可能性もあったわけで。たまたま横にメカニックのお兄さんが座っていたのが、最高にラッキーでした。


ほかにも、知り合いの年配女性が運転中、タイヤがパンクしてしまったそう。私同様、メカにうとい彼女ですが、それがちょ~どガソリンスタンドの目の前でした。で、即タイヤを交換してもらってホッ。これも不思議な偶然ですね~。


またこれは車ではなく、医療関係ですが…。夫の友人の奥さんが、眼科の定期健診の予約を取っていました。平日だったのですが、奥さんはその日、息子の小学校が何かの記念日で休みだったことを忘れていました。そこで息子も一緒に眼科に連れて行き、ついでなので、息子にとっては生まれて初めての目の検診も受けさせることにしたのです。すると…。その6歳の男の子から、何とごく珍しい眼の癌が発見されたのです!


まだ初期だったので、男の子はすっかり回復し、今ではすっかり元気に。ですが、もしもうっかりお母さんが息子の休みの日に、眼科の予約を入れていなかったなら。ごくレアな目の病気はずっと発見されず、最悪の結果になっていた可能性もなきにしもあらず。これなんかも、うまい具合に神様が守ってくれたんだなあ、と、感じずにはいられません。


もう1つは、友人の事例。そのお母さんが、眩暈がひどいというので、ある時、脳の検査を受けることになりました(CTスキャン?)。そこで友人もお母さんに付き添って病院入りしたのですが、なぜか、ついでだからと、自分も同じ検査を受けることにしたのです。結果、お母さんには何の異常もなかったのですが、友人からは、ごく小さな脳腫瘍が発見されました。日頃、何の症状もなく、ごくごく初期で発見できたのは、ほとんど奇跡のようなものだったようです。


…と、とりとめのないことを書き連ねましたが、どうです? こんな事例を読むと、「やはり神様っているんだな」「私達は守られているんだな」と、心底感じませんか? 私は、そう思います。きっと皆さんの周りでも、こんな実話が起こっているのでは。そう思うと、人間、クヨクヨ思い煩って人生を無駄にしてはイケナイ、とつくづく思いますよね! …ホノルルの青い空を眺めながら、最近こんなことをフと考えました。

2009年06月09日

続・初めてのロミロミ体験

前回は、ナラニ先生との「ロミロミ前」の体験を中心にお話しました。もちろんそのロミロミマッサージについても、お話しなければなりませんね~。正直言って、私はロミロミについての知識はゼロで…。推測が多分に入っていることを、どうぞお許しください。


あ、最初に1つだけ。前回、ナラニ先生の「ハ~」で風邪が治った?と書きました。ロミロミ・セラピストであるティキさんよりコメントをいただき、それが実は、ロミロミの術の1つであることが判明しました! …ナラニさんのハ~を心霊治療風?と書いた後、なんだか妖しげな印象を持たれたら困るナ、と思ったのですが、あれはれっきとした技だったのですね!(ティキさん、情報、有難うございます)


さてさて。今回ナラニ先生にお会いした時、左側の腰と左足が痛くて…と説明した私。合わせて、ふだんから左の肩こりがヒドイとも泣きつきました。いつもひどく重いバッグを左肩にかけて歩いているので、もう慢性的な肩こりで! 仕事中は雑誌やノート、カメラ、テープレコーダー、時には辞書まで抱えているし、ふだん使いのバッグの中身もなぜ~か重い。四十肩か?全く左肩が上がらないことすらあるんです~。


するとナラニ先生は頭から始めて、左肩も徹底的にマッサージしてくれました。そして背中、腰、足へ。やはり左の下半身が硬い、とナラニ先生。いつも左肩に荷物を抱えているので、脊柱に負担がかかり、しかも終日座って仕事をしているため、今回の痛みが起こっているのでは、とのお見立てでした。


ロミロミは指だけでなくいろいろな部所を使ってマッサージすると聞いていましたが、まさにその通り。ナラニ先生は指、手の平、手から肘までを使い、時には手全体をブルブルと震わせまるで電動マッサージ器かのような動きで、マッサージしてくださいました。揉みほぐすだけでなく、身体の一部をグ~ンと伸ばすように引っぱったり、整体風なことも。しかも左半身に限らず、右側も同様にやってくださいました。


不思議なのは、ナラニさんの指が時々、カ~ッと熱くなったことです。私は目を閉じていたので、その際、ナラニさんはホットストーンを使っているのだろうと思っていたぐらい、熱かったのです。後で確認すると、ホットストーンなどどこにもなくて。あれは摩擦程度の熱じゃなかったな~。


そして後半になると、瞑想しているかのように呼吸法を駆使していたナラニさん(このあたりになると神秘的な気分になって、決して目を開けてはいけないかのような気分に…。前半はおしゃべりとかしていたのですが)。それは深~い呼吸法でした。膝など痛い箇所に、ハ~と息を吹きかける気配も…。


ああ、目をばっちり開けてすべて見ていなくてごめんなさい! これが仕事でのレポートなら、ナラニさんを質問攻めにするのですが、施術の後、なんとなくそれができなかった…。やはりロミロミは深いというか、神秘的な術なのだな~というのが、今回の感想です。


さらにすごく個人的な感想としては、ナラニさんはこの仕事を、決してお金のためにやっているのではないな、ということ。うまく説明できないのですが、あんな、全身を使い、「気」を使うマッサージを延々とはできない。手抜きなど無縁の世界で、100%、全身全霊こめてやってくれたナラニさん。人を癒す使命のもとにやっているのだということが、ヒシヒシと伝わってきたのでした。


さてこのナラニさんですが、ヒーリング・アカデミー・オブ・ハワイのホームページにお写真が掲載されておりました(http://www.healingacademyhawaii.com/therapist.html)。よろしかったら、ぜひ。ナラニさんの施術を、受けに行ってくださいね~。

2009年06月04日

初めてのロミロミ体験

日頃の行いが悪いのでしょうか? 最近、踏んだり蹴ったりの私です。ここ2週間、風邪を引いたと思ったら、今度は結膜炎に。次はひどい腰痛を患ってしまって! しばらく腰の左側が痛い痛いと思っていたら、今週初めからさらに悪化して、一昨日は腰から左膝までが痛くなり、歩くのもイタタ…という状態になってしまったんです。


これはマズイ! と恐ろしくなり、すぐ電話したのが、以前取材でお邪魔したことがあるロミロミマッサージのスクール、ヒーリング・アカデミー・オブ・ハワイ(http://healingacademyhawaii.com)でした。ここは2日間から長期まで、各種ロミロミマッサージのワークショップを開催して人気のスクールなのですが、単にロミロミの施術を受けることも可能です。数ヶ月前、そのワークショップを取材させていただいた時に、素晴らしいロミロミのセラピスト、ナラニ先生にお会いしたので、「ナラニ先生にロミロミをやってもらわなくちゃ!」と、朝一番で電話をしたわけです。


結果は…お陰さまで、も~、元気になりました。施術直後、曲げられなかった膝もすぐ治り、自由自在に動けるようになりました~。今、腰も8割がた回復。もしもあの時、すぐマッサージを受けなかったら、どうなっていたのか? と思うぐらいひどい状態だったのが、ウソのようです。ああ、ナラニ先生、Mahalo!


今回痛みに苛まれて、なぜナラニ先生の顔がすぐ浮かんだかというと…。前回の取材時に、ナラニ先生に関して不思議な出来事があったからなんです(ここからちょっと超自然的な話になります)。…ナラニ先生は祖父母の代からロミロミ施術者の家系に生まれ、小さな頃から先祖伝来の術を学んできたという人なのですが(写真がなくて残念ですが、ナラニ先生はまだ30代のうら若きハワイアン美女ですよ!)。


で、施術者だったお祖母さんはオーラを読めた、なんて話がナラニ先生から出た時、もちろん私はその話に飛びつきました。その手の話は大好きですからネ。で、もしかしてナラニさんもオーラを読めるの? と聞くと、「少し…」と控えめに答えてくれたナラニさん。私のオーラはどうですか? と深く考えずに尋ねると、その時ナラニさんの言ったことがびっくりだったのです。私のオーラの色は? くらいのつもりで聞いたのに、そのお答えはディープでした。


「あなたはとてもハッピーね。すごくハッピー。でも、最近、何かあったわね? You just went through something.」。


…その時、実はちょうど健康診断に引っかかって1週間、ひどくドヨ~ンとした直後でした。結局その時、心配事は終了していて全てOKだったのですが、最近何かあったわね、と言われてビックリ。ナラニさんは言うんです。「もうアナタは大丈夫ね。でも、このラベンダー色のオーラのナントカな人は…ナントカカントカなのよ」。ずばり当たっていて、驚いたのなんのって!


コレに加えて、もう1つ不思議なことがありました。その取材時、私はひどい風邪を引いていました(もう、しょっちゅう。年でしょうか?)。前夜から辛くて、その日も朝から鎮静剤を4時間おきに3度飲み、取材を続けていたのです。それが…。ナラニさんの取材を境に、気がつけば治っていたのですよ。コトの顛末はこうです。帰りがけ、急に「これがハワイ式の挨拶なのよ」と言ってスタッフを順番にハグし、ハ~と息を吹きかけてくれたナラニさん。私もハ~とされましたが、こちらからハ~はしませんでした。ナラニさんに風邪をうつしちゃいけない、と思い…。


と、次のショップに取材に行ってハッと気付くと、知らないうちに気分がよくなっていたのです。朝からの辛さが消え、快調になっていた私。でもまあ、その時は「ナラニさんとの楽しい取材でHighになったせいかな?」と考えた私。翌朝ぶり返すかも、と心配したのですが、それっきり。もう薬を飲むこともありませんでした。


で、後からハッとしたんです。…あの時、ナラニさんは私の調子が悪いのを知って、なんというか、心霊治療風のことをしてくれたのではないかしら。実際にロミロミを受けたわけでも何でもないのに、なぜかナラニさんのハ~の後、具合がよくなってしまったんですもの。う~ん、うまく言葉では言い表せませんが、ナラニさんには不思議な癒しの力があるような気がして…。そんなわけで腰の痛みがひどくなった時、「ナラニさんなら絶対に治してくれる!」と思い、即お電話したわけです。


なんだか長くなってしまいました。続きはちょっとお待ちくださいネ。すぐ更新します~。

2009年05月08日

あなたはオウブを信じますか

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また久しぶりの更新になってしまってごめんなさい。その代わり? と言ってはナンですが、今回は現在発売中のアロハエクスプレス99号にまつわる、ちょっと怖いお話をシェアしましょうね。


皆さんは、先月発売になった今号のアロハエクスプレス、もう買っていただきましたか? 今号は特集の1つとして、王道ツアーからユニークツアーまで、オアフで楽しめるさまざまなオプショナルツアーを検証したページがございます。これはそのうちの1つ、オアフ・ゴースト・ツアーに参加した女性カメラマン、Pさんから聞いたお話です~。


そのツアーは、不気味な逸話の残る心霊スポット5ヶ所を、その道のベテランガイドが案内してくれるという夜間ツアー。Pさんはハワイアンソルトを懐に、ライター、編集者と一緒に参加したのですが…(あ、とはいえ、別に「幽霊を見た!」とかっていう、どんピシャリの恐怖体験ではないんですよ)。…皆さんは、オウブという言葉を聞いたことはありますか? 写真とかに写る光の玉のことで、私に関していえば、初めてこの言葉を聞いたのは昨年くらい。最近の造語なのかどうか知りませんが、ここ数年で「オウブが写ってる」とかという表現をよく聞くようになった気が致します。


何でもオウブというのは、魂が写真に写ったものなのだとか。もしくは精霊の姿だ、なんていう人もいますよね? ただ正直、私はいつも思っていました。「オウブなんて言っても、そんなの単なる光の反射じゃない?」。オカルトチックなことが大好きな私ですが、オウブに関しては、結構鼻で笑っているような部分があったんです。


ところが。美人女性カメラマンのPさんによれば、ゴーストツアー取材で撮った写真には、メチャクチャたくさんのオウブが写っていたのだそうです。もちろん、光の反射説についても聞いてみましたが、「あれは絶対に光の反射なんかじゃない!」とPさん。深夜で、あたりは真っ暗で。どう考えても光など入らなそうな場所、しかも星すら出ていないような宵に撮った写真なのに、オウブがいっぱい写っていたというのです。


しかも。自宅で画像処理をしていた時のこと。露出アンダーの写真はパソコンで露出を明るく調節できるそうですが、そうしてパソコン画面で写真の露出を上げていくと、画面に一挙にオウブが出てきて、ギョッとしたのだそうです。ムムム…。Pさんはプロのカメラマンです。その、プロのカメラマンがこう言うのですもの。これは私の「光の反射説」は100%負け! 不思議なオウブっていったい…?


この話を聞いた時は、アロハエクスプレスの発売前でした。そして先々週、我が家にも待望のアロハエクスプレス号最新号が到着。さっそくくだんのページ、P85を開いてみると…。うわ~、これはすごい!! 写真にはホントにホントに、たくさんのオウブが写っているではないですか(上の写真)。皆さんも、どうぞお手元のアロハエクスプレスを開いてみてください!(もちろんお手元にありますね?) ね? ね? すごいでしょう?


ちなみに、別に霊感が強いわけでもないというPさん。ですがこの取材中はもうイヤでイヤでしょうがなかったそうです。気味が悪いというか気持ちが悪いというか、とにかくいや~な気持ちがしてしょうがなかったとか。やはりそういうのも…何かに感応している結果だと思うのですが、どうでしょう? …「もうあのツアーは行きたくないワ」と語るPさんから許可をいただいて、取材の後日談を披露させていただきました。


2009年04月18日

続ハーブ・カネの不思議な体験

前回は、ハーブ・カネさんがハワイ島カウで壁画を制作中に経験した不思議話を紹介しました。今回はその後日談をシェアしましょう。


壁画が完成してから2年後の1975年のこと。この地がまたもや、津波に教われました。その際カネさんはハワイ島コナのキング・カメハメハホテルにて、新たな作品創りに取りかかっていたそう。ある早朝、C.ブルーワー社の責任者から電話があり、リゾート一帯が泥流に襲われ、カネさんの壁画が飾られた歴史センター、そして隣接するレストラン、キッチンの内部が滅茶苦茶になってしまったと知らせてきたそうです。


「じゃ、あの壁画はどうなった!?」
カネさんが尋ねると、相手は言いました。「…自分で見に来たほうがいい。おかしなことがあるんだ」。なんと! 建物内部が泥流で破壊され、展示物や調度品が一方の壁に押し流され、壁には高さ約1メートルのところまで泥の線が付いているというのに。カネさんの壁画だけは無傷だというのです! 壁画は地面と接しているのに。…さっそくカネさんが歴史センターに駆けつけて確認すると、それは本当でした。不思議なことに壁画だけは全く泥がかかることなく濡れることもなく、きれいなまま残っていたのでした。


これって、常識では考えられないことですよね? 壁画だけが守られていたわけで、やはり超人的な何かが作用したとしか考えられません。カネさんもあれこれ論理的な説明を試みましたが、どんな理屈もあてはまらず…。結局、誰かが言った「ここはカウの地だよ。ペレの御意思に決まってるじゃないか」という言葉に、頷くほかありませんでした。地震を起こして津波を起こすのもペレ。それで何を破壊し何を守るか、決めるのもペレ…。ペレ信仰の大変強いハワイでは、こんなこともまんざら、ありえないわけではないのですね。


…結局、津波の被害があまりにもひどかったため、歴史センター&レストランはそのまま閉鎖されてしまったそうです。


この話にもさらに後日談があって(ここから先はハワイ島の新聞の報道によります)。な、なんとカネさんの素晴らしいその壁画が、2005年に盗難にあってしまったのです! 歴史センターは閉鎖されたものの施錠されていなかったので、人々はまだ、壁画を見に訪れていたそう。カウに住む人々はよく、遠方からの客を連れて絵を見に来ていたよう。地元の人々にとってカネさんの壁画は誇り、宝物だったんですネ。


ところが2005年5月のこと。無人の歴史センターから、壁画が盗まれているのが発覚しました。何ものかは壁から絵をはぎとり、おそらくナイフで5つに分断して持ち去ったようです。壁画が盗まれるってどういうことなのかな?と思うのですが、(私はアートに疎いのでわからないのですけれど)壁画といえども壁に直接描かれるわけではなく、キャンパスとか布地に絵が描かれるわけですね? この壁画は7.2メートル×3メートルという大作なのですが、それを犯人はまんまと分断して(ぶち壊しにして)盗んだようなのです。


カネさんは報道の中でインタビューに答え、もう怒り心頭という感じで。「優しい言い方をすると、僕は怒っている、ということだ」「感想だって? 新聞に載せていいような言葉じゃ言えやしないよ」とも…。


怒り心頭に達したカネさんは、「仕返し」の手段として、この絵をもう一度描き直すことにしました。新しい壁画は2007年5月に完成。「こっちに比べたら、その精密さにおいて、泥棒が今も持ってる古い方の絵は単なるスケッチ程度のものだね」と言い放ち、清々とした気分のようです(カネさんって可愛い人ですね~)。


もちろん新壁画は元の場所には戻されず、隣町パハラにあるP.T.Cafeという店に飾られているそうな。近くにお出かけの際は、ぜひお出かけください~。ちなみに2005年の盗難の犯人は、まだ見つかっておりません。

2009年04月14日

ハーブ・カネの不思議な体験

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皆さんはハーブ・カネというアーティストをご存知ですか? いえ、彼をアーティストと称したら、(ペレの)罰が当たりそう。カネさんは古代ハワイをテーマにした絵画で広く知られ、神話や文化にもそれはそれは造詣が深い人なんです。彼を表する時は一般に、画家&歴史家とされているほど。

カネさんの描く古代ハワイアンは髪型から身体の特徴、服装までそれは正確で。おまけに森やビーチ、ヘイアウ(寺院)など、昔のハワイの情景をごくリアルに描いていて。上の写真はカネさんの本なのですが、表紙が誰を描いたものだか、一目瞭然ですね? そう、火山の女神ぺレ。美しくも妖しいペレの特徴を、真っ黒な溶岩に仕立てた髪、キラウエア火山に咲くオヒア・レフアの花のレイなどに絡めてうまく描いています。オヒア・レフアにはペレ絡みの悲しい伝説もあり、これぞまさにペレ! という姿に仕上がっていますね~。

そんな風な描写ができるのも、カネさんがハワイの歴史&文化をディープに学んでいるから。その証拠に、古代の双胴船を再現したホクレア号も、カネさんのスケッチを元に造られたほど。カネさんはホクレアの建造にも関わり、実際に乗組員でもありました。私もカネさんの大ファン。いつか本物の絵を手に入れたい!

…と、前置きが長くなってしまいましたが、今日はカネさんが自身の上の本の中で紹介していた不思議話を、シェアしたいと思います。

1973年のこと。カネさんはハワイ島のキラウエア火山の裾野にあたるカウ地区で、とある壁画の制作にいそしんでいました。C.ブルーワー社がカウでリゾート開発をするにあたって歴史センターを造ることになり、センター内にカネさんの壁画が飾られることになったのです。

その地プナルウには昔ハワイアンの村がありましたが、1868年の津波で破壊されたそう。ですがカネさんはその地が200年前どうであったかを想像し、黒砂のビーチでの村人の様子を詳細に描くことにしました。藁葺きの小屋の下で作業する女性達やカヌーを修理する男、海を見つめる酋長やカフナなどなど…。沖にはホクレアのようなカヌーが走り、その背後には大きなヘイアウまで見えています。
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この絵の制作中は、何かと不思議なことがあったそうで。カネさんの作業の様子を見に、人々が時おり現場を訪れたりもしたそうですが、ある夜。作業場に戻り、警備員に鍵を開けてもらいセンター内で絵を描いていたカネさん。フと気付くと、後ろにハワイアンのおばあさんが立っていました。おばあさんはジッと絵を見ていました。こんばんわ、とカネさんが声をかけると、おばあさんはただ微笑みを返してくれたそうです。時計を見ると、夜11時でした。

それから2、3分作業し、振り向くと、おばあさんの姿は消えていたそう。数分後、センターを出たカネさんは警備員に聞いてみました。「今、ここに来ていたおばあさん、よく見る人かい? なんだか純血のハワイアンのようだったけど」。「おばあさん?」と警備員は妙な顔をしています。「おばあさんなんて来てないよ。僕はずっとここにいたけど、誰も来ていない。気は確か?」。…ついさっき、おばあさんを見た気がするけど、もしかしたらずっと早い時間だったのを勘違いしたのかな? とカネさんはその時考え、自分を納得させたそうです。

そして時がたち、絵の制作も終盤となったある日。カネさんが無心に筆を滑らせていると、人の話し声が聞こえてきました。気にしないで描き続けているうち、カネさんは、人々がハワイ語で話していることに気が付いたそうです。それも、なんと話し声は壁画から聞こえてくるのでした。

驚いて顔を上げると、なんと! ビーチに立つ酋長の一団が、ガヤガヤと話し合っているではありませんか。と、左手でも動く気配があり…。そちらを見ると、藁葺き屋根の下に座っている女性が、あわてて顔を元の向き(横向き)に戻すところでした。

カネさんは自分の目を疑い、「根つめて仕事をしすぎたかな…」と道具をしまいこみ、その日は家に帰ったそうです。仕事のしすぎで幻想でも見たかな? とも思い、でも僕は確かに見た! とも思い…。翌朝いつも通り作業場に出かけ、絵筆を広げましたが、見渡すと絵のどこにも手を入れる余地がなく、そこでやっと、完成したことに気付いたとか。

どうです? この話。私は…カネさんの再現した村の様子があまりによくできていたので、きっと絵に魂が入ったのではないか?と思います。消えたおばあさんも、津波が村を破壊する前にそこに住んでいたハワイアンなのでは? 絵の中の住人が動き出すという話は、確か日本の怪談にもあったような気がしますが、どうだったでしょう。これはカネさんの気の迷いだったのか。それとも…。皆さんはどう思いますか?

この絵については後日談がいくつもあるのですが、ああ、とてつもなく長くなってしまいそうなので、その後日談は改めて次回ご紹介させてくださいね。急いでUPしますので、しばしご猶予を…。ALOHA!

2009年01月16日

カイルア・コナの子授けの泉

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昨年、ハワイ島コナを訪れた時のこと。宿泊していたシェラトン系のホテルから空港寄りにあるアウトリガー・ケアウホウ・ビーチ・リゾートに、ランチに立ち寄りました。このホテルは以前「ハワイ島の呪われたホテル」で紹介した、今はなきコナ・ラグーン・ホテルのお隣。ヘイアウの遺跡もすぐ近くにあるのですが、それ以外にも特筆すべき遺跡が庭にたくさんあり…。それぞれに案内板も立てられているので、1人でぶらぶら、「史跡探訪」を楽しんだわけです。


ホテル内の史跡の一つに、Punawai Springプナヴァイ・スプリングという小さな泉があります。何でもこの泉には、赤ちゃんを授ける不思議な力があるとのこと。もしも王族の夫婦になかなか子供ができなかったら。昔、カフナは夫婦を連れてこの泉を訪れ、赤ちゃんを授けてくれるよう神に祈りを捧げたそう。その後夫婦はこの泉で一緒に水浴びをして、儀式が完了したのだそうです。ま、日本でいうと、子授け地蔵に詣でるような感じだったのかな…と想像します。


1つ驚いたのは、この泉の横の緑の庭がプナヴァイ・シークレット・ガーデンと名付けられ、同ホテルのウェディング・セレモニーに使用されることがある、ということです! ホテルでは現在、広い庭園のあちこちやパーティルームといった7カ所を、セレモニーの場所として使用しているよう。うち1つがこの泉の横で、ホテルの説明書きには「古来、懐妊を助ける力があったとされる泉の横にあります」との、謳い文句が記されていました…。「少人数でのセレモニーにピッタリ」とも。ホテルも商魂たくましく、いろんなことを考えるものですね~。
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今見る泉はほんの小さくて、直径1メートルくらい? こんこんと水が湧き出るというイメージではなく、古い井戸のような印象を受けましたが、昔はもっと大きかったのかもしれませんネ。ちなみに、今も(結婚式ではなく)懐妊のための儀式をする人がいるのかどうかは、わかりませんでしたが…。今もこっそりこの泉を訪れるカップルが、もしかしたらいるのカモしれません!

2008年10月30日

カメハメハ3世が仮死状態で生まれたヘイアウ

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今回は、先日訪れたハワイ島ケアウホウの話題をまたまたお届けしま~す。「え? また?」とおっしゃらずに、もう一度お付き合いくださいませ。


「ホテルを守る槍」でも触れましたが、ケアウホウという土地は、歴史に彩られたとてもスピリチュアルな地域です。滞在したシェラトン・ケアウホウ・ベイ・リゾート&スパから歩いてすぐの場所にも、カメハメハ3世の生まれた場所がある…とホテルの人に聞き、ある朝、散歩に出かけました。


ホテルから徒歩5分。ケアウホウ・ベイのすぐ山側にいくつかの史跡が集中しており、そこには案内板なども建てられていました。カメハメハ一族ゆかりの史跡が多いので、一帯は「カメハメハ一族の庭」と名付けられ、カメハメハスクール財団に管理されています。

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くだんのカメハメハ3世の生誕地(上の写真)は今、簡単な石垣で囲われているだけですが、昔はここにヘイアウがあったとか。ホオクク・ヘイアウといいます。案内板によれば、カメハメハ3世の母、ケオプオラニはケアウホウ・ベイにカヌーで到着直後、産気づいたとか。1814年3月17日、ここでカメハメハ3世を出産しましたが、死産だったそうで。


そこにやって来たのが、ある酋長に仕える預言者カマロイヒでした。カマロイヒは宣言しました。「この赤ん坊は死なない。生き残るだろう」。そこでカマロイヒが近くにあったカオパの泉につけると、赤ん坊は息を吹き返した…ということです。またほかの資料によれば、カマロイヒは赤ん坊を清め、地面に横たえました。そして団扇で扇ぎながら赤ん坊に水をふりかけ、神に祈りを捧げると…。赤ん坊が動きはじめたとか。


また3つめの資料による説明はこう。赤ん坊の身体はある岩の上に数日間置かれていましたが、岩の不思議な効力により、生き返ったそうです。…史跡にはもう、その泉も岩の姿もなく、魔法のパワー?も確かめようはないのですが、なんとも不思議な逸話ですよね。一見の価値ありだと思います!


なお、このヘイアウから車で数分行ったところには、古代の戦場もあります(レケレケ埋葬地と呼ばれます)。ここにもぜひ行ってみたかったのですが、今回は時間切れで残念でした! え? なぜ埋葬地なんてオドロオドロシイ場所に行ってみたかったのかって? …それにはこんなワケが。


昨年4月30日付けの「『銃後の守り』はハワイになかった?」の中で、カメハメハ2世に宗教戦争を挑んだ酋長ケクアオカラニ(カメハメハ大王の甥)の最期について書きました(というより、ケクアオカラニに従って戦場に赴き、ともに死んだその妻マノナについて、かしら?)。


この時、2人が銃弾に倒れた最後の決戦の場が、くだんのレケレケ埋葬地と呼ばれる古戦場なんです! その、悲しくもドラマチックな最期の場が限定されていて、しかもホテルからすぐそこだったなんて…。それを聞いて、ぜひこの目で確かめに行きたかったのですが、今回は果たせませんでした。次回は絶対行ってみたい。今でも、約300体の勇敢な戦士の遺体が埋まっているそうです…。

2008年10月16日

ハワイ島の「呪われたホテル」

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前回ご紹介したタクシー運転さんとの会話の中で、コナ・ラグーン・ホテルの末路…といった話題が出ました。コナ・ラグーン・ホテル(以下ラグーンホテル)というのは以前、ケアウホウにあったリゾートホテル。現アウトリガー・ケアウホウ・ビーチホテルの、すぐお隣にあったそうです。が、今はもう存在しておりません。


地元英字紙をチェックしてみると、ラグーンホテルは1974年、約10億円をかけて建造された大型ホテルでした。全454室といいますから、けっこう大きなホテルだったようですネ。その名の通り、海に面して建つホテルで。以下のサイトに、当時のホテルの写真が紹介されていますから、どうぞご覧ください。

http://travel.webshots.com/photo/2238811830055800930sTXemm

http://travel.webshots.com/photo/2076801470055800930iMxhNQ

ところがこのホテルにはオープン当時から、とかく怖い話がつきまとい…。幽霊ホテルとの異名を取ってしまったからたまりません。噂は口コミでどんどん広がり、ついには誰も宿泊客がこない事態にまで発展。ついに1988年、廃業してしまったのでした。


開館からほんの14年で、10億円をかけたホテルが廃業してしまうなんて、ちょっと異例ですよね。1988年、今度は日本の開発業者である麻布USAがホテルを買い取り、65億円をかけて隣のケアウホウ・ビーチ・ホテル(当時はアウトリガー傘下ではありませんでした)と一緒に再開発する計画を発表しましたが、バブル崩壊のあおりを受けて頓挫。タクシー運転手さんがいうには、その後ホテルは荒れ果て、ホームレスの根城となってしまったそうです。


そこでついには2004年の6月、地主であるカメハメハスクール財団によって、平地にされてしまいました…。築30年の大型ホテルは、こうして無に帰してしまったのです。


さて、それほどまでに怪しい噂がたった、このホテル。いったい、どんな過去が隠されているのでしょうか? …タクシーの運転手さんは「ハワイアンの埋葬場だった」と言っていました。また、ケアウホウ在住のとある友人は、「誰か偉い人が幽閉されて死んだ場所」と言っていました。


さっそくリサーチしてみると…この敷地には古来、いくつもの大きなヘイアウ(神殿)がありました(上の写真)。うち、一つはルアキニヘイアウである、ケエク・ヘイアウ(写真の左寄り。大変見づらいですがオレンジの柵に囲まれた場所です)。ルアキニヘイアウとは戦いの神クーのためのヘイアウで、人身御供が捧げられたヘイアウのことです。いわば血塗られた…。


しかも。このヘイアウではかつて、ハワイ島に侵攻したマウイ島の酋長、カマララヴァルも生贄にされています。酋長はこのヘイアウで10日以上も生きたまま串刺しにされた後、殺されたのだそう(友人の言っていた「偉い人が幽閉され死んだ」というのは、このことかしら?)。


こういった話題の常として、絶対的な事情はわかりませんが、どうもラグーンホテルというのは、絶対リゾートホテルなど建つべきでなかった場所にあったようなのは確か。あんな立派なホテルが14年で廃業だなんて…よほどの噂が立ったのでしょう(ゴメンナサイ、噂の詳細は不明)。


ちなみにこれらヘイアウを含む一帯は現在、文化保存の一環としてきれいに整理され、ヘイアウ跡も復元されています。まだ柵が張りめぐらされてはいますが、遠目で眺めることは可能。私もパチパチと写真を撮ってきたのですが。そんな血塗られた過去があったことは、その時知りませんでした。知っていたら、あんな近くまで行かなかった!


それにしても…上で述べたラグーンホテルの写真。な~んか不気味な感じがしませんか? どうも私はその写真を見るたび、胃が痛くなってしまいます。気のせいでしょうか。

2008年10月02日

ホテルを守る槍

カルマとでもいうのでしょうか?


先週のハワイ島取材にはカメラマンもなし、たった一人で出かけました。ホテルでも一人っきりだったので、少~し怖かったわけです。というのも最近、このブログでホテルの怪談をけっこう書いていましたよね!? そんな矢先に、見知らぬホテルに一人っきりというのは、とても不安でした。で、いつもの小さな巾着入りハワイアンソルトではなく、大きなビニール袋入りのハワイアンソルトを買い、ハワイ島へと旅立った私です。


結果、宿泊先のシェラトン・ケアウホウ・ベイ・リゾートは快適なホテルで。怖いことなんて何もなかったのですが! 「それなのに私ったら、重いハワイアンソルトをわざわざホノルルから運んできて」と自分をあざ笑ったりして…(おまけに行きのフライト中、スーツケースの中でハワイアンソルトの袋が破れてしまって。ホテルでスーツケースを開けてみると、中が塩だらけになっているのですもの。困り果てました~)。


ですが。こんな風に心配性というか身構えてしまうのは、何も私だけではないよう。というかハワイというスピリチュアルな土地柄、こんな心配もまんざらバカらしいことではないのかもしれません。というのも…。ちょっと下の写真をご覧ください。

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ホテルに到着早々、「なにかこのあたりにスピリチュアルな話はありませんか?」と、例によってホテルの方に訪ねると、スタッフの男性が庭先を指差して教えてくれました。


「あのヤシの木の隣に、槍が立ってますよね? あの槍は、この敷地から邪悪な霊気を追い払うために立てられたものなんですよ」


槍は高さ5,6メートルで、海の際に、空に向かってまっすぐ伸びていました。鉄製で、槍の先は以下のようになっています。

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同ホテルがシェラトン系列になったのは2004年ですが、以前はコナ・サーフ・ホテルとの名称で営業していました。槍はその頃から、もしくはそれ以前から立っていたそう。ですからいつ、誰が立てたのかは今1つ不鮮明なのですが、こんな立派なホテルにも、こうしてハワイ式のお守りが立っているなんて…。ユニークですよね! あんな大きな槍にひと突きされたら、どんな妖怪変化もひとたまりもなさそうです! 


そもそもこのホテルのあるケアウホウという土地は、さまざまな歴史に彩られたエリア。王族絡みの逸話も多く残っており、とても興味深い土地で。ネタもたくさん仕入れて参りました。ああ、もう1冊本が書けてしまいそうです! 少しづつご紹介したいですが、次回はハワイ島で出会った「霊能タクシー運転手さん」についてご紹介しましょう。少々お待ちくださいネ。

2008年09月25日

カジメロ様の不思議話

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先週の土曜日、待望のブラザーズ・カジメロのコンサートをハワイシアター(上の写真)で見てきました! 今回は3部構成(いつも2部)で、2時間40分という、いつにない長さ…。この日も2人はノリノリ、しかも調子もよかったようで、とても楽しいコンサートでした。やはり今年のカジメロ様は、やる気満々ですね~。


と、ショーの中盤のこと。ロバートさんがビショップ博物館について話し始めたのですが…。「博物館の中庭にはいろいろな石像があるんだ。で、その中の一つの鮫の神の石像は、うちのファミリーに関係があるんだよ」なぁんて、珍しく「不思議話」を始めたのです! なんともユニークなお話だったので、ここでシェアさせてくださいね。


その鮫の石像の名は、カパアヘオというのだそう。まだ実物を見ないままで恐縮なのですが、けっこう大きな石像のようです。ロバートさんが言うには、石像はもともとハワイ島にあったもので、ロバートさんのお祖父さんによって、ビショップ博物館にもたらされたのだそうです(その詳しい経緯はいま1つ不明)。いずれにしろ、カジメロ・ファミリーにはゆかりの深い石像のよう。


そのため、ロバートさんの祖母が亡くなった直後のある日。家族がお葬式に出かけた後、ロバート&ローランド兄弟が、石像にそのニュースを伝えることになったそうです。2人は神妙に、石像の前でグランマの死を報告したのですが…。


ロバートさんによると、この石像は別名ベルストーンとも呼ばれているそう。というのも、その顎にあたる部分を叩いた時、もし石像がハッピーならば、カーンと鐘のようによい音がするのだそうで。しかしグランマの葬式の日の石像は、なんの音も奏でませんでした。石像も悲しかったのでしょうネ。


…その後カパアヘオについて軽くリサーチしてみると、ビショップ博物館の資料から、以下のような逸話が見つかりました。


昔ハワイ島コハラコースト近くの海に、カパアヘオという鮫がよく出没したそう。カパアヘオはまた、人間の男性としてビーチに現れることもあったようです。


カパアヘオは縄張りの海で泳ぐ人間をよく脅したため、ある時、一人の漁師がカパアヘオを捕まえました。不思議なことにその直後、漁師はビーチで、槍に刺されて死にかけている男も発見。男は、死ぬと鮫の形をした石像と化したのだそうです。それがこの石像というわけ。


資料によれば石像は2トンもあるそうですが、そんな大きな鮫の神の像が、博物館の中庭にあったかしら? …そういえばしばらくビショップ博物館にも出かけていませんが、近々ぜひこの石像を、この目で見てきたいと思います。写真を撮ってきたら、またご紹介します。


さて、今日はこれからハワイ島に取材旅行です(カイルア・コナまで)。週末には帰ってきますが、皆さまもお元気で素晴らしい週末をお迎えくださいネ。ALOHA!

2008年05月30日

ミス・アロハ・フラ競技の裏話

またご無沙汰してしまってゴメンナサイ。ライターでありながら、こう筆が遅くては仕方ありませんね~。書きたいネタはたくさんあるのですが、ちょっとバタバタしていて失礼しました。


さて、写真ナシで申しわけないのですが、今日は今年4月のメリーモナーク・フェスティバルでの、あるフラダンサーの不思議な体験をシェアしたいと思います。といっても幽霊を見たとか、そういう派手なお話ではないのですが…。


皆さんは、アリアナ・セイユというフラダンサーをご存知ですか? ハワイ島ヒロで行われるフラ競技会の最高峰メリーモナークのミス・アロハ・フラ部門で、昨年は惜しくも2位、今年は4位になった女性です。彼女はフラの技量も素晴らしければ、ものすごい美貌の持ち主でもあります。1999年にはミス・ハワイ・ティーンUSAにもなったほどで、今はプロのダンサー兼モデルとして活躍しています。昨年のメリーモナークでも「フラの良さよりも美貌の方が目立ってしまう」と、言われたほどの美女で。日本でもファンが多いと聞いています。これはそのアリアナから、直接聞いたお話です。


昨年2位に終わった彼女。今年の再挑戦のためにフラのレッスンに励むのはもとより、体調も万全に整えてメリーモナークに臨んだのですが…本番の日の朝5時。急にひどい吐き気に襲われ、ひどく吐いてしまったのだそうです。前夜の練習も難なくこなしていたのに、なぜか…。


その後もいっこうに吐き気は治まらず、ついに病院の緊急治療室に担ぎ込まれた彼女。ですがおりしもキラウエア火山が活発に噴火中だったので、噴煙にやられた人々で治療室は満員。アリアナは点滴を受けることを希望していましたが、午後までは無理、と突き放されてしまったそうです。その日の午後1時からは会場でのリハーサルが予定されていたので、仕方なく病院を後にしたアリアナ。フラフラの身体でリハーサルは終えたものの、とても競技会に出られる状態ではありませんでした。


そこでアリアナは、ヒロ在住のシンガーで親友である、ロパカ・カナカオレに電話しました。ロパカはさっそく祖母で著名クムフラ(フラ教師)であるプア・カナカオレと一緒に、駆けつけてくれたそうです(プアはハワイ文化の研究者、歴史家としても大変有名です)。するとプアは言いました。「ここは火の女神ペレのお膝元。ペレがアリアナに嫉妬している」。ヒロといえば、すぐ近くにキラウエア火山を頂いていますからね。


その理由は、競技会でアリアナが、ペレの恋物語に関するチャントを踊る予定だったから…。ペレと、その恋人ロヒアウのフラを踊ったのは、その日アリアナだけだったそうです。だからといって、なぜペレが怒るのかは正直私にはわかりません。ですが、ペレといえばその嫉妬深さで知られる女神。絶世の美女アリアナに対して、何か気に入らないところがあったのでしょうか?


プアはまた、こんなことも言ったそうです。メリーモナークの2日前に、ヒロの新聞にアリアナの記事が出たのだそうで。その内容は「昨年2位になったアリアナだが、本来は一番スコアが高かった。ただ制限時間をオーバーしてしまったので減点され、2位になった」…。それを聞いて、思わずアリアナに聞いてしまった私。「それって本当? 本当はあなたが1位だったのですか?」。するとアリアナは言いました。「I don`t know.知らないわ。でもそれが本当であれ嘘であれ、本番の2日前に出た記事でしょ。いずれにしろ、私にとってよくない報道だと思うの。世間の人は、私によくない感情を抱いたと思う…」。昔から霊的なものに敏感だったというアリアナ。そういった自分に対する邪悪な感情を感じ取って、病気になったのでは、ともプアは考えたそうです。


結局、いっこうに体調の回復しないアリアナを連れて、一行は海に出かけました。ハワイで海は霊的な洗浄力があるとされていますから、御祓いのためです。そこでアリアナはパレオだけを身体につけて45分ほど海に浸かり、彼女のクムフラであるカウイ、そしてプア、ロパカは彼女のために祈りを捧げたそう。海の中でアリアナも泣きながら「女神ペレ、どうか私を許してください。私をもう罰しないでください…」と念じたとか。海での御祓いでは、海から出る際、けっして後ろを振り向いてはいけないのだそうで。邪悪なものを海に全て置いて出てくるのだそうです。


そうして御祓いを終えたアリアナですが、御祓いも効果がなかったのか、本番直前までアリアナはふらふら。ずっと横たわったまま、クムフラがレイなどもつけてくれたそうです。ですが名前を呼ばれてステージに上ると、気分がよくなり、なんとか踊り終えることができたそうですが…。それは病気が急に治ったというより、単にアリアナのプロ根性のお陰だったのかもしれません。…しかし不思議なことにそのステージを境に病気はケロリと治り、次の日からは何ともなかったそう。「いったいあれは何だったのかしら?」と、アリアナも首を傾げていました。


…結局、明白な結論、劇的な結末がなくてごめんなさい。ですがこの話、私はとても不思議だな~と思い、シェアさせていただくことにしました。女神ペレの嫉妬とか、人々の憎悪(呪い?)とかが美女を病気にしたのかも? しかもエマージェンシールームがダメなら海で御祓いをするというところも、なんだかハワイらしいですよね。やはりハワイには今も、そういった古代ハワイの慣習、信条が根付いているんですね。


ふだん、こういう話は登場人物を匿名にしてご紹介するのですが、今回は本人の了承を得て、特別に本名を書かせていただきました。…アリアナを知る人なら、いかにもペレに嫉妬されそうな女性だとわかってくれると思うのですが、皆さんはどう思いますか?

2007年11月21日

カマプアアとクムフラ

カマプアアといえば、ハワイ神話上の半神半人「ハワイの豚の神って?」でも書いたとおり、イノシシの化身でもあるカマプアアは、時にはハンサムな酋長として、またある時はイノシシや、魚のフムフムヌクヌクアプアアとして、人々の前に姿を現す…とハワイでは信じられております。


今日ご紹介するのは、オアフ島在住のあるクムフラ(フラの先生)が経験した、カマプアア絡みの奇妙な話。これを読んでンなバカな…と思う方も多いでしょうが、以下、当のクムフラから直接聞いたお話です。


マラエカハナといえば、オアフ島ノースショアにある美しい白砂のビーチ。ある日クムフラ(ここではNさんと呼びましょうね)がマラエカハナを散歩していた時。幅10センチほどの石を蹴ってしまいました。その石は犬の横顔のように見えましたが、一緒にいたハワイアンのクプナ(シニア)が言ったそうです。


「これはカマプアアよ」


よく見ると、石には鼻や牙もあり、カマプアアの横顔によく似ていました。そこで興味をひかれたNさんは石をポケットに入れ、ヌウアヌの自宅に持ち帰ってしまいました。


自宅でNさんは、なぜか気分が悪くなり、ゾクゾク悪寒までするように。夜もあまり眠れなくなってしまったそうです。ところが。フと気が付いてカマプアア似の石を手にすると、スッと気分が晴れるのでした。そこでその夜ポケットに石を入れて眠ったところ、Nさんは久しぶりにぐっずり眠れたそうです。


数日後のことです。Nさんは、おなかにひっかき傷のようなものがたくさん付いているのに気づきました。それは、まるで牙の跡に見えたそう。怖くなって、マラエカハナのビーチで一緒だったクプナに見せると、彼女は心配そうに言いました。「カマプアアがあなたに恋している。セクシャルな関係を持とうとしているのかも」。Nさんは人妻です。カマプアアに好かれても困るわけで。しかもクプナは「このままだと、嫉妬したカマプアアが、あなたの旦那に危害を与えるかも…」と警告しました。


恐ろしくなったNさん。翌日石を返しに、マラエカハナに戻ることにしました。Nさんはクプナと一緒にお祈りを唱え、また石に語りかけました。「あなたをどう正しく扱えばいいのか、私にはわかりません。どうぞ海に帰ってください。ごめんなさい」。その時、Nさんはひどく泣いてしまったそう。そして石と、鼻と鼻をくっつけるハワイ式のキスを交わし、石を海に投げ入れました。


と、次の瞬間。Nさんは後ろから声をかけられました。「へイ! 一緒に波に乗らないか?」。見ると、背が高くてダークな肌を持った、素晴らしくハンサムなハワイアンの青年がそこに立っていました。快諾して青年とともに海に入り、よい波がきたので一緒に波に乗ったNさん。ハワイアンの好きなボディサーフィンですネ。


Nさんは波に乗ってビーチまで戻り、海から上がったのですが…。不思議なことに、ハンサムなハワイアン青年の姿が見えません。海にもビーチにも、Nさんとクプナ以外は、人っ子一人いないのでした。


いったい、波に乗ったハワイアン青年はどこに行ってしまったのでしょうか? …Nさんは話の最後に言いました。「あれはきっと、カマプアアだったのだと思う。最後のお別れに、人間の姿になって出てきたのじゃないかしら」。そうでした。カマプアアは、ハンサムな酋長としても、この世に現れるのですものネ。


…人によっては、あまりに荒唐無稽な話に聞こえるかもしれません。でも私は、Nさんの話に妙に納得してしまいました。Nさんに残った得体の知れない傷跡といい、石を手放したとたんに現れた、ハワイアン青年といい…。


カマプアアは、今でも時にこうして人前に姿を現し、美しい人間の女性に恋をすることがあるのかもしれませんね。皆さんはどう思いますか?

2007年10月31日

教会は守られている

ハッピー・ハロウィーン! ハワイでは明日がハロウィーンですが、日本ではもう今日ですネ。皆さん、ハワイのように仮装して出社…なんてことはナイでしょうが、夜はパーティかなんかで盛り上がるのでしょうか?


今日はハロウィーンにちなんで、ちょっと怖いお話を紹介しましょうね。


1昨年、「お墓で結婚写真ですか?」という記事を書きました。これはハワイ最古の教会、ダウンタウンのカワイアハオ教会の一角にある、ハワイ王朝6代目のルナリロ王の霊廟(上の写真)について書いたもの。もしよかったら、もう一度読んでくださると嬉しいです。


ハワイの人民に慕われ、1874年に亡くなったルナリロ王の立派なお墓がここにはあるわけですが…。ハワイのゴーストストーリーの語り手、ロパカ・カパヌイという男性の本の中に、このお墓に侵入しようとした泥棒たちについての怖い話が載っており、最近それを読んでゾ~ッ。


ルナリロ王のコンクリート造りの墓はふだんしっかりと施錠され、年に一度の命日に、ほんの数人が中に入り、儀式や空気の入れ替えなどが行われるそう。その人たちによれば内部は木造りで美しく、ステンドグラスの窓があるとか。噂ではルナリロ王の宝石も保管されているそうですが、それは定かではありません。


ある朝のこと。この霊廟の裏で、2人の男の死体が発見されたそうです。男たちはハンマーでステンドグラスを破って霊廟に侵入しようとしたよう。それが、なぜ~か2人とも、首の骨が折れて死んでいたそうです。それも1人の手首には何者かの指の跡が付いており…それはそれは巨大な指跡だったそうで。検死をした関係者はその跡を、ハーキュリーの手のような、と表現したそうです。


この1件については今だ真相は藪の中だそうで。ハーキュリー並の大男の殺人者は、つかまっていないらしいです。でも。尊い王の墓を破ろうとした泥棒を殺めたのは、人間ではないのでは? …そんな風に思うのは、私だけではないと思います(ですよね?)。


私はこの事件を知らなかったのですが、著者のロパカさんは以前カワイアハオ教会付属の幼稚園の先生をしていた人なので、きっといろいろ知っていたのではないでしょうか? 


…そういえば私も、もう1件、カワイアハオ教会の泥棒事件について聞いたことがあるのでした。こちらも詳細が定かでなく、確信がなかったのでこれまで書いたことがないのですが。


なんでもある時、教会の事務所か内部かが泥棒の被害にあったとか。犯人の手がかりはなかったのですが、ある母親から、「もしかしてうちの息子が犯人ではないか」と通報があったそうです。というのも、その家でポルターガイストが発生。教会の信者だったお母さんはピ~ンときて、「教会荒らしは息子の仕業かも?」と疑ったということでした(あまりにもザックリした話でゴメンナサイ)。


なんだかこの2つの事件、重大性は違っても、本筋のところでは似ていませんか? 尊い教会で盗みを働こうとした犯人を、霊?たちが罰した、という部分が。ハワイ王朝の礼拝堂だったカワイアハオ教会。きっと今も多くの霊的な存在に、守られているのかもしれませんね。


話変わって、ちょっと嬉しい出来事もご報告させてください! 「お墓で結婚写真ですか?」では、王様のお墓で記念撮影する無礼な人々について書きました。その後も自転車で霊廟の庭に入る人を見かけたりして、憤っていた私。ですが、この間はこんなことが。霊廟から、バックパックを背負った日本人観光客らしき男性が、一礼しながら出てきたんです~。服装からして、そしてお墓に向かってしたお辞儀の様子から見ても、絶対ロコではありませんでした。おそらく日本人…。


ああ、ハワイの文化や習慣を踏みにじる外国人も多いけれど、一方でこんな立派に、敬意を示してくれる人もいるんだ! …その男性を見て、と~っても嬉しくなりました。

2007年09月25日

続ビショップ博物館の石像

今回は、「ビショップ博物館の石像」第2弾。前回カネイコカラの石像がいかにしてハワイ島で発見されたかまで、お話しましたね。今日はいよいよこのカネイコカラが、博物館の改装工事をどう妨げたか。その顛末を説明しましょう!


ビショップ博物館の大がかりな改装工事では、もちろん様々な展示物が、一時的にほかの安全な場所に移されることになっていました。カネイコカラも当然、運び出されることになっていたのですが…。博物館スタッフも驚いたことに、カネイコカラは、なんとセメントで博物館の床に固定されていたのだそうです。


話は前後しますが、カネイコカラは魚の神の像と信じられており、当然、大変尊いものです。それが100年前のこととはいえ、神像をセメントで固定してしまうとは…。博物館らしくもないその無神経な石像の扱いに、呆気にとられたスタッフも多かったといいます。


いずれにしろ、人々は工事を前にセメントを崩してカネイコカラを掘り出そうとしたわけですが、驚いたことに、掘っても掘っても石像の底に突き当たらなかったとか…。しかも石像自体が大変な重さで、どうしても石像を動かすことができなかったそうです。


掘っても掘っても…といっても、100年前に博物館の床に埋められたものなんですよね。現代の技術をもってすれば、石像を動かせないわけがないのですが…。実際、どこまで掘ってもキリがなく、スタッフは「このまま掘り続ければ、地球の果てに行き着いてしまうのではないか?」とまで思ったそう。まさかあ、と思われる方もいるかもしれませんが、くだんの博物館季刊誌には、そう記されております…。


「もしかして、この魚の神は現在の場所から動きたくないのでは?」


…そんな意見も出て、困り果ててしまった博物館スタッフは、長老スタッフなどに相談。その結果、ついに石像を移動することを断念! 逆に、現在の場所でしっかり石像を保護して、改装工事を進めることに決定したのだそうです。う~ん。石像の意志が、現代のテクノロジーを負かしてしまったというわけですね~。不思議ですが、本当の話。


ちなみに季刊誌の記事には、この石像に絡んだ日本人女性の逸話も紹介されていたので、ついでにご紹介しましょう。


1972年のこと。タケマスウサミさんという日本人女性が、ビショップ博物館を訪れました。タケマスさんのご主人は漁業従事者。漁船のオーナーだそうで、博物館の説明書きを見て、この石像に目を留めたタケマスさん。大漁を祈って、日本酒をお供えしていったのだそうです。


その後、ご主人の漁船には大変な大漁が続いたのだそう。そこでタケマスさんはそれから毎年5月、日本酒を持って石像を訪問。すると必ず、ご主人の漁船は前年よりも素晴らしい業績を達成したのだそうです。


ところで、皆さんは「篠遠先生のハイビスカス」でご紹介した、篠遠喜彦先生を覚えていますか? …ある年のことです。あの篠遠先生が石像前でタケマスさんといろいろお話をしたついでに、聞いたそうです。「お供えの酒はどうすればよいですか?」。すると、「お供えの役割を果たした後の酒は、どうぞ飲んでください」とタケマスさん。そこでタケマスさんの酒は毎年、篠遠先生のオフィスに届けられていたとか。もっとも7、8年前から、タケマスさんのハワイ訪問はストップしているとのことでしたが…。


こういう話を聞くと、やはりカネイコカラは、神聖な魚の神様だったんだなあ、とつくづく納得。確かに発見の経緯からして、ずいぶんと不思議でしたからネ。それを「なんだか不気味」だなんて思っていた私。ずいぶん罪深いですよね! 今、大反省しております。


そんなわけで2009年にハワイアンホールがオープンした暁には。皆さんもゆっくりと、カネイコカラをお参りしてくださいませ。特に漁業従事者の方には、オススメします!

2007年09月20日

ビショップ博物館の石像

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ホノルルのビショップ博物館といえば、ポリネシア文化の殿堂。ティキ像その他、古代から伝えられてきたポリネシア各島の貴重な遺物の膨大なコレクションで、世界的に知られていますよネ。我が家ももちろんビショップ博物館が大好き。年間会員にもなっていますから、新しい展示会が始まる時など、しょっちゅう出かけています。


博物館の中でも中心となる建物が、ハワイアンホール。王族、フラ、移民関係など、ハワイにまつわるさまざまな歴史遺物を展示する、3階建て、吹き抜けの建物なのですが、2006年7月から改装工事に入っています。これは約21億円をかけての大掛かりな改装なのだそうで。これまでなかったエレベーターが付くなど(つまり車椅子の人もアクセスできるようになります)、より素晴らしい施設に生まれ変わる予定だそうですよ。楽しみですね~。


この改装工事、当初の予定では今年末に終了するハズでしたが、2008年春に延び…。それが秋に遅れ…。現段階ではハワイアンホールは、2009年春に再オープンの予定となっています。どんどんどんどん、工事のスケジュールが延びたことに対して、「やはりハワイだからな~。こういうことってありがちよね~」と思っていた私。


ところが…。博物館の会員向け季刊誌「Ka `Eleleカ・エレエレ」を見て、もうビックリ! 工事が延びたのは、なにもハワイアンタイムうんぬんだけではなく…。ちょっと奇妙な、スーパーナチュラルな理由があったようなのです。ハワイアンホール1階には、カネイコカラと呼ばれる石の神像が展示されているのですが、なんとこの石像が展示場から動かず! 改装工事のスタートを遅らせる原因になったということです。


この一件に関する大きな記事がカ・エレエレに載っていたので(上の写真。左端、横向きに載っているのがカネイコカラの写真です)、ご紹介しましょう。


カネイコカラは高さ約1メートルほどで、パッと見ると人間の立ち姿のよう。それも顔の部分になんとも言えず不気味な雰囲気が漂っていて。うちの子供達は、いつもこの石像の近くに行くのを怖がっていました。この石像は1906年、ハワイ島カワイハエ在住のジェームズ・ポアイ氏から博物館に寄贈されたのだそう。ある民家の庭から出土したのですが、発見の経緯が不思議というか何というか。


当時ポアイ氏は妹の婚家で暮らしていました。が、ある真夜中、妻の義父が一同を起こし、妙なことを言ったのだそうです。「こんなことを頼むのは初めてなのだから、ぜひ聞いてほしい。カヴァ酒と3匹のボラ、ヤシの実を取ってきてくれ」と。


それらが揃うと、義父は一同を連れて1.5キロほど歩き、ある民家の家に入りました。時は真夜中の2時。暗闇のなか庭を探し回って、義父は一同にある場所を掘るよう命じたそうです。家の住人に気が付かれないまま一同が庭を掘り続けると…。スコップが何か固いものにぶつかり、義父は「それだ!」と叫んで一同の手を止めたそうです。


そして出土したのが、このカネイコカラ。…家に戻ると、義父は一同に言いました。義父はそれまで、何晩も続けて不思議な夢を見続けていたのだそう。カネイコカラの石像が夢に現れて「冷たい土から掘り出してくれ」と懇願していたのだそうです。


しかもカネイコカラの発見から3日後。義父は急に皆の前で言いました。「もう死ぬ時がきた」。義父は漁師でした。家に置いてあった魚網を身体にかけると、本当にそのまま死んでしまったのでした。


…なんとも不思議な話ですよネ。お伽噺みたい? でもこのカネイコカラ出土の経緯は、しっかりビショップ博物館の文書に記録された事実なんですよ…。


さて、このカネイコカラが、どうやってビショップ博物館の改装工事を妨げたか。…スミマセン、長くなってしまったので、続きはまた次回お話しましょう。少々お待ちください!

2007年05月28日

続ワイメア滝での怪死事件

前回、現在はワイメア・ヴァレー・オーダボンセンターとして知られる観光施設にあるワイメア滝での、不可解な死亡事故について書きました。


ちょっと話が先走ってしまったかな~との反省があるので、この施設について補足しますと…。このセンターは以前、長い間ワイメア・フォールズ・パークの名で親しまれた観光施設です。当時は滝での派手なダイビングショーやフラショーなどが評判でしたが、現在は自然保護団体のオーダボン協会が経営を肩代わり。ワイメアの美しい自然を利用し、植物や鳥類が豊富な自然公園として機能しています。かつて数十ドルもした入場料がグッと安くなったのも、庶民にはうれしいところです。


ワイメア滝は公園入り口から歩いて30分ほどの奥地にあり、高さ12メートル。滝壺は深く、ワイメア・フォールズ・パーク時代は、滝のうえからダイバーが飛びこむアトラクションが大人気でした。1980年には、女性の絶壁ダイビング世界選手権が開かれたこともあります。


ただし滝の下には岩がゴロゴロ。うまく滝壺に飛び込むのはプロであっても難しく、1952年以降だけでも、プロを含め8人の犠牲者が出ていることは前回ふれたとおり…。私が把握している最後のダイビング事故は、1997年10月に起きたものです。ダイビングショーのオーディション中、プロのダイバーが滝下の岩に頭をぶつけ即死したのでした。


もちろん、過去多くの人々がぶつかって死亡した滝下の岩がどれなのか、定かではありませんが…。5月15日にカリフォルニアからの観光客がよじ登ろうとして、ズルズルと滑り落ちたというその岩。そのまま水中に没したというくだんの岩には、もしかしたら過去の暗い因縁が絡んでいたのかもしれませんよね…。


さて、この滝で死んだ人々の遺体は何時間も浮かんでこないという謎なのですが、その理由として、過去の新聞記事のなかでは滝の水量が多くて遺体が沈む、水がにごっていて遺体の捜索が難しい、などと説明していましたが、真相は藪のなか。そもそもこんな小さな滝壺で、遺体が見つからないなんてことがありえるでしょうか。ナイアガラの滝やビクトリア瀑布でもあるまいし?


これについてハワイアンは、独自の解釈をしています。伝説によればハワイの滝壺には神話上のオオトカゲ、モオが住んでおり、この滝壷のモオは生贄を求めている、というのがそのひとつ。


さらには、ワイメアの滝壺には古代の酋長の霊がひそんでいて遺体を求めている、という話も聞いたことがあります。滝壺の底にある平らな岩は、昔いけにえを捧げた、祭壇のようなものだったとか。ハワイの怪談本のなかには、この滝壷での事故に永年かかわった警察官の話として、様々な不可思議な話を紹介していました。


たとえば事故のあるたび、警察署、消防署はダイバー投入はもとより、底に到着するに十分の長い棒で滝壺をかき回して遺体を捜索すること。網を投げることすらあるのですが、遺体はなかなかあがってこないのだそうです。時には何日も…。


ある夏、滝壺が完全に干上がったことがあり、この警察官は壷の底を歩いてみたとか。けれど。遺体が引っかかりそうな形の洞窟や岩は何もなかったそうです。う~ん、不思議。


…この滝の謎については、滝を訪れた際、滝壺にいたライフガードにも聞いてみましたが、彼もモゴモゴとこう言っただけ。


「小さいけど、案外深い滝壺だからかナ…」


滝壺は今も人気の遊泳地であり、いつ行っても人でいっぱい。滝の真下に近づくとメガフォンで怒られますが、そうでなければ自由自在に泳ぎまわってOK。公園を訪れたその日、ハワイアン夫と子どもたちは嬉々として泳いでいましたが、私は遠慮しました。オオトカゲや古代の酋長の霊が潜んでいる…なんて噂は信じてはいませんが、何人もの犠牲者が出た場所ですからね。なにもそんな場所で泳がなくとも…。


もっともハワイアン夫は「こんな冷たい水で泳いだのは初めてだ!」と、大興奮でしたけれど。


皆さんはこの滝壷で泳ぐ勇気は…ありますか?

2007年05月23日

ワイメア滝での怪死事件

先日、地元英字紙ホノルル・スターブルテンを読んでいたら…。おかしな事故を報じる小さな記事を見つけました。ノースショア・ワイメアにある観光施設、旧ワイメア・フォールズ・パーク、現ワイメア・ヴァレー・オーダボンセンターにある滝で起きた、観光客の溺死事件なのですが…。


以前訪れた方もいらっしゃると思いますが、ここには高さ12メートルほどの滝があり、広い滝つぼは、格好の水遊び場になっています。観光客、地元の人々がたくさん泳いでおり、ライフガードも常駐。ところが5月15日のこと。カリフォルニアからの男性観光客が、妻の目の前で溺れ死んでしまったのです。


二人は滝の近くで写真の撮り合いをしていたのだそうです。男性は滝の下の岩によじ登ろうとしたのですが、なぜ~か。まるで力尽きたかのようにズルズルと岩から落ち、水中に沈んでしまいました。そしてそのまま、浮かんでこなかったのだそうです。


慌てた妻は大急ぎでライフガードを呼びましたが、不思議なことに。彼らも男性を見つけることができませんでした。近くの消防署からも隊員が駆けつけ、シュノーケルのマスクをつけて探したのに、男性は見つからなかったそうです。結局後ほど、スキューバ・ダイビングのボンベをつけた隊員によって、男性の遺体が約7メートルの深みから見つかったのでした。


…確かに水は若干濁っていますが、これは深夜とかではなくて、真昼間、午前11時頃のことですよ! それなのに。たった今、妻の目の前で岩から水に滑り落ちた男性がみつからないなんて、そんなおかしなことがあるでしょうか? そもそも、27歳の男性が登ろうとしていた岩から理由もなく落ちるなんて、いったいなぜ?(その後の調べによると、死因は溺死だったそうです)


…なぜ私がこんなにクエスチョンマークを連発しながらコーフンしているのかと言うと、古代ハワイの時代から、このワイメアの滝には、なにかと怖い話が囁かれているからなんです! たとえば、記録の残っている1952年以降だけでも、滝の上から飛び込んで8人が死亡しています。


さらに不思議なのは、この滝では死亡事故が多いだけでなく。遺体がなかなか上がってこない、時には数時間も遺体が見つからない、という事実があるからなのです。過去の例を新聞記事から拾ってみると、1952年の事故では遺体が翌朝まで発見されず、54年、60年の事故では2時間、64年の事故では3時間以上、遺体が見つからなかったそう。1997年の事故でも、3時間以上見つからなかったようです。そう、今回のような奇妙な出来事が、この滝ではたびたび起こっているというわけです。


どう考えても、これって変ですよね!?


(次回に続く)

2007年04月20日

ナイト・マーチャーの話

ハワイには「ナイト・マーチャー」という、有名な怪談があります。その名が示すとおり、死んだハワイアンが夜の町を行進する…という、恐ろしいストーリーなのですが。この「ナイト・マーチャーの話を」とのリクエストを、コメントでいただいたので、今日は恐怖のナイト・マーチャーについてお話しましょう!


なんでも毎月陰暦27日の夜は、古来、ハワイ神話の大神カネにちなんだ神聖な夜とされてきたのだそうです。そのため昔からハワイでは、その夜、死んだ酋長や戦士が生前通った道を行進すると信じられてきました。


時刻は、陽が沈んだ直後の夜7時過ぎから、夜明け前の朝2時くらいまで。ヘイアウ(古代の神殿)や埋葬地から、生前暮らした土地など死者のお気に入りの場所に向かって死者が行進するのだそうです。時には死ぬ直前の子孫の家に向かって、先祖を含む行列が死者を迎えに行くこともあります。ナイト・マーチャーはハワイ語では、Ka Huakai O Ka Poカ・フアカイ・オ・カ・ポーと呼ばれます。


ハワイアン・カルチャーの大御所、故カヴェナ・プクイ女史によれば、もし行列を取りしきる酋長が生前静かな人であれば、死後の行進も静かなものになるそう。トーチライトを掲げ、無言で行列が進んでいくのだそうです。それがもし音楽が好きな酋長なら、行列は太鼓やノーズ・フルート、ほら貝が仰々しく奏でられ、賑やかなものに。時にはそこに、ハワイ語のチャント(詠唱)が加わることもあるとか? なんだか日本の「キツネの嫁入り」を彷彿とさせる話ですネ。


ですが、ナイト・マーチャーの方が格段に恐ろしいのは…。もしその死者の行進を目撃したら最後、自分も行進に加わらなければならない、という点。つまり、自分も死んでしまうというわけです! といってもビックリ仰天して死ぬわけではアリマセン。「見たな!」という感じで、行列のなかの一員に殺されてしまうのだそうです。ハワイでも道ばたで突然死している人がたまにおり、医師は心臓発作と死因を結論づけるわけですが…。「ナイト・マーチャーにやられたかな」と考える人も多いのですって。それだけナイト・マーチャーの逸話が、ハワイには浸透しているということですね。


もっとも、ナイト・マーチャーに遭遇したら最後、必ず命を取られるというわけではありません(ホッ)。もしも行列のなかに、その人の先祖が交じっていたら。命乞いをしてくれ、助かることがあるそうです。


もうひとつはコレ。素早く服を脱いで裸になり、うつぶせになって行列をやり過ごす方法もあります。その時、なるべく息を殺して静かにしていることが大切。…夜とはいえ、道の真ん中で裸になるのは勇気がいりますが、殺されるよりマシですよね? もしナイト・マーチャーに出会ったら、私は迷うことなく服を脱ぐことでしょう!


さてここまで読んで、「ナイト・マーチャーなんてバカらしい。迷信に過ぎない」と思った方が多いかもしれませんね。…無理もありません。ですがハワイには実際に、ナイト・マーチャーを見たという人が存在します。前述のカヴェナ・プクイの母もそのひとり。そしてある不動産屋さんから、こんな話を聞いたこともあります。


ある年配女性はホノルル郊外に素敵な家を持っていますが、そこを貸し出し、自分はほかの家を借りて住んでいるそう。というのも…その女性の家は、ナイト・マーチャーの通り道だからです! 女性は実際にナイト・マーチャーの姿を見たわけではないのですが、その影を見たのだそう。リビングルームの壁に、トーチライトを掲げた人々の行列の影が映ることがたびたびあり、怖くて怖くて、その家には住めなくなったのでした。


またこれは、オアフ島アイエアにあるヘイアウ近くに住む管理人さんの話。このヘイアウ一帯は公園になっているので、ホノルル市の職員である管理人さんがすぐ近くに住んでいます。ある夜、テレビの怪談特集でナイト・マーチャーの再現?シーンを見ていた息子が叫んだそうです。


「僕、小さい時にこの行進を見た!」


息子は子供時分、兄とふたり、ヘイアウ裏の山で遊んでいたそう。するとどこからか行列が出現。兄とふたり、木に押し付けられたようになって身動きできなくなってしまったそうです。恐ろしくて、その後ふたりは誰にもその話ができなかったとか…。


このほかにも、ナイト・マーチャーの通り道とされる場所はハワイ中にあります。オアフ島クアロアやモクレイアビーチ、身近なところではホノルル・ダウンタウンのカワイアハオ・チャーチ前、ヌウアヌとキング・ストリートの角、アラケアとクイーン・ストリートの角などなど。


ワイキキでは幸い、ナイト・マーチャーが出現するという噂は聞かないですが…。万一遭遇してしまったら。裸でひれ伏し、難を逃れてくださいね~!
 

2007年04月15日

古代ハワイアン戦士の霊

パソコン、依然壊れていますが、泣いてばかり?はいられません~。また写真なしで更新します。あ、ひとつお知らせですが、昨日から、いただいたコメントは一度非公開のコメント欄に入り、あとで私が手動でUPする形になりました。ここ1週間ほど、なぜかいたずらというか迷惑メールが増えたので、形式変更ということに。どうぞご了承くださいませ。


さて、前回のH-3フリーウェイの記事のコメントで、「古代戦士の霊を見た」という方の話が登場しました。そういえば、亡くなったハワイアン義母も、戦士の霊を見ているんです…。そこで、今回はそのお話をシェアしましょうね。


以前も書いたように、ハワイアン義母はハワイ島ヒロで生まれ育ちました。義母の家は、野原の端というか、林の近くにあったそうです。グアバやオヒアレフアの木がたくさんあり、義母や兄弟(義母は6人も兄弟がいました!)のかっこうの遊び場になっていたそうです。


義母が8歳くらいだったある夕方のこと。裏の林で遊び、帰ってきた義母は、林にナイフを置いてきたことに気がつきました。それで木の枝を切って遊んでいたのですが、実は台所から持ち出したものだったそうです。もう夕闇が迫っていましたが、母親に「急いで探してきなさい」と叱られた義母。薄暗いなかをひとりで林に戻り、あちこち回ってナイフを探していると…。1本のグアバの木の下に、誰か立っているのに気がつきました。


そこでその木に近づいてみると…。木の下に立っているのは、裸にマロ(古代ハワイのふんどし)をつけ、槍を持った戦士なのでした!
 

なぜ、それが霊とかわかったのか。正直、それはハッキリわかりません。でもマロ姿で槍を持っていたことに加え、その瞬間、義母にはその男がこの世のものではないことが感じられたそうです。


「ギャア~!!」


義母は悲鳴をあげながら林を飛び出し、家に戻りました。そしてたった今起こった出来事を母親に告げると、母親はまず聞いたそうです。「おまえはその戦士の顔を見たの?」。戦士はグアバの木の真下に佇んでおり、低く垂れた枝が戦士の顔を隠していて、義母はその顔を見てはいませんでした。そう話すと母親は安心した様子で、「もうナイフのことはいいから、林にはしばらく言っちゃいけないよ」とだけ言ったそうです。


あとから知ったことですが、ハワイアンの信条では、幽霊の顔をはっきりと見てしまったら最後。こちらも命をとられる可能性があるのだそうです。だから義母の母親は、一番に「顔を見たのか?」と聞いたわけですね。


義母のストーリーはそれだけだったのですが…。そのあたりはもしかしたら、昔戦場だったのかもしれませんね? もしくは、集落か何かあって、くだんのグアバの木の下は、見張り番の戦士のお気に入りの立場だったのかも…。


想像は尽きませんが、以上、義母の幽霊経験談でした。こ、これだけでスミマセン。もっと詳細わかればよかったのですが…。

2007年03月23日

ヒロ湾の癒しの島、その後

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2月に訪れたハワイ島ヒロで、ココナッツアイランドにはぜひ行かなくちゃ! と思っていた我が家。ヒロ湾に浮かぶこの島にはヒロ・ハワイアンホテルの裏庭から、数十メートルの橋を渡って行くことができますからネ(「ヒロ湾に浮かぶ癒しの島」参照)。子ども達もそこで泳ぎたいと言っていたのですが、島全体が大がかりな工事中で、立ち入り禁止になっていました。


ホテルの従業員に、いったい、何の工事をしているのか聞いてみると…。


「これまで島に車椅子用のアクセスとトイレがなかったので、島全体を今、直している」


とのこと。それを聞いて、正直、ビックリでした! というのはこの島は以前書いたように、古来モクオラ(ハワイ語で癒しの島の意味)と呼ばれ、ハワイアンにとって聖なる島とされてきた場所です。モクオラ周辺の淡水スポットには不思議な癒しのパワーがあると信じられ、病気回復を求めて病人がこの島に集まった…わけですが、それが! 21世紀の現代には、車椅子の病人、けが人は近づけない環境だったわけです(いったいヒロ市のお役人は何を考えていたのでしょーか?)


アメリカでは障害者、弱者の保護について大変繊細で、公道に車椅子のアクセスがないとその手の団体が、市や州政府を訴えたり、それがホテルなど私有地でも「障害者に対する差別だ!」と問題になったりするのです。それなのに、あの癒しの島に今まで車椅子のアクセスがなかったとは、大変意外でした。


それがここにきてようやく、車椅子用の通路やトイレが作られるとのこと。なんだか最初はガーン!でしたが、これは素晴らしいニュースですよね?


3月初めにヒロを訪れた時にも、癒しの島はまだ工事中でしたが、3月末までに完成予定とのことでした。とすると、もうそろそろオープンするはず。…今後は健康な人だけでなく、お年寄りや病気の人などもあの島を訪れ、島のマナ(霊力)をたっぷり吸収してくれることを祈ります!

2007年03月07日

ヒロとの不思議な因縁

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こんにちは! 無事ハワイ島ヒロから戻ってきました。やはり、のんびりムードのヒロは楽しかったです~。


やたらとヒロが好きな私ですが、こんな風にヒロが身近になったのは、実はここ2、3年なんですよ。2004年11月、ヒロ出身であるハワイアン義母が亡くなったあと、なぜか急にヒロに行く仕事が増えたんです。


私が日本からハワイに引っ越してきたのは、1990年の秋(12歳の時、というのは冗談です)。その後ハワイ各島に旅しましたが、ちょっと地味な印象のある町ヒロには、1996年に一度、アロハエクスプレスの仕事で訪れただけだったんです。最初から「情緒豊かで素敵な町だな~」とは思ったのですが、その後縁はなく…。


ところが、ハワイアン義母の亡くなった2週間後に、8年ぶりにヒロに行く仕事が舞い込み…。「ああ、お義母さんが生きていたら、喜んでくれただろうナ」と思い、しんみりした気分でヒロを訪れました。そしてホノルルに帰って数週間すると、また「ヒロに行ってほしい」という仕事が! …これではなんだか、まるでヒロに呼ばれているみたいです。お義母さんがヒロに帰りたがっているのかしら? 2度目のヒロ行きの際は、そんな気がしてならなかったものです。


結局、義母の死んで以降の2年3ヵ月で、バケーション一回も含め、なんと6回もヒロに飛ぶことになりました。それまでの14年間のハワイ暮らしでたった一度しか行かなかったのに…。自分としては、この偶然、どうも不思議でなりません。


常々そんな風に感じていながら、今回ヒロから帰ってきたのですが…昨夜、今度はハワイアン夫に、ヒロのクライアントから仕事が入ったではないですか。他島から仕事が舞い込むのは、今回が初めて。それがまたヒロ! …お陰で、ファミリーでまたヒロを訪問できそう。やはり、義母がヒロに行きたがっているのかもしれませんね? 


話は変わりますが、今回のヒロ行きはフラ絡みの仕事で、あのフラ界の重鎮でアメリカの人間国宝、ヒロ在住のジョージ・ナオペ氏にもお会いしました。今年80歳になるナオペ氏は、実は義母の同級生。一緒にヒロ中学、高校に通った仲なのですが、ナオペ氏はいまやフラダンサーにとって神様のような存在です。義母のことも忘れているだろうな~、と思ったのですが、念のため聞いてみたら! 義母をしっかり覚えていてくれました。…なんだか、とても嬉しかった私です!


2006年12月23日

ハワイアンにとっての「ベツレヘムの星」

もうクリスマス目前ですね~。皆さん、クリスマスの用意は整いましたか? ハワイというかアメリカでは、クリスマス商戦も終盤。 日頃ケチなアメリカ人がここまでするのか、と思うほどギフトを買いまくり、親しい人ひとりひとりに贈る習慣があるのですもの。今やショッピングセンターは大混雑です。金額はかかっても、日本の正月はお年玉というキャッシュで話が済む分、ある意味楽かもしれません…。

前置きが長くなりましたが、今日はクリスマスの「ベツレヘムの星」にちなんで、ハワイアンにとってのお印、兆しのようなものをテーマにお話ししましょう。

イエス・キリストの誕生直後。聖書によれば夜空に大きな星が出現しました。それはこの世に救世主が現れたことを示す印し。東方の3人の賢者は星に導かれて、生まれたばかりのキリストを訪れたのでした。このベツレヘムの星は、まさに慶事の兆しだったわけですね。

よい兆しであれ悪いものであれ、ハワイ語でこういった兆しはHoailonaホアイロナと呼ばれます。ハワイアンは信心深い、つまりある意味迷信深い民族なので、ハワイアンにとりホアイロナは大変重要な概念でした。それも、悪い兆しを見れば旅程を変更して家路につくほどに、ホアイロナを重要視していたそうです。

19世紀、カメハメハ4世の妃、エマ女王がハワイ島を訪れていた時。遠くの海のうえでおかしな光が踊るのを見て、エマは「どうぞ私が戻るまで待っていて」と祈りながら、ホノルルに飛んで帰ったとか。すると案の定、義妹のルース王女が、息を引き取ったばかりだったそうです。ハワイ文化の権威、故メリー・プクイが紹介した逸話ですが、エマ女王の見た不思議な光は、なんらかの悪い兆しだったわけですね。

人の死に関する兆しはいろいろあり、たとえば古来ハワイではカフナ(古代ハワイの祈祷師)と占星術師にしか見えない、カネの星というのがあるそうです。この星は王の死の前兆。つまりベツレヘムの星とは正反対の星ですネ。カネの星が現れると王にすぐ知らせが行き、王は慎重に警護され、なるべく家から出なかったということです。

また薬草治療のカフナが往診の途中で、両手を身体の後ろで組む男に出会ったら。カフナはそのまま家に帰ったそう。それは「患者を治すことができない」という印しだったからですって! 同様に虹が目の前に現れたら、これも「家に帰れ」のサイン。危険が迫っている、もしくは親しい人の死が近いというサインだそうです。もっとも現れ方により、虹はよい兆しにも悪い兆しにもなったようですけどネ。

妊娠中、母に現れた兆しにより、ベビーの将来が占われるということもよくありました。カメハメハ大王を妊娠中、母はなぜか獰猛な鮫の目玉を食べたがり、やはりというべきか。ハワイ史上最強の戦士? カメハメハが誕生したのも有名な話です。

こういった話を、あまりに迷信的と考えると方も多いでしょうね? ですが、最近こんな話も聞きました。著名クムフラ(フラの教師)、サニー・チンから聞いた話です。カラカウア王の時代から代々クムフラを輩出しているサニーさんファミリー。子どもたちの間で、なぜかサニーさんだけが小さな頃からフラ以外にハワイの歴史、文化も叩きこまれたとか。

十代に入り、「なぜ僕だけが勉強しなきゃいけないのか」と不公平に感じたというサニーさん。そんなサニーさんがのちに聞かされたのは、サニーさんが生まれる前から「この子が跡継ぎになる」ということが、クムフラである祖母にはわかっていたのだそうです。なんらかの印しが現れていたわけですね。そしてその預言が正しかったのはもう証明済み。サニーさんは昨年から、史上最年少でメリー・モナーク審査員に任命されるほど、クムフラとして大成功を収めているわけですから。

このハワイ語でいうホアイロナ、まだまだ紹介したい例があるのですが、キリがないのでいつかまた日を改めて紹介したいと思います!

では皆さん、どうぞよいクリスマスをお迎えくださいね~。メリー・クリスマス!

2006年11月05日

ハワイでも暗躍した黒魔術師

このブログではたびたび、カフナという言葉が登場しますね。カフナとは一般に、古代ハワイの神官を指す言葉です。ところが一言でカフナといっても、祭事を司るカフナ、天気を予報するカフナ、医療に従事するカフナなど、その種類は様々。つまりカフナとは、それぞれの分野に長けた専門職の人々とも言えるでしょう。

医療に従事するカフナにも、薬草治療のカフナ、助産婦のように出産を担当するカフナなど細かく分類されていました。そして中には黒魔術を使って人を呪い殺す、呪術師としてのカフナまで! 有名なのはカフナ・アナアナ。まずは標的とする人の髪や爪、肌に直接ふれた衣類などを入手。古代ハワイの信条ではそれらには、持ち主のマナ(霊気、霊力)がこもっているとされていました。そのため、それらを手にしたカフナは持ち主のマナをコントロールできる、つまり持ち主をコントロールすることができるとされ、時には相手を「呪い殺す」ことすら可能だったのだそうです。

カフナ・ホオピオピオというカフナも怖かったようですネ。対象者をジッと見つめながら自分の頭をかくと、対象者がひどい頭痛に襲われるといった、実に恐ろしい黒魔術を使ったのがこのカフナ。さらにはカフナ・ホオマナマナです。このカフナは自分の殺意を火の玉に込めて人に送り、相手を殺害するパワーを持っていました。この火の玉はAkua Leleアクアレレ、その名も「空飛ぶ神」と呼ばれ、恐れられたのだそうです。

な~んてここまで一気に読んで、「何をくだらない……」なんて感じた方も多いのではないでしょうか? 特に火の玉のくだり? ……無理もありません。黒魔術だの呪いだのって、現代社会ではB級映画の世界ですからね。でも。ハワイではずいぶん遅い時代まで、カフナの呪いというのは結構ホットなトピックスでした。たとえば1868年に制定された保健条例では、ハワイアン医療従事者(つまりカフナ)につき、次のように定めています。

「ハワイアン医療従事者については、3人のメンバーで構成する評議委員会によって、善良な性格であるか、治療の記録を書き残しているかどうかを吟味すること」

そして。問題の箇所がココです。

「いかなる医療従事者も、アナアナ、もしくはホオピオピオ、ホウマナマナを行ったことが明らかになれば、ライセンスを剥奪する」

れっきとしたハワイの条例の中でもアナアナ、ホオピオピオ、ホウマナマナという各種?の黒魔術は明記され、禁止されているんですよね~。これはひとえに、当時のハワイで黒魔術は、けっしてファンタジーの世界だけに限ったことではなかったということを示していると思います。

事実、ハワイ王国のカラカウア王の妹、リケリケ王女(上の写真)は、カフナの呪いによって殺された、と今も信じる人が多いんです。カフナ・アナアナか、ホオピオピオか、はたまたホオマナマナか……。そこまでは定かではありませんが、カフナが呪い殺したというのがもっぱらの噂……。

また、「プルメリアの秘密」に登場したカワイアハオ・チャーチのD氏は、「モロカイ島ではアクアレレをよく見た」とはっきり言っていました(モロカイ島は大昔、強力なカフナが多く住むことで有名でした)。アクアレレを見たら、汚い罵り言葉とともに「送り主に帰れ!」と命じなければいけない、ともD氏。そうすると呪いは逆にアクアレレの送り主にかかり、下手をするとカフナ本人が命を落としたのだそうです。

今もこんなカフナ話が囁かれるハワイって……やはりマジカルな土地ですネ! 皆さんもそう思いませんか?

2006年10月09日

「死」を恐れたハワイアン

古代ハワイアンは信心深い民族でした。このブログでも何度も書いてきたように、神や先祖を崇める信仰心はそれはそれは強かったのですが……。そういった信仰心と死への恐怖は、全く別ものだったようです! ハワイアンは死という言葉を直接口にできないほど死の影を恐れたようで、代わりに「Moeモエ」、眠るという言葉で表わすことが多かったのでした。

たとえば死を遠回しに意味する表現として、「夏も冬も眠る」「地中で眠る」などの言い回しがあり、現在も使われています(日本風にいうと「永眠する」という感じですネ)。よっぽど、死という言葉を口にしたくなかったんですね~。

また同様の理由から、死を彷彿とさせる遊びはしないという、迷信、タブーがいろいろありました。ハワイ文化の権威だった故メリー・カヴェナ・プクイによれば、子供がよくやる「死んだふり」はタブー。また夜の隠れんぼもダメ(2度と見つからないかもしれないから)。そのほかにも、以下のようなタブーや迷信があったそうです。

○いかなる地面の穴も不吉なものと信じられていたので、見つけたら即、埋めてしまう。地上の穴は、墓穴を思い起こさせる……というのがその理由(だから今でも飼い犬が庭に穴を掘ったりすると、嫌がって埋めるハワイアンがいるそう)。

○子供の大好きなあや取りも、夜は禁止。紐で様々な形を作っていく手の指の動きが、死にかけた人間の指の動きに似ているから……というのがその理由。ゾ~!

○凧揚げも昼間だけしかしてはイケナイ。夜間には死神が凧ごと、子供を捕まえてさらっていくかもしれないので。

○夜間に釘を打つのはNG。釘打ちは棺桶作りを彷彿させるから、というのがその理由。昔ハワイアンは翌朝の葬式に備え、いつも夜棺桶を作ったのだそう。だから。

○犬が遠吠えするのは、誰かが死ぬ、または死にかけているという前兆。

○海で泳いでいて急に花の芳しい香りを感じるなど、妙な場所で妙な香りを感じたら。死やきわめて危険な事故に巻き込まれるという警告。

……いかがですか? これらを読むだけでも、ハワイアンにとっての死の重みというか、死への恐怖がフツフツと感じられてきますね~。それだけ先史時代の生活が、死と隣り合わせだった……ということなのかもしれません。

こういったハワイアンの信条を馬鹿らしいとか、そんなのは迷信だ……と一笑にふす人も多いかもしれませんが、ハワイで暮らす私としては、やはりこういったタブーを尊重したくなります。そういえば亡きハワイアン義母も、こういったタブーをずいぶん気にする人でした。実際ハワイアン夫が小さい頃、夕暮れ後に兄弟で隠れんぼをしていると、母親にこっぴどく叱られたそう。

「暗くなってから隠れんぼしちゃダメって、いつも言ってるでしょう!!」

……これからは私も、夜間の隠れんぼを子供たちに禁じようと思います。

(あ、上の写真はハロウィーンの衣装を売るあるお店で見かけたディスプレイ。死人や悪魔などの扮装をするハロウィーンなんて風習を昔のハワイアンが知ったなら、腰を抜かすかもしれませんネ)

2006年09月27日

魂と睡眠のハワイアン的関係

これまでも書いてきたように、ハワイアンは大変スピリチュアルな民族。夢に関しても、古来ユニークな解釈を持っていました。「夢は先祖や神とのコミュニケーションの場である」というのが解釈の一つ。つまりあの世からのメッセージを受け取る場が、夢の世界であるとされていたわけですネ。まあ、この解釈は万国というか、もしかしたら各宗教に共通のものかも……。でももう一つ、さらにユニークなのがコレ。「夢は幽体離脱した魂の記憶である」というものです!

古代ハワイでは、人は睡眠中に魂が身体を離れる、つまり幽体離脱すると考えられていました。そして魂が身体に戻ってきた瞬間に目覚め、魂の見聞きした体験が夢として認識される、と信じられていたんですね~。

面白いのは、昼間起きているべき時間にウトウトする人がいたら、その人は「さまよえる魂」の持ち主とされていたこと。本人の意図に関わりなく魂がフラフラと抜け出てしまうので、昼間から居眠りを繰り返してしまうと信じられていたのだそうです(こういう人、身近によくいませんか?)。そこで魂が大人しく身体に留まっているよう、ティーリーフやハワイアンソルト入りの水を使って御祓いを行ったりもしたそう。

ま、魂がふらふら家出を繰り返すくらいならまだいいのですが、恐ろしいのは、たまに身体に戻って来れない魂がいること。というのもそれは即、死を意味するからです。さらには。カフナ(祈祷師)の中にはカフナ・ポイ・ウハネと呼ばれるカフナがいて、その仕事はドリーム・キャッチャーならぬ魂のキャッチャー。善良なカフナ・ポイ・ウハネは死んだ人の魂を捕まえ、うまく身体に戻してくれ死んだ人が蘇生できるのですが、その逆のカフナもいたそう。つまり、本人が睡眠中に漂っている魂を捕まえ、連れ去ってしまうという、まるで死神のような恐ろしいカフナだったのだそうです。

ウソか誠か、こんな話もありますよ。昔は悪名高いカフナ・ポイ・ウハネが村の近くにいるという情報が入ると、皆、慌てて眠っている人を叩き起こしたのだそうです(うっかり、昼寝もできたものじゃありませんね~)。

この、「睡眠中に人は幽体離脱する」というコンセプト、現代ハワイでも信じる人がいるようで、以前娘がフラを習っていたクムフラ(フラの教師)はこんなことを言っていました。彼女が仕事で日本を訪れていた時のこと。ひどく具合が悪くなり、ベッドから起き上がることもできなかったそうです。「その日、イースター島で大きなお祭りがあってね。どうしても見に行きたかったので、身体を抜け出して見に行ったの。ところがそれっきり、身体に戻れなくなってしまって」とクムフラ。

……正直、数年前にこの話を聞いた時、私の頭の中は「???」と真っ白になりました。でも。古来ハワイにはそういった信条があると知った今は、妙に納得。魂が無事戻れてよかった! さもなくば、そのままあの世行きだったカモしれませんからね~。

そんなわけで、会議中や授業中に、居眠りばかりしている友人がいたら。ちょっと要注意かもしれませんヨ。もしかしたらその方は、家出癖のある魂の持ち主なのかも……しれませんからネ。

2006年09月19日

クプナ会議で聞いた不思議話

前回クプナ(祖父母、シニア)について書いていて、昔お手伝いで参加した「クプナ会議」のことを思い出しました。以前、オフィス・オブ・ハワイアン・アフェア(OHA)というハワイ州の外郭団体で、ボランティアをしていたことがあります。OHAはハワイアンの土地問題やハワイアン向けビジネスローンなど、数々のネイティブ・ハワイアン問題を扱う団体なのですが、年に一度、クプナ会議というものも開催していました。

クプナ会議はその名の通りシニア向けのイベントで、毎回100名を超えるシニアが参加していました。参加者は主にハワイアン。綺麗なムームーやレイをつけたシニアが、賑やかに集まってましたっけ! 内容は会議というより、セミナーと言った方が正しいかも。ハワイの文化、歴史のエキスパートを招いてのレクチャーが幾つか設けられ、参加者は好きなテーマのレクチャーを選んで参加できたのでした。

正式な演目は忘れましたが、その中で「クプナ」だったか「アウマクア」だったか、先祖についてのレクチャーがありました。「ハワイのドラゴン伝説? モオ」や「ハワイアンとへその緒の関係」でも記したとおり、ハワイアンは古来先祖との絆を重要視しており、先祖が守ってくれている……という信条を強く抱いています。そんな話が講師からあった後、出席者のあるハワイアン女性(以下Aさん)が、「これは私の体験談です」と前置きして、以下のような不思議な話を語り始めました。

Aさんはクプナというには若く、まだ50歳代だったと思います。Aさんが言うには、ある深夜、ぐっすり眠りこんでいた彼女の肩を誰かがつかみ、強く揺り動かしたのだそう。Aさんはハッと目を覚ましましたが、あたりに人影はなく……。隣のベッドで、ご主人が静かに眠っているだけでした。

「今のは何だったのか?」。当然、訝しく感じたAさん。ところがベッドの上で、突然、妙な胸騒ぎを覚えたのだそうです。そしてなぜかは自分でもわからないまま、息子の部屋へと直行。当時、息子は24歳でした。「息子はもう大人ですから、ふだん私は息子のプライバシーを尊重して、ノックもせずに息子の部屋のドアを開けるなんてことはしないのです」。Aさんは説明しました。「ましてや深夜ならなおさらです。でもその時、なぜか私は息子の部屋に勢いよく入っていきました。そうしたら……」。

Aさんの見たものは衝撃的でした。息子はなんと2丁の拳銃に、弾を装備しているところだったのです! ……Aさんが息子を問い詰めると、息子は泣きながら告白しました。「これからガールフレンドと息子を殺し、自分も死ぬつもりだった」と……。

息子には永年のガールフレンドがいて、最近2人の間にベビーが生まれたそう。その後2人の仲がうまくいかなくなり、思いつめた息子は、ガールフレンドと無理心中するつもりだった、というのでした。

……話を終えたAさんは言いました。「私は今でも信じています。あの時、私を揺り起こしてくれたのは、ご先祖だったのだと。息子の危急を知って、私に警告してくれたのだと思います。もしあの時目覚めて息子の部屋に行かなかったら。息子はそのまま、計画を実行していたでしょう」。

Aさんが話終えた時、教室はシーンと静まり返りました。その時、Aさんの前に座っていたおばあさんがクルリとAさんを振り向き、「Mahalo for sharing.シェアしてくれて有難う」と静かに言ったのを、今でもよく覚えています。

……確かに、なんとも不思議な話ですよネ。その時Aさんは、別にご先祖様の姿を見たわけでも聞いたわけでもありません。でも私も、きっとそれはご先祖様からの警告だったのだと思うのです。子孫の一大事を察知したあの世のクプナが、Aさんを叩き起こしたのだと。そして、なぜかそのまま、息子の部屋に赴いたAさん。……この世には、論理的に説明できない話がいろいろありますネ。

皆さんはこの話を、どう思いますか? 

2006年09月07日

真珠湾基地の怪事件

前回は真珠湾の真珠についてお話しました。実を言うと、最初は真珠湾建設時の怪事件について書くつもりだったのですが……真珠の話に興味を惹かれて、先にそちらを書いてしまいました。今日は本来のテーマに戻り、約100年前の真珠湾の造船所建設時に起きた奇怪な事故について、お話しましょう!

真珠貝も生息し、ハワイアンにたっぷりとした海の幸を提供してきた美しい真珠湾も、軍事上の地理的条件のよさのため、アメリカ海軍の基地として利用されることになりました。1909年には、約2億円をかけて海軍の造船所を建設することが決定。当時のお金で2億円といえば大変な巨額ですネ。大きなプロジェクトだったのですが、土地のハワイアンからは激しい反対の声が上がりました。

というのも……。真珠湾は古来、ハワイアンが崇める鮫の女神、カアプパハウに守られていると信じられており、造船所は、まさにその女神の住処とされる洞窟の真上に建てられようとしていたからなんです! 「湾の守り神の住処を破壊するなんてとんでもない!」。ハワイアンたちは抗議しましたが、アメリカ海軍は聞く耳を持たず。

予定通りに工事が始められたのですが、当初から事故が続発しました。たとえばセメントが機械からうまく流れなかったり、建設中の建物から海水を排出できなかったり建物が崩れたり……。それでも「事故は地震のせい」なんて言い訳していた海軍。そんなこんなで、2年遅れてなんとか造船所が完成したのは1913年。費用は4億円以上に膨れ上がっていたものの、海軍もさぞホッとしたことでしょう!

ところが! オープン間もない造船所で、今度は大惨事が発生します。爆発事故が起き、なんと建物が全壊してしまったのです! そう、4億円以上の資金と4年間の労力が、全て無に帰してしまったから大変。作業員の一人も亡くなっているので、まさに悪夢のような出来事だったと言えるでしょう。

……その事故から1年後の1914年に、再び造船所建設に着手した海軍。前年の事故でさすがに懲りたのでしょうか? 今度はハワイアンの意見を尊重し、土地のカフナ(祈祷師)が呼ばれ、守り神カアプパハウの怒りを静めるための儀式が行われることに。そして様々な供物とともにチャント(詠唱)が捧げられた上で、正式に工事がスタート。その甲斐あってか、造船所は1919年に、無事完成したのでした。

でも。ここでメデタシメデタシ、と話を締めくくれない理由は、皆さんもご存知ですネ。そう。造船所完成から22年後の1941年、あの真珠湾攻撃が勃発したわけです(「真珠湾生存者との遭遇」参照)。

真珠湾の守り神である鮫の女神カアプパハウの住処の上に造られたという、真珠湾の海軍造船所。そして史上名高い、あの真珠湾攻撃……。この2つの間に因果関係なんて全くなく、全ては偶然の出来事だったのかもしれません。それでも、よりによってその真珠湾がアメリカ唯一の戦場になり、火の海になったなんて、ちょっと不思議というか何と言うか……。

結局、鮫の女神カアプパハウの怒りは、儀式の前も後も、とけていなかったのかもしれませんね。皆さんはどう思いますか?

2006年08月30日

ハワイアンとヘソの緒の関係

ハワイ語で「へそ」はpikoピコ。ピコって何だか聞いたことがあります? そう、どこかのTシャツのブランド名と一緒なのですが、ハワイ文化の中でピコは、霊的に大変、重要な意味を持つものなんです! 今日は、そんなピコについてのストーリーをシェアすることにしましょう。

ヒロ湾に浮かぶ癒しの島」でもふれたとおり、古代ハワイアンは赤ちゃんが生まれると必ず、ヘソの緒を特別な場所に隠したのだそうです。というのもハワイアンは「ヘソの緒の行く末が赤ちゃんの未来に反映される」と考えていたため。もし動物に食べられでもしたら一大事なので、親は万全を尽くして、ヘソの緒を安全な場所に隠したのでした。

そこでハワイアンは、時にははるばる溶岩平原にまでヘソの緒を埋めに行ったりもしたそうです。上の写真で2重丸、3重丸の部分が見えますか? 古代ハワイの絵文字、ペトログリフの遺跡を見たことがある方はご存知だと思うのですが、ハワイ島のとある遺跡では、一面にこの2重丸、3重丸が彫られています。これらの円は、昔ハワイアンが赤ちゃんのヘソの緒を隠したその上に、彫られたものなのだそうです。

「ヒロ湾に浮かぶ癒しの島」で書いたように、古代ハワイアンは子供が生涯守られることを祈り、聖地にも好んでヘソの緒を隠しました。それが高じてキャプテン・クックがハワイを訪れた際、母親達はなんとクックの船にヘソの緒を隠した…というウソのような話も。

クックを当初、平和と豊穣の神ロノの再来であると勘違いしたハワイアン(「私はキャプテン・クックが嫌い参照)。その誤解が後に、クックの悲劇的な死につながることになったわけですが、ともかくクックの船を、ハワイの女性は神の家と思いこんだわけですネ。そして大切なヘソの緒を神の家で無事保護してもらおうと、船の中に隠したようです。……もっとも船の中だなんて、それこそ一番ネズミに狙われそうな場所ですけど、ネ。

ヘソはさらに古代ハワイアンにとって、自分と母親の絆を越え、自分と先祖を結ぶ血縁の象徴でもありました。ハワイ文化の権威、故メリー・カヴェナ・クプイは次のように言っています。「西洋では『ヘソの緒を断つ』というと、専制的な母親が逃れて自由な身になる、という意味がある。しかしハワイでそれは、一族からの絶縁を意味する」。

家族意識が強い古代ハワイでは、よほどのことがない限り個人が一族から見放されるようなことはなかったようです。でも血縁が絶たれるような重大な事態が生じた場合、それは「ヘソの緒を断つ」という言い方で表現されたのだそうです。……ハワイでのヘソの重要性が、しっかり伝わってくるような表現ですね!

ヘソはまた現代ハワイで、最も重要な場所を意味する比喩としても使われることがあります。よく聞くのは、「○○は地球のヘソ」といった表現。霊的な意味合いなのか、はたまた地理的な表現なのか。それは不明ですが、たとえばオアフ島ワヒアワにあるクーカニロコ(古代の王族女性がその上で出産したという岩バースストーンのある遺跡)や、マウナケア山頂にある湖を、地球のへそである、と主張するハワイアンがいるのは事実。

日本人をはじめ各民族で重要な意味を持つヘソの緒は、古代ハワイでもまた、格別&霊的な重要性を持っていた……というわけですね。

あ、冒頭の写真は、10歳の息子がハワイ島への修学旅行で撮ってきてくれたものです(「ピコのぺトログリフの写真を撮ってきて」と頼んだのです)。息子の靴まで写っておりますが、ご容赦くださいネ。

2006年08月14日

続・神々と交信するフラダンサー

前回のポリアフのフラに関し、様々なコメントをいただきました。そういえば……。このポリアフ事件?によく似た不思議な出来事が、ちょうど20年前、やはりメリー・モナークで起きたのを思い出しました。フラの世界では語り草になっている有名な話なので、ご存知の方も多いかもしれませんが、今日はその逸話を紹介しましょう。

昔、メリー・モナーク・フラ・フェスティバルは、自由な演目で勝負する今と形式が違い、全出場グループが踊らなければならない課題曲というのがありました。1986年のフラ・カヒコ(古典フラ)の課題曲は、「プイノコルア・ヒナ」。和訳すると「ヒナの3つの嵐」という曲なのですが。

チャント(詠唱)の内容を簡単に説明すると……。女神ヒナは風を閉じ込めたヒョウタンを持っており、人々が悪さをするとヒョウタンを開けて嵐を送り、人々に罰を与えます。最初にヒナはヒョウタンの蓋を少しだけ開け、小さな嵐を送るんですね。それでも人々が態度を改めないと、ヒョウタンの蓋を半分開け、2つ目の嵐はさらに強めに。それでもダメなら、ついにヒョウタンの蓋は全開され、とてつもなく強大な嵐が襲い、空は真っ黒になって雷鳴が轟き……。酋長も土地も根こそぎされてしまった、というのがその内容です。

その年、メリー・モナークには18のハラウ・フラ(フラ学校)が参加していました。フラ・カヒコ競技の夜、各ハラウが次々に課題曲「ヒナの3つの嵐」を演じたのですが……。演目が進むにつれ、朝から降り続いていた雨がどんどんひどくなったそうです。強風が吹き荒れ、ついには雷まで鳴り始め……。その時、誰もの心に浮かんだのは、「まるで天が、続けざまに演じられる嵐のフラに呼応しているかのようだ」ということでした。確かに一理ありますネ。嵐をテーマにしたフラを踊れば踊るほど、空が荒れるのですから、そう思いたくもなると思います。

そうこうするうち、なんと会場のイーディス・カナカオレ・スタジアムが完全に停電してしまいました。暗闇に残された5000人の観衆は怖かったでしょうね! ところが誰からともなく歌声が広がり、お互いを励ましあって、暗黒の1時間をなんとか過ごしたのだそうです。

電力が回復した後、競技は続けられたのですが、ハプニングが。次に踊るはずだったオアフ島のハラウが、棄権を発表したからです。「嵐の夜にこのフラを踊ることに、不安な気持ちを感じています」というのが、ハラウのクムフラ(フラ教師)による説明だったそうです。

……この逸話も、ポリアフの話も、本質は似たようなものですよね。やはりフラやチャントって、天にも届くものなのかもしれません。私は20年前のこの出来事でも、ヒナの嵐の唄が嵐を呼び寄せたとしか思えません。もっとも、それは神と交信したということで、「素晴らしいことなのよ」と言うクムフラもいるようですが……。

そういえば、年代は不確かなのですが、こんなこともあったそうです。ある年キラウエア火山が激しく噴火し、溶岩がヒロの街のすぐ近くに迫ってきたことがありました。その時、ヒロ市役所はどうしたと思います? なんと。イオラニ・ルアヒネ、ジョージ・ナオペというヒロ出身の超高名な二人のクムフラに、火山の女神ペレの怒りを静める祈祷をするよう依頼したのですって!

二人は溶岩の流れが見える場所で、ペレに向かってチャントを捧げたのだそう。……その祈りが届いたのかどうかはわかりませんが、溶岩の流れは方向を変え、ヒロの街は無事だったのだそうです。

最近話をした、やはり高名なクムフラも言っていました。その方はキラウエア火山のクレーターが見える高台に家を持っているのですが、「火山が噴火している時、噴き出すマグマに向かってチャントすると、噴火がさらに大きくなる」。

う~ん。やはりフラダンサーって(そしてチャンターって)。神々や天と交信できる人々なんでしょうネ。私はそう信じています!

2006年08月10日

神々と交信するフラダンサー

先日ハワイ島の話を書いたせいで、ちょっとハワイ島づいてしまいました! 今日はまた、メリー・モナーク・フラ・フェスティバル絡みの不思議な話をシェアすることにしましょう。

メリー・モナークといえばもちろん、フラ競技会の最高峰ですね(「フラの女王のハワイアンネーム」参照)。出場することすら難しく、出場ダンサーは誰もかもがそれは素晴らしいのですが……。中でも私が感動したのが、ミス・アロハ・フラに輝いた、ハワイ島出身のナマカナのフラでした。ミス・アロハ・フラとは、女性ソロダンサーを対象にした個人競技の優勝者のこと。18歳~25歳の独身の女性ダンサーが、カヒコ(古典フラ)とアウアナ(現代フラ)を踊り、その技を競うわけですね。

優勝者のナマカナは、カヒコ、アウアナとも、ハワイ神話の女神、ポリアフをテーマにしたフラで勝負しました。ポリアフというのは、ハワイ島のマウナケア山に住むとされる雪の女神。標高4000メートルを超えるハワイ最高峰、マウナケア山頂には雪が積もりますが、そこにポリアフが住んでいるとされるんですね~。ハワイの女神といえば前回お話したペレが有名ですが、ポリアフは、ちょうど火、火山の女神ペレのライバルのような存在といえばわかりやすいでしょうか?

メリー・モナークでのナマカナは、雪を象徴する白い衣装を着て、ポリアフとカウアイ島の酋長の恋物語についてのフラを踊り、2位に大差をつけて優勝。ナマカナがパフ(太鼓)に合わせてポリアフのフラを舞っている時、観衆は水を打ったように静まり返り、会場内の空気がサッと変わったような感じすらしました。それだけ素晴らしい、神聖な演技だったわけです。

と、その翌朝のことです。メリー・モナークの審査員を務めるあるクムフラ(フラの教師)と、話をする機会がありました。当然、前夜のナマカナのフラはすごくよかったわね~、優勝して当然ね、という話になったのですが……。その審査員が面白いことを言ったのです。「昨日、あのポリアフのフラの後、会場がすっごく寒くなったのがわかった? マウナケア山の方角から冷たい風が吹いてきたのよ」ですって!

それを聞いて、ハッ!とした私。というのも……審査員の言うように、ミス・アロハ・フラ競技の行われた夜は、ものすごく寒かったのです。4月のヒロの夜は冷えることがありますが、あの夜は特別寒かった。私など薄手のジャケットを着て、さらに厚手のジャケットを重ね着しても、まだ寒くて震えていたほどなんですよ。

審査員はさらに言いました。「あのフラの最中、スタジアムの端に飾られていたティーリーフの葉が風にゆらゆら揺れていたのを、私見たのよ」。……きっと見事なフラに喜んだポリアフが、山から降りて来たのだろう。スタジアムに祝福にやってきたのだろう、と、審査員は結論づけていました。

……ちょっと上の写真を見ていただくとわかりますが、メリー・モナークの会場となったイーデス・カナカオレ・スタジアムは、かまぼこ型の屋根の二方が開いているんです(注:ステージにいるのはナマカナではありません)。そしてステージ後方のポッカリ開いた部分の後方に、マウナケア山がそびえているという位置関係なのですが……。あの霊気、もとい冷気は、マウナケア山から吹いていたんですね~。あの夜、スタジアムがあれだけ寒かったのはそんなわけだったんだ、と、妙に納得してしまいました。

考えてみればフラというのは、古代ハワイでは神事の一部でしたよね。神々に祈りを捧げるため、昔々のハワイアンは、フラを踊ったのでした。ということはフラは、神々との交信手段だった、とも言えるのかもしれません。そんなことを考えると……あの見事なポリアフのフラが天に、いえマウナケアの山頂に届いたとしても、何の不思議はなかったのかもしれませんね。

……フラの神秘性を感じさせてくれた、ちょっと不思議な出来事でした。

2006年08月06日

ペレを怒らせたカメラマン

先日Big Jinさんもブログでふれていましたが、キラウエア火山って、本当に不思議いっぱいの場所ですよね~。火山そのもののパワー、そして女神ペレの霊気……。私もそういえば4月にキラウエア火山を訪れた時、以下のような、ちょっと不可思議な出来事を体験したのでした。

4月、メリーモナーク・フラ・フェスティバルのためハワイ島を訪れ、取材の一環として、キラウエアを訪問しました。メリーモナークに参加するハラウ・フラ(フラの学校)は、火山の女神であるペレを表敬訪問するのがお約束。ペレが住むとするキラウエア火山のハレマウマウ・クレーターを訪れ、フラやチャント(詠唱)を披露し、レイなど贈り物を納めるんですね。フェスティバルの行われるヒロの街は、なんといってもペレの陣地ですから、ネ。

この日、とあるハラウのキラウエア参りに同行取材することになった私たち。ハレマウマウ・クレーターの駐車場でハラウと合流しました。と、そこでハラウのクムフラ(フラの教師)が「みんな、裸足になりなさ~い」と一言。

「ここはペレの住居です。誰かの家に入る時は、もちろん靴を脱ぐのが礼儀ね? だから素足でクレーターまで歩きます」

そして私たち取材陣にも、「そういうわけだから靴を脱いでちょうだいね」。ゲッ!と思った私。今回キラウエアに行くというので、わざわざ息子の新品のウォーキングシューズをこっそり履いてきていたんですよね~。でもまあ、仕方ありません。靴を脱いで一行の後に続きました。

ところが、溶岩のうえを素足で歩く辛さと言ったら! 溶岩にはガラス質の物質も含まれていますから、チクチク、ゴツゴツ、それは痛いんです。今にも足を切ってしまいそう……。ダンサーは別として、その他の人々は皆、ギックリ腰か? というへなへなの歩みでクレーターへと進みました。

と、一行の中でしっかり靴を履いている男性が2人。それはホノルルの英字紙Sの記者とカメラマンでした。彼らは若干遅れてきたので、きっとクムフラの注意を聞かなかったんだな~と想像。それでも。そこにいる全員が素足でへなへな歩いているのだから、事態を察してもよさそうなものですけどネ。

ところが、次の瞬間。見るともなく見ていると、その英字紙のカメラマンが転んでいるではありませんか! 首からは、30センチはあろうという例のプロ仕様の望遠レンズ付きカメラを、2つも下げていた彼。もろに転んでしまって、高級カメラは大丈夫だったかしらん、と人ごとながら心配になりました。

それにしても……。50人近くいた一行中、靴を履いていたのはたったの2人なんですよ。それなのに、なぜヨロヨロ歩いていた素足組ではなく、靴でしっかり足をカバーしていた彼が転んでしまったのか。……運が悪かったのか? それとも、ペレ宅にお邪魔するのに靴を脱がなかった無礼さに、ペレが罰をあてたのでしょうか?

……2日後、英字紙Sの一面に、フラダンサーのキラウエア参りの記事が載っていました。でも。なぜか私たちが同行したハラウの写真は使われていなくて、また別のグループの写真が添えられていました。う~ん。やはりあの時の写真は、カメラマンが転んだ時の衝撃で使えなくなったのかも? あくまでも推測ですが……。

その時、その英字紙Sの記事を読んでさらにビックリしました。というのも、そこにはクムフラの「ここはペレの住居です。靴を脱がないのは無礼……うんぬん」のコメントが、そっくり引用されていたからです! ということはあの人たち、なぜ皆が靴を脱いでいるか、ちゃんと知っていたんだ。それなのに自分たちは、靴を脱がなかったんですね……。知らなかった、うっかりミスというのなら話は別ですが、彼ら確信犯だったんですねえ。

……そんなことを考えると、私としては、カメラマン氏が溶岩上でこけてしまったのは、やはりペレの意思だったような気がしてならないのでした。皆さんはどう思いますか?

2006年07月07日

ハワイの森は怖い?

ハワイの洞窟は怖い、という話を以前しました(「ハワイの洞窟に入るべからず」)。今日はそれと少し似たテーマ。ハワイの森にまつわる、ちょっと怖いお話です。

ハワイアン夫が大学生の頃。友人グループがある夏、モロカイ島にハイキング旅行に出かけたそうです。それは鬱蒼とした森でキャンプしながらハイキングするという、冒険気分の旅だったそう。ほとんどのメンバーがハワイ出身者でしたが、その中に一人、カリフォルニア出身のS君が混じっていました。

旅行前、そのS君に、あるハワイアンの級友は忠告しました。「モロカイにハイキングに行くんだって? 楽しそうだね。でも気をつけろよ。自然に入る時は自然を敬う心を持たないと。ハワイでは森や山には神々が住むとされていて、地元のハワイアンが神聖視する場所も多いんだ。敬意を持って森に入るんだよ」

それを聞いたカリフォルニア出身、つまり典型的なアメリカ人であるS君は、大笑いして答えました。「森に神々が潜む? 森は聖地だって? そんな迷信じみた話、今時誰が信じるんだい? そんなナンセンスな話、大学生がするべきじゃない」。級友のアドバイスを笑いとばして、S君はモロカイ島へと出かけたのでした。

ところが。S君とその級友が、再び顔を合わせることはありませんでした。なんとS君は、モロカイの森で事故死してしまったからです! ……それはとても不運な事故でした。ある日森の中を歩いていたS君ら一行。森の中の電柱がなぜか倒れており、S君は、地面に横たわっていた電線を踏んで感電死してしまったのです。周りを友人たちが歩いていたというのに。なぜか、S君だけが電線を踏んでしまったのでした。

それって奇々怪々というか、普通ではまず考えられない不自然な事故ですよね? いったいこの世で何人の人が、電線を踏んで感電死したでしょうか。ごくごく少人数なのは確かです。……その不可思議な状況を考えると、大学の友人たちがこう噂しあったのも、仕方がないことだったかもしれません。「S君はハワイの自然に敬意を示さなかったから、罰が当たったんだよ」。亡くなった人にこんなことを言うのは意地悪ですが、その噂にも一理あるな~、という気がしてしまいます。

そう言えば、こんなこともありました。昔、純血のハワイアンであるおばあさんと話していた時のことです。何かの拍子に、おばあさんが言いました。「森に入る時、私はいつも森に入る許しを求めるお祈りをするの。自分を守ってくれるよう、先祖にお願いするお祈りと一緒に。子供の頃、薬草を摘みに森に入って、よく怖い思いをしたものだから。何かの霊が後ろから迫ってきて、身体をつかまれるような感じが何度もしたわ。だから」

また、ある山にハイキングに出かけた時のことです。トレイルの入口で手をつないで輪を作り、お祈りをしているハワイアン一家を見かけました。あの人たちもまた、森に入る許可や、守護を求めてお祈りしていたのだと思います。ハワイの森は怖いというか……聖地なのですから、畏敬の念を示さなければいけないわけですね!

こんな話、S君のように「全くの迷信だ」と感じる人も多いでしょうネ。でも、日本人だってハワイアン同様に、昔から自然を崇拝してきた民族。「自然をなめたらいかん」という感覚、何となくわかるような気がするのですが……皆さんはいかがでしょうか?

2006年05月01日

ヒロ湾に浮かぶ癒しの島

今回ハワイ島では、ヒロ湾に面する快適なホテル、ヒロ・ハワイアンホテルに宿泊しました。目の前にはココナッツアイランドと呼ばれる小さな島があり、ホテルの庭から橋でつながっていて、簡単に渡ることができます。少しだけ白砂の入り江があったり、テーブル&ベンチが置かれていたりして、ヒロ市民に人気のスポットとなっているのですが……実はこの小島、古代ハワイアンが尊んだ、大変な聖地なんです!

今でこそココナッツアイランドとの名で親しまれていますが、その旧称は「Mokuolaモクオラ」。ハワイ語でモクは島。オラは命、健康、癒しなどの意味があり、古来聖なる「癒しの島」として、特別な意味を持ってきた島だそうです。

何でもモクオラの周辺には、淡水が湧き出すスポットが何カ所もあるのだそう。その淡水には不思議な癒しのパワーがあると信じられ、病気回復を求めて病人は、この島に集まったのでした。その際、病人は島のすぐ先にある岩を泳いで一周し、その間カフナ(神官)が、祈りのパワーを求めてチャント(詠唱)を唱えたとか。もし病人が海に入れないほどの状態なら、代理人が岩を一周したのだそうです。

マジカルな島モクオラはまた、王族やカフナ一族が新生児のヘソの緒を隠す、ハワイ島有数の秘密の場所でもありました。古代ハワイアンにとってヘソの緒は、母子の絆を示す大切なものだったのに加え、ヘソの緒の行方は、子供の未来を暗示する大切な事象でもあったそう。ヘソの緒がネズミに食べられたりしたら子供はネズミのような小ずるい性格になり、聖なる岩の下に埋められれば生涯守られるというように……(ヘソの緒については、また別の機会にゆっくりお話しましょうネ)。だから古代ハワイアンは、聖地であるモクオラに、ヘソの緒を隠したというワケですね。島にはパパアヒナという岩があり、その下に高貴な子供たちのヘソの緒がたくさん埋められたのだそうです。


ホテル沖に浮かぶモクオラを私が訪れたのは、晴天の土曜日でした。そのため島は、地元の人のバースデーパーティやピクニックで大賑わい。周囲の海水も大変きれいなので、ヒロでは人気の海水浴場なのだと思います。

この時、無数のヘソの緒が埋められているというパパアヒナの岩を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。地元の人たちも含め、モクオラは今ココナッツアイランドとの名で親しまれ、昔々の聖地の面影は今はなく……。行楽地としての明るい雰囲気が漂うのみという感じでした。ただ、島はなぜか風がものすごく強かったのが印象的。ヒロ・ハワイアンホテルの前庭はそよ風程度なのに、ほんの50メートルほどの橋を渡ったモクオラには、強風が吹き荒れているのでした。


しかも。島にかかる金属製の橋に吹きつける風のせいなのでしょう。島ではウォ~ンウォンという不思議な音が鳴り響いて、まるで誰かがハミングしているかのよう。そのスピリチュアルな音色に、一瞬、かつての聖地の面影を感じたように思ったのは、気のせいでしょうか? ……今度は静かな夕暮れ時にでも、一人この島を訪れてみたいナと考えながら、島を後にしました。

2006年04月18日

続・不思議なハワイアン従兄弟

義母のお葬式は、カフをしている夫の従兄弟に執り行ってもらうことになりました。会場はとあるホノルルの教会。チャント(ハワイ語の詠唱)ありウクレレありの、それは心温まるお葬式でした。

そしてお葬式の余韻も消えかけた、約1ヵ月後のことです。当時6歳だった娘が、こんなことを言い始めたんです。「あ~あ、私、どんどん年をとって、早くグランマ(おばあちゃん)のとこに行きたいナ!」。

……娘はおばあちゃんっ子でした。しかも、娘の名(ここでは仮にレイラニとします)は、実はおばあちゃんの名前をそっくりもらったもの。そのせいもあって、レイラニおばあちゃんは孫娘レイラニを、多数の孫の中でもとりわけ可愛いがっていました。だからハワイアン義母が亡くなった時、特に娘の心のケアを心がけたつもりです。

それにしても……「グランマはどこにいるの?」なんて質問まではよかった。でも、「早く年取ってグランマのところに行きたいナ」なんて発言はいったい? 不気味すぎる。ちょっといただけませんよね~。

「もしかして義母があの世から、娘に『こっちにおいで』なんて言ってるのかしら?」。フと心配になった私は、娘に言いました。「レイラニ、もしかしておばあちゃんがレイラニに会いに来てるの?」「おばあちゃんが『一緒に行こう』なんて言っても、絶対にYESと言っちゃダメよ。おばあちゃんがレイラニを愛していたら、そんなこと言わないはずヨ」

……こんなことを言った私を、頭がどうかしてると思われた方もいるかもしれませんネ。でも絆の深かった義母と娘なので、マジメにこんなことが心配になったわけですね。娘は「わかった~」と無邪気に答えましたが、まだ不安。念のため、ハワイアン従兄弟に相談することにしました。

ハワイアン従兄弟は、じっくり私の話を聞いてくれました。内心、笑い飛ばしてくれることを期待していたのですが、その代わりこんなことを言います。「そうだね、身内が亡くなったばかりの時は、しばらく気を付けた方がいい」。

そして(それはハワイアン夫の実家での会話でした)庭に出ると1枚のティーリーフをとってきて、くるくると三角形に折りたたみ、言いました。「これをレイラニの枕の下に入れておいて。もし3日後、ティーリーフがまっ黒になって腐ったように枯れていたら。まるでもうそこに何週間も置かれていたみたいに、ティーリーフが枯れていたら、僕に電話してほしい。御払いをしたいから」。

ハワイアン従兄弟は続けます。「3日後、もしティーリーフがフレッシュで青々していたら何の心配もないんだ。でももし枯れていたら、それはレイラニの部屋の中に、邪気が漂っているということだから。御祓いをしないとね」。邪気というのは、この場合、ネガティブな霊気というか……。

さっそくその夜、娘の枕の下にティーリーフを入れ、3日間。3日目の朝、ビクビクと枕の下のティーリーフをチェックしてみると……。そこには青々と綺麗なティーリーフが、そのまま残っていました。よかった~!! そうですよね、可愛がっていた孫に、義母がネガティブな行いをするわけはありません。わかってはいたのですが……。こうして私の取り越し苦労を、きっちりと払拭してくれたティーリーフ。マハロ、ティーリーフ! ティーリーフに心から感謝しました。

……以上のことは、人によってはあまりにクレイジーな内容と受け取られるのではと心配で、書こうかどうか迷ったのですが……ティーリーフのことを書くうち、やはり書きたくなりました。結局ティーリーフ4部作という内容になっちゃいましたね。不思議なハワイアン従兄弟についてはまだまだ逸話があるので、またいつかお話したいと思います!

あ、最後にお知らせを一つ。4月19日から23日まで、ハワイ島に出かけます。しばらく更新できませんが、帰ってからまたヨロシクお願いします~。ALOHA!

2006年04月14日

不思議なハワイアン従兄弟

ハワイアン夫の従兄弟の職業は「Kahuカフ」。カフは、私がこのブログでしばしばふれるカフナ(神官)とは異なり、直訳すれば「牧師」「守護者」「維持者」「管理人」といったところでしょうか。教会の牧師もカフならお墓の管理人もカフなので、けっこう広い意味合いを持つ言葉といえますね。

一般には、御祓いや葬式など一連の宗教儀式を司る人のことを、カフということが多いよう。それが英語でパスターと言わずカフと呼ばれるのは、一連の儀式を、キリスト教とハワイ式がミックスされたような形式で取りしきる人々です。カフはキリスト教会での葬式を司る場合でも、タパ布を肩に巻いていたりティーリーフのレイをつけていたりと、衣装もハワイアン・タッチ。しかも聖水のかわりに塩水をティーリーフで振りまき、御祓いをしたり。「牧師とカフナのちょうど中間がカフ」といったら、わかりやすいでしょうか?

このハワイアン従兄弟も、カフとして葬式を行ったり、ある時はショップや家の御祓いに呼ばれたり。もちろんハワイ文化に造詣が深いので、アラスカやメキシコにハワイ文化のワークショップの講師として出かけたり、クルーズ船でクラスを開いたりもしています。そこで今日は、このハワイアン従兄弟にまつわるちょっと不思議な話を、シェアすることにしましょう。

ハワイアン夫の母、つまりハワイアン義母が亡くなったのは、一昨年末の11月のことでした。しばらく病院で意識不明が続いており、回復の見込みがない状態に陥った時。ハワイアン夫と家族は、義母の生前の遺言状に従って人工呼吸装置を外す選択をしました。そこで親族一同が集まってお別れをし、装置を外すことに。……それはそれは悲しい日でした。

その後、担当医によれば「数時間で呼吸が停止する」とのことだったのですが。義母は自力で呼吸を続け、それから数日間も、昏睡状態が続きました。最期の時に供えて、ずっと病室に詰めていたハワイアン夫。

そんなある朝。カフをしているハワイアン従兄弟が、突然病院に現れました。従兄弟は状況をハワイアン夫から聞くと、こう言ったそうです。「お母さんと10分間だけ、2人きりにしてほしい」。そこでハワイアン夫は病室を出て、廊下で待つことにしました。

10分後。病室から出てきた従兄弟は、ハワイアン夫にこう告げたそう。

「She is ready to go. お母さん、行く準備ができたよ」

「え???」。クエスチョンマークで頭をいっぱいにしながらも、ハワイアン夫が病室に入ると……。従兄弟が言ったとおりに、義母は夫の前で深呼吸を2つ3つしたと思うと、そのまま静かに息を引きとったのでした。その間、約10秒ほど。アッという間の出来事でした。

すでに述べたように、その段階で、義母が人工呼吸器を外してからもう何日もたっていたんですよ! なのに、いったいなぜハワイアン従兄弟が言ったとおりの瞬間に、母が亡くなったのか。従兄弟は医者でもないのに、義母の命の炎が消えかけていることが、まざまざとわかったのでしょうか? それとも?

……後日不思議なハワイアン従兄弟は、皆にこう言いました。「あの時病室で、僕は伯母さんの魂に語りかけたんだ。『もう後のことは何も心配しないで、あの世に旅立っていいんですよ。この世に何の憂いも残してはいけません。執着する必要はない。家族のことはもう心配しないで。皆元気にやっていくから、安心して行っていいんですよ』ってね」。

それに対し、義母がなんと言ったのかはわかりません。けれどその対話の直後、義母は本当に、す~っとあの世へと旅立っていったのでした。……ハワイアン従兄弟が義母の魂に最後のカウンセリングをした結果、義母は安心して逝ったのだと思います。(冒頭の写真は、とある小道に生えていたティーリーフです)

(この話、次回に続く)

2006年04月11日

ティーリーフ活用法

今回は、聖なる植物ティーリーフ第2弾! 「魔除け」「幸運のシンボル」以外のその用途について、お話しましょうね。

冒頭の写真、何だかわかりますか? そうです、人気ハワイアン・フードのラウラウです~。ラウラウはタロイモの葉で豚肉や魚を包み、それをティーリーフでくるんで蒸し焼きにする、ハワイアンの大好物と言える料理(ただしラウラウを食べる際は、ティーリーフはそっくり剥がしてしまい、中のタロイモの葉や肉、魚を食べます)。ラウラウ以外にもティーリーフは、シンプルに魚だけを調理する場合なども含め、古来、広く調理に使われてきました。いってみれば古代ハワイのアルミホイルってとこでしょうか?

実際ハワイアンはティーリーフを、食物に限らず様々なものを包むのに活用しました。たとえばレイ。ティーリーフで包むと鮮度が保てるので、レイを持って出かける際にはよくティーリーフで包んだとか。つまりこの場合、ティーリーフは風呂敷き代わりだったわけですね。ティーリーフの包みは、ハワイ語でプオロと呼ばれます。

ティーリーフの葉自体は食用ではなかったのですが、その根は焼くと甘味が出るので、キャンディ感覚で食べられたそうです。「あなたはメネフネの存在を信じますか?」の回で紹介したカイムキの石碑がありましたね? 石碑には、「カイムキ=メネフネがティーリーフを焼いたイム(石作りのオーブン)のあった場所」という伝説が記されていますが、最近、こんなことを聞きました。カイムキの地名の由来にはもう一つ、「飢餓の際、地域のハワイアンが集まりティーリーフの根を焼いたイムのあった場所」という解釈もあるんですって。

ティーリーフが飢餓食だったということは、根に滋養があり、また、ふんだんに入手できる植物だったってことですね。ティーリーフの根からは後々、オコレハウというアルコール飲料も作られていたそうです。残念ながら飲んだことはありませんが、どんな味がするのでしょうね? きっと甘味があって美味しかったのでは……。

ティーリーフはまた、ある種の包帯としても大活躍でした。傷口をこれでグルグル巻きにすると痛みがやわらいだり、頭痛や熱のある時にティーリーフを額に巻くと、症状が軽くなるとか。……実は以前、あるハワイアンのお年寄りに「ティーリーフは頭痛に効く」と聞いたことがあるんです。その時は私も勉強不足だったので「まさか~。そんなことありえない。ただの迷信!」と思ってしまったのですが……。

その後ハワイにたくさん出現したスパに取材に行くようになると、どこにも「ティーリーフ・ラップ」なんてメニューがあるではないですか! これは冷やしたティーリーフで身体を巻き、身体の熱を取るというトリートメント。古代ハワイの療法とかと、パンフレットにも謳われていました。「あのおじいさんの言っていたのは、本当だったんだ」。後から大反省でした。

ティーリーフにはさらに、フラの衣装や、雨がっぱの素材としての用途も。皆さんは、フラのダンサーがグリーンの葉のスカートをつけて踊っているのを見たことがありますか? あれもティーリーフなんです。ダンサーがティーリーフのスカートで踊るのは、ただ素材として珍重されたという以外に、一種お守りのような役割もあるよう。またそのスカートのようなものを、肩からスッポリかけたものが古代ハワイでの雨がっぱ。ティーリーフは水をよくはじくので、立派な雨具になるのだそうですよ。

かく言う私も娘がフラを習っていたので、何度かティーリーフのスカートを作ったことがあります。これが実に大変! ハワイアン夫がヌウアヌの山から取ってきたティーリーフを、紐で1本1本結び、巻きスカート状のものを作りました。使用した後はタオルに包み、冷蔵庫で保存すると、何週間か綺麗な緑色が維持でき、何度もパフォーマンスで使うことができたのでした。使うごとに作っていたのでは大変すぎるし、資源の無駄使いにもなりますからね。

このようにハワイでの精神世界でも社会でも、大活躍だったティーリーフ。我が家が一軒家に住むことになったなら、もちろん! 庭にサワサワと植えるつもりです。恐らく玄関脇にしっかりと? ……心配性の私でも、家をティーリーフで囲むことまではしないつもり。「あの家で昔、何があったのかしら?」なんて、近所で噂されたら困りますから……。

2006年04月07日

ティーリーフで魔除け

ハワイアン・カルチャーに馴染みのある方なら。ハワイにおけるティーリーフの重要性を、きっとご存知でしょうネ。ティーリーフはユリ科の植物。古代ハワイで、幅広で長細いその葉は調理にも薬草としても、また衣類を作ったり家作りにも大活躍。そう、ちょうど先日お話したククイの実のように、使い道の多い植物なのですが……それをさらに特徴づけているのが、この植物が邪気、悪霊を払う、大変神聖な植物とされる点なんです!

ちょっと上の写真を見てください。誰のお宅かは存じませんが、家がグルリと緑の植物に囲まれていますね? これがティーリーフです。ハワイではハワイアンソルトと同様、魔除けに使われるアイテムの代表格なので、ティーリーフを庭に植える人は大変多いんですね。または校庭とか。たとえばうちのハワイアン夫の実家にも、この写真ほどではないですが、ティーリーフはたくさん植えられています。家のすぐ横、正確に言うと夫の昔のベッドルームの外に。

というのは以前夫が、睡眠中に怖い思いをした時期があったそうです。悪夢を見たり、金縛りにあったり……。その時、ハワイアン母が窓の外にティーリーフを植えてくれたのだそうです。するともう悪夢などは見なくなった、とハワイアン夫。

このように古来ハワイでティーリーフは、魔除けとして様々な使われ方をしてきました。「ハワイアンソルトでお清め」の回でお話した通り、塩水にティーリーフを浸して振りまき、お清め(ピー・カイ)をしたりも。この時、カフナ(神官)は同様に、ティーリーフで編んだレイをかけて身を守ったそうです。

ティーリーフはさらにエクソシズムにも! もし誰かが、悪霊に取り付かれているとみなされた場合。家の中でカフナはその人の足を出入り口に向けて寝かせ、ティーリーフの束で身体の上をスーッと撫ぜます。そしてティーリーフをそのまま出口の外で、まるで埃を払うかのように振り払い、悪魔祓いをしたということです。その後は寝床に下に、ティーリーフを敷きつめて完了。

また月経中の女性が、ヘイアウ(神殿)など聖地を訪れる時。月経中の女性は不浄とみなされますから、女性はティーリーフを首や手足に巻きつけて身を守ったんですって。同様にハワイ神話の火山の女神、ペレの陣地(つまり火山の近くですね)を通過しなければならない時にも、ティーリーフで身心を保護したんだそうです。

一方、現代ハワイでは、ティーリーフは魔除けという意味合いに加え、幸運を引きつける力もあると信じられています。次の写真をご覧ください。ボートの最後尾にひと房のティーリーフが立てられていますね? 「すいませ~ん、そのティーリーフ、魔除けですか?」。ある波止場でのこと。ボートに乗った釣り人に訊ねると、船上の人は大声で答えました。「いや、縁起かつぎなんだよ!」。



そういえばハワイの人はラスベガスへのギャンブル旅行に、ティーリーフを持って行ったりもするそうです! ハワイ大学のフットボールの試合の応援にティーリーフを携えていく、なんてことも聞いたことがあります。このあたり、古代ハワイでのティーリーフの使い方とは、ちょっと違うんじゃないかナ~、とは思うのですが。

以上のように、ハワイの精神世界で大きな役割を持つティーリーフ。もしもハワイ滞在中、ホテルの部屋が不気味だナ、なんて感じた場合。即ティーリーフを手に入れましょうね。ティーリーフはホテルの庭や道ばたの植え込みなどで、きっとすぐ見つかるはずです。

……それにしても。話は戻りますが、冒頭の写真の家。ハワイでも、ここまでしっかりティーリーフに囲まれた家というのを、私はほかに見たことがありません。いったい、その家で昔、何があったのでしょうか!? 

フと、想像を膨らませてしまう私です。

次回は「魔除け」以外のティーリーフの役割についてお話しますね!

2006年02月25日

ハワイアンと影の関係

太陽の光線が強いハワイでは、影もハッキリくっきり。街を歩けば椰子の木が色濃い陰を落とし、南国風情を盛り上げていますネ。そんな「影」ですが、実は古代ハワイでは、スピリチュアルかつミステリアスな存在と、固く信じられていたそうです。

というのも……ハワイでは一般に、影はその人の生霊というか、霊体のエッセンスとみなされていたからなんです。ですから庶民の影が神聖な高位の王族に触れたりするのは、重い罪とされていました。逆に高貴な王族は、自分の影が誰かの上に落ちないよう、大変気をつけたそう。……聖なる王族の影には強いマナ(霊力)がこもり、パワフルな影が触れたが最後、人間をも殺してしまう、と考えられていたからですって。逆に庶民の方でも、王族の影を踏めば死刑は必至……。恐ろしいですね~。

となると王族は、外を気軽に歩き回ることすらできなかったでしょうね! 自分の影が人に触れないよう、常にキョロキョロ。また周りの人々も自分の影が王族に降りかからないように、さらには王族の影を踏まないよう、ビクビクものだった……ということになります。では王族の御付きの人など、いったいどうやって立ち回っていたのか。フッと考えこんでしまいますよね~。

ハワイアンの影への敬意というか畏怖は、人間の世界に限定されたものではありませんでした。なんと! 植物にも関わる信条だったようです。たとえば、神への供物とする植物を栽培する時。その神聖な植物に、木などほかの植物の陰が落ちないよう、場所を注意深く選んで畑が作られたのだそうですよ。う~ん、昔のハワイアンって、恐ろしく慎重だったんですね! 少なくともスピリチュアルな事柄に関しては、現代の日本人よりはるかに……。

さらにハワイアンは影に関して、こんなユニークな信条も持っていたようです。……太陽が真上の空を通る正午は、人に影が付き添わないので、影はその人の体内に引っ込んでいる、というものです。ちなみに影は人の目頭から、体内に出たり入ったりしている、と考えられていたんだそうですヨ。

……こんな影にまつわるハワイアンの話を読んでいたら、なんだかピーターパンの話を思い出してしまいました~。なくした影を取り返しに、ウェンディの家にやってきたピーターパン。ピーターパンの影と本人を、ウェンディが針と糸で縫い合わせてあげたんでしたよね。……また、日本でも影にまつわる言い回しはいろいろありますネ。「影が薄い」とか「陰をひそめる」とか。

そう言えば! 日本でこんな話を聞いたことがあります。ある街の占い師に「あなた、影が薄いから気をつけて」と言われたAさん。街角の占い師の言葉など気にもかけていなかったAさんですが、数週間後。なんと急死してしまった、ということです。

とすると、やはり「影はその人の霊体である」というハワイアンの信条は、迷信だ! と一笑にふせないものなのかもしれません。……それなら、子供たちが好きな「影踏みごっこ」なんかも、やらない方がお互いの身のためなのカモ。こんな考えは、バカらしいでしょうか。皆さんはどう思いますか?

2006年02月18日

イオラニ宮殿のリロアの岩

涼しいというか寒いというか、しばらく常夏らしからぬ天気が続いていたハワイ。やっと昨日あたりからスカンと抜けるような青空が広がったので、久々にイオラニ宮殿を訪れました~。「ハワイの紋章に秘められた過去」の回でふれたとおり、我が家からイオラニ宮殿までは、歩いて10分。毎週金曜の12時からは庭でロイヤル・ハワイアンバンドによるコンサートも開かれるので、今日もたくさんの人で賑わっていましたヨ。

ですが今日の目的はフリーコンサートではなく、宮殿の敷地内にある、ある岩でした(写真参照)。天気がよいうちに、パチリと写真を撮ってきたわけです。……そうですよね、確かにこの岩、何のへんてつもない長方形の岩に見えますが……。実はこれが大変神聖な、マナ(霊力)のこもる岩なのだそうです! その名も「パエパエ・カプ・オ・リロア」。

15世紀のハワイ島ワイピオ渓谷の大酋長、リロアの住居前に置かれていたとされる岩で、19世紀に、ハワイ王朝7代目君主のカラカウアの命により、オアフ島に運ばれてきたのだそうです。岩はしばらくカラカウア王の別宅に置かれていましたが、1929年、カラカウア王の甥であるクヒオ王子の未亡人により、イオラニ宮殿に寄付されたとか。

リロアの家の前にあった岩だからどうした! な~んて、口が裂けても言ってはイケマセンよ。そもそもリロアというのは、あのカメハメハ大王やカラカウア王らの直系の先祖とされる、それはそれは尊く史上名高い酋長です。くだんの岩にも多くのマナ(霊力)がこもると信じられていて、その昔は庶民がこの岩に触れただけで、死刑になったという畏れ多い岩なんですって。

そのマナが強すぎる所以なのか、どうなのか。しばらく前まで、この岩に関して妙な噂もありました。「すぐ横に椰子の木を植えると、すぐ枯れてしまう」というものです。リロアの岩の横だけは、何度椰子を植えなおしても枯れる、というのです。不思議な話ですね~。ンなバカな、と思われる方も多いことでしょうね。ところが実際、数年前までその場所の椰子にはいつもワイヤーがかけられ、倒れないよう?支えられていました。

今日見たところは、何代目かの椰子が、無事しっかり大地に根づいた様子。椰子はすっきりと空に向かって伸びており、一見落着のようで良かった~。もっとも根元の部分は今だ土がひときわ高く盛られており、その他の椰子と比べて、一番最近植えられたものだということが一目瞭然ですけどネ。

さてこのリロアの岩は、イオラ二宮殿のワイキキ寄りの門のすぐ内側、宮殿のオフィスビル(古文書館)の前の、例のキャプテン・クックの石碑前に置かれています。ハワイでは聖なる植物と信じられている、ティーリーフが脇に植えられているのが目印。イオラニ宮殿を訪れるなら、ぜひリロアの岩も見学してほしいのですが、間違っても手や足をのせないよう、くれぐれもご注意くださいね。ましてや荷物を置いたり腰かけたりするのは、言語道断! どうぞお気をつけて……。

2006年01月17日

本当にあった洞窟の怖い話

今回は「ハワイの洞窟」の第2弾。洞窟にまつわる、ちょっと不思議な話を紹介しましょう。

これも19世紀のハワイアン歴史家、サミュエル・カマカウが、当時のハワイ語新聞に書き記した話です……。

昔ハワイ島ワイメアに、ピリ博士と言う白人の医者が住んでいました。ピリ博士は、近所の酋長の一人と、こんな約束をしていたそう。「あなたが死んだら、ぜひ遺体をもらい受けたい」。というのは、この酋長は若い時分の戦争で槍で刺されたのですが……なんと槍が腹部を貫通したまま抜けなくなり、その状態で長生きした人だったからです! だからピリ博士は、酋長の死後、どんな状態で槍が刺さり、どうして酋長がそれでもピンピンしていたのか、じっくり研究したかったワケですね。

酋長は「ああ、いいよ」と快諾したそうなのですが……。いざ酋長が死んでみると、悶着が起こりました。遺族が決して、酋長の遺体を手放さなかったからです。もっともな話かもしれません。ハワイアンにとり、骨は何より大切なんですからネ。

それでも諦められなかったピリ博士。酋長の死後、毎夜家を見張っていると、思惑通りにある夜、2人の男が酋長の遺体を運び出すのを見つけました。こっそり後を付けると、一行はある崖縁で止まり、そこからロープで遺体を降ろしたそうです。

そこでピリ博士は翌朝、召使いと一緒に崖に戻り、自らもロープで崖を降りてみると……崖の途中に、洞窟がぽっかり口をあけているではありませんか。中に入ってみると多数の遺体(白骨化したもの)があり、くだんの酋長の遺体もしっかりそこに混じっていました。

そして洞窟の中には、昔酋長だけが身に着けた羽毛のケープやヘルメット、酋長のいる場所に常に掲げられたカヒリ(長い棒の先に羽毛で作られた円柱状のものがついている)、酋長たちが実際に愛用していた武器などなど、大変な価値あるハワイアンの工芸品が、ごっそり積まれていました。洞窟は酋長たちの埋葬場だったので、おびただしい数の埋葬品が供えられていたんですね。それこそ博物館級の、お宝のようなアイテムだったと思います。

ピリ博士はこの日は酋長の遺体に手をつけず、肉が朽ちて白骨になるまで、待つことにしました。そんなわけで1年後、ホノルルの上司から「ハワイアンの遺骨を手に入れよ」との連絡が来た時、槍の刺さった酋長の遺体はまだ洞窟に眠ったままだったそうです。

でも自分の研究材料を横取りされたくなかったのでしょう、ピリ博士は、なんと知り合いの酋長の遺体ではなく、その隣にあった白骨死体をくるみ、指示されたとおりハワイ島コナの学校に送りました。つまり。ピリ博士は、「研究材料になってもいいよ」と同意した酋長の骨ではなく、見知らぬ酋長の骨を持ち出してしまったんですね。故人の許可なく……。

それから1週間後。なぜか! その洞窟から大火事が発生しました。もちろん洞窟に人がいたわけではありません。洞窟の内部から起こった自然火だったそうです。結果、ピリ博士が発見したお宝も、槍の刺さった白骨死体も、全て灰に……。ピリ博士は、これら古代ハワイのお宝を、故郷のイギリスに持って帰ることを画策していたようです。でもその夢もフイに。不思議な話ですよね~。

一方、洞窟から運び出された方の遺体は、その後どうなったのでしょうか? 妙なことに、こちらも燃えてしまったんだそうですよ。洞窟の火事の後、それほど時間がたたないうちに、今度は遺体を保管していた学校が火事になって、焼け落ちてしまったからです。1862年7月18日のことでした。これは……偶然の一致なのでしょうか? 偶然にしてはできすぎた話だと思いません?

こうして、白人の学者たちの手に落ちようとしたとたん、焼けて灰になってしまった古代の遺体とお宝の数々。推測ですが、きっと洞窟に眠る酋長たちは、外国で見世物になるくらいなら、綺麗さっぱり消えてなくなることを望んだのではないでしょうか? それとも……もっと怖く言えば、祟りとか? 皆さんはどう思いますか?

そんなわけで。「やはりハワイの洞窟は怖い」という、結論なのでした。

あ、上の写真はクアロアの崖の上から見下ろした七色の海です。私も死んだら、こんな美しい海を見下ろす崖の中腹に眠りたいナ、なんて。暗いお墓の地下に眠るより、海を見下ろす洞窟の方が、ずっと気分がいいかもしれませんからね~。

2006年01月14日

ハワイの洞窟に入るべからず

ハワイと言えば海の印象が強いですが、山歩きも楽しいもの。緑深い山々を冒険気分で歩くのは気持ちよいのですが……もし途中で洞窟を見つけても絶対入るナ、とうちのハワイアン夫は言っております。


なぜなら、ハワイ各地の山や丘、崖には、古代、埋葬場として使われた洞窟が多々あるからです。写真のオアフ島クアロアも、そんな洞窟が多いことで知られるエリア。ずいぶん昔から考古学者が調査していますが、まだまだ未発見の洞窟が多い様子。推定で400体前後の酋長クラスの遺体が、クアロア周辺のコオラウ山脈に眠っているとされています。

どうして古代ハワイアンは、そんな山深い場所に故人を埋葬したのでしょうか? ……というのは、「ハワイアンの遺骨」の回で書いたように、遺骨には死者のマナ(霊気)、魂がこもっていると信じられ、古代ハワイでは特別大切にされていたからです。逆に遺骨を粗末に扱うことは最大の冒瀆だったため、ハワイアンは家族の遺体を、命がけで守ろうとしたんですね。

ちょっと怖い話ですが……実際、死者を侮辱するため遺骨を掘り出しそれで釣り針を作ったり、ネズミ狩りに使う槍にしたり、ということが行われていたとか。そしてもしそれが比較的新しい遺体なら、肉を海に撒いて鮫の餌にしたりも! これ以上の死者の冒瀆があるでしょうか?

そこで愛する家族の遺体を守るため、絶対に見つからない秘密の場所に隠したわけですが、その選択肢の一つが山奥の洞窟でした。時には死につつある人が「死んだら○○の山の洞窟に埋葬してくれ」などと遺言することもあったそう。その言葉を守るべく、遺族は誰も見ていない夜、山を越え谷を渡り、時には山の頂上からロープを降ろして、遺体を崖の中腹の洞窟まで運んだりしたそうです。危ない風習ですね~。

また遺体から敵の目をそらすため、一度カヌーに遺体をのせて岸を出発し、夜のうちこっそり戻ってきて、グルグル山道を大回りしながら目的の洞窟に運ぶ、なんてことまでしたそうですよ。スゴイですね! しかもそれが酋長の遺体なら、酋長に似た体格の人をわざわざ殺し(!)、遺体をすりかえて、本物の遺体をこっそり埋葬地に運んだりもしたんだそうです。う~ん。

こんな秘密の埋葬場があちこちにあるハワイですが、そんな洞窟が多いことで知られるエリアがいくつかあります。一つが前述のクアロア。ハワイアン夫がクアロア・ビーチパークでアルバイトしていた学生時代にも、ハワイ大学の考古学者が、公園背後の山で洞窟を発見したそうです。中からは古い骨のほか、丸ごとのカヌーなども出てきたとか。埋葬品ですね。

その他は、オアフ島ワイメア渓谷。ワイメアは昔カフナ(神官)が住み、ヘイアウ(神殿)もある聖地ですからね。今だに未発見の洞窟が多々あるようです。オアフ島東部のニウ・バレーも、同様の洞窟がたくさんあることで知られています。

そうそう、19世紀のハワイアン歴史家サムエル・カマカウによれば、何でもオアフ島カフクのあたりに、多くの酋長が眠る広~い洞窟があるそうですよ。中はとてつもなく広く、泉や小川まであるとか。秘密の出入り口がモアナルアやカフクなど、オアフ島の各地にあるそうですが、いまだ場所は特定されていません。昔は、近くの洞窟からかがり火を掲げて出てくるハワイアンの姿なんかも、よく目撃されたそうですが……。もしこの洞窟が発見されたら、ハワイで大騒ぎになること必至ですネ。

またマウイ島の景勝地イアオ渓谷にも、数百人もの酋長が眠る有名な洞窟がある、とカマカウ。最後に埋葬されたのは、1736年に死去した酋長、カラニクイホノイカモクだそう。洞窟への入口を知るハワイアンは全て死に絶え、この洞窟もやはり見つかっていません。ほかの島にもこういった洞窟が多数あるのは間違いありませんネ。

このように膨大な数の遺体が眠るとされる、緑深いハワイの山々。もし山歩きの最中、ミステリアスな洞窟に遭遇しても! 入らない方がよさそうなのは、こんな理由があるからだったんですね。納得。

次回は、こんな洞窟にまつわる、ちょっと怖い実話を紹介しましょうね。お楽しみに!

2005年12月28日

ティキに守られる家


ハワイアン夫の実家はティキ像だらけ、というところまで、前回はお話しました。今回はその続きを少し……。

夫のハワイアン叔父は、米本土の大学ではマジメな彫刻を教える教授でしたが、趣味の世界では、もっぱらティキ像を彫っていたようです。ハワイ州庁舎やハワイ大学でもティキ展? を開いたりして、ティキに燃えた彫刻家だったよう。ハワイ滞在中はハワイ大学でもクラスを持っていたので、主人のハワイアン母もそのクラスを手伝いながら、ティキ像を彫るようになりました。

そのため、それを見ていた夫も、子供時代、庭で3つも4つもティキ像を作ったそうです。変な子供ですよネ! 子供がティキを彫っているシーンって、ちょっと怖かったりして……。

そんなワケで、主人の実家はティキ像に溢れています。高さ2mはありそうな大作(上の写真)、30センチほどのティキなど大小のティキがその辺にゴロゴロ(あ、ゴロゴロ……なんて言ったら罰が当たりますね!)。食器棚の中にも、陶器のミッキーマウスやサンタさんと並んで、高さ10センチほどのミニチュア・ティキが並んでいるという具合です。

初めてそのティキたちを見た時は、「わ~、素敵!」と思った私。そのうち、「でもちょっと怖くない? ティキに埋もれた家なんて」……なんて感じたりして。でも、夫の家族にとっては、ティキはあくまでも守り神。カウチポテトで、居間のソファーでいつも寝ている義兄なんて、ソファーの横に佇むティキを、「このティキなんて、僕の友だちって感じサ」と語っていました。どうも本気のようです……。

夫の叔父の手によるティキは、どれももう古いものばかりですが、見る人にはちゃんと価値がわかるようです。たとえば……家のガレージに、槍のようなスティックの先に付いたティキが、何体か置いてあります。ニスが剥げてしまって古~く見えますが(下の写真)、細部を見るととても美しいんです。そのためある日、家にやってきた水道工事の業者さんが、工事を終えると言いました。


「代金は、このティキで払ってくれてもいいんだヨ」

ハワイアン母が、きっぱり断ったのは言うまでもありません。

ちなみに、(話は唐突に変わりますが)ビショップ博物館にも、多数のティキが展示されてますネ。その説明書きを読むと、「○○の洞窟から発見された」とか「△△の地中奥深く埋まっていた」「××の溶岩平原で見つかった」といったものがすごく多いんです。ようするに、ある時期から大切に隠されていたというわけ。

……カメハメハ大王の死後、政治の実権を握った妻のカアフマヌ女王は1819年、女性差別も含む多様なタブーで社会を仕切っていたハワイの原始宗教を否定すべく、ハワイ全島にヘイアウ(神殿)やティキの破壊令を出しました(その後ハワイは悪い意味で激動の時代に入り、白人勢力に乗っ取られていくのですが)。その際、神官カフナや庶民が、大切なティキを隠し、保護したお陰で、ごく一部のティキが生き延びたというわけです。今度ビショップ博物館に行ったら、皆さんもこうした古代のティキを、じっくり見てきてくださいね。こうして何とか生き延びたティキがあるお陰で、ティキ文化?が未来へと続くわけですから、機転を利かせてティキを守った昔々の人々に、深く深く感謝です!

2005年12月24日

本当は怖いティキ像の話


ティキ像と言えばハワイのシンボル的な印象がありますが、実はティキってハワイ語じゃないんですよね。ハワイ語でTは使いませんから、ハワイではティキではなく、キイKiiというのが本当です。厳密にはキイは人を模した彫り物のことで、それが神像なら、アクア・キイというのだそうです。アクアは、ハワイ語で神のこと。ですから今話題のティキバーも、本来はアクア・キイ・バーと呼ぶのが正しいというわけ。ティキとは恐らく、タヒチ語なのではないでしょうか? ……それにしてもアクア・キイ・バーだなんて、何だか行く気がしない恐ろしげな名前ですよねえ。

このブログの中では、馴染みのあるティキという言葉を使わせていただきますが……。私はティキが大好き。なんだか[南海の楽園]のイメージと、[ハワイの不思議世界]という二つのイメージがドッキングした、そんな魅惑のイメージがティキにはあると思いませんか? そんなわけでこのブログのプロフィール写真(右上)にも、ナイスなティキ像の影に隠れる私の写真を使いました(ところで、これがどこのティキ像かわかりますか? わかった人はすごいハワイ通です!)。こんな私のため、ティキのイラストを用意してくれた編集のEさんにも感謝。

さて、前書きが長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょうね!

古代ハワイではもちろん、広く、深く崇拝されていたティキ。ヘイアウ(古代ハワイの神殿)にはティキが10体以上もそびえ、その足元には、いつもおびただしい供物が供えられえていました。時には人間までも……。

中でもルアキニ・ヘイアウの中央に飾られる大きなティキは、アクア・へイアウと呼ばれ、ケタ違いの崇拝を受けていたそうです(ヘイアウには様々な種類があり、人身御供が供えられたヘイアウは、ルアキニ・ヘイアウと呼ばれ区別されていました)。19世紀のハワイの歴史家マロによると、アクア・ヘイアウを作る作業は、材料となる木を切るプロセスからして人間の生贄が捧げられる、重々しいものだったとか。

アクア・ヘイアウは、オヒアの木で作らなければならなかったそうです。そこで新たなルアキニ・ヘイアウを建てる前、村の酋長は、豚や魚、ココナッツ、バナナ、人間などのお供え物を用意し、カフナ(神官)らを連れて山に入りました。ティキ像を彫るのにふさわしい、立派な木を探すためです。

いよいよ良い木が見つかるとカフナは祈祷しながら木に近づき、酋長は豚を殺して、木に捧げます。次いでカフナが最初の枝を切り落とすと、今度は第2の供物として、人間が生贄にされたのだそうです(←一人目)。

オヒアの木を倒すと、さっそくクラフトマンがティキを彫る作業に入るわけですが、その間豚が焼かれ、宴会が開かれたとか。そしてティキ像が完成すると、また人間の生贄(←二人目!)がオヒアの木の切り株横に埋められ、一同はティキ像とともに、ヘイアウへと向かいました。

そこで出来上がったティキ像を建てるため、深い穴がヘイアウ前に掘られるのですが……もうおわかりですネ。その穴に三人目の人間の生贄が投げ込まれ、その上にティキ像が建てられたそうなんです。つまり一つのティキ像のために、なんと3人もの人身御供が……。恐ろしいですね~。こういうことを知ってしまうと、気軽に「私はティキが大好き!」なんて、公言できなくなってしまいます。

ちなみにハワイアン夫の実家は、ティキ像だらけ。軽く20体はあるでしょうか。というのも、カンサスの大学で彫刻を教えていた夫のハワイアン叔父は、ティキ像作りに情熱を傾けるウッド・カービングのアーティストでもあったからです。……この続きはまた次回。

怖いティキの話題の後でナンですが、メリークリスマス! 楽しい聖夜をお迎えくださいね。

2005年12月18日

ハワイアンソルトでお清め


ハワイで新店オープニングなどがあると、よくハワイ式の御祓いが行われます(あ、ハワイといってもハワイ式ばかりではなく、神主さんが呼ばれたり、キリスト教の牧師さんが登場するお清めも多々ありますヨ)。その際、コアウッドのボウル入りの水に、ハワイで聖なる植物とされるティーリーフを浸し、水を振りかける儀式があるのですが……。ボウルの中身は何なのかな~と常々思っていたら、これは塩水なのだそうです。

ハワイでは大昔から伝統的に、お清め、御祓いには海水、または塩水が使われてきました。そもそもは海水に限らず淡水、果てはココナッツの水まで、水は様々な儀式の中で使われてきたそうです。そしてそれが海水、または塩を加えた水を使った御祓いなら、儀式はPi Kai、ピ・カイと呼ばれます。

ちなみにハワイ語で、Piは振りかける、Kaiは海という意味。本来は海水を使うのが正しいのかもしれませんが、海水から作られた塩入りの淡水でもOK、ということなのでしょうか? もちろん塩は食卓塩ではなく、自然塩であるハワイアンソルトのみを使用。どうやらピ・カイは、海の持つ霊的な浄化作用を利用した儀式と言えそうです。

このピ・カイは昔、ヘイアウ(古代ハワイの神殿)や祭壇、家、カヌーが完成した時のお清めに、よく行われたものだそうです。さらに出産や月経の後、死体に接した後などにも……。

そう、日本では葬式の後、塩を振りかけてお清めをしますが、ハワイでは塩水なんですね! 大昔は葬式の後、カフナ(神官)が呼ばれて本式なピ・カイをしたそうです。今ではその簡易版が行われているというか、葬式に出かける前、塩水を玄関前に用意しておき、葬式から帰ると自分に塩水を振りかけてから家に入ったりするそう。ただし、これはハワイアン文化の大御所、故メリー・カヴェナ・プクイさんの弁。うちではただハワイアンソルトを使っているので、日本式&ハワイ式のちょうど中間と言えるかも?しれません。……いずれにしろ塩の持つ霊的な洗浄力は世界共通のようで、それもまたユニークですネ。

ちなみに、実は私は、ふだんからハワイアンソルトをお守り代わりに持ち歩いております。信心深い、イエ、とても怖がりな私なので、特に出張など一人でホテルに泊まる時には、ハワイアンソルトが欠かせない気分……。

または、ちょっと怪しい噂のある(ヘイアウなど)霊的な旧跡に出かける時も同じです。ある霊園に写真を撮りに行った時のこと。「今日は馬鹿みたいにハワイアンソルトなんて持って来ちゃいました~」と言った私に、霊園を管理しているそのおじさんは、真面目な顔して言いました。「それはグッドアイディアだよ」。それを聞いて、よけい怖くなったことを思い出します……。

我が家ではまた、子供部屋にもハワイアンソルトが置いてありますし、友人の引越し祝い、新築祝いにも、可愛いハワイアン柄の小袋に入ったハワイアンソルトを贈ることも(写真のものは、ホノルル港にあるマリタイムセンターの売店で買ったものです)。

そんなわけで皆さんも、「郷に入れば郷に従え」。ハワイ入りしたらハワイアンソルトを買って、まさかの時(って、どんな時?)に備えてはどうでしょう? 見知らぬ土地やホテルでも、安心感がズ~ンと増すことウケアイですよ。

ほかにハワイでお清めに欠かせないものとして、ティーリーフがありますが、ティーリーフについてはまたの機会にじっくり! お話ししますね。

2005年12月04日

癒しの岩?それともシヴァの神?


ハワイでは各地にマナ(霊力)のこもる岩というのが存在しますが、オアフ島中心部ワヒアワのカリフォルニア・アベニュー沿いにも、とても有名なヒーリング・ストーン、「癒しの岩」があるのをご存知でしょうか?

一見どこにでもありそうな2つの岩なのですが、岩には癒しのパワーが秘められているとされ、特に1920年代~1940年代は、巡礼者が絶えなかったそうです。ハワイアンだけでなく日系人や韓国系、フィリピーノ、中国系の移民など、主にノースショアの砂糖きび畑で働く労働者たちが、夜明けから手に手にお供え物を持って集まってきたそう。近くにはレイを売るスタンドまで登場し、岩にはいつもたくさんのレイがかけられていました。

お布施も、どんどん集まってきたとか。毎月、当時の金で数千ドルが岩の前に置かれていったというのですから、その人気ぶりがわかりますね! それも教祖さま抜き、ただ岩がそこにあるだけで、ですよ! その頃ヒーリング・ストーンのある土地を管理していた水道会社は、そのお布施で一帯の道路を整備し、駐車場まで造ったというから、すごい話です。

ヒーリング・ストーンが現在地に置かれたのは、1925年。もともとは、近隣のワヒアワ郊外にある「クーカニロコ」という聖地にあったそう。それが巡礼者の数が増えすぎたため、対策として現在地に移されたのだそうです(クーカニロコは別名バースストーンとしても知られる、聖なる岩。ここの岩には産みの苦しみを和らげる不思議なマナがあるとされ、古代ハワイの王族女性はみなここで出産したのだそうです。こちらも様々な伝説に彩られた聖なる場所なので、いつか詳しくお話しましょうね)。

……ヒーリング・ストーンが発見された経緯については、次のようなユニークな話が残っています。

ある時、クーカニロコ近くの河辺を整理していた建築会社の人々が、巨大な岩を掘り起しました。その後、岩は河沿いに放置されていたのですが、ある夜。建築会社の白人責任者が「河辺で上下逆さまにされており、苦しい」と訴える、岩の夢を見ました。気味が悪くなった責任者が河辺を探すと、夢で見たとおりの岩があり、何人かで岩を上下逆さまにしたのだとか。その際、ハワイアンの労働者2人が「これは不思議なマナで知られるヒーリング・ストーンだ」と騒ぎだしたので、近くのクーカニロコにあるヘイアウ(神殿)跡に移されたのだそうです。

こうして、クーカニロコを経て、現在地に移ってきたヒーリング・ストーン。第二次世界大戦を機に巡礼者の足は遠のき、今ではかつてほどの巡礼者はなく、知る人ぞ知るワヒアワの聖地という感じです。一帯は静かな住宅地なので、ふだんは人通りもあまりない様子。ただしヒンドゥー教徒たちの出入りを除いて、ですが。

あ、唐突にヒンドゥー教徒まで登場してスミマセン。でもそうなんですよ。しっかり説明すると、このヒーリング・ストーン、奇怪なことに今ではオアフ島在住のヒンドゥー教徒の間で、聖なる岩として崇められているそうなんです。不思議な話ですね~。ヒンドゥー教徒は口コミで岩の噂を聞き、いつの間にか背の高い方の岩を破壊の神シヴァの化身として、崇拝するようになったのだそうです。

私が初めてヒーリング・ストーンを訪れたのは、かれこれ10数年前。当時、岩はごく簡素な、掘っ立て小屋風の建物の中にひっそり佇んでいたのですが、この間写真を撮りに行ってビックリ。立派な石の建造物に納まっていたからです。

何でもこの囲いはインド大理石でできているそう。1996年、ヒンドゥー教徒が寄贈したものだそうです。そういえばハワイアン……というより、確かにインド風の感じの建物でした。タージマハールを彷彿させるような(大げさ?)。きっと高価なものなのだと思います。ヒンドゥー教徒たちの崇拝ぶりがわかりますね。

ある地元英字紙の中で、在ハワイのインドの人々はヒーリング・ストーンについて、次のように語っています。「それが何だかはわからないが、岩には何らかのパワーがこもっているのを感じる。岩の前に来ると、平和な気持ちになる」と……。癒しのパワーうんぬんとは言っていませんが、こうして2つの全く異なる民族が、岩に聖なるパワーを感じると言っている点、すごく不思議だと私は思います。やはりこの岩、ただ者ではナイのは確かですね!

そんなわけで、皆さんもワヒアワ近くに出かけたら、このヒーリング・ストーンをお参りしてみてはいかがでしょうか? 場所は、(H-2フリーウェイをワヒアワ出口で降りた後)カメハメハ・ハイウェイを進み、カリフォルニア・アベニューの交差点を左に曲がって数分のところにあります。何か奇跡が……起こるかもしれませんよ。

2005年11月19日

マナの話

前回の話を書いていて、ちょっと怖い骨に関するエピソードを思い出しました。話ついでに、そちらも紹介しちゃいましょう。


ハワイアン男性、A氏はハワイ在住のコアウッド・アーティスト。10年ほど前、ボウルや皿などに加え、アクセサリーや置物など、小さな作品の制作も始めたのだそうです。そこで。アクセサリーのデザインとして人気のある古代ハワイのフック型釣り針を研究しようと、ビショップ博物館を訪れました。

古代ハワイで釣り針は、貝のほか骨、それも人骨も使われることがあったようです。いつもそうだとは限りませんが、敵を殺し、さらに侮辱する意味で骨を釣り針に加工したりもしたのだそう(恐ろしいですね!)。

その日A氏が訪れたのは一般の展示ホールであるハワイアンホールではなく、保管室、いわば舞台裏の方。特別な許可を経てA氏は、人骨の釣り針を手に取り、シェイプなどじっくり研究していたそう。ところが! ある釣り針を持ったとたん、

ガツーン!!!!!

という感じで、頭の中にショッキングな映像が閃いたそうです。それはある男が殺される、大変暴力的なシーンでした。戦場のような喧騒の中、男がもう一人の男の髪をわしづかみにし、振り回しています。そして棍棒のようなもので、男の頭をガンガン! ガンガン! と殴りつけるのでした。

どうやらそれは、釣り針となった骨の持ち主というか、犠牲者が、殺されるシーンのようでした。

A氏は急いで釣り針を元に戻しましたが、その恐ろしい光景が消え去ることはなく……。しょっちゅう脳裏に蘇ってきては、A氏を苦しめたのです。怖いですね。私だったら気が狂ってしまいそう……。

そんな日が何日も続き、ふらふらになってしまったA氏。途方に暮れて、亡くなった父親の遺灰を流したワイアナエの海岸にやってきました。父親は前年に亡くなっていて、生前の要望により、遺灰を海に流したのだそうです。

「父さん助けてくれ。どうしたらいいのかわからないよ」

ビーチに立って、A氏はそうつぶやいたそう。そのとたん! その暴力的な映像は、頭からス~ッと消えてなくなったのだそうです。……きっとあの世のお父さんが助けてくれたんですネ。

この話をシェアしてくれたA氏は言いました。

「骨にはマナがこもっているんだ。だから骨を扱う時はすごく気をつけないといけないよ」。

骨にこもった死者のマナ(霊気)が、そんな不思議な現象を引き起こしたのだろう、とA氏。私も同感です。骨にはその人のマナ、魂が残るというハワイアンの信条は、どうやら本当だったようですね。

今後の人生の中で、私が骨を扱うことはナイとは思うのですが……。この話を肝に銘じて、お骨には最大限の敬意を示したい私です。皆さんも、どうぞご注意を!


ハワイ在住15年目。ネイティブ・ハワイアンの夫と小学生の息子&娘の4人家族。何よりもハワイアンカルチャー、ハワイの不思議世界が好き。

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